【祝・完結】 月姫 弓塚さつきルート MELTY BLOOD ~memory of Rhododendron~   作:風海草一郎

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 さっちんの枯渇庭園については完全に筆者の妄想です。まじで本編だとどうなるのか気になります。


第十章 後半 枯渇庭園

 さつきが紡いだ言の葉をトリガーに世界は一変する。

 現出するは広大な平原に咲き乱れる皐月の花々。

 その様は鮮やかな貝殻を無為に集めて散らしたように、軽く爽やかに広がっていた。

 鮮やかなカーマイン、艶のある練色、清純なスノーホワイトに、奥ゆかしい薄色。

 雲一つ見つからぬ晴れ空は生命に息吹を与え、皐月は己の生命を輝かせる。

 吹き抜ける風は清廉で、魂を洗い流していくよう。

 青々とした草の匂いは花の力強さを訴えかけ、同時に脆く儚いイメージを抱かせた。

 ざあ、と風が吹けばそれに幾ばくかの花弁が巻き込まれ、流れて行く。

 どこまでも続く清楚にして凄艶な花園は、現世に写し出された幽世を想わせる仮初めの幻想。

 アルクェイドは舞い散る花びらを一枚掴むと、感心したように呟いた。

「……驚いた。まさかあなたみたいなぺーぺーの新米吸血鬼が固有結界まで使いこなすなんて。二十七祖に匹敵するポテンシャルよ」

「まだ驚くのは早いですよ、アルクェイドさん」

 さつきが顔を歪めると、庭園は反転する。

 あれほど若々しく生を謳歌していて花々が、突如として色を失いだした。始めは色褪せ、薄くなり、一様に枯れた柴色となったかと思えば、煤けた墨色となる。

 活力を吸い尽くされた花々は渇き切り、冷たく吹く風によって灰と散った。

 空は鈍色の雲で覆い尽くされ、太陽をすっぽりと覆う。

「…………!」

 アルクェイドは重く伸し掛かる重圧と、抹消から零れていく生命力に眉根を寄せる。

 空間が渇くような感覚からして大気中のマナが吸い取られているのは見て取れる。しかし、全身の皮膚から活力を奪われ枯らされるような具合から、体内のオドも吸収されているようだ。

「この空間の中では私が支配者。鼠にだってプライドはある。あんまり軽く見てると怪我するよ」

 挑発的な物言いにもアルクェイドは動じず、無造作に腕を振るった。

「――――」

 しかし、その手は空しく空を斬るだけで、魔力を込めた衝撃は発生しない。まるで出発点から霧散するように、消えていく。アルクェイドは試すように二度三度、同じように腕を振り回したが結果は同じだった。

「無駄よ。ここではマナやオドを使った攻撃は一切通じない……。形勢逆転だねお姫様」

「言ってくれるじゃない。確かに色々と制約の付きそうな固有結界だけど、これでどうするつもり?」

「こうするの」

 言うがいなや、さつきの姿が視界から消えた。アルクェイドは反射的にしゃがみ込み、頭上から数秒遅れてやって来る拳圧が、さつきの拳が空振りしていたのを知らせる。

「シッ!」

 しゃがみ込んだアルクェイドに追い打ちをかけるようにローファーの先でトーキック。アルクェイドは後方宙返りでそれを難なく躱し、重力を感じさせぬ足取りで着地する。

 さつきは地面を抉るように飛び出し、アルクェイドの顔面めがけて突きを放つ。

 左ジャブ右ストレートのワンツーから、左ボディ左アッパーカット。

 スウェーバック、ステップバック、サイドステップ。

 さつきの息もつかせぬ豪打を、アルクェイドは蝶が舞うように優雅に躱す。

 さつきが打てば、アルクェイドは回る。二人はくるくると入れ代わり、演舞する。

「ははっ! 付け焼刃のボクシングにしては上等よ! 怖い怖い!!」

「――――ッ!!」

 さつきは容赦なくストレートで顎を狙い、肝臓を破裂させる勢いの左ボディ、右フックでテンプルを打ち抜こうとする。しかし、アルクェイドは鼻歌交じりにパリングでさつきの拳を払いのける。

