【祝・完結】 月姫 弓塚さつきルート MELTY BLOOD ~memory of Rhododendron~   作:風海草一郎

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 久々のアップです。どうか最後までお付き合いください。


第十三章 タタリ

 ゴウンゴウンとエレベーターが最上階を目指して登っていくと、臓腑が持ち上がるような浮遊感が続く。

 各々は背中をエレベーターの壁に預け、思い思いの表情を浮かべていた。

 さつきは緊張した面持ちで落ち着かない。

 シオンは腕を組んだまま目を瞑っていた。

 志貴はナイフを矯めつ眇めつ、チェックを行いながら疑問を口にする。

 

「シオン、さっきは状況が状況だったから効かなかったんだが、タタリは俺にしか殺せないってどういう事なんだ? 強力な死徒なのは間違いないんだろうけど、もしかしてとんでもない再生能力でも持ってるのか?」

「再生能力、という単純な能力ならば話は簡単です。しかし、タタリは遥かに厄介です。なにせタタリには本体というものが存在しません。あれは人々の噂によって具現化する現象……ロアとはまた違った方法で不死へのアプローチを試みて二十七祖まで辿り着いた化け物です」

「へえ、二十七祖……。って、二十七祖!? シオン、二十七祖ってあの二十七祖!?」

「そんなとんでもないヤツが相手だっていうのか!? 聞いてないぞそんなの!!」

 

 さつきと志貴は驚愕し、シオンは「あ」という顔をした。

 

「むう、そういえば言っていませんでしたね」

「言ってませんでしたね、じゃないよシオン! 秘密主義にもほどがあるよう!」

 

 死徒とは人間のみを吸血対象とする吸血鬼であり、その中でも最高位とされる死徒は、真祖を除けば最強の存在である。

 それらの正体は教会が多くの犠牲を払って正体をある程度掴めていたが、ただ一人、正体はおろか姿さえ不明の吸血鬼が存在した。

 それが二十七祖の一角に君臨する謎の存在、タタリNo.13『ワラキアの夜』である。

 教会の追跡も届かず、他の祖ですらソレと対峙した者は皆無。

 

「ワラキアの夜……。先輩から聞いた事がある。二十七祖の中で唯一、住処が特定出来ないヤツなんだっけ?」

 

 志貴はシエルから聞きかじった二十七祖の知識を引っ張り出す。

 

「ワラキアの夜に住処など存在しません。もとより、アレはこの世に存在しないのですから、住処など必要ないのです」

「存在しない……。それって死んじゃってるって事? 幽霊みたいな感じ?」

「当たらずとも遠からず、ですね、さつき。二十七祖クラスの死徒になれば肉体は滅しても消滅はしません。しかし、ワラキアの夜はそれらとも異なります。ワラキアは本当に存在しないのです」

 

 二人はさらに訝し気な表情を浮かべるだけで、今一つピンと来ていない様子だった。シオンは「つまりですね」とワラキアの本質を述べる。

 

「ワラキアは一定条件が揃わねば永遠に現れませんが、条件さえ揃えば永遠に存在する……。それがワラキアの夜が体現した不老不死です」

「死徒でさえ永遠ではなく、それゆえに永遠を求める……か」

「ロアの言葉ですね。志貴はロアと因縁があるそうですが、素質のある赤子に転生する事で限定的ながら永遠を実現した死徒です。そしてもう一人、同じく限定的ながらも永遠を実現化した死徒が存在します。それがワラキアの夜――ズェピア・エルトナム・オベローンです」

「エルトナム……? まさかシオン!」

 

 志貴は瞠目し、さつきはそれとなく察していたのか、それほど驚いていなかった。

 シオンはぎゅっと肩を抱き、己の恥部を晒すような息苦しさと共に二人の疑点に答えた。

 

「はい、二十七祖の一角、ワラキアの夜ズェピアは私の血縁。三代前のエルトナム当主にして稀代の錬金術師と謳われた人物です」

「じゃあ、シオンがワラキアの夜を追っているのって……」

 

 さつきはその先を口にするのを躊躇っているようだった。さつきと出会った当初から、彼女は何かを追っている風だったが、親類だったとはさすがに予想外だった。

 シオンは淡々と続ける。

 

「ズェピアはアトラスの禁を破り、外界で研究を重ね死徒となりました。そこから先はあなた方の想像通り、エルトナム家の権威は失墜し、名門とは名ばかりの没落貴族。罪人の一族という一生消えないレッテルを貼られたのです」

 

 志貴にはアトラス院が、いわゆる普通の学校とは違うものだとイメージしている。しかし、同じ学び舎の中に重罪人が親族にいる人間がどういう扱いを受けるかは想像に難くなかった。

 

