【祝・完結】 月姫 弓塚さつきルート MELTY BLOOD ~memory of Rhododendron~ 作:風海草一郎
アブラゼミとクマゼミは季節的にどちらが先に鳴きだすのだろうか。
喫茶店に避難しようとしていた大学生風の男に刺したエーテライトからの情報によれば、クマゼミは七月下旬で、アブラゼミは八月上旬に鳴きだすらしい。ならば、街路樹の下を歩く人々を聴衆に、ミーンミンと喧しい大合唱を続けているのはアブラゼミか。
――四番停止
雑念から無駄な事に思考を割いてしまった。
昨夜久しぶりに見た悪夢が尾を引いているのだろうか。
全て中身を抜かれ、飲みつくされた人間で埋め尽くされていた川。そこに流れる真紅のせせらぎを浴びる様に飲む自分。そこに現れたソレは、飲む以上の血液を両目からこぼし、泣き笑いする吸血鬼。
ぐらり、と地面が揺れて、シオンはよろめく。手近な街路樹に手をつき、はあはと荒い息をつく。ポケットから取り出したハンカチで滝のように流れる汗を拭うと、容赦なく照り付ける太陽を思わず恨めしそうに睨みつけた。
夢の中と同じように今日も暑苦しい。手で作ったひさしから覗く太陽の高さから考えて、時刻はまだ昼過ぎといったところだろう。
シオンはアルクェイドの元へ書置きをしにいった志貴や、いまだ日差しには弱いさつきとは別行動をとり、『噂の吸血鬼』とやらが出る街を徘徊していた。
信憑性が皆無だというのに、皆が心のどこかでその存在を恐れ、当然の事のように認められている。街の人々は誰もが悪い予感を抱いている。ならばヤツが姿を現すのも時間の問題だろう。
情報の誤差を修正するためにも、シオンはエーテライトと分割思考をフル稼働させ、情報を収集する。
――一番思考。赤く長い髪をした女が深夜に徘徊している。
――これは秋葉のことだろう。無視して構わない。
――二番思考。金髪赤目の美女が人を素手で切り裂いていた。
――真祖の可能性がある。位置情報を記憶しておく。
――三番思考。学生服の男がナイフで人を刺していた。
――誰の事だろう? 吸血絡みではない通り魔殺人事件だろうか。
――四番思考。夜中、公園の噴水で水浴びをする少女のホームレス達が出ている。
――カットカットカット!
シオンは流れ込んできた情報を無視するように、エーテライトの接続と分割思考を一時停止する。
「やはり、昨日の今日では大して情報の変化はありませんか」
シオンはやや落胆したように呟くと足を止める。
もとより、実入りの少ない探索になる可能性のほうがずっと高かったのだ。やはり、噂が具現化するには今少し時間が必要だと分かっただけでも収穫だ。
「……そろそろ時間です。もどりますか」
シオンは踵を返して、遠野邸へ歩を進めた。
ここでしくじるわけにはいかない。このような些事で計画を台無しにしてなるものか。
――そう、だって私は
「私はそのために来たのですから」
〇
アルクェイドのマンションから志貴が帰宅すると、いつものように翡翠が出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ志貴様。居間に冷たいお飲み物をご用意したのでお召し上がりください。カバンは私がお部屋へお持ちいたしますので、どうか志貴様はおくつろぎください」
最初は鉄面皮だと思っていた翡翠も、最近ではすっかり表情が読めるようになった。こちらを心配してくれている時は微かに眉尻が下がる。
普段ならばカバンなど自分で運ぶのだが、慢性貧血持ちにはここ最近の日差しは確かに堪える。翡翠の言葉に甘えて志貴はカバンを渡すと、翡翠はうやうやしく受け取り、階段を登って行った。その後ろ姿が浮足立って見えるのは、滅多にやらせない仕事を任されたからだろうか。
志貴が居間に向かうと、すでに先客が居た。
「シオン、帰ってきたのか。弓塚さんは?」
シオンはアイスティーを優雅に飲みながら涼しい顔。かちゃり、とカップをソーサーに置くと、ニーソックスに包まれた足を組み替える。元が怜悧な美人であるだけに、こういった仕草は理知的な美しさを引き立てる。志貴は少しだけ心拍数が上がった。
「ええ、つい先ほど。さつきは昼間動くのが厳しいので今は眠っています。私も志貴が帰宅しようとしていたので早めに切り上げて帰ってきました」
