戦姫絶唱シンフォギア Evolution's Symphony   作:セグウェイノイズ

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この小説を読んでくれてる方で、
シンフォギア知ってるよって人はどれくらいいるんでしょうか
それとエボルト(ビルド)知ってるよって人も
説明の文章をどこまで書けばいいのか迷う


EPISODE06「陰謀のセオリー」

「辛うじて一命は取り留めました。ですが、容体が回復するまで絶対安静、予断を許されない状況です」

 

「よろしくお願いします」

 

 

 

 リディアンにはかなり大規模な病院が隣接している。

 あの後翼は直ちにここの集中治療室へと運ばれ、今まで処置を受けていた。

 スタークから攻撃を受けた響は弦十郎に担がれここまでやってきた。いつになく真剣な表情の了子が検査に当たってくれたので、検査自体はほんの数十分で終了した。

 今は待合室のソファに座り結果を待っている。

 

 弦十郎もいつものラフな格好ではなく赤いスーツを着た正装だ。ネクタイも胸ポケットに突っ込んでいない。

 彼の後ろには数十名の黒服の男たちが整列している。

 翼の治療に当たったらしい医師に深く頭を下げた後、黒服たちに向かって鋭く指示を出した。

 

 

 

「俺達は鎧の行方を追跡する。どんな手がかりも見落とすな!」

 

 

 

 完全聖遺物ネフシュタンの鎧や、絶唱のことは道すがら聞いた。

 銀髪の少女との戦いで絶唱を歌った翼。響がもっと戦えていれば、アームドギアを使えていれば、このようなことにはならなかったのだろうか。

 翼が絶唱を歌うことにもならなかったのだろうか。

 考えが堂々巡りし、思考から抜け出せない。

 

 

 

「貴女が気に病む必要はありませんよ。翼さんは自ら望み、歌ったのですから」

 

「緒川さん」

 

 

 

 こちらにやってきたのは翼のマネージャー、緒川慎次だった。

 響の隣の自販機でコーヒーを二つ買い、片方を響に手渡す。

 

 

 

「調子はどうですか? 少しは楽になりましたか?」

 

「はい。全力疾走とまではいきませんけど、普通に歩くくらいなら」

 

「それなら何よりです。了子さんが全力で検査に当たった結果、あの時ブラッドスタークが放った煙は麻痺毒の一種だろう、との結論が出たそうです」

 

「そうですか」

 

 

 

 突然襲われた脱力感の正体が分かったのは朗報だが、なぜか引っかかる。

 あれは本当に麻痺だったのか。

 そんなものよりも、もっと恐ろしいナニカ────そんな気がする。

 

 それに気づいているのか気づいていないのか、慎次は語り出した。

 かつて翼がツヴァイウィングとして活動していたときの相棒、天羽奏。

 二年前のあの日、ノイズによる被害を最小限に食い止めるために奏が絶唱を歌ったこと、その代償として奏は生命を散らしたこと。

 

 

 

「それは、わたしを救うためですか……?」

 

 

 

 その問いに慎次は答えない。

 まだ微かに湯気の立つコーヒーを一口飲み、

 

 

 

「……独りになった翼さんは奏さんの抜けた穴を埋めるべく、がむしゃらに戦ってきました」

 

 

 

 普通の高校生なら知ってしかるべき恋愛や遊びも覚えず、自分を殺し、一振りの剣として生きた。

 そして今日、剣としての使命を果たすため、翼は死すら覚悟して歌を歌ったのだ。

 

 

 

「不器用ですよね。でもそれが、風鳴翼の生き方なんです」

 

 

 

 カップを握る手に水滴が落ちる。

 それがこぼした涙だと気づくのに、1秒とかからなかった。

 

 

 

「そんなの……ひどすぎます。わたしは翼さんの事をなんにも知らずに、一緒に戦いたいだなんて……奏さんの代わりになるだなんて……」

 

「僕も、貴女に奏さんの代わりになってもらいたいだなんて思っていません。そんな事、誰も望んでいません」

 

 

 

 慎次はもともとツヴァイウィングのマネージャーだったそうだ。その後翼個人のマネージャーへと移った慎次は、翼と同じくらい奏と過ごした日々も長かったはずだ。

 響が「奏の代わりになる」と言ったとき、何を思っていたのか。

 しかし、その表情と言葉に、響をたしなめるようなものは一つも入っていなかった。

 

