窓の外からは夏の訪れを知らせるセミの騒ぎ声。廊下から少年少女達が文化祭の準備の最中、笑い混じりの騒ぎ声が響く。そんな喧騒をBGMに僕……黒澤ダイヤは生徒会室で一人で淡々と仕事に励んでいた。
他の生徒会の方々は全員、自分のクラスの準備に励んでいる。
文化祭は学生にとって青春というパズルを完成させる大きなピースでメインイベントだ。だから、正直なこと言うと生徒会の仕事よりも何倍も大事なことだ。
クラスメイトと共に汗を流し、思い出を作る。大人に成長してしまったら二度と経験することができないとても大切な時間。だから、他の生徒会のメンバーには僕の手伝いよりも自分のクラスを手伝いするべきと指示した結果、僕はこの冷房二七度の快適な生徒会室に一人で黙々と仕事をしている。
「そういえば、高海さん……大丈夫だったかな?」
ふと、ペンを止め、数十分前に偶然出会った高海千歌さんのことを思い出した。
華奢な体でありながら、重い荷物を一人で持ち運んでいた彼女は廊下を歩いている最中、落ちていた紙を踏んで、転んでしまいそうになっていた。
あの時は本当に焦った。と言うもの、高海さんが踏んだ紙は僕が落とした書類だったのだ。
職員室で山積みの書類を生徒会室に運んでいた。生徒会室に着いてから書類を確認すると一枚だけ足りないことに気づき、どこかに落としたのだろうと来た道を引き返していたところ、高海さんの事故現場に偶然目撃したのだ。
僕が咄嗟に助けに入ったおかげか彼女は目立った怪我をせずに済んだ。でも、実は足をくじいてしまっていたりしていないだろうか。僕が荷物を持とうとしても、遠慮したところを見ると彼女は恐らく気遣いのできる優しい人だ。怪我をしても、きっと心配をかけまいと強がるだろう。それが初対面の人なら尚更。
「……考えすぎだ。普通に歩けてたからきっと怪我はしていない」
僕はヒートアップした頭を一旦、落ち着かせる為、深呼吸する。肺に冷たい空気が染み渡る。
冷静になって僕は一つの違和感に気づく。僕自身が疑問に思うのもおかしいがどうも高海さんのことが異常に気になってしまう。今回の心配具合も血の繋がった妹のルビィと同じくらいかもしれない。
それにあの一本一本が綺麗に靡くオレンジ色の髪。
女性特有の甘い匂い。
張りのある白い肌。
耳がとろけるような甘い声。
高校生にしては幼い顔つきに宝石のような赤い瞳で上目遣いしてくる彼女の姿が眼に焼き付いて、今でも鮮明に思い出せる。
「綺麗な……人だったな」
彼女の可憐な姿を思い出していると、誰かが生徒会室のドアをノックする。
僕は慌てて「どうぞ」と言うと「失礼するわ」と綺麗なソプラノボイスと共に彼女が生徒会室に入ってくる。
「小原さん。何の御用で?」
まるでシルクのようなきめ細かで美しい金髪。イタリアと日本のハーフということで少し日本人離れした顔立ち。雪のような白い肌はとても美しい。
彼女は小原鞠莉。彼女はこの学院を買収した小原家の一人娘。そして、学生という立場でありながらこの浦の星学院も理事長も務める異色の存在。
「生徒会に目を通してほしい資料があるのよ」
そう言うと鞠莉さんは一枚の紙を僕の前に差し出す。
彼女はいつもは外国特有の掴みどころのないテンションで振り回す人だが、こういった仕事上の関わりの時は一転して真面目な人になる。
そういったオンとオフのスイッチに切り替えができるあたり、鞠莉さんもやはり小原家の娘なんだと思う。
「なるほど」
僕は紙を適当に流し読む。
紙には生徒や教員、経営陣からの要望と今年の文化祭から新しく追加された規則や後夜祭についての諸々が記載されていた。
特に後夜祭の件は個人的にかなり重要なことだ。今年は例年とは違い、キャンプファイヤーを初めて行われる予定だ。しかし、火を取り扱うということで細心の注意を払わなければならない。特に不良と呼ばれる輩が多いため、一人でも危険な真似をすれば馬鹿がその後に続いて、収集が付かなくなり、大事故が起きる可能性も捨てられない。
この紙には万が一の事を考慮して、薪の量を少なめにしたり、キャンプファイヤーそのものをなるべく短くするといった、安全に行う為に様々な案が書かれている。
個人的にはこの案は全て飲み込みたいところだが、生徒の中ではもう少し火の量を強くして欲しいと思ったり、個人的なイベントをしたいから長めに行って欲しい人もいる。
その匙加減を調節するために一度、生徒の代表である僕達生徒会で話し合う必要がある。
「わかりました。明日に会議が開いて、他のメンバーと話し合ってみます」
「仕事がスピーディーで助かるわ」
そう言うと鞠莉さんは満足そうな笑みを浮かべる。
そんな彼女を他所に机に置かれたノートパソコンを起動し、早速明日の会議の為の書類の作成に取り掛かる。
しかし、用が済んだにも関わらず、生徒会室に居座る鞠莉さんが気になって、仕事に手がつかない。
「どうしたのですか? 御用が他にもあるのですか?」
「いいえ。ただ、今日のあなた……嬉しそうだから」
「そう……ですか?」
鞠莉さんは不思議そうな表情を浮かべながら僕の顔を凝視する。
そんなに変な表情をしていたのか。僕は手元に置いてあったスマホを手に取り、カメラアプリを起動し、内部カメラで自分の表情を確認する。
確かにいつもに比べれば柔らかい感じはする。
「何かいいことでもあったの?」
鞠莉さんはニヤニヤと笑いながら聞いてくる。
自然と瞳に千歌さんの姿が映る。
あぁ。確かに高海さんに出会えたことはいいことに違いない。
鼓動がいつもより速く打つ。
「……そうですね。ご想像にお任せします」
はっきりとは言わず、含みを持たせた言葉を聞いた鞠莉さんは笑みを浮かべながら「そう」と一言だけ残して、生徒会室を後にする。
「僕も……単純な男だな」
再び、一人になったところでポツリと呟く。
ずっと頭と瞳の中に居座る高海さんとこの鼓動で僕は気づいた。
黒澤ダイヤという男は高海千歌という女性に一目惚れしたのだと。
彼女の可愛らしさとその性格、何より彼女の「特別」な魅力に心を奪われたのだ。