お昼休みを知らせるチャイムと共に私とルヴィアは弁当箱を持って2年C組を襲撃した。
今まさに開けようとしていた蓋を強引に締めて、衛宮君を拉致したのだ。
「ちょっと待て! 遠坂! ルヴィア! 一体何さ!」
「生徒会室で食べましょうよ。普段はそっちなんでしょう?」
「そうだけど。一成が今日は忙しいからって……」
「その仕事を含めて手伝おうとね。それに女っ気の無い部屋だから、私らが同伴してあげようって言ってるのよ」
「なんでさ! 意味がわからないぞ!」
「良いから、良いから」
「ホホホホホ、お気になさらず」
そうして私達はC組の他の生徒の視線も気にせず、衛宮君を引きずって生徒会室へと押し入った。
「ちょっ! 説明してくれ!」
「む? 衛宮の声? どうした衛宮!」
「あ~ら、生徒会長。ごきげんよう。今日は普段何かとお世話になっている生徒会長や衛宮君と親睦を深めたく、お昼をご一緒しようと馳せ参じた次第なのよ」
「な、何を企んどる! 女狐ども!」
机に積まれた書類を見て、凛が言う。
「何だ。各部長に話を通すようなものでもなし。単に生徒会の決裁を通すだけじゃない。それで柳洞君一人だったのね?」
「ええい! 勝手に書類に触るな!」
「衛宮君、エルヴァがね。正式に日本に残る事に決まったの。試験も通ったから近々編入して来ると思うわ。それを生徒会長と衛宮君に知らせたくてね。それで強引だったけど、他の生徒が居ないここでとチャンスを伺ったのよ」
「何だ、遠坂。それならそうと言ってくれれば」
「それが言えない事情があったのよ」
「何だ?」
「私とミス・トオサカのお弁当ですが、本日は彼女が作ってくれたのですわ。そしてシェロにはお友達と食べて欲しいと」
「そう。別口でタッパーを預かっているの。でもね、わかるでしょう? 衛宮君の友人やクラスメイトを悪く言うつもりは無いけれど、餌付けしちゃうと後が大変だわ。それで生徒会長なら色眼鏡で見ないだろうと、ご相伴相手に指名させて貰ったのよ」
「なるほど、納得だ」
「おい、衛宮? 毒でも入っているのではないか?」
「な?」
「まっ」
「一成、今まで世話になったな。今日限り絶交でいいか?」
「待て、衛宮! 何がお前の逆鱗に触れた?」
「この弁当に限って毒なんてあり得ない! だろう?」
「そうよ。これはね、ドイツから来たイリヤの従姉妹の女の子が、今後日本で、そして学園でお世話になるからって真心を込めて作ってくれた料理なの。肉気の欲しい男子高校生にと、唐揚げと生姜焼きが入っているのよ」
「一成、これも言っておこう。エルヴァさんの料理はプロレベルだぞ? それに妹のイリヤを可愛がってくれ、親身に勉強を教えてくれたり、家事や炊事を率先して手伝ってくれる素晴らしい人なんだ」
「そうですわ。シェロやイリヤの家では部屋が足りないと伺っていましたので、彼女には我が家で逗留して頂いているのです。ですが、甘えてはいられないと、自ら進んで毎日メイド達と混じって雑用を手伝って下さっていますのよ?」
「そう、そういう人なの。それと編入は3年生だから、1年しか無いけれど、それもあって柳洞君に話しを通して置きたかったのよ」
「む……。そのようなお人の手料理であったか。済まなかった、衛宮」
「ああ、わかってくれればいいよ。さぁ、食べようぜ」
そうしてお茶を淹れ机を囲み弁当箱を広げる四人。凛とルヴィアの弁当を見て刮目する一成。
「まるっきり、仕出しの幕の内弁当ではないか? いや、手作り感があるな。敢えてそう見せようと容器を入れ替えた?」
「生徒会長、がっかりだわ」
「これより凄い会席料理のフルコースを振る舞ってくれた事があるんだよ。その鳥唐、食べてみろ」
「む、そうだな……。な!? これは……?」
「な? 美味いだろう? 鳥唐は以前家で作ってくれたんだけど、大量にあったのにあっという間に売り切れだ」
「学校だからにんにくは入っておらんが、生姜とカラシか? 何かわからんがこのピリッとした味が後を引くな?」
「だろう? おまけにこれ胸肉だぞ? なのにパサパサせず、ジューシーで。けど外は適度にカリッとしていて」
「これってどう作るの?」
「柔らかくするために、重曹や塩麹に浸けるって方法があるんだ。ジューシーさを求めるなら、調味液に浸ける前に水に浸すとか。けれど、エルヴァさんは開いた肉をお湯に浸けて揉み洗いしてたよ。キッチンペーパーで拭いて、適度な大きさに切った後に調味液だったと思う。実は俺もまだ試してなくて、意味とか効果がイマイチわかっていなんだ」
「へぇ~。面白い事をするのね?」
「そうなんだよ。それに小学生の妹にも食べやすいようにって、別の味付けのも用意してくれるんだ。鶏肉をサイダーに浸けたりしてたぞ? あれも訳がわからないよ。けど、料理でアドヴァイスを貰えるとホントに嬉しいよ」
「いや、衛宮も負けておらんだろう?」
「オーソドックスな料理なら変わらないとは思うけど、さっきも話したようにプロ並みの腕だから専門的な料理だと完全に負けるよ。それに一般的な馴染み深い料理でも、そこから一歩二歩先のアレンジレシピや独自の味付けを持っていてな。ああいうのは基礎ができていて、基本がしっかりしている人しか作れないと思う。それに包丁捌きは見事だし。ガスコンロの火力調整に火と鍋やフライパンの距離が絶妙なんだ。こっちのタッパーには入ってないけど……遠坂? 悪いけど、一成にそのだし巻きを一切れ渡してくれないか?」
「良いわよ、どうぞ」
「で、では……む? 美味い。何より、このダシが……」
「な? 美味いし凄いだろ? 遠坂の弁当箱を見てみろよ。それだけジューシーなのに汁がほとんど垂れていないんだ。煮物の煮切りは慣れればできるけど、焼き物の煮切りというか焼き切りというか、言葉は知らないが、これは至難の業だぞ?」
