八月まで残り数日と言った七月の某日。俺は沼津駅周辺にある喫茶店に居た。
窓際の四人掛けの席に座り、外を眺める。Yシャツ姿のサラリーマンやワンピース姿の女性達が額に汗を流しながら、炎天下の街中を歩いている。
暑い中ご苦労さまと優越感に浸りながらLサイズのアイスコーヒーを喉に通す。
アイスコーヒーを半分ほど飲み終えた頃だ。いよいよ待ち人の男女二人組がやってきた。二人は店内ぐるりぐるりと見回している。
俺はゆっくりと手を上げると、二人はこちらに向かってくる。
「おぉ、来たか!」
「来たか、じゃないずら。一体、何の用なの?」
不満そうにしているのは国木田花丸だ。その隣には花丸の彼女である善子も一緒にいる。
二人は仲睦まじく手を繋いで、夏というのに肩を寄せ、密着している。こんな真夏だと言うのに、密着していて暑くないのか。見ているこっちが暑くなってくる。
この二人は浦の星でも超が付くほどのバカップルとして良くも悪くも有名だ。
そんな二人との出会いは五月の下旬頃。段々と梅雨の兆しが見え始めた頃。
二人が街中でチンピラに襲われていたところをたまたま俺が助けに入ったという、いかにも俺らしい出会い方だった。
「そう言わずに。詫びに好きなもん奢るからさ」
「珍しい。ケチで果南先輩が奢るなんて」
「ケチは余計だ」
上級生だろうと二人は容赦なく、失礼なことを言う。
それだけ、仲がいいというか分け隔てないというか。
「それじゃあ、遠慮なく。すみません。アイスコーヒー二つと卵サンドとBLTサンド。後はカレーライスを下さい」
「……え? マジ?」
俺は呆然とする。
奢るとはいくら何でも限度ってものがあるだろ。
「これくらい、普通だよ? 善子ちゃんは?」
「え? 私は……珈琲だけでいいわよ」
善子は俺の顔を一瞥する。
普段は堕天使と自称する中二病の痛い女の子だが、そんなキャラとは想像できないくらい普通に空気が読めて、気遣いができる名前の通り善い子だ。
そんな善子だ。花丸が容赦なくオーダーした事に彼女としてせめて自分は珈琲だけで遠慮しようと考えているのだろう。
正直、そうしてくれた方が助かる。高校生の財布事情なんてたかが知れてる。
だが、それでいいのか松浦果南。後輩に、まして女の子に気を遣わせるなんて先輩としての威厳は何処に行った?
俺は意を決して、
「店員さん。いちごパフェ一つ……いや、三つお願いします」
と注文を言う。
店員は紙にスラスラとペンを走らせ、終えると「承りました」と言って、厨房へと戻っていた。
あぁ。薄くなった財布のすすり泣く声が聞こえてくる。
「ご馳走様です」
「その……悪いわね」
「あぁ……気にすんな」
相談の代償にしては鉛のように重い。しかし、千歌とのお出かけの成功の為なら背に腹は変えられないと言い聞かせる。
「それで相談って、何なのよ」
「あぁ、その……」
いざ、相談するとなると恥ずかしくなって、不意に窓の外に視線を移す。
外には相変わらず多数の通行人がいて、いつもの変わらない風景がそこにあった。
「お待たせしました」
ウェイトレスがオーダーしたメニューをぞろぞろと運んでくる。
テーブルにカレーやら珈琲、パフェなどが一同に並べられる。
そして、善子はパフェを、花丸はカレーを口に運ぶ。二人とも「美味しい」と幸せな声を漏らす。
「デ、デートの立て方教えてくれ!」
そんな二人に対し、手をついて、おでこを机を付けるように頭を下げる。
すると、二人は目を合わせて、呆れたように溜息を吐く。
「童貞臭い質問ずら」
「うるせぇ!」
「もしかして、千歌さんと……」
善子は目を見開き、パフェを食べ進める手を止める。
俺はゆっくりと首を縦に振る。
「……明日は雪でも振るのかしら」
スプーンを置き、善子は口元を抑え、ありえないと言わんばかりに激しく動揺する二人に流石の俺でも眉を顰める。
「お前ら……俺を一体何だと思っている」
「ヘタレよ」
「ヘタレずら」
「そんなはっきり言わなくても……」
「でも、実際今までは何も行動できなかったわけでしょ?」
心臓に鋭利な槍が突き刺さる感覚。
