虚無と烈風   作:ダルジャン

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第十一話

 

 無能と呼ばれた王が、ある日使い魔召喚の呪文を唱えた。

現れた使い魔の力を使って、彼は世界を地獄に叩き落とそうとした。

そうすれば、自分が泣けるかもしれない、と彼は思ったからだ。

彼は、自分より才能が、人望が、優しさがある弟が、いつからか気に食わなかった。

せめて、彼が自分を妬んでくれればいいのに。醜い一面を見せてくれればいいのに。

それは、今となっては叶わぬ願いだった。王は、弟を殺してしまったから。

それ以来、王は泣いていない。だけど、泣きたかった。

だから、世界を壊すのだ。きっと、世界が壊れたら、自分も泣けるだろうから、と。

王は、その話を自らの使い魔にも伝えた。

彼女は震えながら、王の頬を打った。軽蔑したのだろう、と王は思った。

軽蔑されることには、侮蔑されることには、慣れている。

もう何も感じないのだから、問題は無い、とぼんやり思った。

「貴方は愚かです」

震える声で、そう告げられた。

「分かっているさ」

「……いいえ、分かっていません。どうして、その手にかける前に、

 貴方は、弟君と話をなさらなかったのですか」

「……あいつの、顔も見たくなかったからだ。あの聖人の顔を」

また、頬を打たれた。そういえば、頬を打たれるなど何年ぶりだろう。

無能だと言われはしても、王族だ。手を上げられたことなど、記憶になかった。

「その聖人の顔の裏を、どうして考えなかったのですか!」

彼女は泣きながら、ある少女の話をした。

周りを心配させたくなくて、明るく振る舞う病弱な少女は、

本当は死にたくないと、死ぬのが怖いと、泣き喚きたいと、

でもそれが出来ないと、たった一人の姉の胸でだけ泣いた。

「親にも、誰にも言えぬことを、きょうだいだから、と話してくれました。

 きょうだい、というのは、そうあるべきではないのですか」

金の髪を揺らし、頬から幾筋も涙を流しながら、彼女は叫んだ。

それだけ叫んで、何を言えばいいのか分からなくなって、彼女はひたすら嗚咽を漏らした。

その嗚咽を聞きながら、王は、問うた。

「我がミューズよ、お前は、何故泣くのだ。弟を、憐れんでか」

「解りません。とにかく、悲しいのです」

彼女は、何を悲しんで泣くのだろう、と王は思った。

そして、ふと心中から湧き上がる、ある衝動に気が付き、それを口にした。

「その、泣くな、ミューズ」

濡れた頬に、そっと手を当てた。

その涙の温かさを、彼はそれからずっと、忘れられないままだ。

 

 

 気が付けば、彼は世界に地獄を作り出す遊戯の駒として働くことよりも、

城で自らの娘と共に過ごすことを、使い魔に命じることが多くなった。

彼女が何故泣いたのかを観察していく内に、自然、娘に目が行くようになった。

自分に良く似た、才のない娘。不快で、ずっと目をそらし続けてきた。

娘は言う。才のないのが辛い。誰からも見てもらえないのが寂しい。

ああ、まるで過去の己ではないか、と不快だった。

けれど、娘は諦めなかった。使い魔から同じように才のない少女の話を聞いて、

使い魔が自分を見てくれるのが嬉しくて、一生懸命だった。

これでは、自分と使い魔、どちらが親だか解らない、と呟いて、気が付いた。

「……なんだ。これではまるで、俺はミューズに嫉妬しているようではないか」

そう、彼は気が付いたのだ。使い魔を見る内に、娘を見る内に、

がらんどうだった自分の内側が、少しずつ、少しずつ、満たされていくことに。

しかし、それは同時に苦痛を彼にもたらした。

弟をこの手で殺めた時から、自分は悲しむことが出来なくなったと思っていた。

壊れてしまっていたはずなのに、使い魔の目を通して見る、

娘の成功や失敗に、一喜一憂するようになってしまっている。

これでは、弟を殺めたことを、忘れてしまうに等しいことで、

それが、酷く恐ろしいことのように思えた。

その感情を吐き出すことは、出来ない。認めることは出来ない。

だから、彼は世界を壊すことに躍起になろうとした。

自分は壊れているのだ、と、おかしいのだ、と、それを、誰かに認めて欲しかった。

そうして、認める相手として、一人の少女に白羽の矢を立てた。

自らと同じ、心の中に虚無を抱えた、少女。

ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。

彼の使い魔、エレオノールの、実の妹であった。

 

