リビングのテレビから昼のバラエティ番組に出演している芸能人達のわざとらしい笑い声が流れている。
午前中のダイビング教室を終え、昼時の今。
午後の教室に備えて、塩味のインスタントラーメンを適当に茹で、さっさと食べ終えた俺はソファに寝っ転がり、とある物を眺めている。
「いつ……渡せばいいのか……」
それはリボンで装飾された箱。
中には千歌への誕生日プレゼントである向日葵のブローチが入っている。
本当は来週の千歌とのデートの際に渡すつもりだった。
しかし、昨晩のことだ。千歌からSNSで家の仕事が忙しくてデートに行けそうにないと連絡を受けた。
千歌の旅館であり、夏休みシーズンの今は書き入れ時。忙しくなるのは当然のこと。
仕方がないとは言え、意気揚々とデート、告白の準備していたがそれが根本から崩れ去り、少しショックだ。
せめて、誕生日プレゼントくらいは渡したいが俺も夏の間はダイビングショップの手伝いが忙しく、中々会いに行く暇もない。
「……さっさと告白しておけば、こんなことにならなかったか」
今までチャンスがありながら全て棒に振ってきたつけが回ってきたような気がするとナイーブになっていた時、家のインターホンが鳴る。
「誰だ? ダイビングスクールの時間はまだだって言うのに」
午後のダイビング教室は一時半からだ。
今の時間はまだ十二時。少しばかり早い気がする。
いや、普通に配達か何か?
まぁ、誰かが訪ねてきた以上、対応する他ない。
プレゼントを机に置いて、玄関へと急ぐ。
そして、ゆっくりと扉を開ける。
「どなた……で……」
扉の前にいた男を見て、俺は絶句する。
いつの間にか寝ていたのか。だから、こんな悪夢を見ているのか。
「お話しがあります。松浦果南」
扉の前には鋭い目を浮かべた黒澤ダイヤが立っていた。
◇◇◇
信じられない。それしか言いようがない。
学校では不良と名高い俺の家に生徒会長の黒澤ダイヤが鞠莉と一緒に訪ねて来て、家に上がって、お茶を飲んでいる。
ましてや、ダイヤは理由はわからないが俺の事を酷く嫌っているはずなのに。
そんな奴が俺に一体何の用があって、家に来たんだ?
お茶を馬鹿みたいに上品に味わうダイヤの様子を伺う。
「……マジマジと見ないでくれませんか。気持ち悪い」
「うるせぇ! そんなことよりどういう風の吹き回しだ」
様子を伺って埒が明かないだろうし、そもそも俺の精神衛生上良くない。
遠回りせず、単刀直入に聞く。
すると、ダイヤは湯呑を置いて、
「……あなたは高海さんのことが好きですか?」
と問いかけてくる。
居間が静寂に包まれる。
「……はぁっ!? 何言ってんだ!? 人をおちょくるのも大概にしてくれよ!」
静寂を破るのは当然俺の声。
こいつ、急に何を言ってるんだ?
勉強しすぎで気でも狂ったのか。
「僕は千歌さんを愛しています」
「そうか……ってもうわけわからねぇよ……」
俺は頭を抱える。
情報量が多すぎて空っぽの頭がパンクしそうだ。
別にダイヤが千歌の事が好きだなんて驚くことじゃない。普通に可愛いから好意を寄せる男は少なくない。
というかダイヤが千歌の事が好きなのは薄々勘付いていた。
あの名前に恥じない堅物なダイヤが千歌に対して妙に馴れ馴れしかったり、いい顔しているのを見ていればわかる。
それにあいつが倒れた時の言葉。あれはどう考えてもいつも千歌の隣にいるに俺に対する妬みだ。
あの時、はっきりとダイヤに嫌われている……いや、憎まれていることを知った。
まぁ、気づいたところで大した変化はないけど。
ただ、ダイヤが恋敵となると少し焦る。
癪に障るがダイヤは普通にいい奴だ。俺なんかよりも。その気になれば千歌なんて口説き落とせるだろう。
俺なんかよりも世間からの評価は月とスッポンだからな。
「どういう意図なんだよ」
「あなたの考えを聞いていません。想いを聞いているのです。千歌さんが好きなのか嫌いなのか、はっきりしろ」
なかなか問いに答えない俺に痺れを切らしたダイヤは睨んでくる。
調子が狂う。
まぁ、答えは一つだ。
「……好きに決まってんだろ」
「それは幼馴染としてですか?」
「……女としてだ」
俺が気怠げに答えると「そうですか」と予想通りと言わんばかりに呆気なく受け入れる。
「なら、謝ります。僕は先日、千歌さんとデートに行きました」
「そうか……え!?」
俺は思わず湯呑を落とす。
陶器特有の甲高い音が足元から響いてくる。
千歌とダイヤが……デートだって?