 

 

「響さん、僕からのお願い、聞いてくれますか?」

 

 

 

 頷く。

 

 

 

「翼さんの事、嫌いにならないでください。翼さんを世界でひとりぼっちにさせないでください」

 

「……はい」

 

 

 

 微笑みながら言われたそのお願い。

 それに対して、響はただ頷くだけしかできなかった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「そちらから出向くとは、一体どういう了見なワケダ? エボルト」

 

 

 

 某所。

 ナシタともフィーネの屋敷とも異なるそこには、部屋中に配線や魔法陣のようなものが敷き詰められている。

 そこでカエルのぬいぐるみを抱きかかえながら入ってきたスタークを睨みつける小柄な"錬金術師"、プレラーティ。

 

 

 

『お前達が求めている……「神の力」だったか? それについて知りたくなってね。

 なにも知らないのと知ってるのとじゃ、奴等への対応の仕方が違うかもしれないだろ』

 

「神の力を行使すれば人類は月の……バラルの呪詛から解放される。それが我々パヴァリア光明結社の悲願よ」

 

 

 

 部屋の隅に体をもたれさせて立っていた女性がプレラーティの代わりに答えた。

 彼女も錬金術師だ。名前はサンジェルマン。

 しかし、今彼女から聞いた情報は彼女との初接触時にも聞いたことだ。それ以上の情報はない。

 

 

 

『もっと詳しくは教えてくれないのか? なぁ、カリオストロ』

 

 

 

 肩をすくめながら顔を窓の方へと向ける。窓辺のソファには豊満な体つきをした青髪の女性、カリオストロが座っていた。

 カリオストロはこちらに顔を向けようともせず、テーブルに置いてあった赤ワインを飲み干す。

 

 

 

「アンタからはウチの局長と似た匂いがするのよねぇ。そんな相手にペラペラしゃべくっちゃうほど、あーし達もおマヌケさんじゃないわ」

 

 

 

 やはり警戒されているのか、カリオストロもプレラーティと同じく態度が冷たい。

 サンジェルマンは仕事と割り切っているので硬い態度なだけだろう。

 この三人の内二人が元男性だというのだから錬金術には驚かされる。

 

 

『冷たいねぇ……。まあいい。アダムの様子を見てから帰るよ。邪魔したな』

 

 

 

 トランスチームガンからスチームを噴かせ、その場を後にする。

 

 

 

「あんな奴と協力関係を結ぶとは、局長は何を考えているワケダ?」

 

「さーねぇ。あの局長のことだし、またロクでもないことでも考えてるんじゃない? あーしの女の勘がビンッビンいってるわ」

 

「詮索は無用よ、二人とも」

 

 

 

 そんな会話が聞こえてきたが、その推測は近からず遠からず、といったところか。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 昼休み。

 いつもなら未来や創世たちと食堂や中庭で昼食をとっている時間だが、今は食事を楽しめる気分ではない。

 今まで響は奏の代わりになる、と思い続けてきた。

 それが間違いだと思い知らされた。

 あの日翼に言ったように、響にだって護りたいものがある。

 今までのような半端な覚悟でも、誰かの代わりになりたいというものでもない。

 

 

 

────戦場(いくさば)で何を馬鹿な事をッ! 

 

 

 

 翼と銀髪の少女に言われた言葉を思い出す。

 あのとき響は少女と話し合いたいと思っていた。すぐに一喝されたが、それでもまだ、話し合いたいという意志は変わらない。

 強くなるためには、その意志を捨てる——つまり、自分は自分のまま強くなってもいいのか、悩みは晴れない。

 

 ふと、隣に人の気配が。

 右を向くと、ベンチに響の大切な親友、未来が座っていた。

 

 

 

「未来」

 

「響。最近一人でいることが多くなったんじゃない?」

 

「そうかなぁ!? わたし一人じゃなんにもできないし……それにほら、この学校も未来が進学するから私もここに決めた訳だし! なんていうか、ここって学費がびっくりするくらい安いじゃない!? だったらお母さんとおばあちゃんには負担かけずにすむかなぁ~なんて……」

 

 

 

 思わず早口でまくし立てる。

 未来を心配させまいと思い口から出た言葉だったが、未来は笑みを崩さない。

 まるで、響の悩みも見透かしているかのようで。

 