「そうか……。これは衛宮に女性方両人。当方の見識不足であった。この通りだ」
生徒会長柳洞一成は深く頭を下げた。
その姿に凛とルヴィアは溜飲を下げると言うより、会っても居ない生徒会長を料理だけで落とすエルヴァに感心した。
と同時に、計画していた軽い意趣返しをここで行うと決めた。
「この生姜焼きも絶妙だ。柔らかいし、後を引く旨さだ。ああ、ご飯が足りぬ……」
「配分よく食べなさいよ。ね? 美味しいでしょう?」
「ジンジャーの風味が堪りませんわ」
「確かに。なんと言うか肉なのにくどくもなく、しつこさも無い。実に見事だ」
「だろう? 一緒に炒めている新タマネギが、肉の旨味を吸っているんだと思うぞ?」
「衛宮君。それだけじゃないわ。これお肉だけを先に炒めて、タマネギは後から炒めるの」
「え?」
「それで炒め終わったタマネギをキッチンペーパーに上げて、余計な脂を吸わせているの」
「ですわね。私達女性の事も考えて下さっているのですわ」
「なるほどなぁ~。そういう発想が男の俺だと中々できないんだよなぁ。どうだ、一成?」
「うむ、堪らん。美味過ぎる。家の料理が食えなくなるではないか」
べた褒めだった。
「それは措いて、弓道部女子のキャプテンって誰?」
「キャプテンって……。男女通しての部長は、そっちのクラスの美綴だよ。そして俺が副部長だ」
「そうなんだ? なら衛宮君。彼女を弓道部に誘いなさいよ。絶対にオリンピック級の腕だから」
「弓道にオリンピックは無いけどな。けど、よく見てるな遠坂。あの人は洋弓の人だと思うんだけど、和弓も上手そうだ」
「でしょ? でしょ? チャンスはこの1年しか無いのよ? しかも3年生だから実際の活動期間はもっと短いはずよ」
「ああ、大学受験とかあるしな。3年の引退は秋だけど、あの人ならいきなりレギュラーに入れるかもな」
ククク……。灯台下暗し。美綴さんに話しを付けて勧誘させようと企む凛。
そんなに上手くいくのかと懐疑的なルヴィア。ハイエナは鼻が良いのだ。それは危機に対しても。エルヴァという人間は魔術師であると同時に人間味溢れる人物だとルヴィアも思うが、何よりプライドを持った名門出だと、リンもわかっているはずなのにとルヴィアは不安になる。
『ミス・トオサカ、軽いイタズラの範疇を超えて反撃を受けた場合、私も保身に走らせて頂きますわよ』
内心、そう思うルヴィアだった。
しかし、お弁当が本当に美味しい。パクパクと食べられる。こんなに和食にハマるとは夢にも思わなかった。数年前の自分に言ってやりたい。倫敦であなたが食べているのはゴミだと。やがて箸がカツカツと空を切り底を叩く。いつの間にか空になっている事に気付き、ルヴィアは少し寂しい気分になった。
長い廊下の窓拭きや電灯磨きなど、ひと仕事終えた二人のエルヴァがお茶を楽しんでいた。
「あの、22-243を投影したのですか?」
「そうです」
「最悪ここのお父さんの礼装をバラす事になるのに?」
「ルヴィアと凛が外部に話す事はないと踏みました。それに中の人骨はコソボの戦場跡で拾ったものですし」
「その無念を抱いて死んでしまった人骨と、散った兵士が使用していた銃器を砕いた鉄粉を混ぜ、呪詛を掛けつつ活性化して弾頭に詰め込む。中った者は呪われ、傷が塞がらず腐敗を起こし、励起状態になっていなくとも魔術回路や刻印が壊死を迎え、呪われた遺伝子は子孫も望めない身体にしてしまう。作った自分が言うのもなんですが、よくあんな一族殺しみたいな礼装を作ったものです」
「あのお父さんからも絶対に使わないで欲しいと言われましたよね」
「ね?」
恐ろしい事をニコニコと談笑する二人。そこへ、こんにちはとクロとイリヤが現れた。
「まだ早いですよ?」
「けど、そろそろお米を浸けないと」
「ああ、ご飯は大量に余っているのでカレーだけでいいですよ。アルさんが食べ始めてセイバーが欲しがった場合は、私達で追加のご飯を炊きますから、あなた達はカレーにだけ専念して下さい」
「そうなんだ?」
「ええ、ちょっと大人味でにんにくを効かせた辛いビーフカレーです」
「その分、あなた達向けのカレーは私達で用意しますから楽しみにしていて下さいね」
「は~い」
「あのさ、黒いお姉ちゃん?」
とクロが47番へ声を掛ける。
「人を腹黒みたいに言わないで下さい。で、何ですか?」
「こっちに残るの?」
「ええ。だってそちらにはオリジナルの彼女が居るでしょう? 皆んなと別れるのは寂しいですが、私なりの新しい事もやってみたいし、ここのクロちゃんやおチビちゃんを支えてあげたいと思います」
「そっか……」
一番の理解者で自身を救ってくれたエルヴァが自分と同じ英霊の写し身となった。白いエルヴァは勿論大好きだが、黒い彼女とせっかく会えたのにと寂しくなったのだ。そしてそんなクロの気持ちがわかるイリヤが共感して、早々と一緒に来たわけだ。
まだまだ子供だなとほっこりした二人のエルヴァは、クロとイリヤの手を握ったり頭を撫でたりした。
「ごめんなさいね。けれど4~5回もキスされますと」
イリヤがハッとする。
「お姉ちゃん? もしかしてここの私が?」
「そう。おチビちゃんと同じで朝が弱くて何度か起こしていたのです。その時に、お兄ちゃ~んと」
「あっちゃ~。美遊とお姉ちゃんが入れ替わってる?」
と、クロの指摘に褐色のエルヴァが頷く。
「しかも3回目以降はお姉ちゃ~んと言ってましたよ」
「同じイリヤでも違うね?」
イリヤはガ~ンと来た。大勢いる姉達の言動でわかっていたつもりだったが甘かった。並行世界を渡るとこれだけ違うのだ。
