【祝・完結】 月姫 弓塚さつきルート MELTY BLOOD ~memory of Rhododendron~   作:風海草一郎

13 / 29
第十二章 眠り姫の決意

 安らかな寝顔はとても穏やかで、彫刻のように美しい。まるで眠るように息を引き取ってしまったのかと錯覚するが、胸の上の毛布が静かに上下するのが彼女に息があるのを示唆していた。

 シオンはさつきの容態を見るために、さつきの部屋を訪れていた。

 眠り姫の容態は琥珀の適切な処置のおかげもあって、安定していた。これならばしばらくは持つだろう。

 シオンはポケットをまさぐり、エーテライトとバレル・レプリカの感触を確かめる。これは一種の御守りだ。

 そっと、シオンは指でさつきの頬に触れた。あの不摂生な路地裏生活にも関わらず、きめ細やかで美しい肌は年頃の少女そのものだった。気付けば、さつきの肌は小刻みに痙攣しているように見えた。しかし、すぐに気付く。

 それはシオンの身体の震えだった。

 ――私は嘘つきだ。大嘘つきだ。

 全てを捨てて、皆を欺き、それでもここまでやってきたというのに。

 シオンはさつきとの思い出を振り返る。

 寝床を求め、深夜の公園で野犬たちと縄張り争いで勇敢に戦った事。

 高級レストランの裏ではわりと状態の良い残飯が捨てられると気付き、毎晩漁りにいったら周囲の飲食店にブラックリストが出回った事。

 夜中にうろついていたら、立ちんぼと勘違いされ、下心丸出しで近寄って来た中年男から必死に逃げた事。

「…………アレ?」

 シオンはこめかみを押さえた。どうにも苦い思い出が多い。

「ま、まあ良い思い出もあります」

 黴臭いダンボールハウスで肩を寄せ合って寝た事や、私の誕生日にさつきがケーキ屋のゴミ箱から拾ってきたケーキで祝ってくれた事。

 住めば都。ダンボールも大豪邸である。夏はサウナで冬は冷凍庫でも、私にとってはどんな高級ホテルのスィートルームでも及ばないだろう。

 苦しい思い出も過ぎ去れば昇華される。ならば、この後の事もいつかは良い思い出に変貌するのだろうか。

 シオンはそこで思考を断ち切り、さつきから指を離した。シオンは背を向けて、そのまま立ち去ろうとする。決意が鈍らぬように、さつきの顔を見ずに、別れを告げた。

「――さようなら、さつき。ゆっくり休んでいてください。大丈夫、目覚めれば全て終わっていますから」

 そう言ってシオンは歩を進めようとして、複の裾を掴まれた。

「もう、ずるいよシオン。そうやってまた一人で全部抱え込んで」

「…………さつき。危険ですのであなたは安静にしていてください。大丈夫、ただ水を飲みに行くだけです」

「ぜーんぶ聞こえてたよ。シオンが何かを抱えてるなんて、みんな気付いているもん。ねえ、シオン。私はシオンが何かを隠しているなんて、全然気にしてないよ。だって友達だもん。だからね、全部話してくれなんて言わない。だから、何も言わずに私にも手伝わせて欲しいな」

 シオンは振り返らない。拳をぎゅっと握りしめて、何かに耐えるように唇を引き結ぶ。

 固く固く引き結ぶ。

 だって、だって。もし少しでも気を抜いてしまったら、きっと私は笑ってしまうだろうから。

 この胸から溢れる感情は歓喜だ。偽りの自分で友人すらも欺く自分を信じてくれる存在がいる事に、シオンは感情に蓋が出来ない。

 シオンはそんな感情の高ぶりを悟られぬよう、背を向けたままだ。

「さつき、私はワラキアと決着をつけなければなりません。そのために私は来たのだから」

「……それって、私の吸血鬼化の治療に関係あるの?」

「はい。それはとても大きな一歩になります」

 力強い口調でシオンは断言した。

 さつきはシオンの背中に滾る、熱い闘志のようなものを感じた。氷のような理性に包まれた燃え盛るような激情。

 そう、とさつきは呟いて、立ち上がる。

 病み上がりにも関わらず、足取りはしっかりとしていた。腕を大きく伸ばして、翡翠が新調してくれた制服を手に取った。パリっとノリのきいたシャツも、柔軟剤でふんわりとしたセーターも気持ちがいい。

