【祝・完結】 月姫 弓塚さつきルート MELTY BLOOD ~memory of Rhododendron~   作:風海草一郎

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最終話 

「――――――――」

 

 何と叫んだのかはわたしにも分からない。肺腑の空気を全て出し切るほどの全力で、喉よ引き千切れろとばかりに叫んだ。

 わたしの拳が志貴くんの頭に振り下ろされれば、それこそ潰れたトマトの果肉みたく脳漿がぶちまけられるだろう。好きな人を二度も殺すなんて絶対に嫌だった。

 しかし、その言葉が彼に届く事は無い。私の想いは今まで通り、空虚に闇夜に埋もれて消えるだけ、そのはずだったのに。

 

 

「それでいいのかさつき――――――――――――――ッッッ!!!!」

 

 

 スクリーンごしでも大気を振るわせられているのではないかと錯覚するほどに、叫び声が鼓膜を叩いた。

 スクリーンの映像が切り替わり、そこに映し出されるは白百合の騎士。折れた左腕を押さえ、痛苦に顔を歪めながら立ち上がる。

 

 髪には血がこびりつき、格調高い鎧や聖楯にはひび割れている。それでも彼女の高貴さは一切、曇りを見せる事はない。

 満身創痍の体に鞭打って、空元気を振り絞る。

 

「君は……! 君はそんなに弱い子ではなかったハズだ! 何度、吸血衝動に襲われ、何度、容易な道を示されたって! 君は決して負けなかったじゃあないか!! 心は人間でいたいといつも言っていた!! そんな健気で無垢な君だったからこそ私は君も守ると誓ったんだ!!」

 

 ガン! と右拳で胸の甲冑を叩き、己の存在を誇るようにリーズは高らかに宣言する。

 

「私を見ろ!! 肉体はとうに死に絶え、シオンの分割思考に常駐するだけの存在だ……。言ってみれば完全なデータが、生前の私と寸分違わない思考と言動をしているだけの虚ろな存在に過ぎない!!」

 

 後ろでシオンが口を開きかけるが閉じる。その先をシオンは視線で促し、リーズは頷くと続けた。

 

「しかしだ! 私は今、自分の意志でここに存在している! 自分の意志で、自分の想いで君とシオンを守ると誓った!! だから……!」

 

 一息吸い、呼吸を整え、一気に言い切る。それが彼女の生き様だとでも言うように。

 

「だから! 私は私だ! たとえデータチップの一枚になろうと! たとえ培養液に浮かぶ脳髄一つになっても! 私が私であると思う限り、私は私なんだ!! 元ヴァステル弦楯騎士団団長にして、君とシオンの守護の楯!! リーズバイフェ・ストリンドヴァリである!!」

 

 一点の曇りもない眼で、彼女は己を肯定した。

 すでに肉体は消えたデータの集合体。もしもわたしが彼女と同じ境遇であれば、わたしはあそこまで迷いなく言い切れただろうか。

 わたしは茫然とした表情で彼女を見つめる。なぜ彼女がそこまでわたしのことを買ってくれているのかは分からない。分からないけれど、彼女はおためごかしなどではなく、本気でわたしがズェピアに勝てると思って呼びかけてくれている。

 

 知らず、わたしは歯を食いしばっていた。

 身体が熱い。全身を巡る血液は沸騰し、焔のように燃え上がる。

 体中を走る神経たちは興奮を雷撃のようにスパークさせ、シナプスを弾けさせる。

 不思議と頭は冴えてきた。これだけ熱を帯びているのに思考はどこか冷静で、自分が何をなすべきなのか、努めて冷静に命令を下す。

 

 膝に力を籠める。笑っていない。これなら自分の足で歩けるだろう。

 掌を開閉する。しびれていない。これなら拳を固められるだろう。

 わたしの変化に気が付かないのか、ズェピアは腹を抱えて、彼女の勇姿を嘲笑った。

 

「ハハハハハハハ!! これは傑作だ!! 既に命の蝋はかき消され、複製された仮初の肉体と知りながらそれでも自己を語るか!! なんという欺瞞!! 道化ばかりのこの舞台で君以上の道化がいたとは!!」

 

「――――――――――――――――れ」

 

「…………………………………………なに?」

 

 ズェピアは怪訝そうな顔を浮かべるが、わたしは意に介さない。

 許せなかった。シオンの人生を狂わせて、罪人の烙印を押した事が。

 許せなかった。わたしの恋心を踏みにじって、また志貴くんを泣かせた事が。

 

 そして何より、

 殺されてもなお、懸命に自分を持ち続けた彼女を侮辱した事が許せない!!

