「ああ、もう幸せ!」
朝からハイテンションなのは誰あろう、聖堂騎士団始まって以来の問題児、赤い騎士服に身を包んだククールでございます。
「わかったから、もう黙ってくれ」
罰則にいちいち引率していたマリオンは苦笑い。団長様との見張りが決まってから十日間、今日までは、と耐えておりましたが、とうとう仏のマリオンもお手上げとなりました。
「今夜が明けなければいいな、って、世界中のカップルが思ってるだろうな。オレたちもその中の一組さ」
阿呆が、「オレ」だけだろう、とはマリオンには言えませんでした。何しろ興奮の波も最高潮、むしろ気味が悪いくらいです。
「なんて幸せなんだ、オレ。団長どのと夜勤だぜ? 昨夜の祈祷すら苦にならなかったし」
マリオンは、まだククールが16歳なのに、夜伽、いえ、祈祷ご指名ナンバーワンなのをかわいそうに思っておりました。
「天気も良さそうだし、よかったな」
「うん、うん、女神さまはオレの味方してくれてるんだよな? ありがとう、女神様。これからはちゃんとお祈りします」
「おい!」
ククールは、にへら、とだらしのない顔で鼻歌まじりに罰則である礼拝堂の雑巾がけを始めましたので、マリオンも自分の勤務につこうと、孤児院へと向かいました。途中、中庭で団長様を見かけました。団長様は先ほどのククールとは正反対な表情。絶望、が浮かんでおいででした。マリオンは、少しからかってやろうと声をかけました。
「なんだ、この世の終わりのような顔をしているぞ?」
団長様は、遠い目をされたまま、ゆらゆらと定まらない視線をマリオンに向けて返事なさいました。
「言うな。これでも耐えているつもりだ」
「……お前たちも長いな、まあ、どうすることもできないがな」
団長様はマリオンの言葉を聞き、翡翠の瞳に哀しみをちらりと浮かべました。
母親が違うとはいえ、実のきょうだい。兄は弟を虐げ、弟は兄を異常なまでに慕っています。団長様の深い苦しみのようなものを垣間見てしまったマリオンは、からかってやろうと思ったことを少し後悔し、それ以上何も言うことはできませんでした。
いつもと同じ日々の訓練、礼拝、教義などが全て終了し、時を知らせる鐘の音が静かに響きました。
団長様は机上の書類を片付け、ゆっくりと立ち上がりました。そして細いため息をおつきになり、ご愛用のレイピアをその腰に準備なさいます。
同じころ、修道院を出たところにはマリオンが待っていました。鐘の音とともに、ククールが無駄に元気よくやって来ます。その姿を、マリオンはニヤニヤしながら見ています。遅れて、団長様が無表情のまま進んでいらっしゃいました。
「さあ、行きましょう、団長どの!」
ククールは元気に団長様の前で敬礼します。ここで団長様が「うるさい、寄るな」とでも言ってくだされば、ククールも救われるのですが、団長様は一言もおっしゃらずに森へ向かわれました。
「仲良くな、マルチェロ!」
マリオンが余計なことを大きな声で言い、二人を見送りました。
「待ってくれよぅ」
ククールはスキップしながら団長様の後を追いかけます。
夜の森は漆黒の闇、団長様は松明をお持ちになりずんずんと奥へ進みます。
今夜を心待ちにしていたククールでしたが、いざ二人きりになると、ドキドキしてしまってどうしてよいかわかりません。団長様の背中を見ながら黙ってついて行くしかできません。真後ろに着くと無言でレイピアが降って来るので、団長様の左後ろを歩くのが常でした。
松明はあかあかと燃えていましたが。照らすのはほんの一部。もしはぐれてしまったら、兄は自分を探してくれるだろうかと、子供じみたことがククールの頭に浮かびました。ククールのサファイア色の瞳は闇を映し、夜の海のように静かで寂しく揺れるのでした。
「何もいないな」
ふと歩を止めて団長様がおっしゃいました。森の中に魔物の気配はなく、虫の音や風に揺れる木々のざわめきだけが聞こえています。
「団長どのの気配だけで魔物が逃げてくんだよ。それにそんなに急いで森の奥へ行こうなんて……オレをどうするつもり??」
ククールは軽口を叩きましたが、団長様はもちろんお返事なさいません。森の奥へ向かって再び歩きはじめました。
松明のあかりは、団長様の足元だけを照らしていますので、ククールはちょくちょくよろめきながら、一生懸命団長様の後を追って行きます。
