【祝・完結】 月姫 弓塚さつきルート MELTY BLOOD ~memory of Rhododendron~ 作:風海草一郎
日中の焼けつくような日差しを放つ太陽がしばしの休息を取り、黒い空に銀箔を張り付けたような月が鈍く照らす。
最近の遠野志貴は補修帰りに深夜徘徊をするのが日課となっていた。件の吸血鬼騒ぎに加え、失踪した元クラスメイトの噂とくれば徘徊の頻度も上がろうというものだ。屋敷を抜け出した言い訳として有彦のじいさんが先週で三回ほど亡くなったが、あと二回は使えるだろうか。
一年前までは部活帰りの学生のショートカットコースや、ホームレスのたまり場だったこの公園も、ある事件以降深夜の人通りは皆無と言ってよかった。
熱気と芝生の匂いを孕んだ風が吹き抜け、汗でワイシャツの張り付いた肌にわずかながら清涼感を与えてくれる。
静寂。ただただ静粛に清閑とした広場に志貴は一人佇む。
半日がかりで街を歩いてみたが、収穫は無し。やはり一年近くも前に失踪した人物を当てもなく歩いて探し当てるのはほぼ不可能だろう。
「当てどなく、か」
言って、志貴は自嘲気味に呟く。
本音を言えば、当ては全く無いわけではない。
毎夜うなされた悪夢の現場。
吸血鬼によって彩られた、おぞましい鮮血劇場。
心に沁みつき、薄れる事は決してないケガレ。
「……行ってみる、か? 路地裏に」
ネロの使い魔に殺されかけ、シキとの共有感覚によって刻みつけられた血生臭い記憶。
時計の短針と長針はどちらも十二を指ししている。いつのまにか日付が変わってしまったようだ。
心当たりはソコだけだ。しかし、あの惨状を思い出すだけで足が鉛のように重くなり、心臓の鼓動は早鐘を打つ。
そこへ行けと命ずる本能は異様なほどの高ぶりを見せるが、行くなと押さえつける理性が全身を硬直させる。
何とか気合いを入れ、路地裏へ向かおうとした矢先、
「――困りましたね。あなたがあちらへ足を運ばない可能性は二十二パーセントほどあったのですが、こちらの方がでてしまいましたか」
朝、見かけた異国風の少女が立っていた。
「君は今朝の……」
「計算内とはいえあまりに遅いのでお迎えに上がりました、遠野志貴」
何で俺の名前を? と聞くより早く、少女は懐に手をやり、
「時間が惜しいので拘束させていただきます。あなたのスペックからして手加減は出来ません」
夜色に溶けるように黒く、街灯を鈍く反射で輝かせる殺傷武器――拳銃らしきものを取り出した。
「ちょっ――――」
志貴の困惑を受け流すように頭をふると、それにならったおさげが一尾、軽やかに舞う。
少女の会話は一方通行だ。志貴の意志などハナから考慮していないように、冷徹に告げる。
「念のため言っておきます。――死なないでくださいね?」
――ヒュン! と何かが空を斬る音と共に、少女の身体は弾丸のように地面から発射された。
〇
深夜の公園に破砕音と金属のぶつかり合う音がしばらく響き渡る事五分、趨勢は決した。
一見、合理の塊じみた整合性の動きで志貴を圧倒していた少女だったが、次第に押され始めたのだ。
少年の動きは常人が後天的に習得出来る武術、格闘技のそれではない。まるで捕食者として生まれ落ちた生物の、本能に赴くままの殺人技術。
肉眼では見切れぬ細さ紐らしき武器による挟撃を、志貴は野生動物を遥かにしのぐ直感で躱し、はじき、受け止める。ならばと少女がバレルによる銃撃を試みれば、視線から狙いを先読みし、銃口が定まる前に死角に移動する狡猾さ。
