虚無と烈風   作:ダルジャン

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第八話

 

一夜明けて、ニューカッスル城。朝もやの中、一人の男が頭を垂れている。

「感謝いたします、烈風カリン殿。あなたのご助力により、

 この老いぼれはまだもう少し長生きできそうじゃ」

それは、この国の王ジェームズ一世の姿であった。

「顔をお上げください陛下」

騎士服を身にまとったカリンが答える。

「わたくしは、ただ私欲のために動いただけですわ」

その声の調子は優れない。肉体的な疲労もあるのだろうが、

彼女は精神的にも疲れてしまっているのだろう。

それを、ルイズは察して、不安げな眼差しで見上げている。

「それでこれからどうなさるのですか?」

ウェールズが問う。カリンが口を開こうとする先を制して、

別の声がそれに答えた。

「一度、領地へ帰ろうと思っております」

「ルイズ?!」

予想だにしていなかった答えに、カリンは思わず声を上げた。

この娘のことだから一刻も早くガリアへ、と言うに違いないと思っていた。

続けて何かを言おうとするが、ルイズはそれを許さない。

「これからも、お国の発展をお祈りいたしますわ。

 それでは、長居いたしました、失礼します」

王と王子に礼をすると、ぐい、と強く母の手を引いて、

彼女は城門の先へと歩み出す。

しばらく進んだ所では、ワルドと彼のグリフォン、

マンティコアのヴナンが二人が出て来るのを待っていた。

「ルイズ! 何を勝手なことを! わたくし達は、少しでも早くガリアへ向かわねばならないのに!」

「でも、このままでは母様が倒れてしまいますわ!」

母の言葉を、ルイズは頑なに受け入れない。

「婚約者殿がこうおっしゃっていますので、僕としても彼女に賛同したいところですね」

ワルドがレビテーションのルーンを唱える。

ふわり、とカリンの体が浮かび、ヴナンに跨らせられる。

次いで、ルイズも一緒に鞍に座った。ただ、ヴナンの手綱を握れるように前方に、である。

何処から調達してきたものか、いつの間にかロープを手にしていた。

そのロープで、自分と母の体をしっかりと繋いで、

ルイズはヴナンの手綱をとり、呼びかける。

「ヴナン。貴方も分かるわよね? 私達にとって何が最良か」

オオン、と一声吼えて、服従の意を示す。

丁度吹いた強い風に乗って、ヴナンが飛び上がった。

 

「ルイズ! 私達は休んでなどいられないのです!」

カリンが切羽詰った様子で叫ぶ。彼女はわずかな時間も惜しかった。

今すぐ、ガリアへ行き、娘を救い出したい。それでいっぱいだった。

「あの子を、助け出さなければならないのです!」

「だからです!」

ルイズは強い向かい風の中で叫ぶ。

思い込んだら頑として動かぬ自分の母親に、多分生まれて初めて逆らいながら。

「このままでは、母様が力を出し切れません!

 私の覚えた魔法は未だただ一つのみ、それも、秘宝無しに使えるかも分からない!

