虚無と烈風   作:ダルジャン

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第六話

敵はレコンキスタの軍勢五万。対するアルビオン王軍はわずか三百。

昨日までなら軍人達は、こう考えていただろう。

『王家の誇りと名誉を叛徒共に示し、敗北しよう』と。

しかしその考えは、ジェームズ一世から告げられた助っ人の存在により、

『勝てるかもしれない』という希望へと変貌した。

「諸君! 我らを、始祖はお見捨てにならなんだ!」

明日の正午、攻城をしかけるとレコンキスタから通達があった。

それで、今宵は最後の晩餐だとばかりに王軍は城のホールへ集まり、

園遊会のように華やかな宴を催していた。

「明日が最後の戦いになるであろうが、それは我が軍の勝利で終わるであろう!

 何故なら、我が軍には『伝説』が……『烈風カリン』が力を貸してくださる!!」

おおっ、あの伝説の、火竜を退治した、と貴族たちが言葉を交わし合う。

「今宵は、存分に騒ぎ、英気を養ってくれたまえ! 乾杯!」

乾杯、とロビーのほぼ全員が唱和した。

そんな中で、ルイズだけが浮かない顔をしていた。

彼女はこの場においては、烈風カリンの従者である。

「……伝説、か」

グラスの中に揺れる己の姿を見ながら、ルイズはぽつりと呟いた。

「やあ、ミス・ヴァリエール。どうしたのかね、浮かない顔をして」

座の中心にいたウェールズが、彼女の姿を見つけて近寄る。

「ウェールズ様……」

声をかけられてなお、ルイズの顔は晴れない。

「……心配なのかね、母上のことが」

その問いかけに、ルイズはこくりと頷いた。

母は今夜はもう疲れたから、と既に部屋で休んでいる。

「あの方は、あの『烈風カリン』なのだから、心配せずとも良いさ」

「でも、もう三十年も昔のことです。確かに、母さまがお強いことは、

 充分承知しています。けれど……だからこそ、不安なのです」

「大丈夫だよ、君の母上を信じたまえ」

ウェールズのかける言葉は優しかった。

「……すみません。私も疲れてしまいました。これで失礼します」

けれど、ルイズの顔に明るさが戻ることはなかった。

宛がわれた部屋に戻る途中、ルイズはそっとポケットから風のルビーを取り出した。

「ねえ……、あなたも伝説なんでしょ? だったらお願い。母さまを、守って」

ぎゅっと握り締めたルビーは、月明かりの中で微かに輝いたように見えた。

 

翌日の正午。

「デルフリンガー。伝説のガンダールヴはどの位の強さだったのですか?」

ヴナンにまたがりながらカリーヌは問う。

「……そうだなあ、伝説じゃあ、千人を相手にした、とか言ってるらしいが、

 実際はそこまではいかなかったなあ。けどまあ、何とかなるんじゃねえか?

 姐さんは一人じゃねえし、大体すげえ魔法の使い手でもある」

「どうせなら、もっといいはげましが聞きたかったですね」

思わずため息をつくが、今さらどうにもならない。

「死ぬなよ、姐さん」

「死ぬものですか、まだ幼いあの子を残して」

そう言って左手にデルフリンガーを、右手に杖を構える。

『死ぬものですか、まだ幼いあの子を残して』

口をついて出た言葉に、思わずはっとした。

それは十数年前亡くなった、知人の女性から聞いた最後の言葉であった。

その事実に得体の知れない不吉さを感じながらも、

カリーヌは向かい来る敵を睨むように見つめていた。

 

