前の晩、真っ暗な中、誰かのすすり泣く声がした。
耳をすますと私みたいな声。あっちのイリヤだ。ボソボソとクロエお姉ちゃんが慰める声もする。
「こ、ここ、私の部屋と同じ……」
「うん……でもさ……」
「わかってる……わかってる……けど……」
そうだ、きっと私と同じ家で、同じ家族に囲まれて暮らしていたんだ。でも、もうそこには帰れない。
エルヴァお姉ちゃんが言うには、何かとてつもない事があって、この二人はお姉ちゃんの世界にルビーとサファイアが送ったコピーなのだそうだ。だからもとの世界がどうなったかはわからない。無事だったら良いけど、無事ならオリジナルが居るから帰れない。考えたくないけれど、滅んでいたら絶対に帰れない。もう、お父さんやママやお兄ちゃん、セラやリズお姉ちゃんや学校の友達とも逢えない。
それでも送られた世界でエルヴァお姉ちゃん達と出会い、学校に通い、以前と同じお友達にも会えたし、お父さんやママにも、お兄ちゃんにも会えた。セラやリズお姉ちゃんも居るそうだ。けれど、その誰もが違う人だ。
お父さんとママは、エルヴァお姉ちゃんと双子のイリヤさん、それと妹の美遊さんのお父さんとママだ。セラとリーゼリットはイリヤさんのメイドで、エルヴァお姉ちゃんには別のメイドさんがいるらしい。
だから、家族も増えてこれはこれで楽しいのだけど、どこか違う舞台でお芝居をしているような気分になるんだとか。それが前から気になっていたエルヴァお姉ちゃんの思いを、あちらのエルヴァさんも当然知っていて、それで今回連れて来たみたいだと話してくれた。なので私は知らないふりをして布団を被ってそのまま寝た。
翌朝、起きたらフローリングの布団が畳まれていて二人は居なかった。
下に降りて顔を洗うと、二人はニコニコとママとおしゃべりをしていた。
「早いのね。毎朝、こんなに早いの?」
「うん。毎朝起きるのは6時だよね」
「それでも遅いんだよ。お姉ちゃん達は5時前には起きていて、公園や河川敷で走っているから」
「ああ、やっぱり。エルヴァちゃんも毎朝走っているそうよ」
「あのお姉ちゃんはエルお姉ちゃんと別れてクロっぽくなったけど、中身は一緒なんだね?」
「真面目だよね~。夜も9時になったら寝ろって言われるし」
「慣れるまで辛かったなぁ」
「けど8時間以上眠れるし、朝ご飯がおいしいんだよね?」
「そうそう」
溶け込むのが早いなぁ。でも、ママがそうしているんだってわかった。ここが別荘か。そうだね、また遊びに来てくれるといいな。
「おはよう」
「おはよう」
挨拶を済ますとお兄ちゃんが見当たらない。
「あれ? お兄ちゃんは? 朝練?」
「はい。エルヴァさんと走った後に出て行きましたよ」
「あらあら。朝から元気ねぇ。イリヤちゃん、強敵が現れたわね?」
何ですと!
「ママ、煽るなぁ」
「安心しなよ、イリヤ。お兄ちゃんは、あのお姉ちゃんにとっては弟だし、何より一番苦手なタイプだから」
「苦手なタイプ?」
クロエお姉ちゃんが不思議な事を言う。
「うん。お姉ちゃんは小さい頃から何でも自分で考えて、何でも自分でやっちゃう人だったからさ。お兄ちゃんみたいな普通の男の子が子供に見えて合わないのよ」
「へ?」
「手を引いて導く感じだよね?」
「そうそう。6歳で会社を作って7歳で総裁になって、17歳の今で300以上の会社を持っているような人だから。価値観とか恋愛観とかが、普通の人と全然合わないのよ。だからお兄ちゃんが取られるなんて事は絶対にないから」
「あら、残念。士郎にはしっかりした年上の女性をと前々から考えていたから、エルヴァちゃんならピッタリと思ったのに」
ママは無視!
「もしかして、あっちのエルヴァお姉ちゃんってお金持ち?」
「ちょっと桁の違う大金持ちね。その代りケチと言うか厳しいけど」
「まだ、10万円のお小遣いが懐かしい?」
「ううん。今通帳に貯まっているお金の方が大切だわ。自分で頑張って貯めたんだもの」
「だよね」
どういう事だろう?
「10万円って?」
「イリヤと別れたばかりの頃、ルヴィアの家でお世話になっていた事があるのよ。その時のお小遣いの金額」
「ええ~っ!」
「それをエルお姉ちゃんやイリヤお姉ちゃんに話したら、お金が欲しかったら働けと言われてさ」
「働いているの?」
「うん。家のお手伝いとは別に月に数回。洋服のカタログと雑誌のジュニアモデルをね」
「すっご~い! モデルさんなんだ?」
「いや、イリヤもやってんのよ?」
「あなたも?」
「うん。クロほどじゃないけどね。クロなんて水着モデルや肌着モデルも平気だから」
「アンタもやってるでしょうに」
「恥ずかしいよ。だから私は際どいのはナシ。冬頃に撮影する水着も、学校用とか競泳用のカタログだけだよ」
「冬に撮影するんだ?」
「新作は新年が明けたらスタートなのよ。でないと夏に間に合わないでしょう? 売り出すのが春なんだから」
「あ、そっか。ずっとそんなお仕事を?」
「ううん。もともと小学生だったお姉ちゃん達が、馴染みのブティックのカタログモデルをしていて。それから中学生の頃までやっていたらしいの。そのお仕事を回してもらったのが始まりかな?」
「本当の始まりはクロが、普段のお小遣いやお手伝いでもらえるお金だと足りないと言ってね。それでなの。ただ、お手伝いには窓拭きやお皿洗いもあるから、モデルをするならってハンドクリームをもらったよ」
結構、本格的にやっている?
