深夜。
新都のセンタービル屋上。転身の必要がある者が次々と転身する。褐色のエルヴァの姿に、クロがため息を漏らした。
「似合うね?」
「そうですか? クロちゃんの方が可愛いですよ?」
「お姉ちゃんはカッコ良いんだよ」
「フフ……ありがとうございます」
『鏡面界では私語厳禁でお願いします』
とは、クロと来たイリヤの魔杖。
『そうですね~。これと次は本気で行きませんと』
『はい』
ルビーとサファイアもわかっているようだ。
「転身は終わりましたか? 皆さんはルビーとサファイアの障壁の後ろで見学です」
「何もしなくて良いの?」
「時間の無駄です。やり遂げる経験も大切ですが、そういうのも練習で覚えられます。今回の相手は別の人にお願いします。その人の戦いぶりを良く見ておいて下さい」
そして白いエルヴァが召喚陣を地面に描く。
「出て来い! シャ○ーン!」
「そんな名では無いぞ」
「へへへ。アルさん、お願いします」
「わかった」
出て来たのは、身の丈250センチはありそうな筋骨隆々の大男だった。
「ヘ、ヘラクレス!? あなたはヘラクレスをもサーヴァントに?!」
「肩慣らしでやってみます?」
「ああ、新しいセイバーか。やってみるか?」
肩と首をボキボキ鳴らしながら大男は軽く言う。褐色のエルヴァのセイバーは、ゴクリと唾を飲み込んだ。魔力ではない。真の戦闘者が纏うオーラが──蜃気楼のように肉眼で視えるのだ。
そんな相手は今までも居た。自分より強いと確信できる相手は、率いる騎士の中にも居た。敵ならば聖剣の錆にして来た。王国を背負った時の私は強い。けれど……。この相手はランクやレベルやステージが明らかに違っていた。
「あ……あ……」
セイバーが戦意を喪失する。
百戦錬磨のセイバーが硬直したのは、目が合った瞬間に百回以上も斃されたからだ。殴られ、蹴られ、投げられ、絞められ、斬られ、刺され……幻視とはわかっているが、一歩も動けなかった。念話で思わず主に詫びた。
〈気にしないで下さい。彼は生前のみならず、死後も座の中で無心に己を鍛えて来た人です。まして元からの身体が違います。あの人は神の血を引き、ポテシャルが人類以上なのです。それなのに驕らず、一心に運命を切り開いて来た人なのですから〉
セイバーは目を瞑り、ヘラクレスから一歩離れた。
彼を知らないイリヤに美遊、凛にルヴィアは震え上がっていた。
「狂化が消えると、これ程の相手だったのか……」
そんな事を呟くセイバーの頭に軽く手を置いた後、彼は白いエルヴァと話す。
「相手としては不足だが、致し方ないな……」
「次回がありますから」
「君にはカードを元にしたチョーカーがあったろう? 理性無き相手なら楽勝だろうに?」
「バーサーカーを使ったとしても12回はさすがに。それにライダーの併用は……」
「止められていたのだったな」
そして鏡面界に入ると黒化英霊が待ち受けていた。
「なるほどな。エルが面倒臭がるのは当然か。少年?」
「うむ。時間が惜しいらしいので2本で行くかね?」
「ああ、そうしよう」
そうして投影された2本の無骨な斧剣を握り締める大男。馴染ませるように軽く振れば、大気を切り裂く音が響く。
それを二度三度と繰り返した。剣が徐々に早くなり、大音声とともに黒化英霊に向かって跳んだ。
「射殺す百頭(ナインライブス)!!」
「あ、手抜き!」
「ダブル射殺す百頭だと、オーバーキルで終わりだからな。少しは楽しんで貰え。しかし弓矢でなく剣なのに、キッチリ決めるな」
不平をこぼす白いエルヴァにアーチャーが答える。そして二人のセイバーは。
「どんな宝具ですか……。剣先が何も見えない。横合いから見えないという事は、正面なら消えたようにしか感じられないでしょうね」
「ヒュドラを殺すために生み出された9連撃の──言ってみれば燕返しですよ」
「ああ、あのサムライの」
「そうです。あれでカードの方は9回死んでいます。私も彼とは模擬試合を何度かしていますが、英霊に稽古を付けられる英霊は彼かアキレウス、二人の師匠のケイローンのみでしょう」
「いや、性格的にアキレウスは無いだろうな」
などとお気楽な話をする英霊三人。その間にカードの命は残り二つ。いつの間にか剣を捨て、スリーパーホールドで頚を折っていたのだ。
剣を捨てたのは一度目ならオーバーキルできても、二度目が通じないからだ。直ぐさま立ち上がったヘラクレスは、再生する黒化英霊の前で呼吸を整える。それに驚く凛。
「あれ? あの呼吸は何かの武道……?」
