「う、嘘……」
ルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールは人生で最大の危機に陥っていた。
二年生へ進級するための使い魔召喚の儀式。
サモン・サーヴァントの呪文を唱えて、杖を振った。
いつものように爆発が起こった。その煙が晴れた時、そこに一人の『貴族』がいたのだ。
「ゼロのルイズが貴族を召喚したぞー!!」
「しかもあの衣装、魔法衛士隊のものじゃないのか!」
ざわざわと騒ぐ同級生達の声も遠い。
魔法衛士隊なら、ただの魔法衛士隊ならどれだけよかっただろう。
ヴァリエールの名を出せば使い魔にはなってもらえずとも、
怒り狂うようなことだけは抑えられただろうから。
だが、あの人物は違う。そうではないのだ。
一方、召喚された人物も困惑していた。
戦場に出ていた頃の衣装を身に纏ったかと思った瞬間、
眩しい光を放つ銀色の鏡に吸い込まれてしまったのだから。
そもそも、何故そんな衣装を着たのかという事情もややこしい。
その人物は、ある大切なものを奪われていた。
手がかりは一切なく、どこの賊の仕業とも未だ知れない。
じっとしているのはもう耐えられなかった。
世界の隅から隅まで、あらゆるものを切り裂き吹き渡る烈風となって、
それを取り戻すために旅に出ようと思っていた。
そのために、この衣装に身を包んでいたのだ。
儀式の引率をしていたコルベールは、頭を抱えた。
生徒が人間を……それも、貴族を召喚してしまうなど、前代未聞の出来事である。
見やれば、生徒達が騒ぐように魔法衛士隊の姿であった。
その騎士は幻獣マンティコアの大きな刺繍が縫いこまれたマントを纏っている。
顔の下半分は鉄で出来たマスクで覆われているため表情はよく見えない。
だが、強者だということは、立ち上る雰囲気から分かった。
ややこしいことになった、とため息をつきながら召喚した生徒に向き直る。
「(ミス・ヴァリエールも大変なことになったと思っているようですね。
あのように顔を真っ青にして……)」
「どなたか、事情を説明願いたい!」
召喚された人物が声をあげた。周りの人々が思っていたよりも高い声だ。
「おお、これは失礼いたしました! さあ、来なさい、ミス・ヴァリエール。
あの方に事情を説明しなければなりません」
「は、はい……」
ルイズはこの世の終わりだ、とでも言いたげな顔をしている。
そんな彼女に少し首を傾げつつも、うながしてその人物の下へ向かう。
「失礼いたしました、ミスタ」
「……ミスタ?」
ぴくり、とその人物の眉が上がる。
「み、ミスタ・コルベール! その方は女性です!!」
ルイズが飛び上がるような勢いで彼の言葉を否定する。
「え、あ、こほん。申し訳ありません、ミス。私は、この学院で
教師をやっております、コルベールと申します」
彼の言葉を聞いて、彼女は驚いた様子だった。
「学院……魔法学院、ですか? 私は何故ここに?」
どうやら、彼女も事情が掴めていないようだ。
「はい。あなたは、こちらのミス・ヴァリエールが唱えた
サモン・サーヴァントで召喚されたものと思われます」
「……『誰』ですって?」
「わ、私です」
コルベールの影に隠れていたルイズが、観念したようにその姿を現す。
「私が、サモン・サーヴァントで、召喚、しました」
「あなたが『魔法』で、私を呼んだのですね? 本当に」
「は、はい! 始祖ブリミルに誓って!」
ルイズは背筋をしゃきんと伸ばして叫んだ。
「……では、『魔法』を使えたのですね」
彼女は鉄のマスクを外し、口元を露にした。形のいい唇が言葉を紡ぐ。
「……よくできましたね、ルイズ」
その顔に、事の成り行きを見守っていた生徒達が再びざわめき出した。
「あ、あれはヴァリエール公爵夫人じゃないか!」
彼女こそ、ルイズの母親であるヴァリエール公爵夫人カリーヌその人であった。
「ゼ……ルイズが、母君を召喚しやがった!」
生徒が驚きの声を上げた。
ヴァリエール公爵夫人の前で、その娘を『ゼロ』と呼ぶほど彼は命知らずではない。
「か、母さま、今何とおっしゃいました?」
娘のルイズは、母親が発した言葉にパニックになっていた。
今、彼女は何と言った? 自分を褒めたのではないか? 出来損ないの自分を?