「それ、あちらのご家族が許されたのですか?」
セラの心配はもっともだ。けどママは。
「許したのよ。この子達の成長に繋がると信じて。危ない時はあちらのイリヤちゃんやエルヴァちゃんが助けるだろうし。私、何度か士郎とは別にイリヤちゃんのお姉さんが居ればなと思っていたの。エルヴァちゃんが来てくれて本当に嬉しいわ」
お姉ちゃん達が並行世界から来たとはセラもリーゼリットお姉ちゃんも知らない。もちろんお兄ちゃんも。
だからもう一人の私は親戚だけど、同じ名前なのだとだけ紹介してある。モデルの事もドイツでのお話と考えてくれているようだ。
「それは嬉しいけど。でも私はモデルなんてしないし、お兄ちゃんじゃ頼りないの?」
「頼りないなんて思わないわよ。けれど士郎は男の子にしては優しすぎるわ。それは彼の美点だけれど、弱点でもあるわね」
「どうして?」
「そうやってイリヤちゃんがお兄ちゃん子になちゃったところとか、冒険心が弱いなと思うところとか」
ああ、やっぱりママはよく見ているなぁ。
「それより、イリヤ? アナタ、早く食べて着替えないと。学校に遅れるわよ?」
「ええ! もうそんな時間?!」
クロエお姉ちゃんに言われて、慌ててパンを食べる。着替えて行って来ますと声を掛ければ、行ってらっしゃいと皆んなで返事をしてくれた。
玄関を出ると、ちょうど美遊が二人のエルヴァお姉ちゃんに見送られていた。美遊と二人でお姉ちゃん達に行って来ますと声を掛けた。そうしたらニコニコと同じ仕草で手を振ってくれた。やっぱり同じ人なんだなぁ。
セラがリビングから出て行くとママが質問してきた。
「クロちゃん、イリヤちゃん、あなた達学校は?」
「戻ったら出発した時間の数分後なの。だから出席日数も問題ナシ。むしろ経験になるからって、時々連れてきてくれるのよ」
「そうなの? それで……。少し尋ねるけど、クロちゃんは魔術師でありたかった?」
「イリヤはそうでもないみたいだけれど、私はね」
「あなたのママを恨んだ?」
「恨んだよ。けど嫌いにはなれなかったな。普通の子で居て欲しかったってママの気持ちもわかるから」
「ありがとう、クロちゃん」
「だからママ。お姉ちゃんがここの私を出してくれたら、真剣に話してあげて」
「ええ。逃げずにちゃんと話すわね。クロちゃんはお姉ちゃんなのね?」
「どっちが姉とか関係ないよ。ケンカもたくさんしたけど、私の事をわかってくれたから。私はイリヤが好き」
「私もクロが好き。他のお姉ちゃん達も大好き」
「だよね。そういう家族なのよ、ママ。変わってるけどね」
「変わってるよね。でも面白いな」
「毎日飽きないよね?」
「うん」
「そう……。素敵な家族なのね?」
「うん」
「うん」
今、私はアーチャーやもう一人の私とともに買い出しに来ています。荷物運び要員と言われ、正直機嫌が悪い。エルなら迷わず宅配便なるもので送るでしょうに。
「だから、これらの道具は今日使うのだ。聞いていたろう? イリヤ達がカレーを作ると?」
「なら、今日届くように頼めば良いのでは?」
「そんな特急システムは現代でも無い。仮にあったとしてもそれは都会だけだ。冬木のような地方都市にはバイク便すら無いし、バイク便でこんな大きな寸胴鍋や米は運んで貰えんよ」
はぁ……理不尽だ。なぜそこまで断定的に言われねばならないのか。元がシロウとはとても思えません。いや、彼も言葉足らずで頑固でしたね。
ですが、それはキャメロットに居た頃の私と同じだったと、昨夜もう一人の私に指摘されたのです。かなり似た物同士であったと言われ、なるほどと思いました。
結局、彼女とは朝方まで話したのでしょうか。それぞれの召喚者であるキリツグとシロウ、そしてエルの事を。あちらのエルの父であるキリツグと彼女は、かなり話せる仲だそうです。ともに第四次に介入したという話は興味深いものでした。
私はこの先どうなるのだろう?
以前はあちらのエルに着いて行こうかとも考えましたが、今はマスターのエルと居たい。そしてここのキリツグやアイリスフィールともっと話してみたい。人は出会いで変わるものなのですね。
そんな事を考えつつ、ガラゴロと私は台車なるものを押しています。
荷物が多くなるからと、急遽買い求めたものです。寸胴鍋の中にはコンロや食器に食材が入っていますので、かなりの重さです。まぁ、新都から深山町までの距離を押すくらい、実際のところ大した事は無いのですが。しかし、正直面倒くさい。
「バイクは無理ですが、ルヴィアからクルマを借りれば良かったですね」
「無免許だぞ? 先日の買い出しもヒヤヒヤものだった。一応あちらで取得した国際免許は持って来ているが、照会されれば一発アウトだからな」
「これも、いつも行っている人助けの介入と言えば介入なのでは?」
「まぁ、そうなのだが。しかし今回の介入は武力でなく、これから起こる政治が本番だからなぁ」
「となると、ここで波風を立てる訳にも行きませんね。ところでアーチャー?」
「何かね?」
するともう一人の私はここである提案をしてくれました。
「彼女も参っているようだ。少し休憩しませんか?」
「そうだな。少々喉が乾いたな」
「ええ、あの店はどうですか?」
からあげ専門「唐次郎 冬木本店」
「君な!?」
「アルトリア。あそこで少し休憩すればチカラもヤル気も戻るでしょう?」
特製唐揚げ定食 580円
大判わらじ唐揚げ定食 780円
大判わらじ南蛮定食 820円
サラダ、味噌汁、ご飯付き
期間限定 唐次郎スペシャル 1500円
※大判わらじ唐揚げ5枚、特製唐揚げ20個、メガ盛りサラダ500g、どんぶり味噌汁、ご飯2kg
以上30分以内で完食の場合は無料とさせて頂きます。挑戦者求む!