 

 

「……やっぱり未来には隠し事できないな」

 

「だって響、無理してるんだもん。みんなも心配してたよ」

 

 

 

 みんな、とは創世や詩織、弓美のことだろうか。それとも惣一のことだろうか。

 いずれにせよ、響が何かに悩んでいるということは筒抜けだったようだ。

 本当は今すぐにでも未来に全て打ち明けてしまいたい。だがそれが叶わない今、ほんの断片程度しか話すことしかできないのがもどかしい。

 

 

 

「ごめん、もう少し一人で考えさせて。これは……。

 わたしが考えなきゃならない事なんだ」 

 

 

 

 手に柔らかな、暖かい感触が。

 右手を見ると、未来の手が優しく響の手を包み込んでいた。

 最近、あまり未来といることが多くなかった。せいぜい寝るときと登下校のときくらいだった。

 久しぶりに感じたその手の温もりが、今の響にはこの上なくありがたい。

 

 

 

 

「響がどんなに悩んで考えて出した答えで、一歩前進したとしても……。

 

 響は響のままでいてね」

 

「わたしのまま?」

 

 

 

 思わぬ返答に目を丸くする。

 本当に悩みを見透かしているのだろうかと思ったが、きっと顔に出てしまっていたのだろう。

 未来は頷き、

 

 

 

「変わってしまうんじゃなくて、響が響のまま成長するんだとしたら、わたしも応援する。

 だって響の代わりはどこにもいないんだもの」

 

「わたし……わたしのままでいていいのかな?」

 

「響は響のままじゃないと嫌だよ」

 

 

 

 その肯定の言葉。

 こちらに向かって微笑みかけてくる彼女を見て、響も思わず笑顔になってしまう。

 未来の手を握り返す。

 覚悟、というより、決意は固まった。

 強くなるのに自分を変える必要などない。答えはもう出ていたのだ。

 

 

 

「ありがとう未来。なんだか、わたしのまま歩いていけそうな気がする!」

 

「そうだ、流星群見る? 動画に撮っておいた」

 

 

 

 悩みが晴れたと見たのか、未来は話題を流れ星へと変える。

 当日、流れ星を見に行く直前でノイズの発生があり未来一人で行かせてしまった。

 それが心残りだったのだが、なんと未来が流れ星の様子を録画してくれていた。

 嬉しさのあまり飛び上がり、未来の携帯の画面を食い入るように見つめる。

 穴が空くほどまじまじと凝視し続ける響だが、いつまで経っても画面は真っ黒のままだ。

 

 

 

「なんにも見えないんだけど」

 

「うん、光量不足だって」

 

「だめじゃん!」

 

 

 

 未来に訊くと帰ってきたのは「光量不足」。

 思わず吹き出してしまう。

 これほど心から笑ったのは入学以来初めてかもしれない。

 自然と目から涙が溢れてくる。

 慎次と話していたときのようなものではない、所謂嬉し泣きというやつだ。

 

 

 

「今度こそは一緒に見よう、流れ星!」

 

「次こそは約束だからね」

 

「うん!」

 

 

 

 未来に礼を言った後、真っ直ぐ校門へと向かう。

 行き先は一つ、強くなるのにもっともてき面と思われるところだ。

 

 

 

────わたしが守りたいものを守れるように。わたしは……わたしのまま強くなりたいッ!

 

 

 

 想いを胸に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たのもーッ!」

 

「うおッ!? なんだいきなり」

 

 

 

 訪れたのは二課の司令、弦十郎の家だ。

 校門を出たところであおいに家の住所を聞いた。家にいるかどうかまでは分からなかったが、いてくれていてよかった。

 いきなりの訪問に面食らった表情になる弦十郎。

 今日ここに来たのは他でもない、弦十郎に教えてもらいたいことがあるからだ。

 

 

 

「わたしに、戦い方を教えてくださいッ!」

 

「俺が、君に……?」

 

「はいッ! 弦十郎さんなら、きっとすごい武術とか知ってるんじゃないかと思って!」

 

 

 

 今までの響の人生で、あれほどの強さを持った人は存在しなかった。

 ナイトローグと戦ったときには武術のような構えをしていたことから、弦十郎なら響に教えることが出来るのではないかと考えていたのだ。

 その心意気を感じ取ったのか、腕を組み唸ったのも数秒、眉を釣り上げ響を試すかのように尋ねた。

 