「気になさらず。千歌さんには僕以外に気になる人がいるそうですから」
ダイヤは俺とは真逆に酷く冷静だ。
つか、ダイヤ以外に気になる人がいるって、誰のことだと疑問に思う。
「そして、そこであなたと……梨子さんが一緒にいるところを……見ました。それで千歌さんはあなたが梨子さんと付き合っていると思っています」
「……マジかよ」
最悪だ。
まさか、千歌にそんな勘違いされるなんて。
かなり焦る。
待てよ? 勘違いした?
「言っておくけど。梨子は千歌の誕プレ選びに付き合ってもらっただけだ」
「そうでしょうね。女性に気持ちなんて一切理解できないあなたならそういう選択をするでしょう」
こいつと一言多くて嫌味な奴だと露骨に大きな舌打ちをする。
つーか、人のサプライズを台無しにしておいて、さらに逆鱗を撫でるような挑発をするとか、いくら何でも性格悪すぎないか。
確かにダイヤは俺を好いてないのは明白。嫌味ったらしくなるのは当然かもしれない。
それにしてもいちいち人を苛立たせるようなことを言うのは模範的な優等生なダイヤらしくない。
「どうしましたか? 僕を殴ってくださっても構いません。僕はあなたの努力を水の泡にした。それに関しては僕が悪い。ただ、一つ言わせてください。あなたはどうして、いつも隣にいながら思いを伝えなかった?」
「それは……」
「この腑抜けが。はっきりしないからこそ、傷つく人達がいることを忘れるな」
ぐうの音も出ない。
ダイヤの言う通り、いつも千歌の傍にいながら俺は何もしなかった。
ただ、いつも通り接しただけで千歌きは特別なことは何もしていない。
アピールだって何一つだ。
そんな男なんて腑抜けと馬鹿にされても仕方がない。
「そうだな。俺はお前の言う通り腑抜けだ。それは認めるよ」
「っ! お前! いい加減にしろ!」
肯定その時だ。突然、ダイヤが俺の胸倉を掴んできた。服を引き千切らんとする力で。
ダイヤはまるで睨み殺すかの如くを鋭い目つきを向ける。
俺はただあ然とした。
別にびびったわけではない。あまりの予想外の行動に俺は呆気に取られてしまったのだ。
冷静沈着で規律に厳しいダイヤがまさか感情的かつ暴力的な手段を取るとは誰が思うか。
「なぁ……どうしたんだ? 俺にはお前の意図が全くわからない。千歌が好きなら口説けばいいだろ!?」
千歌が好きなら勝手に口説けばいい。
千歌の隣に俺がいて欲しくないのなら排除するよう手を出せばいい。
ダイヤの言動は矛盾している。
ダイヤは千歌のことを好きと言ったはずなのに、デートまでしてもなお、あまり恋人にしたいなんて欲が丸っきり見えない。
それどころか俺に発破をかけてるように見える。
理解できない。普通なら恋人にしようと躍起になるはずなのに。
「知らないくせに……」
「何がだよ! 何も言わねぇんだから、わかるわきゃねぇだろ!」
勝手にキレては説教みたいなのを聞かされて、流石に苛立ってしまい、強い口調で返してしまう。
ダイヤはヒートアップした俺に乗っかるようにデカイ声で言い放った。
「僕はお前とは違うんだ! お前みたく自由に生きることも! 自由に恋することだって許されない! 届かない星に手を伸ばすことも許されない! だから、諦めるしかないんだ!」
「ダイヤ……お前……」
「僕には許嫁がいる。どんなお前以上に千歌さんを愛していても絶対に一緒になれない……」
俺はこの時、初めて知った。
松浦果南と黒澤ダイヤが生きている世界は同じだけど、全く違うということ。