「で、でも、サモン・サーヴァントは使い魔を召喚する魔法で、
私は、母さまを呼んでしまって、それって、失敗じゃあ……」
そんなルイズに、カリーヌは口に小さな微笑を浮かべながら答える。
「いいえ、少なくとも『召喚』には成功したのです。
出てきたのが、私だというだけです。おめでとう、ルイズ」
その言葉を聞いてルイズは感動に打ち震えた。
あの厳しい母親に、褒めてもらえた。それも、魔法のことで!
魔法が成功して、母さまに褒めてもらえた!
それが嬉しくて、ルイズは思わず彼女の胸に飛び込んだ。
「うわあああああん!」
しゃくりあげながら、ルイズはカリーヌの胸で泣き出した。
「……予想外ねえ」
そんな二人の姿を、赤い髪をした少女――キュルケ――ーは暖かな眼差しで見ていた。
「あなたもそう思うでしょ、タバサ?」
問いかけられた青い髪の小柄な少女――タバサ――は、ただ押し黙っていた。
母親の胸に抱かれる娘。それは、彼女が二度と手に入れられないかもしれない、
暖かで優しくて、何よりも羨ましい光景だった。
「あー、こほん。感動の展開の中悪いのですが」
コルベールはわざとらしく咳をする。
「……何です、ミスタ・コルベール」
じろり、と睨まれて思わず身がすくんだが、彼はどうにか話を続ける。
「えー、このような事態は特例ですので、学院長に相談する必要があります。
申し訳ありませんが、一度学院長室へお出でいただけませんか?」
「……分かりました。さ、行きますよ、ルイズ。『フライ』を唱えてごらんなさい」
その言葉にルイズは、ハッとして顔を上げた。
「で、でも……」
「サモン・サーヴァントは成功したのです。やってみなさい」
有無を言わさぬその口調に逆らえず、ルイズがフライを唱えた。
たちまち爆煙が立ち上がり、ルイズが煤ける。
「けほっ……」
「……もう一度です」
「でも……」
すがるような目をするルイズをカリーヌは睨み返す。
「一つ出来たのですから、次も出来るはずです、さあ!」
「……特訓は次の機会に回してください! 学院長室へ!」
先程の爆発に巻き込まれ、少々毛が抜けたコルベールが、
泣き出しそうな声で二人を急かした。
「ああ、皆さんは自室に戻って使い魔と交流でもしててください!」
その言葉に、生徒達は次々とフライやレビテーションを唱えて戻っていく。
「仕方ありませんね。行きますよ、ルイズ」
差し出されたカリーヌの手を取ると、そのまま胸に抱きかかえられた。
フライを唱え、飛んでいくカリーヌの胸の中で、
ルイズはこれからどうなるのだろう、とため息をついた。
「一つ使えたのですから、きっと残りも使えるようになりますよ」
そのため息を聞いたカリーヌが、厳しい中にも優しさを含ませた声音で告げた。
「はい、がんばりますね、母さま」
その声を聞くとやはり心が落ち着く。
それから大好きだった、一番上の姉と次の姉を思い出す。
頑張らなければいけない。自分は、ヴァリエール家に残ったただ一人の娘なのだから。
「おやおや、これは珍しいお客人ですな、ミセス・ヴァリエール。
それとも、そのお姿であれば『烈風カリン』殿とお呼びした方がよろしいですかな?」
オールド・オスマンは学院長室に入ってきた彼女にそう尋ねた。
「れ、烈風カリンですと!」
コルベールはカリーヌの姿をまじまじと見つめた。
烈風カリン。三十年前のマンティコア隊の隊長である。
火竜山脈の竜の群れを退治し、エスターシュ伯の反乱を収め、
オーク鬼に襲われた都市を救う……という異様な勲功を
たった『一人』でやり遂げた強大な力を持ったメイジである。
ゲルマニア軍など、彼女が出陣するというウワサを聞いただけで、
尻尾を巻いて逃げ出したといわれている。
成程、ならばこのひしひしと伝わる威圧感も当然のものだろう。
「お久しぶりでございます、オールド・オスマン」