 

 

「……俺のやり方は厳しいぞ」

 

「はいッ!」

 

「時に響くん、君はアクション映画とか嗜むかな?」

 

「はい?」

 

 

 

 何はともあれ、弦十郎を師匠とした響の修行の日々が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フッ! ハッ!」

 

「そうじゃない! 稲妻を食らい、雷を握りつぶすように打つべしッ!」

 

 

 

 数日後。

 今日は学校を休み、響は弦十郎の家で修行に明け暮れていた。

 今やっているのは、池の隣にある木の枝に括り付けたサンドバッグをパンチのみで吹き飛ばすという修行だ。

 正直最初はできる気がしなかった。

 しかし弦十郎から熱い発破をかけてくれる内に、なんだかできる気がしてきた。

 

 

 

「言ってること全然分かりませんッ! でもやってみます!」

 

 

 

 弦十郎の指導はよく分からない。それでも心で、魂で理解できる気がする。

 言われたとおり、雄叫びと共に右腕を突き出す。

 地面を踏み込み、腰の捻りを最大まで使って放たれたその右ストレートはサンドバッグの中心へと吸い込まれるように突き刺さり、次の瞬間。

 

 枝の破砕音の後聞こえたのは、何かが池に突っ込んだ音だった。

 水面に浮かぶのは赤いサンドバッグ。

 まだまだ弦十郎には遠く及ばないと思う。それでも、着実に強くなっているというのは肌で感じられる。

 思わず弦十郎の方を見ると、笑顔でサムズアップをする彼の姿が見えた。

 

 

 

「良くやったッ! なら、こちらもスイッチを入れるとするか!」

 

「はいッ!」

 

 

 

 両腕を構えた弦十郎を見て、響は勢いよく飛び出し、彼へと拳を突き出し────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこまで!」

 

 

 

 パンチングの課題。一撃でも弦十郎に入れられれば、その時点で免許皆伝という内容だった。

 何回か休憩を挟みながら1時間ひたすら打ち込んだが、結局一撃も彼を捉えることができなかった。

 終了の合図を受け、響はその場に倒れこんだ。

 

 

 

「はーっ! 疲れたーッ!」

 

「だが、響くんはなかなかいいセンスをしているな。この分だと、ある程度物になるのもすぐやもしれん。

 頑張れよ、明日のチャンピオン!」

 

 

 

 縁側に座り、弦十郎がリビングから持ってきた麦茶を一息に飲み干す。

 五臓六腑に染み渡るような心地だ。別にアルコールは入っていないが。

 火照った体を優しく冷やしてくれる。

 修行を始めてから、麦茶のありがたみが初めて分かったかもしれない。

 

 響の隣に座る弦十郎。

 初対面から時間が経って慣れきっていたが、こうして間近に見ると彼の体格の凄まじさが分かる。

 15歳として平均的────だと思う────な体格の響。だが弦十郎のそれが平均的な体格とはとても思えない。

 いつかあった、翼の天ノ逆鱗を拳圧のみで吹き飛ばしたり、現れたナイトローグを一方的に叩きのめしたり。

 あんなことが大人全員にできるはずがない。

 もしそうであれば日本は終わりだ。

 腕を組み、特訓メニューを考えている弦十郎を見上げ、思い切って訊いてみることにした。

 

 

 

「そういえば、師匠ってばどうしてそんなに強くなったんですか?」

 

 

 

 弦十郎は少し唸った後、「俺もまだまだ修行中の身だ」と信じられないことを口にし、どこか遠くを見つめながら語り始めた。

 

 

 

「そうだな……かい摘んで話そう。あれは……そうだな、もう2年と少し前の事になる」

 

 

 

 2年前。たった2年で弦十郎はここまで強くなったというのか。しかしそう考えるのもまだ早計だと、続く弦十郎の言葉に耳を傾ける。

 

 

 

「その時、紛争地から帰国する、とある少女を保護するという任務があってな。同僚達と共に身元引受人として手を上げたんだが……。

 帰国直後に、少女は忽然と姿を消した」

 

「消した?」

 

「ああ。消えたとしか言いようのない状況だったからな。その後相当数の職員が捜査に駆り出されたが、捜索に関わった大多数が死亡。

 あるいは行方不明という最悪の結果で幕を引くこととなった。

 捜索に当たっていた職員も、もう俺以外には誰もいない」

 