 さつきの猛攻は意思を持った暴風雨。それをアルクェイドはワルツを踊るように軽やかにやり過ごす。

 さつきは徐々に苛立ち、額に汗が滲む。

 早く、早く決着を付けなければ。

 元より、純粋なスペックで勝てるなどと思い上がってはいない。枯渇庭園は言ってみればマナやオドを消失させる事により、大抵の超常現象を封殺するためのものだ。相手を弱体化させ、自分の得意なフィールドに引きずり込むのがこの固有結界の真骨頂。

 これを使えばあるいは、それがシオンと秘密裏に行った特訓で見つけた真祖に対する唯一の勝機。

「あはははは! 当たらなければ扇風機。涼しくていいわ!」

 それでも届かない。

 さつきの表情には焦りが色濃く表れ、攻撃も単調で大振りなものとなる。コンビネーションを失った打撃は精緻さを欠き、乱雑に振るえば隙を生み出す。

「はあああああああああっ」

 裂帛の気合いと共に、さつきは大振りのハンマーフック。アルクェイドはダッキングでそれをやり過ごし、ガラ空きになった腹部へ貫手を放とうとすると、

「……あらっ?」

 ガクリと、右半身が落ちた。違和感のした足元を見ると、抉れた地面に右足がはまっていた。その穴はさつきが不自然なほどに強い踏み込みで開けたものだった。加えて、自身の反応が徐々に鈍っていたのもあるだろう。

 ――これを狙って?

 振り返るとさつきの右拳は装填完了していた。一撃で仕留めるために振りかぶり、審判を告げる悪魔のように微笑む。

「これがわたしとシオンの力よ。覚えておいて。鼠だって命を捨てる覚悟があれば猫くらい食い殺すの」

 ドオッ! という衝撃が頬骨にめり込み、一瞬、アルクェイドの端正な顔がひしゃげると同時に後方へ吹き飛んだ。

 吸血鬼の膂力を最大限に活用した、全力攻撃。

 その勢いは地面を削り、土ぼこりが舞い上がり、五転六転もんどりうってようやく止まった。

 すると、徐々に荒れ果てた空間が崩れ始めた。沈み込むような黒と枯れた茶色のみで構成された殺風景な空間は溶け落ち、壊れ、消えていく。

 さつきの魔力が枯渇すると同時に、舞台は再び閑静な公園と転じた。

「――うぐぅっ!?」

 幻想の消失と共に、さつきの全身に激痛が走った。精神性の脂汗がベッタリと身体中を流れ、ナメクジのようにぬめる。リミッター解除の反動が来たらしい。強い力にはそれなりの代償が伴うとシオンが言っていた意味をさつきは身をもって理解した。

 およそ百メートル近く飛ばされたアルクェイドは仰向けのまま微動だにしない。

 見れば志貴はシオンを介抱しており、志貴に肩を貸してもらいながら何とか立ち上がる。さつきの帰還を確認したシオンは安堵の笑みを浮かべる。

「……さつき? やりました?」

「うん。ぎりぎりだったよシオン。でもやっぱ、リミッター解除は奥の手にしよう……」

 さつきもシオンの無事を喜ぶが、志貴は浮かない顔。さつきは複雑そうに、アルクェイドの転がる方向へ視線を投げる。

「とりあえず、アルクェイドさんを拘束しよう、シオン。あの人は嫌がるだろうけど、拒否なって絶対させない。責任を取るまで私は何度だって打ち倒してやるんだから」

 さつきは確固たる意志を滾らせ、気を失っているであろうアルクェイドの元へ歩を進めようとする。

 これが追い詰められた鼠の一噛みだ。例え絶対強者にとって、どれだけ取るに足らない存在であろうが、何度でも立ち上がり噛みついてやる。

 さつきがアルクェイドを引っ張り起そうと近づいたその時。

 

「ん――、まあ、半人前ならこんなものかなあ」

 