見慣れぬ姿のメイジに最初に気がついたのは、士官のメイジの使い魔のフクロウであった。

三十年以上も軍人を続けているそのメイジは、その姿を見て慄いた。

慌てて、戦艦の司令室へと向かった。

伝令を飛ばす、などという考えが湧かない程混乱していたのだろう。

「ほ、報告! 報告いたします!」

乱暴にドアを開くと、中にいた三人に睨みつけられた。

一人は、レコンキスタ総司令官オリヴァー・クロムウェルである。

「騒々しいぞ、何事だ」

そう言って口を開いたのは、白い仮面をつけた妙な男であった。

元トリステインの貴族だが、故あって彼に力を貸しているという。

「敵王軍に、れ、『烈風カリン』の姿を確認いたしました!」

「『烈風カリン』だと? そんな馬鹿な! そいつは確か、

 三十年も前にマンティコア隊の隊長の座から退いたはずだ!」

「し、しかし! 自分は何度もあの方を見たことがあります、

 間違いない、あれは、あれは烈風カリンですぞ、ミスタ・ウォルダ!」

恐慌しきった状態で、メイジは口から泡を飛ばしていた。

「……落ち着きなさいな。本物とは限りませんわ」

「まったく、ミス・シェフィールドの言う通りですぞ。

 第一、こちらは五万と『本物』の伝説、相手は三百と『偽』の伝説。

 どちらが優位かは分かるでしょうに」

クロムウェルは傍らに立つ女性の言葉に同意する。

シェフィールド、と呼ばれた女性は美しい金の髪をしていた。

つり上がった眼差しは、眼鏡の下からするどくメイジを睨みつけている。

「……さて、もうまもなく正午になりますわ。クロムウェル様、ご命令を」

「そうだな。さあ、お前も持ち場へ戻れ」

「いいい、嫌です! 誰が、烈風カリンと杖を交わすものですか!」

ぎゃあぎゃあとわめくメイジの額に、クロムウェルはそっと手を押し当てた。

ぴたり、と騒いでいたメイジが押し黙る。

「早く持ち場に」

「……はい、分かりました」

生気のない声を出し、メイジはふらふらと持ち場へ戻った。

それを確認すると、クロムウェルは連絡管に向かい叫ぶ。

「諸君! 今こそアルビオンの王家を駆逐し、ハルケギニアの統一を!

 全軍、攻撃! 目標はニューカッスル城と王軍!!」

 

かくて、戦闘は始まった。

最初、レコンキスタは戦艦を動かすことはなかった。

地上軍だけで対応できるだろう、と思っていたのだ。

だがそこには大きな誤算があった。すなわち、『烈風カリン』の存在である。

マンティコアに向けて、メイジ達は魔法を、兵士たちは鉄砲や矢を放とうとした。

それより早く、彼女は呪文の詠唱を終えていた。

真空の刃をその内に秘めた、恐ろしい巨大な竜巻――カッタートルネード――が、

地上に陣を張っていた兵士たちを次々に薙ぎ、切り裂き、吹き飛ばす。

放たれた魔法は、あるものは風の防壁によって防がれ

あるものは彼女の持つ剣に触れた瞬間に消滅していった。

「はは! どうだい姐さん、俺も役に立つだろ!戦場はいいねえ、やっぱ心が弾むや!」

「喋っていると舌を噛みますよ!」

続く一撃を、ヴナンを急降下させて避ける。

両手は埋まっていたが、メイジと使い魔は一身同体。

ましてや数十年も共に過ごしているため、意思の疎通は完璧であった。

「……いや、俺っち舌ねえんだけど」

ぽつりとデルフリンガーが呟いた言葉は、荒れ狂う風に消える。

「成る程……どうやら、真にあの伝説の烈風カリンであるようだ」

その光景を遠見の鏡で見ながら、クロムウェルは呟いた。

「え、ええ。そのようですわね」

シェフィールドは戸惑いながらその姿を見つめていた。

「おや、ミス・シェフィールドでもあれが怖いですか?

 それはそうでしょうね、生きておられるのですから!」

愉快そうな声を上げてクロムウェルが笑う。

「ですが、我々の軍団は死者の軍団! 我々の軍団は傀儡の軍団!