数多の並列思考により導かれた計算をことごとく覆す、驚異的な成長速度。
否、これは成長しているのではなく、本性が剥きだされたと見るべきか。
「……はっ!」
少女は両手で武器を振るい、足技を織り交ぜるが――練度が低い。蹴り足を戻す際に重心がぶれる。
少女の武術は未熟だ。技術は闊達、コンビネーションは精緻。およそ人間が振るう武術の技量は最高峰と言えるだろう。
しかし、それだけに違和感が残る。少女の体術は杓子定規過ぎて、人間なら誰もが持ちうるクセというものが無さすぎる。まるで教本の内容を丸写ししたような不自然な精密さだ。
志貴は一瞬の隙を逃さず少女の足を払い、馬乗りになると、両膝で相手の腕を制し組み伏せる。
「がっ……!」
背中を地面に打ちつけ、苦悶の表情を浮かべる少女の喉元にナイフを突きつけ、詰問する。
「――――で? 襲ってきた理由くらいは教えてくれるんだろうな?」
「計算以上です。再演算は間に合っていたのに、数値の振り分けを間違えましたか」
薄皮を裂くほどに肉薄したナイフを前にして表情一つ変えず、少女は感嘆の声を漏らす。
ナイフをまるで意に介さず、その遥か先を見つめるような少女に志貴は片眉を上げた。
志貴は問いを重ねようとして口を開きかけると、少女は衝撃の一言を口にした。
「素晴らしい、その腕ならば真祖を殺害できたのも頷けます」
「な…………っ!」
――ドクン。
その言葉に志貴の心臓が震撼し、ナイフを握る手が自然と緩む。
「――動揺しましたね?」
瞬間、志貴の背中に衝撃が走る。つま先で背中を蹴られると、前のめりに地面に手をつく。さらに腰が浮いてしまったところを少女はブリッジして、背筋力によって志貴を全面に跳ね上げた。
「やってくれる!」
志貴は両手で着地しバク転。着地に使用した右足を軸に素早くターン。振り向くと同時にナイフを眼前に構え、迎撃態勢を取る。見れば少女も既に体勢を立て直すと引き金を引く。
ドオン! という音と同時に志貴の左を巨大なエネルギーが駆けていった。髪がハラリと地面に落ちる。あと数センチずれていたらと思うと、全身が総毛立つ。
もとより、少女の瞳にはひどく昂らせてくる何かがあった。それはかつて感じた興奮より幾分劣るものの、吹き出るような嗜虐心を煽る何かが。
肌がひりつくような緊張感。聞こえるのは互いの呼吸音と荒く収縮を繰り返す鼓動の音。
全身が怒張する性器にでもなったかのように陶然とする。
――コロセ。
――ドクンドクン!
先程よりひときわ強く、全身が震撼する。
――コロセ、コロセ。
視界が赤いペンキで塗りたくられたように、真紅に染め上げられる。
だめだ、この誘惑に乗ってはだめだ。
この声に呑まれれば俺は俺でいられなくなる。俺はあいつになる。
今宵は妙だ。悪い予感が真実となるように、タガが外れやすい。万力で締め付けられた頭蓋は悲鳴を上げ、痛みに反するように思考はクリアとなる。
あの細く華奢な首を捩じ切りたい。手足をもぎ取り、芋虫同然となった肢体を心ゆくまで犯したい。
「ぐっ、あっ……!」
――コロセ、コロセ、コロセ、コロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロコロコロコロセセセセセセセ!!!!
「お、ま、え」
眼鏡を外し、少女の身体を凝視する。
そこへ走る無数の線と複数の点。
すう、と目が細まり、少女の一点を注視すると、凶刃に殺意を込めた。
そうか、そんなにも。
――――そんなにも殺して欲しいのか――――!