 さつきはパジャマを脱ぐと、月明かりを頼りにテキパキと着替えを始める。さすがのシオンも目を剥き、動揺したようにさつきに声をかける。

「さつき? 何をしているのです?」

「何って決まってるじゃない。シオンと一緒に悪い吸血鬼をやっつけに行くんだよ。私も手伝うって言ったのもう忘れちゃったの?」

「いやいや。いやいやいやいやいやいやいや! さつきの方こそ聞いていなかったのですか!? 危険ですのであなたは安静にしていてくださいと言ったでしょう!?」

 シオンはさつきの肩を掴み、半ば強引にベッドに押し込めようとする。しかし、さつきはシオンの手を優しく外すと、あっけらかんと笑う。

「うん。あの冷静なシオンがそんな顔をするんだもん。相当危険な相手だっていう事は何となく分かるよ」

「なら……!」

「でもね、だからといってシオンを一人で行かせるわけにはいかないし、そもそもシオンが死んじゃったら、私を誰が治療してくれるっていうの?」

「それは……」

 痛いところを突かれた、という表情だった。

 確かに、シオンが死ねばさつきの吸血鬼化治療はいよいよ絶望的となる。万に一つの可能性が完全に摘み取られてしまうだろう。シオンにはさつきを説得させるだけの材料が無かった。

 シオンが口ごもるのを好機と見たさつきは畳み掛ける。

「シオン、私たちはもう一蓮托生なんだから、最後まで一緒だよ。私はシオンを信じるから」

「……だから?」

「――シオンも私を信じて」

「――――――――」

 シオンは深く目を閉じ、長い長い沈黙の後、

「――――分かりました。それならば最後までよろしくお願いします。さつき」

「――うん!」

 さつきは元気よく返事をし、慌ただしく制服を身に着けた。

 

 ○

 

 黄金に輝く月へ届きそうなほど高くそびえる摩天楼。

 無骨な鉄筋コンクリートのビルが立ち並ぶジャングルの中でも、一際存在感を示す一柱。

 神殿(シュライン)の名が指し示すように、周囲のビルを睥睨するような出で立ちのビルはどこか荘厳な趣がある。

 巨大グループがビル街の一角ごと買い占め、何百億という総工費をかけたおかげが一種の別世界じみていた。昔、ここにあった公園の面影など欠片も無い。

 来年完成予定のビルの周りには、深夜な事も相まって人影は見当たらない。ここに用があるとすれば余程の物好きか、自分達のように不法侵入を試みた輩くらいだろうとシオンは思った。

 さつきはおどおどと辺りを見回し、警備の人間が来ないか警戒を続けている。真祖に殴りかかった事があるくせに、そういった人間臭さが抜けていないらしい。さつきのそんな小市民ぶりにシオンは心で笑った。

「ねえシオン。屋敷を抜け出してきたのはいいけど、どうしてここなの? こんなところに人がいるとは思えないんだけど」

「『人』ならばそうでしょうね。ですが我々が捜しているワラキアは人が多いところではなく、人を一望出来る場所を好みます。ならば、三咲町で最も標高があるこの建造物の屋上にワラキアが現れると私は計算で導き出しました」

 そういうもんかあ、とさつきは納得したようなしていないような顔で頷いた。本日五度目の立ち入りを禁止する鎖をくぐり、シオンとさつきはシュラインの入口に辿り着いた。

 間近で見るとその威容さに気圧される。見上げればそのまま、のけぞって後ろに倒れそうなほど高く、神殿が看板負けしていない。

 シオンは入口のガラス製のドアに手をかける。

 途端、感じる異様な気配。肩は震え、足は竦み、本能が撤退を命じていた。

 薄い刃物で首筋を撫でられるような不気味な殺気に戦慄する。

 これより先は地獄の一丁目。この敷居を跨げば、自分は死地に足を踏み入れる。しかも何よりも大切な友人を引き連れて。

 シオンはごくり、と唾を飲み、最終確認を行う。

「さつき……。くどいようですが、本当にいいのですか? 私は確率で生きるアトラスの錬金術師です。私の計算式によれば、さつきが加わってくれたところで、私たちの勝率は数パーセントにも満たないでしょう。さつきからすればこれは前向きな自殺です。それでも行くのですか?」

「しつこいよシオン! 行くったら行くの! シオンが一人で戦おうとしている時に自分だけ寝てなんかいられないよ。布団を被って震えていたところで私に未来は無い。だったらシオンと一緒にその僅かな確率に賭けてみるしかないよ!」