森の中を軽く見回り、次に川沿いへやってきました。団長様は、その長い脚できびきびと先へ進んでいきます。ときどき、あっ、とか、あぶね! とか、後ろでククールの声がしますが、「川へ落ちてしまえばいいのに」と思うだけで、振り返りもせず、無視して進んでいきます。
一向に声をかけてくださらない団長様。それでも、こんな夜中に二人きりでいられることをうれしく思うククールです。でも、その見回りのお仕事も、もうすぐ終わってしまいます。
二人の足音がどんどん修道院に近づいてきます。気のせいでしょうか、ククールには、団長様の歩みが早くなっているように感じました。
「……あ~あ、つまんねえの。魔物なんてなんにもいねえじゃん。せっかく団長どのと愛の聖戦を見せつけてやれたのに。美しいぜ、きっと。団長どのがメラ、オレがバギすりゃメラゾーママイエラスペシャル! 騎士団始まって以来のカリスマぺあ~だぜ。草木も眠る丑三つ時だって、み~んな起きて見物に来るってもんよ」
「それはわしも是非見たいものじゃ」
「うわ?!!!」
突然声をかけられてククールは思わず団長様に背後から抱きつき、その瞬間、一本背負いで宙に舞いました。
「ってー!」
背中をしたたかに打ったククールでしたが、さすが騎士、すぐに起き上がってレイピアを構えます。
「馬鹿者! オディロ院長様だ」
声をかけたのはオディロ院長でした。すでに、団長様は小柄な老院長に最敬礼をなさっています。
「なんだ、びっくりした! でも院長様、こんな夜にお一人で危ないですよ」
「おお、ククール、お前さんは優しい子じゃのう。大丈夫じゃ。……それより二人とも着いてくるのじゃ」
院長はくるりと向きを変え、ご自分の住まいに向かって歩き始めました。二人は小さな院長の後を争うように追って行きます。
院長は、院長の館の裏手に回りました。院長が示した茂みのあたりには少しくぼんだ場所があり、そこに何かいるのがわかりました。
「魔物でしょうか?」
もぞもぞと動く何か。団長様は院長をかばうように立ち、そっとのぞき込みます。
「あのオレンジはスライムベスだな。あと青いのもいるぞ。なんだ? 見たことないな……」
ククールは四つん這いになってのぞき込みました。
「ホイミスライムじゃ」
「ホイミスライム? マイエラにはいないはずでは」
団長様もククールもホイミスライムの姿を確認しようと暗がりに目を凝らします。
「アスカンタから来たのではないかのう」
「あれ? ありゃ、人間だ、子供か?」
ククールが見つけました。青いホイミスライムの影になっていてよく見えませんが、小さく背を丸めて座っているようです。
「そのようじゃ」
「孤児院から抜け出してきたのでしょうか?」
「いや、違う。先ほど孤児院へ行ったが、抜け出しておる者はおらんかった」
二人とも、ここにおれ、と言って、院長はスライムたちの方へ進みました。
「大丈夫じゃ、わしはただのじじいじゃから、何もせん」
ホイミスライムは一瞬怯みましたが、院長の優しい雰囲気を感じ取り、すぐに友好的に触手を揺らしました。
「何か困りごとかの? 遠慮せず言うとよいぞ。あの二人なら何でも聞いて下さるぞ」
院長は団長様とククールを手招きしました。団長様は、院長がまるでホイミスライムと言葉が通じるのが当たり前のように話しかけるので、ちょっと院長がボケてしまったのではと心配なさりました。
「や、やあ! オレはククール。騎士団一、いやニのナイスガイだ。ナンバーワンはこのマルチェロ団長さまだ」
ここにもボケたのがいました。
魔物に人間の言葉など……わかるはずがない、と思った団長様でしたが、ここは2対1で団長様の負けです。仕方がないので、自分もこのホイミスライムは言葉が通じると信じる会に入会し、とりあえず、頷いておきました。
二人がゆっくりと近寄ると、ホイミスライムは院長の足元に隠れました。子どもはこちらに全く気づかず、どうやら泣いているようでした。泣きながら、オレンジ色のスライムベスにホイミをかけています。
「あっ、こいつ!」
「しっ!」
大きな声を出しかけたククールを団長様が遮りました。
「お前さんはホイミがつかえるんじゃな」
子どもは、院長の言葉には何も反応せず、ただ泣きながら呪文を唱えます。