「お察しの通り拳法の呼吸法ですよ。ただあちらはオリジナルで、2千年以上も前に独自でやってらしたのです」
「私、今凄いのを見ているのね……。あ、肘が入った。なんてキレイに入れるの」
「魅せてくれているのだ。彼は修行マニアでな。彼の時代から現代に至るまでの格闘技や武道のほとんどをマスターしている。なのに君達の目で追える段階で変だろう? 相手の動きの方が早いのに、尽く躱し技を確実に入れている」
「そうよね、そういう事よね?」
「見事ですわ。あ、投げましたわ。あれはスープレックス?」
「技名で言うなら柔道というか柔術の裏投げだろうな。パンクラチオンの時代の投げ技だろう」
「ああ、パンクラチオン。もしかしたらその原型かしら?」
「かもな。マウントポジションに入った。あのままキメるぞ!」
そのマウントからのパンチは目に見えなかった。顔を潰しコンクリを潰し、粉砕された頭らしき何かが穴に落ちていった。
圧倒的強さだった。
彼はカードを拾い上げ、呆然と震えているここのイリヤに手渡した。
「私が怖いか?」
「い、いえ……」
声が震えて言葉が出ないイリヤの手をもう一人のイリヤが握り、背中からクロが支えてくれた。それで震えが止まる。イリヤは嬉しかった。もう一人のイリヤが言う。
「とっても優しい人だよ? 最初は私も驚いちゃったけどね」
「うん……そう。驚いたの。とっても強いなって……」
「そうだ。私は強い。君達が願ってくれるなら、どこまでも強くなろう」
そして空を見上げる巨人。鏡面界の崩壊が始まった。全員が出た後に彼はこう言った。
「報酬はカレーだな。イリヤ、クロ。ここのイリヤとミユに手伝って貰え」
「わかりました。クロ、材料を買いに行こう?」
「深夜スーパーなんてあったっけ?」
「明日で良いぞ? ただし、ここの二人が学校から帰ってからだ」
「は~い」
そして巨人はへんてこりんな高笑いを残して消えたのだった。律儀にも地面に残っていた召喚陣から。そもそも座はエルなので召喚陣も詠唱も必要ないのに。
「ルビー?」
『何ですか?』
「もう、わかったでしょう? おチビちゃんを傷付けるような真似をすれば、あちらの私がヘラクレスやセイバーでお前と造物主を確実に殺します」
「こちらのルビーは一度折られたのだったか?」
『お、折られていませんよ』
「あ、すまん。記憶を消していたな」
「もう、10回くらいリセットしているのに、気付いていないのです。仮初の自我。植えられた記憶。それを本物と思える哀れさがなんとも……」
『ヤ、ヤメて下さい!』
「ルビー、髪の中で震えないで。こそばいから」
『あ、あちらの私は一体……』
『姉さん、これは……。絶対に馬鹿な真似はしないで下さい』
『し、しませんよ……』
「私の方のサファイアも常識的でしたけれど、ルビーの罪で……」
『だから居ないんですか!? そちらのサファイアちゃんはどうなったんですか?!』
「さぁ? 知らない方が良かった事って、世の中には多いのですよ?」
こちらのイリヤと美遊が震えていた。ルビーとサファイアの震えが首の後ろから伝わっているのだ。
「それからお兄ちゃん、材料の買い出しはお願いします。それと彼用のスプーンと器も」
「ああ、最大サイズの寸胴と業務用一口コンロもな」
「むむ……12の試練は遠い……」
「何と戦っているのですか、あなたは?」
「いや、一歩でも近づきたいと」
「無理ですよ。私は20分で無料となる7キロものメガ盛りカレーを、制限時間内で2杯完食した経験があります」
「おお、素晴らしい」
「ところが彼は20分で4杯、1時間で12杯完食しています」
「それはそれで凄いが、12杯の方はタイムオーバーでしょう?」
「いや、実は1杯に付き20分が持ち時間なのですよ。当時は時間内で食べ切れるのならお代わりもOKでしたし、20分経過後の連続チャレンジも可能だったのです。ところが、今は日を改めた再チャレンジ以外は受け付けていません。私の穴場だったのに……」
「ああ、彼が12の試練を達成してしまったからですか……」
「ええ。無謀な挑戦は辞めた方が良い。餃子300個12分とか、1200個60分とか、ヤサイマシマシニンニクアブラカラメの超ドカ盛りラーメンを12杯30分で完食とかあり得ない記録を誇っている。唐揚げ10キロは私で1時間掛かりましたが、彼は20分で12キロも食べ終えています」
「唐揚げは美味ですから」
