【祝・完結】 月姫 弓塚さつきルート MELTY BLOOD ~memory of Rhododendron~   作:風海草一郎

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 ワラキア戦スタートです。


第十四章 偽りの月

 ズウウウウン。

 という大型エレベーター特有の重厚な開放音と共に、シオン達三人は屋上へ並び立つ。

 シュライン屋上は直径五十メートルほどの正方形で、打ちっぱなしのコンクリートと剥き出しの鉄骨が目立つ。

 屋上なのも相まって、地表に比べて随分と風が強く、志貴は眼鏡が飛ばされないように軽く抑えた。

 

「シオン、あれは……」

 

 さつきが緊張の拭えぬ表情で、舞台中央を指さす。

 志貴とシオンも、エレベーターを降りた直後から注視していた物体。

 否、物体と呼べるものなのかも判別不能だ。

 シュライン屋上を陣取る異様な球体は黒く、時折、電流に似た光が奔る。

 それは自然現象に無理矢理例えれば、雷を纏い、凝集した黒雲。空間が歪むほどの圧を放つソレは、桁違いのエネルギーを内包しているのが見て取れた。

 

 志貴は眼鏡を外し、ソレを凝視する。

 糸のように細めて目を凝らし、脳に負荷がかかるほど注目するが、眼鏡をかけていた時と変化は無い。

 

「まずいな……死の線が見えない」

「……やはり見えませんか」

 

 志貴は憎々し気に呟くと、シオンも予想通りといった風にソレを睨みつける。

 シオンは自分の血管が膨張し、心拍数が跳ね上がるのを感じる。何度、アレと対面しようと自分が怯えを拭える事は無いのだと自覚する。

 

 膝が崩れ、胸を押さえながら息苦しそうに悶えるシオン。跳ね上がった心音は、なけなしの勇気を根こそぎ奪われ、衝動に呑まれそうになる。

 乙女の瑞々しい鮮血はどれだけ甘美だろう。

 赤子の初々しい血脈を汚すのはどれだけ心潤うだろう。

 想い人の血を啜り、下僕とするのはどれだけ高揚するだろう。

 吐き気を押さえるようにシオンはえずく。

 

「しゃんとしろ、シオン」

 

 シオンはハッとし、志貴を見上げる。

 彼の瞳に怯えの色は無く、研ぎ澄まされた刃のような鋭さは変わらず、しかし崩れかけた仲間を鼓舞する優しさは健在だった。

 ぎゅっ、と手を握られた感触に、シオンは反対側へ首を動かす。

 

「立ってシオン。アレを倒して二人で人間に戻るんでしょ。なら戦う前から気持ちで負けてどうするの」

「志貴……。さつき……。……!!」

 

 シオンは笑う膝を気力で無理矢理立て直し、荒い息をつきながら空元気で立ち上がる。

 

「ん、それでこそシオンだ」

「そうそう。弱気なシオンなんてシオンらしくないよ。……あれ? でも結構ウジウジしている事も多かったような……?」

「そうなのか?」

「うん、わりと。ダンボールハウス(マイホーム)を市役所の職員さんに撤去された時はちょっと泣いてたし」

「二人共憎まれ口はそこまでです」

 

 シオンはバレル・レプリカを手に出現させると、黒球に銃口を突きつける。狙いを定め、公演に遅れる役者を、舞台に引きずり出すため声を張る。

 

「ワラキア! 既にカタチを得ているという事は意思があるという事。何か残す物があるなら聞きましょう」

 

 挑発するように、シオンは怨敵へと遺言を勧める。

 すると、黒球を中心に渦巻いていたエネルギーの奔流がピタリと動きを止めた。猛威を振るう嵐が一旦、怒りを抑えたようにも見えた。

 しかし、それは黒球の嘲笑。

 本来ならば一笑に付す価値すらないとでも言わんばかりに、侮蔑と軽視を込めた声が響く。

 

「無粋な……。開演前に舞台裏に現れるとは、あの夜より何ら成長はしていないのかエルトナム? 何百年経とうがアトラスの者に優雅さは備わらぬと見える」

 

 言葉を発すると、黒球の中央、一際強く鳴動する光が揺らめく。

 

「――ッ!!」

「んんっ……!!」

 