「――――――――――――――――――――!!」
志貴は声にならない叫びを上げると、地面を蹴る。日本武道のすり足とは似て非なる、地面を滑るような変則的な動き。その様はさながら獲物に飛びかかる地蜘蛛のごとく。下から飛びかかるように振るわれる白銀は殺意を帯び、首筋へ吸い込まれようとして――
「――――だめえ! 遠野クンッ!」
突如として現れた闖入者に、志貴は体ごと弾き飛ばされた。
「なんッ……?」
右肩に押しかかった衝撃を殺しきれずに志貴はたまらずもんどりうった。転がる最中にあちこちぶつけた痛みに堪らず志貴は顔を顰める。
しかし、そこに意識を割いている場合ではない。
志貴の耳に飛び込んできた声には聞き覚えがあった。
成長途中の乙女特有の幼さを残す、少女らしさの抜けきらない声。
志貴は恐る恐る、自分が衝撃を受けた方角へ向き直る。
それは志貴の通う高校の制服を纏った少女だった。よれたワイシャツの上には薄汚れたクリーム色のセーター。すこしくすんだ野暮ったい指定のスカート。おさげがよく似合う、どことなく小動物さを残した顔。
「――弓塚さん…………?」
弓塚さつきが月光に射通されるように立っていた。
〇
――ゴトン、と取り出し口に落下した炭酸飲料を三つ手に取り、それらを胸に抱えた志貴はベンチに座った二人の少女に缶を二つ差し出した。
「ありがとう」とさつきと少女は礼を言って遠慮がちにプルタブを引っ張ると、炭酸の抜ける子気味良い音が響く。
志貴も倣って缶を開け、ごくりと小さな喉を鳴らして飲料を流し込むと、ようやく少し落ち着いた。
「それで? いきなり襲ってきた君は一体何者なんだ? 目的は? 弓塚さんもどうしてこんなところにいるんだ? 今までどうしていたんだ?」
「ええと、どこから話したらいいかな……」
疑問を連続で投げかける志貴にさつきは伏し目がちに口ごもる。
「遠野志貴、そう矢継ぎ早に聞いてはさつきも混乱すると思いますが」
「あっ、ああ。ごめんごめん。俺も焦り過ぎたよ」
少女のフォローに志貴はハッとすると、目下のところ最も疑問に思っていた事を口にした。
「君は一体誰なんだ? 俺を殺す事が目的ではなかったようだけど、どうしてあんな事を?」
「これは失礼しました。まだ名乗っていませんでしたね。私の名はシオン。シオン・エルトナム・アトラシア。アトラス院に名を連ねる錬金術師です」
「錬金術……? じゃあ君はシエル先輩が言うところの魔術師なのかい?」
志貴は自身の拙い魔術関連の知識を総動員するが、シオンと名乗る少女は首を横に振った。
「あなたの言う錬金術は西洋錬金術であって、私たちのそれとは根本的に異なるものです。まあ、それは今回の本筋からは逸れるので脇に置いておきましょう」
少しだけ不愉快さを声に滲ませるシオン。一緒にするな、とでも言いたげだ。
シオンは言葉を一旦区切ると、のどを湿らすために缶へ口をつけ、小さく息を吐く。そして意を決したように志貴を真っ直ぐに見つめる。
「単刀直入に言います。私たちは死徒と呼ばれる存在です」
「ッ!!」
死徒、という言葉に志貴は頭蓋が殴られたような衝撃を受けた。一瞬で全身の筋肉が強張り、本能が再び戦闘態勢に移ろうとする。
「落ち着いてください!」
ピシャリ! と語気を強めたシオンに、志貴は冷や水を浴びせられるように停止する。張りつめていた空気が一気に弛緩する。そしてクリアになった思考はシオンの言葉に引っ掛かりを覚えた。
「私たち? 私たちだって? それって――」
志貴が急いで視線をさつきに移す。さつきは両目を手の平で覆い、指を開くと、
――隙間から真紅の目を覗かせた。
志貴は驚きに目を剥いた。見間違えるはずもない。熟したトマトよりも赤く、透き通るような赤い瞳。それは間違いなく志貴と呼ばれる異形の特徴だった。
なぜ? という疑問と同時に納得もした。三咲町は一年前にネロ・カオスや遠野シキが起こした事件によって、見つかるはずのない大量失踪者を生み出していた。
それと同時期に行方をくらましていれば、おのずと答えは絞られる。
「そうか、君はシキに」
「うん。夜の街を歩いていたらさ、がくんといきなり力が抜けちゃって。……そこから先はあんまり覚えていないんだ。 ただただ苦しくて、陽の光が痛くて。人の首筋を見たら襲いたくなっちゃうなんてさ、笑っちゃうよね」
あははは、とさつきは笑うが、志貴は口を一文字に引き結び、否定も肯定もしなかった。
血が滲みそうなほど拳を固く握りしめ、沈黙を選ぶ。
それはかつて、自分と存在を共にしていたシキの決して消えない罪の残滓。
互いにうつむく二人に、シオンは続ける。
「これで分かったでしょう、遠野志貴。幸い、私たちは吸血衝動に呑まれてはいません。今はなんとか耐えられていますが、それもいつまで持つか。私たちには時間が残されていない。是非ともあなたにはご助力をお願いしたいのです」