 ……何の備えもなしに、大国ガリアを相手に出来るとお思いですか?!」

クルリと母の方を振り向いて、声を張り上げる。

「伝説の烈風カリンは、勇気と無謀の違いくらいお分かりでしょう?!」

ルイズのその顔に、カリンはハッと息を呑んだ。

それはまだ自分が若い、否、幼いとさえ言ってよかった頃の記憶。

自らの力を過信し、無謀と勇気の違いも分からなかった頃の記憶。

それを叱咤し、自身の中の恐怖と向き合え、言ってくれた男の姿。

その姿が、今目の前で、涙を堪えて自分を見つめる愛娘と重なった。

「あ……。え、えと、ヴナン。無理は、しないでね。

 とりあえず港まで飛んで、そこからはフネで行きましょう」

声を荒げた自分に焦って、ルイズは慌てて前を向き、

誤魔化すように母の相棒に声をかける。

「全く」

ふう、と背後のカリンが息を吐いた。

「貴方と来たら、いつの間に母にそんな口を聞けるようになったのですか」

びくり、とルイズが身を震わせる。

「あ、えっと、その」

勢いで言った言葉に、今更ながら冷や汗をかくルイズの背中に、

カチャリ、と鉄の当たる感触があった。

彼女の前面に回される、腕。

「いつの間に、こんなに大きくなってたのかしらね……」

「母、さま」

母の声が、少し弱弱しい。その不安が、ルイズの声音にも伝染する。

「貴方の言う通り、私は少し焦っていたようです。カトレア達のこともあります。一度、家へ帰りましょう」

優しく囁かれた言葉に、ルイズは安堵して微笑んだ。

「ええ、母様。おいしいものを食べて、ぐっすり休んで、

そうして……、わたし達の大切なものを、取り戻しましょう」

アルビオンの空に舞うその親子の姿は、美しかった。

会話に入り込めないまま、その後方を飛んでいた男は、

ただただ、その眩しさに羨望を覚えた。

もう居ない母を思う男の、ワルドの目にはうっすら涙さえ浮かんでいた。

 

「母様! ルイズ!」

「ちいねえさま! テファ!」

ラ・ロシエールの町では、偶然にもカトレア達と再会できた。

未だ戦火去らぬアルビオンに居るよりは、カトレア共々、

ヴァリエールの城に戻っていた方が安全だろうと話し合っており、

彼女達は城へと向かう途上であったのだ。

「そう……、ルイズは、やっぱり虚無だったのね」

チャーターした竜篭の中で、カトレアが呟く。

「はい」

「それで、あの、オルゴールと指輪はどうしたの?」

「勿論、陛下にお返しして……あっ」

ルイズはしまった、と思った。あれはテファの思い出の品だったのだ。

どうせなら、そのまま借りてくればよかっただろうか。

「あ、気にしないで、ルイズ」

そんなルイズの表情を見て取ったのか、テファがひらひらと掌を振った。

「でも、何だか不思議ね」

竜篭の外の空に目を向けながら、テファが呟く。

「あのオルゴールと指輪があったから、私は、今まで生きて来られて、

 生きて来られたから、カトレアっていう新しいお友達が出来て、

 そのお友達の家族を救ったのが、あのオルゴールと指輪で」

ふふっ、と笑い声をあげた。

「何だか、凄く不思議で、とても、嬉しいわ」

そんな妹分の姿を見ながら、マチルダは複雑な心持だった。

その秘宝を残した始祖の言葉のせいで、彼女達は、家族を失ったのだ。

なのに今、その始祖に残された力のおかげで、テファは笑っている。

あの森の中の小さな村ではなく、立派なお城―ヴァリエールのだ―へ行ける。

「世の中……何があるか、分かったもんじゃないねえ」

はあ、と盛大に息を吐いた。その向こうに、ぽつんと小さく、城が見えた。

この距離からでも見えるということは相当巨大な城らしい。

「はは……さすがは、公爵家だねえ」

もう笑うしかない、と言った様子で、マチルダは乾いた笑いを溢した。

この何だか疲れた女性が、ほんの少し前まで貴族達を騒がせていた怪盗、

『土くれのフーケ』だとは誰も思わないだろう。

 

