ヴァリエール家でその日開かれた晩餐は、久しぶりに明るいものであった。
何しろ、ずっと行方不明だった息女カトレアが戻ってきたのだ。
急な客として子爵や伯爵が来て、バタバタすることになった使用人たちも、
何処か嬉しそうにしているのが見てとれた。
夕食の席には、ティファニアや孤児達など貴族流の食事に慣れないものも居たが、
その食事のマナーについて咎められることはなかった。
何しろ、そういったことに対して口を出すべき公爵が、
久しぶりの友人との再会でぐでんぐでんに酔っ払っていたからである。
「ナルシス、あなたさては質の悪い酒を持ってきたわね?」
「私は女性と酒と宝石の鑑定には自信があったんだがな」
「目が遠くなったんではないのか? 私達が幾つだと思っているんだ元帥殿」
常にないほど明るい表情でけらけらと笑い合う母親とその友人達。
どちらも、国内でも高名な貴族である。
ルイズとワルドは言葉を失った。カトレアはにこにこ微笑んでいた。。
マチルダは目を丸くし、テファと子供達は一緒になって声を上げて笑っていた。
本当に楽しい食卓だった。けれど、とルイズは思う。
――姉さまが、ここに居ればよかったのに――
本来なら、姉であるエレオノールが座るべき席が空いていた。
それが、何とも寂しくて悲しくて辛くて、ルイズは小さく息を吐いた。
食事が終わった後、ルイズは一人で庭の片隅に来ていた。
小船を浮かべた小さな池。よく、姉と一緒に遊んだ。
母や姉に叱られるたび、ここへ来て隠れていた。
そんなに以前のことではないのに、随分と昔のことのように感じた。
「君は、よくここに隠れていたね」
後ろから声をかけられ、振り向かないまま返事をする。
「ええ、ワルド様。……不思議だわ、ずっと昔のことみたい。
この家に、姉さまがいなくて、私は、虚無の担い手なのよ。
何だか……随分、変わってしまったような気がするわ」
ほんの数日前まで、自分は『ゼロ』でしかなかった。
それなのに、母を召喚して以降、可能性を抱いて、旅に出て、
気がつけば、自分は『虚無(ゼロ)』なのだ。
「君は何も変わらない。僕の小さな可愛いルイズだよ」
そっとその肩をワルドは抱き寄せる。
そして、辛いことだが、と前置きして話を始めた。
「ルイズ。僕がエレオノール殿とレコンキスタで会った、という話はしたね?」
「ええ」
「……あの時、僕は彼女が操られている、という印象は受けなかったよ」
その言葉に、はっとルイズは息を飲んだ。
「嘘! だって、姉さまは厳しい人だけど、戦争なんて起こすような人じゃないわ!
姉さまが、自分の意思で戦争を起こすなんて、そんなこと!」
「僕もそう思うよルイズ。でも……、彼女は事実、戦争を引き起こした。
だからきっと、操られている以外に何か、きっと事情が」
『そんなこと、知る必要性は無いわ』
突如として聞こえてきた声。二人は声の出所を探して空を見上げた。
月を背にした影が一つ、二人の視界に入った。
背に羽を生やした石作りの魔法人形。ガーゴイルだ。
そのガーゴイルが、二人に向かって突っ込んでくる。
「ッ! ガリアの手のものか!!」
ワルドが閃光の名に相応しい速度で呪文を唱えた。
風の刃が、それに向かって幾刃も飛ぶ。
それに反応したかのように、ちかり、とガーゴイルの額が光った。
ぐん、と加速し、それを事も無げにかわした。
ワルドは焦った。こんなに素早いガーゴイルなど知らなかったから。
そして、その一瞬の戸惑いが致命的だった。
「きゃあああああ!」
ルイズの悲鳴が上がる。彼女は、ガーゴイルに抱きかかえられていた。
「ルイズ! クッ、今すぐ彼女を離せ!!」
「は、離しなさいよ、この、このッ!」
ルイズはじたばたと腕の中で暴れる。杖は、地面に置き去りだ。
『暴れるんじゃないわよおチビ!』
その声に、ルイズの目が点になった。恐る恐る震える声で問いかける。
「姉さま、なの? こいつを操ってる、のは、姉さま、なの?」
『……クッ』
ガーゴイルの繰り手が、一瞬うろたえたような声を上げた。
「どうして、ねえ、どうしてなの姉さま! 姉さまは、こんなことするひとじゃ……」
『眠ってなさい、トリステインの虚無』
ふわり、とルイズの周りを芳しい香りが包んだ。
抗いがたい眠りに襲われて、睡眠薬の類か、と思いながら、
ルイズの意識は闇へと落ちていった。
「ルイズを離しなさい!!」
悲鳴を聞きつけ、カリーヌ達も駆けつけた。
「ふむ、ガーゴイル……それも、ガリア製のものだ」
杖を構えながら、ナルシスが分析する。
土のメイジである彼にとって、見ただけでガーゴイルが何処の国のものか
判別する程度は容易なのであった。
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
『そこの方は、よく分かっていらっしゃるようですね』
ぱちり、とガーゴイルがルイズを抱えたのと反対の手の指をならした。