 だからわたしは叫ぶんだ!

 たとえどれだけ矛盾した想いでも!

 どれだけ薄弱な理由だとしても!

 わたしがわたしであるために、わたしは叫ぶ!!

 

 

「黙れえええええええええええええええええええええええええええっっっっ!!」

 

 

 〇

 

「黙れえええええええええええええええええええええええええええっっっっ!!」

 

 彼女の想いが夜空に響き渡り、ズェピア――弓塚さつきは力の限り咆哮する。

 体の支配権を奪い合っているのか、時には体を大きくのけぞらせ、手足を震わせる彼女はそれでも己を手放さない。

 

「くだらない! くだらないくだらない馬鹿馬鹿しい!! わたしが何者であるかなんて、そんなものは他の人が決める事じゃない!!」

「はっ! 死後に噂でカタチを与えられただけの存在が何を――」

 

 二つの意志が一つの口から言葉を漏らし、表情と言葉が一転三転する。しかし、さつきは自分の頬を殴りつけると、無理やりに体を奪い取る。

 

「吸血鬼でも! タタリでも! データの集合体になったとしても! わたしはわたしだ!! 弓塚さつきだ!! たとえ魂魄百万回生まれ変わったって、わたしはわたしであり続ける!!」

 

 そして、とさつきは言葉を区切り、今も眠り続ける彼へ思いの丈をぶつける。

 

「――そして、何度だって志貴くんに恋をするんだから!!!!」

 

 それが彼女の在り方だった。

 どれだけ苦行に満ちた茨の道であろうと、人であることを諦めずに前へ進む。

 振り向いてもらえずとも、共感も理解も得られずにいつかひっそりと果てようと、それでもさつきはさつきであり続ける。

 

「たわけた事を抜かすな屑共があああああああああああああああっっっ!!」

 

 さつきの口から醜悪な怒号が放たれる!

 瞳を憎悪の炎で焼き焦がし、黒き渇望で爛々と光るそれはもはや光を映していない。

 

「貴様らごときに私の悲願を阻まれてたまるものか!! 私がどれだけの苦行の果てに『ワラキアの夜』などというものに身を窶した思う!? 私の五百年の研鑽を! 滅びを回避するという大願を!! たかが小娘の恋心ごときで邪魔されてなるものか!!」

 

「――うん、だから一生理解出来ないよ、あなたには」

 

 さつきは悲痛さの入り混じった叫びを穏やかに返すと、憐れむように微笑んだ。身体の内でズェピアは反駁したようだったが、さつきは構わずトリガーを起動させる。

 

「――――飢え渇け『枯渇庭園』」

 

「……さつき! いったい何を!?」

 

 突如として固有結界を発動させるさつきに、シオンは驚愕の表情を浮かべる。

 固有結界は元来、とてつもなく緻密で繊細な集中を要するものだ。それを体のコントロールの大半を奪われたままで発動するなど自殺行為だ。

 

 しかも周囲のマナやオドを奪う効果は、魔力回路に乏しい自分や魔術師ではない志貴に効果は薄いが今はリーズがいる。彼女を構築するオドまで奪われれば、今の自分では再構築するだけのリソースは無い。

 

 シオンは制止しようとするが、ふと気づく。彼女が固有結界を展開する際に現れる色彩豊かな皐月の花が現れない。

 発動に失敗したか、とシオンは安堵と共にさつきへ顔を向ける。

 さつきは振り返り、口元に微かな笑みを浮かべると――

 

 ごぼり、と口の端から血を溢れ出させた。

 

「………………え?」

 

 間抜けな声がシオンの口から零れた。

 思考が追い付かない。

 ついていけないのはリーズバイフェも同じようで、目を丸くしてポカンと口を開けていた。

 なぜ、

 どうして、

 

 

 ――――どうして彼女のお腹に大穴が空いているのだろう?

