コンプレックス・ラブ   作:シママシタ

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第7話

 ほんの数分前に降り始めた雨はもう既に校庭に大きな水溜りができるほどの激しさ。

 先程まで、雲一つない晴天だった内浦に空にいつの間にか入道雲が覆い、今では曇天の空模様。

 夏の風物詩とも言える夕立。特に山と海に挟まれた内浦では特に激しく、どんなに先を急いでいたとしても屋内で止むのを待たなければただではすまない。

 待たずに外を歩けば、今現在、校庭ではしゃぐ男子生徒達のように全身がずぶ濡れになって、まるで水が染み込んだスポンジみたいになる。

 そんな彼らとは違い、私はちゃんと雨が止むの待ってから帰宅する予定だ。

 

「こんなことなら早めに帰ればよかったなぁ……」

 

 私は後悔し、溜息を吐く。

 今日は果南ちゃんの一緒に帰る予定ではなかった。昨日の別れ際のこともあって、少しだけ距離を置きたかったのもあるけど、そもそも果南ちゃんが放課後、校内で知り合いと会うから一緒には帰れなかった。

 しかし、私には『誰かと会う』ということが妙に気になってしまったのだ。

 まず、知り合いというのは一体誰なのか。

 ただのクラスメートならいい。

 喧嘩を売られたのならそれはそれで心配だけど、果南ちゃんはまず怪我すらしないだろう。

 問題は会う相手が女の子だったらということだ。

 実は果南ちゃんには既に彼女がいて、隠れて付き合っているのではないか。考えすぎなのはわかっているけど、その可能性が生まれた以上に気になってしかたがなかった。

 いっそ、果南ちゃんを探しに行き、その現場をこの目で確かめたらと思ったけど、流石に果南ちゃんに失礼だと思いつつ、でも気になると教室で一人悩んでいたらいつの間にか窓の外では激しい雨が降っていた。

 雨を見て、私は理性を取り戻し、果南ちゃんを探しに行くことを諦めた。

 そして、このまま教室で止むのを待とうか考えていたけど、教室の前では大きな金管楽器を抱えた吹奏楽部の人達が早く帰らないかと言わんばかりにじっと私を見ていた。

 渋々、私は荷物を手に取り、教室を後にした。

 教室も叩き出させれ、何処で時間を潰そうか考える。考えると言っても放課後でも開いている場所は図書室だけだろう。

 そういう経緯で私は図書室に向かっているけど、ようやく目的の場所に到着した。

 

「失礼しまーす」

 

 私は図書室の扉をゆっくりと扉を開ける。

 部屋をぐるりと見回す。司書さんも図書委員もいない図書室はシンと静まり返っていて、窓を殴りつける雨音だけが響いていた。

 気を使わなくていいはずなのに何となくこの静けさにつられてそっと扉を閉める。

 そして、足音を建てないようにゆっくりと室内を歩く。

 壁に沿ったものと部屋の中心に三列等間隔に置かれた本棚によって教室より多少広い図書室も少し狭く感じる。

 図書室に来たからには何か読もうかと、吟味しているとふと目を引くタイトルに見つけ、ゆっくりと手に取る。

 

「指先一センチの恋……」

 

 如何にも悲しい結末を想起させる題名。まるで果南ちゃんへの恋心を抱く私に対する皮肉に思えた。

 そんなことを思いながら裏表紙を見て、あらすじを読む。

 作者である島下遊姫という方がかの有名な「ロミオとジュリエット」を現代に合わせて翻訳し、さらに独自の解釈と現代の価値観を織り交ぜた作品だそう。

 主人公である女の子は何処にでもいる普通の女子高校生。そんな彼女はクラスの人気者であり、そして国民的アイドルである男子生徒に恋心を抱いている。しかし、「普通」である女の子と「特別」である男子生徒との距離と届かない思いに重い悩みながら進んでいくラブロマンス。

 

「これって……」

 

 あらすじを読んで驚いた。この作品の主人公は私に似ている。「普通」であることにコンプレックスを抱いて、「特別」である人に恋をしてしまう。

 今すぐにでも開けて、読み進めたいと思った。そして、結末を知りたかった。

 もしかしたら、この本にはこれから私が取るべき行動や、やるべきことが書かれているのではないか?