 と、能天気な声が耳に飛び込んだ。

 よっと、という掛け声と共にアルクェイドは起き上がり、身体についたほこりをはたく。

「効いて、ない……?」

 さつきは呆然として、震える口を動かすが言葉にならない。志貴とシオンも驚愕を顔に張り付け、平然としているのはアルクェイドだけであった。

 アルクェイドは血の混じった唾液を地面に吐き捨て、嘆息する。

「いやいや、結構効いたわよ。奥歯が一本ぐらぐらするもの。これじゃあ再生させるために抜かないといけないじゃない。どうしてくれるのよ」

「奥歯一本……」

 アルクェイドは自宅周りを散歩でもするかのような気軽さで歩きながら近づいてくる。さつきはそれに合わせるように後ずさり。

 アルクェイドが一歩動けば、さつきは三歩下がる。

 アルクェイドが三歩進めば、さつきは十歩後退する。

 激憤で蓋をしていた恐怖が暴れ出し、飛び出そうとするのをさつきは矜持でかろうじて抑え込む。

 慄然とするさつきの畏怖を見透かしたように、アルクェイドは追い詰める。

「――窮鼠猫を嚙む」

 アルクェイドはさつきの言葉を反復する。さつきはビクリと肩を震わせ、身構えた。

「言い得て妙ね。確かに私も噛まれてちょっと痛かったわ」

 けどね、とアルクェイドは言葉を止めて、殺気を膨らませる。

 

「身の程も弁えずに獅子に噛みついた鼠なんて、食い殺さるのが道理でしょ」

 

「さつきいいいいいいいいいいいい!!!! 逃げてくださあああああああいいいいいいい!!!!」

 シオンの絶叫じみた悲鳴が響くも時既に遅く、瞬時にアルクェイドは肉薄する。アルクェイドの手刀がさつきの肩へ吸い込まれるように振るわれる。

さつきの右手は宙を舞っていた。

「――――あ」

 血飛沫をあげながら落下した己の右手を見て、ようやく脳は事態を正しく認知した。遅れてやって来た激痛のシグナルは神経を焼き切り、シナプスをスパークさせる。

「あっあっあっ……、があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっっ!!!!!!!」

 噴水のように溢れ出る自信の肩口を左手で押さえながら、さつきはのたうち回る。

 傷口は痛みを通り越して燃えるように熱く、生命が流れ出るのを、力の抜けていく四肢が伝えてきた。

 血泡を飛ばし、セーターが泥まみれになるように地面を転がりながら、獣じみた絶叫を挙げ続ける。

 大地に爪を突き立て、がりがりと爪が剥がれるほど強く掻きむしった。

 アルクェイドは既に手負いとなった獲物を睥睨し、無造作に蹴り飛ばす。

「がっ!」

 アルクェイドのつま先はさつきの水月を正確に捉え、ゴムボールのように転がされる。

「ぶえっ、ぶえっぶええええええええっ!!」

 内臓がひしゃげ、胃からせり上げてきた夕食をすべてぶちまけた。げえげえとさつきはえずき、口元を押さえるも吐瀉物は滝のように噴出される。

 ようやく全てを出し切り、涙で霞む視界を挙げると横から衝撃。

 横っ面を蹴られた。と思った瞬間、アルクェイドの靴底がさつきの喉を踏みつけた。喉元にかかる重圧は首ごと捩じ切りそうなほど強い。

「がっぐっううううううう」

 さつきはアルクェイドの足首を掴み、抵抗するが全く動かない。

 抜き身の刀じみた殺気を差し込まれ、さつきは自分の命が風前の灯であるのを本能で理解する。もしアルクェイドはあと少し、力を込めれば自身の脆い首など紙細工を砕くより容易く潰れるだろう。

「やめろアルクェイド!」

「お願いです! 先程の無礼なら詫びます! ですからさつきを殺さないでください!!」

 制止する志貴に冷徹な表情で一瞥するも、アルクェイドは一層、足に力を込める。

「卓越した思考速度で敵の行動を予測しするアトラス院の錬金術師に、固有結界まで操る死徒、かあ……。確かに厄介だけど、覆せない確率はどうにもならない。難破すると解っている船に乗った人間に助かる術がない様にね。本来、私とアナタたちの戦いはそういう事よ。アナタが私の何を予測し、対策を立てたところで対抗手段なんてない。私とあなた達では文字通りケタが違うの。小細工でひっくり返るようなものじゃない」