 

 

 弦十郎の口から出た思わぬ過去。

 まだ彼は個人的に消えた少女の捜索を続けているという。

 しかし、弦十郎の目は決意にギラギラと輝いていた。

 拳を手のひらに打ち付ける。

 

 

 

「だが、少女がもう死亡しているとは俺は思わない。いつか必ず探し出す。

 だから俺は誓った。君や翼、少女たち子供に夢を見させてやる事ができるほどに、自らを鍛え抜くとな」

 

「師匠……!」

 

 

 

 爽やかな笑顔で響に言い放った弦十郎。

 確かに彼は、2年以上前までも無類の強さを発揮していたのだろう。ただ単に、背負うものが増えたというだけの話だ。

 弦十郎はただ単に強いのではなかった。響たち子供を守護(まも)るために強くなったのだ。

 響にだって護りたいものがある。

 小さな、日常、なんでもない日々。

 そして——大切な陽だまり。

 護りたいものがあるからこそ、人は強くなれるのだと弦十郎は教えてくれた。

 

 

 

「後は簡単だ。飯食って映画観て寝るッ! 次の出撃の時にでも、自分が強くなったと実感できるだろう!」

 

「そういうものなんですか?」

 

「応とも。……さて!」

 

 

 

 なるほど、飯食って映画観て寝ると強くなれるらしい。

 弾みをつけて弦十郎は縁側を立つ。

 屈伸、伸脚と準備運動を始めている。次の訓練が始まるのだと、直感的に思い至った響。

 次もパンチングだろうかとグローブを着ける響だったが、弦十郎に止められた。

 なら何をするのかと訊くと、

 

 

 

「一汗かきにランニングでもするかッ!」

 

「えッ、今からですか!? でももうお昼どき……」

 

「なぁに、俺が行きつけの店を紹介してやる! ランニングコースに入っているから、一石二鳥というヤツだ。

 それに、響くんにも馴染み深い店じゃないかと思ってな」

 

 

 

 そう言うなり、家の門に向かって駆け出した。

 慌てて響も追いかける。

 しかし、もうすでに弦十郎の姿は遠く、霞に消えかかっていた。

 途中で止まってくれたのでようやく追いつくことができたが、すでに息は上がっている。

 

 

 

「ちょっと師匠! わたしの体力も考えてくださいよ!」

 

「ハハッ、悪かったな。次からはペース配分を気にするとしよう」

 

「どれだけ走るんですか?」

 

「そうだな……まずは軽く10キロといったところか」

 

「10キロッ!?」

 

「さあ征くぞ! 太陽がお前を待っているッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 10kmを2時間で走った。

 疲れたが、思ったよりペースもゆっくりでバテるといったことはなかった。

 先ほど弦十郎を追いかけたときの疲れ具合で、長距離走の最適なペースを測っていたらしい。

 本当にすごい師匠だ。

 

 リディアンの近くの歩道で立ち止まる。

 話を聞くと、ここで今日の修行は終了、二課本部に戻る前に昼食にしようとの提案だった。

 もちろん大賛成だ。

 時刻を見ると午後1時。弦十郎の家で「もうお昼どき」といった響の腹時計は狂っていなかった。

 

 

 

「そこの料理は絶品でな。どうもコーヒーだけは口に合わんが」

 

「コーヒーだけは……?」

 

 

 

 少し引っかかる。

 響の知る限りそんな店は一つしか存在しないはずだが。

 弦十郎の「響にとっても馴染み深い」という言葉。

 それに、今立ち止まった場所は先月までずっと通っていた場所だ。

 通学のためではない。

 

 彼に連れられ入った路地。

 その道のりに、響は嫌というほどの既視感を覚える。

 赤いオーニング。

 窓辺に飾られているよくわからない何か。

 花壇に植えられているコーヒーの種。

 パラソルの下のテラス席────今までこの席に人がいるのを見たことがない────のテーブルには、スペイン語かイタリア語で「コーヒーおいしいです」と書かれているらしいカードが並べられている。

 中に賑わいはない。恐らく客は誰もいない。

 

 扉を開ける弦十郎。

 カランカラン、という音が鳴り、その喫茶店のマスターに来店を知らせる。

 

 

 