 

 

 まるで太い杭で彼女の腹部を刺し貫き、抉り取ったような凶悪な傷跡。はらわたは命尽きるまで足掻こうとしているのか弱弱しく鳴動し、最後の命を燃やさんと明滅する。

滴る血によってスカートはすでに赤一色となり、ソックスとローファーも既に鮮血に侵食されつつある。

 

 シオンはゆっくりと膝をついた。臓器の大半は消し飛んだであろう腹部から、血液がぼたぼたと落ちる様を、まるで別世界の話のように他人の目線で凝視していた。

 

「きさ、まあ……! 固有結界を自分の体内で……!?」

 

「ふふ、こうでもしないとあなたはまたわたしを乗っ取るでしょう? だったらこうするしかないじゃない」

「貴様は何が望みだ……? 死が、滅びが恐くないのか? 私と共にあれば、不死もあの男も手に入るのだぞ…………?」

「何度でも言ってあげる。――あなたには一生理解出来ないよ、恋心は」

 

 勝ち誇るように、さつきは嘲笑う。

 それがズェピアの怒りに油を注いだ。

 思考は一瞬で空白となり、すぐに嚇怒と憎悪で埋め尽くされた。

 

「――――――――――――――ッ!!!!」

 

 ズェピアの咆哮は意味を成さない。ただ、認められぬ何かを否定し、叩き潰すためだけに喉元は唸りをあげて、理解不能な生命たちを滅さんと飛び掛かる。

 シオンはエーテライトを取り出すが、折れた指の再生が間に合わない。片腕だけのリーズでは心許ない。力の抜ける身体を無理やり起こそうとすると、すっとリーズバイフェが庇うように前に出た。

 

「危険ですリーズ! あなたはもう戦える状態ではない! せめてあなたを再構成してから……!」

 

 この状況でも他人を気遣う不器用な温かさに、リーズは苦笑する。

 

「それは君も同じ事だろうシオン。私なら大丈夫さ」

「何が大丈夫なのです!? 半死半生とはいえ、さつきの力を持ったズェピアを今のあなただけで――」

「同じ吸血鬼杭(ドラクルアンカー)使い同士、こういう事だけは分かるんだ。直接、顔を合わせた事は無かったけれど、それでも通ずるものがある」

 

 リーズバイフェは微妙な表情を浮かべた後、右腕にガマリエルを装填する。その楯に聖なる輝きが宿る。主の威光を知らしめよと叫ぶ相棒を、リーズは誇らしげに構えた。

 ズェピアは変わらず言葉にならぬ叫びで襲い来る。あと二十歩といったところか。

 ならば後、十歩だろう。

 ズェピアは残る十歩。

 もう背中に追いついただろう。

 そしてリーズはガマリエルをズェピアに向けて、声を張り上げる。

 

 

「合わせろ代行者――――――――ッッッ!!!!」

「命令しないでください――――――――――ッッッ!!!!」

 

 

 月下に照らされたアスファルトに一つの影が浮かぶ。満月を背に飛び上がる彼女は、第七聖典を脇に抱えた偽りの信徒

 二つの聖典武装が闇夜を照らす。その輝きは主に逆らう愚者を、存在ごと滅する神罰の代行者。

 その輝きが重なり合い、集約する。暴発寸前まで高められた神聖な気は、死に体の吸血鬼を貫かんと放たれる。

 

「「カルバリア・ディスロア(デスピアー)――――――――――!!!!」

 

 異端の信徒たる二人の武装が唸りをあげる。第七聖典はさつきの右腕を、聖楯は左腕を刺し貫き吹き飛ばす。

 

「がっああああああああああああああああああっっっっ!!!!」

 

 絶叫するズェピアは勢いそのままにはるか後方へ吹き飛ばされ、アルクェイドの佇む石柱の根本へ破砕音と共に縫い付けられた。

 

 両腕を完全に縫い留められたズェピアは身じろぎ一つ出来ない。指先さえ動けばエーテライトを使用して反撃も出来ようが、杭を打ち込まれた箇所から浄化され、灼けるような痛みでうまく動けない。ここで吸血鬼の特色が強い身体が仇となった。

 脳髄まで犯されそうな痛みにズェピアは奥歯を噛み締める。

 完全に手詰まりだった。

 

「終わりです、弓づ……いえ、ワラキアの夜。今宵があなたの終着点です」

 

