ラブコメとか日常ってほんと難しい。ワンパターンになってしまってどうしたらいいのかと頭を悩ませる日々です。
「晴れてよかったな。絶好の海水浴日和だ」
隣に立つ一夏がそう言った。一夏の言葉の通りに、空は雲一つ無い晴天だ。普段であれば太陽の熱気に辟易とするところだが、今の状況からすればこの天候は歓迎すべきものだった。
目の前に広がる青い海と、突き抜けるように青い空。IS学園から見ていたそれとは全く違った印象を受ける。
肯定の意味を込めて彼方は頷き、抱えていたパラソルを砂浜に突き立てた。何度か揺らすように動かし固定されたことを確かめると、軸の周りに荷物を置いて倒れないようにする。
陽の光を遮るパラソルの下は涼しくなり、随分と楽になる。そして、余裕の生まれた彼方は周囲を見回すのだった。
時は七月六日。臨海学校の初日である。
彼方が持ってきたパラソルは、生徒たちの泊まる旅館から貸し出されたものだ。男子であるということもあっていち早く着替えを終えた彼方たちは、人の少ない浜辺へと繰り出していた。
夏の海であるというのに人が少ないのは、そういった場所を学園が選んだからだ。かといって、浜辺が汚いだとか海が濁っているなどといったことは一切無い。彼方が見る限りでは、観光地として一級の場所である。この臨海学校自体にどれだけの金がかかっているのかと考えるだけでも恐ろしくなるほどだ。
ここに来るために乗ったバスは非常に居心地の良いものだった。彼方が中学校の頃に修学旅行で乗ったものと比べると幾分かランクが上に感じられる。
そして今回泊まる旅館にしても、頭に高級の二文字が付いてもおかしくはない。少なくとも学生の身分で来ようとする場所ではなかった。
極めつけに、この海だ。某かの取引によってこの場所が使えるようになったのだろうが、彼方が考えたところで正解は分からない。彼方に分かるのは、林間学校の間はこのビーチをIS学園の生徒が占有するということだった。
もしも自分の金で来たならと考えると、目眩がするほどだ。流石に世界各国のISを所有している国家から支援を受けているだけはある。彼方は一端金額のことは忘れ、釣りはできるだろうかと考えていた。現実逃避だ。
彼方が景色を眺めている間に準備運動をしていた一夏は、屈伸をしている状態からそのまましゃがみ込み溜息を吐いた。
「……でも、夜には講義があるんだよな」
「まあ、今日やることは復習だし、今日はそこまで本格的にやらないと思うよ」
「だったらいいけどなぁ……」
初日こそ長く遊べる自由時間が設けられているが、この旅行は学校行事である。そのため、ISに関する勉強の時間は通常の授業よりも濃密だ。
今日の日程は、IS学園からバスで移動して昼過ぎに旅館に到着。そこから夕食までの時間が自由時間となる。それから、大広間で翌日以降の予定の確認と、ISでの実機訓練を行う際の説明なども含めて復習の講義を行い、終わった後は消灯までが再び自由時間だ。
ちなみに、男子の泊まる部屋は千冬の部屋の隣だ。外には小型の露天風呂が設置されており、部屋から小さな更衣室を経由して行けるようになっている。部屋に露天風呂が設置されているのは男子の部屋だけであり、その理由は男子が大浴場を使えないためだった。
IS学園の大浴場は大人数が入る前提で作られているが、この旅館はそうではない。そのため女子全員が入るのに時間がかかるのだ。夕食前の自由時間と、座学の後に設けられた自由時間が女子の入浴可能時間となっている。
男子のための時間を作ってしまうとその分女子が入れなくなるため、特例として露天風呂の付いた部屋が彼方たちに割り振られた。男子が大浴場を使えるのは早朝の短い時間だけだ。
割り振られた部屋の豪華さを思い出して改めて凄い学校だなと彼方が認識し直していると、準備運動をしていた一夏が何かに気づいた。
「お、みんな来たみたいだな」
一夏の言葉で、背後からの足音を聞き取った。砂を蹴る音と共に、小柄な人影が一夏へと飛びついた。一対に纏められた髪が尾を引いてたなびく。
