トロルの一件があってから、カッサンドラのことを警戒し、ホイミンをあまり外へ出さない日々が続いていました。
そんなある日のことです。
ホイミンが修道院の図書室で調べものをしていると、院長がやってきました。
「ああ、ホイミンか。勉強熱心じゃな」
「院長様、何かお探しですか?」
「いや、本を片付けにのう。ホイミンは何を読んでおるのじゃ?」
「はい、薬草と蒸留酒の関係を」
「最近、薬湯の味が随分ましになったのは、お前さんのお陰じゃな。礼を申すぞ」
「そんな、もったいない」
明かり取りの窓から、頼りなげな午後の光が射しています。
「ひーっくしょい!」
「院長様、ここは寒うございます。本は私が片付けます。お部屋までお送りしますので……」
「いや、それより、お前さんの調べものはまだかかるかの?」
「いえ。本が見つかりましたので、もう終わりです」
「なんじゃ、分厚い本じゃのう。どれ、見せてみなさい……なになに? 薬草学を学ぶ……なんじゃ、字が小さくて読めんぞ」
院長は、わからん、わからん、日なたへ参ろう、日なたぼっこじゃ、と楽しそうにホイミンを誘いました。
二人は、ホイミンとククールが一生懸命作った薬草畑へ行きました。日の光を小さな葉いっぱいに受け、毒消し草、まんげつ草など様々な薬草が元気に育っています。
「ほう、立派なものじゃ。お前さんとククールが一生懸命世話をしたからじゃな」
「ありがとうございます」
ホイミンは、院長を日向のベンチに案内します。このベンチは、ククールがおさぼり用に作ったもので、いつもここで横になっていました。
院長はベンチに腰を掛け、ふむふむとうなずきながら、満足そうに畑を見回します。
「この薬草畑のおかげで、孤児院の子供たちも病気が早く治るようになったのう。特に毒消し草はよく効くようじゃ」
「はい。他の薬草と調合するともっといろいろな効果をもった薬になります。今は蒸留酒とあわせて、薬酒を作れないものかと研究しています」
「そうか、よう考えておるのう」
院長に促され、ホイミンも同じベンチに腰掛けます。
「また、蒸留酒を精製して強い酒にし、消毒液として使えないものかと。癒しの呪文で治らない傷にもよく効くかもしれません」
「ふむふむ、感心じゃ」
「それから、薬だけでなく、食物と病気の関係を知ることができたらと思います」
「ふむふむ……」
「例えば、院長様はお腹がお強くないので、夜のお食事は控えめに、豆類などはより柔らかくして召し上がって下さい。修道士の皆さんはあまり身体を動かすことがないですから、今のお食事でよいのですが、騎士団はもう少したんぱく質を多くとるほうが良いと思います。豆類は毎食とり、パンに胡桃などの木の実を入れますと、より一層栄養価が高くなります。また15歳以下の者にはミルクも与えるほうが……」
「……」
暖かな光を包んだ風が、院長の長い髭をそよそよと撫でていきます。なんとも穏やかな日でした。ホイミンは上着を脱ぎ、院長の小さな背中に掛け、静かに立ち上がりました。
ホイミンは、薬草畑の隣に香草畑も作っておりました。まだ整地しただけで何も植えていませんが、薬酒が作れるようになったらすぐに作業に取りかかるつもりです。またその隣には、小さな花壇を作る予定もありました。
ホイミンが雑草を抜いていると、院長が声をかけました。
「おお、すまんすまん。居眠りをしておったわい」
「院長様。申し分ありません。つまらぬことを調子に乗って話し過ぎました」
「いやいや、謝らなければいかんのはわしじゃよ。お前さんはなかなかいい声をしておる。よく通る優しい声じゃ」
「そうでしょうか」
「うっとりして居眠りするほどじゃ」