「甘い。あの脂が胃に来るのですよ。私は休日にKF○の8ピース・パーティーバーレルと、ビスケット3個にポテトとコールスローMを一人で食べる趣味がありますが、あれでも結構来ますよ」
「それはどうして?」
「揚げられた鶏肉はとても美味ですが、骨があるので自ずと食べるペースが落ちます。それで胃が満足するのが早いのですよ。裏返せば少量で済まさなければならない時は、よく噛んでゆっくり食べる事です」
「それであなたは前日ゆっくりと?」
「そうです。エルの本気の料理は久々です。あれはゆっくり味わわなければ」
「なるほど」
「このように私でも大食いモードと味わいモードを切り替えられる。しかし彼の場合はその両方を同時に追求しています。彼我の差は余りにも大きい。スルッと胃袋に収まる掛け蕎麦や掛けうどんの12杯ならどうって事はありません。が、彼の場合はそこから大盛りの天丼やカツ丼を5~6杯は食べ始めて、軽めの食事だと言い、はしごで別の店に入るのですよ? ハナからレベルが違う」
何を話しているのだ、王様達は。
「フ……自分の聖杯戦争は思い出せんが、あの2週間は命懸けであっても全て遠き理想郷だったのだな……」
「高校生の経済だと死ねますね?」
「まったくだ。しかも今の彼女はKF○ならビールを呑むだろう?」
「はい。パーティーバーレル・セットとビール大瓶3本か500ml缶4本ですね。ヱ○スビールでなければ駄目だそうです」
「君は本当に太っ腹だな。ま、アイツの稼ぎでは足が出るのは目に見えている」
「あちらのアーチャーさんと回転寿司に入って、セイバー一人で100皿以上食べたって本当ですか?」
「本当だ。一人分だけで2万円近く、二人で2万数千円だったとか聞いているぞ。本当は私と義姉がよく行く、あの店に入るつもりだったらしいが諦めたそうだ。ネットに上げれば金にならんものかな?」
「動画サイトも始まったばかりです。個人サイトですとサーバー代に消えるばかりですよ。有料ですと、いかにセイバーが美人でも、黙々と食べている姿など誰も視ないでしょう。少食な私には、コクコクと食べ進める彼女の姿はある意味癒やしですけれど」
「それはそうだな。君も私も作る事に喜びを感じるタイプだから、自ずと少食になるざるを得ない」
「作る事プラス食べて頂く人の笑顔ですよ。成功報酬を忘れるのはお兄ちゃんの悪い癖です」
「ああ……。そこは反省だ」
今は2004年。アーチャーのアイデアは数年早いのだった。
そして一行はルヴィアの家に戻って、お茶とともに軽い反省会をした。子供達は家に帰らせている。
「次は8枚目かバゼットですね」
「昨日、私のアサシンを数人倫敦に向かわせました。到着の報告が夕方にあり、今朝の報告でメルアステアとドクター・ハートレスが接触したとの最新情報がありました。時計塔内部はその線と……」
「霊墓アルビオンの膨大な呪体。あそこの再開発と販売ルート開拓。おそらく、秘骸解剖局とトランベリオも噛んでいますね?」
「私もそう睨んでいます。ただ、どこかと組んでいるという明確な証拠はありません。何れの陣営とも接触しているようですので掴みどころがありません」
「そうなると動機が本当に不明ですね。呪体にしても、こんなニッチな商品のルートなんて知れていますし、回る金の最大マスも見えていますのに。やはり信仰の拡散に繋がると?」
「ええ。トランベリオは代々坊ちゃんで真の経済や魔術がわかっていません。それでも当代は拡散を見逃す程バカではありません。きっと止むに止まれぬ仕儀があったのだろうと。それに源流刻印が足枷になる門派・一門は衰退あるのみです。刻印をもう一つの臓器とまで揶揄するなら、何故そのクローンが造れないのか……」
「そこに考えが至ってもアインツベルンのように完全な複製は不可能ですよ」
「その通りです。また魔杖で暴れれば暴れる程、時計塔にはまだまだ神秘があり、呪体が採掘され続けているとの宣伝にもなります」
「ええ。要は伝え方ですから」
「ブチ当たるのは衛宮矩賢と天文台カリオンですよ? 理事でも無いあなたが。わかっているのですか?」
「勿論ですよ。私にはあなたのような宝具はありませんし、肩書や立場もありません。それでもあの暖かな家は護ります」
「……わかりました」
ここでエルヴァは念話に切り替えた。この念話は目の前のエルヴァにも伝わっている。相手は円蔵山をアサシン数名と調査している凜だった。今日のこちらの情報は、念話でなく帰ってからで良いだろう。取り敢えず今は……。
〈延長、イケますか? 凜? 〉