俺はただの一般人だ。
いずれは家のダイビングショップを継ぐという役割を選んだが、それ以外に背負うべきものは何もない。
もっと言ってしまえば、親父からは他にやりたいことがあるならダイビングショップなんか継がなくていいとさえ言われている。
俺は例えるから果てまで広がる大海原を自由に泳げるイルカ。生きるも死ぬも自分の匙加減。でも、自分に行きたい場所まで泳げる。
何も囲われず、縛られもしない正真正銘の自由を得ている。
一方でダイヤには自由なんてない。
水族館かどっかの施設の狭い水槽に押し込まれたイルカ。
自分の行きたいところまで泳ぐことは許されず、徹底的に管理され、時には見世物として扱われる。
無論、それが悪いことじゃない。病気になっても治療は受けられるし、見世物になることで人々を楽しませることができる。
それなりに快適で外敵に襲われることもなければ病気になっても治療してくれるため、長生きはできるだろうが、一切の自由はない。
檻に囚われ、鎖に繋がれ、愛でられるだけ。
自由しか知らない人間と自由を知らない人間。
その二種類の人間の価値観は絶対に混じり合うことはない。
そりゃあ、俺とダイヤは互いに気が合わないに決まっている。
自由を持てないダイヤにとって自由を持つ俺が妬ましく思うに決まっている。
「そうか。そりゃあ……お前の気持ちがわかるわけねぇよな」
俺には別の世界に住むダイヤの思いも苦しみも何もわからない。
そして、ダイヤの取った選択肢も俺には理解できなかった。
「でもよ、何で抗わないんだ? そんな自分の人生全部が家とか親に決められるとか……俺は嫌だね」
「何もわかってない! 何一つも!」
「そうだよ。わかってないから言ってるんだ! 逆にお前も俺のことをわかってないだろ! お前はただお前自身のエゴを押し付けているだけだ!」
確かに俺は誰よりも千歌に近い。いつだって千歌に告白するチャンスだってあった。
しかし、万が一千歌が俺以外に好きな人がいて、告白を蹴られた時、俺と千歌の関係は最低最悪のものになってしまう。
幼馴染という近い存在であるが故に繋がりが少しでも亀裂が入れば同じように修復するのは難しい。
言い訳にしか聞こえないが、だから俺は千歌に告白することができなかった。
別に理解しろとは言わない。ただ、相手の考えを汲むこともせず、自分の考えを押し付けるのは馬鹿な俺でも違うとわかる。
「……お前に言われたく……」
ダイヤは俯き、俺の胸倉から手を離す。
「失礼……しました」
そして、ダイヤは一つ礼をして、足早に俺の家から去っていった。
まるで台風が過ぎ去ったような静寂が居間に流れていた。
その台風の目がまさかダイヤだなんて誰が予想できるか。
あの焦りように感情的なダイヤを初めて見た。
驚きはしたが、それ以上に安心があった。
黒澤ダイヤもちゃんと感情があり、血の通ったただの人間だということ。
ダイヤは何かの考えがあって、こんな行動を起こしたのだろう。あいつのことだから、自分の為ではなく、他人……千歌の為に。
だからと言って、いきなり人の家に上がりこんではキレ散らかすのは違うと思うが。
「……俺も覚悟を決めるしかないか」
だが、俺も感情的なダイヤを見て、少しだけ触発された。
あいつも千歌のことが好きで、デートや恐らく様々なことをしている。
俺なんかよりも活発で男らしい。
恐ろしい恋敵が現れた以上、もうウジウジ悩んでいる暇なんて、俺には残されていなかった。