手負
まつろわぬアテナが襲来してから三ヵ月が経つ六月も終わり頃。
正史編纂委員会に監視され続け、憔悴した草薙護堂は気の休まらない生活を過ごしていた。
幸いにも妹や祖父は監視の目に気づいていないが、カンピオーネである自身の直感は他者からの視線、軽い殺気というものを鋭敏に捉えてしまう。
こればかりは、護堂は神殺しとしての体質を恨まざるを得なかった。
エリカは一時的にイタリアの赤銅黒十字に一時的に戻っており、護堂とは現在離れ離れ。
護堂もついていこうとしたが、エリカ曰く今回限りは王である護堂に頼らず自分でケリを付けるとのことだった。流石にエリカも責任を感じているのであろう。
エリカ曰く、すぐ日本に戻ってくるとのことだがいつになるかは分からない。
自由奔放なエリカに振り回されることがなくなった護堂は、しかし一抹の寂しさと軽い苛立ちを覚えていた。
とはいえこの処遇は自分たちが日本にまつろわぬ神を呼び込んだのであり仕方ない、自由に動けるだけまだマシだと護堂は切り替え始めていた。
もし赤銅黒十字がエリカ一人に責任を擦り付けるようなら、また殴り込みにいけるように準備をしてでのことであった。
とある日の夜十時頃、護堂が自室で過ごしていると非通知設定で電話がかかってきた。
護堂はエリカだろうか、と若干期待しながら受話器を取る。
「はい、草薙です」
「その声は護堂か、久しぶりだね」
受話器から聞こえてきたのは金髪碧眼の風貌をした優男、南欧を束ねる6人目の神殺しである『剣の王』サルバトーレ・ドニからのものだった。一度護堂がイタリアで戦い引き分けた相手であり、また護堂が強い敵愾心を抱いている人物でもある。
護堂の眉間には、自然と皺が寄っていた。
「なんであんたが俺の家の電話番号を知っているか知らないけど、切るぞ」
「親友である僕につれない奴だなあ。友達の電話番号を知っているのは当たり前だろう?」
「親友になったつもりはない!悪いがあんたとなんか話すことはないぞ」
護堂の辛辣すぎる返答にもめげることなくサルバトーレの声色は無駄に爽やかだ。
「護堂の近況は聞いているよ。知っての通り、僕も赤銅黒十字とは関りが深いからね」
「エリカがどうなっているか、あんたは分かるのか?」
「そこまでは何とも言えないかな。僕はややこしいことは全部アンドレアに任せてるからね」
アンドレアとは、サルバトーレに使える唯一の騎士で『王の執事』と呼ばれている人物である。どうやらサルバトーレがカンピオーネになる前からの親友らしい。
とはいえ護堂にとっては関係のない話だ。
「……やっぱり切っていいか?」
「まってよ、護堂に耳寄りな情報を持ってきたんだから!ヴォバンの爺様が今東京に居るから、教えておこうと思ってね」
「確かバルカン半島の、狼の権能を持つ最古参の魔王の一人だったよな?」
「ちゃんと知ってるんだね!護堂も段々僕たちらしくなってきたじゃないか!僕は嬉しいよ」
「不本意だけどな」
サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。護堂が最近危機感を覚え、魔術師についての知識を蓄えている中幾度か聞いたことがあるカンピオーネの名前である。狼の権能の他にも町中の人間を石に変える権能、嵐を呼ぶ権能があることを護堂はしっかり勉強していた。
「この情報を護堂がどう扱うかは任せたよ。そっちは清水が長になったことだし、色々大変だろうけどね」
護堂はサルバトーレが清水のことを名ではなく姓で呼んだことが意外だった。
どうやら剣の王は、清水のことを快く思っていないらしい。
こんなお気楽な男にそんな一面があったことが、護堂は純粋に驚きだった。
「そういえばあんたは、勇と決闘して引き分けたことがあったんだったな」
「そうだよ。最初はカンピオーネなのに大したことない奴だと思っていたんだけどね」
護堂はサルバトーレの煮え切らない清水の印象に、自身も初見で清水に対して大したことがない、戦士に見えないと直感したことを思い出した。
サルバトーレと何となくシンパシーを感じた自らに嫌気がさしつつも護堂は静かに続きを促すことにする。
「で、どうなったんだ?」
「難なく追い詰めて、止めをさそうとしたら地面に大きな地割れができて、落ちちゃったんだよ。僕と清水だけじゃなくイタリア全土を巻き込んで、死者が千人以上出て大変だったんだ。しかもそれ、清水の権能じゃなかったらしいんだから驚きだよね」
「あいつ実は幸運じゃなくて、周りに不運を撒き散らしてるだけなんじゃないか……?」
護堂は呆れたように呟く。確かにサルバトーレの権能は、直接的な攻撃しかない。
護堂も船に乗せて、湖に沈めるという戦略を取ってなんとか攻略したのである。
だがそこまでの大事になっていたとは……通りで日本がイタリアに強く出られない筈である。
ヴォバンといい、清水といい、やはりカンピオーネはろくでもない奴しかいないらしい。
「もしそうだとしても、今度はその運ごと斬ってみせるさ。まあ清水との決闘はもう禁止されちゃったんだけどね」
「そりゃそうなるよな……というか、あんたならやりかねないな」
護堂も何となくこの『剣の王』なら、清水の幸運ごと斬ることができてもおかしくないと思えた。
決して口には出さないが護堂も直接戦って、サルバトーレの強さは認めている。
「護堂がアテナに完敗したと聞いて不安だったけど元気そうで安心したよ。清水に殴り込みに行こうかと思ったけどね」
「どうしてそこで清水の名前がでてくるんだ?」
「正直僕と引き分けた護堂が完敗したことが、信じられないだけかもしれないけどね。護堂は確か復活する力を持っていただろう?もし清水が居なかったら、どうなっていたんだろうね」
確かに清水がいなかったら、女神は北海道から東京に移動することはなかったし日本に甚大な被害が出ることもなかっただろう。護堂が『風』の転移の力を使うことはなく、リベンジもできた。
エリカが時間を稼いでいるその間に体制を立て直して、再びアテナに立ち向かった筈だ、とまで考えて護堂はかぶりを振った。そんな無駄なことを今考えていても仕方ない。
すべては護堂の甘さが引き起こした事態だからだ。
「あの敗北は俺が覚悟を決めてなかったせいだ。勇は関係ないだろ」
「そうだね、僕としたことが難しくかんがえちゃったみたいだ。何があったとしても、負けは負けだね」
「……そうだよ、じゃあな」
負けは負け。護堂自身は理解していても他者から改めて明言されると頭にくる。
それが護堂をライバルと自称するサルバトーレなら猶更だった。
不愉快になった護堂はプツン、と無言で電話を切った。
何人よりも強く在れ、再び自分と戦う時まで何人にも負けぬ身であれ、という弑逆したウルスラグナの言葉が彼方から聞こえてくるようだ。
「俺の敗北のせいでエリカが困っているんだ。まつろわぬ神だろうがヴォバンだろうが、勇だろうがもう誰にも負けてやるもんか!」
護堂は覚悟を決める。平和主義者を自称する護堂の隠された本心であった。
電話を切った護堂の表情は追い詰められた手負いの猛獣のようにぎらついている。
勿論自ら喧嘩を売りに行くことはない。しかし護堂は最年長のカンピオーネ相手でも幸運のカンピオーネ相手でも、噂に聞くような暴虐を振るうのなら容赦はしないだろう。
後の世に三王狂乱と言われた日本での出来事、その序章はこうして始まった。