(今のところ世界修正はありません。明日から三日程頂ければ、ゲート構築できます。完成後は大丈夫ですから)
〈なら……〉
この時の凜はアサシン数名を伴って、霊脈を繋ぎ替える準備をしていたのだ。最低、商業施設の下を走る霊脈に、早くマナを通さなければ。これに気付きもしなければ、霊脈調整もできないセカンド・オーナーが居るとは夢にも思わなかった。ましてやそれが並行世界の自分だったなんて。今夜は徹夜だなと呆れる凜だった。
「死ぬつもりは無いでしょうし、思った以上に冒険家ですね?」
「そこはあなたと変わりません。冒険を恐れる心は大切ですが、冒険しない者は宝を得られません」
「その通りですね。それにセイバーの対魔力があればどうにでもなりますか」
「ええ。もしここのエルメロイⅡ先生にも内弟子が居るなら、少し可哀想な気もしますが」
「それは彼女自身が乗り越えなければ」
「何を話しているの? 二人のエルヴァは?」
「知っている単語もありますが……。ミス・トオサカ、要は私どもは利用されていたという事ですわ」
「ええ。悔しいけれど、どうやらそのようね。エルヴァやオーギュストさんの言った通りだったわね?」
「オーギュストは優秀ですが、それ以上の陰謀があったとは。あの迷宮の話が出た段階で私にはもう……」
「うん……。興味はあるけど、私も無理かな」
一介の学生が入っていける領域の話では無い。凛もそうだが、なまじ父親が理事のルヴィアこそが臆してしまった。
「しかし、疲れました」
「お疲れ様です」
「あなたこそ。あの子達の障壁の前に更に障壁を張って。何の手応えも無いから驚いていましたね」
「怪我をさせたくありませんから。そちらもアルさんへの魔力供給だけでなく、鏡面界からチカラが外に漏れないように結界を張っていたでしょう?」
「まぁ、念には念をってところです。時に気付いていますか?」
「ええ。どの陣営かはわかりませんが、ビルに覗き魔が居ましたね」
「探さなくて良いですよ。アサシンをとうに放っていますし、この子が居れば」
そしてエルヴァは、おもむろに使い魔を召喚した。そこに異様なカタチをした蟲が現れた。カタチとしてはダンゴムシなのだろう。ただし大きさは70センチくらい。
が、その異様さは大きさもあるが、背中の甲殻にびっしりと並んだ眼だった。甲殻一節に5~6個の眼。それが節ごとにある。全部で80~90個の眼。そのどれもが複眼でなく虹彩を持つ、人間と同じ眼球だった。
「何あれ? 使い魔? 人の使い魔の美醜は問わないけれど、百目っていう妖怪みたいね?」
「信じられませんが、あれ全部が魔眼だと思いますわ」
「え?」
90近い眼が一斉に凛を見る、観る、診る、看る、覧る、視る。
エルヴァに流れる、凛の生年月日に身長体重、スリーサイズに体脂肪率といった様々な数値。生理周期に内臓の健康状態諸々まで流れたところで首を振った。
幼馴染みの凜は魔術や私生活にストイックな分、異性にはかなり奥手だ。それはその昔、第四次で雨竜龍之介という殺人鬼に刺された凜をエルヴァが救けたからだ。
つまり凜にとっての正義の味方であり、命の恩人がエルヴァなのだった。その感謝が尊敬と憧れに変化し、幼い恋心へと発展し、6年生から中1くらいまでは本当に酷かったのだ。
それをなんとか、友情と姉妹愛の狭間くらいに変化させた過去がある。後に魔導師リンにからも褒められ感謝された。あなたへの思いを乗り越えられたから、この子は魔法に至れたと。
しかしエルヴァはホムンクルスの血が濃いので、性差認識と自己の存在認識がやや弱い。なので最悪凜とならそういう関係になっても後悔はしなかったろうと考えていた。
そんな凜とこの凛を重ねる訳ではないが、パーソナル・データが次々と頭に入り、思わず赤面してしまったのだった。
「言っておきますが、この魔眼は私が鋳造したもので魔術師から引っこ抜いたものではありません。また、私は蟲使いでもあります。この子も私が造った蟲ですよ。エサは私の血を吸わせて育てた植物です。ちょっとキモい見た目ですが、中身は大人しい草食系オスですから」
「宝石を魔眼代わりにする魔術はあるけれど、眼球そのものを造るなんて……」
「黄金以上の魔眼の作成は高名な人形師にも不可能ですね。そこは私の自慢です。そしてこの子が視るモノは私の脳でなければ処理できません」
「そりゃ、こんだけ眼があったら。あ、こいつちゃんと自分の目があるじゃない? そっか魔眼を背負っているだけで、視ているのはパスが通ったあなただけなのね? これって未来視や過去視とか情報系が多いのかしら?」
