【祝・完結】 月姫 弓塚さつきルート MELTY BLOOD ~memory of Rhododendron~   作:風海草一郎

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 お久しぶりです! ちょっと展開を変更するのに時間がかかってしまいました。ですが、その分面白くなると思うので、気長にお待ちください。


第十九章 罪の残滓

 振り上げた拳は必殺の威力を持って、風切り音と共に志貴の顔を掠める。

 さつきの空振りした腕は屋上の飾り柱を砕き、その勢いのまま軌道を変え、横に薙ぎ払われる。

 破砕音に全身を総毛立たせながら、志貴は全力で後ろに飛ぶ。

 二人の身体能力差は歴然。瞬きの間にさつきは視界から消え、死角より豪打を放つ。常人の反射速度では到底、追い付けない速度で繰り出される攻撃を紙一重でやり過ごす。

 志貴の魔眼に映るさつきの身体は無数の死の線が走り、全身を覆っていた。志貴はさつきの猛攻をやり過ごしながら、僅かな隙を見つけては、志貴のナイフを持つ手が僅かに動いた。その仕草にシオンは悲痛な叫びを上げる。

 

「何をしようとしているのです志貴!? さつきは今、まともな精神状態ではありません! さつきを攻撃しないで下さい!!」

「…………!」

 

 志貴はさつきの攻撃をやり過ごしながらも、額に脂汗が滲む。

 興奮状態のさつきの攻撃は乱雑だ。重心は崩れ、大振りとなった攻撃は時折、大きなスキを見せる。そこへ志貴はすかさずナイフを差し込もうとして――反射的に後ろへ下げた。

 彼女は間違いなく自分の罪、決して下ろせぬ十字架。

 ゆえに、志貴は冷酷に告げる。

 

「ごめん、シオン、弓塚さん。――俺はまた弓塚を殺す」

「なにを…………っ!」

 

 シオンは絶句し、さつきはピタリと動きを止める。そしてさつきは志貴の言葉を胸中で反芻し――にこりと笑う。

 それはあの夕日の下で見せた、純真で屈託の無い柔らかな笑顔。その笑みは、かつてオレンジ色に染まる坂道で、他愛のない口約束を交わした思い出のカケラを振りまく。

 さつきは両手を後ろで組んで、少し顔を突きだしながら小首を傾げた。

 

「――――また私を殺すの? 遠野くんは?」

「――――――――――――」

 

志貴は小さく息を呑み、ナイフを握る手の力が抜けていくのを感じた。心臓の調律が狂い、彼女の言葉が凍った心臓を鋭い針で次々と刺していく。

 

「あの冷たい路地裏で遠野くんに刺された時、私は嬉しかったよ。遠野くんが私の罪を罰してくれたから」

「俺は……」

 

 志貴の声に動揺が滲み、ナイフを落としそうになる。さつきの顔が少しずつ遠くなり、志貴はようやく気付く。

 知らず知らずのうちに、志貴は後ずさり、自らの罪に背を向けかけていた。

 そんな志貴の卑劣さに、嘲りを含んだ調子でさつきは続ける。それは小鳥がさえずるように柔らかく、鴉が鳴くように耳障りだった。

 

「でもね、今度は違う。私はアナタの弱さによって起こされて、あなたの矮小さによって殺されるの。こんな理不尽な事がある? ねえ、それで遠野くんは自分の罪を帳消しにしたつもりなのかな?」

「その言葉を聞いてはいけません! 彼女はズェピアの影響を受けて、本心ではない事を語っています! 聞くに値しない戯言です!!」

 

 シオンは志貴に耳を塞ぐよう忠告するが、すでに志貴は戦意を喪失しかけていた。

 ズェピアは三人のやり取りを愉快気に干渉しつつも、さらに志貴の心を土足で踏み荒らす。

 

「戯言、そう戯言だとも。その娘の言葉は、魔眼持ちの少年が望んだものなんだよ」

「……どういう意味ですか?」

「その通りの意味だよ。彼女は罰。形になり得なかった罪を象り、罰を与える現象。――要はあの少年は未だに吹っ切れていない。心の底では罰されたがっているからこそ、あのようなセリフを紡ぎ出す影法師を生み出すのだよ」

 

 ズェピアの不快な言葉に志貴は反論出来なかった。ズェピア言う事はいちいち不快だがいちいちもっともなノイズだ。

 彼女を殺した事は罰だ。

 彼女を生み出してしまったのも罪だ。

 そして当然、再び彼女を殺すのも罪だ。

 自分のやる事はしょせん、臭いものに蓋をするだけ。心に十字架で傷をつける事で許しを請う殉教者の皮を被った豚である。くだらぬ自傷癖で償った気になっているだけの卑怯者だ。

 その志貴を見透かすように、さつきは氷の刃で志貴を刺す。

 

「そうやって苦しい顔をしているのだって、償いのつもりなんでしょ? お生憎様、優しい言葉なんてかけてあげないよ」

「俺は……」

「矛盾だらけなんだよ遠野くんは。罪をさらなる罪で打ち消そうとする。自らの過去に蓋をするために同じ手段を重ねようとする」

 