 シエルは意図的に表情を消し去り、ズェピアの元へ歩み寄る。その手には黒鍵が出現している。

 これで言の葉に乗り、人口に膾炙する事で時には小国すら滅ぼした悪夢も消える。

 限定的ながらも不死を獲得した吸血鬼の存在など、シエルは己の全てを賭して滅ぼさなければならない。

 

 シエルの眼が細くなり光を失う。

 祈りの言葉など不要。

 この魂に救済は無く、無為に土へ還るのみ。

 そしてシエルは心臓目掛けて投擲の姿勢を取ると、リーズバイフェに肩を掴まれた。

 

「その手はなんです? あなたは弓塚さんと知り合いのようですが……。ここまでくれば手の施しようがありません、諦めてください。もし庇い立てするようならば――」

「――頼む。後は彼女達にやらせてやってくれないか」

 

 深々と、真摯に頭を下げるリーズバイフェにシエルは息をのむと、彼女の言う『彼女達』へ顔を向けた。

 

「…………遠野君」

「シエル先輩……。それから――――弓塚さん」

 

 血に染まった顔を拭いながら、志貴はシオンに掴まりながら立ち上がっていた。

 宗教画に描かれる聖人の磔刑を彷彿とさせるさつきの姿を見て、志貴は全てを理解した。

 志貴は先ほど拾った七夜の短刀を取り出し、さつきの目の前へ二人で近づく。

 一歩、また一歩と重くなる足取りを、無理やりに動かして。

 おかしな気分だった。

 まるで死刑台を昇る受刑者のようだった。

 己は大のために小を切り捨てる無慈悲な執行人だというのに、これでは立場があべこべだ。

 

 気づけば短刀を握りしめる腕は震えていた。そしてシオンに掴まる左肩からも、自分以上の震えが伝わってくる。

 短刀を握りしめた手が白くなるほど力を籠める。後はこの刃を彼女の死の点、胸中央に突き刺すだけだ。それで全てが終わる。この町を包み込む虚言の夜は閉幕となる。

 

 理性が囁く。

 彼女は助からないと。

 本能が叫ぶ。

 彼女を生かしておけないと。

 

 もとより、彼女の命は一年前に自分が断っている。すでに血で塗りつぶされた過去のカンバスに、さらに血を重ね塗りしたところで一体、何の変化があろうか。

 

 まったく彼女の言う通りだった。

 殺人という罪を殺人という罰で消去する。

 決して消えない過去に蓋をする。

 それを捨てる度胸もないくせに。それを忘れて笑えるほど器用でもないくせに。

 そのくせ、それを覗くのは気が引ける。

 傷が癒えかけるたびに思い出しては同じ傷をつけて感傷に浸る卑怯者。

 

 どうせ出口の無い袋小路なら、せめて大勢が助かる道を選択する。

 志貴は自分すら騙せない嘘をつき、ナイフを振りかぶる。

 

「――――いいよ、志貴くん。そのままで」

「さつき…………!」

 

 さつきは無理やりに笑顔を作ると、晴れやかな笑顔を向ける。その笑顔がさらに志貴の心を抉る。

 

「さつき、私は本当にあなたを……っ!」

「うん、分かってる。全部分かってるよシオン。シオンが本気で私を思ってやってくれていたって事くらい、本当は全部分かっていたから。でもね、私はもうだめみたい。今はズェピアを何とか抑え込めているけれど、もうそろそろ限界。この杭みたいなの痛くって、意識が飛びそうなの」

 

 そしたら、また乗っ取られちゃうね。と、さつきは困ったように苦笑する。

 事実、さつきの身体に刺さった杭は吸血鬼を浄化し、傷口から煙を上げている。吸血鬼の特攻武器なだけに、吸血鬼の特性が強いさつきの方がダメージは大きい。

 それが分かっているがゆえに、彼女は全てを受け入れる。

 志貴のナイフを持つ手がガタガタと震える。覚悟を決めては崩される自分の不甲斐なさを志貴は心底恥じた。

 だから、こんな恥知らずな発言が出来るのだろう。

 

「――なあ、何とかならないのかアルクェイド!?」

 