「おお!」
「おい?」
「胃袋という国民のために腹の剣を抜かねばならぬ時はあるのです」
「何を言ってるのかわからん。が、失敗しても1500円なら安いのか?」
「ええ、開店五周年か七周年の期間限定だったと思います。ここで再会できるとは。お昼時ですと入れません。いまこそ」
「参りましょう。もう剣は抜きました。後は責務を果たすのみ」
「なんでさ……」
時間は11時過ぎだったが、アーチャーの目には彼女達に朝日が後光のように射す幻覚が見えた。
二人の目は『唐揚げ、あなたを愛している』だった。
「こうやって摩耗していくのだな。さらば、美しき思い出よ……」
「格好を付けてないで行きますよ!」
荷物が重いだの理不尽だのと言っていたのに、それらを物ともせずズルズルとアーチャーを引っ張る王様達。
「さぁ、あなたも挑戦です。よもや敗走は?」
「配送が無理なのだから、この大食いチャレンジの敗走は許してくれまいか?」
「今のは、まさかシャレ?」
「……シロウ、あなたにはがっかりだ」
「なぜ路上で真名を暴露されねばならんのだ。それよりこの写真を見ろ。大判わらじ唐揚げ……恐ろしい。もも肉1枚を開いて丸々揚げてあるようだが、これを5枚にこぶし大の唐揚げが20個だぞ? 食い切れるのか?」
「何するものぞ、です。戦場で散っていった腹を空かせた仲間達の無念を晴らすには、私が食し幸せを感じる以外に方法はありません。カムランの丘でそう悟ったのです!」
「そ、そうか……。わかった、入ろう。腹は括った」
「括らずに広げる方向で行きませんと」
「まったくです」
アーチャーは笑った。
新しいセイバーとどう接するかで少々悩んでいたが、そんな悩みは無駄だった。彼女もきっと別れには納得していたのだろう。
自分の中には百人からの衛宮士郎が居る。その中の一人が彼女の元マスターだったとは感じないが、万一の場合はと危惧していたのだ。こちらのセイバーとも意気投合しているようだし、彼女と触れあえば私達の事も徐々に理解するだろう。
ところで実は一緒に渡って来たセイバーは、4番目のアーチャーが彼女の元マスターだと判明していた。いつもいつもイチャイチャしている二人だが、微笑ましいだけで気にはならない。
何故なら自分にも恋人が居るからだ。マアエモという名の可愛らしい女性。背は低いが聡明で働き者。快活なのに控えめという、自分のツボを突く性格も良い。
ただ、ホムンクルス──しかもアイリスフィールと同じ型なので、姉妹のごとく似ている点が少し気になる。つまり義理の妹でもあるエルヴァやイリヤとも似ているのだ。当然義姉にも似ている。
また彼女はエルヴァの乳母でもあった。だから未だにエルヴァには明かせずにいる。義姉のイリヤは気にするなと言うが……。
「その余った一つは、食べるのですか? 食べないのですか?」
「相変わらず優柔不断な」
「あ、ああ……良ければ食べてくれ」
自分が通常メニューの定食を食べている間に、彼女達はチャレンジを終えていた。それぞれのタイムが18分20秒と19分04秒。
馴染みのセイバーの方に一日の長があったようだが、ともに20分を切るとは。
「腹の虫という国民は治まったかね?」
「我が治世もこうであれば……」
「終わった事をグダグダ言わない。騎士達のせいでもありません。統治者なら最後の尻拭いは必然ですよ」
「え?」
そう、これがあの世界で出会ったセイバーなのだ。
エルと言うより長姉のアルトリアに相当毒されているが、このサッパリした性格こそが彼女の持ち味だ。
「しかし、あなたの言った通りでしたね?」
「でしょう? 油っこいので途中で辛くなるのです。ですから食欲がピークの最初に一気に唐揚げだけ食べるのですよ。特に大判のわらじ唐揚げを。ご飯用に特製唐揚げを2~3個残せば2kgのご飯は軽い。サラダを最初に完食してしまうのは、油の多い唐揚げの喉の通りを良くし、胃を保護するためです」
「ですね。あの助言が無ければ時間内は難しかった」
何を話しとるんだ。フードファイターか?
ルヴィアの家に帰り荷物を下ろし、コンロなどを厨房に設置していると廊下の先で不思議なものを見た。脚立に登って高い部分の窓を拭いている二人のエルヴァだ。
義姉のイリヤはやる時はやるというが、基本自分の好きな事にしか情熱を持たない。なのに義妹のイリヤとエルは家事全般をコマメに行う。自分が手を出すスキも与えず。
以前はそれを不満に思う自分に驚いたものだが、今はジイサンと同じ心境だろうか。妹達の成長ぶりと、できの良さが密かな自慢だったりする。
「だからと言って、何故に二人してメイドの恰好なのだ?」
「まさにこういう作業をするための、私服を汚さずに済むナイスな衣類でしょうが。Do you understand?」
「Could you explain it in more detail?」
どうだ。これは「もっと詳しく説明してもらえますか?」という意味だ。通常の英会話で「Do you understand?」は、わかっているのか? となり、若干相手の知性を疑う皮肉的な面もある。
なので「Am I making sense?」などのように、私の言葉は筋が通っているか? と言い換えるのが普通だ。親しければ「Make sense?」でも良い。
「人生が operating loss のクセに」
「それ、言い過ぎです!」