「一体どうしたんだよアルクェイド!? 今日のお前、何かヘンだぞ!? もとから冷酷なところはあったけど、そこまでするようなヤツじゃなかったろ!!」

「別に……。気に入らないヤツに絡まれてイラついていたところに、志貴が嫌いなタイプの女を二人も連れて現れるんだもん。殺したくもなるわよ。ていうかさあ」

 アルクェイドはさらに眼光を鋭くしてさつきへ吐き捨てる。

「そもそもアンタ生意気なのよ。生きていても死んでいても私の志貴を独占しようだなんて」

 ぐん、とアルクェイドはさらに力を込めようとした時、背筋に冷たい汗が流れた。

「――頼むアルクェイド、やめてくれ。それ以上やるなら本気で怒るぞ」

 志貴は眼鏡を外し、青白く発光した瞳で怒れる獅子を睨み据える。

「…………」

「…………」

 二人は無言で睨みあう。志貴の殺気はと陽炎のように揺らめき、アルクェイドの全身を包み込む。実のところ、アルクェイドにもそれほど余裕は無かった。さつきの固有結界は相当厄介な部類であり、力を二割近く削がれた状態で本気の志貴を相手にしては負ける可能性もゼロではない。

 アルクェイドはしばらく志貴と睨み合いを続けていたが、やがて譲歩するようにさつきの首から足をどけた。

 咳き込むさつきへシオンが駆け寄り、傷を見る。

「綺麗に切断されている……。さつき、これならすぐにくっつきます。良かったですね」

「ゲホッ、ゲホッ……。あんまり良くないような気が……」

 赤い筋肉と黄色の脂肪がむき出しになった切断面にシオンが触れると、さつきはうめき声をあげる。シオンは舌を噛まないようにハンカチをさつきの口元へ運ぶとさつきはやや遠慮がちに咥えた。

 シオンは手慣れた風にエーテライトで神経と筋肉を接合していく。さつきの事も気がかりだが、エーテライトはもともと医療用の道具だと言っていたので大丈夫だろう、と志貴は判断した。

「……アルクェイド、お前本当にアルクェイドか? これはお前がやったのか?」

 志貴は目の前のアルクェイドを、自身の記憶と照らし合わせながら尋ねた。未だに死体の山はむせ返るような血の臭いを放っている。

「それはこっちのセリフよ。あなたこそ本当に志貴? 人をこんなところまで呼び出しておいて二人も女を侍らせて……。まさか、やっぱり偽物?」

「それこそ俺のセリフだ! この死体の山は何だ!? お前、アルクェイドの偽物か!?」

 志貴は死体が折り重なって積まれた歪なタワーを指さし、興奮気味に叫ぶ。しかし、アルクェイドは涼しい顔で遺骸を見つめるのみ。

「死体の山ってこれのこと? これなら私がやったんじゃないよ。だって今の志貴が来る前に私が公園に着いた時に志貴が殺していたんだもん。私からすれば志貴だって偽物みたいなんだから」

「え……? お、俺が!?」

 志貴は自分を指さし仰天する。無意識に人を殺しそうになる前科があるだけに完全には否定出来ない。自身の記憶に自信の持てない志貴はひどく狼狽する。

「困った事に私たちみんなアイツの影響を受けているようね。志貴も気を抜いていると、本当に殺人鬼になっちゃうわよ」

「??? 殺人鬼になる……って? どういう事だ?」

「良くない不安を実行してしまうってコトよ。もっとも――こんなんじゃ殺人鬼とはいえないけどね!」

 アルクェイドは辺りに転がった適当な生首を蹴り飛ばした。バウンドして自分の足元まで転がって来た死体の濁った瞳と目が合って、志貴はぞっとした。生命として完全に渇き切った虚ろな表情は、生理的な恐怖を与える。

「なっ、何をするんだアルクェイド! 遺体を粗末に扱うな!!」

「あは、志貴ったらまーだ騙されてる」

「騙されてる?」

 志貴は再び足元の生首を、目をすがめて注意深く観察した。

 すると、何か視界にかかっていた靄が晴れるような感覚の後、人間の頭部はいつのまにかただのゴミ袋へ姿を変えていた。志貴は目をこすり、先程までは確かに死体と見えたものはゴミ袋に、飛び出した眼球はちり紙に、血と錯覚していたものは茶色の汚水と化していた。

「あれっ? さっきは確かに」

「ほーら騙された。志貴は人より嫌な経験をしているから、現実化させやすいのよ」

「ごめんアルクェイド……。さっぱり意味が分からない。つまりどういう事なんだ?」

「そんなの決まっているじゃない。吸血鬼の仕業よ」

 決まり切った事を聞くな、とでも言わんばかりにアルクェイドは断言する。

 志貴は突如として当初の目的がここで繋がる事に驚く。

「それって、街で噂になっているアレか? シエル先輩も言っていたけどお前も……」

「なあんだ、シエルにもう聞いていたの? でもそれじゃあおかしいわね。そろそろアイツが現れてもいいころなんだけど――」

 言いかけてアルクェイドは顎に手を当てて考え込む。

 ――私がいる事で決めかねている?