「お兄ちゃん子が、お姉ちゃん子に変化したと?」
「いえいえ。まだまだ子供で依存度が高いだけだと。ですが、私を挟む事で視野が広がればと思っています」
「それは良い事ですけど、こちらのお母様、あなたと士郎クンをとか考えたりはしませんか?」
「あれ、ママの冗談でしょう?」
「ああいう時に本音が垣間見えるものなのですよ、クロちゃん」
「けれどクロちゃんの指摘通り、私にその気はありませんよ。お母様も無理強いはしないでしょうし」
「でしょうね。けれど総裁の肩書が失くなる訳ですから、こちらのお母様の干渉はある程度覚悟する事ですね」
「フフフ……お見合いさせられたりして?」
「あなた。ここの両親のためにと、くだらない政略結婚を自分で組まないで下さいよ」
「それは最後の手段です。ま、縛られない身体になりましたので、彼氏は欲しいかな?」
「……避妊はちゃんとしなさいよ」
「また、大人の会話をするし」
「けど、今回は電波発言がほとんどないよね?」
「さすがにね」
バリバリの魔術師は、身内だけだと空気を読まずシモネタを話し始める。それは幼い頃から子を成し、子孫に繋ぐ事が最大の功績だと教えられているからだ。エルヴァが一族の目下や妹達に優しいのも、その延長上にある。
以前、アインツベルンの魔術師でありたいとクロから切々と訴えられたエルヴァは、総裁候補となれるようにクロを養子に迎え、親身に魔術や社交界の常識を教えている。
家族の中では姉妹だが、二人は師弟の関係でもあるのだった。ただ、この避妊発言には別の意味があった事に気付いたのは、言われた褐色のエルヴァだけだった。
エーデルフェルト邸、1階執務室。
玄関ホールの脇にある、第一執事オーギュストの事務室兼電話室である。よってメイド長なども外部からの電話を取る場合を考慮して、電話室は出入り口が廊下側と室内とで二箇所ある。
そんな電話室の横手に簡素な談話室があった。出入りの業者との雑談やメイド達の休憩室として使われている小部屋だ。
そこに現在、二人の王が詰めていた。どこから持って来たのか、紅茶とケーキをパクつきつつ談笑している。先程からメイド達の苦情が耳に届いているが、あの二人に出て行けと言える勇気がない。
相手は人智を超えた英霊だ。自分が殺される分には構わないが、万一の被害を考えると、美しく成長されたお嬢様を困らせる事だけは避けたい。
オーギュストは経験豊富な執事ではあるが、しがない中間管理職でもあるのだ。なのでメイド達には第3会議室を使えと指示してある。
ため息を吐きつつ二人の女性を恨めしく見ていると、男性の声が耳に入った。
「どうしたのかね? オーギュスト」
「ああ、アーチャー様。これは……」
そして振り向いて腰が抜けた。英霊と思えないほど話が比較的通るアーチャーの後ろに、身長が2メートル50センチはありそうな大男が立っていた。
お嬢様からはヘラクレスであると聞かされているが、本当か? 実在したのか? そんな神話の超人が圧倒的存在感を放ちながら、オーギュストの向こうに見える女性達を見てこう言った。
「ああ、邪魔なのか? 場所を空けさせようか?」
「い、いえ! 滅相もない!」
何を言っているのだ私は。もしかしたら千載一遇のチャンスだったかもしれないのに。
「遠慮するな。おい、セイバー。貴様らがその部屋に籠もると執事が困る。早々に場所を空けろ」
ああ、終わった……。長年お世話になりました、お嬢様……。
あなたがお生まれになってから、このオーギュストが身の回りのお世話と雑務をお手伝いさせて戴きましたが、それも今日限り。せめてあなたのお子様を一目見たかった…………。
「泣くなオーギュスト。セイバー、ここは執事やメイドの休憩室だ。早く空けろ」
ヘラクレスに続きアーチャーからも場所を空けろと言われ、やっと不味い場所だったのかと気付く王様達。
涙目の老執事を残し廊下に出た。
「君達な、場所をもっと考慮しろ」
「む? 邪魔にならぬように心掛けたつもりでしたが」
「だろうとは思うが、この家はルヴィアの私室と客室以外はすべて執事とメイドの戦場だ。先にオーギュストに空いている部屋は無いかと訊くべきだ」
「なるほど。あの家とはかなり違いますね?」
こちらのセイバーが思い浮かべるのは記憶にある衛宮の武家屋敷だろう。
確かにキャメロットにせよかつての家にせよ、セイバーにとってはオープンなスペースであったに違いない。対して、もう一人のセイバーはエルのビルの一階にある談話室を思い浮かべたのかも知れない。
あそこはパーソナルな空間とパブリックな空間がキチンと別れており、それはセイバーも守っていた。
「アーチャー? 私は間違いましたか?」
「間違ったと言うか、勘違いだな。そこはホール脇にあるから、あのビルの談話室と似ているが、電話の本体があったろう? 謂わば小次郎の管理人室兼清掃作業者の憩いの場、あれと同じなのだよ」
「ああ、なるほど。談話室では無かったのですね?」
「そうだ。この家は談話室の代わりに応接室が幾つかある。そこをオーギュストに尋ねるべきだったな」
「なるほど。現代は難しい」
「あなたが大丈夫だと言うから」
「すみません。私の思い込みでした」
「しかし、ケーキと紅茶はしっかり手放さんな」
「そ、それは。ヘラクレス、失礼ですよ」
「君はエルの第一従者だぞ? マスターに恥を掻かせてはいかん」
「あ、あう……。すみませんでした……」
オーギュストは去っていく四人の会話を聞いて、意外なまでの忠誠心と不思議な序列に驚いた。
「それで、君達は一体何を話していたのだね?」
オーギュストが指定した応接室で話す四人の英霊。
