個室から出た僕らは中庭に置いてある石のベンチに腰掛け、心を落ち着かせていた。
ふうと僕は溜息を吐いて、ネクタイを取っ払う。
まるでリードのように首元を締めるのだから、ただただ息苦しくて仕方がない。
「本当、大人達って勝手なんだから」
「全く、その通りです」
鞠莉さんは僕の隣に腰掛け、ふうと大きな溜息も吐く。
父から鞠莉さんが許嫁と伝えられた時、僕はほっと安心した。
見ず知らずの相手より、ある程度知っている人間の方が気が楽だ。
それに同じ家に縛り付けられ、振り回される者同士で共感できることが多い。
「鞠莉さんはいいんですか? 僕なんかと結婚しても」
「いいのよ。私は自分で選んだから。パパは小原家を継ぐなら誰と結婚しても構わないって言ってるけど……相手が相手だから、認められたかどうか」
「それが……ファッキンウォーターコング?」
「えぇ。わかっていると思うけど果南よ。私にとっては広い世界に連れ出してくれた人だけど、父にとって大事な娘に悪影響を及ぼす、悩みの種というか……害獣扱い」
松浦果南の酷い言いように思わず笑いそうになってしまう。
だが、鞠莉さんの父が松浦果南嫌う理由は僕には十分理解できる。
自分勝手で粗暴で馬鹿丸出しの不良。
何より一番気に食わないのは悪人ではないこと。これで鞠莉さんの父の思いとは裏腹に鞠莉さんはずっと果南さんに好意を抱いていた。
鞠莉さんは逆に広い世界を連れ出してくれる豪快さに惹かれたそう。
ただ、最近はそうでもないと愚痴を零していた。
もっぱら千歌さんのことについてウジウジ悩んでいる姿がかっこ悪いらしい。
とは言っているが、鞠莉さんが一番いい顔をするのが松浦果南のことを話している時だ。
「あなたはいいの? ちかっちのことは?」
「以前も言いましたが、僕では千歌さんを幸せにはできませんから」
僕は千歌さんの隣にいていい人間ではない。
勝手な我儘で千歌さんの心を傷つけた僕では千歌さんを幸せにすることはできない。
「……あなたがいいならそれでいいけど。でも、パパと言ってたわよ。もう少し我儘になればいいって」
「あなたの好きな松浦果南みたいになれと?」
冗談めかすと「それはやりすぎ」と笑われる。
「千歌さんと松浦果南は両思いですから。僕なんかよりも上手くいきますよ」
「でも、そんなの二人にはわからないわよ」
「えぇ。だから、松浦果南には発破をかけてやりました」
「……え?」
「先日、千歌さんが好きなことを松浦果南に伝えました。また、デートした時に松浦果南と桜内さんの関係を誤解させてしまったということも。」
「……あなたは手助けしたつもりなのね」
「そのつもりですが……」
そう答えた瞬間だ。
僕の頬に鋭い痛みが走る。
何が起きたのかと判断が鈍った。
でも、目の前の鞠莉さんの様子を見て、やっと気づいた。
僕は鞠莉さんに殴られたのか。
「本当、最低!」
いつものおちゃらけた雰囲気からは想像もできない睨みを僕に向けていた。
「あなたは二人の為にやったと思っている。でも、それは勘違いだし、人の思いを踏みにじった最低なことよ。自分の思いを押し付けるだけ押し付けて、逃げた腰抜け!」
嵐のように降り注ぐ、罵倒の数々。
ぐうの音も出ない正論で、僕の心に鋭く突き刺さる。
「確かに果南はちかっちのことになるとありえないくらい情けなくなる! でもね、それは幼馴染だから! 今の関係を崩してまでも叶える願いかどうか迷ってるから情けなくなるの!」
激しい怒りを僕に投げつける。
鞠莉さんも松浦果南と幼馴染だ。
きっと、松浦果南が千歌さんに対する苦悩を鞠莉さんも抱いている。
一歩でも踏み間違えれば奈落の底に落ちる危ない綱渡り。
それなのに僕はそんな危険なことを押し付けていた。
僕のことを何も知らない?
僕だって松浦果南のことを何も知らなかった。
言葉の刃は盛大なブーメランとなって帰ってきた。
「言っておくけど、あなたが思っているほど果南は馬鹿じゃないわ! やる時はやる男よ」
「……評価しているんですね」
「当然よ。私が好きになった人なんだから」
冷めているという割には本気になる辺り、やはり鞠莉さんはまだ松浦果南の未練を断ち切れていない。
羨ましいと思った。好きな人にそんなに一生懸命になれることが。
僕は何も変わろうともせず、ただ父に抗おうともせず、諦めた。
無論、抗わないのはルビィの将来の為もある。でも、もしかしたら言い訳という側面もあるかもしれない。
僕は何をすればいいのか全くわからず、ただ自分を偽ることしかできない。