 それ以上言葉はいらない、という風にシオンは頷き、ドアに再び手をかけた。

 幸い、鍵はかかっていなかった。おまけに電気は既に通っているようで、非常用の電灯もついており、エレベーターも動きそうだ。

 シオンは深呼吸して、肺胞の中を新鮮な空気で満たす。交感神経が活発になり、アドレナリンが恐怖を忘れるために多量に分泌されていくのが分かる。

 ワラキアの夜は不確定要素の塊。情報で戦う自分にとっては最悪の敵。アレと対峙するかと思うと思考は凍り付くのに、解の無い難題は脳は過負荷でオーバーヒートを起こさせる。

 しかし、覚悟はとうに決まっていた。

 もとより、自分の命など大した優先事項ではない。

 吸血鬼化の治療。この大望を果たすためならば、ワラキアの妥当は必要不可欠。

 ならば幾千、幾万のシュミレーションを繰り返し、必ず解に辿り着いて見せる。

 シオンが決死の一歩を踏み出そうとしたその時、

 

「こらそこの不良娘たち。不法侵入はいけないぞ」

 

 心に染み入るような声だった。

 心臓は早鐘を鳴らし、嬉しさや気恥ずかしさで頬は桃色に染まる。

 ああそうだ、とシオンは一人で納得した。もとより、彼はこういう人間だった。

 だからこそ私は――

「――志貴」

「遠野くん!? どうしてここに」

「どうしたもこうしたもないだろう。シオンがあんな思い詰めた表情でバレバレの嘘をつけば、誰だってこうなるって予想するさ」

「……バレバレでしたか?」

「心の機微に鈍い兄さんが気付くくらいですもの。演技の才能は無いようですねシオン」

 すっ、と志貴の後ろから秋葉が現れた。

 夜色に溶けるような黒髪を優雅に風に流し、秋葉は皮肉げに言った。

「秋葉まで……」

「何をいまさら驚くの? 元々、遠野家当主たる私の仕事。部外者であるあなた達に任せるわけにはいかないもの」

 そっぽを向く秋葉に志貴は微妙な表情を作る。

「秋葉が素直じゃないのは今更だけど、そういうわけで俺達も協力させてもらうよシオン、弓塚さん」

「うん、ありがとう遠野くん! 秋葉さん! 二人がいてくれれば百人力だよ!」

 さつきは喜色満面で応え、思わぬ戦力の増強に歓喜した。

 シオンは蒸気する頭で高速思考する。混血の鬼種である秋葉と直視の魔(ま)眼(がん)を持つ志貴。この二人が加わってくれるだけで、成功率は格段に上がる。

 それに、このパターンからはじき出されるルートにはさらに続きがある。

 シオンはその先を計算すると、思わず顔を地面に向け、こみ上げるものを必死に抑えた。

「弓塚さん、お節介は私たち二人ではないようですよ」

「……えっ?」

 秋葉は外灯を見上げ、つられて志貴とさつきも見上げる。

 そこには黒い法衣を纏った一人の女が立っていた。

 三人の視線を受け、シエルは苦い表情を作ると、観念したように地面に降りる。そのままカツカツとブーツの音を響かせると、シオンとさつきの元へやってきた。

「あの……」

「勝手な勘違いをしないでください死徒」

「まだ何も言ってませんよ!?」

 シエルは相変わらずさつきには厳しかった。またもぞんざいな対応をされてショックを受けるさつきを無視し、シエルはシオンに語りかける。

「秋葉さんではありませんが、これはもともと代行者である私の仕事。それを捕縛対象のあなたに横取りされたとあっては聖職者は名乗れません。なので、タタリは私の手で滅します。あなたは出来れば引っ込んでいてくれると有難いのですが」

 出現させた黒鍵をシオンへ挑発的に向けるシエル。

 もう限界だった。

 シオンの肩の震えは、ブランコのように徐々に揺れ幅が大きくなり、

「あはっ……! あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっっっっ!!」

 がばりと上を向いたかと思うと、シオンは腹を抱えて笑った。

 ばんばんと太ももを叩き、呼吸が苦しいのかヒイヒイと息を引きつらせ、目尻には涙を浮かべていた。

「なっ、何が可笑しいのですかアナタはっ!?」

「シ、シオン。どうしたの? 変なものでも食べた?」

 シエルは気味悪げに警戒レベルを引き上げるが、それは他の面々も同じだった。

 ――常に冷静沈着なシオンが笑い転げるだって?

