幸福に生きたい   作:さよならフレンズ

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呪縛

 草薙護堂が北海道でまつろわぬアテナに敗北した、命こそあるが暫く再起不能らしい。

 正史編纂委員会の重役に慌てながらそう聞かされた清水は驚くほどに冷静だった。

 日本でも有名な戦神であるアテナは、心身が万全の状態でない神殺しが勝てる相手ではない。

 ゴルゴネイオンを手に入れたアテナは北海道から日本を南に下り、周囲に被害を撒き散らしながら真っすぐに清水の居る東京都に向かってくる。

 アテナが通過した場所は昼間にも関わらず暗闇となり、ありとあらゆる光源が消滅していく。それは女神が立ち去っても直らなかった。

 更に近くで女神に相対してしまった者は死の息吹を当てられ死亡している。

 電気は消え、自動車は止まり発電所も停止した民衆は明かりのない暗闇の中、右往左往することしかできなかった。

 文明の利器を奪われた人類は脆弱な獣でしかない。このままではまつろわぬ神が日本を壊滅状態にするのに時間はかからないだろう。

 

 国家存亡がかかるこの一大事の中、清水は媛巫女と接吻を交わしていた。

 この行動は別に清水が王としての特権を悪用して淫行に耽っている訳ではない。

 清水の権能である『情け深い幸運』には複数の能力がある。

 その中には神々の情報が必要なものがあるが、清水は神話の知識には疎いのだ。

 神殺しの体には呪いが聞かないため口径接種の『教授』の術で媛巫女から直接神話の情報を叩き込む必要があるのである。

 

「……」

 

 ディープキスをすると共に、脳内にアテナの知識が次々と入ってくる。

 接吻をしている相手は可愛らしい少女ではあるのだが、清水は情欲の炎を燃やすことはない。清水の表情はどこまでも乾いており、瞳は凪いでいる。

 この後のアテナとの戦いに集中しなければならないという使命感が清水を支配していた。

 

 行為が終了すると、清水の方から深々と媛巫女に頭を下げる。

 

「有難うございました」

 

 清水の礼を受け取ると共に、無言で立ち去った媛巫女の瞳の端には雫が光る。

 少なくない罪悪感はあったが、清水がそれについて深く考えることはなかった。必要なことであったと割り切る努力をする。そうでなければ護堂の二の舞になるだけだ。

 ここで敗北すれば先ほどの媛巫女との行為も、涙も無駄になってしまう。

 

「そろそろか。……必ず勝つ。俺のやるべきことはそれだけだ」

 

 清水は周囲への被害を恐れ、広大な空き地に移動した。

 アテナの気配が近づいてくるのを感じて清水の心が沸騰するかのようになり、全身に闘志が張り巡らされる。

 これは神殺しに成功したものの共通の体質であった。

 初めて神の弑逆に成功してから、清水は様々なものを犠牲に生き残ってきた。

 しかしそれはいずれも彼の周囲の者達を不幸にする代償としてでのものである。

 最初に犠牲になったのは清水の両親の命であった。

 次に犠牲になったのはイタリアの多くの民衆の命であった。

 それからも戦闘が起こる度に、時には清水の権能に関係なく、幸運に巻き込まれて清水一人の命とは釣り合いが取れていない多くの人間が犠牲になっていった。

 だからこそ清水は誰よりも幸運でなければならないし、まつろわぬ神に勝利しなければならない。

 

「そうでなければ、俺だけが生き残った意味がない」

 

 それは清水の使命感であり、責任感であった。

 清水は迫りくる暗闇を睨み付ける。数瞬の後に、空き地にアテナが姿を現した。

 アテナは己の半身であるゴルゴネイオンを取り戻したばかりであり、全身には力が滾っている。

 

「もう一人の神殺しよ、名を問おう」

「清水勇だ」

「ふむ、勇……やはり異国風の聞きなれぬ響だ。あなたの名前、しかと覚えたぞ」

 

 尊大に清水に頷いた銀色の長髪を靡かせた女神は、人間の年齢に換算すると18歳程度だろう。

 頭に豊穣神の象徴である花冠を被り、妖精のような長い耳を尖らせている。

 清水は静かに女神に問いかけた。

 

「お前は俺と戦うためにここまで来た、という解釈でいいのか?」

「妾は三位一体の姿を取り戻した故に、遊びたいのだ。神殺しであるあなたなら、良い退屈しのぎになろう?」

「それだけのために日本を機能不全寸前に追い込んだのか。やはりお前たちとは分かり合えないな」

「小さな島国だ。仕方あるまい」

 

 やはりまつろわぬ神には人間の常識は通用しない。

 元より言葉のやりとりで追い返せる相手でもないとは思っていたが、清水は一層敵対の覚悟を強めた。

 鋭くアテナを睨む清水の眼光は、並の人間が見たら震え上がるに違いない威圧を伴っていた。

 

