すいません許してください! 何でもしますから!
「……おい」
ラウラが短く言葉を発する。
「なに? ボーデヴィッヒさん」
彼方は振り返り、ラウラの呼びかけに応じる。だがラウラは彼方を見てはおらず、コンロの上でもうもうと蒸気を噴き出す蒸し器に対して関心を寄せていた。
「……まだ出来ないのか?」
「あとちょっとだから、もう少し待っててね」
「……そうか」
彼方がそう答えると、ほんの少しだけラウラの表情がしょんぼりとしたものになった。
――なんだか、全然違うなぁ。
ラウラの様子を見ていて、彼方はそう考えた。編入してきた時のピリピリとした威圧感のような物が今は無くなっている。態度こそ変わらぬままではあるが、身に纏う雰囲気ががらりと変わっていた。
ラウラから蒸し器へと視線を戻す。手元のタイマーの残り時間は六分程度だった。
また少しして、声をかけられる。
「おがみ~ん」
「なに? 布仏さん」
次に彼方に声をかけたのは本音だった。ラウラの隣に並び、同じように蒸し器を凝視している。
「あとどれくらい~?」
「あとちょっとだから、もう少し待っててね」
「は~い」
背後でそわそわとしている二つの気配を感じながら、彼方はタイマーを見る。
結局、ラウラは彼方たちに付いて来た。作業をするから待っていてくれとラウラに頼むと、しぶしぶではあるが了承してくれた。
しかし菓子作りに乗り気ではなかったラウラは、作業中の彼方の手元を好奇の眼差しで見つめており、その姿は幼い頃に母の手つきを見ていた彼方自身の面影と重なるところがあった。
――アンバランス、なんだよな。
これまでのラウラのことを思い出し、彼方はそう結論付けた。毅然として人を寄せ付けない冷徹な一面を有しているかと思えば、今のように年齢不相応なまでにやたらと幼い部分も存在する。彼女の本来の姿はどちらかなのか、それともまた別にあるのか。彼方はそれが少しだけ気になっていた。
タイマーの表示する残り時間は、三分である。
* * *
「おいし~い!」
「……」
出来上がった饅頭を頬張った本音は、喜色満面だった。その隣で饅頭を食べるラウラは無言でこそあるが、その顔には確かに喜びの色が見て取れる。
「喜んでもらえてよかったよ」
反応は対照的ではあるが、どちらも喜んでいるようだ。彼方は緑茶を啜りながら二人の様子を見る。
「それで……ボーデヴィッヒさんはオレにどういう用があったのかな」
「ふぃははにふぁききふぁいこふぉが――」
「……あー、うん。食べ終わってからでいいから。ほら、焦って食べると喉に詰まるから注意してね? ここにお茶、置いておくから」
「っんぐ。……分かった」
結局、話が始まったのは本音とラウラが饅頭を食べきってからだった。
ラウラは啜っていた緑茶を一旦机に置くと、眼光鋭く彼方を睨むように見つめる。その視線に、思わず彼方は息を飲んだ。
「尾上彼方、貴様には聞きたいことが……」
「あ、らうらん、ちょっとこっち向いて~。口の端っこに餡子が付いてるよ~」
「む?」
本音がティッシュでラウラの口元を拭う。餡子が取れたことを確認すると、うんうんと本音は頷いた。
「うん、もう大丈夫だよ~」
「そうか。……尾上彼方、貴様には聞きたいことがある」
「……何かな、ボーデヴィッヒさん」
本音とラウラのやり取りに、彼方は完全に気を抜かれてしまった。まるで姉妹のようだ、と彼方は目の前の光景に対してそのような感想を抱いた。
改めて、ラウラが口を開く。
「貴様は尾上三郎“中佐”の息子だと聞いている」
その名前が出た時、彼方は少なからず驚愕を覚えた。なぜ目の前の少女が父のことを知っているのか。心当たりを探ってみれば、一つの可能性が見えてきた。
「誰からそれを?」
「アルベルト・ハイゼンベルグ少将閣下だ。私の所属する部隊、シュヴァルツェ・ハーゼの司令官でもある」
「……なるほど、そういうことか。ボーデヴィッヒさんは、軍属だったんだね」
「そうだ。ドイツ空軍特殊部隊シュヴァルツェ・ハーゼ所属、ラウラ・ボーデヴィッヒ少佐。それが私の立場だ」
彼方の中で全ての話が繋がる。ラウラの立ち振る舞い、それを彼方が軍人のようだと評したのはあながち間違いではなかったということだ。
「それとボーデヴィッヒさん。一応訂正しておくけど、階級の呼び方は中佐じゃなくて二佐だよ」
「む、そうだったか」