「それはここのシロウについてです」
「ああ、先日の食事会で会った彼か」
「ええ。彼を見て不思議というかなんと言うか……」
「物足りなさと、安心感だな。私も色々感じたが、干渉はせん方が良いぞ?」
「うむ。私は会っていないが、少年とは生い立ちも目指すものも違うのだろう?」
「そうですね。彼は余りにも普通の人間だ」
「そうだ。だから我々と関わりを持たない方が良いのだ。なるほど、悩んでいたのはこちらのセイバーか?」
「はい、私です。今後の交流で下手な影響を与えはしないかと……」
「君はここのジイサンと、アイリスフィールの気持ちも考えてくれているのだな?」
「はい。世界は異なれど、二人とも私とは縁の深い人物です。なので……」
ここで召喚されたセイバーは、悪影響が起きないかと心配なのだった。
「そうだな。君は立場上どうしても彼と会う機会は多いだろう。なら、その懸念も尤もだ。しかし、エルをそこらの召喚者と同列に考えてはいかん。あいつなら君の心配事の先の先まで既に考えているだろうからな」
「そうなのですか?」
「ああ、保証するよ」
「うむ。私も保証しよう」
「だから言ったではありませんか。マスターは常識的な人ですよ。そしてそれはあなたのマスターも同じはずです」
と、もう一人のセイバーが言う。
「ただしブチ切れた時は悪魔だがな」
「どういう?」
「例えば君が楽しみにしていた唐揚げを横合いから摘む奴が居たとする。君ならどうするね?」
「む。断罪は第三者立会いの下か司法に任せるか。現代ではおおよそそうなるのでは?」
「それが無難ではありますが、エルが機嫌を損ねれば、誰も認識できない結界を張ってフルボッコですよ。もちろんその場で治しますし記憶も弄るのですが、魂と深層意識は死ぬまでその拷問を忘れません。しかしその後の、その者の行動が好結果ばかり残すので否定もしづらい」
「それは?」
「上は魂の改竄。下は掌握。呼び名は便宜上で特に意味はない。しかし、エルヴァはこういう人心操作の魔術を誰よりも得意としている」
「大聖杯の知識が残っているのなら、バタフライ効果という言葉がわかりますか?」
「ええ、わかります」
「それを人為的に行えるチカラと目を持つのですよ」
「はい?」
「例えば、ある世界で大きな戦争があったとする。その原因は複雑に絡み合い、これと特定する事は困難だ。しかし何事も遡れば、これというものはやはりある。そういう遠因を前以て取り除く、或いは隔離した場合どうなると思う?」
「は、はい? それを彼女はできると?」
「そう言っている」
「バ、バカな!?」
「そういう神にも近い眼を持つのがエルなのですよ」
「本当に?」
「本当です。しかし彼女はまだ18歳前の学生でもあります。なので一時の感情で動く事もままあって」
「そうなのだ。キレた時は最悪だ。窃盗犯の腕の神経を切断、或いは壊死に至らせる場合もあるからな」
「そう。それに彼女は紛れもないキリツグとアイリスフィールの娘です。時計塔の地下に封印されしエミヤの家の魔術刻印を視認だけで記憶し、キリツグのそれと併せ完全に復刻している。また調整がイリヤスフィールとは異なりますので、運動神経が抜群です。洗練された強化魔術で100メートルを3.8秒で駆け抜けられる。それを体内に固有結界を張り巡らせ、48倍で行動。マッハ3.7で移動します。これはクー・フーリンのランサーよりも速いのです」
「な?! それが人間に可能だと?」
「可能だ。極小泡沫空間という極小の異世界発生は、宝具を持たないそちらのエルヴァには不可能と思うが、魔力さえあれば瞬間高速移動は可能だろう」
「はぁ?」
「つまりだな。イタズラや意趣返しに何かをしても目に見えないし、認識できないのだ。ま、マッハ3.7は滅多に出さんよ。魔力を無駄に食うし、衝撃波でエラい事になる。それに空間転移の魔術が使えるからな」
「空間転移……大魔術では?」
「そうです。神秘がまだまだ残っていた私達の時代でも、これを使えるメイガスは滅多にいませんでした」
「また、速さだけの話では無いぞ? 先程も話した掌握に記憶改竄。こういうのを平気で使うからな。私とセイバーが危惧しているのは、君のマスターもほぼ同じ能力を持っている点だ。確かに印象は我々のエルヴァより大人しくは感じる。しかし、そういう奴だとは知っておくべきだ」
「まさか……彼女が……」
「にわかには信じられんくらい、君のマスターは良い面しか出していないのだろう。それが乖離による個性の違いなのか、環境による変化なのかはわからんが。しかし、キレた時の掌握や改竄には気をつけ給えよ」
「笑いながら、あの神父がギルガメッシュを刺すレベルですからね。つまり、誰もが刺客になり、裏切り者となる訳です」
褐色のエルヴァのセイバーはゾッとした。
「そして誰よりも魔術師であり、我々のような大昔の人間にもわかる理念と行動を、この現代に於いても執っている。これを貫き通せる能力は生半可では無いぞ?」
「その能力があるからこそ、あの子は不殺の誓いを今だに守り通せている訳だ」
「そう、あれだけの魔術師なのに、今までサーヴァントや死徒、ゾンビ神父以外は誰もその手に掛けていないのです」
「また、根っからの商売人なので口が上手い。無貯金・無年金・無職の生活保護予備軍の唱える正義とは何だ? 働くバカほど邪魔なものは無い。料理も心のこもらぬ下手の横好きとまで言われたよ」
「キリツグも泣かされたそうですから」
「ま、当たり前だが平和は武力のみでは得難いものだ。万民を納得させられるのは、昔も現代も現金だろう」
「古代ギリシアの大英霊に現金と言われるとやるせないが、慈善活動を行うにせよ、戦争を起こすにせよ、金が必要なのは事実だ」