 シオンの呼吸はとまり、さつきも胸を苦し気に抑える。

 二人の様子が明らかにおかしい。シオンは首を締め上げるように悶え、度し難い衝動を捩じ切るように抑え込む。

 脂汗は滝のように吹き出て、視線は定まらない。

 志貴は苦悶を浮かべる二人の様相から、ナイフを水平に構えワラキアに対峙する。

 

「二人共、キツイなら無理をするな! シオンが決着を付けられないのならば俺が――!!」

「それもまた無粋。分からぬか客人? その娘は私に問わねばならぬ事があるのだ。そうであろう? シオン・エルトナム・アトラシア?」

「な、に……?」

 

 志貴は黒球――ワラキアの質問の意図を推し量るように、シオンへと振り返る。シオンは苦し気に呻き、ワラキアへ顔を上げる。シオンは痙攣する唇を、顔面の神経を総動員して発音を言葉に象る。

 

 

「――今更、聞きたい事など、ない…………!!」

 

 

「…………ほう?」

 

 動揺を表すように、黒球が僅かに揺らめく。シオンは構わず続ける。

 

「そんな些事にいつまでも拘るほど私は弱くない! 私は私の悲願のためにここへ来た! お前への憎悪も自分への嫌悪もとうに捨てた! お前などただの通過点! 消え失せろタタリ! この世にお前の居場所などありはしない!!」

 

 銃口を振るわせながらシオンは吼える。眼前の存在を断じて認めないという風にワラキアを拒絶した。

 

「……少々意外だったな。ではお前は私の言った『同病相憐れむ』という言葉を真に理解しているというのか? 断っておくが私がお前を同類とみなしたのは――」

「ええ、血縁関係などからではない。私もあなたも『他人から何かを搾取しなければ生きられない同類』だからです。あなたは他者の情報によって発生し、私は他者の情報を搾取する事でしか存在できない……。私もあなたも大差ない空虚な存在でしょうね」

「――――――――」

 

 今度こそ、完全に虚を衝かれたようにワラキアは沈黙する。

 虚勢ではない。シオンの毅然とした態度も、曇りの無い眼は嘘偽り無い。

 それがひどくワラキアの癇に障る。

 シオンは挑みかかるように口を開く。

 

「私が得てきた知識・思考・理念・法則。それら全てはシオン・エルトナムという一人の人間から生まれたものではなく、他者から奪ってきた物。私は他人から何かを奪わねば存在できない不出来な生き物。透明で自己の無い空の器」

「そうとも! 何だ理解しているではないか! 私もお前も搾取によってしか存在出来ぬ同類! ならばなぜお前は人である事に固執する!? 心理の追求に人の身体は必要か!? より性能の高い肉体に乗り換えるは合理的ではないのか!? 痛む身体を引きずり、己が本能に逆らいながらなぜ無駄な抵抗を続ける!?」

「――それはわたしたちが人間だから。だよねシオン?」

「その通りです」

 

 いつの間にか、シオンの隣にさつきが並び立っていた。

 さつきは胸に手を当て、自身の線引きを、吸血鬼と人との隔たりを見せつけるように宣言する。

 

「確かに私たちは吸血鬼です。一日中血を吸いたい衝動と戦わなきゃならなくて、太陽の下はロクに歩けない。毎晩お腹を空かせて、家もなくて、もう親とも友達とも会えない」

 さつきは吸血鬼になり立ての頃を思い出す。

 行く当ても無く街をさまよい、無関心な人々の雑踏の中、さつきは一人で歩き続けた。

 夜中に出歩く女学生を心配し、声をかけてくる人もいたが、すれ違う人はどこまでいっても無口な他人だった。

 一度、両親の待つ家まで行った事もある。庭にこっそりと入り、窓の外から中を盗み見ればダイニングテーブルに座る両親の姿があった。

 両親は想像以上にやつれていた。

 白髪が目立ち始め、頬はこけ、肌はつやを失い、色濃い隈が出来ていた。

 頬を伝う雫が涙なのだと気付くには随分と時間がかかった。

 

 ――お母さん! お父さん!