「つまりお前は敵でいいんだな。なら話すことはない!」

「うむ、語らいはここまでとしよう、妾の闘神としての心も戦えと荒ぶっておる!雌雄を決する時は来た!」

 

 すっと、手を挙げるとアテナの背後に大量の梟と蛇が出現し、襲い掛かってくる。

 合計数百はいるだろう。梟は鋭い爪を武器とし、蛇は4メートル程の体長を持っていた。

 暗闇の中を襲い来る群れに対して、清水の右手に棘のような輪がついた武具が現れ聖句を呟く。

 

「俺は神を呪う。旅人は定めに逆らえず流るるままに!」

「む!?」

 

『幸運』の聖句を唱えると梟は蛇の体に嘴を突き立て、蛇は梟に齧り付き共食いを始めた。

 アテナの指示に従わず、互いに血肉を貪りあっている。

 梟や蛇は目の前の相手を襲えるという多幸感に酔いしれ、本能のままに暴走しているようであった。

 幸運であることが必ずしも幸福であるとは限らないという清水の考えが、捻くれて現れた力である。

 智慧の女神であるアテナは、一瞬で清水が殺した神の名を推察する。

 

「あなたが殺めた神はテュケーなのではないか?ギリシャの豊穣の女神にして運命の神、都市の守護神」

「どうだろうな」

 

 確かにフォルトゥーナはテュケーと同一視されており、半分は正解と言ってよい。

 実際アテナが清水に引きよせられたのはテュケーがギリシャ神話の豊穣神であり、アテナと同郷の神であるからだ。

 清水がフォルトゥーナから簒奪した権能、『情け深い幸運』は7つの能力を持つ汎用性の広い力である。

 古代ローマでは、フォルトゥーナが崇拝された影響でありとあらゆる物事が運命と結び付けられて考えられていた。

『幸運』『悪運』『物語』『皇帝の運命』『支配権』『女たち』『初子』

 この7つが、清水の力である。

 清水はその中の一つ、『幸運』の手札を切った。

 

「あなたが殺めた神が妾と同じ豊穣神———冥府の神であるのならば、支配力を競ってみるのも一興か!」

 

 アテナは黒い鎌を構えて清水目掛け走り出す。同時に死の息吹が清水に襲い掛かった。

 鎌を無視するわけにはいかないが、危険なのはあらゆる生命を冥府に送る死の息吹のほうだ!

 そう直感した清水は迷わず力の同時行使を行うことを決めた。

 

「剣には剣を持って、盾には盾を持って侵略する。俺は自分より幸運な者が許せない!」

 

 基本的にまつろわぬ神や、神殺しに対して呪いの類は効果が薄い。

 しかし全く効果がないわけでもなかった。

『悪運』にかかり、アテナの全身が倦怠感のようなものに支配され鈍る。

 幸運である者の傍に居るということは、不幸に見舞わられるという清水の性格が表す力だ。

 

「「……!」」

 

 アテナが鎌を振りかぶる。

 動きが鈍ったアテナの鎌が清水の輪と打ち合うが、それでも武力の心得がない清水はアテナの腕力に押されて徐々に追い詰められていった。

 しかし清水に死の息吹が吹きかかることはない。清水は打ち合いながらも『支配権』の力を行使する。

 清水は抜け目なく武具をアテナと交えながらも、アテナが作った闇の領域を押し返し始めていた。

 やがて清水の周辺の空気から闇が消えていき、いつの間にか闇の領域を払う太陽が現れ周囲が燦爛と輝きだす。

 力の同時行使により清水を激しい頭痛が襲うが、清水はそれを無視した。

 アテナの支配を打ち返すことができたのは、フォルトゥーナが地母神でありながら太陽の神性も持っているからに他ならない。

 漸くアテナが清水が弑逆した神の名前を察するも、もう遅い!

 

「……そうか、あなたが殺した神はテュケーではなく、テュケーと同一視された神!」

「そう、フォルトゥーナだ!そしてこの神はお前の言う通りテュケーと同一視された、アテナと深い関係がある神でもある!」

 

 清水は闇の世界から抜け出し、『悪運』も解除する。

 しかし清水が暗闇から逃れ、支配権を取り戻したのは一時的なものでしかない。

 清水の決断は早かった。アテナの影響力と呪力が衰えている今のうちに勝負を決める!

 神と神殺しの戦いはお互いの意地の張り合いだ。

 アテナの鎌が首を刎ねるか、清水の『物語』が完成するのが先か。

 

 アテナの鎌が振るわれ、一瞬にして清水の武具が叩き落される。

 

「アテナとテュケーは同じ地母神、そしてテュケーはゼウスの妻であるヘラの娘であると言われた。

ここまではアテナと同じ、貶められた神であるということには他ならない!」

「黙れ、裏切り者を殺めた神殺しめ!あなたの言霊は汚らわしい!」

 

 母なる地母神は貶められ、王の時代が始まる。

 それと同時にアテナやテュケーは王である神に凌辱され、妻や娘にさせられた。

 

「しかしフォルトゥーナは、依然として太陽神の神格を持ち続けた!

