【祝・完結】 月姫 弓塚さつきルート MELTY BLOOD ~memory of Rhododendron~ 作:風海草一郎
膝を折るように座り込むわたしは、終始俯いたまま無言だった。
だらり、と全身が弛緩し半ば投げ出すように力無く項垂れる。
全て、思い出していた。
心地良い夢のようなひと時は崩れ去り、けっして逃れらぬ過去に飲み込まれた。
目に映る景色に色は無い。白黒映画のワンシーンのように酷く無味乾燥で、物語は進まないのにフィルムだけが無駄に流れて行く。
志貴くんも過去の自分の行いを思い出したのか苦衷の表情を浮かべ、シオンは絶望的な表情を浮かべていた。
――なぜ私は生きているのだろう。
――ズェピアは言っていた。今の私は志貴くんの怖れから生まれたタタリだと。
――なぜ私は今まで忘れていたのだろう?
――思い当たる節は一つしかない。
わたしは緩慢な動作で首だけをシオンに向けると、昏い瞳を向けた。瞳孔は完全に開き、目は座っている。沸々と静かに燃える炎を瞳に携えて、わたしはシオンを睨みつけた。
「――どうして」
「さつき、それは……」
「――どうして放っておいてくれなかったの?」
「――――――――――――ッ!!」
シオンは顔を苦悶で歪めた。想定より微妙にずれた質問だったのかもしれない、シオンは胸を押し潰されたように苦し気に押さえた。わたしの問いかけはひどく曖昧であると同時に針のごとく本質を突いている。
わたしはゆっくりと息を吐き、濁り切った瞳でシオンを睨みつけた。ゆらりとした立ち姿は生気の無い幽鬼のようで、瞳だけは曇りの中で爛々と輝いていた。
わたしが彼女に抱いてきた親愛と友情が、音を立てて崩落していく。
シオンがわたしを人間だと言ってくれた事が、独りぼっちで心細かった心をどれだけ支えてくれたか彼女は知らないだろう。
何の手がかりも見つけられず、ただ耐える事しか出来なかった私に、治るかもしれないと言ってくれた事が、どれだけ希望を持てたか彼女は分からないだろう。
シオンの言っていた事は全て嘘だった。
けれど、今はそんな事はどうでもよかった。
「――どうして放っておいてくれなかったの?」
絞り出すように、わたしはもう一度繰り返した。
シオンが息を呑む。咎を暴かれた罪人のように、シオンは露骨に狼狽え、視線をさまよわせた。
「さつき、私はあなたを治療するために――」
「わたしはどうして放っておいてくれなかったのかって聞いてるんだよ!!」
わたしは怒号と共に足元を思い切り殴りつけた。わたしの怒声とコンクリートを砕く音が響き渡り、シオンはびくりと身体を震わせた。
引き抜いた拳から血を滴らせながら、わたしは叫ぶ。
曰く、エーテライトは魂のハッキング。それは他人の知識や記憶を盗み取る疑似神経。ならば他人の記憶の捏造や封印など造作もないだろう。
全ては彼女の手により塗り固められた、吐き気がするような優しい嘘。
わたしと彼の、最後の記憶に土足で踏み込まれた。
底知れぬ沼のような憎悪は怒りで煮えたぎり、憤怒と共に干上がった。その熱を肺一杯に満たし、私はシオンに叩きつけた。
「どうしてあのまま眠らせてくれなかったの!? 私はもうどうしようもなかったんだって! それでも遠野くんに看取られて、それで良かったんだって――」
「ですが! あなたはそれで納得しているのですか!?」
「してないよ! してるわけないじゃない!! でもね、そんな事、わたしは一言だって頼んでない! やっと諦めて、最後には救いがあったんだって思えたのに!!」
「それは…………」
シオンは言葉に詰まる。
ぐっと堪えるような素振りをシオンは見せるが、それでも無理矢理口を開く。
「私は……私は納得出来なかったんです! あなたはあれで踏ん切りをつけられたかもしれない! けれど、私はどうしても納得出来なかったんです!!」
気付けばシオンの頬から一筋の雫が滴り落ちていた。光を持った粒はポツポツと地面に点を作っていく。
シオンは決して引かない意思の籠った瞳で、負けじと言い返して来た。
「あなたは罪の無い完全に完璧に被害者だ! 平凡で幸せな日々があったはずなのに、それを理不尽に奪われ、最後はこの上ない皮肉な結末だった! それを変えるために私はここまで来たんです!!」