 

 心で叫ぶ。しかし、それは窓を震わせ、二人の耳に届く事は無く。胸中で泡のように溢れては弾けて消えていく。

 もし、さつきが玄関の扉を開けて二人の前に飛び出せば、きっと二人は一瞬の驚愕の後、私をきつくきつく抱きしめてくれる事だろう。そして今までの事を聞きながら、ごはんの用意をしてくれたり、お風呂を沸かしてくれたりするのだろう。

 しかし、さつきはそうしなかった。彼らへの愛は狂おしいほどの飢えと渇きへ転じ、喉笛を引き裂くだろう。

 そっと、さつきは窓枠にかけていた指を離した。さつきは思いでの詰まった家に背を向けて、冷たい夜の街へと消えていく。

 自分と両親はすでに別の生き物であると痛感したからだった。

 けれど、とさつきは続ける。

 

「たとえどれだけ人から情報を奪っても、人の血を吸う事だけは嫌なんです。それをすれば私たちはきっと心まで怪物になってしまう。だから吸えない、吸わないんです。私たちは体は吸血鬼であっても、私たちなりに人間でいたいから」

 

 さつきの宣言は自己の罪を告白する咎人にも、教義を遵守する信徒のようにも見えた。

 シオンはさつきの言葉に被せるように、吸血鬼の本能を否定する。

 

「ワラキア、私たちはどこまでも人間である事に拘ります! あなたは一側面で確かに真理だ。それはアトラシアを冠する私が保証します……。ですが! 私たちはお前にも吸血衝動にも負けはしない! そんなに弱くはないのです!!」

「――――――――フ」

 

 ――限界だった。

 

 黒球が揺れる。

 

「――フハハハハ」

 

 それは壁に小さな亀裂が入ったダムの壁のようでいて、黒球が小さな笑いを零すたびに亀裂は長くなり、歪な蜘蛛の巣状に広がり――やがて決壊した。

 

「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッッッッ!!」

 

 けたたましい哄笑と共に、大気が震えチリチリと肌を焼くようなノイズが全身を打った。

 心底愉快そうに呵呵大笑する黒球は、とびっきりの玩具を前にした子供のように無邪気に残酷さを孕んでいた。

 

「――カット」

 

 ワラキアは喜悦を含んだ呪詛を吐く。

 

「カットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカットカット!!」

 

 地響きがするほど叫びによって黒球は捻じれ、ひしゃげ、内部に孕んだ勢いを増幅させるように鳴動する。

 

「なるほどなるほど! 我が娘の陥落をどのように行うべきか、手慰みに脚本を温めておいたというのに、これほどまでの即興劇(アドリブ)が見られるとは僥倖僥倖!! ここまで滑稽だともはや喜劇を通り越して悲劇だ!! 役者が道化ばかりの舞台というのも中々、見どころがあるではないか!! それでこそ喜悦!! それでこそ享楽!!」

 

 途端、空気が変色した。

 夜に溶けるように昏い闇色は空間を覆い、世界を丸ごと飲みつくす。

 体の芯から揺さぶられるような酩酊感の後に恐る恐る目を開ける。

 

 そこは荘厳な城だった。

 不気味なほど静寂な広間には天使を模した彫像が立ち並び、バロック調とでも言うべき神秘的な雰囲気を醸し出している。

 最奥に鎮座するは鎖に絡みつかれた玉座。

 志貴はいつかの夢で見た幻の城と、邂逅した姫君を思い出す。

 たった一度、夢なのか現実かのかも分からない、ひどく朧げな記憶の残滓。

 カツリ、と子気味良く響く靴音がした方角へ振り返る。

 

「ようこそ、私の世界――。千年城ブリュンスタッドへ」

「アルクェイド……。いや、お前は!!」

「あ、あなた……」

 

 さつきは露骨に怯えの色を浮かべ、志貴は最愛の人の名前を呼びかけるが、言い淀む。

 彼女はアルクェイドであってアルクェイドではない。普段の陽気で冷酷な彼女の面影はなく、真紅の瞳を諧謔的に歪めた。

 シオンは彼女の姿を見て、口を開く。

 

「やはり器とするのは真祖の姫君ですかワラキア……」

 

 アルクェイドは妖艶に微笑むと、舞台役者のように両腕を広げて、謳うように告げる。

 