 志貴は石柱に無言で鎮座し、事の行く末を傍観していた真祖に懇願する。

 恥も外聞をかなぐり捨てて、駄々っ子のように幼稚な願望をぶちまける。

 

「お前とシオンが協力すれば吸血鬼化の治療だって夢じゃないんだろう!? 俺からも頼むよアルクェイド!! 何か……何か方法があるかもしれないだろう?」

「無理よ志貴。そればっかりは私にもどうにもできない……。諦めてちょうだい」

 

 しかし、そんな想いは容易く切り捨てられる。つまらないものでも見るような彼女の瞳は、それが嘘ではない事を語っていた。

 

「都合が良い事を言っているのは分かってる! けどなあ、だからって諦めきれるワケないだろう!? 彼女が一体、何をした!? 理不尽に殺されて、吸血鬼なんてものにされて、また殺されて蘇っては殺されるっていうのか!?」

「吸血鬼の被害者なんてみんなそんな物よ。世界ではごくごくありふれた悲劇の一端、それにね志貴、私はこう思うの」

 

 志貴の背筋がぞくりと震える。彼女は根は冷酷な現実主義だ。そのくせ理詰めである。この先の言葉を聞けば、きっと自分は逆らえないだろう。

 志貴は耳を塞ぎたくなる衝動に駆られるが、一足遅かった。

 

 

「――――殺した責任、ちゃんと取らなきゃダメだと思うの」

 

 

「――――――――――――――――――はっ……」

 

 志貴の喉からひゅう、と息が漏れた。完全に、完膚なきまでに打ち砕かれとどめを刺された。志貴は皮肉げに顔を歪め、真祖の姫君に恨み言を漏らす。

 

「……お前がそれを言うのかアルクェイド」

「バカね、私だからに決まってるじゃない」

 

 二人の攻防は終了した。志貴は再びナイフを握りしめる。甘え腐った心がやめろと吠えるが志貴は責任という理性で押さえつけ、狙いを死の点へ定める。

 筋繊維の一本たりとも許してはならない。許せばきっと全員が仕事を放棄して取り落としてしまうから。

 

 呼吸は乱れ、石膏で固められたように動かないくせに震えだけは大きくなる。その震えは次第に大きくなり、意思を裏切ろうとする。

 

 そこへ、そっと手を添えられた。

 

「シオン…………」

 

 シオンはしっかりと両手で志貴の腕を包み込むように押さえ、志貴の顔を見て頷く。

 怜悧な瞳からは光の粒が次々と産声を上げては、頬を伝う。

 

「――――志貴、私も」

「…………………………」

 

 志貴は無言で頷くと、ナイフを彼女の胸元に当てる。

 あと一ミリ。

 あとほんの僅か、突き出すだけで彼女の存在そのものが殺される。

 さつきは目を閉じ、全てを受け入れるように沈黙している。

 

「弓塚さん、君はそれでいいのか?」

「えっ? 今、それ聞いちゃう? うーん、志貴くんって本当にあれだよね」

 

 何でもない、教室で世間話でもするような気軽さでさつきは対応した。目を大きく見開くと、うーん、と首を傾げる。

 

「ええと、言わないほうがいいんじゃないかな? せっかく志貴くんもシオンも覚悟を決めてくれたのに揺らいじゃわないかな? ああ、もちろんわたしもなんだけど?」

 

 はにかむように冗談めかしてさつきは笑う。

 シオンは渇いた唇を懸命に動かし、無理やり言葉を紡ぐ。

 

「さつき、前から思っていたのですがあなたは遠慮しすぎです。日本人は謙虚を美徳と捉えがちですが、あなたのは度が過ぎている。貧乏くじばかり選んでいないで、たまにはワガママになったらどうです?」

 

 笑顔が作れているかシオンは心配だった。恐らく作れていないのだろう。自分でも分かる。

 だってさつきも、今にも崩れてしまいそうな笑顔なのだから。

 

「それじゃあね、私も言うね。きっと最後だから」

 

 さつきは大きく息を吸い、花が咲くような笑顔を向ける。

 弱い自分を隠すための偽りではなく、本心から、心から愛した人へと向けた笑顔を。

 

 

「遠野志貴くん。わたしはずっとずっとあなたが好きでした」

 

 