 馬鹿ね、とアルクェイドは呟いた。あのタタリという性質上、乗っ取りや具現化など容易いのだろうが、欲をかきすぎたところで自滅するだけだ。

 とは言え、不完全ながらも自分(アルクェイド)をタタリとして固定したなら、街一つ壊滅させることなど造作も無いだろう。ならば、見過ごす事も出来ない。

 アルクェイドは一人納得した風だが、志貴はまったく全容が見えない。

「アルクェイド、俺にも分かるように説明してくれないか?」

「そこの錬金術師に聞いたら? 私より詳しいわよ、なんたって当事者なんだから」

「!!」

 アルクェイドに指摘されて、シオンは後ろ姿を強張らせたように見えた。さつきの手当てのために手を休める事は無かったが、耳を欹ててはいたらしい。

 続けろ、とその背中は語っていた。

「シオンが当事者? なあ、シオン。それってどういう意味だ?」

「…………」

 シオンは無言でさつきの腕を縫合している。糸で皮膚が引っ張られた跡が目立つが、腕を繋げる事には成功したようだ。さつきも目を閉じて、呼吸は落ち着いている。

「ほーらね。嘘ばっかりついてるくせに協力はさせるなんてズルイ女。ホントはそんな女殺しておきたいところなんだけど……志貴は邪魔するでしょ?」

「ばっ、当然だろ! どうしてお前はいつもそう物騒な方向へ話を持っていくんだ!?」

「ほらね。だから今夜は見逃してあげるわ錬金術師。じゃあね志貴。殺人鬼になっちゃってもご飯の約束は忘れないでよ」

 予想通りの答えにアルクェイドは肩を竦めると、お開きとでも言うように外灯へ飛び移った。振り向きざまに悪戯猫のような笑みを浮かべて去って行った。

 志貴が引き止めようとするも、アルクェイドは木々の間を飛び移りながら風のように去って行った。

 志貴はシオン達の元へ近づき、さつきの容態を確かめる。シオンのエーテエライトによって今は眠っているらしい。血や汚物で汚れているが、落ち着いた表情で静かに寝入っていた。シオンはさつきを近くの木に、背中を預けさせるようにして座らせた。

「……シオン。聞いてただろ? アルクェイドが言っていた当事者ってどういう意味だ? 街の噂の吸血鬼についても本当は知っているんじゃないのか?」

「隠していたわけではありません。街の噂については志貴と同程度の知識しか有していませんが……。この街に潜伏する死徒がどのようなモノであるかは――そう、熟知しています」

 やっぱり、と志貴は眼鏡のブリッジを押し上げる。シオンの言動は明らかに噂の正体について心当たりがあるとしか思えなかった。この後に及んで情報を出し渋るシオンに、さすがの志貴もムッとした表情を作る。