「? 俺の事を見ていたのかい?」
「……いいえ。これのおかげです」
シオンはすっくと立ち上がると志貴の目の前に立ち、右腕を志貴の額を指さす。
「……? ゴミでもついてた? そういえば額には妙な違和感があったような気がしてたけど」
志貴は額をパッパと払うと、微かに抵抗があった。肉眼では視認できない紐状のものがある。
「勝手だとは思いましたが……。志貴には昨晩からエーテライトを接続し続けていました」
「エーテライトってあの? 何だってそんな事を。何か意味があるのか?」
「私はエーテライトは思考や記憶を読み取ると伝えましたが、それはエーテライトの役割のごく一部です。私がエーテルライトでバックアップすれば各神経のリミッターを解除することによって一時的に貴方の戦闘力をバックアップ出来ます。もし、あなたが噂の吸血鬼に襲われた場合、私が側にいなくともあなたの手助けになるはずです」
つながりを確かめるようにシオンはエーテライトをつまむと、指先で転がす。
志貴はシオンの周到さに一驚し、肩を竦めた。
「なんだかドーピングみたいだな……。というか、何もそこまでしなくても。いくら何でもちょっとばかし大げさ過ぎやしないか?」
「いいえ、私たちが探し求めるものを考えればこれでも不十分なくらいです。どれだけ備えていても足りないという事はありません。何かの際の保険とでも思っていて下さい。思考を読まれるのが不快だというのならば、極力、貴方の思考は読み取らないようにするので我慢してください」
シオンはエーテライトを取る気はないらしい。シオンの気迫に志貴はやや鼻白み、志貴は不承不承といった具合に頷いた。
志貴は額に残る違和感が、シオンとの繋がりを証明しているのだと考えるとそう悪い気はしなかった。
「……分かったよ。シオンなりに俺の事を気遣ってくれたんだろ? ならありがたく受け取っておくよ」
「…………ええ。ぜひ」
シオンが少しだけ寂し気な表情を浮かべている理由が志貴には分からなかった。
志貴がその事を尋ねようとすると、遮るようにシオンが約束の一件を切り出す。
「ところで志貴、真祖とのコンタクトの件はどうなりました?」
「それがさっぱりなんだ。マンションの方へ行ったけどやっぱりいないし、他に行きそうなところは全て回ってみたけど成果もないな」
困ったもんだ。と志貴は片を竦め、猫探しの困難さを実感する。
最も、志貴は書置きに「これ以上、姿をくらまそうものなら二度と朝飯は作ってやらん!」とアルクェイドのウィークポイントを的確に突く書置きをしてきたので、翌日には会えるだろうと楽観視もしていた。
「……志貴、そのようなくだらない事で真祖が現れると本気で思っているのですか?」
「来るさ。絶対に来る」
当然のように志貴は答えると、確信しているように微笑んだ。しかし、シオンは納得していない様子で疑いの眼差しを向けてくる。
――仮にも真祖の王族が
――本来必要無い人間の食事如きで?
「君の気持ちは分かるけどさ、これが今のところ一番効く方法だと思っている。以前、アイツと秋葉が殺し合いのような喧嘩をした時も、意地でも謝らなかったアイツをこれで何とかしたんだ。明日あたりに合えるさ」
シオンは未だ納得していない様子であったが諦めた。もともと人間の判断基準で理性的に動かない真祖の行動は、不確定要素が多すぎてひどく読みづらい。今のところ有効な手立ては無いのだから、唯一コンタクトを取れるかもしれない志貴に任せるしかシオンには方法が無かった。
そして、シオンは兼ねてより組み立てていた仮説を開陳した。
「志貴、もしかして真祖は意図的に真祖から離れているのではありませんか?」
「どういう意味?」
「つまり――再来した吸血鬼は真祖かもしれないという事です。もともと真祖こそもっとも強い吸血衝動を抱える生物です。噂の吸血鬼とは一年前のそれではなく、吸血衝動を抑えきれなくなった彼女であるという可能性も――」
「いやぁ~~ないない。それはない」
実にあっけらかんと、志貴はシオンの仮設を否定した。感情論で拒絶しているのではなく、心底あり得ないと確信している様子だった。
そのあまりにあっさりとした態度にシオンは豆鉄砲を食ったようにポカンとする。
「シオンは知らないだろうけど、アルクェイドに限ってそれは絶対ないって。絶対に」
