時計の短い針がそろそろ五を指す頃。日は段々と地平線に隠れていき、内浦は茜色に染まる。
私は正門に寄りかかり、続々と学院から出ていく生徒を横目に果南ちゃんを待っている。
いくら熱の入る文化祭準備とは言え、そんなに遅くまで残る生徒は殆どいない。というもの内浦は沼津に比べて田舎であるためバスの本数が極端に少ない。その為、一度でも逃すと短くて三十分、長い時は一時間近く待たなければならなくなる。
だから、バス通学の生徒は乗り遅れないように足早に帰宅していく。
時より、果南ちゃんと一緒に帰れない時はこの集団に混じって、梨子ちゃんと曜ちゃんと一緒に帰る時がある。
「千歌、お待たせ」
「果南ちゃん」
でも、今日はその日じゃない。
後ろから大好きな声が聞こえてきて、私はステップを踏むように振り返る。
そこには果南ちゃんがバイクを押しながらこちらに向かって来た。
「んじゃ、帰るか」
私の前でピタリと止まると果南ちゃんは柔らかな笑みを浮かべ、馴染みのみかん色のヘルメットを手渡し、自身もエメラルドグリーンのヘルメットを被り、バイクに跨る。
私も果南ちゃんと同じようにヘルメットを被り、バイクの後ろに跨って、果南ちゃんの腰に手を回す。
「しっかり掴まってろよ」
準備が整うと果南ちゃんはバイクのエンジンをかけ、勢いよく走りだす。
果南ちゃんと私を乗せたバイクは唸りを上げながら先程まで私の横を通り過ぎていた生徒達を抜き去り、緩やか下り坂を下っていく。
「綺麗な夕陽……」
下り坂を終え、沼津土肥線に出ると目に映るのは紅に輝く夕陽とその夕陽に照らされて輝く駿河湾。
波に揺れる海面に反射した夕陽はまるで光でできた道のように海岸まで伸びている。
見慣れている筈の景色だけど飽きることのない美しい景色。
この景色を写真や絵にして、部屋に飾りたいくらいだ。
「……なぁ、覚えているか?」
「え?」
美しい景色を眺めてセンチメンタルな気分に浸っていると果南ちゃんが前を向きながら声をかけてきた。
「幼い頃、夕陽を見て大きな蜜柑だって言ったこと」
「そんなこと言ったっけ?」
私はうーんと唸って記憶の海から引っ張り出そうとする。確かにそんなことを何となく言ったような気がするけど多分、かなり昔の話だから詳しく思い出せない。
「確か俺が小学校に入学した年だから……千歌は六歳か」
「果南ちゃん。よく覚えているね」
「そりゃあ、印象深かったからさ。いやぁ、あの時は腹抱えて笑った」
果南ちゃんは豪快に笑う。
いくら面白いことだったにしろそんな十年も前のことをよく覚えているなと私は驚いた。
「でも、今は綺麗に見えるんだろ? 成長したんだなって幼馴染として感慨深いよ」
「……千歌のこと馬鹿にしてない?」
私は頬を膨らませ、ジト目で果南ちゃんの背中を見る。
「そんなことねぇよ」
「本当?」
「俺が千歌に嘘ついたことあるか?」
「……昔、コーラにメントス入れたら美味しくなるって言ってたよね」
「な、何でその話は覚えてんだよ……」
果南ちゃんはの顔は全く見えないけど、その声色でどれだけ慌てていることがわかる。
露骨なその慌てように私はクスクスと笑う。
何の変哲もない普通の会話。でも、私にはそんな何気ない果南ちゃんとの日常がとても幸せな時間。ずっと、こんな幸せな時間がずっと続けばいいのにと思う。
でも、時間とは無情で幸せであればあるほどあっという間に過ぎ去っていく。
「着いたぞ」
体を傾けると、右斜め前に私の家、「十千万」が視界に映る。この幸せな時間が終わるともうすぐ終わると思うと少しだけ気が滅入る。