帽子を脱ぐと、彼女は礼をする。ドレス姿ではないので、男性の礼だ。
「さて……今回はいかな理由でこちらへ起こしになられたのですかな」
「来ようと思って来たわけではございません。ルイズ、説明なさい」
母親に押し出されるようにして、ルイズはオスマンに事情を説明した。
といっても、彼女に分かっている事情はたった一つ。
『召喚の呪文を唱えたら母親が来てしまった』ことだけである。
「ほう……いやいや、これは実に珍しい事例ですな」
「珍しい、ということは前例があるんですか?」
好奇心に駆られて、ルイズが尋ねた。
「学院では、ないのう。じゃが……始祖ブリミルは、かつて人間を使い魔として
使役していた、との伝承が一部には残っておるよ」
「その通りです!」
ブリミルとその使い魔の話題が出た途端、コルベールが声を上げた。
「始祖ブリミルは神の盾、神の本、神の笛、そして記すことさえはばかれる者を、
使い魔として使役していたとされています。
このことから、彼と同じ虚無の担い手ならば人間を呼ぶ可能性があるのではないかと
推測しうるわけですが、いかんせんその実例はなく……」
熱く語り始めたコルベールの言葉を、カリーヌが遮る。
「では……人間を呼んだ私の娘には、『虚無』の可能性があると、
あなたはそうおっしゃるのですか?」
コルベールはカリーヌの言葉に、ハッとした。
「そうじゃな……可能性はあるじゃろう」
オスマンはヒゲを撫でながらルイズを見つめる。
ルイズは、この怒涛の展開に軽くパニックを起こしそうになっていた。
使い魔を呼ぼうとすれば母親がやってくるし、
そのことで、自分の系統は虚無の可能性まで出てきた。
そこまで考えて、ルイズはふと思いついた。
「コルベール先生、『虚無』の担い手なら、人間を使い魔として、
呼ぶ可能性があると、そうおっしゃるんですね?」
「え、ええ、まあ。あくまで可能性ですが」
「母さま。召喚されたとき、どうだった?」
「……どうしたのですか、ルイズ」
急に勢いづいた娘にカリーヌが困惑する。
「悲鳴をあげる暇は? どうにか逃れようとすることは?」
「どちらもできませんでしたが、それが何か……!」
ルイズの言わんとすることに、カリーヌも気づいたらしい。
「虚無の担い手が一人とは、限りませんわ。
ひょっとしたら、姉さまたちも、どこかにいる虚無の担い手に、
召喚されてしまったのかもしれません!」
声を張り上げるルイズを見ながらコルベールは思い出した。
ヴァリーエル家の娘、つまりルイズの姉二人は、
しばらく前に忽然と姿を消してしまったのだそうだ。
神隠しだ魔物の仕業だ恋人と逃げたのだ、と様々な憶測が飛び交うが、
今に至るまで見つからないままである。
「学院に来ていないものの中に虚無の担い手が?」
「いいえ、そもそもトリステインには居ないのかもしれません!」
盛り上がる母娘を見て、オスマンとコルベールは呆然としていた。
「おほん、二人ともとりあえず落ち着いてくれんかのう」
学院長に咳き込まれて、ようやく二人とも正気に戻った。
「申し訳ございません。少々思うところがあって、興奮しておりました」
カリーヌの頬がさっと朱に染まる。
あ、ちょっと可愛いとか思って、コルベールは慌てて首を横に振った。
相手は年上でオマケに人妻である。もう二十年若ければ
そういう間違いも起ころうが今の自分では到底ムリだ。
「……ミスタ・コルベール。何か今とんでもないことを
考えてはいらっしゃいませんでした?」
小動物なら殺せそうな目で睨まれて、
やっぱり勘違いだった、とコルベールは思い直した。
「あー、こほん。とりあえずお二人とも。早く契約をお願いします。
春の使い魔召喚の儀式は神聖なものでありまして、
契約まで行うという規律を破ることは断じて許されませんぞ」
「で、でもミスタ・コルベール! 母親を使い魔にするなんて、