交わされる二人の会話を隣で聞いていた本音は、その内容に付いていくことが出来ていないようで戸惑っていた。
「ねえねえ、おがみん~。一体何の話をしてるの~?」
「う、うーん。どこから話したらいいものか……」
どう事情を説明したものかと彼方が頭を悩ませていると、ラウラが続きを口にした。
「司令は私に言った。尾上彼方と話してみろ、とな」
* * *
日曜日。学生が望んで止まない休日ではあるが、一夏は暇を持て余していた。
ゲームや漫画等の娯楽用品は全て家に置いてある。ならばとISの訓練でもしようかと考えようにも、アリーナは全面メンテナンス中であり訓練は出来ない。かといってIS関連の勉強をする気にもならなかった。同室の彼方は、自分が起きた時には既に部屋に同居人は居らず、仕方が無いから散歩でもしようと思い立ったのが、数十分前のことである。
そして現在、一夏は散歩の途中で知り合いを見つけていた。
シャルロットだ。
「……はい、大丈夫です。ええ、特に問題もないです。……いえ、本当に大丈夫ですから。はい。……はい。それでは、失礼します。お父さん……」
耳に当てていた携帯電話を下ろし、小さく溜息を吐く。その表情は沈んだものだった。
「……デュノア?」
「織斑くん? どうしたの?」
一夏の呼びかけに、シャルロットが振り返った。シャルロットの表情が笑顔に変わる。しかしその笑顔は、今までに見たそれとは違っていた。
「なあ、その……何かあったのか?」
「……どうして、そう思うの?」
シャルロットは貼り付けたような笑顔のままで、そう問い返す。
「だってよ……。今のデュノアの笑い方、なんだか辛そうだ」
「……」
一夏の言葉に、シャルロットが口を閉ざす。やはり、何かがあったのだと一夏は確信した。一夏はシャルロットに一歩近づき、彼女に提案した。
「あのさ、俺でよかったら話を聞くぜ?」
* * *
ラウラの希望は、何か話をしろというただそれだけだった。特に指定があるわけではなく、ただ単純に“尾上彼方と話をする”というそれだけが目的だったらしい。そのため、まずは困惑顔を浮かべている本音に今起こっていることを説明するべく、彼方は話し始めた。
「オレの父親は、元自衛官だったんだ」
「自衛官ってことは、もしかしてさっき言ってた中佐とか二佐とかって~……」
「うん、父さんの最終階級のこと。尾上三郎二等空佐、それが父さんの階級だった」
お茶のお代わりを三人分の茶碗に注ぎながら、彼方は続ける。
「父さんは空自のパイロットで飛行教導隊の所属だった」
「飛行教導隊~?」
「分かりやすく言うと、教官だよ。空自の戦闘機パイロットたちのね」
飛行教導隊は航空自衛隊のアグレッサー部隊だ。
アグレッサー部隊とは、訓練や演習において敵部隊の役割をする部隊のことである。アグレッサー部隊に配属される者は、総じて練度が非常に高いパイロットとなる。
その理由は、アグレッサー部隊が“教官”だからだ。
訓練において、敵が弱ければ意味がない。むしろ、強くなければならないのだ。その絶対的な実力を持って相手をねじ伏せる。それこそがアグレッサー部隊の役割だ。
そして、その訓練の最中に相手の評価もしなければならない。ゆえに非常に高い練度と、空戦中に相手を冷静に分析する能力が必要とされる。
彼方の説明を聞いた本音は、感心したような声を上げた。
「へえ~。おがみんのお父さんは強かったんだ~」
「……強いなどというものではない」
ラウラが口を挟む。
「日本の航空自衛隊の飛行教導隊は、世界でも有数の練度を誇る部隊だ。世界最強と言ってもいいかも知れんほどにな。尾上三郎二佐はその部隊の隊長だった。十数年前にドイツ空軍に飛行教導隊が来た時、当時はまだ一パイロットだった司令が教導を受けたのだそうだ。司令は、彼はまさしく最強のパイロットだったと語っていた」
私自身も飛行時の映像を見たが、あれは誰にも真似出来んと思うほどだった。とラウラは言う。
「おがみんのお父さんはすっごい人だったんだねぇ」
「……うん。父さんは、凄い人だったよ」
自分の尊敬する父親が称賛されたことに、彼方は嬉しさと気恥ずかしさを覚えた。
幼い頃に見た父のフライトは、今でも彼方の記憶に残っている。脳裏にすぐに思い浮かべることが出来る程に。
空を自由自在に飛ぶ、特殊ペイントされたF-15Jイーグルの姿は彼方の憧れだった。