「絶対に……ですか」
志貴はここにはいない彼女へ思いを馳せるように、信頼し切った表情を浮かべた。
ずきり、となぜかシオンの胸が痛んだ。ぎゅっと胸の前で拳を握ると、その感情に名前を付ける前に、感情に蓋をする。
シオンは出鼻を挫かれたように、やや伏し目がちになる。
「何の迷いもなく言い切れるなんて、志貴はすごいんですね。そこまで信頼してくれる人がいるというのは、素直に羨ましいです」
「え、あ、う、うん……。ま、まあとにかくあいつは人の血は吸わない。信じがたいだろうけどアルクェイドは」
「吸血鬼ではない。というのでしょう。志貴がそう言うのならば信じましょう」
ですが、とシオンは指を立てる。
「噂の広まりに寄与するもの――吸血鬼のモデルとなった『何か』が必要です。一年前の事件はあくまで起因。こうも確信的な噂には、信憑性を高めるためのもととなる『モデル』の存在があるのです」
「……それがアルクェイドだってのか?」
シオンは答えなかったが、その真摯な表情が肯定を示していた。
「今日私が集めていた情報は志貴が持っていた情報と大差無いものでしたが、その中には真祖や秋葉がモデルとも思われる噂もありました」
その言葉を聞いた途端、志貴の目の色が急変する。
秋葉は秋葉で噂の吸血鬼について調べていた。そしてシオンの口調から察するに、噂になるほどならば、一日や二日の徘徊ではないだろう。
遠野の家は魔により魔を狩る血族。自分程度が気付くような噂ならば、とうに秋葉の耳に入っていると考えるべきだろう。そこまで頭が回らなかった己の不甲斐なさに志貴は歯噛みした。
「志貴、あなたが気に病む必要はありません。秋葉の負担を減らすためにも、私たちがモデルとなった誰かを探すよりほかありません。こればかりは足で立証を得るしかないでしょう」
「やっぱりそうかあ……」
結局はそれしかないか。と志貴は苦笑する。
アルクェイドと出会ってからというもの、事あるごとに探索といえば夜の街の徘徊だった。健全な学生ならば縁の無いような、夜の街の顔にもすっかり詳しくなってしまった自分がいる。
「そこで提案なのですが……。夜の探索は二人で行いませんか? 私はこの街に不慣れです。志貴が案内してくれると無駄が省けます」
シオンは顔を赤らめながら、そんな提案をしてきた。
「そりゃいいけど……。シオンはそんな事をしていて大丈夫なのか?」
シオンの本来の目的は吸血鬼化の治療のはずだ。アルクェイドと関係の無い『噂の吸血鬼』とやらにかまけている時間などあるのだろうか?
志貴の疑問を読んだシオンは、やや不機嫌そうに疑問に答える。
「その研究のために真祖に協力を求めても私だけでは相手にしてもらえません。しかし、志貴と共に行動していれば出会った時、その手間が省けます。仮にモデルが真祖ならば良し……。違った場合も志貴の目的は果たせますし、その吸血鬼の退治を私が手伝うこともできます。――こんなこと、くちにするまでもないと思いますが?」
矢継ぎ早にまくしたてられ、志貴は気圧されるもシオンの言い分はもっともだった。
「なるほど……。それならまあ、お互いギブ&テイクという事で」
志貴は頭を掻きながら、今後の方針を固める。シオンはなぜか嬉しそうだった。
「あのー、その話、私も混ぜてもらっていいかな?」
いつのまにか、入口に体重を預ける形でさつきが立っていた。昼間は本調子ではないらしく、吸血鬼化してから白くなっている顔色がさらに青白い。
「私も肉体は吸血鬼だし、夜になればかなり動き回れるよ。きっと役に立つと思うの」
シオンと志貴は互いに顔を見合わせ、思案する。
さつきは確かに戦力になる。しかし、噂の吸血鬼と戦闘になった時、守り切れる自信は無い。シオンはやんわりと辞退願おうとする前に、さつきに腕をぎゅっと握られた。
「お願い! 私もみんなの役に立ちたいの! 今までシオンに頼りっきりで私は何も出来てない……。もうそんなのは嫌なの」
だってわたし、とシオンは決意の籠った瞳でシオンを見据えると。
「シオン(友達)とは対等でいたいから……」
その瞳の奥には静かな炎が燃えていた。何があろうと引かないよ、と言外に語っていた。
シオンはしばらく逡巡したがやがて折れた。優しく手を握り返した。