「よっぽど大切な友だちだったのじゃな。だが、愛し子よ、寿命を知っておるか?」
その言葉に、子どもは初めて院長を振り返りました。
「ホイミで治せぬ病もある。お前さんが、命を大切にする気持ちはよくわかった。このスライムベスにも伝わっておろう」
院長の言葉を聞いて、子どもは声を上げて泣きました。
「よしよし、もう十分じゃ。今は静かに眠らせてやろうぞ。ほれ、仲間が迎えに来たようじゃぞ」
院長の館を囲む川は、いつのまにかオレンジ色に充たされていました。院長はスライムベスの亡骸をそっと抱き上げ、川に集まっている仲間に返しました。スライムベスの集団は亡骸を頭で支えながら、ゆらゆらと流れていきます。先日、魔物を取り逃がした時と同じ光景がありました。院長が祈りの言葉を紡ぐ横で、団長様も静かに彼らの姿を見送りました。
「ママ……」
子どもが言いました。ホイミスライムが金の触手で子どもを包みます。子どもはまだ泣いていました。
「この子をここへつれてきたのは正解じゃよ。お前は自分の住みかにお帰り。この子は大丈夫じゃ」
ホイミスライムは人間の子の手を院長の手に重ね、二人に癒しを与えました。
「ママ!」
子どもは院長と手をつないだまま、ホイミスライムを見送ります。
ホイミスライムはちゃぽんと川へ入ると、そのまま静かに流れて行きました。
「名はなんという?」
院長は優しく尋ねました。
「……」
人間の子はうつむいて首を横に振りました。
「どっから来たの?」
ククールも尋ねますが、同じように首を振ります。そして院長の後ろに隠れてしまいました。
「院長様、どうなさるのですか?」
「ふむ……孤児院へ連れて行ってもよいのじゃが、今夜はもう遅い」
「マリオンを呼んできましょうか?」
「いや、今夜はわしのところで寝かせよう。疲れているようじゃし」
「大丈夫でしょうか?」
「何がじゃ? マルチェロよ」
院長は、何が問題があるかのう、というような顔で団長様を優しく見上げます。
「はい、この者は魔術が使えます。院長様に万が一のことでもあったら……」
「ほほほ、なんじゃマルチェロ、そんなことを心配しておるのか。まったくお前さんは心配性じゃのう」
「どこの誰ともわからない……」
団長様は、そう言いかけて、マイエラの孤児院は、そういう子どもたちの集まりだったことを思い出しました。
「平気じゃねえ? なんならオレもご一緒しましょうか?」
「なにっ? いや、ならば自分がお守り致します」
得体の知れない子供と院長が一緒に過ごすうえ、その見張りをしようだなど、ククールに任せておけるものかと、団長様は慌てて言いました。
「なんじゃなんじゃ、二人とも。大丈夫じゃよ。……まあ、確かに誰かいてくれるとありがたいが……」
院長は団長様とククールの顔を交互に見ました。
団長様は、「ぜひ私をお選びください」というようにすっと背を伸ばします。一方のククールは、あーあ、と大きなあくびをしました。いつの間にか院長の後ろから出てきて、三人のやり取りを見ていた子どもも、あくびをしています。
「そうじゃな、ククールよ、お前さんにお願いしよう」
「がってん!」
ククールはぴょんと飛んで、変なポーズを決めます。
「ぷ……ふふふ……あははは!」
子どもは、ククールを指さして笑いだしました。
「おい、なんだよ、そんなにオレがおかしいのか?」
きょとんとするククールを見て、子どもはまた笑います。
「んだよ、オレはお笑い芸人じゃねえぞ……、ほらほら、わかったから、静かにな……」
ククールは子供の目線にしゃがみ、「しー」っと口に人差し指を当てて見せます。
「しーっ?」
子どもはククールの真似をし、静かになりました。
その様子を見ていた院長は、この二人はなかなかウマが合いそうだと思いました。
「それから、二人とも、このことはしばらく内緒にしておくれ。この子は院長室に置いておく。すまないがマルチェロよ、明日朝の食事を運んできておくれ」
「承知いたしました……」
納得のいかない団長様でしたが、院長がそう言うのならば従わなければなりません。
「では、院長様、お部屋まで参りましょう」
こうして得体の知れない人間の子どもは、しばらく院長室で過ごすことになりました。
得体のしれない主人公がやっと登場です。ところで、スライムって泳げるんでしょうか。