「知った風な口を利かないでよ! 私は被害者かもしれないけれどそれ以上に加害者なんだよ! 殺したんだよ、その罪の無い人をいっぱいいっぱい殺したんだよ!! シオンがわたしの何を知っているっていうの!? いくらエーテライトを使っても、それだけじゃ分からない事もあるんだよ!!」
「知っています! きっとこの世界であなたの次に知っているんです! だって私は――――」
そこでシオンは言葉を飲み込んだ。シオンらしくもない、感情を剥き出しにした叫び。
常に冷静沈着で、感情よりも理性と理論を優先させる彼女をここまでさせるのは何か。
シオンはまだ何か隠している。わたしは何となく察した。
しかし、それを話す気は無いようだ。
血が昇った頭は添削もせずに、ただ思いのままに感情を吐露する。
「私には……! 私には救いなんてあるわけない! 私はもう吸血鬼ですらない、タタリとかいうワケの分からない存在なんだ! ズェピアが殺されれば私だって消えちゃうんだよ!! もうどうしようもないじゃない!!」
私は声を張り上げながら、目の前が深い闇に覆われていく錯覚に襲われた。希望の光なんて一筋も見えない、全てを飲み込み無に還す真っ暗闇。
「――いやあ、そうでもないぞお嬢さん」
そこへ、一筋の小さな糸が垂らされた。
それはとある文豪の作品に出てくる、地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸のように見えた。
私はとっくに罪人だ。
本来ならば地獄の底で、永遠の責め苦にあい続けるのが定めというものだろう。
その糸を垂らす蜘蛛は口を三日月型に歪めた。
「確かにタタリは結界内の人間を飲みつくせば自然消滅する……。しかしだ、私が第六法に挑み、到達する事が出来れば、君一人に滅びぬ肉体を与える事など造作も無いとも」
なんて、甘い誘惑。
なんて、都合のいい夢。
わたしの空洞の瞳に、昏い色が灯った。
「嘘ですさつき! そんな都合のいい話があるはずがありません! あなたは私が必ず治療します! だからそんな誘惑に負けないで下さい!!」
「カットカットカットカット! 未完の名作より完成された駄作とは言うが、こうまで拙い脚本ではヤジの一つも飛ばしたくなるというものだよ我が娘! 生娘同士の初々しいやり取りも手垢まみれを通り越して輝いているな!!」
ズェピアはシオンの真剣な声を一笑に付し、謳うように両手を広げた。それは見目麗しい悪魔が人を誘惑する姿に似ていた。
舞台役者のようによく響く声で、ズェピアの誘惑はわたしの脳髄を侵していく。
「君ほどの存在ならば土地に染み付いた記憶を元に、私が再構成する事も可能だ。君は新しい身体と生を手に入れられるのだよお嬢さん。もっとも私がそれをするには条件があるがね」
「…………条件」
自然と、わたしは立ち上がっていた。これが自分の意志なのかどうかも分からない。わたしは思考も行動も、糸で吊るされた操り人形のように他人事の感覚がする。
わたしは何で、この気持ちはどこからくるのだろう。
もうどうでもいい。何もかもがどうでもいい。
「さつ、き…………?」
シオンは立ち上がったわたしを怪訝な表情で見るが、やがて解に至ったのか狼狽したように口を開きかける。それを鬱陶しそうにズェピアが衝撃波を放ち、リーズバイフェが楯で防いだ。
「簡単だとも。私が真祖たちを片付ける間に、直視の魔眼の少年を行動不能にしろ。もしそれが出来たならば君を蘇生させる……。後はそこの少年と過ごすなりなんなり、好きに生きるといい」
「…………ははっ」
わたしは自然と笑みが零れた。
それを本気にするほど、馬鹿だと思われているのだろうか。
きっと違う、全て理解した上でこちらにつくとズェピアは踏んでいるのだ。
馬鹿にしている。見下し、侮られ、軽視されている。
それでも、わたしの身体は未だに悲愴な表情で唇を噛みしめている彼に向いていた。
彼は一瞬、身構えた。けれど、少しだけ悲しそうな表情をして
――ナイフを構えた。
そしてわたしも鉛のように重かった腕に、ようやく力を込める。
きっとわたしは何もかも間違っている。けれど、
――そんな誘惑、抗えるはずないじゃない。
わたしは強く地面を蹴って、月夜を背景にして、
――この世でもっとも愛しい人に牙を剥いた。