「私とて否定したいですが、軍費に泣かされ騎士に与える報奨すら事欠くありさまでしたからね。軍費を計上する前に人件費を計上しろと叱られましたよ……」
「それにエルは儲けて得られた金を様々な慈善活動を行っている自分の財団に回しているし、外部の慈善団体に寄付もしている。また志を等しくする専門家ばかりリストアップしたネットワークを運営し、事務所には精鋭の職員も働いている。以前の私やジイサンみたいな個人活動家より、多くの人々を確実に救っているのだ。この事実は覆せんよ」
セイバーはぽかんと口を開いたままだった。
「人の欲にキリは無いが、ある一定ライン以上の収入、若しくは蓄えのある人間は無駄な争いをしない。もちろん社会の成熟度、保障の充実度なども必須だが、それらを支える社会構造も教育で変わって行くものだ。あの子の財団はその教育関係に特にチカラを入れているのだ。また、経営している会社は幾つもあるが、食料関連が一番社会に浸透している。『倉廩実ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る』はエルの根幹を成す思想だ」
「一番わかりやすい。王が男か女かより、誰がどう導いてくれるのか。どういう社会になるのか。現代に必要なのはそれだけです。良い時代になったものです」
「それがマスターの考え方?」
「全部ではないし、それだけに固執しているのでもないがな。だが、スローガンはシンプルに。あの手この手を考え、打てる手は打てるだけ打つ。これは何にでも言える事だ。そして仕上げは心静かに座して待つ。某家では家訓になっているな」
「クク……人が悪いですよ、アーチャー?」
「どういう意味ですか?」
「知らんかな? 『どんな時でも余裕を持って優雅たれ』とか『遠坂たるもの優雅であるべし』とか?」
「は? それはリンの家の? あの快活で明快な彼女の家の家訓? 想像できませんが」
「ク……クク……ブワッハハハ。君の知る彼女のそれは、魔術師としての夜の顔だよ。学園や近所の街での評判はかなりのお嬢様だ」
「なぜそんな使い分けを?」
「そのペルソナが無ければやっていけなかったからだよ、セイバー。たった一人残された彼女は家の格を護る事こそが、亡き両親への感謝であり、養子に出た桜への贖罪でもあったのさ」
「もっと注意深く見てあげて下さい。優れた人物ではあるが、彼女もまた中身は成人に至らぬ少女ですよ」
何が言いたいのかわかりずらい部分もあった話だが、彼らの願いは年長者として、マスターのエルやリンにルヴィアを見守って欲しいのだと理解できた。
確かに三人とも若いのに才能がある。そしてその能力は武器であり凶器でもある。奇しくもそれは己がマスターのエルが、夜の公園で話していた事に近い。
「それは私も感じていましたが……」
「良くも悪くも現代人だからだよ。魔術師とは一つの事に身命を捧げるものだが、年頃の子に現代は誘惑が多い。切り替えねばやって行けないというのはそういう意味もある。品行方正・文武両道・成績優秀・才色兼備・天姿国色・晶瑩玲瓏……これが私の記憶にある遠坂凛を飾る言葉だ。しかし、考えてもみたまえ。これらは寝る間も惜しんで学業や魔術の予習に復習、自己鍛錬の運動などを絶えず行っていたからこそだ。誰だって与えられた時間は一日に24時間しかない。そんな中で毎日の食事に風呂や掃除。それらが終わってやっと工房だ。どれだけ影で努力して来たか。つくずく頭が下がるよ」
「そんな現代に於いて、英霊に至った少年の異常さが際立つな?」
「まったくだ。学生の頃はそんな彼女の表向きの顔に憧れたものだが、私の異常さを真っ先に指摘してくれたのも彼女だったな」
「リンはバランスが良いのですよ」
「だな」
「うむ」
これにはセイバーも納得だった。ここのリンの事はあまり知らないが、彼女も縁の深い人物だ。
何ができるかは不明だが、役立てる事があるなら手伝おうと思った。
「もう一点、凛について話しておこう」
「何をです?」
「名前だよ。下が禾の『凜』という文字が人名用漢字に入ったのは1990年。示すの『凛』は2004年、つまり今年だ」
「どういう意味ですか?」
「この日本では、戸籍に使える漢字には制限があるのだ。禾の『凜』が戸籍に使えるようになったのは1990年なので、現在13歳以下の子供ならあり得る名前だ。しかし示すの『凛』が使用可能になったのは今年なのだ。彼女は生まれたての新生児か?」
「そういう事ですか……」
「そうだ。これは我々の方の凜にも言える。どう見ても、あの子は13歳では無いからな。魔除けか願掛けかは知らんが、彼女達──いや、並行世界の全ての凛には、その親の時臣と葵だけしか知らぬ真名があるはずだ」
「あ……」
「これはエルの推測だが、協会に所属する正統な魔術師の家系で年子の姉妹は珍しい。つまり彼女は出生の頃、一度何らかのアクシデントで死に掛けたのではないかとな」
「彼女の五大属性がどうとかも話していましたね?」
「ああ、稀有な属性は赤子に対して負担が大きいのだろうな」
「それ故に次女が……。ああ、その死に掛かった不幸を祓うために新たな名が?」
「そうだろうな。戦国時代の武将の家だとこういう幼名というのは結構あった。よくよく考えると母親が葵、妹が桜。どちらも植物の名だ。きっと凛の本名も植物にちなんだ名前だったのだろう」
「エルはランではないかと話していましたね。魔除けもあるだろうからと本人には話していませんが」
