【祝・完結】 月姫 弓塚さつきルート MELTY BLOOD ~memory of Rhododendron~   作:風海草一郎

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第七章 君の名は

  リーリーと鈴虫のバックコーラスが心地良く耳に沁みる。街灯に生み出された木々の影法師は隣同士で繋がり、夜色に溶け合う。

 四時間を超える街の探索も、結局は不自然なまでに不気味な静寂さを纏った街並みを再確認するだけに留まった。つまるところ全く進展は無い。

「んー、ずいぶん歩いたけど成果無しか」

「街は気味悪いくらい静かだったけど、何かおかしな雰囲気ってわけでも無かったよね」

 夜の探索を終えた三人は、小休止を取るために再び公園に戻って来ていた。志貴はおなじみのベンチに腰掛けると、さつきは遠慮がちにやや距離を置いて場所にハンカチを敷いて座った。

 シオンはやや離れた箇所で冷たく凍るような星空を眺めていた。それは誰か待ち人がいるようにも、招かれざる客を警戒しているようにも見える。

 陽が沈むのと比例するように体調が回復したさつきは笑顔だ。

 さつきと志貴はベンチの背もたれに体重を預けて一息入れる。

「気合いを入れて出てきたのはいいけど、なんだかアッサリしてたね。上手く言えないけど、私もう少し何かあると思っていたよ」

「俺も、何というかこう……前触れみたいなもんがあると思っていたけど、至って普通だったね」

「まだ噂がカタチになるレベルではないという事でしょう。時間が経てば嫌でも犠牲者は出てきます」

 その言葉に志貴はひっかかりを覚えた。いまだ、吸血鬼の噂は出ても犠牲者で出ていない。そもそも本当に吸血鬼がどうかも不明なのに、シオンの言は断定的過ぎる。

「犠牲者? シオン、それってどういう――」

 見れば、シオンは空の一点を見つめていた。

 目も眩むようなまばゆさの月を背景にその人は佇む。

 しかし、それは地に足を付けた状態ではない。誘蛾灯の役割をした街灯のてっぺんで、ピタリと立っていた。

 黒い法衣の下には編み上げブーツが生え、だらりと下げた手は懐へ伸び――

 考えるより早く体が動いた。

志貴は反射的にさつきの手を取り、抱きかかえるように右足に渾身の力を込めて跳躍。方向など知った事ではない。ただ、あの場で呆けていれば、瞬きの間に全身が剣山のようになることだけは本能で理解できた。さつきを抱えたまま、近くの芝を二転三転、さつきが驚きの声を挙げる。

志貴の離脱と同時にそれは起こった。轟! という音とともにシオンの周辺へ白銀の形を成した殺意が地面へ雨あられと降り注ぎ、地面に突き刺さったソレは包囲網を構築する。

 それは歪な墓標のようでいて、聖者の十字架のようであった。よく見るとその武器に志貴は見覚えがあった。

「――止まりなさい錬金術師!」

 閑散とした夜気を吹き飛ばすような強い口調だった。

 黒い法衣の女――シエルだった。

 シエルはスカートを翻し、ふんわりと重力を感じさせない猫じみた動きで地面に降り立つと、シオンの退路を塞ぐようにシオンと対峙する。

 一方、シオンは至って冷静。足元にまで迫っていた凶刃をつまらなそうに一瞥すると、やや冷たい表情。

「噂には聞いていましたが、教会の代行者とは随分と野蛮な方たちのようですね。人を呼びつけるために剣を投げつけてきたのは、さすがにあなたが初めてですよ」

「お生憎様、私はそこまで優しくないので。もちろん、時と場合……いえ、相手によって多少手心は加えますが」

 すっとシオンの心臓へ向くように黒鍵を向けるシエルは既に臨戦態勢だ。

「……先輩?」

「……ひょ? と、遠野くん!? なぜあなたが彼女と共にいるのです!?」

 そこで初めて気が付いたように志貴を見て、無駄としりつつシエルは顔を両手で覆う。そして彼女の中で推測が成り立つと、スゥとシエルの目が細くなった。シエルはシオンと志貴に抱きかかえられたさつきを薄く睨むと口を開く。

「弓塚さん……姿が見えないと思えば死徒になられていたとは残念です。もしやシオン・エルトナム、あなたが――」

「えっ、その私は」

「勘違いしないでください。彼女の親元はロア。私の眷属ではありません」

 さつきの代わりにシエルの問いかけに心底不愉快そうに答えるシオン。シエルもその線は薄いと思っていたらしく、質問を変える。

「では彼の事はどう説明するのです。まさかあなた……」

「それも勘違いです代行者。私は志貴に協力を要請し、彼はそれに応えてくれました。私の方も彼の探し物を手伝う。立派なギブ&テイクです。あなたが危惧するような事は決してないと断言します」

