夏の夜風が吹き、僕の髪の毛がサラサラと揺れる。まるでここまで頑張ったと頭を撫でてくれているみたいだ。いや、それは流石に自意識過剰だろう。でも、そこまでの考えをしてしまうくらい僕は幸福に満たされていた。
僕の隣に千歌さんが寄りかかっている。全体重を僕に預け、夜空に浮かぶ真っ白な満月を眺めている。
特に言葉を交わすわけでもない。でも、心地よい時間が流れている。
今まで、僕と千歌さんは何でもなかった。僕が千歌さんに片思いをしているだけでそれ以外はただの先輩後輩という普通の関係。
だけど、今は相思相愛になって、恋人同士になれて、特別になれた。
好きな人とただ一緒にいれる。そんな普通のことなのに心が温かくなって、優しい気持ちになれる。
これが恋で愛なんだ。
「千歌さん……ありがとうございます。あなたのおかげで僕は僕でいられた」
「そんなことないですよ! そんなこと言ったら私だってダイヤさんのおかげで変われたもん!」
僕がこんな気持ちを知ることができたのは千歌さんと出会えたから。
もし、千歌さんに出会えてなかったら僕は父の言いなりでこんな気持ちを知らずに鞠莉さんと籍を入れられただろう。好きな相手でもない人の結婚生活なんて幸せにしの字もないだろう。
だけど、千歌さんと出会えたことで僕は変われた。僕だけじゃない。父さんだって、果南も変われた。
千歌さんは自分のことを普通と言っていたけど、僕達にとってはとても特別な人だ。
それは千歌さんも同じようだ。
こういうことをもしかして運命だと言うのだろうか?
いや、それはなんか嫌だな。結ばれるのが運命だとしたら、なんだか面白くない。
「ねぇ、ダイヤさん。覚えていますか? 少し前もこんなことしたの」
「覚えていますよ。図書室で千歌さんが寝てしまった時ですよね。あの日は……一生忘れることはないです」
「私もですよ! あの日はびっくりしたなぁ。正直、そこまで接点がなかったのにいきなり告白されたんだもん!」
「ですよね。僕自身も驚いています。訳のわからないことをしてしまう程、千歌さんのことを好きだったんですよ」
ほんの一、二ヶ月程前のことだけど、まるで昨日のことのように思い出せる。
千歌さんに勉強を教えるという機会があってそこで初めて千歌さんと二人きりになった。
そして、初めての告白をした。冷静になって考えると色々と過程も何もかもすっ飛ばしていて、おかしすぎる。
若気の至り……だけじゃないな。きっと恋というのは理性なんてものではコントロールできないんだろう。
「そう言えばダイヤさんはいつ、私のことを好きになったんですか? もしかして、保健室の時ですか?」
ふと、千歌さんが僕に問いかけてくる。
確かにどのタイミングで好きになったのかは少しばかり気になるのはわかる。
普通なら倒れた僕を看病してくれたタイミングだと思うだろうけど、残念ながらもっと前だ。
「いいえ。初めて会った時です」
「えっ!? 初めてって……荷物を運んでくれたあの時?」
「はい。実は……一目惚れなんですよ」
「ダイヤさんが……一目惚れ。凄い意外だな……」
「僕もですよ。一目惚れなんて、初めてですから」
自分で言うのもあれだが、真面目で堅物な僕が一目惚れなんて軟派な理由で人を好きになるなんて、誰も予想できないと思う。人によっては幻滅してしまう人もいるかもしれない。
だけど、千歌さんは幻滅なんて様子はなくて、どこか嬉しそうにしている。
「それなら僕も気になりますね。千歌さんは僕を好きになっくれた理由」
「私は……初めてのデートの時。果南ちゃんと梨子ちゃんの件で私が勝手に落ち込んで自暴自棄になった時、ダイヤさんはただ優しくしてくれたり、同情してくれるんじゃなくて、ちゃんと向き合って、自暴自棄な私を否定してくれた。その時、ダイヤさんは本気で私を好いてくれて、受け入れてくれたんだなって思ったの」
「あの日……ですね」
あの日の千歌さんはかなり大変だった。
僕とデートしていたあの日、運悪く果南と梨子さんが一緒にいるところを目撃してしまい、千歌さんはかなり落ち込んでしまった。
特に「普通」であることにコンプレックスを抱いていた千歌さんにとっては「特別」な魅力や才能を持つ二人には敵わなく、その二人が結ばれていて当然だと思っていたようでかなり自分を卑下していた。
だけど、僕にとっては千歌さんは果南にも梨子さんにも負けない「特別」な魅力を持っていた。
だから、そんな自分自身を否定する千歌さんを諭しただけだったけど、千歌さんの心にはしっかり伝わっていたようだ。
「それに迷路を一緒にやって思ったんだ」
「今日……ですか?」
「うん! 何というか……色んな問題に当たってもダイヤさんと一緒なら解決できそうって!」
そう言って千歌さんは満面の笑みを浮かべる。