「カリーヌ!!」

竜篭が城に降り立った途端、いささかやつれた様子の伯爵が妻の名を呼んだ。

そのまま駆け寄って、妻をしっかりと抱きしめる。

「あなた! 子供達や客人が見てるでしょう!」

そう叫びながらも、カリーヌは彼の手を振り払おうとはしない。

「だが、お前ねえ。娘達を探しに旅に出るというだけならまだしも、

 ……戦争に出ただなんて、心配するに決まっているだろう」

しっかと抱きしめたまま、伯爵は思いの丈を吐露する。

あたかも、恋人を待っていた青年のように情熱的な行動であった。

そんな光景を見せられて、ルイズを始めとする面々は耳まで真っ赤である。

とりあえず、風属性のスクウェアメイジであり、空気の読める男、ワルドは

小さく呪文を唱えると魔法の雲を作り出し、テファの連れてきた子供達の目隠しをした。

「おいおい、見せ付けてくれるじゃないか」

「全く、お前達と来たら……やれやれ」

そこへ、男の声二つが加わる。

「あ、あの、あなた方は?」

いち早く反応したのはルイズである。

甘い空気を漂わせる両親から目をそらしたかった、という面が大きい。

二人とも、年頃は五十半ばを過ぎた頃……公爵と変わらぬように見える。

一人は、そんな年でありながら筋骨隆々とした偉丈夫。

薄くなった額の、くりんとした巻き毛にルイズは見覚えがあった気がした。

もう一人は、美丈夫である。白髪混じりの金髪は未だ美しく、

鋭く尖った鼻にほっそりとした頬に、なんだかやたらけばけばしい服装。

こちらにも、ルイズは見覚えがあった気がした。

しかし、何故だか思い出せない。ルイズが頭を抱えていると、

ワルドが慌てたようにしゃんと背筋を伸ばす。

「元帥閣下に、グランドプレ子爵、お久しぶりです!」

「おや……君は確かグリフォン隊のワルド子爵だったね。

 行方不明になっていたと聞いたが……」

線の細い方が、髭をなでながら声をかけた。

「……色々ありまして」

その言葉には、曖昧な笑みを持って答えるしかない。

「おうなんだジャン=ジャック。……なんでそんなかわいいこいっぱいつれてんだ」

偉丈夫の声音は、最後の方が何だかおかしかった。

「元帥閣下に、グランドプレ子爵……あ!」

そう言われてルイズは思い出した。確か、同級生の男子の父親だ!

「ああ、久しぶりだね、ルイズちゃん。私の息子が君に失礼なことを言ったようだ」

謝っているくせに、愉快そうに笑いながら、

元帥――ナルシス・ド・グラモン――がルイズに声をかけた。

「え、えっと、あの」

「それにしても驚いたなあ、烈風カリン殿! 君の娘は君に瓜二つじゃないか!」

「全くだ! 若い頃なら確実に地面に這い蹲って踏んでくれと言っていたぞ!」

バッカス・ド・グランドプレ子爵の言葉に、カリーヌ以外の女性陣がヒく。

 

カリーヌは、と言うと口元についぞ見られなかった楽しげな笑みを浮かべ、

しかし口ぶりだけは不満そうに二人に声をかけるのだった。

「何故あなた方がここにいるのですか、ナルシス、バッカス」

「私が呼んだのだよ。……少し旧友を温めようと思ってね」

「なあにが旧友を温める、だよ。『妻と娘の危機だ力を貸してくれ』って

 泣きついてきたのはお前ではないか」

からからと豪快に笑うグランドプレ子爵。

「だ、誰が泣いたか誰が!」

「いいや、私には見えたねえ。大好きな妻まで居なくなったらどうしようと、

 めそめそ泣いてる我が親友の姿がな!」

芝居がかったように笑うグラモン元帥。

ワルドはぽかん、口をあけて困惑していた。

彼が知る限り、この二人はもっとこう、厳格ではなかっただろうか。

当惑いるのは、ワルドだけではなくカリーヌと公爵以外の全員ではあった。

ルイズは、何だか不思議な心持がした。

引退したとはいえ、かつては屈指のメイジとして数えられたこともあるという父。

今なお、伝説として名が残るメイジである母。

トリステイン軍の軍事を一手に引き受ける元帥。

その配下で、その力未だ獅子のごとく、と言われる子爵。

そんな四人が揃っているというのに、何故だろう。

彼らはさも、年若い青年とその恋人と悪友、というようにしか見えないのだ。

「……さて、それでは話を聞かせていただこうか」

一頻り笑っていた元帥が、急に真面目な顔になる。

「ああ。……無論、公爵とその妻からの公的な話が聞きたいわけではない。

 古い友人達が陥っている苦境についてだ。話して、くれるのだろう?」

子爵もまた、年を経たに相応しい真摯な眼差しを二人に向ける。

「……協力して、くれるのですか?」

カリーヌの声が、震えている。

「当たり前であろう、カリーヌ。これは、お前一人が背負う問題ではない。

 父として、夫として、私も共に立ち向かわねばならない」

そして、と公爵が歌うように告げる。

「『一人は皆のために、皆は一人のために』そう、誓っただろう」

「……ええ……ピエール」

ああ、とルイズは安堵の息を漏らした。

母は、ずっと一人で背負うのだと思っていた。

自分が、一緒に背負ってあげなければならないと思っていた。

けれど違ったのだ。母には、一緒に背負ってくれる相手がいる。

それが、何だか嬉しくなって、ルイズの目から、涙がこぼれた。

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