 本人に咎は無くとも、人はそう簡単に割り切れる生き物ではない。ましてや、優等生のシオンの事だ、足を引っ張る隙を窺う人間には、絶好の口実だろう。

 それらの人々がシオンに取ったであろう態度を想像すると、志貴は胸に固いしこりのようなものが出来た気がした。

 さつきはシオンの苦悩を我が身のように感じ入った様子で、同情の言葉を述べようとする。

 

「シオン……」

「大丈夫です、さつき。私は己の境遇を呪った事など一度もありません。むしろ呪った事があるのならば、それはワラキアに見逃された時の事くらいです」

「見逃された?」

 

 また気になる話題が出てきたとばかりに志貴の顔が曇る。いい加減、情報を小出しに開示されるのにウンザリ来ているようだ。

 

「…………」

 

 シオンは答えない。

 エレベーターは未だ上昇を続け、シオンは天井の排気口を見上げた。

 このまま話すべきか逡巡する。

 シオンは足のつま先を何度もタップし、やがて口を開いた。

 

「目的の階まで時間もあります。いい機会ですので洗いざらい話しておきましょう。私、シオン・エルトナム・アトラシアという人間の事を――」

 

 〇

 それは八年前の事。

 

「シオン・エルトナム・ソカリス。これを次期院長候補へと任命する」

 

 ホール状の講義室中央の壇上。

 厳かな雰囲気を持つ初老の男性が、しわがれながらも力強い声で宣言した。

 途端、周囲わざわめき、院生どころか共感までもがあり得ない出来事に冷静さを失った。

 それは彼らの悲鳴や怒号、罵声ではなく、悪意を持った視線によって放たれた。

 

 しかし、私に格別変化は無かった。

 シオン・エルトナム・ソカリスからシオン・エルトナム・アトラシアとなり、教官の資格と特使と同格の扱いになろうと変わらない。

 アトラスを冠する錬金術師は学園における代表と同意。

 それが院生の中から、しかもエルトナムの者に与えられようと誰が予測しえたか。

 道徳や倫理感までも、合理性の前では塵のように扱うアトラス院の無機質さが珍しく私に味方した。

 アトラス協会の中で継承者に足る人間が私しかいないのならば、大罪人の一族でも代表に迎えるとは恐れ入る。

 

 まさか、という呪詛も。

 信じられない、という否定も。

 許されない、という非難も。

 飲み込まれ、言葉にならない声は私に絡みつく呪詛のようでいて、怨嗟の鎖でもあった。

 

 しかし、私に驚きはない。計算するまでもなく、私より優秀な人間がいなければ私がアトラスを冠するのは木から林檎が落ちるのより当然だった。

 それで何か変わったのか?

 変わるわけがない。私はそう断言できる。

 先祖が冒した罪を帳消しにするために、優れた生徒である事を証明し続けるだけの毎日。

 周囲の人間が私を妬み、嫉み、軽蔑侮蔑の念を向けて排除しようとしていた。しかし、アトラシアとなった私は、彼らを排除するなど赤子の手をひねるより簡単な地位にいた。

 彼らは私を怖れているようだったが、侮らないでもらいたい。私は彼らに対してなんの感情も抱いていないし、腐っても私は貴族。私情で権力を振るう事などありえない。

 彼らは私を遠ざけ、望み通り私も遠ざけた。

 

 そこから先も、何一つとして変わらなかった。

 私は兼ねてから必要だった研究室をもらい、優れた生徒を続けた。私は誰も必要としていないのだから、誰とも関わる必要はない。

 合理性と分割思考により導き出される解に沿って生きる私の日々は、正解しかあり得ない人生であったはずなのに。

 何が正しくて、何が間違っていたのか正直、今もよく分からない。

 どこかで数値を振り間違えているのか、何度検算しようと答えは依然として変わらない。

 

 そして三年前――事件は起こる。

 発端は一つの伝承。

 暗く、混濁とした廃墟を思わせる寂れたある村に伝わる、陳腐でありきたりな迷信。

 

 曰く、他の村から嫁いできた女性が三つ子を孕み、そのうち二人が死産だと良くない事が起きる。

 曰く、二人の兄弟の血肉を奪って生まれた赤子は、吸血鬼となって村に害をなす。

 

 やがて伝承は真実となる。

 イタリアの片田舎にワラキアが発生した事を突き止めた教会は、お膝元での吸血騒動を懸念し騎士団を派遣する。そこでアトラス院の協力を求めてきた。

 吸血鬼になる前のズェピアはアトラスの出自であり、同門の錬金術師ならば良い助言役になると考えたのだろう。

 

 その役に私は志願した。先祖の罪を清算するわけでも、エルトナムを没落させたタタリに恨みがあるわけではなかった。ただ、この閉塞的な穴倉の中では得られない新たな情報が欲しかっただけだった。