しかし、時間は私の我儘を全く聞いてくれることはない。私達を乗せたバイクは減速しながら敷地内に入り、入り口前で停まる。
私達はほぼ同じタイミングでヘルメットを外す。私は額に流れる汗を拭い、バイクから降りると果南ちゃんにヘルメットを手渡す。
すると果南ちゃんは「サンキューな」と言って、収納スペースに私のヘルメットを仕舞う。
「いつも送ってくれてありがとう」
「今更何だよ。俺とお前の仲だろ」
私は礼を言うと、果南ちゃんは私の頭をくしゃくしゃと撫でる。
相変わらず心地よい感触で思わずうっとりとしてしまう。
果南ちゃんはニコっと微笑むと私の頭から手を放す。
「じゃあね、果南ちゃん。また明日」
別れ際に私は大きく手を振ると果南ちゃんは小さく手を振り返してくれる。
そして、果南ちゃんに背を向け、家に帰ろうと一歩踏み出そうとした時だ。
「……千歌!」
果南ちゃんが私を呼ぶ。
私は何だろう? 忘れ物でもしたのかと足を止め、振り返る。
視線の先には果南ちゃんは何か言いたそうに口を開いている。けど、「あぁ」と短く声を出すと何かを呑み込んだように口を閉じる。
「……いや何でもない。ちゃんと宿題やっとけよ。じゃあな」
わざわざ呼び止めて悪いなと言いたそう表情を隠すように果南ちゃんはヘルメットを被り直し、再びバイクのエンジンをかける。
「ちょっと、待って!」
私の静止の呼びかけは騒々しいバイクのエンジン音にかき消され、果南ちゃんは止まることなくまるで逃げるように去っていった。
私は段々と小さくなる果南ちゃんの背中を黙って見送ることしかできなかった。
バイクの騒々しいエンジン音が聞こえなくなり潮風の囁きが私の周りを取り巻く。
本当は何を言いたかったのだろうか。当然、果南ちゃんがわざわざ呼び止めてまで宿題の心配するほど、心配性でもお節介でもない。寧ろ、時より宿題なんてさせず、遊びに連れて行くような人だ。
だから、他に言いたいことがあったはず。でも、私には全く見当がつかない。
「果南ちゃん……」
幼い頃から私はよく果南ちゃんに相談事をしていた。進路の事や、交友関係のこと。相談をするたびに果南ちゃんは真摯に向き合ってくれた。時には私が果南ちゃんから相談を受けることもあった。
私と果南ちゃんの間には隔たりというものは今まではなかった。隠し事なんてせず、互いに胸の内をさらけ出せる仲だと思っていた。
でも、いつの間にか果南ちゃんとの隔たり、隙間ができていた。
それがとても悲しく、不安だ。
今までずっと近くにいた果南ちゃんが遠くに行ってしまった。そして、空いてしまった私と果南ちゃんの間に私以外の人がいたらと思うと行き場のない苦しみで胸が締め付けられる。
別に私が果南ちゃんの隣にいることが必然でも運命でもない。果南ちゃんが私以外の人を置いても仕方のないことだし、受け入れなければいけない。寧ろ、私なんかよりも他の人……梨子ちゃんとかのほうがお似合いで相応しいかもしれない。
それでも、なるべくでいいから果南ちゃんの隣にいたい。結ばれなくてもいいから大好きな果南ちゃんを感じながら少しでもこの日々を謳歌したい。
それが私の切実な思い。
「私の思いに……気づいてよ」
あまりの心苦しさに思わず本音が零れてしまう。唇を噛み、スカートをぎゅっと握り締める。いつもよりも視界が滲んで見える。
いつの間にか夕陽は沈みかけ、辺りは暗くなっていき次第に夜が目を覚ます。
冷たい夜風が慰めるように私の頬を撫でた。