「いっちかー!」
「うおっ!?」
一夏がたたらを踏み、慌ててバランスを取った。肩車をするような状態で一夏の上に乗っているのは、オレンジ色のセパレーツ型水着を身に纏った鈴音だ。健康的でしなやかな両足を一夏の首に巻きつけるようにして体を固定している。
「ほらほらっ、ぼさっとしてないでさっさと遊びに行くわよ! 時間は有限なんだから!」
「お、おい! あぶねぇだろ、っていうか降りろよ。おも――」
「――なんですって?」
一夏の言葉は途中で止まった。極寒とも形容すべき声音と共に、鈴音が両腕で一夏の顎と額を軽く押さえたからだ。
表面上はただ単純に押さえているだけだ。むしろ腕を顎に回すという体勢から、鈴音が一夏に抱きついているという甘い構図のようにも見える。だが、その本質は別にあった。少しでも力を横方向の回転に加えれば必殺の一撃となるその構えに、実際に自分がされているわけでもないというのに見ている彼方は冷や汗が止まらなかった。
「それで、なんですって?」
「い、いや、なんでもない、です」
一夏は思わず、といった具合で敬語になってしまっている。後頭部に鈴音のささやかな胸部が当たっているが、それには全く意識が行っていない。顔面は蒼白だ。
一夏の言葉に鈴音はにこりと笑みを浮かべると、構えを解きと、右手を一夏の頭上に置き、左手で海を指差した。
「なら行きなさい一夏っ! 海は直ぐそこよ!」
「お、おうっ!」
「待ちなさい、鈴さん!」
「抜け駆けは許さんぞ!」
「ちょ、ちょっとみんな待ってっ。速いってばぁ!」
鈴音を乗せたまま海へと走っていく一夏を見送る。その後を追って箒、セシリア、シャルロットが駆けてゆき、また別の生徒たちも海へ向かっていった。
「みんな元気だなぁ……」
次々と海へ飛び込んでいく生徒たちを眺めながら、彼方は自分の成長ぶりに感動していた。
ここは海であり、皆水着を着ている。だというのに、彼方の心情は驚くほど穏やかだ。
確かに、多少の緊張はある。だが入学当初のようにがちがちに固まっているというほどではない。直視することは辛いが、あからさまに目を背けることはなかった。常日頃から女子と接していたという事実と、ISスーツで肌色の多い格好は見慣れていたという経験から来るものなのだろう。
――大分慣れてきた、と思う。
女子校という特殊状況下に馴染みつつあることを自覚しつつ、これならばこれからの学園生活も無事過ごせるだろうと考えていたその時である。
「おがみ~ん!」
「あ……うう……」
「ああ、布仏さ……ん」
本音に声をかけられた彼方は、言葉を失った。そして同時に、女子校、ひいては女子に対して免疫ができたのだという幻想は打ち砕かれた。
「えへへ、どうかな~。この間の買い物のときにらうらんと一緒に買ったんだ~」
「こ、こんな……こんな辱しめを受けさせて何が目的だ、本音ぇ……」
本音は軽く頬に朱を差して、ラウラは首まで赤く染めて恨みがましく本音を睨んでいる。それの程度が以前に行った買い物のときよりも幾分か上なのは、露出度の問題なのだろう。二人は、水着を着ていた。
彼方は少し呆然とした気持ちで二人の姿を交互に見る。
本音とラウラは似たデザインの物を身に纏っている。勿論、体格などによる違いはある。
本音は、淡い桃色のビキニとスカート。それぞれにフリルがあしらわれたデザインで、色気というよりも可愛らしさに重点を置いている水着だった。しかし凹凸の豊かな体のラインがはっきり見えているため、少女的な可愛らしさと女性的な艶かしさが混在していた。
対してラウラは、黒のビキニでこちらもフリルが付いているが、スカートがないタイプのものだ。本音と違いスレンダーな体をしているが、小柄ながらも日頃の鍛錬で培われた真っ白な肢体が眩しい。小柄で人形のような容姿に、黒の水着という大人らしさで身を包んだギャップが魅力となっている。
普段の授業や訓練の時に着ているISスーツより遥かに露出度の高い格好をした二人に、彼方は内心驚き戸惑っていた。
