コンロの上に置かれた大きな中華鍋の中にはパラパラの米粒と卵やカニカマ、青ネギ等その他食材が熱せられた油によって、踊るように跳ねている。
今日の昼飯は炒飯だ。大量に作れて、何より手っ取り早く作れるから、忙しい夏にはお世話になる。
「あっちぃなぁ」
火を扱うキッチンはとても暑く、クーラーがガンガンに効かせていても、ひっきりなしに額から汗が流れる。
汗が料理に入らないよう、首にかけたタオルで汗を拭き取る。
今日の炒飯は一味違う。
いつもなら俺とじいさん二人だけということで具材も味もそこまで重視せず、ただただ大量のご飯に大量の具材を投入して、炒めだだけの「男飯」みたいな炒飯。
それはそれで旨いのは確かだ。
でも、今回は客人がいる。キッチンと併設されたリビングではテーブルを前に千歌が椅子に座って、まるで子犬のようなつぶらば瞳で今かと今かとワクワクした様子で俺に注目していた。
あの期待を裏切るわけにはいかない。千歌というか女性の口に合うような飯に仕上げなくてはならない。そして、旨い飯を作って千歌を喜ばせつつ、料理ができる男というかっこいい姿を見せなくてはならない。
「よしっ!」
俄然、やる気が湧いてきた。スポ魂漫画なら、目に炎が浮かんでいるところだ。
俺は中華鍋を手に取り、前後に振る。
米粒と混ざった具材が綺麗な曲線を描き、宙に浮く。そして、一粒も零れることなく中華鍋に収まる。
すると、後ろから「すごい」と感嘆の声と、拍手が聞こえてくる。
背中がむず痒くなり、嬉しさのあまり、顔がにやける。テレビに出演している料理人はこんな気持ちなのか。よく仕事に手が回るな。
いい感じに火が通り、米粒もパラパラになったところで予め用意しておいた二つの皿に炒飯を移す。一つは俺が食べる用に大盛りにする。
たちこめる湯気と醤油の香りが食欲をそそる。
「できたぜ!」
炒飯の出来栄えは我ながら上手いと思う。きっと、千歌も喜んでくれるだろうと思いながら皿を両手に持つ。そして、意気揚々と千歌の前にコトっと皿を置く。
すると、千歌はまるで夜空に浮かぶ星のように目を輝かせ、炒飯を凝視する。
「美味しそう! それにいい匂い!」
千歌は手を合わせ、「いただきます」と言って、スプーンの上に炒飯を乗せ、口の中へと運ぶ。
その一連の動作を俺は固唾を飲んで見守る。
「どうだ?」
「うん! 美味しい! ほっぺがこぼれ落ちそうだよ!」
「よかった。今回は暑いから少し塩気を多めにしたんだけど、しょっぱくないか?」
「ううん。ちょうどいいくらいだよ」
まるで蜂蜜みたいに蕩けるような笑みを浮かべる。そして、次々と炒飯を口に運ぶ。
千歌の満面の笑みを見ているだけで、腹が膨れる。
「果南ちゃん?」
「こんなに美味しいご飯なら毎日食べたいなぁ」
「千歌……そういうことはあんまり言わない方がいいぞ。色々……勘違いする……」
「えっ?……あっ!」
千歌は始めはキョトンとしていたが、次第に言葉の意味を理解してきたのか、頬が赤くなっていく。そして、恥ずかしそうに視線を右横にあるテレビに逃がす。
毎日、相手の手料理を食べたいなんてプロポーズにおいて決り文句みたいなものだ。本人に冗談のつもりでも人によってはそう捉えてしまう。
特に俺は願望も相まって本気にしてしまいかねない。
「そういや、千歌は夏休みはどっか旅行に行ったりするのか?」
俺は炒飯を飲み込み、世間話を始める。
「行きたいんだけど、家のお手伝いがあって……。はぁ、折角の夏休みなのにどこも行けないのは嫌だなぁ」
そう言って、千歌は不満そうに頬を膨らませる。
千歌の家は旅館を営んでいて、基本的に長期休みのこの時期は忙しい。しばしば従業員だけでは手が回らず、娘である千歌達を手伝いをお願いしている。
一応お手伝いをすればお小遣いが貰えるようだが、まだ遊び盛りの千歌はお小遣いよりも遊びに行きたいようだ。