47番が庇ってくれるが、我が人生が損失ばかりだったと言われればその通りだ。だがエルの罵詈雑言や皮肉には慣れた。鋼は叩けば叩くほど強くなる。また、不純物が抜けソリッドになるのだ。
「愛 尼 煩悩 魔 僧都」
エルがお経のごとく呟く。これがわかってしまう自分が痛い。
これを漢文と判ずるなら文法としては無茶苦茶なのだが、僧都とは僧正の下で尼僧などを統括する職務だ。つまり自らの煩悩に魔が差し、配下の尼に手を出した破戒僧という意味が込められている。
何より、凛辺りが聞けば確実に怒るだろうが、呪文詠唱とはしょせん神秘を行使する上での自己暗示に他ならない。
なので言語は問われないし、自己埋没できて正しく魔術が行使できるのであれば、チチンプイプイでもオッペケペーでも寿限無寿限無でも何でも良いのだった。
いや……だからと言って『寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝る処に住む処、藪ら柑子の藪柑子、パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助』であの剣の丘を展開されても困るのだが。むしろそんなヤツは守護者にまず、否、絶対にならんだろうから応援してしまいそうだがな。
おっと、話がズレた。
ともかく私も干将莫邪程度なら、もう唱える事をしていない。たぶん、胸の内で呟く事すらしていないだろう。繰り返され、身に付いた魔術とはそういうものだ。
また私と義姉やヘラクレスを身に据えた宝具で留め置く──言ってみれば座を持つエルは、私の能力をある程度使えるのだが、彼女は同調開始(トレース・オン)でなく同乗開始(パイルダー・オン)と唱える事で投影できる。
ふざけるなと言いたい。おまけにコイツは、私のように丘から引っ張り出さず、本当に投影魔術を使う。魔力が豊富で、術式構築の巧い奴はここまでできるのだ。
閑話休題。
諸君、私はバブルの弾けた今となっては、大変希少で便利なアッシーなのだそうだ。確かに世界のアッシーと言われれば、反論する術を持たん。
そしてそのアッシー足る我がチカラは、ジャイアン理論により彼女のものでもあると認識されている。
何故か? 悔しいが座の判定がそうなっているのだから仕方ないではないか。だが、義姉のイリヤは一部エルの能力が使える。これをして差別だと苦情を申し立てると、一ヶ月間、14~15歳の女の子の身体でしか現界できないようにされた。
その姿をを見た者は誰しもが皆んな嗤った。イリヤやセイバーは言うに及ばす、あの大人しい凜にまで微笑われたのだ。
嘲笑されるよりはマシかもしれんが、思わず涙が流れた。そのままジイサンにしがみついて泣くと、誤解を招くから離れなさいと冷たくあしらわれ、アイリスフィールに慰められた。
情けないが仕方なかろう? 私のような弱い魂は肉体に引き摺られるばかりなのだ。いや、本当だぞ?
あの状態だとホルモンバランスが変わるというか、女性脳になるというか。ちょっとした事で胸はキュッと痛くなり、ジイサンにすこしキツい口調で話されると、自然に涙がスーッと流れるのだから。
しかも私はその一ヶ月間、霊体化も座に逃げる事も不可能だった。そう。体内に座を帯びる、こんな信じられん魔術を行使する天才に私が敵うはずが無いのだ。
思い出すだけで舌を噛んで死にたくなる。いや、既に死んでいるのだが。クソッ!
「お? 私の言葉が琴線に触れた?」
「逆鱗だと思いますよ?」
ああ、逆鱗だとも。メイド服と女子制服しか許されなかったあの屈辱の一ヶ月は、このガラスのハートを粉々に砕いてくれたさ。
しかもネームの刺繍入り。見れば全部エルヴァのものだった。しかも下着までもが! 何が哀しくて妹の制服や下着を着なければならんのだ!? とんだ変態ではないか! アイリスフィールにはカメラで撮影されるし……。
それにだ。剣の丘には『破戒すべき全ての符』が見当たらなかった。投影できんのだ。固有結界を展開し、散々探し、そこで隠された事に気付いたのだよ。
わかるか? この悪夢の縛りを破棄できないのだ! 勝手に隠すな! あの義妹はアラヤより酷くないか?
「逆鱗に触れたのはお兄ちゃんだ!」
「私が何をしたと言うのだ! 理不尽な言いがかりにも程がある! 今日という今日は許さんぞ!?」
「出掛ける前に言ってありましたよね? 食べて帰るなら電話をしてくれと。ご飯を3升も炊いたのに」
「ぁあ~~ッ!」
しまった……。確かに聞いていた……。
「わ、悪かった……。それをヘラクレスのカレーに回せないか?」
「残ったおかずは?」
「そ、それはだな……そうだ! セイバー達の晩ご飯に回そう。な?」
「『レンチンなど、料理人としては負けも同然とは思わんかね?』誰が誰に言ったセリフでしたか?」
単なる温め直しでなく、下拵えの時間短縮を勘違いでなじってしまった過去の己が憎い。
イリヤはそうでもないのだが、エルは電子レンジだけの調理に詳しい。また、1台も置いとらんのに、炊飯器のアレンジメニューや調理にも詳しい。
それは彼女が食品会社を経営する上で、様々な調理器具を研究しているからだった。出逢った頃は、そんな事を知らなかったからな……。
「ス、スマン……この通りだ……」
「まぁ、良いでしょう。これほど無価値な土下座はありません」
少し顔をあげると義妹の瞳が冷たく燃えていた。そして褐色の義妹の瞳も。なんでさ、味方では無いのか?
