覚悟を決めてから数日が立ち、またも小原家との会食が始まった。
今日のお店もまた先日、訪ねたところだ。
どうやら小原さんはこのお店を大層気に入っているらしく、父が次回の食事会にと誘った時、またこのお店がいいと我儘を言っていたらしい。そのおかげで父は予め予約していたフレンチのお店を取り消し、慌てて予約を取り直していた。
相手の機嫌を必死に取ろうとする姿は実に小物臭く、ただ恥ずかしかった。
小原さんはそんな小物を弄ぶ為に恐らくそう言ったのだろう。食事中の悪魔めいた笑みを見るとそんな気がする。
正直、結婚したところで黒澤家では小原家に対等な立場になれるとは到底思えない。父親を見ていれば器量の差が大きすぎて、家の大きさも嫌でも知らされてしまう。
所詮、小さな威張るしかない地主と世界を相手に商売する経営一家じゃ話にならない。
どうせ、下に見られてずっと弄ばれるくらいなら関係を断つ結果になっても自分のやりたいことをやった方が余程楽しいし、未来の為になると思うのは僕だけか。
「なぁ、ダイヤ君」
自分の世界に入り込んでいる僕に対面に座る小原さんが話しかけてくる。小原さんが話しかけるとその隣に座る鞠莉さんは小原さんを一瞥する。
相変わらず小原さんの笑みは悪魔みたいで恐ろしさを感じる。
「なんでしょうか?」
「いい顔をしているね」
「そうでしょうか?」
「うん。いい男の顔になった。覚悟を決めたんだね」
この時、僕は気づいた。
小原さんは僕の覚悟に気づいていると。
そして、早くその覚悟を見せてくれと発破をかけていると。
全く小原さんは食えない人だと思う。だからこそ、世界を相手に商売できるんだろうか。
それにしても今からこの場を全て蔑ろにして、大事な娘との婚約を一方的に破棄する。普通なら殺されても文句は言えないだろう。
でも、小原さんはそれを望んでいる。
そうか。なら、望み通りにしましょう。
「小原さん、折り入ってお願いがあります」
「なんだい?」
僕は席を立ち、小原さんの傍まで歩き、正座で座り直す。
そして、二つの手を床につき、
「婚約を破棄させていただいてもよろしいでしょうか」
と言い、土下座をしようとする。
しかし、頭を下げようとすると小原さんに頭を掴まれ、無理矢理止められる。
「ダイヤ君。こんなくだらないことに頭を下げるんじゃない。男なら堂々としろ」
「小原さん……」
僕が顔を上げると小原さんは先程の悪魔のような笑みから優しげな笑みへと変える。
そして、上体を完全に起こすと「よくやった」と誰にも聞こない声量で褒めると掴んだその手で頭を撫でる。
「ダ、ダイヤ!? な、何を言っている!」
すまし顔の小原さんとは対象的に父の顔は焦りと驚きで顔が酷く歪んでいた。
僕は小原さんに背を向け、父と向き合う。
「すみません。お父さん。でも、これが僕の答えなんです」
「こ、答えだと!?」
「はい。僕には鞠莉さんではない別の女性を愛しています。僕はその人と人生を歩みたい」
「お、お前!? 小原さんの目の前で!?」
「かっはっは! 鞠莉よりも女性がいるとよく私の前で言える」
「事実ですので」
激しく驚き、動揺し、焦る父を見て、僕は落胆した。それなりに尊敬した父が酷く小物で情けなく見えて、これ以上、父の情けない姿なんて見たくなかった。
一方で、小原さんの父は最愛の娘以上の女性を選ぼうとする婚約者の僕に対して怒るどころか、面白いと豪快に笑っている。
「そんなの認めん! 黒澤家の未来の為にお前は!」
「僕は確かに黒澤家の男だ。家の未来を担うのは僕の役目です。でも、その前に僕は黒澤ダイヤという一人の男です! 僕自身の未来は家のものじゃない! 僕のものだ!」
「黒澤を慕ってくれる人はたくさんいる! 信頼して、私達の下で汗水垂らして働いてくれる部下もいる! 今度は私達が彼らに報わなければならないのだ!」
「父さん……」
この時、僕は初めて知った。家を大きくしようとするのは家の利益だけじゃなくて、下で働く人達の為であることを。
何でそれを早く言ってくれなかったんだ。もっと早く向き合えたじゃないのか。……いや、それでも辿り着く答えは決して変わることはなかったと思う。