「志貴は噂の吸血鬼を捜していただけなので、正体を知る必要は……」

「大アリだよ。俺は正体を探るだけじゃなくて、場合によってはソイツをどうにかしないといけないんだ。事前にソイツの情報があれば対抗策だって立てられるだろ」

「……一理あります。本当はアレにあまり関わって欲しくないのですが、必要以上の隠し事はしたくないので教えましょう」

 シオンは淡々と噂の吸血鬼について語りだした。

 真祖や代行者が捜している噂の元凶である死徒。

 その死徒は『ワラキアの夜』と呼ばれる主体性の無い吸血鬼。

 呼び名の通り『祟り』とは強い不安、一般性を持つ噂を現出させる呪いであり、『タタリ』は『祟り』を文字通り具現化する。

 それは一種の固有結界であり、タタリのそれは周囲の人間の想念をカタチに一夜限りの条件を持って発現する。

 タタリの発生には不吉な噂の存在が必要不可欠であるが、無から有を生むより有を害に変える方がより祟りにふさわしい。

そういった面で、人々が不安を感じる事件が実際に起きた三咲町は絶好の舞台である。

「永遠に近い時を生きる死徒は、全ての事に飽いていきます。中でも吸血行為にルールを敷き、それを守る事によって単なる摂食を娯楽にまで昇華しているのです」

「娯楽か。胸クソ悪いな」

 侮蔑を込めた志貴の言葉にシオンは心から同意した。

「タタリにとって自らが現れると決めた街は、言ってみれば一つの舞台。既に観客は集まり始めています。もし、客席が満席になりでもすれば」

 そこでシオンはつばを飲み込み、重々しく口を開いた。

「朝までに大量の犠牲者が……。いいえ、濁すのはやめましょう。恐らく三咲町の住人は全滅します。観客全員が信じた悪い噂によって。なぜなら」

「……なぜなら?」

「自らが思い描く悪夢に対抗策などあるはずが無いのです。対抗策が思い浮かぶのならば、それは悪夢たりえない。自分の描く、自分ではどうにもならない悪い噂によって、人々は殺されるのです」

「――――」

 志貴は絶句し、その光景を鮮明にイメージし青ざめた。

 一面に広がる血の海の中で、無言で横たわる人、人、人――

 ネロ・カオスがホテルを襲撃した時の比ではない犠牲者が出る事は想像に難くなく、一夜にして死の街と化した場景が浮かぶ。

 抗えないからこそ悪夢。ゆえに想像によって創造される悪夢に抗えるはずがない。

 額から流れる汗を拭い、志貴は神経を張り詰める。その志貴の緊張を知ってか知らずか、シオンはさらに志貴が固まるような事を口走った。

「志貴、あなたはその観客の中でも主賓扱いでしょう。ですから志貴が不安に思う事がタタリになりやすいと言えます」

「……? 何で俺の不安なんかが?」

 シオンは言いにくそうに頬を染め、もじもじと身体を揺らしながら答えた。

「以前も言いましたが志貴がその……。真祖の恋人であって、寵愛を一身に受けているのでしょう?」

「寵愛!? ねえ、それって前もうやむやにされたけど、一体どういう事――」

「話がややこしくなるので眠っていてください」

 さつきがガバッと起き上がると同時に、シオンのエーテエライトがさつきの額に刺さる。逆再生のようにさつきは再び寝かされた。

 志貴はビクビクと痙攣するさつきを心配そうに見つめるが、話を戻す。

「確かに俺はアルクェイドを良く知っているけど、それがタタリにとって何の関係があるんだ?」

 自明の理です、とシオンは人差指を立てて、学生に講義するように続ける。

「この街で考え得る最凶のタタリとは? 見境を無くした真祖でしょう。タタリそのものが狂った真祖の姿を纏うより、真祖そのものに取りついたほうが効率が良いのです。それを可能たらしめるのに利用しやすいのが、あなたの持つ正確なイメージです。具体的なイメージを伴う志貴の不安は、タタリにとって利用しやすいのです。」

 志貴はそこで「ああ」と合点がいったように口元を引き結んだ。

 自分は多くの血や人の死といったものを実際に多く目の当りにしている。シオンは無を有にするより有を害にする方が祟りにふさわしいと言った。ならば、架空の存在を想像するしかない人々より、はるかに形にしやすいイメージを自分は持っているのだろう。

 ならば、と志貴はより最悪なイメージを連想する。

 己が体内に666の獣を内包する混沌、他者の命を刈り取るためだけに生まれ落ちたような殺人鬼。

「じゃあ何か、おれがアイツやアレを不安に思ってしまったら――」

「――アッ、あっ、ああああああああああああああ!!」

「さつき!?」

 志貴が言いかけると、突如さつきが体を抱くようにして苦しみだした。見れば顔は熟した林檎より赤く染まったかと思えば蝋のように白くなるのを繰り返す。

 さつきは前のめりに倒れ込み、荒い呼吸を繰り返す。その姿は熱病に冒されたようにも、凍死寸前まで冷え切ったようにも見える。

「ッ!? どうした!? もしかしてアルクェイドにやられた傷か!?」

「分かりません、ですが早くどこかで安静にしないと!」

 シオンはさつきを抱きかかえ、切迫した表情で叫ぶ。

 とりあえず俺の屋敷で休ませよう。と志貴は提案すると、シオンは力強く頷いた。

 

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