「それを誓えますか?」

「神に、という意味でならばノーです。私は私の――誇り高きエルトナムの錬金術師として誓います。私利私欲のための偽りを口にする事だけは無いと」

 シエルは無言でシオンの言葉を胸中で反芻する。

 シエルには貴族や錬金術師の矜持など知ったことではなかったが、シオンが嘘をついているとも思えなかった。いずれにせよ、本題はそこではない。彼がこの女の味方でないという事さえ判明すればこちらの仕事はぐっとやりやすくなる。

シエルは黒鍵を新手に計三本左手に現出させると、完全な臨戦態勢を取る。

「では遠野くんはあなたたちとは無関係という事でよろしいですね? この場で襲われようと、あなたは遠野くんに助けを求める事が出来ない」

「!!」

 シオンも表情をぐっと引き締め、手を微かに振った。夜闇では視認できないが、恐らくエーテライトを張ったのだろう。

 ただならぬ雰囲気を感じた志貴は二人を諫めようと、ちょうど挟まれるような位置に立つ。

「ちょ、ちょっと待った先輩!? 先輩の仕事の事は分かるけど、シオンは悪いヤツじゃないんだ。……その、彼女は何て言うか……」

「遠野くんは黙っていてください! そしていつまで弓塚さんと抱き合っているのですか!!」

「わあ!」

 志貴の言い訳を切り捨てるよう向けられた黒鍵に志貴は、飛び退るようにさつきから離れ、顔を赤くしたさつきにペコペコと謝る。そして役得そうに笑っている死徒(さつき)にシエルは無性に腹が立った。

 シエルは腰に手を当てて、体についた泥や草を払っている志貴へ、物分かりの悪い問題児を諭す教師のような態度で接する。

「まったく遠野くんはどうしていつもこう厄介事に首を突っ込むんですか。それとも……かわいい女の子に頼みなら何でも聞いてあげちゃうって言うんですかあなたは」

「いや、確かに二人はかわいいけれど、それだけが理由じゃないっていうかその……」

 志貴はシオンとさつきの二人に目配せするがシオンは面白くなさそうに無言。さつきは『かわいい』と言われた事に喜びを隠しきれないように笑みを漏らす。シエルの機嫌がまた少し悪くなった。

「とにかく、遠野くんが横から口を挟もうが私はいっさい、ええ、いっっっさい聞く耳を持ちません。もし邪魔をするのならきっつ~いお仕置きの意味も込めてお相手します」

 指をごきごきと鳴らして威嚇するシエルは、視線をシオンに戻す。

「そしてシオン・エルトナム・アトラシア。あなたは発見次第、保護または拿捕するよう教会から手配されています。アトラス協会からも同様の要請を受けていますが……。その前に一つ、お聞きします」

 

「――あなたは誰ですか?」

 

 シエルの質問の意図を志貴は即座に察する事が出来なかった。口ぶりからして先輩はシオンについて、自分より情報を持っているはずだ。それなのに、その尋ね方はどういう事か。当のシオンも怪訝そうに肩眉を上げ、再び名乗る。

「すでにご存じだと思いますが、私の名はシオン――」

「ええ、シオン・エルトナム・アトラシアで間違いないでしょう。私が聞きたいのはそんな分かり切った事ではないのです」

 シエルはシオンの言葉を遮り、一旦、黒鍵を消すとポケットからある紙束と試験管のようなものを取り出した。クリップで閉じられた紙束を確認するように、ページを捲る音がしばらく響いた。

 そして、シエルは書類から顔を上げるとそれを誇示するように眼前に突きだした。

「…………?」

「…………っ!!」

 英語で書かれているらしいその書類は、外語にとんと疎い志貴にはほとんど理解できなかったが『DNA』という三文字のアルファベットだけは読み取れた。どうにも遺伝子か何かに関わる報告書だろうか、と志貴は当たりをつけた。

 志貴は疑問符を頭上に浮かべるだけだが、シオンは吃驚した後、砂を噛んだような表情でシエルを睨み返す。

「先輩、それって何? DNA鑑定書か何か?」

「察しがいいですね遠野くん。そうです、これはそこの女……シオン・エルトナム・アトラシアのDNA鑑定書です」

「勝手な事を……! アトラス院も人の事を言えた義理ではありませんが、教会も随分とデリカシーの無い事をしてくれますね」

「死徒を相手にそんなものを私たちが考慮するとでも? それに本題はそこではありません。失礼ながらあなたがたが寝床にしていたダンボールから「ダンボールじゃない! マイホームです!」あっ、すいません。その……ご自宅から採取した毛髪からDNA鑑定を行ったところ、そこの彼女はシオン・エルトナム・アトラシアで99.9%間違いないようです」