私の幸運値は義妹と契約して『C』にまで上がっている。だが、この時ばかりはそれを疑った。ジイサンと再び家族になった日の言葉を思い出す。
『士郎。この家のね、男性に人権は無いんだよ』
女の子は大切にしろと言っていた、かつての養父の言葉より過激で酷い最後通牒。だが────。
世界と──その世界が作り出す悠久の時の奴隷となっていた私には、その重さが理解できていなかったのだ。
ああ、帰ったらジイサンと酒を呑もう。勿論、肴は私が作るとも。
「黄昏れているな、少年」
「ああ……。ヘラクレス。現界していたのか?」
「うむ、この家は天井が高いのでな。今日は久々に読書を満喫した」
そう、彼は意外だろうが勤勉だった。文武両道を地で行き、当時としては最高の知識人でもあったのだ。何も恵まれた身体だけでの話では無いのだ。
鍛錬好きだが理論にも強い。知性的で理知的。その場その場に於ける戦術に長け、閃いた事を直ぐ様実践できる驚異的な運動神経と、戦局に応じてアレンジする対応力がある。
それも人類を超越した類稀なる肉体と、高い知能を持っていたからだ。逸話によれば、あの最高の軍略家である征服王の二大アイドルの内の一人だ。
一人は彼、ヘラクレス。もう一人はアキレウスだ。だが、アキレウスが軍略家だったという伝承は無い。私は狂化されておらぬヘラクレスと出会い、初めて己以上の策略家を知った。
彼は古今東西の名を馳せた軍略家にも引けを取らぬ、戦局眼をも併せ持っていたのだ。そして武に関しては、ストイックなまでに自己を突き詰める。まさに戦うために生まれてきた漢だろう。
また、忘れてはならないのはその高名さだ。星座となるまでにも様々な伝承が語り継がれ、星座となった現代も映画やアニメとなり、昆虫にまで名付けられている。
その知名度や信仰は、ギルガメッシュやケイローンを遥かに超えるのだ。きっとアインツベルンが彼をアーチャーで喚び出していたのなら、聖杯戦争は三日と掛からず終わったろう。
そう、例え英雄王が居たとしてもだ。弱点は『天の鎖』だが、一度でもあれを見ていれば、彼ならば確実に掻い潜るだろう。
「何の本を?」
「嵐が丘というのだったか? ルヴィア嬢の蔵書にあった。以前エルが歌っていたので気になっていたのだ」
「Heathcliff,it's me,I'm Cathy……とかいうアレだな。何であんな変な踊りをしながら歌うのだろう?」
「元の歌手がそういう振り付けで歌うそうだぞ? どの曲も素晴らしいとべた褒めだ」
「そうか、それは知らなかったな。して、どういう内容の小説なのだ?」
「ああ、昔と変わらぬ恋愛モノだ。すんなり読めた」
ハーレクインからミステリーに、SFからファンタジー。とにかく彼は何でも読む。
ギリシア神話を読むのは驚かなかったが、相対性理論や量子論といった物理の手引書に、資本主義と株式経済の本を読んでいる姿には心底驚ろかされた。
エル曰く、C言語やJava、或いは複式簿記や宅地検定の本などを読ませても理解しそうだとの話だ。
向き不向きはあるので、プログラミングは合わないと思うが、実際エルのLinuxパソコンを軽いレクチャーだけで使っている。
また当時は必要だったのか、金勘定の計算がやたら早い。
対して私はと言えば、学生時代の記憶は薄いが成績は悪かったと思う。
日々の食卓に於ける細かな金勘定はしていたが、県民税や市民税等々の住民税に、国民年金や国民健康保険等の各種保険や保障を支払った憶えがまったくない。
未成年であったし、バイト代が百数万円を超える事も無かったと思うので、非課税だったり免除されていたのかも知れない。
しかし家の固定資産税や都市計画税は、何らかの軽減措置があったにせよ必ず払わねばならんものだ。レシートを貼り付けたノートを雷画さんに預けていた記憶が薄っすらとあるので、あの人が税理士に頼んでいたのだろう。
今ならそれにも対価が掛かっているとわかるので恥ずかしい限りだが。
また、イリヤを引き取った時にジイサンの実の娘と知り、遺産の半分を渡そうと考えていたら、雷画さんにこっ酷く叱られた憶えがある。
『それは坊主の名義のままにして、半分があの子のものだと坊主がわかっていれば良い。そして金銭感覚の疎そうなあの子の資産を護ってやれ。何なら、その都度あの子にも使えるように多少の現金をタンスにでも入れておけば良い』
と、そんな風に窘められた。
当時の私はそれがずるく感じて反発したものだが、贈与税で半分は持っていかれるぞと聞いて心底驚かされた。こういうところに真の教えはあるものだ。
己を満足させる行動──良かれと自分だけが思っている行動──それ等が、実は損をするばかりの愚かな行動であった。それをしっかり学んでおれば。他の事に当て嵌められぬところが私の愚かさだ。
そのように私は経済というか、まともな社会人としての常識に疎い。ま、これはジイサンも同じだったのだが。
そして英霊とは言え、私の場合自分から世界に祈っている。それは死後を抵当にして借金を負ったようなものだ。決して世界からスカウトされた訳ではない。
義妹には球団テストも受けずに喚き散らして、強引に三軍の末席に捩じ込んだようなものだと断言されている。自分でもそう思うのだから、これも不明の証だろう。故に守護者としての仕事を唾棄していた。
何度も何度も辞めたいと思っていたと彼に話した事がある。その事について、彼曰く────。
『騙されて連帯保証人になったようなものだな。本来、返済義務を負うのは君が救けた人々だろうが、そうは思わんのだろう? なら借りたのは少年だ。利息や契約内容も読まずにサインしておいて、返すのは嫌だとは虫が良すぎやしないか?』
その日、私は泣いた。声を上げて泣いたかも知れない。
確かに私は異常者だった。頭ではわかっていたのだ。困っている総ての人々を救うなど不可能だと。だが引き返せなかった。挫折する事が、止まる事が怖かったのだ。
しかし、止まらなかった故に得られたものもたくさんあった。こうして死後、義妹を通じて知り合う様々な人。彼らの人生訓や生き様を聞くのは好きだ。
漸く私という終わった男は、自分を満たす用意ができたのだろう。別の機会にはこうも言われた──。
『少年が死んだのは中近東か。なるほど。君の生い立ちを以前聞いたが、君はあの災害でアンリ・マユに呪われたか見初められていたのだよ。なのにアラビアにまで行き、戦いに身を投じ相手と自分の血を流すとは。それは言ってみれば、わざわざ聖地巡礼し、供物を捧げるようなものだぞ? 我々の時代の者なら絶対にせんよ。仮にそこへ行く者が居たとしても、それは善神のアフラ・マズダの廟を巡る旅だったろう。呪いを払うか加護を得るためのな。少年はもう少し神とは何かを調べるべきだった』