「もちろん。この身体は実に素晴らしい。自分の世界を具現化するなんて、魔法の領域の反則技すら自由自在。ここ、千年城ならば何の制約も気兼ねも無く、力を行使できる場所。力を抑えた状態でもネズミを縊り殺す事くらいわけはないのだけれど……」

「あ、あああああああ……」

 

 クスリ、とアルクェイドがさつきに微笑みを向けると、さつきは完全に委縮した。

 歯の根が噛み合わず、記憶がフラッシュバックする。

 切断された右肩に幻痛が蘇る。虫を潰すような気軽さで首を折られかけた記憶が呼び起こされる。

 それでも倒れないのはさつきなりの矜持か。

 ねずみの小さな抵抗を嘲笑うようにアルクェイドはさらに絶望を突きつける。

 

「欺瞞の塊で成り損ないの吸血鬼と、己の真実さえ分からない吸血鬼。唯一、私を殺せる可能性があるのは志貴くらいだけど、十全の力を振るえる私じゃ分が悪い……。違うかしら?」

「――!」

 

 志貴は悔し気に歯ぎしりをすると、油断なくナイフを構える。握るナイフがただの棒切れのようにひどく頼りない存在に思える。

 アルクェイドは全身から強大なオーラを放ち、卑小なる存在を叩き潰さんと歩を進めた。

 彼女が一歩進む度に、絞首台の階段を一歩登るような錯覚に陥る。

 

「志貴! さつき! あれは偽りといえど、存在そのものは真祖と変わりません。決して油断しないでください!!」

「ハッ! 油断!? 思い上がりも甚だしいわね錬金術師!! あれだけ私にボロボロにされておいて、まだ格の違いが分からないのかしら!? これから行われるのは勝負なんて高尚なものじゃない。――ただの害虫駆除よ!!」

 

 ブアアアアッ! 轟音と共に、車輪状の赤いエネルギーが志貴たち目掛けて襲い来る。三人はそれぞれの方向に飛び散り、やり過ごす。

 後方で石柱の倒壊する音が地鳴りのように響き、振り返らずとも攻撃の苛烈さを語っていた。

 バラバラに散った三人を、まるでアルクェイドは言の通り、羽虫を潰すように容赦なく第二撃、三撃を打ち込んで来る。

 

「痛ッ!」

 

 躱しきれなかったさつきの頬を衝撃波が掠め、薄く血が垂れる。志貴が救援に向かおうとすれば、進行方向に攻撃が放たれ、近づけさせずに連携を封じる。

 

「くそッ! これじゃ近寄れない!」

 

 志貴は派手に転がされ、アルクェイドとの距離がさらに開く。彼女に死の線は多少見えているので、近づけば勝機がないわけではない。しかし、

「あはははは! そーれ、そーれ! 逃げてばかりじゃ勝てないわよ!? さっきまでの威勢はどうしたの!?」

 

 際限なく振るわれる衝撃波に、三人は逃げの一手しか無かった。このままでは間違いなくジリ貧だ。

 志貴はアルクェイドをきつく睨み付けるも、アルクェイドは邪悪な微笑みで返すだけ。シオンにも焦りの表情が浮かんでいる。

 しかし、シオンは絶望しない。現在、この街でもっとも強大な力を持つ存在が真祖である以上、ワラキアが真祖を象るのは想定内。ゆえにシオンは当初の予定通りに事を進める。

 シオンはエーテライトによって思考をさつきと志貴に送る。無事届いたのだろう、さつきと志貴は小さくうなずくと陣形を組む。

 最も腕力と耐久性に優れるさつきが前方、そこからやや左後方に志貴、二人の間の後方にシオンと歪なY字型のフォーメンションだ。

 

「行くよ!」

 

 さつきは強く地面を蹴ると、ジグザグにステップを踏みながらアルクェイドへ接近する。構えはスタンダードな近代ボクシングのそれ。いきなり右からのツー・ワン・ツー。左アッパーから右ストレートとやや変則ぎみ。

 一発一発が、常人であれば容易く頭蓋を砕かれる程の重みを持った連撃。しかし、アルクェイドはそれらを腕で受け止める。

 さつきの拳がアルクェイドの肉にめり込むが、砕けない。女性らしく華奢な腕であり柔らかいはずなのに、さつきの豪打は勢いを殺される。まるで巨大な圧縮されたゴムの塊を殴りつけたような感触に、さつきは驚愕する。