「音も似ているしな。私も『蘭』だろうと思っているが、真相は不明だ。また日本ならではの陰陽五行思想が関係するとも聞いたな。葵の実家はその昔、魔術とは限らんが、何か神秘と関わりがあり水系の家だったそうだ。そして、葵の字から草冠を取れば癸。これも水に関係ある。そして凛の字も水。植物の名として捉えるなら葵に桜が木。遠坂の家系属性は火。水と火は相剋であり、木と火は相生の関係にある。こういう考察にも意味があるのだよ」
陰陽五行はいざ知らず、幼名や改名に関してはセイバーにもわかる話だ。
かつてのマスター、キリツグには明かさなかったが、シロウにだけ明かしたアルトリアという名。それも王である時は、呪詛除けに誰にも明かさなかったのだ。
セイバーは思う。今学園に行っている、リンという少女を────。
かつて出会った鮮烈な少女と似た、並行世界の少女を────。
「お邪魔しま~す!」
元気な少女の声。手には大きな皿を抱えている。
続くもう一人の少女の手にも大きな皿が。どちらの皿にもカットしたリンゴが山盛りだった。
「この後、カレーを作るでしょう? 肩慣らしにイリヤと別れてリンゴを剥いていたのよ」
「何を言ってるの? お姉ちゃん達を巻き込んで勝手に勝負にして。クロは調子にノリすぎ!」
「それでこの山盛りのリンゴか。どっちが勝った?」
「私が辛勝。お姉ちゃん達は互角なんだけど、何で私に調理技術が降りてこないの!」
「知らんよ。干将莫邪をナイフ並みに小型にしてみればよかろう」
「やったよ。けどイリヤより2コ多いだけだった」
「君は自我が強いからなぁ。憑依経験が反映されづらいのだろうなぁ」
「少年の調理技術が反映されてはクロの修行にはならんだろう? 悪影響も考えられるから、エルがある程度切っているのではないか?」
「ああ、お姉ちゃんならそういう事をしそう」
「それで、どういうチームで別れたのだ?」
「私が黒いお姉ちゃんと組んで、イリヤがエルお姉ちゃんと」
「あの二人は相性が悪いの?」
「逆だろう。元が同一人物だから相性が良過ぎて暴走するのではないか? このリンゴ、どう見ても一人50コは剥いているだろう?」
「うん。二箱使い切ったって」
「まぁ、セイバーがいるから大丈夫だよね?」
「どういう意味ですか!」
そんな少女を交えた談笑を眺めつつ不思議な気分になる、こちらのセイバー。
「二人は本当にイリヤスフィールなのですね?」
「ま、名前は妹に譲ったけど、セイバーのイメージするイリヤという意味なら私だね」
「フ……。妹確定もショックだったけど、名前も体も借り物だったなんて。溺死してこようかな?」
「だぁ~~~っ! 何でわざわざそういう言葉をチョイスするっ!」
「イリヤ、君が溺れそうなら私が泳ごう。水が邪魔なら飲み干そう」
ニコリとすれば歯が光る。
「優しいな、アルさんは」
「それでアルさん? ここのイリヤは良いの?」
「幸せになって欲しいし、護れるなら護りたいが、それはここの親や兄の仕事だろう。頼もしい姉も増えたしな」
「そうだね」
クロはエルやヘラクレスと出逢い、変わった。妹を思い、ここのイリヤの事も考えている。その成長を嬉しく思い、ヘラクレスはクロの頭を軽く撫でた。
「それに揉めそうなのは時計塔だったか? ふ~ん……。少年、別に潰しても構わんのだろう?」
「あなたがそれを言うか……。洒落にならん。背中に鬼の顔が浮かんでいるぞ?」
「ちゃんと服を着てるだろう?」
ヘラクレスの下半身はジーンズで、上半身は黒地のTシャツだった。胸には『無敵』と白抜きで描かれてある。だが、その文字は、はち切れんばかりの胸筋で文字が間延びしていた。
袖も太い腕でパンパンだ。そして、その上に白い毛皮のベストを羽織っていた。
この毛皮────とある世界で、黒い甲冑の騎士と白い甲冑の騎士を連れた少女が飼っていたペットだったそうだ。それが人を襲い、喰っていたので殴り殺し、その場で皮を剥いだのだとか。
大人なのに止めもしない騎士の二人は、二度と鎧が脱げないほどぺしゃんこにしてやったという。
従者を全部斃された金髪の少女が逃げようとしたので取っ捕まえ、連続72時間も説教したらしい。あの世界では何かの序列が確実に変わった。
これを聞かされたアーチャーは、未だにこの件を義妹に報告していない。してはならぬ気がするのだ。
「それより少年。ルーは何を使うのだ?」
「こちらでスパイスから合わせると言ったのに、ジャ○カレーの辛口とゴール○ンカレーの辛口に、適宜香辛料を混ぜろと指示があった」
「ああ、それが私の好みなのだ。君達と食事をともにする機会は少ないが、以前この子達が作ってくれてな」
「あぁ、それでか。なるほどな。足りたのか?」
「正直、量は物足りなかった。しかし、気持ちで言えば最高の味だった。現代の食事は何を食べても美味しいが、カレーは中でも一番好きだ。だから今日は本当に楽しみにしている」
「そうか。腕が鳴るな、クロ、イリヤ?」
「そうだけど。大量に作るって難しいだろうな」
「お姉ちゃん達やアーチャーのお兄ちゃんもいるし、きっと大丈夫だよ、クロ」
「ああ、大丈夫さ。ただ、慣れた頃が一番手を切りやすい。包丁の扱いは気をつけろよ」
「は~い」
なんとも微笑ましいシーンだった。
やがて学校から美遊とイリヤが帰って来た。イリヤは既に家で着替えている。美遊が着替えるのを待って、早速、全員で厨房に向かった。
「アルさんとセイバー達は残れば良いのに」
「そう思ったのですが、なんとなく……」
「あなた達がどうやって作るのかを見たかったのです」
王様は気になって仕方ないようだった。厨房にはエルヴァ達が居た。アーチャーが説明役を買って出る。
「ビーフカレーだから簡単だ。まずはタマネギを剥いてクシに切り、炒めるところからだな」
「炒めるの?」