グウでなく愚の音も出なかった。
『ゾロアスターはドイツ語ではツァラトゥストラというらしい。善神アフラの長という意味らしいが、これは君の国の阿修羅のモデルとも言われるそうだ。対するアンリ・マユは悪神ダエーワの長だ。ダエーワはインドのディーヴァでありラテン語のデウスの語源でもあるな』
むしろ唖然とした憶えがある。
『だから、少年。神とは人だけの味方では無い。我々に恵みをもたらす場合もあれば、仇なす場合もある。ガイアそのものなのだよ。もしかしたら守護者の仕事も、君という奇特な魂に神が与えた試練だった可能性もある』
そんな事を言われても……。
が、このような話をしたお陰で義妹の辛辣な言葉に耐性が付いたのだと思う。
何故ならあの子も彼と同じような事を話してくれ、特に借金に例えた話は数回聞いていたからだ。しかし聖地巡礼と宗教観の話は彼だけだった。
正直恥だったが、これを呪術者でもある義妹のエルに話すと大きな目を更に大きくして黙ってしまった。ようやくポツリと、ゾロアスターの悪神達に数え上げられる寸前だったのかと呟いた。
つまり私は、反英雄・反英霊としてのあり方を改変され、アエーシュマやアジ・ダハーカ(義妹はキングギドラと言っていた)と並ぶ悪神に祀り上げられる一歩手前だったと言うのだ。そしてこうも言われた。
『不良も不良なりに仲間を大切にするものでしょう? そのお兄ちゃんの話もアンリ・マユの救済ですよ。だって悪神なら善神と並んでガイア側にシフトです。守護者の仕事から外されますからね。ただ、次からは自ら進んで人々に害を成すのでしょうけれど』
心底震え上がった────。
ところで、辛辣な事ばかり言うこの義妹は、衛宮切嗣と衛宮士郎の願いだけは否定しない。
反証的言葉も、それを目指す資格があるのか、力量が備わっているか、方法を間違っていないかの観点でしか語らない。決してあの夢が間違っているとは言わないのだ。
何故ならそれは彼女自身の夢であり、長年アインツベルンが目指している悲願でもあったからだ。
第三魔法を再現する必要があったのも、人々が高次存在となる事で、争いに意味を見出さない精神性を自発的に手に入れて欲しかったからだと言う。
人が営むアインツベルンとは代々そういう家だったのだ。
誰も泣かない、苦しみの無い世界を求めて────。
村のシャーマンとして────。
王侯貴族の薬師として────。
錬金術師として────。
魔術師として────。
その時々に、人々の心や精神が高まる事を、諦めず一心不乱に願い続けた一族なのだ。
問題は実験で成功し、第三魔法を得てしまった人の失踪だろう。永久機関として永遠に老いもせず、ただ一人生き続けるのだ。
これこそが本物の地獄だろう。全員だから意味がある。いや、それもおかしい。死があるから生を正しく受け止められるのではないか?
この辺りは義妹とケンカになりそうなので話していないのだがね。
しかし、義妹が嫌う8代目(アハト)──多くの世界で聖杯戦争に係るアインツベルンはこのユーブスタクハイトの家系だ──は、そのあり方が根本的に狂っていた。
あれは人形というより、ロボットとなったホムンクルスが営む家だったのだ。
その先祖は第三魔法に到達したとされる初代の弟子筋達が作った工房に端を発する。その工房が目指したものは第三魔法の再現だが、数多くの試みは徒労に終わり、弟子達は工房を去っていった。
残された人工生命、ホムンクルス達は初代と同じ身体を鋳造すれば再現が叶うのかと、その鋳造技術を進化させていった。そうして造られたのが9世紀末に鋳造されたユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルンだ。
偶然の産物だったとも聞くし、7代目を継いだ──即ち大聖杯の礎となったユスティーツァと同一個体だったかどうかも私にはわからない。
ただ、現在にも続く優秀な鋳型だったのは間違いなく、今は多くのリズライヒ型が可動している。あのアイリスフィールやエルの乳母のマアエモもリズライヒ型だ。
そしてここからがややこしいのだが、アインツベルンは初代から連綿と続く家が他にも何家かあったのだ。義妹が言うには、それぞれの家がかなり深い魔術を継承しているそうだ。
ある時、5代目と6代目はユスティーツァの完成度を痛く気に入り、彼女に名誉称号として7代目を贈っている。つまりここで忘れ去られたはずの工房が一躍脚光を浴びた訳だ。
続く8代目ユーブスタクハイトは工房初期から可動していた存在であり、彼はホムンクルスである自身の脳髄と意識を匣に納め、肉体を端末として扱う事で長命を得ていた。8代目総裁の地位を得た頃が何番目の肉体だったかは不明だが、第四次聖杯戦争の頃は8番目の肉体だったという。故にアハトと呼称される訳だ。
ドイツ語の数字の基数と序数では呼び方が変わるのだが、アハトだけは同じだ。アハトは8代目でなく8番目という、蔑みの意味が濃い。
何故なら彼はとても優秀な研究家だったが、聖杯戦争という儀式に、一族の総裁という立場も忘れのめり込んでしまったからだ。ここが狂ったとされる点だ。
それ故に工房は再び見捨てられ、初代の血を引く9代目が新たに総裁に就任した。その人こそがエルヴァを育てたノイント老だった。
私達は親しみを込めてノイン老と呼んでいて、エルはノインのお祖父様と呼んでいる。序数的にはノイントだが、ノインと縮めるのは9代目、第9の総裁という意味もある。ま、要は解釈だ。
そしてイリヤとエルヴァは同一の卵細胞を人為的に分割し、ジイサンの精子で人工授精された半一卵性双生児だ。
イリヤはアイリスフィールの胎内に戻され産道を通って生まれたが、エルはノイン老の工房でホムンクルス用の培養槽で胎児まで育てられた上で産声を上げた。
似ている部分も多いが、育った環境や与えられた知識が余りにも違うので、二人のアイデンティティなどはかなり異なる。
まぁ、聖杯として育てられた子と、総裁として育てられた子では違って当たり前なのだが。
その聖杯戦争の基礎部分、大聖杯の術式は引退間際の5代目と6代目総裁が残した術式だったという。
この二人の目指すものに共感した7代目ユスティーツァが礎になる事を決心し、マキリが賛同したのだ。しかし、その尊い犠牲も虚しく、少人数での儀式は失敗した。なので外部の魔術師も迎える儀式へと変貌していったのだ。
これほど大掛かりな魔術の儀式に、思惑の異なる第三者を協力者に迎える事の恐ろしさ。更には中心者以外の者まで招かねば始まらない儀式。
人の心や考え方は思うようには行かない。完全なコントロールなど不可能なのだ。なのに中心者三名より多い四名の参加を待たねば成り立たない降霊術とは何だ?