瞬間。どこに潜んでいたものか、三十体ものガーゴイルが現れる。
『彼女達を足止めなさい!』
そう告げると、ガーゴイルはルイズを抱えたまま飛び去る。
主の命に従い、額を光らせたガーゴイル達が一斉に彼らに襲いかかった。
「くっ、こんなにも……」
ワルドが形勢が悪いか、と眉を顰めた瞬間。
場にそぐわない軽い笑い声が聞こえてきた。
「やれやれ、ダンスの相手が少々多いとは、モテる男は辛いものだ。
だから、私ではなくこのレディ達がお相手しよう!」
ナルシスが杖を振るう。現れたのは金色に輝く女神の姿を象ったゴーレム達だ。
それらがまるで舞うように華麗に、ガーゴイルに向かっていく。
「さあ、行きたまえ、我がゴールデンワルキューレ!」
「おいおい、てめえのそれは真鍮だろうがよ」
軽口を叩きながらも、バッカスも続けて呪文を唱える。
その杖に風の刃をまとわせるブレイドの魔法だ。
槍を振り回すガーゴイルの攻撃を、それで何なく受け止めて見せた。
五十以上だとは、とても思えないような身のこなしである。
公爵も、眉をしかめたまま水の鞭を具現させ、ガーゴイル達を次々になぎ倒していく。
「はは……」
ワルドは、今更ながら自らの推測が誤りであったことに気づく。
今、ここに居るのは、伝説なのだ。
かつて、国王に反乱を起こした大公エスターシュ。
その大軍を、ある騎士がただ一人で止めた、という話がある。
今も実しやかに囁かれる、烈風カリンの伝説だ。
実際は違うことをワルドは知っている。止めたのは、『四人』だ。
伝説の騎士。彼は今、その力を目の当たりにしていた。
「……ワルド子爵」
しかし、その中心人物。烈風カリンその人は、未だ杖を振るってはいない。
「あの、ガーゴイルは。あれの、繰り手は」
「……恐らく、エレオノール殿かと」
そう答えたワルドは、頬にちくりとした痛みを感じた。
手をあてれば、いつの間にか頬から血が流れていた。
そして気がつく。今彼の頬を切ったのは、風だ、と。
カリーヌの纏うオーラが、真空の刃を生む程の風を作っている。
彼女を中心として、風が渦巻いている。
あれを敵に回していたのかもしれないのか、とぞくりと背を振るわせた。
「ガリアの、ジョゼフ王……!」
カリーヌが強く強く杖を握り締める。
「よくも、よくも私の娘を、娘達を……ッ! あなたが望むものが何か、私は知りません。
ですが、どうせ、この光景を見ているのでしょう。でしたら……、目に焼きつけなさい!」
怒号と共に、カリーヌが杖を掲げる。
「! いけない、皆、カリーヌの側へ!」
彼女の目的に気がついた公爵が叫ぶ。
彼が叫ぶからには理由があるのだろう、と慌ててそれに従う。
「あなたが、誰を敵に回したのかをッ!!」
唱えられた呪文は、イル・ウィンデ。
本当に単純な、竜巻を起こす呪文である。だが、その威力が違った。
その場のガーゴイル達全てを巻き込んで、荒れ狂う。
公爵の言葉通り、渦の中心であるカリーヌの側にいなければ、
全員、ガーゴイルと同じようにバラバラにされていただろう。
娘を奪われた怒りのままに、烈風は荒れ狂う。
「……ここは?」
それから、しばらく後。ルイズは見知らぬ部屋で目を覚ました。
部屋の中の調度品や建具の具合からして、
彼女の実家に勝るとも劣らない貴族の屋敷だとは分かる。
どうしてこんなところに、と考えて、彼女は自分が攫われたことに気がついた。
まさか、あのままガーゴイルが抱えてきたわけはないから、
恐らく途中で竜か何かに乗り換えたのだろう。
ルイズは辺りを見渡す。姉の姿がないことに、ほっとした。
今彼女と顔を合わせても、どのような言葉を交わせばいいか分からない。
姉さま、と小さく呟いた時。部屋の片隅にあった扉がきぃ、と音を立てた。
びくり、と背を震わせ、身を固くする。
そこから現れたのは、ルイズと変わらぬ年頃の少女だった。
長く青い髪と、広く美しい額。何処か気品のある顔立ち。
何処かで見覚えがあるような気もしたが、今のルイズには思い出せなかった。
少女は、部屋にルイズと彼女以外誰も居ないことを確認すると、
ずかずかと大またでベッドの脇まで歩み寄ってくる。
そのまま、ぼふん、とベッドの上に飛び乗った。
「ふうん……」
少女はまじまじとルイズの顔を見つめている。
「え、えっと、あなた、誰?」
困惑しきって、ルイズが問いかける。
「あんたの姉さんの知り合いだよ」
にぃ、と口角を上げた少女は、思ったよりも俗な喋り方だった。
頭部に乗せたティアラや、高価そうなドレスにそぐわない。
「姉さま、の?」
「そうだよ」
ベッドの上で、笑みを見せたまま彼女は告げる。
「私はイザベラ。イザベラ・ド・ガリアだ。始めまして、エレオノールの妹」
ド・ガリア。その苗字を持つ者は、多くは無い。
それは、ガリア王家直属のものだけが持つものだから。
そう気がついたルイズは、言葉を失って、目の前の少女を見つめる。
彼女が、ガリアの王女。無能王の娘か、と。
。