買い物のときに私服を見せられたときとは違って、どう反応すればいいのか分からない。その原因となっているのが、“あの事件”の光景だった。露出している肌色が、彼方にそれを鮮烈に思い出させる。
しかし、事件当時とは明確に違う点があった。それは、“彼方が眼鏡をかけている”ということだ。彼方は目の前の光景をはっきりと視認していた。
結果として――、
「うん、二人とも似合ってるよ」
何とか笑顔を取り繕って、その一言をひねり出したのだった。
「ありがと~。じゃあ、らうらん。さっそく海にご~! おがみんも来てね~!」
「ひ、引っ張るなぁ……私はもう着替えるんだぁ……」
ラウラが泣き言を言いながら海へと連れ去られていく。
二人の背中を見送ってから、彼方はその場に崩れ落ちた。彼方には刺激の強すぎる経験だった。
「あぶなかった……」
呟き、顔を伏せる。
本音を目の前にして彼方の脳内で起こっていた作業、それは記憶と視覚映像のすり合わせだった。
あの事件――つまりは、大浴場での鉢合わせであるが、そのときに彼方は本音の裸体を目にしてしまっている。
幸いにも、彼方は眼鏡をかけていなかったことと湯気のため、本音の姿をしっかりと見ることはなかった。とはいえ、ぼんやりとした輪郭を捉えることはできてしまっていたのだ。
そして、長い期間を置かずに今度は露出の高い本音の姿を見た。その映像は眼鏡をかけていたことでとてもクリアである。
二つの映像が脳内で重なり、ついでとばかりにそのときに得た“感触”までもが思い出され科学反応を起こしたことで彼方の頭は沸騰寸前だった。
「オレって奴は……」
蹲るように砂浜に膝を突く彼方は、しばらくの間動けなかった。罪悪感と、胸を打つ鼓動と、そして思春期的な思考回路が彼方を硬直させていた。
* * *
しばらく、歩いて。本音は膝を突いた。
倒れこむように砂浜に跪いた本音に、ラウラが驚きの声を上げる。
「本音!?」
羞恥に支配されていた状態から即座に脱却したラウラは、本音の直ぐ傍に駆け寄り、軍隊仕込みの応急処置を施そうとする。
「大丈夫か本音、顔が真っ赤だぞ! 意識はしっかりしているか。気分はどうだ、吐き気があったり、眩暈がしたりはするか。いや、それよりも早く教官を呼ばなくては……!」
「ああっ、待ってらうらん! 別にそんなんじゃないんだよ~!」
「む、いやしかしそれほど顔が変色しているとなると」
「これは、その、病気とかじゃなくて~……」
千冬を呼ぼうとするラウラを必死に呼び止める。
本音の言葉に偽りはなかった。気分が悪いわけでもなく、熱があるわけでもない。ただ、そう。猛烈に、それはもう筆舌に尽くしがたいほどに――、
――は、恥ずかしかったっ。
猛烈な羞恥心を抱えていたのである。
彼方の前に立つときは、我慢していただけだった。それが、彼方から離れた今となって噴き出してきたのだ。
彼方の視線を思い出す。
――見られてた。見られてたよ~……。
肌を晒すという行為が、これほどまでに恥ずかしくなることだとは本音は知らなかった。事前に覚悟は決めていたとはいえ、それを上回る羞恥心が一瞬で体に回ったのである。
羞恥心の元凶についてはある程度推測ができていた。そしてその元凶たる“あの事件”が、本音に視線を向けていた彼方の脳内にあったのだろうということも。
あの事件とは違い、今回は自らがその身を晒している。受動ではなく能動的な行動だった。
「あうあうあう……」
恐らく、であるが。彼方の眼前に裸体を晒し、あまつさえ閉所に二人で閉じこもり体を押し付けたあの事件が無ければ、これほどまでに気持ちが昂ることはなかっただろう。せいぜい、男子の前で水着姿になってちょっと恥ずかしい、というだけで済んだに違いない。
しかし、過去は変わらない。
「っ~~~!」
「本音っ!? 大丈夫か! 本音!」
声にならない悲鳴を上げて、砂浜をごろごろと転げまわる。陽に焼かれた砂が熱を本音に伝えるが、熱さに意識を向ける余裕などは本音になかった。