これをしてプロジェクトとして可怪しいのだと義妹は断言している。
今、4番目のアーチャーは、『永遠に私の奴隷となれ』という契約書にサインさせられている。マスターは別に居るにも関わらずだ。
少し説明すると、昨年の夏にクロとチビが他の世界から、ルビーとサファイアによって送られてきた。そして秋に入り、義妹のエルヴァが夢を視て、それを魔導師のリンと相談した。
その夢の中の世界を凜とともに割り出し、向かった先に居たのが、魔法使いの凜と違う、第4のアーチャーのマスターである遠坂凜とライダーのマスターである間桐桜、バーサーカーのマスターであるイリヤスフィール、そして衛宮士郎だった。
あの世界は衛宮士郎を守護者にすべく、何度も第五次聖杯戦争を繰り返す歪な世界だった。そこで義妹のエルが士郎と接触し、セイバーを召喚したのだ。これはヤツをマスターにしないためだった。
第四次の実質的勝者である衛宮切嗣の養子となったヤツに、危険な儀式に巻き込まれる可能性があるから救けにに来たと、半ば本当の事を話した上での介入だった。
1月の頭に入れた事が功を奏し、ライダーと早々接触。1月中旬には桜を衛宮邸で匿い、蟲と臓硯本体の除去手術と処女膜再生手術を行っている。
そして経過を診つつカウンセリングを行い、心理的な疵を癒やしていた。と同時に桜を煽り焚き付け、1月下旬には桜からの告白で士郎と両思いになった。
あの世界から連れ帰った後、二人で心療内科に通わせたりしているのもエルだ。当然エルは士郎の魔術も看て指導も行っていたので、1月の中旬には27本の魔術回路を全部開き、妄想力こそがお前の本質であると指摘していた。
固有結界の事を話してあるのかどうかは知らないが、強化と投影を極めろと毎日包丁やナイフを造らせていた。
そんな状況下でセイバーを召喚。2月3日には凜と桜とで晩ご飯を合作していたし、舌鼓を打つ面々にイリヤも居たので、どれだけ手を打ってあったかは想像が着くと思う。
そして翌日にはメディアとそのマスターが合流、AUOを斃したのもこの日だ。
なお、言峰は入った初日に、AUOが出払っている事を使い魔で確認後に教会ごと爆殺してある。理由は地下で蠢くあの者達の魂を開放するためだ。
あそこには義妹のエルとイリヤの、初等部時代からの親友が居た。なのでエルは毎回真っ先に教会を襲撃しているのだ。
そうして大聖杯を壊し関係者を連れ帰り、現在に至るわけだ。また、バーサーカーは還したし、ランサーは校庭でセイバーに斬られている。
ランサーはセイバーでも荷が重い相手だが、マスターがエルならば初見で斃せる。理由は簡単だ。セイバーを空間転移させるのだ。
アサシン、佐々木小次郎も連れ帰られ、今はエルとイリヤ達姉妹が住むビルの管理人となっている。
更に閑話休題。
その契約書は料理中などに、ここにサインしてくれと軽く言われたものだ。その場を目の当たりにした私は愕然とした。奴は何も考えずにサインしているのだ。
エルが言うには、既にこの手の契約書が30枚は溜まっているという。ついでに私のも50数枚──いつどこでサインしたのだろうか? まったく記憶に無い。からかい半分の単なるいたずらで、魔術的制約も何もないのはわかっている。
しかし、知れば落ち込む他はない。
「恋愛モノか。人を愛する心は昔も今も変わりはしないのだろうか?」
「変わらんよ。人を愛せぬものは誰からも愛されん。神も王も誰かを愛す。だから民からも愛されるのだよ、少年」
そうなのだろうなと納得する。顔も憶えておらん誰かを常に探し救ける我が人生は、愛無き人生だった。
願いが目的と手段に成り代わり、自身の渇望を相手に押し付けていた。公衆の面前で一物を取り出し、射精に至る変態行為と同じだと義妹は言う。今ならこれもわかる。
ただ、こんな情けない我が身でも、ほんの少しマシだと思える部分がある。それは過去の己を憎んでも、並行世界の衛宮士郎に直接鬱憤を晴らすような真似をしなかった事だ。これは私の全記録を見たエルが保証している。
私とて聖杯戦争が起こる世界軸で、正義の味方を目指す衛宮士郎に会えば忌々しく思うし、鬱陶しくも思う。しかし、しょせんは並行世界の他人だ。
私も座を得る英霊に至るまでの過程で、大勢の人々や、たくさんの事を斬り棄てて来た。だが、それらはすべて私がやった事だ。罪も罰も私が受けるべきものであり、他人には関係ない。だろう?