大昔の人々は、運命の車輪を太陽に見立てていた、それが全世界に広まったからだ!」

 

 清水はアテナの鎌をカンピオーネの直感に従い避け続けるも、鋭く振り下ろされた鎌に右腕を切り落とされた。

 激痛が走る、だが挫けてなるものかと清水は前を向いた。

 

 フォルトゥーナが太陽の神格を持ったのは、ガリアでのことだった。

 ガリアの人々は太陽を車輪に見立て、時間の運航を車輪の回転に見立てていた。

 他の豊穣神が死の象徴として扱われていた中、太陽の神として崇められていたのである。

 そしてその信仰は、世界中に広まっていった。タロットカードの誕生だ。

 古くは同じ豊穣の神ではあるが、フォルトゥーナとアテナは決定的に違う部分がある。

 

「だから今でも運命の女神である、フォルトゥーナは幸運の象徴であり、太陽そのものだ!

 従属させられ、貶められたままのお前が『運』そのものに抗える筈がない!」

 

 清水の言霊は完成しフォルトゥーナとアテナの『物語』は完成する。いわばこれは疑似的な神話である。

 地上のまつろわぬ神が影響を受けるのは道理であった。

 物語の中での格付けがはっきりし、同時にアテナの鎌は深々と清水のわき腹を切り裂き清水の臓物が落ちた。

 同時に関東全土を包むアテナの暗闇も晴れていった。

 

「危なかったぞ、だが勝利したのは妾だ」

 

 日光が差し込む中、倒れ伏した清水が血だまりに沈むのを見ながらアテナは肩で息を切らす。

 再生と死の神格を持つ地母神を殺した神殺しだ、故に油断はしない。

 呪力を大幅に減らしたアテナが、ゆっくりと清水に向け鎌を振りかぶった。

 

「さらばだ清水勇よ……!?」

 

 アテナを襲ったのは、春風……春一番だった。強風が吹き荒れ都内を襲う。

 強風に煽られ呪力が大幅に減ったアテナは耐え切れず盛大に転んでしまった。

 

「俺は生まれいずるものなり。俺は再生する者なり」

 

 それと同時に、清水がゆっくりと立ち上がる。『初子』の能力だった。

 これは生まれ変わりの力ではない、赤子は回復力が高いことに由来する力である。

 アテナが懸念した通り、清水は地母神としての再生能力を持ち合わせていた。

 身体の欠損から回復したのである!

 

 立ち上がるアテナに向けて走り出した清水。

 清水もまた、権能の同時行使と再生した代償に呪力は僅かなものであった。

 だが戦神であるアテナは、弱っているにも関わらず未だに清水より体術で優っていた。

 

「……勝敗を決する時か、来るがよい!」

 

 アテナには、武術の素人である清水の動きがはっきりと見えていた。

 心眼———先を読む力をアテナは死の淵で獲得したのである。

 そう。向かってくるのならば、その軌道上に鎌を設置すればよい。

 

「おおおおお!!!」

 

 清水が猛々しい雄たけびと共にアテナ目掛け突進する。

 アテナは清水の動きをはっきり捉え、そこに鎌を突き出し……

 

「『跪け!』」

 

 アテナの膝は清水の言霊に応じて曲がり、急激に頽れていった。

 雄たけびはブラフである。態々戦女神と正面から雌雄を決するつもりは清水には欠片もなかった。

『皇帝の運命』……フォルトゥナ・アウグスティは古代ローマの政治基盤の元になったフォルトゥーナの別名。

 弱ったアテナにしか通用しない、明確な命令の力であった。

 崩れ落ちるアテナの脳を、清水が手にする輪をモチーフにした武具が貫く。

 清水の残っていたなけなしの呪力がアテナに流し込まれ、女神は消え去っていく。

 

「俺より不運なもの、俺に勝つにあたわず!」

「清水、勇……そうか、あなたは―――善い戦だった」

 

 神が消え去った後に、清水は地面に大の字になって仰向けに倒れる。

 まつろわぬ神を倒したことで、滾るような力が抜けていく。

 清水は冬馬が慌てて駆け寄ってくる中、吐き捨てるように言った。

 

「残念だがアテナ、俺は幸運に呪縛されてなんかいない」

 

 女神の最期の言葉に反論する清水の言葉はどこか空虚な響きを伴っていた。

 アテナを襲った神風は、清水の権能によって齎されたものではなかったからだ。

 女神さえ凌駕する、単純な『幸運』。

 フォルトゥーナを殺めた時と同じである自身の神殺しと関係ない性質を自覚しつつ清水の意識もまた、闇の中に消えていくのであった。


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