「それでも僕は曲げません。僕は父さんが思う程の『良い子』ではないんです」
それでもと付け加えて僕は父の意見に真っ向から激突する。
黒澤ダイヤは父の都合のいい人形なんかじゃない。ましてや家なんて小さな水槽に飼われている魚でもない。確かにこの世界に生きていて、大きな海原を駆けることだってできる存在なんだ。
誰かの為や組織の為だけに自らの道を閉ざすのはもう時代遅れの価値観だって深い海の底に沈めないといけない。
だから、僕は今日をもって父の手から離れる。それは僕にとってもそうだし、父にとっても次の未来に踏み出す一歩になるはずだから。
「それに小原さん。僕の好きな人を狙う男がいるんですよ。松浦果南という男がね」
「ほう」
松浦果南という最早不吉の象徴とも言える単語を小原さんの真由がピクリと動く。
「僕は彼に愛する人を渡したくない。それに考えてみてください。あの松浦果南に男としての魅力が劣って、女を取られた男なんて鞠莉さんの旦那さんなど務まりますか?」
「おいおい。それでは上手くいけば鞠莉は付き合わず、上手くいかなければ付き合う価値もないと?」
「そういうことになります」
背筋が凍り付く。拳をギュッと握り締める。
大見得を切ってふざけたことを言っているつもりはある。流石にこればかりは痛い目を見ても仕方がないと覚悟する。
「面白い男だ! Very 気に入った!」
しかし、雷も鬼神も降ることはなかった。
小原さんは腿をバシバシと叩いて大笑いしていた。
「私の見込んだ男だよ!」
「は、はぁ……」
あまりの笑いように僕含めた全員が少し引いていた。
小原さんは笑い終えるとキッと表情を引き締め、父の方を向く。
「Mr.黒澤。こういうことなので婚約を破棄としましょう」
そして、父に向かって婚約の破棄を申し出た。あまりにも突然でフランクでこれほどスッキリとした婚約破棄なんて普通ないだろ。
父は婚約破棄に一切止めることなく、黙ったまま首を縦に振った。頑固な人だから必死になって止めると思ったけど、意外と素直で驚いた。
「本当に勿体ないな」
「恐縮です」
「鞠莉があんなファッキンウォーターコングではなく君に惚れたのなら問題なく受けいれたのに」
「パパ!」
「まぁ、彼も悪い人ではないんですが」
「わかるかい? 私の気持ち」
「えぇ。無駄にいい人なのが腹立つんですね」
すると、小原さんは「Exactly!」と流暢な英語で同意する。
お互い松浦果南に憎しみと尊敬という背中合わせの二つを混ざった並々ならぬ感情を持つ者同士で同調できることがあるのだろう。
「それにWild過ぎて小原家に相応しくない。それに……昔の私を見ているみたいでむず痒くなる」
「そんなこと、初めて聞いたわ!」
「懐かしいなぁ。あいつみたくママを引っ張り出して無理矢理デートして、口説いたんだよな」
「それって同族嫌悪じゃ……」
「まぁな。そして、鞠莉もママの子供だって思ったよ」
鞠莉さんはジト目で小原さんを見つめる。
羨ましい。何というか軽口を言い合える家族というのは楽しそうに見えた。
そういうのを求めているわけではないけれど。
一通り話が終わると小原さんはコホンと咳払いをし、僕を見る。
「さて、ダイヤ君。君はここにいるべきではないだろう。迎えに行ってやりなさい」
小原さんは熱い眼差しを向けてくる。
そうだ。この間にも松浦果南は千歌さんの気を引こうとしているだろう。もう、恋のバトルは始まっている。
幼馴染みと言うアドバンテージの差がある分、僕は松浦果南よりも必死にアピールしないといけない。
何より、一秒でも長く、千歌さんと一緒にいたい。
「……ありがとうございます」
僕は立ち上がり、深々と頭を下げる。
そして、この場を後にしようと振り返った時だ。
「ダイヤ」
父が僕の名前を呼ぶ。
僕は振り返らず、その場で立ち止まる。
「……気が向いたらでいい。今度は話し合おう……」
いつもは威厳があり、厳しい声色で僕と話す父。
でも、今は弱々しく、暖かく優しい声色だった。
僕はゆっくりと振り返る。
「なら、早速今日にしましょう。鉄は熱い内に打てといいますから」
きっちりと対面して僕がそう言うと父は優しげな笑みを浮かべた。