「???????」

 志貴の頭上の疑問符は飽和し、溢れだしてがらがらと地面に転がる。

 シオンはぎゅっと拳を握りしめ、何かに耐えるように唇を噛む。

 まるで最も知られたくない秘部を土足で踏み荒らされるような思いが、シオンの神経を暴力的に削りとる。

「ええと、先輩。よく分からないけど、シオンは偽物ってわけじゃないんでしょう?」

「ところがそうとも言い切れないのですよ弓塚さん。この場合は一致する事がおかしいのです」

「……どゆ事?」

 未だ内容が理解できないさつきと志貴に、シエルは衝撃的なひと言を口にする。

「シオン・エルトナム・アトラシアは既に我々教会が保護し、本国へ送り届けています。採取したDNAはその保護したシオンと一致したのですよ」

「ええっ?」

「な……?」

 さつきと志貴が驚愕を露わにし、反射的にシオンを見る。シオンはただ、何かに耐えるようにシエルの攻勢に身をゆだねている。

「あなたに双子の姉妹はいらっしゃいませんし、これはどういうかご説明願えますか? それと念のため身柄を拘束したいので大人しくしてくれるとありがたいのですが」

「お断りします」

 きっぱりとシオンはシエルの要請を却下した。シエルも最初から期待などしていなかったのか鼻を鳴らすだけだった。

 ひゅう、と一陣の風が吹いて、志貴を挟み込むかたちで両者は睨みあう。これから決闘を始めるようガンマンのような一触即発の空気を醸し出している。

「従う気は無いというわけですね。いいでしょう、教会の代行者としてあなたを捕縛します。ああ、それから」

 ちらり、とさつきを見るとニコリと微笑む。さつきは訳が分からなかったが、同調効果に弱い日本人よろしく、精一杯の愛想笑いで返した。

「それから、ついでにそちらの死徒も狩っておきましょう。そちらが私の本業ですし、遠野くんと仲良さげでむかつきますし。あなた方をとっとと始末して、遠野くんは私の家で一晩お説教です。ご安心を、遠野くんは峰打ちで勘弁してあげましょう。看病もわたしがしてあげます。それはもう手厚いやつを」

「つ、ついで!? やだよう! そんなざんざいな扱いで狩られるのはやだよう! いや、どちらにせよ狩られるのは嫌だけれども!!」

「後半は欲望が駄々洩れですが!?」

「両刃の黒鍵でどうやって峰打ちするんですか先輩!?」

 さつきたちはあまりの対応に抗議するも、シエルはどこ吹く風。己の使命と志貴への愛で公私混同するシエルは完全にスイッチが入った。

 両手に黒鍵を現出させ、じりじりと油断なく間合いを詰めてくるシエル。シオンもそれに合わせるように、エーテライトを周囲に展開させる姿は、一種の結界を張ったようにも見える。

 志貴は前後の二人を交互に見比べては、どちらに着くべきか決めあぐねている。

 既に何度もお世話になった、心優しくも厳しい先輩。

 理屈っぽく、謎も多いが確かな信念を感じさせる出会ったばかりの少女か。

「志貴!」

 シオンは志貴の前に出ると、バレル・レプリカを構えた状態で叫ぶ。

「決断してください。このトラブルは私自身の問題で、あなたには何の関係もない。代行者もあなたが傍観者でいる限り、そう手荒な事はしないでしょう」

「シオン……」

「それに、こちらにはさつきもいます。さつきには体術の手ほどきをしていますし、いかに代行者と言えども、二人がかりならば勝算も無くはありません」

 嘘だった。

 相手は人の理を外れた超越者で吸血鬼狩りを専門とする先頭集団。それを相手どって、戦いに向かない錬金術師に新米吸血鬼が加わったところで、焼け石に水だろう。もし概念武装などを所持していたら、自分達程度の吸血鬼など苦痛を感じる間もなく昇天する。