 揺れる城の中、逃げることもせず豪奢な椅子に座ったまま、ジョゼフはくつくつと笑った。

彼の眼には、エレオノールの視界が映っている。

眼前に立つ伝説に、臆する色すら見せぬ、壊れてしまった彼の娘イザベラ。

怒りも露わに、彼女に杖を向ける烈風カリン。

どうすればいいか解らず、姉に抱きつき震えているルイズの顔。

エレオノール自身も当惑しているのが、伝わってくる。

今しばらく、観客に徹そうと、成り行きを見守ることにした。

「初めまして、ミセス・ヴァリエール。イザベラと申します」

スカートの端を摘み、人形のような笑顔を浮かべ、礼をしてみせる。

「……ねえ、エレオノール! 今の見てくれたかい?! 完璧だっただろう?!」

くるりと振り向いて、アハハ、と渇いた声で笑う。

「イザ、ベラ」

「……そんな顔しないでおくれよ。ね。エレオノールにそんな顔されたら、

 私、どうしたらいいかわからないんだ」

まるで踊るようにくるくるとその場で回りながら、イザベラは笑う。

その異様さに、誰も動くことが出来ない。

「ね、エレオノール。あんたの母親も、あんたの妹も、あんたの大事なもの、

 全部、壊してあげる。そうしたら、あんたは、私だけを、見てくれるだろう?」

「イザベラ、おやめください、イザベラ!」

「……少し黙ってて」

イザベラが杖を振るう。足元に散らばっていた溶けた氷塊が、水のロープに変じる。

それが、エレオノールとルイズを壁と床にそれぞれ縫い付けた。

「貴様ッ、わたくしの娘に何をするのですかッ!!」

激昂したカリーヌの声と、唱えられた呪文。それが合図だった。

放たれた風の刃。直撃すれば、致死は避けられそうにない。

だが、イザベラは臆することなく笑みを浮かべたまま、ルーンを唱える。

水の壁が彼女を覆い、刃がその柔肌に触れることはなかった。

「ッ?!」

全力に近い攻撃が防がれたことに、カリーヌ達は動揺を隠せない。

「嘘……っ、なんで、母様の攻撃が……!」

「!! イザベラ、あなた、まさか……ッ!」

「うん。エレオノールの部屋にあった、ポーション。あれ、飲んだんだ」

「何てことを……」

エレオノールの顔が瞬時に青ざめる。

「姉様、そのポーションは、一体何なのですか?!」

「体内の水の流れを変えて、魔力を強めるポーションよ……」

そこで、一瞬言葉が止まる。嫌な予感をルイズは感じた。

「その代わり、使用者を、狂気に陥れるの」

エレオノールが、顔を俯け、血が出そうな程に唇を噛んだ。

「アハハハハハ! 今なら、何だって出来そうだよ、私は!」

イザベラの哄笑が部屋に響く。一筋縄ではいかぬ、とカリーヌは背を正した。

それから、ひらり、とマンティコアの背から飛び降りる。

広いとはいえ、マンティコアに乗ったまま動くにはその部屋は狭い。

部屋ごと攻撃しては、捉えられた娘たちに害が及ぶ。

故に、その身一つで戦わねばならない。

「さあ、来なよ、烈風カリン! あんたを殺して、エレオノールを私のものにするんだ!」

「……全く。男の影がないと思ったら、女性から好意を向けられるなど、

 貴方は、本当にまあ、わたくしの娘ですね、エレオノール」

軽口一つ呟いて、カリーヌはイザベラへと突進する。

「帰ったら、お仕置きです」

「駄目だよ! エレオノールは、ずっとここで暮らすんだから!!」

杖に水を纏わせたブレイドで、カリーヌのブレイドを受け止める。

戦闘には不慣れなようだが、何しろ今現在の彼女の魔力は桁違いだ。

舐めてかかれる相手ではない、とカリーヌは舌打ちした。

 

 