 

「重くていい攻撃ね。だけど雑。打ち込む際に一瞬、拳を引いてから打ってちゃバレバレよ」

 

 アルクェイドは打ち終わりで隙だらけのさつきへ、伸びた爪で貫手を放つ。さつきの心臓目掛けて伸びてくる手を――さつきはするりと躱し、脇に抱えてアームロックをかけた。

 アルクェイドの肘関節がみしみしと悲鳴を上げ、可動域を超えかける。アルクェイドは残った手で追撃しようとするも、完璧に極められていて動けない。

 

「実は組み技の方が得意なんです。これは逃げられないよ。――遠野くん!!」

「了解、弓塚さん!!」

 

 シオンは牽制し、最も腕力のあるさつきがアルクェイドの動きを止め、志貴が直視の魔眼をもって討ち取る。その好機を見逃す志貴ではない。志貴はアルクェイドに薄らと見える線を目掛け、ナイフを勢いよく振り下ろす。

 ――獲った!

 無防備な首筋の線へ刃を滑り込ませようとして――アルクェイドが動いたのを志貴の肉眼は捉えた。

 べきべきべきっと肉と骨を砕くような生々しい音と共に、アルクェイドの腕がさつきの脇からずるりと抜けた。完全に動けないと高を括っていたせいか、さつきと志貴の反応も一瞬遅れる。さつきの横っ腹を蹴り飛ばして拘束を脱出したアルクェイドは、志貴の顔面を凪ぐように爪を振るう。

 

「小癪! 小癪小癪小癪!! 羽虫にお似合いの稚拙な戦法だこと!」

「――ッ!!」

 

 志貴は本能的にバックステップで爪を紙一重で躱す。爪が首筋を掠め、コンマ一秒遅れていたら首と胴体が泣き別れになっていただろう。志貴は想像して全身が総毛立つ。

アルクェイドは追撃しようとするが、シオンの銃撃に阻まれる。その隙に志貴は体勢を立て直したさつきの隣に並び立つ。

 さつきは再び拳を、志貴はナイフを構え直す。アルクェイドは二人を不愉快そうに睨みつけると折れた腕をぶんぶんと振る。

 

「はあー、痛ぁ……」

 

 痛い、と言いつつも、口角を歪めて諧謔的に笑う。折れた間接がボコリと膨らんだかと思うと、内側からみるみる修復されていく。全快した腕を満足げに眺めたアルクェイドは感嘆の息を漏らした。

 

「ぷちっと潰せるかと思ってたけど、やるじゃない。しぶとさは害虫並ってこと? まったくイライラさせてくれるわね」

「ネズミも害虫も生きているんです。あなた達の気分で好き勝手されるほど私たちは弱くありません」

「その通り。俺もお前を殺すのは初めてじゃない。それに、偽物のお前なら殺すのに何の躊躇いもない」

「ははっ、言うじゃない定命の者たちが。あんな不意打ちを勝負にカウントするなんて。そこまで無知蒙昧なら教えてあげる……格の違いってヤツを!!」

 

 バッ! っとアルクェイドは右手を掲げると、上空に巨大な圧力が生じ始めた。志貴は天井を見上げると、壁にひびが入り始め、ミシミシと音を立てていた。

 ――まずい!

 志貴の本能が警鐘を鳴らす。気付けば足元はぐらつき、微細な振動が伝わって来る。しかし、それは地下から生じる地震ではない。これはまるで天が落ちてくる滅びの日の前兆であるかのようだ。

 

「偽りの月にて狩られよ! プルート・ディ・シュヴェスタア!!」

 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!