まるで、再び裸を見られたかのような感覚に、やり場のない感情が爆発するのだった。
* * *
夜になり、一時間半に渡る講義を終えた後は自由時間となっていた。
夏といっても、この時間になると空は暗く、窓の外に見える海も昼とは違った雰囲気を与えてくる。彼方は一人、旅館のカウンターで釣り道具一式を借り受けると夜の海へと繰り出した。
旅館の外へと出ると、一気に音が少なくなる。生徒たちの声も聞こえなくなるまで離れた頃には、耳に届くのは夜風と波の押し寄せる小さな音だけになった。
昼間の内に調べていたポイントへと足を運び、釣り糸を垂らす。暗い水面に吸い込まれるように落ちていったオモリが水音を立てた。
「ふぅ……」
彼方が夜に釣りをするのは、久しぶりだった。以前に休みを取った父と行ったきりで、それも数年前の話だ。
昔は良く家族で釣りに行っていた。父と兄が魚を釣り、母がそれを調理する。二人と並んで釣竿を持つ彼方はといえばその釣果は芳しくなく、日に一匹釣れるかどうかが常であった彼方にとって、釣りはまさに下手の横好きだった。
空を見上げて溜息をこぼす。都会から離れたこの海岸は、星の光がよく見える。月が出ていないことも影響しているのだろう。
釣り糸を垂らしながら、空を見る。無心になってそうしているだけで、彼方の心はとても落ち着いた。
「夜空か、一度飛んでみたいな」
青空の下を飛び回ることもいいが、夜間飛行も悪くない。彼方は斑鳩の待機状態である首元のドッグタグに手を触れる。許されるなら、今すぐに斑鳩を展開して空を飛びに行きたいと思うほどだ。
だが、彼方はタグを握り締めてその思いを心の奥に押し込めた。
「明日には飛べるし……我慢しないと」
明日の実習の時間、そのときになれば限定的ではあるが空を飛ぶことができる。実習を行うのは昼間であるので夜間飛行はできないが、IS学園とは違ってより高高度、広範囲を飛行するため、いつもよりは満足感を得られるだろうと彼方は予想していた。
彼方は夜空を見上げながら、手慰みにタグとチェーンを弄ぶ。釣竿は依然として反応しない。
彼方が釣りを始めてからしばらく時間が経ったころ、足音と共に聞き覚えのある声が聞こえた。
「おがみん~……?」
「布仏さん?」
彼方が振り向いた先には、布仏本音が立っていた。旅館に備え付けられていた浴衣を身に纏っている本音は、からころと木製のサンダルを鳴らしながら彼方へと近づいてくる。
「何をしてるの~?」
「釣りだよ。旅館で借りられたから、借りてきたんだ」
そうなんだ、と頷きながら本音は傍らのバケツを覗き込んだ。中にあるのは海水だけだ。泳ぐ魚はそこにはいない。
「あはは……全然釣れないんだ」
苦笑しながら彼方が言うと、本音もくすりと笑みを浮かべた。
「学園で釣りをしてたときもそうだったね~」
「まあ、オレ自身釣りが下手だから。今まででも釣ったことがあるのは数えるくらいなんだ」
「そうなんだ~……。ねえ、おがみん、隣いい~?」
「うん、どうぞ」
本音は彼方の隣に腰を下ろし、空を見上げた。
「星、凄いね~」
「向こうと比べると見える星の量が全然違うから、迫力が段違いだよ」
「うんうん。写真とか取れるかな~?」
二人のやり取りは自然なものだった。昼間にあった出来事は互いが互いに心の中に封印していたため、今は普段のような会話ができた。
「明日はいよいよ実習だね~。おがみんたちは教える側に回るんだよね~?」
「専用機所有者は全員みたいだから、オレたちはそうだよ。ただ……」
「ただ~?」
彼方は明日、実習以外にもやることがあった。以前に話の出ていた、斑鳩の新装備の実験だ。
「明日、芳野重工の人が来るんだ。なんでも、斑鳩の新装備の実験がしたいらしくて」
「そうなの~?」
「だから、休憩時間を使ったりしてオレはそれの実験もしないといけないんだよ」
「大変だね~、おがみん」
「はは、確かに大変かもしれないけど、新しい装備っていうのも気になるから楽しみではあるんだ」