「そうです。あなたの健康状態は保証しましょう。今後60年は健康ですよ」
「何でよ!」
「視て調べられたという事でしょう? それよりも、情報系以外の魔眼も?」
「限界はありますが造れます。対象の運命に干渉する魔眼は負担が大きいので、眼球に刻印を彫らず、耳や首の後にリミッター付きの刻印を彫る方法がマイブームですね。そうすると刻印を切り替えて、炎焼と凍結、魅了と幻覚などを次々と使えます。ただしこれも脳と魔術回路の負担がかなり大きいですね」
「とんでもない事を仰いますわね?」
「よねぇ。特許をたくさん持っているって本当なのね」
「やはり演算が難しいのですか?」
「難しいですね。ですから、知識のない一般人が魔眼持ちだと苦労されるそうですよ」
そう。先天的に魔術回路を持つ一般人は時々いる。先祖を遡れば魔術師の次男や次女にたどり着く場合もあれば、偶然の初代の場合もある。何れにせよ回路を開き、スイッチを作り、正しい知識を得ねばどうしようもないのだが。
ただ、魔眼は違う。日常使う眼球の方に独立した回路があるので、最初から開いていて天然でスイッチを持つ者が多いのだ。それに弱い情報系だと魔力もそれ程必要ない。
なので困るケースが多いのだ。いわゆる、人に見えないものが見える人などがそうだ。他にもケースは多々ある。
「でしょうね。黄金以上と言う事は、宝石や虹も再現できますの?」
「宝石は意外と可能です。虹は所持者の脳や肉体のみならず魂や起源に直結する場合が多いので、解析して再現できたとしても、それ専用に鋳造したホムンクルス以外は使えません。そしてその異能はオリジナルと似たような運命を僅かな時で再現し、通常のホムンクルスより寿命が圧倒的に短くなります。よって私自身は虹の魔眼を自らが鋳造したホムンクルスに与える事はしません」
「なに気にホムンクルスを作れるとか言うし」
「それは今更ですわ。それよりその魔眼は売ってくれと頼めば、売って頂けますの?」
「ホムンクルスを売るより人道的ですから、何度か売った事はあります。自分の世界での、妹とも言えるルヴィアにも売っていますよ。その眼を本来の眼と入れ替えれば、脳が『 』に繋がります。しかし起源や魔術属性に魔術回路まで書き換える弊害があるので格安で譲ったのですよ。ジャスト1万ユーロでした」
「120万円ちょい? なんとか頑張って研究すれば根源への路が見える呪体をそんなに安く?」
「あの子の清廉さと誇り高さが好きなのです。冬木で知り合った凜を紹介すれば、『宝石は魔力の預金に他なりません。投資した元本や利息も時間が返してくれますわ。宝石魔術は古くからあるのに学問としては若い魔術です。今は一時流行ったカバラからの影響が大きいですが、他の系統も取り入れた方が良いですわよ』と、アドヴァイスをしてくれ、それで凜は13歳で魔法に至ったのです。時計塔への登録もご一緒しましたし、魔法使い認定記念パーティも大々的に開いてあげました。ルヴィアと凜は血こそ繋がっていませんが、私にとって生涯の友であり妹なのですよ。それ故の価格です」
「そうでしたか……」
ルヴィアは思った。きっとあちらの自分はもっとルーンを使いこなすのだろうと。また他の系統にも通じているのだろうと。
こう考えるには理由がある。ルヴィアは才気溢るる女性だが、唯一のコンプレックスが魔術属性を地しか持たないところだった。
正直、凛の五大属性が羨ましい。そのせいという訳では無いが、足りないものは他所から持って来るのが魔術師とばかり、宝石魔術と併用できるルーンを真剣に学んで来たつもりだった。
これは代々の先達も同じである。だが、並行世界の自分は更に上を行くとわかってしまった。Callだったか。この年齢で呪文を変えるのは良くないが、それでも変えようかなと考えてしまう自分が居る。
「……あの? ルーンは?」
「蒼崎橙子さんが再構築した原初のルーンより古いとされる、古ルーンをあなたの家は継承しているでしょう?」
「はい」
「それは当家にも残っています。断片でない、より完全なカタチで。もっと言えばパワーを持った古代ギリシア文字、フェニキア文字、原カナン文字……それぞれの時代の文字とセットで作られた呪文字が継承されています」
「それをその私に?」
「妹であり親友ですから」
「ああ……」
なんと羨ましい関係なのか。
「設備と資金があれば、魔眼は47番にも造れます。ルーンの知識も私と同程度は持っているはずです。ルヴィア、凛。この子の友人になってあげて下さい」
