アスカンタ城の仮眠室を出た団長様。突如現れた風景に戸惑っておいででした。壁を背にして立ち、右からコツコツという音が聞こえ、左からは話し声が近づいてきます。ぼそぼそとはっきりしない声でしたが、だんだん近づいてくるにつれその内容が聞き取れるようになっていました。
「おい、舞踏会が始まっているぞ」
「参ったな、遅れたら兵士長殿に怒鳴られる」
「今度の兵士長殿は怖いよな」
「ああ、例の司祭の腹心だろ?」
「司祭のところから来た奴ら、みんなちょっとおかしいよな」
「しっ! 気を付けろ。誰が聞いてるか……」
「悪い。司祭殿は王妃様の親戚でいらっしゃるからな」
「そうだ。逆らうなよ。俺たちなんか生きてるだけでありがたいんだから」
二人の兵士が団長様の目の前を通り過ぎて行きました。霞がかかったような二人の姿は団長様には気づかなかった様子で右の廊下をしばらく進み、止まりました。団長様は耳でコツコツ言う音を聞き、目で兵士の様子を伺っておりました。兵士は何もない空間に、まるで扉があるかのごとく、押しました。驚いたことに扉は開き、ガボットの優雅な調べと、金色の光がふわりとあふれました。
これは、幻か? 団長様はお顔を向けて二人の兵士が消えていった空間を凝視しましたが、扉も光も消え、再び荒れた草はらが広がるだけです。そしてコツコツと言う音だけが、同じように聞こえていました。
「まやかしだな」
団長様が呟くと、扉だった部分から先程の二人の兵士が転がるように出てきました。
「申し訳ございません、兵士長殿」
「どうかお許しを」
「駄目だ。眠らせてやる」
二人に続き兵士長と呼ばれた男が出てきてレイピアを抜きました。その者はなぜか赤い制服姿のククールの姿をしておりました。
「貴様、司祭様の悪口を言ったな」
「いえ、とんでもございません」
「申しておりません」
二人の兵士は、兵士長の足元に土下座して、わなわなと震えています。
「本当か?」
「はい」
ふふん、と笑って、ククールの姿の兵士長はレイピアを鞘に収め、
「本当かどうか、あの者に聞いてみよう」
と言い、団長様目掛けて突進して来ました。
さっきまでのコツコツと言う音が、突然大きく早くなり、あっという間に団長様の目の前に現れました。団長様は咄嗟にレイピアを抜こうとしましたが、右手を恐ろしい力で押さえられてしまいました。とっさのことに、息も詰まります。
「これはこれは、マイエラ聖堂騎士団の団長殿とお見受けいたしたが。お初にお目にかかります。アスカンタ軍兵士長のククールでございます」
「何か……」
団長様は右手をあまりにも強く捕まれていて、まるで血が止まってしまうのではないかと思いました。息苦しさも増していて、それだけ言うのがやっとでございました。
「いえ、あの者たちが、我が司祭様の悪口を言っておるようでしたので、何かお耳に挟まれたのではと」
「さあ」
「隠し立てはなさらぬほうが。いずれわかりますよ。我が司祭様は何でもお見通しですから」
ククール姿の兵士長は、確かにその姿は幻のようにぼんやりしているのに、腕を掴むするどい痛みと、サファイアの瞳だけが力強くそこにありました。
「如何でしょうか? あなたの前を通るとき、何か話してはなかったですか?」
ククール姿の兵士長は団長様に詰め寄ります。隠すとためになりませんよ、と言う兵士長。と、突然、右方向より断末魔の叫びが聞こえました。思わずそちらを見ると、もう一人ククール姿の男がいて、二人の兵士を切り殺したところでした。その男はこちらを見てニヤリと笑い、先ほどと同じように団長様目掛けて突進して来ました。そして、今、団長様を捕らえているククールに同化し、色素の抜けた朱色の唇で言いました。
「さあ、団長殿、真実を」
「真実?」
詰め寄られて、団長様はますます息が苦しくなり、頭もぼんやりしてきます。
「苦しくないですよ。あなたが眠るまで見ていてあげます。団長殿? ゆっくりお休み下さい」
「何を……お前は……」
誰だ、と言おうとして、息苦しさが頂点に達し、目眩を感じました。落ち着け、と言い聞かせ、ぐっと目を閉じました。
「そう、ゆっくりお休みなさい、ドニの息子よ……」
!!!