 ジョゼフは、それをただじっと見ている。

「美貌のメイジ二人による戦い。見目良いものだな。歌劇の題材にでもなりそうだ」

ふむふむと、独りごちる。だが、その口元は笑っていない。

力だけでなく技も兼ね備えたカリーヌと、圧倒的な力だけでそれに相対するイザベラ。

後から追い付いてきたらしい二人の男達は、それを見ていることしか出来ないらしい。

カリーヌが風の槌を作る。イザベラはそれを避けてみせる。

イザベラが飛ばす氷の槍は、カリーヌの風に砕かれる。

懐に飛び込んだカリーヌの前に、カウンターになる形で氷結する氷の針。

すんでのところでそれをかわすカリーヌ。笑うイザベラ。

傍目から見れば、ハイレベルな一進一退の戦いだ。

だが、ジョゼフには解っていた。負けるのが、どちらか。

幾度目かの風の刃が放たれる。

「ハッ! それは効かないっての!」

それを防ぐために、水の壁を作り出したイザベラは、

その刃が彼女を避けるようにして飛んだことに、自らの失策を知った。

風の刃が向かった先は、イザベラの背後。二人の娘を縛る、水のロープ。

「……今です、ワルド子爵! 二人を!」

「任されました!」

機を窺っていたワルドが、呪文を唱え、即座に分身する。

彼が得意とする、『遍在』の魔法だ。

二人のワルドが、エレオノールとルイズをそれぞれ抱きかかえた。

「ヴナン!」

「あいよ!」

「喋った?!」

ワルドから二人を受け取ったヴナンが、離脱しようと大きく羽ばたく。

「い、いや、待って、いやだっ、行かないで、エレオノール!」

イザベラが目を大きく見開いて、涙を流して懇願する。

「……黙りなさい」

そんな彼女の前に立ちはだかって、カリーヌは告げる。

「エレオノールの前ですから、殺しは、しません。

 ですが、それ相応の仕置きは、受けてもらいます」

杖をかざす。唱えられたのは、『カッタートルネード』

部屋の中にのみ被害が行くように、凝縮されたその風の刃は、

他と比較にならないほど、鋭いものだ。

「あ……、や、やだ、やだっ」

イザベラが、杖を取り落とす。エレオノールを取り戻されたことで

その狂った精神は、完全に弱り切ってしまった。

そんな彼女を見ても、カリーヌの動きは止まらない。

彼女はルイズと契約し、ガンダールヴになっていた。

魔法も、ガンダールヴのルーンも心の震えによって力を増す。

ガンダールヴのルーンには、主人を守るために心を強く震わせる力があった。

それと母としての怒りが織り交ざった彼女は、自分で自分を止められない。

「やめろ、カリーヌ!」

「やめて、お母様!」

今撃てばイザベラが命さえ危ないと察して、公爵とエレオノールが叫ぶ。

それでも、激昂した彼女は、止まらない。

その光景を見て、気が付けばジョゼフは、一つの呪文を唱えていた。

 

 