「それは勿論ですわ。でなければ釣り合いません」
「ええ。むしろこちらからお願いしたいくらいよ」
「ありがとうございます」
「強引に纏めましたね?」
「嫌でしたか?」
「いいえ。自分らしいなと思いました。それで時計塔へは?」
「クロちゃんを取り出してケアしてからでは遅いでしょう。明日には出発したいところですね」
「当面のケアをお母様とおチビちゃん達に任せて、先に取り出してから出発できませんか? ロスも精々二日です」
「あなたは小聖杯に語りかけて?」
「そういう事です。混ざっては大変ですので中心部に居るあの子に語り掛けるのは外縁からでしたが、私の意識も今みたいにカードを使わなければ小聖杯の中でした。それがあって、こうして独立した意思を持てるに至ったのですから」
「なるほど。闇の中でおチビちゃんの映像を見せ付けられていたあの子には、あなたが拠り所となるでしょうね。わかりました。そこまで手を打ってあったのなら、先に取り出しましょう。そしてあなたの受肉も」
「はい。お願いします」
「それと、貞操観念は私と変わらないと思いますが、枷が無いからと遊び過ぎないように」
「余計なお世話です」
「お母様と可愛い妹を泣かすなよと」
「それが余計なお世話ですよ。あなたは自分自身が信じられないのですか? 誰よりも成功したのは、自分を信じて我が道を走ったからでしょうに」
「WBS的にGo/NoGoとDone/NotDoneで細分化したタスクを淡々とこなしているだけです。自分では人間味のない奴だなと思っていますが」
「私はそうは思いません。それもあり方ですよ」
「そこでそう言ってくれるのですね、47番は。では友人となってくれた凛へのお礼として、ここで調べた桜ちゃんの情報をお教えします」
凛がギョッとする。
「日本には便利なものがありますよね? 戸籍謄本から、現在の彼女の養父は間桐雁夜です。間違いありません」
「え?」
間桐雁夜。懐かしい名だ。母の幼馴染みで、桜が居た頃は桜ともども可愛がってくれていた人だ。
そう言えばいつの間にか疎遠になってそのままだ。そうか桜を……。
「間桐鶴野の養女だったのは僅か1年、第四次聖杯戦争が始まる頃まででした。深山町の洋館街にあった家は取り壊され、今は別の家が建っています。間桐雁夜の現住所は新都の某分譲マンションで、間桐が所有する物件でした。おそらく鶴野の手引きでしょう。ルポ・ライターとして出張の多い雁夜を支え、家事に炊事にと一人で頑張っている様子です。幼い頃は家事代行サービスを頼んだり、心療内科に通院していたりしていたそうですが、小学校の高学年頃から家事全般を担当するようになったみたいですね。そして中学に深山町の穂群原学園を受験。そこで出会った先輩から持参した弁当を褒められ、それが切っ掛けで炊事や家事について意気投合し、現在に至る訳ですね」
「待って下さい。臓硯は?」
褐色のエルヴァが白いエルヴァに食い下がった。
「雁夜の手引きで間桐へ乗り込んだ衛宮切嗣によって殺されています。それに幼少の頃に植えられた蟲も、アイリスフィールが取り除いていました」
今、彼女はキリツグと発音した。先日の食事会でも誰かが話していた気がする。そういう事だったのか……。
「では、私が凛に話した事は間違っていたと?」
「他の世界での事を話したのなら間違いですね。ですが、これは使い魔で相当情報を集めないとわかりません。何より、今までのパターンから考えるとかなり変わっています。私もこんな風に動く衛宮切嗣とアイリスフィールが居るとは思いませんでしたから」
私は心底安堵した。
「じゃ、桜を救けたのはイリヤのご両親なの?」
「そうです。今の間桐雁夜は衛宮切嗣の情報源の一つであり、桜ちゃんは冬木に何かあった場合の狼煙です。本人は魔術の存在を知っており、父親と血が繋がっていない事も知っています。ただし出生の事や元の家は知らず、魔術師を目指している訳でもありません。衛宮士郎やイリヤスフィールが居るこの街が好きで、学園生活を楽しんでいるごく普通の少女です。イリヤスフィールが中等部に上がれば弓道部に勧誘するつもりのようですね。将来の義妹と考えているみたいです」
「よもや、シェロに纏わり付くあの女ですの!?」
「ルヴィア煩い。耳元で大声出さないで。そうよ、あなたが以前怒っていたあの子が、私の実の妹よ」
「それであなたは遠巻きに?」
「そう……。蓋を開ければビックリだけどね」