団長様はキッと目を開けました。目の前のククールはククールの母親の姿になっていました。しかし、顔は父親の顔。まるで団長様がククールの物真似をしているようでした。その男は団長様にぐいぐい迫り、顔を近づけてきます。
「誰だ!」
ククールの母親はだんだんククールになっていき、
「なあ、もういいよな、楽になろうぜ。あんたはオレを刺したんだ。今度はオレの番だ。安心していい。オレは刺さない。ただ、挿すんだ。それでそのまま一緒に地獄へ墜ちよう。なあに、痛くないから。あんただって経験無いとは言わせないぜ。オレはガキの頃見たんだよ。あんたが……」
「止めろ!」
団長様は、渾身の力を込めて目の前のククールを突き飛ばしました。
「うっ」
団長様は一瞬目が見えなくなりました。暗闇です。確かに突き飛ばした、奴はどこだ?
「ははははははは!」
遠くから父親の笑い声が聞こえます。
「坊っちゃん、坊っちゃん、マルチェロ様ですよ、お兄様ですよ」
ばあやだ。
「奥様、ククール坊っちゃんを抱いて差し上げて下さい、探して泣いておられましたよ」
母だ。
「奥様、私は、どんなこともいたします、母を助けてください、お願いします」
「マルチェロ、私にはどうすることもできません、どうか達者で」
なぜだ? 忌まわしい過去が! 団長様の「過去」は、頭の中でぐるぐる渦巻きます。
「兄貴、行こう、地獄へ。一緒に墜ちよう」
ククールの声がこだまします。ククールなのか、幻のククールなのか? 落ち着け、今突き飛ばした男をまず探せ!
団長様はくらくらする頭をどうにか起こし、浅く呼吸しながら辺りを探しました。
「ここは……仮眠室か?」
手に触れるものを確かめていると、なんと、仮眠室の寝台の上にいることがわかりました。意識が戻ってきても良さそうなのに、厚く霧がかかったように何もかもがはっきりしません。団長様はこめかみを抑えながらゆっくりと体を起こしました。
「……いて、いてて……」
足元からか細い声がします。見ると、見慣れない青いククールが床に這いつくばっていました。
「あ、あに……、くっ、くるし……」
団長様は飛び起き、床で悶絶している青いククールに近づきました。ククールの視線はさだまらず、顔色は真っ青です。
「……いき、できな……」
そういえばろうそくが消えています。
団長様は階上へ続く階段を手探りで探しました。
* * * * *
葬儀翌日を迎えたアスカンタ城。日が昇り、各騎士団員は再び配置についています。
マイエラ修道院のオディロ院長は、騎士団に守られて馬車で帰路についています。馬車の中にはなぜかククールもいました。
「あ~あ、よく寝たな。でもなんで気持ち悪いんだろう」
「無事で何よりじゃよ」
ククールはまだ青い顔をしていました。先ほどからずっと生あくびをしています。院長は少し心配そうにその様子を見ていました。
「オレ……、兄貴と院長様の部屋の警護して、仮眠室行って、ほんのちょっとおイタしたらケリ入れられて……。その後覚えてないんだ。目覚めたら兄貴の腕の中ってわけ」
「で、またケリを入れられて?」
「そっ。すげ痛かったけど、院長様と馬車に乗って帰れるなんて最高! 楽チンじゃ!」
弱々しくも、陽気に笑うククールと馬車に揺られながら、院長は団長様とククールに何事もなくて良かったと思いました。
「申し訳ございませんでした」
「アラン、謝らずともよい。気を使ったのであろう」
「もう少しで団長殿を失うところでございました」
ルドマンはポロポロと涙を流しています。
院長一行が帰った後、城での残務を終えた団長様も帰路についていました。
日は傾きかけ、その姿を追うように騎馬隊が進みます。先頭を行くのは副団長アランとルドマン。その後ろに、マリオンに手綱をとってもらい、真っ青な顔で駿馬に跨がる団長様がいらっしゃいました。
──私は、馬鹿な弟にのし掛かられて呼吸が浅かったから、軽く済んだのだ。地下の仮眠室で換気もせず、炭やろうそくを燃やしたら有毒ガスがでることなど、解りきったことではないか。全く、あの男と一緒にいるとろくなことはない……
と思う団長様でございました。
結局夢オチでした。次はマイエラに戻ります。