 それに、今回を逃せばチャンスはない。自分達には圧倒的に時間が足りない。それだけはどうしても受け入れられない。ここで倒れるわけにはいかない。

「選んでください志貴。あなたがどちらを選んでくれても私は構いません」

 それも嘘だった。

 彼の協力は計画には不可欠。ここで彼に拒まれればもう完全に打つ手が無くなる。

 恐れと不安から、志貴の顔がまともに見れない。騙していたことを怒っているのか、もう自分の事は見限ってしまったのか。恐る恐る背後を振り返ると、

「……はあ~~~~~~~~~~~~~~~~」

 と、志貴は盛大な溜息をついた。それは何度も経験してきた理不尽に対する諦念のようで、志貴は片を回しながらシオンの隣に並び立つ。

「シオン、簡単に言ってくれるけどさ。先輩に逆らったら後でどんな目に遭わされるか……」

 シオンの表情が暗く沈む。さつきと二人で代行者を相手取るプランを練り始めるが、

「……でもまあ、俺も約束しちゃったしな。今回は君につくよ。色々と隠している事があるのは分かったけど、君が悪意を持って黙っていたとも思えないし」

「え……?」

 シオンは虚を突かれたように目を開き、志貴は苦笑を浮かべながら銃を構えたシオンの腕をポンと叩いた。

「それに、こんな震えている女の子を放っておけないだろう?」

「あ……」

 そこで初めて気が付く。銃口は震え、ろくに狙いが定められない。そして、それを認識すると震えは伝播し、腕から肩へ、肩から背中、腰、足へと波のように押し寄せた。

 計算と確立で動く錬金術師は本来、勝ち目のない戦いに挑む事はない。脆弱な身で勝利を掴むためには入念な下準備を行い、万全な体制を整えてから勝負を仕掛ける。負けると分かっている勝負を挑むというのはシオンにとって完全に未知の恐怖だった。

「志貴、それならば」

「うん。今回は君につくよシオン。……というわけでごめんな先輩」

「わ、わたしもやるよ遠野クン。シオン!」

 さつきも覚悟を決めた様子で拳を握って前に出る。見れば微かに震えているが、それを懸命に堪えている。

 いつの間にかシオンの震えは止まっていた。志貴が加わってくれた事を考慮しても、計算上では勝負していい数字ではない。

 しかし、だがしかし。

 なぜだか、二人と共にいると恐れを忘れる事が出来た。かつての自分では信じられない事だ。

「……もうよろしいですか? 時間が惜しいので早急に決めさせてもらいます」

 しびれを切らしたシエルがぐっと両足に力を込め、遥か上空へ飛び上がる。

 それが合図だった。

 シオンの「総員散開!」の掛け声とともに、三人は散らばる。

 ドオ! という音と共に砂煙が上がり、人の身体を容易く貫通する死が上空から降り注ぐ。

 シエルの戦法はいたってシンプル。一撃必殺の志貴や怪力を誇るさつきと近接戦闘は避け、遠距離から黒鍵の投擲による攻撃のみで済ませるつもりだ。

 木々や街灯の上を、軽業師もかくやという動きで次々と飛び移り、常に場所を変えながら投擲を続ける。

 志貴とさつきは逃げるだけで手いっぱい。すると警戒するべきは、

「――――そこ!」

 シオンのエーテライトのみとなる。ワイヤーカッターのように迫りくる斬撃をシエルは躱しながら、移動を続ける。

 俯瞰した先には逃げ回るさつきと、黒鍵を躱しながらも間合いを詰める隙を伺う志貴。

 志貴はもちろん、シオンもなるべく傷つけたくない。ならば狙う相手は一人。

 シエルは瞳から感情を無くし、ただ吸血鬼の命を刈り取るために疾駆する。

「――死んでください」

「――――危ない、弓塚さん!」

 志貴が叫ぶが遅い。彼女との距離はおよそ二十メートル。近づいて心臓を突き刺すまで一秒もかからない、さつきもそれを感じ取ったのか、迎撃態勢を取る。

「――はっ!」

「甘いです!」

 さつきは肉薄するシエルに前蹴りで牽制する。しかし、シエルは難なく蹴り足を左手で払うと右手に持った黒鍵を勢いよく突き刺そうとする。

「なめないで!」

 しかし、さつきは体を捻ると黒鍵をすかし、伸び切った腕を左脇に抱える。そして右手をシエルの脇に刺し。

「――えいっ!」

「な――」

 柔道の払い腰の要領でシエルをぶん投げた。自分の足腰と背筋の力がシエルの全身に乗せられ、勢いよくほぼ地面と水平に投げ飛ばされるシエルは驚愕の表情を浮かべた。

「ちっ! 死徒の分際で武術を使うなど!」

 シエルはあえて派手に地面を転がりダメージを分散。口の中に酸っぱいものがこみ上げ、血の混じった唾と共に吐き出す。接近戦は不利だと悟ったのか、ふたたび高所の多い林の中へ身を顰める。再び、木の上から黒鍵を放とうと身構えた瞬間、足元の感触が溶けるように消えた。

「ごめん先輩!」

 志貴が木の『線』を切断したのだと理解するより早く、シエルは隣の木に移ろうとするもシオンのエーテライトがその木を切断する。

 ――しまった!