「その方が香ばしさとコクが出ます。ですが、甘くなりますので、今日は炒めなくても良いですよ。今日のはアルさんへのカレーですから。同じ火を通すならお肉の方です。それで表面を軽く焼き固め、肉汁や旨味が外に出ないようにします。香り付けに、スライスしたにんにくと一緒に焼きましょう。タマネギは半分剥いて、もう半分は擦り下ろします。そこにバターとワインを入れて練り込んで暫く置きます。ジャガイモは皮を剥いて適度な大きさに切り、レンジで軽く温めた後、フライパンで炒めましょう。こうすると型崩れしずらくなります。人参はお肉を焼いた後のフライパンで炒めれば、こちらにも香りが移り良い感じになりますよ。そしてこれらを全部鍋に入れて、ブイヨンと香辛料で煮込めば」
「煮込み終わったら火を止めてルーだね?」
「そうです。仕上げにチャツネを入れても良いですが、下手に凝らずパッケージ裏の手順を基本に作るのが、今のあなた達にはベストですよ。今回は水を入れますが、トマトカレーや、タマネギ増量なら無水カレーも鍋を変えれば作れます」
「寸胴サイズの無水に使える鍋は無いでしょう?」
「ありませんね」
エルヴァのアドヴァイスを真剣に聞く少女達。それぞれがエプロンや三角巾を着けている。
「無水もいつかは食べたいものだな」
「その鍋が幾つ必要かだな」
「投影できないのか?」
スッと寸胴を見やるアーチャー。
「アルさん、アーチャーのお兄ちゃん、寸胴を解析して頭の中で設計図を引いてるよ~」
「スマン。いらぬ事を言ってしまった。少年、子供達の指導の方をだな?」
「あ? ああ……悪かった。包丁に不慣れな者は?」
「は~い……。あ、あれ? 私だけ?」
ショックを受けるここのイリヤ。それを見てクロが言う。
「ピーラーでジャガイモと人参の皮を剥いてよ」
その横には包丁だけでするすると皮を剥く美遊。
もう一人のイリヤとクロは人参の皮をピーラーで縦に剥き、ジャガイモは軽く洗った後、皮付きのままレンジに入れた。
タマネギは上下、4/5ほど切り込みを入れ、その上下の部分を持って切れていない側に引っ張る。そしてズルンと茶色い皮を一気に剥いた。
クロがタマネギを切っている間、イリヤはレンジからジャガイモを取り出し、皮をニュルンと剥き、クロの方へ回した。
「あれ? 説明と違うよ?」
「あの方法も正しい」
「そうなの、美遊?」
「ジャガイモが男爵だからよ。メークインなら先に皮を剥いても良いけど」
へぇ~と感心するここのイリヤ。クロは包丁を投影する。
「想定が甘いな」
「え? ダメ?」
「いや、随分と巧くなったよ。だが、これでは君の良さが出ていない」
「どういう事?」
「君は私とは違うのだから、切れ味よりも切りやすさを求めるべきだ」
「わかんないよ」
「相変わらず言葉足らずな男ですね。クロちゃん、どんなに切れ味が良くても、熱の通ったジャガイモは刃にくっつくでしょう? 穴を開けるなり、凸凹を付けるなりして、楽に切れるようにしろとお兄ちゃんは言いたいのですよ。想定とは出来の良さだけでなく、何に使うのかも含まれる訳です」
「ああ、なるほど。同調開始(トレース・オン)────こんな感じかな?」
「そうだ。こういう包丁も売り場で良く見ておけよ。するとこういう事ができる。同調開始(トレース・オン)──」
鎌型の菜切りにディンプルが付いていた。市場にありそうで無い包丁だ。それを真似てクロも投影し直す。
「あ、ホントだ。くっつかないし切りやすい」
「だろう? そういう工夫を覚えると応用が利く」
「うん、そうだね」
「ねぇねぇ。次は何をしたら良いの?」
「そうねぇ」
クロの指示で、こちらのイリヤは残りのタマネギをおろし始めた。
「涙が出る~」
「涙は心の汗だ! 思いっ切り流せば良いのさ!」
「真っ白い方の私、面白い事を言わないで下さい。タマネギは冷やしたのになぁ」
「幾ら冷やしても、おろすと細胞が潰れるので切るより硫化アリルが出るのですよ。あと、この子の身長も考慮しませんと」
「ああ、なるほど。ガス発生源に近いから」
「ちょっと可哀想ですね。手を洗って目を洗いなさい。少しバトンタッチしますから」
「お願いします……」
「落ち込まなくて良いですからね。私達も子供の頃はゴーグルをしながら切っていましたから」
「そうそう。揚げ物でもゴーグル必須でしたね?」
そこでクロが訊く。
「跳ねるから?」
「それよりも、油を含んだ湯気が肌にクルのです。特に姉さんが」
「ああ、イリヤお姉ちゃんは肌が弱いって言ってたもんね」
「湯気だと踏み台があってもダメですね」
と、美遊。天ぷらにフライ、今まで散々経験して来た事だ。
「その踏み台はお兄さんが?」
「はい。兄にずっと料理を習ってきました」
「優しいお兄さんですね」
黒いエルヴァが優しく美遊を見ている。美遊も少し顔を赤らめながら見つめている。
クロとイリヤが顔を見合わせる。こんな事を美遊が話すほど親しまれているとは。やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんだなぁとイリヤは妙に納得した。
それとは別にクロは、褐色のエルヴァの方法に感心した。クロ自身が以前の世界で、何も話してくれない美遊に困ったものだと思っていたのだ。
きっとあの姉は、美遊の兄の名をわざと聞かず、ただ兄が居たという情報だけを引き出し、そこを取っ掛かりに美遊の心の壁を少しずつ崩しているのだ。
料理の思い出────。きっと一緒に作って、色々教えてもらったのだろう。
美遊と兄の関係性が見えて来る。なに気ない会話から、これだけの情報が得られる。さすがだなと思った。
「練炭でも買って死んでこいと言ったら、サンマが安かったからって買って帰って来た、うちのドグサレ兄貴とは違いますね」