「どんな理由があったかは知りませんが、あなたは桜ちゃんとの接触を避けて時計塔に渡った。なのであなたが知らなかったのは無理もありません。ただ、間桐での虐待を忘れさせるために記憶を操作されているので、あの桜ちゃんは遠坂の家もあなたという姉の存在も忘れています。心療内科に通っていた時期があったと話したでしょう? 抱き合わせであなたの事を忘れ去るほど記憶を弄らねば治らない、深い深い疵だったのですよ」
遺言状では無いが、父の書き付けに間桐との接触を避けよとあったのは事実だ。そしてそれは長年、桜に未練を残すなとの意味として私は受け止めていた。
だけど先日、桜がマキリへ行ったからだと判明した。だけど、今は別の可能性も考えている。もしかしたらだけど、私は幼い頃に父から暗示を掛けられていたのかも知れない。
「ああ……」
「何てことですの……」
「けど……。それであの子が嫌な事を忘れて今を幸せに過ごせるのなら……」
「ミス・トオサカ……」
「それともう一点。桜ちゃんの魔力は支障が出ない程度に封印されています。これは彼女の魔力に寄り付く魑魅魍魎を避けるためです。ですから、このリミッターを外して修行をすれば魔術師に戻る事も可能だと思われます」
それは別にいいかなと私は思った。普通に生きて欲しい。却ってその方が安全だ。
「ルヴィア。彼女がシェロくんに纏わり付くのは、お互いが幼少の頃の記憶がほとんど無いと知っているからです。謂わば仲間なのですよ。あの二人は」
「むむ……」
苦虫を噛み潰したかのような顔をするルヴィア。彼女とてわかっているのだ。この恋は成就しないと。
やがてはエーデルフェルトの跡継ぎを産まねばならない身体。先祖から連綿と続く期待を裏切る事はできない。だからこそ私より恋に積極的だったのだ。それが刹那的なものだと自覚していても。
「その……両親が死んだのは何故だかわかる? 崖崩れが原因?」
「崖崩れ? ああ……。いえ、死因は別ですね。遠坂時臣と葵夫妻は、戦争中盤に死亡していました。召喚したサーヴァントの逆鱗に触れたらしいですが、詳細は不明でした」
「ギルガメッシュって言ってたわね?」
「47番が? ならその通りです」
「推測で良いから。何が逆鱗に触れたとあなたなら考えられるの?」
「では。人類最古の絶対的存在である英雄王は現代の常識に囚われない、人の美醜を満遍無く愛す人です。要はキレ・ポイントのわかり辛い人なのですね。と同時に頭の回転が早いので、ほんの少しの情報から真実を探り当てたりもします。また、子供の未来に夢を持つ人でもあるのですね。そこから推測されるのは、一つ、私達魔術師は根源を追い求める存在ですが、それだけのために各陣営が殺し合う儀式には懐疑的だったと思います。二つ目は、己の狭い知識で次女を養子に、それも敵側になる間桐へ出していた事。ここから逆説的に、そのような狭い知見では根源どころかこの儀式すら危うい。そう考えるに至ったのでしょう。そして三つ目は見識の広い王ですから、根源への路は七騎全部を焚べねばならないと気付いていたはずです。つまり最後の令呪で自害を命じられるとも。きっとそれも気に食わなかったのでしょうね。当然ですよね? 英霊も元は人。心があるのです。魔術師の実験材料にされて頭に来ぬ者は居ませんよ」
辞書を引けばわかるが、サーヴァントとは召使いの意味だ。しかしこれも妥協した呼び名だろう。魔術師から見ればスレイヴ、即ちその膨大な魔力を帯びた魂のみを捧げよと一方通行で宣告する奴隷だ。
こんな巫山戯たカラクリに気付かず、故国を救済だの、人類の恒久的平和を願いたいだの、片腹痛いを通り越してへそで茶を沸かす勢いだとエルヴァは思っていた。あの王の口癖である雑種という蔑みは、そういう意味もあるのだろう。
「そもそも並行世界に於ける彼の王の参戦動機が、我の財である聖杯の無許可使用は罷り成らんですから。となると聖杯の汚染を既に調べており、それを裏切りの大義名分として、第三者の吹聴にわかっていて乗ったのでは?」
「汚染って何?」
「第三次でアインツベルンが喚び出したのはアンリ・マユでした」
「な!?」
「そんな邪神を?」
「いえ、神霊格の召喚は通常は不可能です。なので、召喚に応じたのは邪神そのものでなく、拝火教が信仰されていた地域で残っていた偽王の儀式、その生贄になった亡霊でした。本当のアンリ・マユではありませんが、その名を着せられ憎み蔑まれ虐げられた挙げ句に拷問死した誰か。その怨嗟とマイナスの信仰や概念がサーヴァントの死で聖杯に取り込まれ、無色であるはずの魔力を染めたのです。これもバグですね。無色であって欲しいから小聖杯と大聖杯を別けているのに、魔力に変換された魂は概念も持って行くのです。だから大聖杯が汚染されたのです。それにより、大抵の並行世界では第四次後に大災害が起きていますね」