どのような装備なのかは知らされていないが、広い空間だからこそできる実験だ。恐らくは機動力に関する装備だろう。事実、以前に一度点検のために芳野重工本社に向かったときに、キャノンボールファストへと装備を作っているという話を聞いた。
「個人的には夜にやって欲しかったって気もするけど」
「夜に~?」
「そうすれば、夜間飛行ができるかなと思ったんだ」
「夜間飛行か~。楽しそうでいいねぇ」
「いつかはできるといいけど……」
彼方は竿を上げて、針を海中から出した。いつものように餌は取られている。
「まただ……」
「あらら~……」
慣れているとはいえ、多少の悔しさは残る。しかし慣れているからこそ立ち直りは早かった。
彼方は時間を確認し、釣り道具を片付け始めた。初めて使う釣竿とはいえ、それほど複雑な造りではなかったため時間をかけずに仕舞うことができた。
本音はじっと作業をする彼方の手元を見つめていた。人に見られながら、というのはISの整備で慣れているつもりだったが、これだけ近い距離だと少し緊張する。
彼方は立ち上がって、海の上でバケツの中身をひっくり返す。水の塊が落ちて飛沫を上げた。
身を乗り出すようにしてその様子を見ていた本音は、体勢を崩して海に落ちそうになった。ふらりと傾く体に反応し、彼方は道具を放り出して手を伸ばす。
「わわっ……!」
「危ないっ」
本音の腕を掴めた彼方は、それをそのまま引き寄せる。それによって本音は海に落ちずに済んだが、彼方の力が強かったために今度は反対側に体勢を崩すことになった。
つまりは、彼方の方へと。
「あっ……」
「っと……」
本音の体が、すっぽりと彼方の腕の中に収まる。抱きとめる形となった彼方は、零距離から本音の体温を感じ取った。夏用の浴衣であるため生地が薄く、また夜の海の涼しさのため体温を敏感に感じ取った。
その体温は同時に、彼方に本音の肌の感触を思い出させた。それは本音も同じだったようで、頬を紅潮させると即座に彼方から離れる。
「……」
しばし無言の時間が続き、静寂が満ちる。まるで“あのとき”の焼き直しのような光景だ。
「助けてくれて、ありがと~……」
「あ、うん……」
かろうじて出た言葉はそれだけだった。彼方は道具を手早く片付けると、本音に声をかける。
「ええと、そろそろ行こうか。消灯時間まであんまり時間もないし」
「そ、そうだね~」
若干の気まずさが残ったものの、二人の距離はそれほど離れてはいない。彼方と本音の間にある人一人ほどの隙間は、近すぎず、かといって遠くない距離感だった。
会話に詰まった彼方は、ふと顔を上げた。その瞬間に、夜空を埋め尽くす星の中を奔る光の線を見つける。
「……流れ星だ」
ぽつりと呟かれた言葉を拾い上げた本音は、彼方と同じように星空に視線を向けた。
「どこどこ~!?」
「いや、流石にもう消えちゃって……あ、まただ」
「え~っ! 見えないよ~!」
きょろきょろと忙しなく空を見回す本音に、指で二つ目の流れ星の流れた場所を示す。
「今はあの辺りを流れたよ。もしかして何かの流星群なのかな?」
「う~ん、見つからない~」
彼方の指した付近を懸命に捜す本音は、少しずつ彼方へと近寄っていった。完全に無意識の行動に、二人は気づかない。
距離が狭まる。人一人分あった隙間は、今は半身ほどになっている。二人が同じ方向、同じ場所を見つめている中で、ついに一つの流星が姿を現した。
『あっ!』
二人の声が重なる。比較的ゆっくりと流れた星は、やがて燃え尽きた。
「すご~い……」
「だね……」
空を見上げたまま、本音が彼方を呼ぶ。囁くような音量ではあったが、十分に聞き取れる距離に二人はいた。
「ねえ、おがみん」
「なに、布仏さん?」
「夜空を飛ぶってこと、叶えばいいね~」
振り返った本音と目が合った。微笑みを浮かべる本音に、彼方も笑みを返す。
二人はそのままの距離感で歩き始めた。旅館までの短い道程の中、二人の間には笑みが絶えなかった。
――本音の祝福した彼方の望みは、叶うこととなる。
しかしそれは、彼方自身も、そして本音も、誰一人として望まぬ飛行となった。