全く以てその通りだ。何も出来なかった。関係が壊れること、拒絶されることを恐れて俺は一歩を踏み出すことをしなかった。
「ま、まぁ。それでも今回は行動できたし……」
「甘いずら! 果南ちゃん。その考えはパフェのように甘い」
善子から分けて貰ったパフェを口に運びながら、まるで犯人を探し当てた名探偵のように堂々と言い切る。
「幼馴染だからって必ず好意を受け入れてくれるとは限らないよ」
「そうそう。私達も幼稚園からの幼馴染だけど、意識し始めたのは結構最近だし」
ぐうの音も出ない。
千歌だって、もしかしたら俺のことはただの幼馴染とか、近所の兄ちゃんくらいにしか思っていないかもしれない。
「まぁ、いいずら。それでデートの計画の仕方が知りたいんだよね?」
「そうだ。二人は何か特別なことってやってるのか?」
「う〜ん。私達は特にこれと言ったことはしてないわね。ただ、行きたいところに二人で行ったりするくらいね」
「……そんなのでいいのか?」
すると善子は首を縦に降る。
「花丸は……何かしないのか? エスコートしたり、計画表立てたり……」
「エスコートくらい、男として普通だよ。でも、そんな綿密に計画表を立てたりはしないかな」
拍子抜けした。
てっきり、相手を楽しませる為に入念に下調べをし、綿密に計画を立てて頭の中で何度もシュミレーションしたりするものだと思っていた。
「でも、果南ちゃんの気持ちもわかるよ。マルだって初デートの時は緊張したもん」
「確かにしっかりエスコートしてくれると、私も男らしいと思うし、そこはしっかりした方がいいと思うわ。でも、別に……花丸と一緒なら何処に行っても嬉しいし、楽しいわ」
「そんなものなのか?」
「逆に好きな人と一緒にいるのが楽しくないの?」
「そんなわけないだろ」
そう反論すると「そういうことよ」と善子は言う。
なるほどと俺は頷く。
「それで、果南ちゃん。参考になった?」
「……なってないと言えば嘘になる」
すると「それなら良かった」と花丸は右手にタマゴサンド、左手にBLTサンドを持って、交互に食べる。
「つーか、花丸。お前、それだけ食っても太らないんだな。帰宅部だろ? 運動とかしてんの?」
最初は些細な好奇心だった。
花丸は食べる量に比べて体は割と細身だ。腹なんか出てない。だから、細い体を維持する為に何か運動でもしてるのかとそう思っていた。
しかし、この些細な好奇心が俺の心を傷つけることになる。
「うーん。善子ちゃんと沢山エッチしてるからかな?」
「は、はぁ!?」
思わず、口に含んでいた珈琲を吹き出す。
「お、お前は!」
「もう、善子ちゃんとヤッたよ。童貞の果南ちゃんとは違って何回も」
「ず、ずら丸! 何言ってんのよ!」
善子は顔を蒸れたりんごのように赤くして、花丸の暴走を止めようとする。
「いいんじゃん。恋人なんだからしてもおかしくないでしょ」
しかし、花丸は止まる気配がない。
というか、変わらない表情を見る限り、平常運転なんだろう。
「善子ちゃんはね。ベッドの上でも可愛いんだよ」
すると、花丸は恥ずかしがることも照れることもなく、羽毛のように優しく善子を抱き寄せる。
「や、だ、だめぇ。それ……気持ちいい……から……」
「こうやって抱きつかれるだけで、気持ちよくなっちゃうし」
抱き寄せられ、善子は相変わらず顔が赤いものの、目はトロンと蕩けていて、まるで頭を撫でられている猫のような表情になっていた。
そんな善子の耳元で花丸は
「愛してるよ」
と囁くと、善子の体はピクリと跳ねる。
二人がバカップルと言われる所以がわかった。この二人はひと目を憚らずイチャつき始める。
花丸は公衆の面前で恋人とイチャつくことに何の抵抗もないのだろう。というか、寧ろ見せつけたいというか善子を辱めたい、独占したいなんてサディスティックな気があるのだろう。
そして、善子は恥ずかしがるもののマゾヒズムの気があるようで、束縛されることで性的興奮が増長されるのだろう。
ドSとドMという組み合わせで相性が悪いなんてことはない。
目の前でくだらない寸劇を珈琲を飲みながら、死んだ魚のような目で眺める。
砂糖が入っていないはずなのに珈琲は吐くほど甘く感じられる。