一方、3番目のアーチャーは衛宮士郎殺しを何度か達成している。なのに奴は座からは消えず、記憶はリセットされ、第五次に行けば必ず士郎を付け狙う。本物のバカだ。
また、最近仲間になった4番目のアーチャーは、かつて遠坂凜を裏切り士郎を狙ったという。こいつもバカだ。
その凜が現在の大魔導師リンであり、狙われた士郎が彼女の宝具となったシロウである。これも時間の概念が存在しない座のイタズラだ。
と同時に、4番目は本物の『正義の味方』、否、『救世主』を生み出す事に加担させられている。ここに気付かんとは……。
ところで話は変わるが、シロウとアイツの言い争いは聞いているととても面白い。
やれ後ろから斬り掛かられた、階段から突き落とされたとシロウが文句を言えば、ノコノコとキャスターに誘われる貴様が悪いとジャブを返し、お前の時はアッサリ城に拉致されて、セイバー達に散々迷惑を掛けたクセにとボディブローを返す。
そこで私が、誰が城に残ってやったと思っているのだと、とどめを刺すのだ。
そう、あの城に残ったのは私だったのだ。その時の衛宮士郎がこの第4のアーチャーである。また当時のマスターはアラヤに捕らえられ、繰り返す世界に居た凜である。
彼女ならではの精神力で抑え込んでは居るが、二重に記憶があるのは辛かろう。それでも根を吐かず、魔道の研究に勤しんでいる。今は魔導師リンの弟子であり、魔法使いの凜の妹弟子でもある。
私と第4のアイツを交換したいと考えているらしいが、そうはいかんだろうな。ややこしいが、今はそんな関係が楽しく思う。
も一つ槓でなく閑話休題。
意外だろうが、ヘラクレスは恋多き人でもあった。また情の篤い人でもあった。狂わされ、我が子や双子の妹の子を殺してしまった。悔いても悔やみきれぬ過去がある。
12の試練、或いは功業。幼い頃に戻ったような気分で何度か聞かせて貰ったが、それらに彼は思うところは無いそうだ。それを課したエウリュステウス王やグルだった王達にも。あのヘラすら憎んでいないと言う。
やり遂げた事に意味があり、それをやり遂げたからこそ、罪を背負いつつも前に進めたのだと言う。彼は人格者だ。若かりし頃は粗忽者であったと自虐気味に話すが、憎しみと悲しみを捨てられたのは偉いと思う。
ただ──冒険の日々が懐かしいとだけ、酒を酌み交わしている時に人好きのする笑顔で話してくれた。
しかし、義妹のエルはヘラをトコトンまで嫌っており、wikiのヘラのページ内のHTMLや自社サイトのHTMLに、ヘラの悪口雑言をこれでもかというくらいに書き込んでいる。
一日に一体何千人、或いは何万人が閲覧するのかは知らないが、あの世界でのヘラは確実に呪われているだろう。サイトのカウンターが回るたびにニヤついている。
ヘラクレス。或いはヘーラクレース。偉大なる大英雄のその名の意は、女神ヘーラーの栄光だ。散々彼を翻弄したヘラ。その名が称号となっている。幼名、若しくは本名はアルケイデースだ。
なのでエルは、何時頃からか身内だけの時に彼をアルさんと呼ぶようになっていた。ヘラクレスに全幅の信頼を置いていた「イリヤ」とは違い、己がサーヴァントの敵はマスターの敵だと断言する義妹。ゼウスはもげろとかヘラはド腐れブスだと一日一回は必ず言う。
ファック ザ ゼウス! アスホール ヘラ! 本当に口が悪い。それを人の悪口はいかんと嗜めるヘラクレス。が、彼は間違いなくエルからアルさんと呼ばれる事を喜んでいるフシがある。
なので義姉も義妹のイリヤも、今はアルさんと呼んでいる。今やクロ達までが彼をアルさんと呼んでいる。人の世はなんとも不可思議だ。
ただ、エリュマントスの猪狩りの時に誤って、師であるケイローンを射てしまった事と、イザコザでポロスが死んだ事は今も悔やんでいるそうだ。
それぞれが射手座とケンタウルス座となっている訳だが、戦った後に空を見上げるクセはそれもあるそうだ。だがギリシアからケンタウルス座は見えないと思う。野暮なので指摘はしないが。
しかし獅子座にせよ蟹座にせよ、彼と関わる星座のなんと多い事よ。
時に半神とは英霊となっても記憶が消えない。座に蓄積される記録も全部自分の記憶として持っているのだ。それは彼がガイアの正英霊だからだけでは無いと思う。やはり神に近いが故だろう。
神話を紐解けばわかるが、彼はギルガメッシュより神の血が濃いのだ。確か11/16だったと思う。12/16なら3/4なので逆クォーターだ。エルは5/8チップだとか、危険な配合とかワケのわからん事を言うが。
そして彼は大昔の分岐が少ない時代の人なので、座の異なるヘラクレスなどまず居ないという話だ。つまり、彼はバーサーカーとして召喚されていた時の記憶をも持ち合わせているので、今まで出会ったイリヤを全員覚えているのだ。
だから、彼女を託した若かりし頃のどこかの私を覚えているし、第4のアイツも、6回殺した私をも覚えている。なので私を少年と呼ぶのだ。それだけに、こうして仲間となっている今が不思議でならない。
また彼は滅多に戦いには出ない。セイバーや私を鍛えてくれても、エルの作戦を補完する意見を述べる程度だ。
本来のマスターの義姉も、義姉が託し魔力を送る代理マスターのエルもそれで良しとしている。私もセイバーもそれは納得している。なぜなら、彼が出ると我々の出番というか、存在意義が失くなるからだ。
が、今回はアッサリとバーサーカーのカードと戦った。ある意味自分でもあるのにだ。
当初私は別の世界でチビと美遊という少女二人だけで勝っているのだから、チビもクロも居り、ここのイリヤに美遊が居れば楽勝とは言わんが割り合いイケると思っていた。
特にクロは私の能力を使えるし、私が買って出て鍛えている、謂わば弟子でもある。それに今回は47番も居る。しかしエルはそれを拒否し、彼もすんなり出た。
理由は明白だ。決して自分を喚ぶ事は無いだろう少女達──純真な子供達を、彼は護りたかったのだ。それは私やセイバーも同じ気持ちだった。
「カレーが楽しみだな?」
「ああ、12の12倍。144杯でも食べ尽くそう」
二人の大笑いが長い廊下にこだました。
物語の主眼には少女達の成長とアーチャーや衛宮切嗣の救済もあります。
ですが読み手に拠っては、それはどうなのかと思われる事でしょう。
それもあっての座の違いであり並行世界です。
このアイデアを作品の中にぽつんと置いていた原作は本当に素晴らしいと思います。