これから先、僕達には楽しいことばかりだけではなく、様々な困難に直面して解決していかなくちゃいけない。
だけど、僕となら一緒に解決できるか。そう言われるととても嬉しい。
そう言われた僕も腹を括らなくてはいけない。
僕は真剣な眼差しで千歌さんを見つめる。
その瞬間、背後からドンと爆発音と共に夜空に閃光が走る。そして、火薬の匂いが鼻につく。
「花火が始まりましたね」
「凄く……綺麗!」
僕達は立ち上がり、次々に打ち上げられる花火に目を奪われる。真っ暗な夜空に色とりどりに光る花火がとても美しい。
今までもたくさんの花火を見たけど、今日の花火は人生で一番、美しく感じた。
きっと、隣に千歌さんがいるからだ。
「千歌さん」
花火から千歌さんに視線を移す。
「なんですか?」
「千歌さんのこと絶対に幸せにします。だから……僕の隣にいてください!」
「……ちょっと違うかな?」
「えっ?」
「私は幸せにされるよりもダイヤさんと一緒に幸せになりたいな!」
そう言って、千歌さんは屈託のない笑みを浮かべる。
千歌さんらしい言葉。
そういうことを当たり前のように言ってくれるから僕は千歌さんに心惹かれたんだ。
「なら、一緒に幸せになりましょう! 末永く……ずっと」
そう言って、僕は千歌さんは抱き締める。千歌さんもギュッと抱き締め返し、僕の胸に顔を埋めてくれる。
千歌さんの甘い匂い。
千歌さんの暖かさ。
千歌さんの細さ。
千歌さんの全部を今、抱き締めている。本当に幸せを手に入れたんだ。
そうして、お互いを確かめた後、千歌さんが顔を上げ、僕の瞳を見つめる。花火の閃光に照らされた千歌さんもまた美しい。
そして、千歌さんは少しだけ顔を前に出し、目を閉じる。
僕はゆっくりと顔を近づけ、僕の唇と千歌さんの唇を重ね合わせる。
まるで僕達を祝福するかのように赤とオレンジが合わさった花火が開花した。
♢ ♢ ♢
「ダイヤさん、とても似合っているずら!」
「お褒め頂き、ありがとうございます。花丸さん」
待機場所で花丸さんが僕の袴羽織を見て、羨ましいそうにしている。
千歌と結ばれて五年。ようやく僕達を夫婦となり、これから神前式が行われる。
「まるも一度来てみたかったなぁ」
「そうですか? 花丸さんのタキシード姿もとても似合っていましたよ!」
「本当! ありがとうずら!」
一年前に花丸さんも善子さんとは結婚し、既に二児の子供をもうけていて、今まさに男の子を抱えている。
因みに男の子が玲で女の子が聖羅という名前だ。
「本当だよ……似合いすぎて腹立つ」
「相変わらずだな。果南」
花丸さんが素直に褒めてくれからこそ、果南の悪態が際立つ。
「全く……いい顔しやがって」
僕が爽やかな笑みを浮かべると果南もまた満更でもない笑みを浮かべる。
そして、僕の目の前に迫ると肩に手を置いて、口を開く。
「ちゃんと千歌を幸せにしたんだな」
「えぇ。ただ、あくまでこれは通過点です。これからもずっと幸せにしますよ」
「頼むぜ。ダイヤ」
結婚はゴールではない。
あくまで通過点だ。これから先も千歌を幸せにし続ける。
相も変わらない僕の覚悟を聞いて、安心したのか果南は笑って僕の肩を強めに叩いた。
「それより、果南はいつ式を上げるんですか?」
「それは……」
「いやぁ、全くだ。いつになったら鞠莉にふさわしい男になれるんだい?」
「お、お義父さん!」
僕の問いに固まった果南の背後に妙に圧のある笑みを浮かべた鞠莉さんの父さんが立っていた。
果南はあの日以降、紆余曲折あって鞠莉さんと恋仲になった。鞠莉さんとはいずれ結婚するつもりのようだが、鞠莉さんは世界を相手にする企業の一人娘。
そんな女性に相応しい男になるまでは結婚は許されていないとのこと。
特に僕と同じ果南への愛憎が激しい鞠莉さんの父さんからはかなりしごかれているらしい。
「私に早く鞠莉の晴れ姿を見せてくれないかな? このファッキンウォーターコング!」
「は、はい!」
因みにご覧の通り、あの果南ですら頭が上がっていない。
何というか新鮮で清々しい気持ちになる。
「ダイヤ様、こちらへどうぞ」
そんなことをしていると斎主が現れ、僕を呼んだ。
いよいよだ。
僕は斎主に後を付いていく。
そして、木の暖かな匂いを感じながら廊下を歩いていると紅白の服の巫女が見え、その後ろでは豪勢な白無垢姿な千歌が待っていた。
断言できる。今日の千歌は世界で最も……いや人類史上美しい女性だって。
「とても美しいです。千歌」
「ダイヤも様になっているよ!」
お互いの晴れ姿を改めて、見ては笑い合う。
そして、僕達は斎主と巫女に後をついていき、横並びに歩きながら、本殿へと向かっていく。
コンプレックス・ラブ、堂々の最終回です!
四年という長い連載期間でしたが、読んでいただき本当にありがとうございます!