一夜明けて、ニューカッスル城。朝もやの中、一人の男が頭を垂れている。
「感謝いたします、烈風カリン殿。あなたのご助力により、
この老いぼれはまだもう少し長生きできそうじゃ」
それは、この国の王ジェームズ一世の姿であった。
「顔をお上げください陛下」
騎士服を身にまとったカリンが答える。
「わたくしは、ただ私欲のために動いただけですわ」
その声の調子は優れない。肉体的な疲労もあるのだろうが、
彼女は精神的にも疲れてしまっているのだろう。
それを、ルイズは察して、不安げな眼差しで見上げている。
「それでこれからどうなさるのですか?」
ウェールズが問う。カリンが口を開こうとする先を制して、
別の声がそれに答えた。
「一度、領地へ帰ろうと思っております」
「ルイズ?!」
予想だにしていなかった答えに、カリンは思わず声を上げた。
この娘のことだから一刻も早くガリアへ、と言うに違いないと思っていた。
続けて何かを言おうとするが、ルイズはそれを許さない。
「これからも、お国の発展をお祈りいたしますわ。
それでは、長居いたしました、失礼します」
王と王子に礼をすると、ぐい、と強く母の手を引いて、
彼女は城門の先へと歩み出す。
しばらく進んだ所では、ワルドと彼のグリフォン、
マンティコアのヴナンが二人が出て来るのを待っていた。
「ルイズ! 何を勝手なことを! わたくし達は、少しでも早くガリアへ向かわねばならないのに!」
「でも、このままでは母様が倒れてしまいますわ!」
母の言葉を、ルイズは頑なに受け入れない。
「婚約者殿がこうおっしゃっていますので、僕としても彼女に賛同したいところですね」
ワルドがレビテーションのルーンを唱える。
ふわり、とカリンの体が浮かび、ヴナンに跨らせられる。
次いで、ルイズも一緒に鞍に座った。ただ、ヴナンの手綱を握れるように前方に、である。
何処から調達してきたものか、いつの間にかロープを手にしていた。
そのロープで、自分と母の体をしっかりと繋いで、
ルイズはヴナンの手綱をとり、呼びかける。
「ヴナン。貴方も分かるわよね? 私達にとって何が最良か」
オオン、と一声吼えて、服従の意を示す。
丁度吹いた強い風に乗って、ヴナンが飛び上がった。
「ルイズ! 私達は休んでなどいられないのです!」
カリンが切羽詰った様子で叫ぶ。彼女はわずかな時間も惜しかった。
今すぐ、ガリアへ行き、娘を救い出したい。それでいっぱいだった。
「あの子を、助け出さなければならないのです!」
「だからです!」
ルイズは強い向かい風の中で叫ぶ。
思い込んだら頑として動かぬ自分の母親に、多分生まれて初めて逆らいながら。
「このままでは、母様が力を出し切れません!
私の覚えた魔法は未だただ一つのみ、それも、秘宝無しに使えるかも分からない!