 という轟音と共に天井が崩落した。

 

 天から顔を覗かせるは銀箔の月。

 その圧倒的な質量を誇る巨体は卑小な存在を圧潰せんと、三人目掛けて落ちてくる。

「何だよそれ……! 何だよそれ!! 反則にもほどがあるぞ!!」

「反則ぅ? あなたたちのスケールならそうでしょうね!」

 

 志貴はナイフを月に向けて威嚇するようなポーズを取るが、無意味な行動であると自分でも分かっていた。月のサイズからして躱す事は不可能。よしんば躱せたとしても、衝撃で吹き飛ばされるだろう。

 ならば、と志貴は月を凝視し、死の線を見る。

 ――見えた。

 ならば、一か八かあの月を切断し、やり過ごすしか方法が無い。

 

「不可能です志貴! それではあなたが死んでしまいます! それで月を破壊できても、あなたが圧死します!!」

「ならどうやって!? 逃げ場なんて無いぞ!?」

 

 焦った志貴の口調も乱暴になる。口論している間にも月は視界を占める割合を増していき、衝突寸前なのを否応にも突きつけてきた。

 

「考えがあります。さつき! 志貴! 力を貸してください」

 

 シオンの言葉と共に、二人の脳内にシオンのプランが流れ込んでくる。

 志貴はあまりに無謀なプランに吃驚する。さつきの方を見るとすでに覚悟を決めた表情だった。志貴はそれを見て自身も腹をくくった。

 シオンは二人の前に立ち、落ちてくる巨大な質量を見据えると、エーテライトを張り巡らし、へし折れた石柱に巻き付けていく。そしてクモの巣状のエーテライトへ背中を預け、バレル・レプリカを構えた。

 

「――リミッター解除」

 

 発射台と化したシオンは精神を研ぎ澄ます。自身の心音さえ聞こえそうなほどの極限の集中は、世界の流れが停滞しているのかと錯覚させるほどだ。

 血流が熱を持ち、銃身を握る手に、踏ん張る足にエネルギーが圧縮され凝集していく。

 暴発寸前までエネルギーを詰め込んだ銃身は、襲い来る月を迎え撃つように向けられた。

 

「なあに……? 何か策があるのかと思えばそんなオモチャで偽りの月を受け止める気? アトラスの錬金術師らしくもない」

 

 アルクェイドは鼻で笑うが、シオンは雑音など耳に入らない。

 今、己の世界にあるのは偽りの月と銃身のみ。呼吸をコントロールし、最大最高のタイミングで全てを打ち込む。

 ――来い。

 巨大な質量が距離を縮めてくる。

 ――来い。

 巨体の月は圧倒的な暴で押し潰さんとやってくる。

 

「―――――――――――」

 

 ――肺を空気で満たし、裂帛の気合いと共にシオンは叫ぶ。

 

「――バレル・レプリカ・オベリスク!!」

 ドオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!

 耳をつんざく轟音と共に、銃口から膨大なエネルギーが放出される。銃身から迸るエネルギーは輝く流星。煌びやかに力強く流れるエネルギーは偽りの月を受け止める。

 

「ぐううううううううううっっっ!!」

 

 力の奔流はうねり、月の衝突から逃れんと照準が逸れそうになるのを、シオンは全身全霊で抑え込む。

 骨は軋み、筋繊維の一本でも気を抜けばコントロールを失った銃身は暴れてあらぬ方向へ逃げるだろう。

 ブチリ、と筋肉が断裂し、堪える膝はみしみしと悲鳴を上げる。徐々に地面に足がめり込みながらもシオンは奥歯が砕けんほどに力を込めて耐え続ける。

 シオンは月を睨みつける。その勢いは徐々に殺され始める。

 

 ――まだだ、まだこれではいけない。

 ――計測せよ。演算せよ。

 今にも瓦解しそうな身体を押さえつけ、激痛のシグナルに耳を塞ぐシオンは無理矢理にエネルギーを銃身に注ぎ続ける。

 力を込め過ぎた奥歯が砕け、鉄臭い味が口腔内に充満する。シオンはもう一度エネルギーを込めようとした時――

 銃口が突如として上を向いた。首輪を外された猛犬のように荒れ狂う銃身は偽りのソレへ向かって意味なくエネルギーを吐き出していく。

 

「なん……っ!」

 

 シオンは瞠目し、そこで気付く。右前腕が折れ、皮膚と筋肉を突き破り露出していた。

 

「――シオン!」

 さつきは叫び、シオンは迫りくる月を凝視する。月は表面をいくらか砕かれているものの、勢いが完全に消されているわけではない。

 シオンの元へ近寄ろうとする志貴をシオンは止め、腕の縫合を始める。普通ならば転げまわるほどの痛みのはずだが、今だけは吸血鬼の身体である事をシオンは感謝した。

 

「さつき!」

「うん!」

 