 この時派遣されたヴェステル弦楯騎士団の団長、リーズバイフェ・ストリンドヴァリは傑物揃いの代行者にも引けを取らない人物。そんな彼女と一緒にいればどうにかなると思っていた。

 

 それが砂糖よりも甘い計算だったのだと気付いたのは、事が全て終わってからだった。

 村人はことごとく血を吸い尽くされ死に絶え、同行していた騎士団は全滅。

 私を逃がすため、一人タタリと対峙した楯の騎士を見捨て、私は夜の森を走った。

 山道は険しく、鬱蒼とした木々が生い茂る森の中、私は水を求め走った。

 

 ようやく見つけた川は死体で埋まり、凄惨であったが――それでも水を求めて這った。

 口から直接、咽るように飲んだ。

 そのうち、何かが絡みついた。

 際限なく絡みついた。

 邪魔なので引っ張った。

 はがしてもはがしても、指に絡まって来る。

 いい加減鬱陶しくなり、手に取ると、

 それは皮だけになった人の顔だった。

 

 私の絶叫は大気を震わせ、夜の森に木魂する。

 川に浮かぶそれらは、かつて人間だった布切れ。

 全て中身を抜かれていた。飲みつくされた人間で、川は埋め尽くされていた。

 じゅるり、じゅるり、じゅるり。

 何かを啜る音で我に返る。見れば、私と同じように、這う姿勢をとっていた人物がいた。

 私と同じく逃げ延びた人間かとも思ったが、すぐにその考えを打ち捨てる。

 それはぐるりとこちらを向くと、飲む以上の血液を両目からこぼし、血の涙を流しながら泣き笑いをしていた。

 

 逃げろ。

 本能が叫ぶが、蛇に睨まれた蛙のように足は竦み動かない。

 私の元まで這ってきたそれは人の血を飲む化け物。人の血を奪う簒奪者。

 そっと、恋人を抱きしめるかのような丁重さで、ソレは私の首筋に牙を突き立てた。

 死を覚悟し、その身を任せた。

 しかし、私は死なない。消滅しない。

 なぜ殺さない、と問えばそれは

 ――なに、同病相哀れむというヤツだ。

 と言って、笑いながら消滅した。

 つまり私は、

 見逃されたのだ。あの汚らわしい吸血鬼に。

 

 〇

 

「結果として私はタタリに噛まれ吸血鬼となりましたが、タタリは一夜限りに出現する中途半端な吸血鬼。私が吸血衝動に何とか耐えられていたのもそれが理由です。そして私はタタリが次に発生する今日までの三年間、タタリを追い続けてきました」

 

 シオンは逃亡の日々に思いを馳せるように、遠い目をする。

 地位も名誉も全てを投げ打ち、アトラスと教会から逃げ続ける日々。

 

「あまりにも長く、あまりにも辛い毎日でした。吸血鬼化の治療の目処は建たず、タイムリミットが刻一刻と近づき、日々理性を失っていく自分……。心も身体も摩耗しきっていたところにさつきと出会って私は救われました」

「え? わたし?」

 

 自分を指さし、「なぜ私?」とでも言いたげな表情だ。シオンはそのさつきの自然体さに微笑を浮かべる。

 

「吸血行為というのは吸血鬼にとって至極当然の行為なのです。すでに吸血鬼となった今、なぜ吸血行為を拒み続けるのか、私には理解出来なかった」

「う、うん。私も何でかは上手くいえないけど、何となくそうしなきゃって思ったの」

「そう、それでいいのです、さつき。我々は確かに吸血鬼です。ですが、だからといって吸血によって人を殺す理由にはならない。心まで吸血鬼になってはいけない……。例えどれだけ拙くとも、時に揺らく信念であろうとも、私にとってはその解だけで十分だった」

 

 だから、とシオンは決意の炎が灯る瞳でさつきを見据える。

 

「あなただけは何があろうと、人間に戻すと私は誓った。例え全てを欺いてでも、世界の全てを敵に回してでも」

「……ありがとうシオン」

 

 さつきが短く礼を言うと、チンという音がエレベーターの終点を知らせた。

 地上三十七階。高層建築シュラインの最上階であり、ワラキアの夜が待ち受ける死地。

 シオンは二人に目配せし、ドアの前に立つ。

 

「行きましょう。今夜が最後の夜です」

「ああ」

「うん! 頑張ろうねシオン」

 

 ドアが自動で開き、月明かりと夜気が流れ込んでくる。

 今宵がシオン・エルトナム・アトラシアの集大成。

 心血を注ぎ、存在全てを懸けた大勝負。

 シオンはゆっくりと、そして力強く一歩を踏み出した。

 

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