……何の備えもなしに、大国ガリアを相手に出来るとお思いですか?!」
クルリと母の方を振り向いて、声を張り上げる。
「伝説の烈風カリンは、勇気と無謀の違いくらいお分かりでしょう?!」
ルイズのその顔に、カリンはハッと息を呑んだ。
それはまだ自分が若い、否、幼いとさえ言ってよかった頃の記憶。
自らの力を過信し、無謀と勇気の違いも分からなかった頃の記憶。
それを叱咤し、自身の中の恐怖と向き合え、言ってくれた男の姿。
その姿が、今目の前で、涙を堪えて自分を見つめる愛娘と重なった。
「あ……。え、えと、ヴナン。無理は、しないでね。
とりあえず港まで飛んで、そこからはフネで行きましょう」
声を荒げた自分に焦って、ルイズは慌てて前を向き、
誤魔化すように母の相棒に声をかける。
「全く」
ふう、と背後のカリンが息を吐いた。
「貴方と来たら、いつの間に母にそんな口を聞けるようになったのですか」
びくり、とルイズが身を震わせる。
「あ、えっと、その」
勢いで言った言葉に、今更ながら冷や汗をかくルイズの背中に、
カチャリ、と鉄の当たる感触があった。
彼女の前面に回される、腕。
「いつの間に、こんなに大きくなってたのかしらね……」
「母、さま」
母の声が、少し弱弱しい。その不安が、ルイズの声音にも伝染する。
「貴方の言う通り、私は少し焦っていたようです。カトレア達のこともあります。一度、家へ帰りましょう」
優しく囁かれた言葉に、ルイズは安堵して微笑んだ。
「ええ、母様。おいしいものを食べて、ぐっすり休んで、
そうして……、わたし達の大切なものを、取り戻しましょう」
アルビオンの空に舞うその親子の姿は、美しかった。
会話に入り込めないまま、その後方を飛んでいた男は、
ただただ、その眩しさに羨望を覚えた。
もう居ない母を思う男の、ワルドの目にはうっすら涙さえ浮かんでいた。
「母様! ルイズ!」
「ちいねえさま! テファ!」
ラ・ロシエールの町では、偶然にもカトレア達と再会できた。
未だ戦火去らぬアルビオンに居るよりは、カトレア共々、
ヴァリエールの城に戻っていた方が安全だろうと話し合っており、
彼女達は城へと向かう途上であったのだ。
「そう……、ルイズは、やっぱり虚無だったのね」
チャーターした竜篭の中で、カトレアが呟く。
「はい」
「それで、あの、オルゴールと指輪はどうしたの?」
「勿論、陛下にお返しして……あっ」
ルイズはしまった、と思った。あれはテファの思い出の品だったのだ。
どうせなら、そのまま借りてくればよかっただろうか。
「あ、気にしないで、ルイズ」
そんなルイズの表情を見て取ったのか、テファがひらひらと掌を振った。
「でも、何だか不思議ね」
竜篭の外の空に目を向けながら、テファが呟く。
「あのオルゴールと指輪があったから、私は、今まで生きて来られて、
生きて来られたから、カトレアっていう新しいお友達が出来て、
そのお友達の家族を救ったのが、あのオルゴールと指輪で」
ふふっ、と笑い声をあげた。
「何だか、凄く不思議で、とても、嬉しいわ」
そんな妹分の姿を見ながら、マチルダは複雑な心持だった。
その秘宝を残した始祖の言葉のせいで、彼女達は、家族を失ったのだ。
なのに今、その始祖に残された力のおかげで、テファは笑っている。
あの森の中の小さな村ではなく、立派なお城―ヴァリエールのだ―へ行ける。
「世の中……何があるか、分かったもんじゃないねえ」
はあ、と盛大に息を吐いた。その向こうに、ぽつんと小さく、城が見えた。
この距離からでも見えるということは相当巨大な城らしい。
「はは……さすがは、公爵家だねえ」
もう笑うしかない、と言った様子で、マチルダは乾いた笑いを溢した。
この何だか疲れた女性が、ほんの少し前まで貴族達を騒がせていた怪盗、
『土くれのフーケ』だとは誰も思わないだろう。
「カリーヌ!!」
竜篭が城に降り立った途端、いささかやつれた様子の伯爵が妻の名を呼んだ。
そのまま駆け寄って、妻をしっかりと抱きしめる。
「あなた! 子供達や客人が見てるでしょう!」
そう叫びながらも、カリーヌは彼の手を振り払おうとはしない。
「だが、お前ねえ。娘達を探しに旅に出るというだけならまだしも、
……戦争に出ただなんて、心配するに決まっているだろう」
しっかと抱きしめたまま、伯爵は思いの丈を吐露する。
あたかも、恋人を待っていた青年のように情熱的な行動であった。
そんな光景を見せられて、ルイズを始めとする面々は耳まで真っ赤である。
とりあえず、風属性のスクウェアメイジであり、空気の読める男、ワルドは
小さく呪文を唱えると魔法の雲を作り出し、テファの連れてきた子供達の目隠しをした。
「おいおい、見せ付けてくれるじゃないか」
「全く、お前達と来たら……やれやれ」
そこへ、男の声二つが加わる。
「あ、あの、あなた方は?」
いち早く反応したのはルイズである。
甘い空気を漂わせる両親から目をそらしたかった、という面が大きい。
二人とも、年頃は五十半ばを過ぎた頃……公爵と変わらぬように見える。
一人は、そんな年でありながら筋骨隆々とした偉丈夫。
薄くなった額の、くりんとした巻き毛にルイズは見覚えがあった気がした。
もう一人は、美丈夫である。白髪混じりの金髪は未だ美しく、
鋭く尖った鼻にほっそりとした頬に、なんだかやたらけばけばしい服装。
こちらにも、ルイズは見覚えがあった気がした。
しかし、何故だか思い出せない。ルイズが頭を抱えていると、
ワルドが慌てたようにしゃんと背筋を伸ばす。
「元帥閣下に、グランドプレ子爵、お久しぶりです!」
「おや……君は確かグリフォン隊のワルド子爵だったね。
行方不明になっていたと聞いたが……」
線の細い方が、髭をなでながら声をかけた。
「……色々ありまして」
その言葉には、曖昧な笑みを持って答えるしかない。
「おうなんだジャン=ジャック。……なんでそんなかわいいこいっぱいつれてんだ」
偉丈夫の声音は、最後の方が何だかおかしかった。
「元帥閣下に、グランドプレ子爵……あ!」
そう言われてルイズは思い出した。確か、同級生の男子の父親だ!