「いらっしゃい……ってなんだ、弦十郎のダンナじゃないの!」

 

「やあマスター。最近色々と忙しくてね。なかなか来る機会がなかった」

 

「随分とお久しだなァ」

 

「やっぱり惣一おじさんじゃん!」

 

 

 

 思わず声を上げる。

 うすうす勘づいてはいたが、弦十郎の行きつけの店は喫茶店nascitaだった。

 その声で弦十郎の後ろにいる響を見つけ、飲んでいた缶コーヒーを噴き出す惣一。

 まあ、今日は平日、金曜日の昼下がり。

 普通ならまだ学生は学校にいると思うだろう。

 

 

 

「うそーん!? ダンナと響ちゃんってば知り合いだったのかよ!?」

 

「ああ。少し前、修行している彼女と知り合ってな。今は響くんの師匠をやらせてもらっている」

 

「し、師匠?」

 

「うん。わたしに武術を教えてくれる師匠だよ!」

 

 

 

 はたして響に武術の趣味でもあっただろうか、と考えこむ惣一。

 確かに響は今まで、なにかを特別頑張るといったことはしてきていない。だから不審に思ったのだろう。

 しかしそれも一瞬、惣一はかけていた丸いサングラスを外し、真っ直ぐに弦十郎を見つめた。

 

 

 

 

「まあ、ダンナが響ちゃんの師匠ってのは本当みてえだし? あんまり心配はしてねえけど。

 

 ────でもダンナ。これはただの独りよがりかも知れねえけどさ。俺にとって響ちゃんは、もう一人の娘みたいなもんだと思ってる。

 なるべくお手柔らかに頼むぜ?」

 

 

 

 

「────ああ、必ず。約束しよう」

 

 

 

 まさか、ここまで響のことを想ってくれていたとは。

 響も惣一のことは恩人というだけではない、()()()()の父親のようなものだと密かに思っていた。

 《あの人》も惣一のようであれば────と頭をよぎる。

 

 いつになく真剣な表情の惣一に、弦十郎もまた、ノイズ発生に対処しているときのような表情で応える。

 数秒の沈黙。

 それは惣一の笑い声と、朗らかな笑みで打ち砕かれた。

 サングラスをかけ直し、

 

 

 

「だったら安心だ! にしても、弦十郎のダンナと響ちゃんが知り合いだったとはなァ」

 

 

 

 先ほどからずっと惣一は弦十郎のことを「弦十郎のダンナ」と呼んでいる。

 それに惣一の「久しぶり」という言葉に一切違和感を覚えていなかった弦十郎。

 そして何より、このフランクな会話。

 二人の関係は一体どのようなものなのか。

 

 

 

「そういえば、師匠と惣一おじさんってどういう関係なんですか?」

 

「何年か前にここを訪ねてな。それ以来からの仲だ」

 

「要は常連だよ、ダンナは」

 

「えッ、惣一おじさんってわたしたち以外に常連いたの!?」

 

「いるに決まってんでしょうが!」

 

 

 

 初耳だ。

 今まで響や未来、最近よく来るようになった創世、詩織、弓美くらいしか二回以上来店する人間はいないと思っていた。

 確かにここの料理は絶品だ。しかしここは喫茶店、コーヒーを飲みにやって来る客も少なくない。

 だというのにあのコーヒーの不味さ。

 リピーターがつかないのも当然だと思う。

 

 

 

「……で、注文は?」

 

「そうだな……マスターのおまかせランチセット大盛りを二つ」

 

「待ってください師匠ッ! サンドイッチとナポリタン二つで!」

 

「なんで止めたんだよ!」

 

 

 

 後に聞いたところによると、弦十郎は基本仕事終わりの夜にしか店に入らないらしい。

 ナシタの「マスターのおまかせランチセット」はサラダとランチメニュー一つ、それと────惣一のオリジナルブレンド「ナシタで何シタ?」が含まれているセットだ。

 初見だと間違いなく引っかかる。

 なにせメニュー一覧の商品画像にはコーヒーでなくオレンジジュースが写っているからだ。

 

 写真の右下をよく見ると、

 *写真はイメージです。

 と書かれているのを見逃してはならない。

 ランチセットなのだから当然だが、夜にはやっていない。だから弦十郎も引っかかりかけたのだろう。

 

 

 

「さあさあ早く惣一おじさん!」

 