「そんな……」
「ああ……」
「そして妻の正体は小聖杯。別名、願望器です。衛宮切嗣はきっと妻の身体を入れ替えろと8代目に訴えた事でしょう。そしてその汚染は一気に小聖杯を溢れさせ、あの城は滅びたのだと思います」
「根拠は?」
それを答えたのは47番だった。
「お母様がおチビちゃんを産んで10数年も生きている事です。通常の聖杯ならとっくに寿命を迎える頃です。人形師に事前に依頼していた人形へ、魂や記憶を移し替えた可能性もありますが、アインツベルンで汚染された中身が溢れたという彼女の説は信憑性が高いと思います」
「そういうアクシデントでも無い限り、1000年も続く家が丸ごと滅ぶのは考えづらいですものね」
「……何でこんな訳のわからない儀式に根源なんて求めたの……」
「ミス・トオサカ……」
ふと思い出したように凛が問う。
「あのさ……どうして、もう一人の私は今夜来なかったの?」
「カード自体は関係ありませんし、本人は観測が仕事みたいなものなので日中冬木を散策しているのですよ」
「散歩が仕事? じゃなくて……世界間の差異を調べているのか」
「そうです。そうやって分布を調べて、座標と照らし記録すれば、世界の傾向が見えて来ますでしょう? 地道ですが、誰にもできない事です。それも第二魔法の運営なのですよ」
「並行世界の運営……」
「クサクサした気持ちで、あの子に八つ当たりしないであげて下さいね。あの子は遠坂凛や間桐桜を、もう何人も何人も救けて来た子なのですから」
「彼女ってそういう人なんだ?」
「そうです。あなたと真逆な性格でしてね。泣き虫で有名です。成績も良いですし、運動神経も良い。友人も多く、クラブ活動にもお稽古事にも熱心で頑張り屋です。なのに、ちょっとした怪我や人の悪意に曝されると、途端にワンワンと」
「え~っ?」
「そういう性格でよく魔法に至れましたわね?」
「そこから二段変身ですよ。泣いてから粘る粘る。絶対に諦ませんし、親にもケンカを売りますから」
「え? そちらは両親が?」
「先日の食事会で47番が話した通り、ピアノを習っていましたから。今もお元気ですよ。あの子は桜を養子に出すなら、桜と死んで遠坂を滅ぼすと言い切った子なのですよ」
「ああ……。じゃ、彼女の桜は……?」
「魔術師ではありませんが、身を護る知識を与えられ、葵小母様の夢を継いでピアニストを目指しています」
亡き母がピアノを弾いていたのは知っていた。両親の寝室にヨーロッパ製のアップライト・ピアノと、何十冊もの楽譜があったのも憶えている。全部、崖崩れで消えてしまったが。
しかし、ピアニストを目指していた時期があったとは終ぞ知らなかった。
ちなみに彼女が知らないだけで、葵は音大のピアノ専科を卒業している。時臣との結婚が決まり、その道を諦めたのだった。
なお、そのアップライト・ピアノは、葵が実家から持ってきたベヒシュタインのコンサート8だった。崖崩れでこれも失くなってしまった。
またコンサート8は凜の家にもあり、彼女の家の1階には戦前のドイツ・スタインウェイのD-274もある。フォルテシモで窓ガラスがビリビリ響くので、防音結界を張ってから練習しないと使えないシロモノだった。
「そ、そんな……そんな世界があるんだ……?」
「運命を切り開けるから魔法使いに?」
「それも奇跡に至る重要なファクターでしょうね」
凛が心底打ちのめされた顔で静かに泣き始めた。それをルヴィアが優しく慰めている。
きっとこの二人も、この先は親友になれるだろうと安心する二人のエルヴァ。そう、凛とルヴィアはその魔術のみならず、気質や性格にと余りにも共通点が多い。共同研究すれば大成間違いなしなのだ。
褐色のエルヴァの願いに応えて、白いエルヴァは凛を泣かせた。凜が凛とルヴィアを突き放したのもエルヴァの意を汲んだからだ。
才能があるかどうか、魔法に到れるかどうかなど会話だけでわかるはずが無い。けれど一度折れたにも関わらず、諦めず起ち上がる者を見捨てられないのがエルヴァであり、凜だった。
そして夜も更けた。このままでは朝になってしまう。カードの事、時計塔の事、まだまだ話す事はあるが、一旦打ち切ってまた話そうと約束してお開きとなったのだった。