「ああ、久しぶりだね、ルイズちゃん。私の息子が君に失礼なことを言ったようだ」
謝っているくせに、愉快そうに笑いながら、
元帥――ナルシス・ド・グラモン――がルイズに声をかけた。
「え、えっと、あの」
「それにしても驚いたなあ、烈風カリン殿! 君の娘は君に瓜二つじゃないか!」
「全くだ! 若い頃なら確実に地面に這い蹲って踏んでくれと言っていたぞ!」
バッカス・ド・グランドプレ子爵の言葉に、カリーヌ以外の女性陣がヒく。
カリーヌは、と言うと口元についぞ見られなかった楽しげな笑みを浮かべ、
しかし口ぶりだけは不満そうに二人に声をかけるのだった。
「何故あなた方がここにいるのですか、ナルシス、バッカス」
「私が呼んだのだよ。……少し旧友を温めようと思ってね」
「なあにが旧友を温める、だよ。『妻と娘の危機だ力を貸してくれ』って
泣きついてきたのはお前ではないか」
からからと豪快に笑うグランドプレ子爵。
「だ、誰が泣いたか誰が!」
「いいや、私には見えたねえ。大好きな妻まで居なくなったらどうしようと、
めそめそ泣いてる我が親友の姿がな!」
芝居がかったように笑うグラモン元帥。
ワルドはぽかん、口をあけて困惑していた。
彼が知る限り、この二人はもっとこう、厳格ではなかっただろうか。
当惑いるのは、ワルドだけではなくカリーヌと公爵以外の全員ではあった。
ルイズは、何だか不思議な心持がした。
引退したとはいえ、かつては屈指のメイジとして数えられたこともあるという父。
今なお、伝説として名が残るメイジである母。
トリステイン軍の軍事を一手に引き受ける元帥。
その配下で、その力未だ獅子のごとく、と言われる子爵。
そんな四人が揃っているというのに、何故だろう。
彼らはさも、年若い青年とその恋人と悪友、というようにしか見えないのだ。
「……さて、それでは話を聞かせていただこうか」
一頻り笑っていた元帥が、急に真面目な顔になる。
「ああ。……無論、公爵とその妻からの公的な話が聞きたいわけではない。
古い友人達が陥っている苦境についてだ。話して、くれるのだろう?」
子爵もまた、年を経たに相応しい真摯な眼差しを二人に向ける。
「……協力して、くれるのですか?」
カリーヌの声が、震えている。
「当たり前であろう、カリーヌ。これは、お前一人が背負う問題ではない。
父として、夫として、私も共に立ち向かわねばならない」
そして、と公爵が歌うように告げる。
「『一人は皆のために、皆は一人のために』そう、誓っただろう」
「……ええ……ピエール」
ああ、とルイズは安堵の息を漏らした。
母は、ずっと一人で背負うのだと思っていた。
自分が、一緒に背負ってあげなければならないと思っていた。
けれど違ったのだ。母には、一緒に背負ってくれる相手がいる。
それが、何だか嬉しくなって、ルイズの目から、涙がこぼれた。