 志貴は思わず後ずさりしそうになり、秋葉とさつきは目を丸くしていた。

 いまだ呼吸の整わないシオンは壁に手をつき、荒い息を吐く。

「ああ、ああ、ああ! そうでした。あなた達はそういう方達でした!」

「……?」

 志貴を含めた全員がシオンの奇行に驚倒しているが、シオンは全く気にしていない。

 憑き物が落ちたように、シオンの表情は吹き抜ける風のように穏やかだった。

 目じりの涙を拭うと、シオンは落ち着いた。

「そうでしたか代行者。ならば、ワラキアの討伐を頼みます。私も現場にいるかもしれませんが、私の事はどうかお気になさらずに」

「当たり前です! 私は私のために来たのであって、あなた達のためではありません! 勘違いしないで下さい」

「うわあ、テンプレだよう……」

「もう一週回って珍しいくらい典型的ね……」

「そこ、お黙りなさい!!」

 呆れるさつきと秋葉に、シエルはキシャーと威嚇の声を挙げる。

「はいはいみんな。取りあえず先輩も協力してくれるのなら心強いだろ。みんな立場の違いもあるだろうけど、ここは街の平和を守るっていう点は同じなんだから協力しようよ。ねえ、先輩?」

「う、その、遠野くんが言うなら……」

 シエルは屈託の無い笑顔を向けられると、照れたようにもじもじとさせる。秋葉とさつきは面白くなさそうだった。

 シエルは仕切り直すようにごほん、とわざとらしい咳払いをすると、腕を組んだ。

「とにかく、遠野くんの言う通り我々はタタリを滅ぼすという目的のみ一致しているようです。ですが、協力しあうのは御免ですから、みなさん私の邪魔だけはしないように――」

 シエルは言葉を止め、シュライン正面の遥か先、暗く、吸い込まれそうな闇夜を睨みつけていた。

 次に気付いたのは志貴と秋葉だった。夜の空気は一変し、流れてくるのは濃厚な死の匂い。ざっざっと聞こえてくる足音は十や二十では効かないだろう。

 隊列の揃わない足音はばらばらでいて、不規則の中に規則性がある。意思は無くとも目的は共通らしい。すなわち生者への嫉妬と執着。血の底から響くような足音は軍靴の群れで、不死者の行軍だった。

 ぼう、と暗闇から中年の男の顔が現れた。

 次は若い女性、壮年の男性から年端も行かない少女まで。

 年齢も性別も、老若男女区別なく、多種多様だ。共通するのは彼らが既に生物の系統樹から外れた存在である事。既に生きながら死んでいる事。

 やがて、月明かりが彼らの全容を照らし出した。

 幽鬼のように猫背でぶらぶらとやってくるそれらは、明らかにこちらを目指している。

 突如、頭の一つがはじけ飛んだ。

 司令塔を失った身体はぐにゃぐにゃと崩れ落ち、そのまま灰となって消える。

「――遠野くん」

 投擲の姿勢のままシエルは低い声で言う。

「どうにもタタリまで簡単には辿り着かせてはくれないようです」

「先輩、こいつらは――っ!」

「……ワラキアが露払いを始めました。あの悪趣味なヤツの事です、舞台に部外者を招き入れるのは我慢ならないらしいようです……!」

 志貴の質問にシオンが代わりに答えた。

「シオン!? ワラキアはまだ出現していないんじゃなかったの!? それなのにどうしてこんなに死徒がわらわら……!」

「いいえ秋葉。これはワラキアの配下ではなく、志貴のイメージによって生まれた死徒のタタリでしょう」

「えっ、じゃあアレは俺の!?」

 志貴は目を凝らして、こちらへやってくる死徒を睨む。微かに覚えがある顔がちらほら見えた。うろ覚えだが、アルクェイドを襲った死徒の中に居た気がする。

「兄さん! どうして死徒の事なんて考えるんですか!」

 余計な仕事が増えた事に、秋葉はまなじりを上げる。その数はさらに増え、ゆうに五十は超えていた。

 志貴は秋葉の抗議に弁明する余裕は無い。以前戦った雑兵の死徒など、心の隅にひっかかっていただけだ。ワラキアに主賓扱いされている自分の怖れは、想像以上に拾われやすいらしい。

 そこで志貴の思考はある事柄に帰結する。

 自分が抱くイメージの中で最も強烈でおぞましいものは何だったのか。

 志貴の記憶がフラッシュバックする。

 とある高級ホテルで起きた惨劇。

 異形の猛獣たちが一晩で宿泊客を惨殺した、なおも志貴の心を苛む事件。

 それを引き起こしたのは――

 