 シオンの号令と共に、さつきはシオンの前に立つ。偽りの月に挑みかかるように言の葉を紡いだ。

 

「――飢え渇け『枯渇庭園』」

 

 現れるはさつきの心象風景。清楚ながらも華やかさを内包する花々が咲き乱れ、世界を彩色し染め上げる。

 しかしそれも束の間。皐月の栄華は一瞬で瓦解し、吹きすさぶ風が灰へと貶め攫って行く。

 

「馬鹿の一つ覚えみたいにまたソレ? もう飽きたわ」

 

 オドを吸い取られながらも妖艶な笑みを崩さないアルクェイドは鷹揚に構え、鼠のあがきを冷徹に見下ろす。

 

「――ふふっ」

「――何が可笑しいのかしら?」

 

 シオンが侮蔑を含んだ笑いを漏らした事に反応したアルクェイドが、眼光を鋭くする。

 獅子を前にした鼠が絶望のあまり気が触れたかとも思ったが違う、自分の娘はそこまで愚昧ではあるまい。

 それではなぜ?

 アルクェイドが尋ねるよりも早く答えが返って来た。

 

「なまじ真祖の知識があるだけに計算しきれませんかワラキア」

「……どういう」

 

 意味よ、言いかけると空間に激震が走った。

 アルクェイドは偽りの月に視線を向ける。

 黄金の月に大きな亀裂が走っていた。

 

「なっ……!」

 

 この時、初めてアルクェイドの表情に綻びが生じた。

 ペキリ、ベキリと表面から薄皮を剥がしていくように黄金の月が割れていき、存在を削り取られていく。

 

「あり得ない! いくら固有結界とはいえ、真祖の生み出した月に一介の死徒如きが対抗出来るはずが無い!!」

「ええ、真祖ならばそうでしょう! ですがワラキア! あなたは所詮は偽り紛い物! あなたごときが真祖を象るなど無茶だったのです!!」

 

「その通りだよタタリ! 私はアルクェイドさんに手も足も出なかったけど……。偽物のあなたからは、あの圧倒的な恐怖なんて微塵も感じない!! 薄っぺらの蚊トンボなんだよ!!」

 

 さつきは叫び、固有結界をより強固にしていく。すでに月は崩壊を始め、剥がれた端から灰となり消えていく。

 黄金の月は溶かされ、存在を抹消される。すでに直径、一メートルにも満たないほど小さくなった月は力なく落ちてきて――

 

「えい」

 

 さつきの気の抜けるような掛け声と共に、拳で破壊された。

 サラサラと流れて行く月の残骸がアルクェイドの顔にかかった。

 すると世界は再びシュラインへと引き戻され、固有結界がはじけた。

 アルクェイドの表情が険しくなる。始めて見せる苛立ちの顔は、こちらを敵と認識したようだ。

 

「……ふーん。確かに。確かにそうね、わが娘。本来の真祖であれば、そこの小娘如きに空想を上書きされるなんてあり得ないでしょう」

 

 でもね。とアルクェイドは再び不敵な笑みを漏らす。

 

「一度、偽りの月を凌いだくらいで何よ? あなた方はその一度で満身創痍じゃない。それでどうするの? 私はまだまだ動けるわ。その状態で私と戦える?」

「――うん、やっぱりあなたはアルクェイドさんより断然弱いよ。偽物さん」

「――――ッ!」

 

 小うるさい羽虫を黙らせようと、アルクェイドは腕を振るおうとして、そこで気付く。

 全身にエーテライトを張りめぐらせた対吸血鬼用三層多重結界。今のアルクェイドは蜘蛛の巣に囚われた蝶さながらだった。

 いつの間に、という疑問はすぐに氷解する。

 あの時だ。腕を縫合しながら、密かにエーテライトを張っていたのか。

 

「――小賢しい!」

 

 アルクェイドは力づくで引き千切ろうと、力を込める。めり込んだ皮膚から流血するがそんなものは後で再生させればよい。そして脱出した後、じっくりといたぶり殺せばよい。

 巻きつけられた石柱が倒壊し、アルクェイドが抜けだそうとすると――

 

「――終わりだタタリ。お前なんてアルクェイドの足元にも及ばない」

 

 トスリ、と背後からナイフが滑り込んできた。

 

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