 私は窓際に設置された机で読もうと急ぎつつも静かに向かう。

 しかし、机には既に先客がいた。

 

「おや、高海さん。奇遇ですね」

 

「く、黒澤先輩!?」

 

 爽やか笑みを返してくる。その笑みを見て、本のことなど頭の片隅に飛んでいってしまった。

 机には大量の参考書が積まれ、端までみっちりと文字で埋め尽くされたノートが広げられていた。

 期末試験も終わった私達二年生にとっては勉強なんてものは当分関係のない話。

 でも、受験を控える三年生にとって、心臓に刃を突き付けられているようなことで気を抜く暇なんてない。

 参考書の山の隣に置かれた、厚い赤本の表紙に目をやる。そこには東京に構えるかの有名国立大学の文字。

 

「もしかして……邪魔してしまいましたか……?」

 

「そんなことないですよ。寧ろ、休憩を取っていたところです」

 

 熱心に取り組んでいるところに私が気を散らすように現れたことに気まずくなるものの、そんな私を気遣うように黒澤先輩は微笑みかける。

 その優しさが逆に痛い。

 

「おや? その本は……」

 

 黒澤先輩は静かにペンを置くと、私の脇に抱えられた本に視線を移す。

 

「黒澤先輩もこの本、知っているんですか?」

 

「えぇ。僕は読んでいないのですが、妹がそちらの本を読んでましたね」 

 

 黒澤先輩がこの本を知っていたことも勿論だが、それ以上に妹さんがいたことについて私は驚いた。

 

「高海さんはこういうのが好きなのか……」

 

 探偵が推理するように黒澤先輩は顎に手を置いて、神妙な面持ちで本を見つめる。

 

「意外……でした?」 

 

「そんなことはないですよ。寧ろ、僕達は恋愛に興味を持つ年頃ですから」

 

 同じ高校生な筈なのに大人びたことを言う黒澤先輩。

 意外だった。真面目そうな黒澤先輩のことだから『恋愛なんて破廉恥なこと。そんなことに現を抜かすくらいなら勉強したほうがいい』なんてことを言うかと思っていた。

 

「……僕達はって……それなら黒澤先輩も恋愛に興味があるんですか?」

 

 無礼なのはわかっているけど、どうしても好奇心の方が勝ってしまい、私はつい口を滑らせる。

 

「勿論ですよ」

 

 予想外の即答に私は口をポカンと開く。

 

「意外でしたか?」

 

「だって、黒澤先輩ってその……格好良くて、人気者なのに彼女がいるなんて噂が聞いたことがなかったので……」

 

 その端正なルックスに加え、誠実で成績優秀とこれでもかと恵まれたスペックを持っている黒澤先輩は、当然、女子生徒達から人気がある。

 今年のバレンタインデーでは五十個以上のプレゼントを貰ったと聞いている。

 しかし、そんな女の子にモテる筈の黒澤先輩には何一つ浮ついた噂は上がってこなかった。誠実だからこそ、女の子との付き合いも厳しいだけなのかもしれない。それにしても黒澤先輩の周りは異常とも言える程、女っ気が皆無だ。

 一部の女子達の間では実はアッチなのではないかと盛り上がっていたけど。

 

「そうですね。否定はしませんが、僕も所詮は一人の『男』ですから、誰かを好きなったりします」

 

 そう言うと黒澤先輩はゆっくりと立ち上がる。

 そして、真剣な眼差しで私の瞳を見つめる。

 今の黒澤先輩には既視感があった。昨日、別れ際の果南ちゃんによく似ていた。

 ただ一つ、違うところを指摘するなら、迷いが感じられないというところだ。

 

「今まで恋人がいなかったのは僕の全てをさらけ出せる、全てを擲ってでも愛せる人がいなかったから。でも……見つかりました」

 

「あぁ、もう夕立とか最悪だわ。仕方ねぇわ。さっき善子から貰ったブツでも読んで待つか」 

 

「この声は……」

 

「果南ちゃん!?」

 

 この静けさの中、ガチャリと大きな音を立て、乱雑にドアを開けて入ってきたのは果南ちゃん。

 学ランのボタンを全てあけ、Yシャツも第一ボタンを閉めず、僅かに覗かせる鎖骨が目を引く。

 

「おぉ、千歌じゃねぇか。お前も雨宿……」

 

 昨日の別れ際のやり取りことなど全く気にしていな様子の果南ちゃんは私に気づくと気さくに手を挙げ、こちらに向かってくる。

 しかし、突然、果南ちゃんの足がピタリと止まる。まるで私の背後に爆弾で置かれているため、警戒して近づかないようにしているみたいだった。

 図書室に再び静寂に包まれる。でも、さっきまでの心地良さは全く存在しない。張り詰めたような息苦しい静寂。

 一瞬、図書室が光に包まれる。それから数秒経たない内に静寂を割るように雷鳴が響く。

 

「図書室は静かにするのが人間のルールですよ」

 

 この状況下で最初に口を開いたのは黒澤先輩だった。でも、声には私と話す時のような優しさは微塵も感じられず、まるで縄張りに侵入してきた獣の唸り声のような低い声。

 誠実な印象から掛け離れた野生を感じさせる黒澤先輩に私は恐れを抱いた。

 