 さつきの一言一句が、背筋を薄く撫でまわすような寒気を走らせる。その手は滑らかで、優しく志貴の心を殺しにかかっていた。

 

「――遠野くんはさ、殺人という罪を殺人という罰で消去するつもり?」

「――――――――ッッッ!!!」

 

 志貴の顔により一層暗い影が落ちた。それは自身の急所を的確に貫く処断の声。決めたはずの覚悟を砕く悪魔の囁き。

 しきの喉がひりつくのをさつきは見逃さなかった。拳を振り上げ、強く地面に振り下ろす。

 

「そ――おれっ!!」

 

 可愛いらしい掛け声とは不釣り合いな衝撃が地面に走る。拳を中心に円状に広がる衝撃はコンクリートを砕き、志貴の足元をぐらつかせた。

 衝撃波と共に志貴の虚弱な体は後方へ吹き飛ばされ、アルクェイドの鎮座する柱へと叩きつけられた。

 

「がはっ……!」

 

 衝撃と共に空気が肺から押し出され、内臓はうねり荒れ狂う。骨は軋み、筋肉は何か所か断裂したように燃えるような激痛を訴えてきた。

 志貴の視界は痛みで霞、やがて朱色が侵してきた。それは自身の頭部から流れる血液だった。

 血で視界を奪われた。それを拭おうと志貴は空いている左腕を動かそうとするが、震える左手は脳からの指令に従わない。まるで神経の繋がらない他人の腕を移植したかのようだ。

 志貴の脱力した姿に、ズェピアは笑う。

 

「かつての罪が己を断罪するために地獄の淵から舞い戻り、愛憎と共に恋しい男に襲いかかる、か。実にケレン味の効いた三文芝居だな。どうだね、我が娘? 人間の娯楽の一抹は理解できただろうか?」

「あれを娯楽と考える貴方の考えを理解出来る日など永遠に訪れない! そこをどけワラキア! 私はさつきを止めなければならないのです!!」

「私も手伝おうシオン。アレはあまりにもやるせなさすぎる」

 

 シオンとリーズがズェピアを無視してさつき達のもとへ駆け寄ろうとすると、ズェピアはマントを広げ、つれない二人に長嘆し天を仰いだ。

 ズェピアは相も変わらず芝居がかった仕草で、自分を袖にしようとする美女二人に再びダンスを申し込んだ。

 口元をわずかに歪めたその笑みは、新しい悪戯を思いついた子供のようで、シオンは全身を怖気が覆うのを感じた。何か再び、理解の及ばぬ悪趣味な一幕を開演しそうで。

 

「せいっ!」

 

 リーズもそれを察したのか、ガマリエルをズェピアの顔面目掛けて突きだした。

 自慢の剛腕と魔力によるジェット噴射を組み合わせた、聖楯による打撃。圧倒的重量で迫る攻撃を、ズェピアは跳躍で軽々と躱し、手近な柱の上に飛び移る。

 攻撃を空振りしたリーズは忌々し気にズェピアを睨むと、ズェピアは哄笑する。

 

「はは! 急いては事を仕損じるぞ楯の乙女よ! 慌てず焦らず、起承転結、緩急を守りたまえ! 女とは疑いたくなるほどの剛力は実に素晴らしい! ……いや、もしかして君は本当は男性なのでは? 剥いてみなければ分からんな」

「よし、お前をブチ殺す理由が一つ増えた。お前は神の敵であると同時に私の敵だ」

 

 リーズは白い肌に青筋を立て、無礼者を打ち据えようと聖楯を構え直す。騎士団所属時に「団長は女装男性かもしれない」という根も葉もない噂を立てられた苦い思い出がある。 

無論、その噂を信じて直接尋ねにいった団員の顔にリーズの拳が叩きこまれたのは言うまでもない。

 過去に封印した忌々しい過去を呼び起こされ、リーズは怒り心頭だがシオンはリーズの袖を引く。

 

「リーズ! 今はアナタの男装癖をとやかく論じている場合ではありません! 二人を止めないと!」

 

 シオンの悲痛な叫びにリーズも我に返る。あの死徒は後で殺す、と物騒なセリフを吐きながら、リーズ達が二人の元へ向かおうとするとワラキアが呼び止めた。

 

「待ちたまえよ我が娘と白百合の騎士。あちらはちょうどパートナーが出来上がっている。ならばこちらはあぶれた者同士、二対二のペアで舞台を作り上げるべきではないかね?」

「二対二? 二対一の間違いだろう。残念ながら私のパートナーはシオンと決めている。貴様はコウモリとでも戯れていろ」

 

 ズェピアの誘いをすげなくするリーズだが、ズェピアは肩を竦めるだけ。見目麗しくもいささか以上に礼儀を欠いた騎士に苦笑する。やはり、乙女には剣より華だな。という認識をズェピアはは内心で強めた。

「間違いではないさお嬢さんたち。君が穢れ無き純白の乙女を相方に選ぶというのならば、私もそれ相応の相手を用意させてもらおう」

 