 それが彼女の一世一代の大告白だった。

 余計な装飾なんていらない。ただ、本当の愛を、本当の言葉で伝えよう。

 さつきの涙腺が崩壊する。

 ああ、駄目だ。最後までやせ我慢をしようと思ったけれど、やっぱり自分は弱いと自覚する。

 

 それでも、最後くらい甘えても、きっと神様だって許してくれるだろう。

 それからさつきは自分の全てを語った。

 

 元から好きだったけれど、中学二年生の冬、閉じ込められた体育倉庫から助けてくれた時に本当に好きになった事。

 同じクラスになったのに、志貴くんは覚えてもいなくてすごくショックだったこと。

 オレンジ色の夕日が照らす帰り道、この人を好きになって良かったとまた思えたこと。

 

 気付けば志貴も泣いていた。

 ああ、やっぱりこの人は優しい。どれだけ迷って傷ついて、責任を取るために動いても、こんなわたしのために泣いてくれるのだ。

 

 ――うん、そんなところが誰よりも好きだった。

 

「また泣いてくれるの志貴くん? 優しいなあ。できればそんな優しさを、わたしが独りじめにしたかったなあ」

「…………俺は」

「ありがとう、志貴くん。でもね、わたしの人生はそんなに捨てたものじゃなかったって思うの。好きな人の手で終わりを迎えられて、生き返った後も友達が出来て、そして――」

 

 さつきは晴れやかに笑いかける。

 

「そして本当に愛した人に想いを伝えられた。こんなに幸せな事がある?」

「…………弓塚さんっ!!」

「もう、最後くらい名前で呼んでよ」

「…………さつきさん」

「呼び捨てで」

「…………さつき」

「あはっ、嬉しい。なんだか本当に恋人同士みたいだね」

 

 泣きはらしたような真っ赤な顔で、さつきは屈託無く笑う。本当に笑顔が似合う女の子だった。

 

「――――――――私は諦めません!!」

 

 唐突に、シオンは張り裂けそうに叫んだ。

 迷いを全て断ち切った、理知的ながらも暖かな瞳で眼前の親友に宣誓する。

 

「私、シオン・エルトナム・アトラシアは! 誇り高き錬金術師として! そしてあなたの親友として誓います!! 決して諦めないと!!」

 

 静かに闘志を燃やす瞳に憂いは無い。

 

「たとえ真祖が不可能と断じようと!! たとえ何度失敗しようとも!! 私は諦めません!! 私は挫けません!! いつかあなたと共に笑い合える日が来るまで、何度だって挑んでみせると!!!!」

 

 天に、真祖に、親友に、――――そして全ての不条理に対して、シオンは挑戦状を叩きつけていた。

 

 宣戦布告だ。

 

 壁は高ければ高いほど、上り詰めた時の快感もひとしおだろう。その時に、隣に友がいてくれれば望外の喜びである。

 見上げるような断崖絶壁でも、何のとっかかりも見えない壁がそびえ立とうとも、自分は決して歩みを止める事はない。

 

 これは決して終わりなどではない。これは新しい始まりなのだ。

 シオンは、本心からの満面の笑顔を見せる。

 そしてさつきもそれに満面の笑顔を見せた。

 

 さつきに疑う心は欠片も無い。頭でっかちで理屈っぽいけれど、どこまでも暖かな学者の彼女のことだ。不可能なんてあるはずがない。案外、直ぐに何とかなるかもしれない。

 だから、さつきはこう言った。

 

「うん、信じているよシオン。だから」

 

 さつきは最後の言葉を全幅の信頼と最大の親愛で送る。

 

 

「――――――またね、シオン」

 

 

「――――――――――――――――――――――――――」

 

 シオンは瞠目し――そしてすぐに表情を引き締めた。志貴も既に涙を止めていた。

 志貴の腕に力が籠る。それを察したシオンはその腕に自分の力も乗せ、一息に突き刺す。

 そして、しばらく会えなくなる親友に言葉を贈る。

 

「――――――それではまた、さつき」

 

 トスリ、とあっけなく志貴のナイフがさつきの胸に突き刺さる。

 さつきは苦しむ素振りも見せず、最後まで快活な笑顔を絶やさない。

 彼女の身体が崩れていく。

 夜風は灰となったさつきの身体を運んでいき、そして最後に、

 ――彼女の笑顔を連れて行った。

 

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