人に化けた鬼 作:商泣
鬼にも人にも、平等に夜明けはやってくる。
それは、淡い黄金色の空に、燃えるような赤が灯り始める頃だった。
とある武家屋敷。
朝焼けのような羽織を纏った剣士は、数人の『隠』を門の前に待たせると、『鋭い刃物で切り裂かれたような』傷跡のついた門を乱雑に蹴破り、そのまま躊躇いなく屋敷へと足を進めた。
その剣士……煉獄槇寿郎がここに来たのは、全くの気まぐれだった。
かつては実直な男だったものの、今の槇寿郎は決して職務に忠実な男ではない。
太陽を纏ったかのような容姿に反して、その目はまるで黄昏を宿したかのように昏い。
片手に日輪の名を冠した刀を握りつつも、もう片手には酒瓶を吊るしている。
その姿からは、かつての炎柱としての情熱も、使命感は失われてしまっていた。
たまたま自分の管轄内で鬼が出て、たまたま他の隊士の手が空いておらず、くわえてそろそろ藤襲山に弱い鬼を補填しなければならない頃合いだった。
藤襲山への鬼の補填作業は柱の仕事だから、他の隊士に任せることもできない。
そういうわけで、渋りながらも槇寿郎は自ら鬼退治に足を運ぶ羽目になったのだ。
屋敷はそれなりに立派だったのだろう、しかし今や大きな庭も、そこから見える座敷の中も、見る影もなく荒らされている。
屋敷と庭を隔てる障子は無惨にも破壊されており、そこから見える畳の上、庭から最も離れた壁際に、小さな影が蹲っていた。
昇り始めた陽の光すら届かない暗がり。
そこに潜む影に向かって、槇寿郎はひどく平坦な声で問いかけた。
「お前……何人食った」
その声に、影はびくりと体を震わせる。
影は、少年の姿をした鬼だった。
鬼は自らとよく似た、それでいて鬼より少し小さな亡骸を、抱きしめるように抱えていた。
その亡骸は、かつて鬼の弟だった。
亡骸の子の歳は、槇寿郎の上の息子、杏寿郎と同じくらいだろう。
そのことが尚更槇寿郎の機嫌を悪くしていたことに、彼自身も気づいてはいなかった。
「答えろ」
苛立つ槇寿郎に、鬼は震える声で返した。
「人なんか食わない、俺は、そんな、気持ち悪い」
錯乱しているのか、鬼からの返答は覚束ない。
眉唾な言葉ではあったがなるほど、槇寿郎の勘でも、目の前の鬼からは人喰い特有の気配が感じ取れなかった。
確かに言葉は辿々しいが、飢餓状態の鬼としては冷静であり、手の中に抱いた身内のことも一向に喰らう気配がない。
「……なら、何人殺した」
部屋の中に散らばる他の死体を軽く一瞥して、槇寿郎は問いかける。
それは槇寿郎にとって、本来全く聞く必要もなければ、聞く気もない問いではあったが、珍しいものを見た故の好奇心から、つい口をついてしまった言葉だった。
「……ひ、」
掠れた鬼の声に、槇寿郎は目を細める。
「ひとり、ひとりだ……!おと、弟を、おれは……!」
そして、
慟哭する鬼に、槇寿郎はあっさり興味を失った。
人をまだ殺していない鬼だったら、捕らえずにここで介錯してやろうという程度の人情は、槇寿郎にもあったのだ。
だが、この鬼は人殺しだ。
人を喰っていようが、喰ってなかろうが、他の鬼と同じ。何も変わらない。
それなら、当初のつまらない……気の進まない目的を果たすだけ。
鬼が、『まばたく』。
その瞬間、槇寿郎の姿がーー
ぶれた。
「がっーーーッッッ!!!」
空になった酒瓶が宙に舞う。
それが落下するまでの一瞬に、槇寿郎は鬼から亡骸を取り上げ、その背中を踏みつけて畳に組み伏せていた。
「返……せ、おとうと、を……!」
苦悶の声をあげる鬼。
歴戦の鬼殺隊員である槇寿郎がそれに耳を傾けることはない。
怒号に慌てて集まってきた隠に亡骸を押し付け、その手から捕縛用の縄を引ったくると、槇寿郎は手慣れた動作で鬼を縛り上げていく。
猩々緋鉄が僅かに編み込まれたその縄から、成りたて程度の鬼が逃れられる道理はない。
突然の痛みと空腹で、鬼はそのまま、眠るように気を失ってしまった。