 その言葉に、シオンの悪寒はさらに激しさを増した。

 ズェピアは演劇狂いの演出家だ。脳内に地獄を飼う彼が書き起こす脚本の醜悪さは、嫌というほど思い知らされている。

 もし彼が、自分の計算通りの演出をしようとするのならば間違いない。

 その先を想像して、シオンは血が凍る錯覚に陥った。もし、ズェピアに彼女が加われば勝ち目は一気に薄くなる。

 そのシオンの不安をさらなる恐怖で包み込むように、ズェピアは最高最低の演出を始めた。

 

「足跡一つ無い雪原のように美しい彼女の対となるならば――。濁の如き汚泥がお似合いだとも」

「お前……!」

 

 やはりそうなるか、とシオンは怒りで視界が赤く染まるのを感じる。凍った血液が一転、怒りで燃え上がり、視界は紅く染まる。

 シオンの激情を心地良く受け止めるようにズェピアは瞼を閉じて、新たな役者を舞台へ招き入れるために目を閉じる。

 己の内奥、深く、より深い最奥の深淵にズェピアは意識を潜り込ませる。そこは一筋の光も、一節の音すらないどこまでも広がっていく闇。タタリに飲み込まれたものが、混ぜ合わされ溶け消えていき、闇という無に収束される。

 

 しかし、その中に一点だけ輝く異物があった。

 暗い闇の中では光こそ異端。光明など不要。

タタリに飲み込まれながらも分解に抗い続ける聖なる輝きは、かつて愚かしくも健気に立ち向かってきた哀れな乙女。

 

 その乙女に、ズェピアは――一滴の血を垂らした。

 白磁器のごとき美しい肌に一点の赤い染みが出来ると、徐々に広がり、どす黒く変色していく。白と黒を基調としていた制服は、黒をベースに血管のような赤い線が走るデザインに変更される。

 制服に流れる血管が太い動脈と静脈すれば、肌に走るのは毛細血管か。瞳も充血したように紅く染まり、静謐な狂気を湛える。

 のっそりと、気怠げに彼女は起き上がった。その感情の籠らない姿に、ズェピアは満足げに頷き、優雅に一礼する。

 

 ――そろそろお目覚めの時間だ。

 

 ズェピアは恭しく彼女の手を取ると、彼女を意識の外へと引き上げる。

 ズェピアの周囲に黒い影が蠢きながら集合する。それは徐々に凝集し、ある形を形成していく。

 

「あれは、私……?」

 

 リーズは瞠目し、シオンは噛み切った唇から血を滴らせる。あれは確かに彼女だ。聖楯の庇護により、分解を免れているのだから、それを元に再構成すれば生前のリーズと寸分違わぬ存在を生み出せるだろう。

しかし、アレは果たして本当に彼女なのか?

聖なる輝きに美しく映える制服は、闇を想わせる黒と血を連想させる赤に染まり、肌にはひび割れの如き血管が走っている。

 

「素材そのままでは芸が無いのでな。私なりのアレンジを加えさせてもらったよ。中々の力作だと自負しているのだが――どうだね我が娘? これが私を守護する黒百合の騎士だ」

「お前…………!!」

 

 シオンはズェピアの隣に並び立つ人物を睨みつける。

 それは彼女のよく知る人物だった。しかし、似ても似つかない。

 彼女の磨き上げられた乳白色の玉のような輝きは漆黒に塗り潰され、誇りと尊厳を完全に砕かれていた。

 怨嗟の籠った視線に気が付いたのか、彼女を象っただけの似て非なる存在。

 

 漆黒の騎士――リーズバイフェ・ストリンドヴァリは、

 

 ――にいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ

 

 と口角を吊り上げた。上がり切った口の端からは涎がだらだらと零れ、狂気で爛々と濡れる瞳で心底愉快気に語り掛けてきた。

 唇を震わせながら、壊れたスピーカーのようなたどたどしい口調で

 

「――ひさし、ぶり。――――――――しお、ん」

 

 と漏らした。

 そこが限界だった。

 

「どこまで私たちを侮辱するつもりだあああああああああああああっっっ――――!!!!」

 

 思考回路は焼き切れ、シオンはズェピアの喉元へ食らいつく勢いで飛び出す。

 怒りに支配されたシオンに、リーズの制止の声は届かない。シオンは腕輪からエーテライトを多重展開。汚されて堕とされきった友を救うために、怨敵を殺すために突貫する。

 アトラスの錬金術師が激情に身を任せるなど愚かの極み。怒りだけでひっくり返せるほど、シオンとズェピアの戦力差は小さくない。そんなものは計算するまでもない。

 それでも向かってくるのは矜持がそれとも友情か。

 いずれにせよ烏滸の沙汰には違いない。計算式に影響を与えない排除すべき値だ。

 

「だからこそ愛おしい。人間とは矛盾と無駄が個性を創る」

 

 ズェピアは恍惚に全身をぞくぞくと震わせ、殺気をみなぎらせながら突進する娘を、手を広げて歓迎する。

 

「――さあ、第二幕の開演だ我が娘!」

 


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