コンプレックス・ラブ   作:シママシタ

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第8話

 風呂から上り、着慣れた浴衣に身を包んだ僕は自室へと戻る。

 障子と襖に囲まれ、畳が敷き詰められた如何にもな造りの和室。障子の前に置かれた長方形の机には数々の参考書と教科書、そしてノートが置かれている。

 受験生である僕は直ぐにでも受験勉強に取り掛からなければならないのだが、今はそういう気分でもなかった。

 怠ける暇はないと今にも声が聞こえてきそうな参考書達を見て見ぬ振りをして、火照った体を冷やすために障子を開け、夜風を浴びる。

 障子の隙間からは黒い夜空に浮かぶ月が望める。今宵の月はほんの少し欠けていて、完璧ではない形に釈然としない。

 風呂に入り、疲れを癒やしたにも関わらず、鉛のように重い体に耐えきれず、ゆっくりと畳の上に仰向けに寝転がる。

 そして、天井から吊るされている丸い照明を呆然と眺めながら、深く溜息を吐く。

 憂鬱な気分に落ちる理由は自分でもよくわかっている。

 松浦果南と対面し、言葉を交わしてしまったからだ。

 そして、僕が恋した千歌さんが彼の隣にいたからだ。

 

「どうして……あいつは……」

 

 松浦果南は僕がこの世で最も嫌い人間だ。

 僕は生徒会長として、それ以前に黒澤家の長男として、恥じなどなく、他人に誇れるような模範的な生き方をしてきた。その為に血反吐を吐くような努力を積み重ねてきた。

 幼い頃から、将来黒澤家を支える大黒柱となる為に父親から厳しい教育を受けさせられ、その辛さに何度も涙を流した。

 琴や書道など、両手では数え切れない程の習い事を毎日こなした。それも人様に見せられるように完璧に自分の物にする為に人の何倍も努力をした。

 そのおかげで友人と遊ぶことなど滅多になかった。

 恋愛なんて僕には関係のない話だった。父親からは「お前の妻は黒澤家の未来の為にも私が決める。だから恋愛なんてする必要などない」と釘を刺され、女性と出かけることを厳しく制限されていた。

 そんな奴隷のような苦しい十七年を耐えて手に入れた信頼と名声。別に達成感や満足感などは味わうことはできなかった。当然だと思っていたからだ。あれ程の努力をして手に入れられないことなど絶対にないと思っていた。

 現に僕は一年生という立場でありながら、僕自身の誠実さと、内浦で権力を持つ黒澤家の長男ということで教員、生徒達から生徒会長という名誉ある椅子に座ることを認められた。

 その高い椅子に座っても傲ることはしない。当然だ。黒澤家の男として当たり前のことだ。寧ろ、問題は生徒会長としての責務をしっかりと果たせるかどうかだ。この手に入れた信頼を零さないようにこの共学となった新たな浦の星学院を作っていかなければならない。

 そう意気込んだ時に出会ったのが松浦果南だ。

 内浦、いや静岡では名の通った不良であり、顔は知らなかったが、名前だけは知っていた。

 その肩書に相応しく、彼は学業もろくにできず、当たり前のよくに喧嘩を行う。服装も乱れていれば礼儀もなっていない正に典型的な不良。

 その時点で彼とは僕は決して交わることがない立場にいることはわかっていた。

 しかし、彼は不良でありながら、まともな人間としての一線を超えない。

 確かに勉強はできないが、その割には学校はサボらず、毎日登校しては、居眠りはすれど、授業妨害などは決してしない。

 喧嘩は行うが、自分から売らず、殆どが買うばかり。ただし、喧嘩を売る時は何かしらの理由、例えばイジメの主犯格や万引等の犯罪に手を染めるような非行に走る連中を懲らしめるためだけにしか売らない。

 それどころか弱者や真面目な人間に対しては喧嘩は売らず、寧ろ守ろうと拳を振るう。

 何より、彼自身は喧嘩以外の非行に走らない。万引やカツアゲなどはもっての外で飲酒や喫煙をしているようには見えない。

 不良でありながら、何処か生真面目さを持ち、弱者を守ろうとする姿。

 正直なことを言うなら僕は彼をそれなりに評価している。筋の通った信念を持つ彼は少なくとも普通の不良とは違うとは思っている。

 

「どうして、あいつは!」 

 

 拳を固く握り締め、歯を食いしばる。

 彼は悪人ではないが、かと言って、誇れるような生き方をしているとは思えなかった。

 それなのに彼の周りにはいつも笑顔を浮かべた誰かがいる。後輩達から頼りにされ、学院内でもその人となりから人望が厚く、他の生徒達にとってまるでヒーローみたいな存在だ。

 それが気に食わない。僕の方が余程、人様に自慢できるほどの生き方をしている。

 勉強だって、彼なんかより月とスッポン程の差がある。

 成績だって、オール五。

 この成績を手に入れる為に僕はずっと努力を積み重ねてきた。果たして、彼は僕がしてきたような血が滲むような努力をしてきたのだろうか?