院長は大袈裟と思えるほどのあくびをして、ふおっふおっ、と笑いました。院長はゆっくり立ち上がり、ホイミンのいる畑のほうへ歩いてきました。
「……ホイミンよ、ここでの暮らしは慣れたかの? 騎士団の訓練は大変じゃろう?」
「はい。院長様を始め、皆さんによくしてもらっています。訓練は大変ですが、無事に騎士団見習いになれて、とても幸せです」
「幸せかの? そうか、そうか。それは良かった」
畑のふち、腰掛けるのにちょうどよい石の上に、二人はちょこんと並んで座りました。
「……本当にカッサンドラ司祭様のところへ行かなくてよかったです。あんな怖い思いはたくさんです。でも、院長様と修道院を守るためならば、いつだってマダンテが使えるような気がします。司祭様の目的が何であれ、私はここから離れたくありません。いつまでも院長様と修道院のために尽くしたいのです」
「そうかそうか。いいんじゃよ、ここにいなされ。皆女神様とわしの愛し子じゃ」
雑草を抜いた穴を、太ったミミズがにょろにょろともぐるのが見えました。
「……院長様、実は最近、怖いのです」
「なんじゃ、また司祭の手の者か?」
「いえ、違います。また魔力値が上がったようなのです。自分でもどんな術ができるのか解らなくて、試したいのですが、マダンテのような呪文だったらと思うと怖くて試せないのです」
先日、思いがけずマダンテを発動してしまったホイミン。強化されたトロルを木の葉のように舞い上げ地面に叩きつけたのを、カッサンドラはもちろん、騎士団の仲間も見ていました。見たことのない魔術の力に、ホイミンを小さな子供だと軽んじていた騎士団員も一目置くところとなりました。
「自らの命を削って放出される力とは、強大であり、大変な魅力も持っておるが、同時に危険をはらんでおる」
「……」
「制御して使えるようになるにはおそらく今後の訓練次第じゃろうが、お前さんならきっとできる。じゃが、わしも、自己犠牲の術は反対じゃ」
院長の小さな瞳は優しくホイミンを見つめました。
「マダンテとは、魔法術と格闘の技を極めた者ができると聞く。しかし、それ以外にもあるかもしれんのう」
「他にも……。そのような技術は自然につくものなのですか?」
「いや、自然にではない。術の中には自然に身に付くものもあるが、技術は自らが望んで腕をを磨き進歩させて行くものじゃ。しかし、お前さんの魔力値が上がっていくのは自然なことであろう。間違った使い方さえしなければ、何の問題もないじゃろう」
「はい。ただ……」
なんじゃ?と優しく尋ねる院長には、何故か誰もが胸のうちをさらけ出してしまいたくなるのでした。
「私は騎士団の足手まといになっていないでしょうか」
「なぜそのように?」
「はい。訓練しても剣の腕はさっぱり上がらず、拳法も受け身や身かわしのみです。他の見習い生たちが厳しい訓練に耐えているのに、私は……」
「いいんじゃよ、ゆっくり成長すればよい。お前さんは見習い期間も長いんじゃ」
「……そのような待遇を頂いてよろしいのでしょうか。私は早く強くなりたいんです」
「ホイミン、強さというものは武力だけではない。例えばマルチェロをご覧。あの素晴らしい頭脳と精神力は、剣がなくとも強いと言える。力自慢のマリオンも、孤児院ではそれはそれは優しい先生じゃ。武力にのみに頼るのは危険なことじゃよ。お前さんは薬を調合したり、薬草を栽培したりと、お前さんにしかできないことをしておるんじゃ。足手まといになどなっておらん。皆、それぞれに役割をきちんとこなしているんじゃよ」
「……はい。少し分かった気がします」
「それでよい、それでよい」
やっとホイミンの表情に安堵が浮かんだので、院長も笑顔を見せました。
「さて、そろそろ帰ろうかの。また日なたぼっこしようぞ」
ホイミンの長所をわかってくれている院長でした。