 ぬう、とそれは姿を現した。

 黒より黒く、夜より昏く。

 影と闇を混ぜ合わせ、全てを飲み干し、全てを取り込む混沌。

 二メートルに届こうかという巨躯に、筋骨隆々とした身体にはコート一枚。短い灰色の髪にどこまでも堕ちていきそうな濁り切った瞳。

「――ありえない」

 志貴は刃のような殺意を剥き出しにし、闖入者をねめつける。男はひどく無機質な表情で地獄から響くような声で答えた。

「……同感だ。だが、在り得ぬとは言え、存在するのなら是非もなかろう?」

 シオンは黒鍵を投げつけ、秋葉は略奪を発動させた。

 全身を串刺しにされ、焼け焦がされながらも混沌――ネロは続ける。

「ふむ、私の排除を優先させるか、賢明な判断だ」

 再び投擲。周囲の地面ごと爆散させる破壊力であるはずなのに、噴煙から現れるのは傷一つついていない。

「そして正論だ。タタリは街の人間を飲みつくすまで終わらぬが、その為には障害となり得る存在を排除する必要があると言う事か――。くだらん! 全くもってくだらんが……此処に在る以上は本能に従うまで」

「――遠野くん、あなたは先に行ってください」

 シエルは黒鍵を両手に構え、腰を落とす。

「……あら、それならお付き合いしますよ先輩。あなた一人では荷が勝ち過ぎるでしょう」

 秋葉はシエルの隣に並び立ち、髪を真紅に染め上げる。シエルは視線をネロから外さずに問いかける。

「いいのですか? お兄さんについていかなくて。ここは私一人で十分ですのであなたは遠野くんと一緒に行ってもよいのですよ」

「ご冗談を。すでに不死でなくなった先輩を心配して兄さんが集中出来なくなったら困りますもの。そういうわけで兄さん。ここは私と先輩で片付けますので、気兼ねなく行ってください」

「馬鹿な事を言うな秋葉! アイツを甘く見るな。あいつは俺が知っている中で最悪の敵に近い」

 志貴はナイフを構え、緊張で張り付く喉を懸命に動かす。

 今でも昨日のように思い出す。ヤツから放たれた猛獣たちの牙を、爪を、重厚な筋肉を。それらは文明の利器に毒されきった霊長類を易々と切り裂き、押し潰し、捩じ切る事を身をもって味わっていた。

「貴様も来るか、私の死よ。――よい。意趣返しは私の流儀ではないが、貴様が相手ならば私の無聊もいくらかは慰められよう」

「あなたの相手はこの私です」

 ゴウッ! と紅蓮の火柱が噴き上がり、周囲の死徒ごと空間が焼失した。

 焼け焦げた臭いが充満するが、混沌は再び形を成す。

「……どいつもこいつも反則のような存在ばかりですね。兄さん、なおさら行ってください」

「でも……」

 志貴は秋葉の背中を見つめ、どうするべきか思案する。

 秋葉の能力は強力だが持続性に欠ける。琥珀や翡翠がいない今、集団戦を任せるのは得策ではない。しかし、秋葉は志貴の危惧をよそに、連続して発火させる。秋葉は叫ぶ。

「行ってください兄さん!! どうせワラキアとかいう死徒もコイツと同じかそれ以上の化け物なのでしょう!? それならば兄さん、あなたにしか出来ない事なんです。……シオンの側にいてやってください。兄さんは兄さんのやるべき事をするべきです」

「……行きましょう志貴」

「――シオン」

 シオンは志貴の袖を引き、真っ直ぐに見つめる。

「彼女の覚悟を無駄にしてはいけません。どのみちワラキアを滅さなければ、ヤツラは際限無く湧いてきます。やつを殺せるのはあなただけです」

「……分かった。行こう。シオン、弓塚さん」

 志貴は力強く頷き、秋葉とシエルに背を向ける。今は二人を信じて行くしかない。それが自分を信じて送り出してくれる二人に対する礼儀というものだろう。

「またな、秋葉。そして先輩、明日も学校で」

「ええ、明日は寝坊せずに起きてくださいよ兄さん」

「私は生徒会の仕事を手伝って欲しいですねー」

「……善処するよ」

 思わず笑いがこみ上げた。こんな状況だというのに、自分達の会話は普段となんら変わりない。それが心地良くて、誇らしい。

 志貴は扉を開けて、死地へと足を踏み入れる。それに続いて二つの足音が着いて来た。

 十メートルほど先にあるエレベーターのボタンが薄く光る。志貴は最上階のボタンを押すとすぐに扉は開き、誘い込まれるように乗り込んだ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。