コンプレックス・ラブ   作:シママシタ

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第12話

 保健室の真っ白なカーテンの隙間から差し込む紅の日差し。窓の外からは炎天下の中、勉強という枷から解放された学生たちが部活動に精を出している。

 数少ない男子学生達が集まる野球部の野太い声。硬球を飛ばす金属バットの甲高い音。暑い中、校庭の周りを掛け声を発しながら走る女バス。

 放課後の予定を話し合う帰宅部のはしゃぐ声。

 そんな青春を謳歌する生徒達をBGMに僕はエアコンの効いた保健室でゆったりと英単語帳を眺めている。受験生である僕は少しの時間も惜しい。

 こうしている間にも顔も名前も知らないライバル達は希望する大学に合格するために、死に物狂いで努力している。怠ければ怠けるだけ差は開く。

 黒澤家の未来と期待を背負う僕に敗北は許されない。

 

「これだから倒れたんだろうな」

 

 痛い目を見ながらも反省することなく、自らの首を絞め続ける自分に呆れてしまう。

 負けること、失敗することを拒んだ僕は休むことなく、軋む体に鞭を打ち、ひたすらに自分を追い込んだからこそ、僕は過労で倒れ、今、ほとんど縁のなかった保健室にいる。僕自身、まさか過労で倒れるなんて、思ってもみなかった。確かに、最近はいつも以上に受験勉強に励んでいた。さらに、生徒会の仕事もいつも通りの調子でこなしていた。僕にとっては対して変わらない日常を過ごしているはずだった。

 いや、そう思い込んでいただけかもしれない。

 正直、僕は無意識のうちに父から告げられた事実を一時的にでも忘れようと躍起になっていただけかもしれない。

 

「まだ、十八にもなっていないのに結婚なんて……いったい今は江戸時代かなんかか」

 

 あの時、父から伝えられた話。

 それは許嫁が決まったということだ。

 黒澤家は沼津の網元としてそれなりの権力を持っているが、所詮は小さな沼津の中での話。父はそんな狭い箱庭では飽き足らず、もっと大きな世界を手中に収めたいと野望を抱いていた。

 その為に、僕と大きな家の娘と婚姻関係を結ぶことで新しい権力、資産を手に入れ、黒澤家を大きくしようとしている。

 僕はその為の一つの駒に過ぎない。

 本当に令和の世の話とは思えない。戦国時代や江戸時代の話にしか思えない。

 正直、馬鹿馬鹿しい。学も人望もなく、他人に寄生にするようなやり方で将来が安泰するなら、誰も努力なんてしない。

 でも、一家の大黒柱である父に異を唱える人は黒澤家には存在しない。

 亭主関白である父に逆らうことは許されない。逆らえば、痛い目に遭うのは間違いない。それに、黒澤家の繁栄という観点から見れば、父は間違ったことは言っていない。

 家の繁栄が幸せと感じるのならば、父に従うこと間違いではなかった。

 

「本当に……これでいいのか……」

 

 僕は単語帳を閉じ、視線を天井に移し、呆然とする。

 今までの僕なら飼い慣らされた犬のように何も考えることなく、従っていただろう。

 でも、今は……千歌さんに惚れてから変わった。

 父の支配から抜け出して、千歌さんと共に未来、家庭を築きたいと思い始めた。

 顔も名前も知らない相手よりも心の底から愛せる相手と幸せになりたい。例え、それが黒澤家が衰退するとしても構わない。

 僕は我儘な子供になりつつあった。

 

「でも……これでいいのか?」

 

 しかし、僕は子供にも松浦果南にもなれない。

 何故なら、僕には背負っている責任があるからだ。

 

「お兄ちゃん、迎えに来たよ」

 

 ガラガラと保健室の扉を開けると音と聞き慣れて甘い声が耳に入る。

 噂をすれば、現れたのはルビィだ。

 ルビィの手には二つの鞄。一つは可愛らしいピンクリボンが目を引く、ルビィの鞄。もう一つ、僕の鞄だ。

 

「ごめん。僕の荷物まで持たせてしまって」

 

 謝ると「気にしないでいいよ」とルビィが言う。

 僕の鞄は大量の参考書やノートが詰め込まれており、持ち運ぶには少々、厳しい。さらに、小柄なルビィに文字通り、荷が重たかっただろう。

 しかし、ルビィは嫌な顔一つせず、寧ろ、心配はかけまいとあどけない笑みを浮かべる。

 思いやりのある優しい妹だ。時より高校生とは思えない稚さを見せるのが玉に瑕か。

 

「それより、体調は……」

 

「あぁ。十分休息は取ったから頗るいいよ」

 

 昼から放課後まで、ずっと眠っていたおかげで、溜まっていた疲労は殆ど取れ、鉛のように重かった体は今では羽毛のように軽く感じられる。

 養護教諭の方からは「今日は早退したほうがいい」と勧められた。

 だが、ルビィが「一人で帰れるか不安」らしく、その結果、僕は放課後まで保健室で安静にして、それから一緒に帰るのがいいと言った。

 いくら、精神が子供になりつつあっても、それでも僕は高校生だ。流石に病み上がりでも一人で帰れないほど軟じゃない。

 しかし、帰宅したところで、父からの圧を感じるだけで、到底体を休められるとは思えなかった。

 それなら多少退屈でも学校にいる方が体も休められ、何より精神衛生上いい。

 

「それじゃあ、帰ろうか」

 

「うん!」

 

