会合から二日後の午前11時頃、清水は自宅で依然として掴めないヴォバンに頭を悩ませていた。
少なくとも日本から立ち去っていない以上、何らかの目的があるのは間違いない。
まず日本を直接滅ぼすためという考えは無いだろう。
それならば嵐の権能を使えば済む話であり、清水をホテルに招き入れる必要性がないためである。そもそも日本は先進国ではあるがヨーロッパからしてみたら小さな島国でしかないため、態々滅ぼす理由がない。
そして清水と戦うことが目的なら二日前に申し込んでいる筈であり、同時に神殺しになったばかりの護堂が標的という線も消える。護堂に喧嘩を売るぐらいなら清水にするだろう。
最悪まつろわぬ神関係が目的でも、ここには神殺しが3人いるためアテナの時のような被害はないだろう。
そう楽観視していた清水の元に、正史編纂委員会からの知らせの電話が届く。
「清水です……城楠学院をリリアナ・クラニチャールが襲撃、邪魔をする数名が塩の柱に変えられ媛巫女を誘拐した!?」
それは、三人の王の保たれた拮抗を破壊する事件であった。
リリアナは現在ヴォバンの付き人をしている。加えて数名が塩に変えられた以上襲撃は間違いなくヴォバンの指示によるものである。
媛巫女の名前は万里谷祐理。日本でトップクラスの霊視能力者だ。
清水は驚いたが合点がいった。ヴォバンは霊能力者を集めてまつろわぬ神を招来させようとしているのだ。まつろわぬ神の退治が神殺しの使命であると感じている清水には全く理解できない行動だが、それならば日本にヴォバンが留まっていた理由も納得がいく。
清水は冷酷に万里谷を切り捨てることを決意した。日本が滅びるよりはましだろう。
幸いにも東欧にヴォバンの信奉者は多い。前回とは違い自分が直接関与していないためリリアナの所属している青銅黒十字に多額の賠償金を取り立てることはできる筈だ。
「見逃す方向でお願いします、失礼します」
そこまで考えた清水は返答の電話を切ると同時に、何か引っかかるものを感じた。
決定的に見落としている何か……。
数時間後にインターホンが鳴り、テレビドアに映るのは怒り狂った表情の見覚えがある『城楠学院に通学している』高校生。
「出てこい勇!早くしないとただじゃ済まないぞ!」
「これは気付くべきだったな……」
清水は独り言ち、このままでは自宅を破壊されかねないと慌てて玄関へ向かった。
「あんたがヴォバンの住処を知っているらしいな、早く教えろ!」
「落ち着け護堂。……お前が彼女と親しかったことは知っているが万里谷のことは諦めてくれないか?」
「ふざけるな!ここであんたを倒して、それからヴォバンを叩き潰してもいいんだぞ!」
清水はどうしてこうなっているのかと疑問しか浮かばなかった。
しかし何となくだが、正史編纂委員会の一部が今回の清水の判断に納得ができていないことは理解できた。そうでなければ護堂をわざわざ自分の所まで連れてこないだろう。
委員会自らがヴォバンに案内させればいい筈だからだ。万里谷ほどの霊視能力者は少ないため護堂に清水を諫めて貰おうとでも考えたのだろうか?余りにも浅はかだ。このままではここで戦闘になる可能性が高い。
ただ一つ清水が理解できることがあるとすれば、それは護堂の在住を許した自分の失敗である。
「やはり温情でお前を日本に住まわせたのは失敗だったようだな!」
「こっちは目の前で教師が塩の柱に変えられたんだ、黙ってられる訳がないだろ!」
「それは不運だったな!……アテナの時を思い出せ、戦いは避けるべきだ!」
護堂は冷淡な態度の清水が信じられなかった。万里谷が酷い目に合っているかもしれないのにこの態度は何だ!しかも犠牲になった民のことをこいつは全く考えちゃいないんだろう。こんな奴が自分より立場が上なんて許せないというドス黒い感情がふつふつと護堂を支配する。
一方の清水も明らかに血走った目の護堂を見て冷静ではいられない。
正直清水にとってはここで護堂と戦うのも、ヴォバンと戦うのもあまり変わりないことだ。
都内で戦うことになれば、少なからず犠牲は避けられないだろう。
ここで戦うくらいなら、二人でヴォバンを叩き潰しに行ってもいいのでは……?
そもそも清水は考えることが得意な人間ではない。正史編纂委員会の長になったばかりという神殺しとしては無用な雑念が清水を縛っていた。
清水の本性は自分の幸運を証明するためだけに全てを賭けるような人間であるのにも関わらずである。
護堂は慌てふためく清水の判断を待つことはなかった。
「我は最強にして、全ての勝利を掴むものなり!」
「俺は何者よりも幸運なり!俺より不運な者、俺を討つにあたわず!」
護堂が聖句を唱えだし、呼応するかのように清水も聖句を唱える。
最早激突は避けられないと清水が悟った、その時である。
両者の戦闘を諫めるように制止する男の声が聞こえた。
「清水さん、草薙様、少々お待ち頂くことはできませんかね……」
「甘粕さんですか、助かりました……ッ!?」
清水は一緒に護堂を制止しようと冬馬に振り返り、絶句する。
冬馬の右腕は、右手の指先から徐々にゆっくりと塩に変化しようとしていた。
その瞬間清水はプッツンと、脳内で何かが切れる音がした。そして再び護堂の方に振り返り、納得する。
きっと清水自身も今の護堂のように怒り狂った表情をしているのだろうからだ。
目尻は吊り上がり、口角は歪んでおり、汗は噴出し、声に怒気が混ざる。
自分にとって大切な人を失う時の苦しみも、悲しみも、痛みも清水は経験している。
どうして今まで迷っていたのだろうかと清水は疑問にさえ感じていた。
向こうが手を出してきた以上、そもそも何を躊躇う必要があるのだろうか?
これがもっと日本の長としての責任が取れるような人物ならば、冬馬の犠牲を許容したかもしれない。
しかし清水という人間は愚者の塊のような存在だった。
「いいぜ、案内してやるよ護堂」
冬馬は清水の声色から覚悟が決まったことを読み取り行動方針が決まったことを察し、淡々と報告する。
「正史編纂委員会でこうなっているのは、どうやら私だけみたいですねえ」
清水はヴォバンの意図を察した。万里谷を誘拐することだけがヴォバンの目的ではなかったのだ。気まぐれに清水が提案したゲームに乗ったからと言ってヴォバンが戦闘狂であり、獣であるという本質は変わらない。今覚えばヴォバンが清水の本名をフルネームで覚えていたことすらも『獲物』を刈るために過ぎないのであろう。
護堂に喧嘩を売り、手回しをして合流させ、その直後に清水にも喧嘩を売った。ヴォバンにとっての縛りが正史編纂委員会の被害を最小限に抑えることであり、それを今も守っているとするならば話は簡単だ。
清水はこれまでの努力が全て水泡に帰したことを悟りながら、怒りを吐き出すように叫ぶ。
「俺達二人を纏めて相手するつもりか、クソジジイめ!」
最早民の犠牲を気にする余裕は清水にはなかった。
そんなことをしていては、ヴォバンに勝利することはできないだろう。
清水と護堂は大切な存在を害され怒り狂っており、ヴォバンは元々まつろわぬ神を自ら生み出す程の戦闘狂である。
後に三王狂乱と呼ばれるこの騒動の名称には、誰も異論はなかった。