懇願するシオンに志貴は小さく頷く。
「助力って……、具体的にどうしたらいいんだ?」
「簡単な事です。志貴には私たちと真祖との橋渡し、つまりアルクェイド・ブリュンスタッドと対話の席を設けて欲しいのです」
「アルクェイドと?」
志貴は両眉を上げると、脳裏に能天気な金髪の美女、アルクェイド・ブリュンスタッドの姿が思い浮かべられた。確かに、吸血鬼絡みの事については彼女以上の適任はいないだろう。
しかし、それならば直接彼女を探し出せばいいはずだ。なぜ、自分を経由するのか。疑問をシオンに投げかけると、彼女は僅かに頬を赤くし、言いにくそうに答えた。
「それは……あなたが真祖の『寵愛』を一身に受けている人物だからに決まっているでしょう」
「ハア――――!?」
驚愕が口をついて出た。ただし、声の発生源はシキではない。さつきのほうだ。
「どどどどど、どういう事シオン!? 寵愛ってナニ!? 遠野くんと真祖って人が!? そんな事、ひとことも聞いてないよ!? 説明してよ!!」
「がっ、さつき……! は、激しすぎです!!」
「弓塚さんストップストップ!」
がくがくと残像が見えるほどシオンの肩を揺さぶるさつきに、シオンは目を回す。みかねた志貴に止められると、我に返ったさつきはぱっと手を離した。
はあはあ、と荒い息をついたシオンは服装の乱れを直すと、ごほんと咳払い。
「と、とにかく。真祖と最も親しいあなたを交渉材料に使えばもしやと思ったのです。治療の確立には生きた吸血鬼のデータが、しかも出来れば死徒ではなく大元の真祖……現存する最後の真祖の王族、アルクェイド・ブリュンスタッドのデータが望ましいのです。しかし、気高き真祖が一介の死徒である私たちの頼みなど聞いてくれるはずがない。だからあなたに真祖との交渉役を頼みたい。それに吸血鬼化の治療法が確立すれば、吸血衝動を抑える方法も見つかるかもしれません。それはあなたの妹にとっても有益な事では?」
「――よく知ってるなオマエ。喋り過ぎはどうかと思うぞ」
「あっ……」
一瞬、感情を失った瞳を向けられて、シオンははっとする。乾いた砂のような志貴の表情は固い。
「も、申し訳ない。私とした事が少し配慮に欠けていました。先ほどの非礼は詫びます」
「いいよ。俺も大人気なかった」
深々と頭を下げられて、志貴もこみ上げてきた黒い物を飲み込むしかない。
それにさ、と志貴は続ける。
「俺も正直、一人では限界を感じていたんだ。街を騒がせている噂の吸血鬼について、アルクェイドなら何か知っているかと思っていたんだけど、マンションにはいないし」
「……真祖は姿をくらませていたのですか」
「ああ。あのお姫様の気まぐれっぷりには慣れているつもりだけど、会おうとすればなんやかんや会えていたんだけどな」
シオンは何か考え込んでいる風だったが、志貴はさして気にした風ではない。
血統書付きのネコのようなプライドの高さと、野良猫のごとき自由奔放さに振り回されるのは慣れているといった事だろうか。
シオンは「噂の一部は真祖……? いやしかし」とぶつぶつ呟いていたが、何かの考えに至ったようで、志貴に提案をしてきた。
「遠野志貴、やはり私たちは手を組むべきと提案します。情報収集は私の管轄、バックアップがあればこの街すべての人間の思考を読み取れます。それならばあなたの探す噂の吸血鬼も見つかるかもしれません。ですのであなたは――」
「アルクェイドを君の目の前に連れてくればいいんだろ?」
シオンの言葉を志貴は引き取り、シオンは驚く。
「……では、協力していただけるのですね?」
「ああ。どうにも俺一人じゃ埒が明かないみたいだしな」
志貴は無理矢理笑顔を作ると、すっと手の平を差し出した。
シオンは眼前に突きだされた手に取惑いの色を浮かべながらも――恐る恐る手を伸ばした。志貴の手がシオンの手に触れると、少し強張るが、やがて力強く握り返して来た。
「感謝します、遠野。これで私たちは同じ目的を持つ同士です」
「――志貴」
「え?」
「だから俺の名前。これから協力する仲間同士になるんだから、お互い名前で呼び合おうよ。いちちフルネームじゃ面倒だし他人行儀だ。俺も君の事はシオンって呼ぶから」
「――――」
シオンは言葉を失い、僅かに顔を赤くする。
シオン、それは自分の名前、この世に生を受けてから己と共にあった証明記号。アトラスでは侮蔑と畏敬を込めて呼ばれ続けてきた忌み名。
自分の名に誇りは持っている。没落したとはいえエルトナムは貴族。しかし、その一族に名を連ねる事により不随するものの重さと恐ろしさは十分に理解している。
いつも自分の名を呼ばれるたびに、小さな棘が食い込む錯覚に見舞われた。
しかし、志貴の言葉に疼痛は感じない。
彼が敵意の無い底抜けのお人好しだからか?