「何だ、その言い草は? まるで、騒いでる俺が人間じゃねぇみたいだな」

 

 果南ちゃんの声も低くなっていて、さらに話し方も少しゆっくりになっている。

 背筋に悪寒が走る。二人のあからさまな態度によって、今この状況が酷く危機的状況だということに気づいた。

 気づく決め手になったのは果南ちゃんの態度だ。喧嘩を売られた時、怒った時や機嫌の悪い時の果南ちゃんの今のようにゆっくりな喋り方なるからだ。

 

「別にそこまでは言ってないのですが……あなたの考えすぎでは?」

 

「相変わらず……いちいち勘に触る言い方だなぁ」

 

「あなた程度の人間にはこれくらいが丁度いいでしょう?」

 

 まるで鷹のような鋭い眼光で黒澤先輩を睨みつける果南ちゃん。

 黒澤先輩もまるで狼のような目で果南ちゃんを睨んでいる。

 今にも殴り合いが始まるそうな空気に私は恐れ慄くしかなかった。

 考えてみれば馬が合わないのは明白。果南ちゃんは勉強はあまりできないし、多少の校則は破り、時より喧嘩もする不良。

 黒澤先輩は成績優秀で誠実。生徒会長も任される模範的な生徒。

 正に白と黒であり、光と影。対象的な二人が交わるとこなんてありえない。

 

「ふ、二人とも……やめよう……」

 

 殺気すらも漂い始め、私はいよいよこの嫌な空気に耐えきれなくなり、意を決して、仲裁しようと声をあげる。しかし、重い空気に押し潰されて、声は私自身でもびっくりするくらいか細く、震える声だった。

 二人に通じるかと不安になったけど、二人が言い争うことなく静まり返っていたことが不幸中の幸いか、私の小さな声でも二人の耳に届いた。

 

「あ……失礼」

 

「気を悪くしたらすまんな」

 

 黒澤先輩はハッとした様子を浮かべると、私に向けて軽く頭を下げる。

 果南ちゃんは気不味そうに頭をかきながら、視線を逸らす。

 取り敢えず、一触即発の状況は綺麗さっぱりなくなり、私は安堵する。

 ふと、瞳に蛍光灯とは違う光が目に入り、私は窓の外に視線を移す。

 いつの間にか雨はピタリと止んでおり、灰色の雲の隙間からは日の光が差し込んでいる。

 

「どうやら、雨宿りする必要はなくなったようですね」

 

 窓の外を見ながら、黒澤先輩はそう言うと僅かに口角を上げる。

 

「はいはいわかったよ。さっさとお前の視界から失せるようにするよ。千歌、一緒に帰るか?」

 

「え?……あぁ……うん! でも、その前にこの本を元に戻したいんだけど……」

 

「別にいいが、折角本棚から出したのに勿体なくねぇか?」

 

「そうだけど、今は借りれないし……」

 

 私は首を縦に降る。

 私も果南ちゃんと同じ様に雨宿りに来ただけで、雨上がってしまえばここに用はない。

 だけど、帰る前に抱えたこの本を元の場所に戻さなければならない。

 正直なところ、借りて家でゆっくりと読みたいのだけれど、生憎、司書さんも図書委員の生徒もいないため借りるとしたら、どうしても後日になる。

 

「それなら、借りても構わないです。僕が後で司書さんか図書委員長に説明しておきますから」

 

「それは流石に……」

 

「気にしなくていいです。一応、僕も時より図書委員の手伝いもしているので、きっと理解してくれると思います。その代わりと言ってはなんですが、感想なんか、聞かせてください」

 

 黒澤先輩はそう言って、微笑む。

 流石、生徒会長だと思った。誰よりも誠実だからこそ誰からも信頼され、多少のルール破りも許されてしまう。

 いくら人望が厚くても不良である果南ちゃんでは絶対にありえないこと。

 

「職権乱用ねぇ。日本の闇が垣間見えるなぁ」

 

 その果南ちゃんは私の後ろで大きめな声で吐き捨てるように文句を言ってる。けど、黒澤先輩はまるで果南ちゃんの声なんて元から聞こえないかのように聞き流している。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 私は一言、礼を言うと黒澤先輩はニコッと笑う。

 しかし、今日出会った時みたいな満面の笑みではなく、引きつったような笑みな気がした。

 

「んじゃ、行くぞ」

 

 用が済んだと見た果南ちゃんはまるで逃げるように図書室から出ようと扉にあるき始める。

 

「待ってよ果南ちゃん! あっ! それじゃあ、黒澤先輩!さようなら!」

 

「ええ。さようなら。高海さん」

 

 私は黒澤先輩に別れの挨拶をすると、果南ちゃんの大きな背中を追って、図書室を後にした。

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