 イザベラは襲い来る苦痛を想像し、耐えきれず、悲鳴を上げ、目を閉じた。

しかし、いざ彼女の体を襲ったのは、予想よりも軽い痛みだった。

自分の体を、何か温かなものが包んでいるのを感じて、そっと目を開けた。

目に入ったのは、誰かの体だ。誰だろう、と思う。

自分を、こんな風に抱きしめてくれる相手に、エレオノール以外の心当たりはない。

けれど、コレは男の体だ。

いくらエレオノールに胸が無いからって、男の体とは間違えない。

だから、これはエレオノールじゃない。じゃあ、コレは一体、何だろう。

「ジョゼフ様ぁあああああああああああッ!!」

荒れ狂う風の向こうから、エレオノールの悲鳴が、やけにはっきり聞こえた。

部屋の中をぐちゃぐちゃに掻きまわして、壊しつくした風が、止む。

「大、丈夫、か?」

声をかけられて、イザベラは自分を抱える男の顔を見上げた。

自分と同じ、青い髪。何度も聞いた、声。

「父、上?」

でも、知らない。こんなに温かい体をしていたなんて。

でも、知らない。こんな風に、自分達と同じ、赤い血が、流れていたなんて。

「無事、だな……よかった」

ぐらり、とその身が横に傾いだ。その体のあちこちから、血が流れている。

ジョゼフは、イザベラをかばい、

「いやあああああっ!」

ヴナンの背から、エレオノールがフライの呪文もかけずに飛び降りる。

ワルドがレビテーションをかけたことで、激突することだけは避けられた。

「……エレオノール、これは、父上、かい?」

床に座ったまま、ぼんやりと目の前で血塗れになった男を見て、問う。

その目の焦点は、未だ合わないままだ。

「父上が、私を守ってくれたのかい?」

傷ついたジョゼフの名を、狂ったように呼び続ける彼女の耳に、その問いは届かない。

「あ……」

ここへ至ってようやく、カリーヌは平素の落ち着きを取り戻した。

幾らなんでもやり過ぎた、ということに気が付く。

「カリーヌ」

「あな、た」

ぱしん、と渇いた音がした。

カリーヌが、赤くなった頬に手を当てる。

父が母に手を上げるのを始めて見て、そんな場合ではなかったが、ルイズは目を丸くした。

「昔から、お前はカッとなりやす過ぎる。悪い癖だ」

「すみ、ません」

「……娘が大事なのは解るが、それで、他人を傷つけて良いことにはならん」

眉をしかめて叱りつけ、ジョゼフの下へと足を進め、治癒の呪文を唱える。

「ミュー、ズ、いや、エレオ、ノール……、お前、は、いい、家族、に、恵まれた、な」

だが出血は激しく、中々止まらない。

「喋らないでください、ジョゼフ様!」

エレオノールが制するが、彼は言葉を続ける。

「もう、よい。秘薬も、なし、に、治る、傷、では、ない、無駄、だ」

「やめませぬよ、陛下。私は子煩悩で愛妻家でしてな」

冷や汗を流しながらもニヤリと笑い、公爵は答える。

「このまま貴方に死なれては、私の家族に、どのような責があるか解りませんでな」

敵ならば、殺すことも致し方ない。だが、こんな風に死なれては、困る。

事情があったとはいえ、他国の王族を手にかけたとあっては、

よくてお取りつぶし、最悪処刑だ。

「それに、同じ、娘を持つ父親に、死なれたくはないのです」

「……父親、か」

痛みの下からふうと息を吐き、ジョゼフは未だ茫然とするイザベラに目をやる。

「結局、俺も、人の、親、だった、という、ことか」

ジョゼフが唱えた呪文、それは『転移』であった。

イザベラが死ぬかもしれない、と感じた時、真っ先に彼が思ったのは、

彼女を守りたい、ということだった。

エレオノールの目を通して、イザベラを見ていた彼は、

人の親としての情に、目覚めていたのである。

「父、上」

その言葉を聞いたイザベラが、ジョゼフを呼ぶ。

「なんだ、娘よ」

激しい苦痛に苛まれているにも関わらず、彼は笑みを見せた。

「や、だ。やだ、やだ。父上、やだ、死んじゃ、やだ」

くしゃり、と歪ませた顔を胸に埋めて、悲鳴を上げる。

「死なないで、死なないで、父上。やだ、やだよぉ」

エレオノールも、顔を両手で覆って嘆く。

「せめてここに、あの指輪が……、水精霊の秘宝さえあれば……、

 ジョゼフ様をお救い出来るのに……ッ!」

ルイズは、そんな光景を見て、悔しかった。伝説の担い手だといわれても、

目の前で耐える命一つ、救うことすら出来ないのだ。

 

 「あ」

突如上がる、その場にそぐわぬ間の抜けた声。

ワルドが、ごそごそと服の内ポケットをあさる。

「エレオノール殿、その指輪とは、これ、ですか?」

取り出したのは、クロムウェルより奪い、未だ持ったままだった指輪である。

「も、持ってるなら、早く出しなさいよ!」

エレオノールは立ちあがり、ワルドの腕から指輪をひったくる。

床にしゃがみ、青い宝石をジョゼフの体に近づけた。

額のルーン、神の本と呼ばれしミョズニトニルンのルーンが淡い光を放つ。

「死なせては、くれぬのだな」

体の傷が治っていくのを感じながら、ジョゼフが深く息を吐く。

「生きてくださいませ、ジョゼフ様。父親、なのですから」

エレオノールが泣き笑いで告げる。

指輪を持つのと反対の手を、そっと自らの下腹部に当てて。

「エレオノール、貴方、まさか」

カリーヌが、その行動の意味を察して、問う。

先程まで蒼白だったエレオノールの顔が、瞬時に赤く染まる。

「助けなきゃよかった」

娘のそんな顔を見て、公爵が舌打ちする。

イザベラも、ぴたり、と涙を止め、エレオノールを見て微笑む。

「何だい……こんなことしなくても、エレオノールは、

 ここから、居なくなったりは、しなかったんだね……」

でもそれはそれとして殴らせろ、とジョゼフの頭をはたいた。

「やれ、生き残っても、大変そうだ」

「……何だか、私、蚊帳の外だわ」

怒涛の流れに、もうどうしていいかわからなくなって、ルイズは呟いた。

「うん、僕もだよ」

その傍らに寄り添って、ワルドが苦笑いを漏らす。

「でもまあ、いいんじゃないかな、めでたしめでたし、で」

「……そうね」

二人は、もう細かい事を考えることを放棄した。

 

使い魔召喚の儀式を行った瞬間に、ルイズが呼び出したもの。

それは、この世界の淀みをただ圧倒的な力で吹き飛ばす烈風だったのだ。

人災というよりも、最早天災に近いそれは、何だかルイズを中心に、

ものの見事なまでに全部を引っ掻き回していった。

怪盗を更生させ、王子様を助けて、魔法の使えない女の子に魔法を与えて、

王様とお姫様の仲を修復して、あとついでに嫁き遅れを一人、嫁に出すことに成功した。

 

 

 

 

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