 この地位、信頼を手に入れる為、僕がしてきたように友や仲間、思い出を捨ててきたのだろうか?

 きっとしていない。していたら不良と決して言われることはない。

 どうしてだ。誰よりも真面目に生きてきた僕と不真面目に生きてきた彼が同じ物を持ち、評価されているのか。

 そして、僕が思い慕う千歌さんも親しくしている。そこが一番悔しい。

 真面目に生きてきた僕が馬鹿に思えて、苛立ってくる。

 でも、その怒りの大半は自分に向けられているのは唇から血を流す程わかっている。

 不良と言われようとも彼はただ、誰にも縛られず、自分がやりたいように生きているだけだ。

 悪を許せないから拳を振るう。

 誰かが困っているから助ける。

 そこには他者の視線や評判は関係ない。自分の心に納得があるか、ないかそれだけなのだ。

 彼は僕とは違って自由なのだ。僕が籠の中鳥とするなら彼は家や立場に縛られることなく、大海原を自由に泳ぎ回るイルカ。

 だからこそ、その自由な姿に人々は魅入られ、自然と寄ってくる。

 恐らく、高海さんもそうなのだろう。

 

「わかっているさ。僕の感情が……一番みっともないことくらい」

 

 嫉妬。僕が彼を嫌う最もな理由。

 彼のように何も縛られない自由な生き方をしたいと羨ましくも思いながら、決して白くはない生き方を受け入れることができない。

 くだらないプライドが……この十七年が鎖となって僕の体を縛り付ける。

 その鎖を解けない自分がみっともなく見えて、怒りが生まれる。

 笑えてくる。

 学校では完璧を絵に描いたような素晴らしい人と噂される黒澤ダイヤも、その本性は同じくらい尊敬されている松浦果南に嫉妬する愚かな人間。

 こんなことが他の人に知られたら、きっと信頼も人気もどん底に落ちる。

 一つでも欠けたパズルに何の価値があるのか?

 

「お兄ちゃん……」

 

 考え事としているとゆっくりと襖が開く。

 開いた襖からは最愛の妹であるルビィが不安そうな面持ちで顔をひょこりと覗かせる。

 普段は左右のツインテールが特徴的で可愛らしいのだが、今はお風呂上がりということで髪を下ろしいる。

 そして、肩にはタオルをかけて、濡れた髪でピンクの寝間着を濡らさないようにしていた。

 

「ルビィ? どうした?」

 

 僕は起き上がり、できる限りの優しい笑みでルビィに喋りかける。

 

「パパが……お兄ちゃんに話があるから呼んできてって……」

 

「……そうか。わかったよ」

 

 黒澤家の長からの呼び出しに、懸命に作った笑顔がボロボロに崩れ落ちる。

 僕は重い腰を上げ、ルビィの横を通り過ぎる。呼び出しの時は大抵、父親は父親の部屋にいるので、仕方がなく向かう。

 この家において、父親の存在は絶対だ。時代遅れの亭主関白に僕達は付き合わなければならない。

 はぁと大きな溜息を吐く。

 松浦果南の自由な生き方に憧れを抱いている。しかし、結局この奴隷のような生き方、黒澤家の呪縛から逃れようと立ち向かおうとせず、ただただ流されているばかり。

 今もろくでもない話なのはわかっていても、なおも馬鹿正直に父親の元に向かっている。それなのに、松浦の果南を妬み、嫌う自分が恥ずかしく思えてくる。

 

「僕は……どうすればいい……」

 

 臆病な自分に嫌気を覚え始めた頃、いよいよ父親の部屋の前に着いてしまう。

 背筋に冷たい雫が滴り落ちる。

 僕は「失礼します」と重い襖を開ける。そして、部屋の奥で和装に身を包み、腕を組み、正座で僕を待つ父親と対面する。その様子はまるで時代劇に出てくる悪代官のようだ。

 

「来たか」

 

「……はい」

 

 短く会話を済ますと僕は父親の前に恐る恐る、正座をする。

 用があると言うのに父親は口を開かず、黙って僕の人身を見つめている。

 微かに聞こえる隙間風が部屋に響く。僕の喉を通る唾さえも響いてしまうではないかと思える程の静寂がここにある。

 この静寂に息苦しさを覚え始めた頃、やっと父親の口が開く。

 

「そ……そんな……!?」

 

 僕は父の話に目を見開く。

 そして、ただただ絶句するのみであった。

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