 シエルは安易に同じ戦法を取ろうとした自分を恥じた。高台から攻撃されるのを嫌った三人は「それなら高い場所を無くせばいい」という実に乱暴な理論で木々や街灯を破壊し始めた。

 下へ無防備に降りようとすればエーテライトの斬撃が迎え撃ち、かといってこのまま木々を飛び移り続けてもジリ貧。

 焦りが脳に汗をかかせ、ふやかせる。肌がちりつくような緊張感のやり取りの中、シエルのプランは決まった。ここは多少攻撃を食らうのを覚悟し、地上で真っ向から三人を打ち破るしかない。志貴が自分の死の線や点まで攻撃してこないのを祈りつつ、シエルは勝負に出た。

 見れば、さつきはシエルを見失い、首を回しながら周囲を忙しなく見渡している。やはり戦闘経験に乏しい。

 シエルはさつきの対角線上にバックを取り、地面に降りつつ一撃で背後からさつきを仕留めるために飛び降りた。

 その様は獲物を狙う猛禽類に似た奇襲。さつきの白いうなじめがけて黒鍵がせまる。これで終わりだ。灰は灰に、塵は塵に。

 ――あるべきところへ還れ吸血鬼――!

 月光を反射する刃が届こうかという瞬間、さつきが首を回す。

「読まれていた!?」

 半分だけ見える顔の口の端は吊り上がり、挑発的な笑みを浮かべる。どこか侮るような目つきにシエルの内心はささくれ立ち、そのまま突き刺そうとしたところで。

 グン! とシエルの身体が硬直した。

「これは!?」

「捕獲用の三層多重結界です。逃げ場はありません」

 シエルが両腕に力を込めるも、ギシギシと鳴るだけで身動きが取れない。見れば腕だけでなく、全身にエーテライトが絡みつき、蜘蛛の巣にかかったチョウのような状態になった。

 全身の自由を完全に奪われた。シエルは最初こそ抵抗をしようと試みたが、暴れるほど肉に食い込み、切断されるだけだと悟り諦めた。

 シエルは奥歯を噛みしめ、僅かに逡巡するが目を閉じた。

「……分かりました。わたしの負けです。さしあたっては――」

 シエルが降伏を宣言しようとしたその時、

 

「いぃっくよおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉっっっ!」

 

 さつきが掛け声を共にこちらへ駆けてきた。

 土ぼこりを上げながら、ぶんぶんと右腕を振り回しながらこちらへ全速力。その勢いは猪を彷彿とさせる迷い無き突進。まさしく猪突猛進だ。

 直後に起こる事を想像したシエルの顔が青ざめる。

「あの! あなた!? わたしはもう動けなちょっ、えっ? え!?」

 シオンと志貴の制止の声が響くも、アドレナリンが多量に分泌されたさつきの耳には届かない。勢いそのままに右拳を振り上げ、右拳でシエルのみぞおちを打ち抜く。

「えええええええええええええええええええいっっっっ!!」

「ぐっはああああああああああああああああ!?」

 ごきり、という音と同時に喀血。捻りを加えられた殴打は内臓を衝撃で捻転させ、ひしゃげ、あばら骨を砕きながら、衝撃が突き抜ける。

 拘束していたエーテライトは千切れ、周囲の木々をなぎ倒しながら、シエルははるか後方の公園中央へ、きりもみ状に回転しながら吹き飛ばされた。

 どんっ、どんとゴムボールのように何度もバウンドした後、シエルはそのまま大の字になった。

 ――しん。

 と時間が止まったような錯覚に囚われる。志貴は呆然とし、シオンは思考が停止していた。当のさつきはたった今、致命傷を負わせた右拳とシエルの吹き飛ばされた方向を見ながら「え? あれ?」とおろおろしていた。

 志貴はすぐに我を取り戻し、シエルの安否を確認するべく駆け出した。その姿を見てさつきはようやく察した。シオンへ振り返り、口元を引きつらせる。

「……もしかしてシオン。わたしやっちゃった?」

「……はい」

 ごめんなさああああああい! と叫びながらさつきも志貴の後を追った。

 

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