「ったく、分かったよ! 作りゃあいいんだろ作りゃあ!」

 

「すまない響くん。危うくコーヒーを頼んでしまう所だった」

 

「うそーん!? ダンナまでひどい!」

 

 

 

 頭を抱えながら厨房へと戻り、調理を始めた惣一。

 少し気の毒に思うが、これも敬愛する弦十郎(ししょう)のためだ。

 仕方なかった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「……さて、マスター」

 

「ん?」

 

 

 

 食事に舌鼓をうった後、響に先に二課へ戻るよう伝えた。

 積もる話でもあるのだろうとでも思ったのか、響は「ゆっくりしていってください」と言い残した。

 そう勘違いしてくれた方がこちらとしてもありがたかったが。

 

 今から真剣な話をするのだと、そう感じ取ったらしい惣一はカウンターから椅子を持ってきて、厨房に置いた。

 話を聞く準備は整った、そう目で伝えてくる。

 

 頷き、口を開き始める。

 こんなことを相談できるのは惣一の他には、自身が調査するよう命じた慎次くらいしかいない。

 慎次も扱いとしては部下のため、「二課の司令」ではなく「風鳴弦十郎」として話せるのは惣一だけだ。

 

 とにかく、意見が聞きたい。

 弦十郎が思っていることが正しいかどうか。

 

 

 

「例えば、マスターが一つの組織の長だとしよう」

 

「そりゃまた随分なご身分だな」

 

「そこで、もし信を置いていた仲間の裏切りが発覚した時……マスターならどうする?」

 

 

 

 無関係の惣一に内部の情報を漏らす訳にはいかない。

 少しだけぼかして説明する。

 もし弦十郎の推測と慎次の報告が正しいのなら、"彼女"が今回の事件に間違いなく関わっている。

 

 それに、そう考えるとネフシュタンの鎧を銀髪の少女が鎧っていたこと、さらにはかつて失われた第二号聖遺物の件に関しても全て辻褄が合ってしまう。

 それでも弦十郎は"彼女"を信じたいと思っている。

 

 

 

「ダンナはどうしたいんだよ?」

 

「……俺は、彼女を信頼している。同僚としても、一人の友人としても。だから信じたいと思っている。

 しかし組織の長として、背信行為を行っている者を見過ごす訳にはいかん」

 

 

 

 少し考えると思っていたが、弦十郎の問いに惣一は即答した。

 

 

 

「そりゃあ、だったら信じ抜きゃいいんじゃねえの?」

 

「信じ抜く?」

 

「ああ。ダンナはそいつのこと信頼してるんだろ? だったら、そいつが道を踏み外す前に殴ってでも止めりゃいいじゃないの」

 

「いや、しかし俺は……」

 

「大事なのは、今だろ。ダンナが本当にそいつを信じてるなら、きっとその想いってのも届くはずだ」

 

 

 

 惣一の言葉は力強かった。まるで自分が経験したことのように語る。

 あまりに楽観的な答えだった。

 しかし、それが正しいのかもしれない。

 実のところ、弦十郎の答えはもう決まっていたようなものだったのだ。

 彼は"彼女"を信じている。それを泳がせ、決定的な場面で弾劾するか、今真意を問い、自らの信念に基づいて全力で"彼女"を止めるか、それだけの違いだった。

 

 しかし、答えは得た。

 やはり惣一と話して正解だった。

 

 

 

「────感謝する、マスター。お陰で迷いが吹っ切れた」

 

「これくらいお安い御用だって。それに、ダンナでも悩むことあんだなって知れたし」

 

「俺も人間だ、悩む事くらいあるさ」

 

 

 

 午後からはとあるデータの回収任務が控えている。

 そのためにも今の内から色々と準備をしておきたい。惣一に代金を支払った後、店を出る。

 自分では気づいていないが、今の彼は、今までにないほどの爽やかな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あのね響。流れ星の動画を取ってる事、響に黙ってるのすごく苦しかったんだ。

 

 響にだけは、二度と隠し事したくないな」

 

「わたしだって……未来に隠し事なんて、しないよ」

 

 

 

 時は流れる。

 陽だまりを護るためについた嘘は次第に、しかして確実に剥がれていく。

 それだけではなく、赤い蛇の仕掛けた毒牙もゆっくりと近づいてくる。

 全てが暴かれる、その時は近い。


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