そんなことできっこありませんわ! 母さまも何かおっしゃってください」
「契約の魔法を唱えなさい、ルイズ」
「ほら、母さまもこう言って……母さま、本気ですか?」
唖然としたルイズに向けて、カリーヌは告げる。
「それが『規律』なのです。破ることは、決して許されません。
さあ、ルイズ。契約を」
母親が、何よりも規律を破ることを嫌うのを思い出して、
ルイズは頭を抱えたくなった。
だが、こうなれば仕方ない。学院に逆らうのも、母親に逆らうのも、無駄だ。
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」
そう言って母親に口付ける。
オスマンが若干スケベそうな顔をした気がするが見なかったことにしよう。
うっかり平民の男とか呼んで、そいつにファーストキスを捧げずに
済んだだけよかったと思おう、と自分に言い聞かせた。
「……終わりました」
「つっ……」
使い魔のルーンが刻まれる痛みに、カリーヌは眉をしかめて耐える。
「失礼しますぞミセス・ヴァリエール。……このルーンは、やはり」
コルベールはそのルーンを見て、自分の推測が正しかったことを確認する。
「これは、神の盾と呼ばれた使い魔『ガンダールヴ』のルーンです。
古い文献に記載されていたものと一致します」
それを聞いてルイズの顔は困惑と喜びに彩られる。
伝説の中にしかない虚無。それが自分の系統だというのだ。
どんな魔法があるのか全く分からない。
けれど、系統は分かった。だったら、もう『ゼロ』ではない。
それに使い魔となった人は、彼女が知る限りとびっきりの強さだ。
これ以上望むべくもないのではないか?
「さて、ではオスマン学院長。お願いがあります」
カリーヌはオスマンに目を向けた。
「ほほ、何ですかな、ミセス・ヴァリエール?」
「ルイズに休校届けを出します。ルイズ、あの子たちを探しに参りますよ」
母親のいきなりの発言に、ルイズは目を丸くした。
「他の虚無の担い手と会えば、
どうやってあなたが魔法を使えばいいか分かるかもしれません」
「だ、だからって何の手がかりもないんですよ?」
「手がかりがないからと言って、あの子達を諦めるのですか?」
ルイズはそう言われて、面食らったが、大きく頷いた。
「いいえ、母さま! 一緒にねえさまたちを探しに参りましょう!」
「……ではこれで、失礼しますわ、オールド・オスマン。
今頃、我が家では私まで居なくなったので
夫が慌てふためいたあげく何をするか分かりません。
夫へ連絡して、すぐに旅立つ準備をしなければなりませんから」
そう告げると、娘を連れて部屋を出た。
「……はぁ……」
オスマンはずるり、と椅子にもたれかかった。
「さ、さすが烈風カリン。凄まじいわい……」
「ええ。まるで烈風が吹き荒れたようでした……」
コルベールもげんなりとしている。
「……あの……」
部屋の片隅で、ぽつり、と声がした。
「……何じゃ、おったのか、ミス・ロングビル」
「え、ええ。気おされて何もできませんでしたけれど……」
緑の髪をした女性が、額を手で押さえながらため息をついた。
それから、彼女は考えをめぐらせる。
虚無の担い手。使い魔召喚で人間を召喚。その事実に心当たりがあった。
あまりにもありすぎた。そして、マズい、と思った。
その事実を伝えなければ、あの娘が危ない。
『彼女』は優しいが、『烈風カリン』が許してもらえるとは思えない。
「……なんだか私、疲れてしまいました。しばらく休暇をいただきますわ」
「あー……もう好きにしたらええ……」
オスマンが放心している隙をついて、休暇をとる。
机から離れると、部屋を出てカリーヌの後を追う。
見つからなくても、ミス・ヴァリエールの部屋へ行けばいいだろう。
自分の知っている真実を告げて交渉しなければ、あの娘が危ない。
急がなければ、とミス・ロングビルは足を速めた。