「果南ちゃんは……そういえば受験生だったね。ちゃんと勉強してるの? というか受験するの?」
「失敬な。一応、進学はするさ」
「えぇ! 意外! 果南ちゃんのことだからてっきりお店を継ぐから進学なんてしないと思ってた」
「そりゃぁ、継ぐからには経営について多少は勉強はしないといけねぇからな」
俺も千歌の予想通り、進学するつもりはなかった。
でも、親父や爺さんの働いている姿を見て、もう少し学がないとやっていけないと経営なんてやっていけないと思った。ましてや、収入にどうしても波が生まれるダイビングショップの経営だ。雑な経営では折角親子三代で続いてきた店が俺の代で潰れてしまうのは嫌だ。
それに経営以外にも俺はもっとダイビングインストラクターとしての勉強がしたかった。
だから進学することを決めたのだ。
しかし、進学するにあたって俺は一つ大きな問題が生まれた。そのことについても千歌に話したかったのだが、
「あ、ここ」
千歌はテレビに視線を奪われていた。
「知ってるのか?」
「うん。新婚のお客さんが凄く綺麗な場所で良かったって話してたんだ」
テレビでは夏のお出かけにおすすめのレジャースポットの紹介として、伊豆の観光地を紹介していた。
そして、今は「恋人岬」というスポットについて人気のお笑い芸人三人とゲスト女性モデルが色々と見て回っている。
昔とある男女が遠距離恋愛していた。女性が相手と結ばれるように毎日神様に祈っていた。
すると神様が二人に鐘を一つずつ渡した。
それから男は朝晩、岬の近くを付近を船で通るときには鐘を三回鳴らして、互いに愛を確かめたという逸話からそう呼ばれている。その逸話になぞってか実際に鐘のオブジェが置かれているとテレビでは紹介している。
「恋人……ねぇ」
俺は千歌を一瞥する。
その昔話の男とは違い、俺はすぐ近くに思いを寄せる相手がいる。
でも、関係が壊れること、拒まれることに恐れ思いを伝えることができない。
本当に情けない男だ。
だから……そんな情けない男はもう卒業しなくちゃいけない。
「覚悟……決めなくちゃな」
千歌に聞こえないようにポツリと呟く。
二人きりというこのチャンスを生かす他ない。
「なら、行くか?」
「えっ?」
千歌は素っ頓狂な声を上げる。
平然を装っているが、俺の心臓は爆発寸前と思えるくらい激しく鼓動を打つ。
「行きたいんだろ? ここに」
俺がそう言うと千歌はゆっくりと首を縦に振る。
「でも、恋人岬だよ……」
「な、なぁに。別に景色を見に行くだけだろ? それにカップルじゃないと行っちゃいけないなんてルールはないだろ?」
「そうだけど……」
千歌の反応があまり良くない。行きたそうにテレビを見ていたとはいえ、まだ幼馴染の関係でしかないのいきなりカップルが行くようなスポットに誘うのは抵抗があったか。
そう考えた瞬間、不安にかられる。まぁ、拒まれたら仕方がないと諦めるしかない。
しかし、不安は杞憂に終わる。
「期待して……いいの?」
「えっ!……な、何を?」
「ううん! 何でもない! 行こう! 日にちはどうする?」
「それなら、後でLINEで行けそうな日を送ってくれれば合わせるよ」
「わかった」
そして、千歌はニッと可愛らしい笑みを浮かべる。
そんな笑顔を見て、俺はほっと胸を撫で下ろす。
行き当たりばったりだけど、千歌とお出掛け……いや、デートに誘えて、良かった。しかし、安心するのはまだ早い。寧ろ、ようやくスタートラインに立ったばかりでここからが本番。今回のデートを千歌を喜ばせ、しっかりエスコートして、やっと成功する。
それにしても「期待していい」とは一体どういう意味なのか?
楽しいお出掛けを望んでいるかもしくは……。
いや、それはあまりに自意識過剰か。
告白されるのを望んでいるわけ……ないよな?