 僕は軽くなった体を起こし、ベッドから降りる。そして、ルビィが運んできた重い学生鞄を持つ。

 用意した僕が思うのもおかしいけど、ルビィはよく持ってこれたなと思う。

 準備が整い、保健室から出る時、机に向かって色々と仕事をしている養護教諭の方に一つ頭を下げ、僕達は昇降口へと向かう。

 コツコツと足音が廊下に響く。

 今まで過剰とも言えるほど冷房が効いた部屋にいたためか、廊下に出ただけで、額から多量の汗が流れる。

 疲れを取った筈なのに、一歩一歩、歩く度に足が重くなっていくのを感じる。

 喉が渇きを覚える。そう思ったタイミングで、ふと目に自動販売機が目に入る。

 

「ルビィ、何か飲む?」

 

 僕だけが飲むのも気が引ける。それに僕の荷物を持ってきてくれたお礼もしたかった。

 この提案にルビィは満面の笑みで受ける。そして、「りんごジュース」と元気よくせがむ。

 鞄から茶色の革製の長財布の中から百円玉を二枚取り出し、自動販売機に入れ、紙パックのりんごジュースと抹茶オレを買う。

 そして、りんごジュースをルビィに渡すと「ありがとう」と言って、美味しそうにジュースを飲む。

 僕も紙パックにストローを指し、抹茶オレを喉に通す。口の中に牛乳の甘さと抹茶の苦みが広がり、乾いた体がゆっくりと潤っていくのを感じる。

 水分を補給した僕達は昇降口に着くと、僕達は下駄箱から革靴を取り出し、床に置く。

 

「ねぇ、お兄ちゃん。一つ聞いていい?」

 

 靴を履き終えると後ろに立つ、ルビィが唐突に口を開く。

 

「何だ?」

 

「千歌ちゃんのことどう関係なの?」

 

 夕日が反射し、宝石のように輝く瞳が訴えかけるように僕に向けられる。

 今まで女性とは同学年と生徒会メンバーだけという最小限の範囲と最低限の関わりしか持たなかった。

 でも、千歌さんはそのどれにも属さない。ましてや、わざわざ付きっきりで看病までしてくれた。

 はっきり言って、異常に思うだろう。

 僕をよく知っているルビィなら尚更だ。

 

「……どうって普通の後輩だよ」

 

「普通の後輩にあんな顔をするんだ」

 

 平静を装い、受け答えをするも、その仮面を剥がさんとルビィは痛いところを突いてくる。

 僕と千歌さんは先輩と後輩という普通の関係。ただ、特別な部分があるとするなら僕が一方的に千歌さんに思いを寄せているだけ。

 だから、隠し通せると思っていた。ルビィには僕の心の内を。

 どんなに高級なお菓子も普通の包装紙に包めば、市販のお菓子にしか見えなくなるようになると思っていた。

 

「……千歌ちゃんのこと、好きなの?」

 

「……何を言ってるんだ?」

 

「だって、初めてだもん! お兄ちゃんのあんな顔を見たの」

 

 でも、違った。

 まるで後頭部をバールのような硬い物で殴られたような衝撃が走る。

 どうして、ルビィが僕の気持ちを知っているのか。千歌さんへの思いは誰にも話していない。

 どんなに仮面をつけても、覆い隠しても、心の奥底に押し留めて密閉しても、隠したいの僅かな隙間から漏れてしまう。

 友達程度の浅い関係なら隠し通せるのだが、それ以上の関係、長年、一緒に生活をしている兄妹になるほど、難しくなる。

 僕にもそういった経験を幾つも体験したことがある。

 幼い頃のルビィは僕が用意しておいたプリンやアイスを勝手に食べることが多かった。恐らく、悪気があって食べた訳ではないはずだが、バレれば十中八九怒られると思ったルビィは必死に隠し通そうとしていた。

 でも、隠し事をするルビィは明らかに挙動不審で、気づかないわけがなく、何度も叱った。

 今では立場が完全に反対だ。

 僕は徐に抹茶オレを喉に通す。最初に口にした時よりも味が薄くなっていた。

 

「……パパの話はどうするの?」

 

「どうするも何も……受け入れるさ」

 

「……それでいいの?」

 

「あぁ。黒澤家の繁栄は僕の幸せ……でもあるから」

 

 もう一度、僕はストローを加える。しかし、紙パックの中にはもう空でストローには何も通らない。

 それでも誇りがある。でも、家の為に僕の人生を捧げることには納得していない。

 しかし、僕が自由に結婚すれば、そのしわ寄せは必ずルビィに来る。

 家を第一に考える父だ。僕が駄目なら無理矢理にでもルビィの婿を探すに決まっている。もし、その婿があまりにも自己中心的、或いは平気で暴力を振るうようなクズだったらと思うと僕は気が気でならない。

 こんな枷をルビィに嵌めさせたくはない。ルビィには幸せでいて欲しい。笑顔でいて欲しい。その為にも僕は自らの幸せを投げ捨て、人柱にならなくてはならない。

 

「いいんだ。きっと高海さんには好きな人がいる。その人と結ばれればそれでいい」

 

 最もらしい言い訳を吐き、ルビィを納得させようとする。

 我ながら、つまらない事を言う。

 

「お兄ちゃん……」

 

「……暑いな。確か、冷蔵庫にアイスがあったな」

 

 夕日がいつも以上に眩しく感じ、思わず俯く。足元から伸びる大きな影は僕から離れたいと言わんばかりに後ろに伸びている。

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