「父さんは、オレの憧れだった。小さい頃は、いつかああやって空を飛ぶんだ、って、そう夢を見てた」
「……それじゃあ、おがみんはISを動かさなかったら、戦闘機のパイロットを目指してたの~……?」
本音の問いに、彼方は少し笑って答えた。それは、かすかに自嘲するような色が混じっていた。
「いや、戦闘機パイロットは小さい頃の夢だよ。……オレは成れないから」
「……“眼”か」
「その通りだよ、ボーデヴィッヒさん」
彼方はかけていた眼鏡を取り、机の上に置いた。視界がぼやける。斑鳩の補助が無いため、ほぼ見えない状態だ。
「オレの視力は凄く低いんだ。こうやって眼鏡を取ると、目の前にいる二人の顔がぼやけるくらい」
「でも、おがみんはISに乗る時に眼鏡を外してるよね~?」
「ISのハイパーセンサーで視力を補ってるんだよ。そうじゃないと禄に動くことも出来ないだろうからね」
「なるほど~。……おがみん、それが夢を諦めることとどんな関係があるの~?」
「……自衛隊のパイロットになるには条件がいくつかあるんだ」
「条件って~?」
「具体的には、身体的なものだね。身長であったり、体の機能であったり……。その項目の一つに視力があるんだけど、オレの視力はそれに足りなかった」
彼方は目を手で覆う。悔しさの滲んだ声で、続きを語った。
「それを知ったときは、ショックだったなぁ……。父さんや母さんに心配をかけて、同じ夢を持ってた兄さんに八つ当たりしたりして」
「おがみん……」
目を覆っていた手を外して眼鏡をかけ直す。はっきりと映った視界には、心配そうな顔をしてこちらを見る本音が見えた。
「まあ、しばらくして立ち直って、それからはパイロットじゃなくてパイロットを助ける仕事をしようと考えた。管制官とか整備員を目指して、将来的には航空学校か防衛大に進学しようかと思ってたんだ。でも……」
「……」
「オレはISを動かした。ほんとに偶然だし、何で動いたかも分からない。だけど――オレは、空を飛べる。一番初めに、そう思った」
本音とラウラは無言のままで、彼方の話を聞いている。
「凄い嬉しかったよ。ISを男性が動かした以上、これまでのような生活は送れない。行動に制限もつく。……けど、その不便や制限以上に、飛べるっていうことが嬉しかったんだ」
「……じゃあ、おがみんの夢は叶ったの~?」
「そうだね……。叶った、といえばそうかな。今は、思う存分、ISで空を飛んでみたい。オレの相棒(いかるが)で、どこまでも。それが今の夢。……こんなところかな、オレの話は」
周りのことを考えず、ひたすらに自分語りをしていたことに恥ずかしくなった彼方は、照れ隠しに前髪を引っ張った。
つまらない話をしてごめん。そう彼方が呟くと、
「そんなことないよ~!」
「……うむ」
本音がテーブルに乗り上げて彼方に身を寄せ、その言葉を否定する。ラウラも小さくではあるが、本音の言葉に肯定の意を示して頷いていた。
「おがみんが自分のことを話してくれたのは、すごい嬉しいよ~」
「そう、かな」
「そうだよ~! 友達のことをもっとよく知れたんだもんっ」
にこにこと微笑みながら、本音が彼方の手を取る。柔らかく、暖かい手が彼方の両手を包んだ。菓子の甘い匂いとは別の、ふわりとした甘い匂いが彼方の鼻腔をくすぐる。
本音自身はあまり意識せずにこうしたのだろう。だが、彼方は意識せざるを得なかった。
「その……の、布仏さん?」
「なぁに? おがみん」
「ええと……て、手が……」
彼方は緊張からどもりながらも、握られた手を見ながらそう言った。
「へ……? わぁ~っ!」
本音は彼方の視線を追うことで自分が彼方の手をぎゅっと握り締めていたことに気づき、慌ててその手を離した。互いに顔を真っ赤にしながら、弁解を口にする。
「ご、ごめん……その、嬉しくなって、思わず~……」
「い、いや、別に、いいんだけど……」
沈黙。どう話せばよいのか迷った二人は閉口し、忙しなく視線をあちらこちらに動かす。
「……? 一体どうしたというのだ?」
唯一、二人のやり取りを理解することが出来なかったラウラが、首を捻りながらそう言った。
この作品ではラウラはのほほんさんに並んで癒し枠です。
なんかもう色々と設定をぶん投げて書いている部分が多くなってきました。
変なところが出てきたら、「そういう世界線なんだ」と思うようにしてください。