それもあるだろう。
しかし、根本的な理由はそこではない。
つまり結局は、
「ありがとう。あなたがいてくれるなら心強い。そ、その……志貴」
――単に同年代の異性に名を呼ばれるのが新鮮なんだ。
二人は見つめ合う。しっかりと結ばれた手に互いの体温を感じながら、微笑を浮かべた。
「……志貴」
「うん」
「……志貴」
「うん?」
「志貴」
「いやだから、分かったよ。大丈夫だって」
さすがに見目麗しい少女に何度も改まって呼ばれるのは志貴も恥ずかしいらしい。付き合いたてのカップルが照れを残しながら名前を呼び合うようで、互いに含羞を帯びた笑みを浮かべる。
「……あのー、そろそろ私もいいかな? というか二人共いつまで手を握り合ってるのかな?」
すっかり忘れ去られていた存在、弓塚さつきが遠慮がちに声をかけてきた。二人は即座に手を離すと、気恥ずかしそうに視線を逸らす。その思春期特有の甘酸っぱさにさつきはハァァァァァァァァァァァァ……、と盛大に溜息をついた。
「ふふふふ、まるで私なんて居ないもののように二人の世界に浸って……。ええ、ええ、私なんてどうせ日陰者の脇役キャラだもんね……。クラスメイトの私より、今日会ったばかりのシオンはもう遠野くんと握手できるくらい親密だもんね……」
「さつき!? こ、これはその……!」
ずーん、とベンチのひじ掛けに全体重をかけて落ち込むさつきに、シオンはフォローに回ろうとするが、さつきには届かない。膝に『の』の字を書き始めたさつきは完全にやさぐれていた。
しばらくすると、そんな事で落ち込んではいられないとばかりに、さつきは空元気で立ち上がると、志貴に向き直る。
その瞳にはどことなく怯えや躊躇いが浮かんでいるものの、何かに勇気づけられたような意思が宿っていた。
「ずるいよ遠野くん、私だって――」
と言いかけて、さつきの膝はガクンと力を失う。そのまま地面に倒れ込みそうになるのを志貴は咄嗟に抱える。両腕にかかる衝撃が想像よりずっと軽い事に志貴は驚き、さつきの顔色を窺う。ひどく血色が悪い。それに肌もやつれている。
「弓塚さん!? 大丈夫か!?」
何かの発作か、それとも吸血鬼特有の症状か。志貴がさつきに尋ねると、
――ぐぅぅぅぅぅぅぅぅ~~~~
という音で返答が帰ってきた。
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
空気が凍る。志貴の手は硬直し、さつきは耳まで赤くし、シオンは顔を背けるように銀箔の月を見上げている。
さつきの赤面具合から見て、年頃の少女が鳴らしてはいけない音が腹部から鳴ったようだ。
志貴は何度か口を開閉するも、止まる。しょせんは、自他共に認める女心の理解度ゼロな朴念仁。気の利いたセリフを思いつくはずもない。
「あー、よかったウチくるか? 琥珀さんに無理を言えば何か作ってくれるかもしれないからさ」
「………………………………………………………………うん」
さつきは蚊の鳴くような声で頷いた。