 老兵一人を相手に恐れなどはいたしませぬよ!」

狂乱してクロムウェルは叫ぶ。彼は自分の勝利を微塵も疑ってはいない。

「ああ、あなたのくれた力だ! 私は、私はこの力で王になるのだ!」

大声で笑い続けるクロムウェルの言葉は、シェフィールドの耳に入っていなかった。

ただ、何故烈風カリンが、彼女がここにいるのか。

その困惑だけで、頭がいっぱいになっていた。

ちりり、と額が、そこに刻まれたルーンが痛んだ。

「そうですわね。相手が烈風カリンであろうと、我々はただ勝つのみですわ。

 そう……それが、望みなのですから」

あの方の、という言葉は口から出ることはなかった。

 

恐れを知らず、切り伏せても切り伏せても迫ってくる軍団に、

アルビオン王軍が恐れをなし始めていた。

「一体、何なのです、あやつらは!」

「姐さん、どうやら奴ら、精霊の力で操られちまってるみてえだ」

「分かるのですか?」

左手のデルフリンガーにカリーヌが問いかける。

「さっき一人切っただろ? あの感覚は前に味わったことがある。

 ありゃあ、体内の水を精霊の力で操られて人形にされてるに違いない」

「もっと早くそれを言いなさい! ヴナン、上昇を!」

一吼えすると、ヴナンは命に従って鷲の翼を大きく羽ばたかせた。

目指すは、指揮官が乗っていると思しき巨大な戦艦だ。

「何をする気だ、姐さん!」

「操っている首魁を打ちます、それでケリがつくはずです!」

「姐さん無茶だ! このマンティコアもあんなに高くは飛べねえし……、

 第一、姐さんの体だって、そんなにもたねえぞ!」

握られたまま、デルフリンガーが叫ぶ。

彼を握る左手は、手袋の上からでも分かるほど汗ばんでおり、

顔を見れば、脂汗を流し、青みがかっているのが分かる。

「ガンダールヴの力は、担い手を守るための力だ、

 担い手から離れて、なおかつ無茶をすりゃあ体がもたねえぞ!」

「それでも……、それでも、戦争に勝たねばならないのですよ!

 でなければ、あの子は、ずっと、魔法が使えない!」

魔法が使えたことを褒めた時、あの子は泣いた。

あの子が、嬉しくて泣いたのを見たのは……ひょっとしたら初めてだ、と思った。

そう思った時、何としても、ちゃんと魔法を使わせてあげたいと願った。

そうすれば、あの子はこれから、もっとたくさん、笑えるのだ。

彼女の、娘の笑顔のためであれば、死など厭うものか。

 

「だめ、だめよ、母さま、そんなの、そんなの、だめ」

宛がわれた客室で、ルイズは一人震えていた。

母の声が、思いが、頭の中に響いてくる。

主と使い魔の間で起こる、感覚の共有だとルイズは察した。

だからこそ、怖かった。このままでは、母が死んでしまう。

彼女は客室のテーブルの上を見た。出陣前、ウェールズが置いていってくれた、

古びたオルゴールがまるでルイズを呼ぶかのように鎮座していた。

しばらく逡巡していたルイズだが、意を決する。

自らの指に風のルビーをはめ、つかつかとオルゴールに歩み寄る。

「伝説だっていうんなら、わたしを助けてくれるんでしょう!」

勢いよく、ルイズはオルゴールの蓋を開いた。

流れ出したメロディには、聞き覚えがあった。

テファが、よくハープで奏でていた。望郷を歌う歌だと言っていた。

『序曲 これよりわれが知りし真理をこの歌に託す。

 この世のすべての物質は、小さな粒より為る……』

聞こえてきた声が、心地いい。まるで、母の子守唄を聞いているかのようだ。

子守唄。ああ、そうだ。母さまが、歌ってくれた。

厳しいだけではない、優しい母さまだ。

厳しかったのは、私を思ってくれたからこそだ。

迷子になった私を、最初に見つけてくれるのは、いつも母さまだった。

だから……今度は、私が母さまを助ける番だ。

歌を奏でるオルゴールを胸に抱き、ルイズはテラスへと出た。

戦場の様子が見える。そっと目を閉じれば、そこには母の視界が浮かぶ。

戦艦は、母の存在に気がついたらしい。大きな音を立て、砲台を母へ向けている。

 

『エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ

 オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド

 ベオーズス・ユル・スヴュエル・カノ・オシェラ

 ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル……』

 

「え……?」

カリーヌは、頭に響いてきた声に、思わずヴナンを止めた。

ひどく懐かしく、胸がざわめく詠唱だった。

そして、それを口ずさんでいる声は確かに……ルイズのものだった。

ルイズは決める。誰も殺さない。これは守るための力。

これは、母を助けるための力。それが、『伝説』の、『虚無』の、力。

 

 『エクスプロージョン』

 

ルイズが、その呪文の名を呼び、杖を、戦艦へ向けて振りかざした。

辺りに爆音と衝撃と閃光が走る。カリーヌは咄嗟に目を閉じた。

目を見開いた時には、巨大な戦艦が、燃えていた。

「これ、は……一体」

「これが、『伝説』だよ」

デルフリンガーが、答えた。

「これが、あんたの娘が、担った、力だよ。聞こえたんだろ、詠唱が」

「え、ええ。ですが、ですが、こんな……こんな……!」

カリーヌは恐れた。娘が、こんなにも強い力を持ってしまったことを。

そしてこれは、世界を大きく変えてしまう力だということを。

 

「ばばば、馬鹿な! 何だこれは、何が起こったのだ!

 ま、まさか、まさかそんな、ほ、本物の虚無だというのか!」

クロムウェルは司令室の中で慌てふためいていた。

「ああ、お助けください、お助けください、ミス・シェフィールド!」

先ほどまでの威厳は何処へやら、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしている。

「……黙りなさい。これだけ与えておいて、負けるなど」

ぱしり、と助けを求めてすがる手を払いのける。

その払いのけた手を、男が取った。

「おお、ミスタ・ウォルダ。そうだ、君は、君はグリフォンを連れていたね、

 ああ、早く連れていってくれたまえ!

 その暁には、領地でも、何でも、好きなものを与え……」

「……では、お一つ頂きたいものがあります」

スッと、彼は剣の形をした杖を取り出し、クロムウェルの手に引き当てた。

「その指輪と、その命を頂きましょう」

刃が閃光のように煌いたかと思うと、クロムウェルの手は切り離されていた。

どくどくと真っ赤な血が床に零れ落ちる。

「あああああああ! 手がああああ! 私の手がああああ!」

クロムウェルは錯乱し、血まみれの手を振り回しながら外へと駆け出した。

「さて……これで俺の役目は終わった」

指輪を抜き取り、残った手を床に放り投げる。

「待ちなさい! その指輪は私が主から預かったものよ!」

シェフィールドは、男に向けて杖を構えた。

「……やれやれ。俺に……いいや、私に敵うとお思いか?

 ミス・シェフィールド……否。ミス・ヴァリエール?」

男はそう言って仮面をとる。

「え……、あ、あなたは!」

その下の顔と、名を呼ばれた困惑に、彼女は思わず杖を取り落とした。

「では、ごきげんよう」

その隙を逃さず、男は駆け出した。外に出る途中に事切れたクロムウェルを見たが、

何の感慨も湧かない。忠実な彼の使い魔は、この状況でも主を待っていたようだ。

「さて……、俺は烈風カリンと敵対するつもりはない。

 お前も、ヴナンとは戦いたくはないだろう?」

グリフィンは同意するかのように一声吼える。

「だったら……彼女につくのが、得策だろうねえ」

手袋をはずし、指輪を自らの指にはめながら、男は独りごちる。

「今の主は気に食わないし、希望を持っていた指輪も、所詮偽りの命を与える程度のもの、か。

 これを手土産にすれば、昔馴染みのよしみで、お仕置き程度ですむかね」

何のためらいもなくクロムウェルを殺めた冷酷さは今の彼にはない。

腰にしていた杖に白いハンカチを結ぶ。

そして、未だ呆然としているカリーヌの元へ、降下していくのだった。

 

 

 

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