「大根を買うのを忘れてな。ダメな兄貴さ」
「アーチャーのお兄ちゃんって、結構タフだね?」
「そうでもなければやっていけないだろう?」
「うん。あのお姉ちゃん相手だとね」
「その分、巫女のお姉ちゃんが優しいんだよね?」
「どうだかな。結構厳しい事も言うぞ? 身体の小さかった頃からアグレッシブな性格でな」
「下手に言い訳したらバチコ~ンですよ。一回は自分が我慢するとか折れるとか、あの姉には絶対にありませんから」
「な? エルやイリヤが居なければ、私はとっくに摩滅だ」
「よく言う。大喧嘩の果ての言い争いで、やっと本音が言えたのだろう? あの子は嬉しかったと話していたぞ」
「ザマァ」
「ざまぁって何だ。クソッ、嵌めたな?」
「嵌めるも何も、すべて世は事もなし、ですよ」
それ聞いたイリヤとクロが問うた。
「こともなしって何?」
「不妊症?」
「何いってんだ、この妹は。何もやることが無いほど満たされていて幸せって意味ですよ」
「微妙に合っているような合っていないような……」
そう呟く美遊の手は止まっていない。
いや、自分以外の全員の手が止まっていない事に、目を洗い終わったイリヤは驚いた。美遊は今更だし、エルヴァお姉ちゃん達は当然だと思うが、クロエお姉ちゃんともう一人の自分が結構上手だ。
「皆んな凄いね?」
『皆さん、何度もお料理をされているからですよ。イリヤさんはこれからがスタートですよ?』
そこへ、フヨフヨと別の五芒星と六芒星が漂って来た。
『こちらのイリヤさんも最初はそんなものでしたよ』
『全部エルヴァ様からですか?』
『いえ。あちらは姉妹が多くて。エルヴァさんの双子のお姉さんも料理上手なんですよ。その方もイリヤさんなんですけどね』
『姉妹が多いとは仰ていましたねぇ。イリヤさんが四人いるとか』
『四人もですか?』
『こうして私達やサファイアちゃんが居るのと同じですよ』
「真っ昼間から天井付近でアハァ~とかウヘェ~とか、気味が悪いですね」
「悪魔の井戸端会議」
「それは黒ミサ? サバト?」
『失礼な。エルヴァさんが二人も居らっしゃると敵いません』
『ああ、それで姉さんと違ってそちらは大人しいのですか?』
『ってか、そちらのサファイアちゃんはどうなったんですか?!』
『末の妹さんの玩具になっています。仲が良いので問題はありません……』
ルビーは察した。人質に取られていると。
「ああ、明日の朝ご飯にサバ納豆を食べましょう」
「姉さんがやっていた水煮の?」
「そうそう。それで味噌煮はどうでしょうね?」
「それですと醤油が要りませんね。確か山形のひっぱりうどんがそのレシピですよね?」
「あ、ひっぱりうどんでしたか。つけ麺風も良いですし、カイワレやラディッシュの薄切りをちらした冷やし中華風も良いなぁ」
「そうですね。そこに黄身を落とせばぶかっけよりも美味しそうです」
「ね?」
子供達だけではおっつかないからと手伝っているエルヴァ達だが、カレーと全然違う料理? の話をしている。
「サバ缶か。学生時代、バイト代が入る前はお世話になったな」
英霊の学生時代って何だと、アーチャーの正体を知らない美遊は思う。
「スーパーの特売で買ってあった、買い置きのサバ缶に薬味と麸や揚げ玉だけの味噌汁でしのいだなぁ」
美遊はどこか遠い目で貧乏話をしているこの人は日本人なのかと驚いた。イリクロとイリヤは、どこまで行ってもお兄ちゃんはお兄ちゃんだなぁとため息をはいた。そんなアーチャーを生暖かい目で見るエルヴァ達。
「そんなに困っていたとは……」
「どうされました? リンゴが足りませんでしたか?」
山盛りのりんごが半分失くなっていた。二皿のうちの一皿を食べ切ったらしい。
一応、残してくれているつもりなのだろうが、フォークは新しい山を崩しに掛かっている。
「そうではなく。私は……恥ずかしい話ですが、前のマスターから断食せよと言われた事があって」
「なるほど。聖杯を欲したのは私。被害を止めたいと言ったのは彼。そして召喚者なのに魔力が足りなかったのも彼です。等価交換の原則から、彼の食事提供は当然です。それがあればこその信頼関係であり協力関係ですよ?」
「シビアですね?」
「ご飯は炊くが、海苔の佃煮とふりかけだけで耐えてくれと言われましてね。その時に彼と膝詰め談判したのです。キリツグの遺産を食い潰せないと言われましたよ」
「それはまた随分と。なんと言うか、意外と込み入った事まで話せたのですね?」
「ええ、何度も何度も言い争いましたよ。遺産も立派な軍資金です。軍費を費やさず、平和を望もうとは虫が良すぎると。あの時は大喧嘩でした。何度もリンやアーチャーに仲裁されましたね」
声には出さないが、懐かしいなと思うアーチャーだった。
「そうでしたか。そこまでの喧嘩は無かったが、彼が森の城で捕まったのも、食料品を盗むためでしたね」
「はぁ?」
「ま、待て! 君の方のアイツは盗みに行って捕まったのか?」
「はい」
大量の肉を炒めながらアーチャーが割り込む。驚いた。さすがにこれは記憶に無い。
「何があった?」
自分から死地に特攻するのは衛宮士郎らしいが、食料品を盗みに行くとは何事だ?
きっと借りに行ってそのまま拉致されたのだろうと、脳内補完しておく。
「何って。とにかく糧食が全然足りず、にっちもさっちも行かなくなったのです。その前にサクラが今まで散々食べておきながら、何も返していないとの情報を締め上げたタイガから聞き出せたので、サクラの家に食料を分けて貰おうと伺ったのですね。そこでライダーと鉢合わせしたので斬って棄て、ブルブル震えるワカメみたいな少年からお金を調達し、焼き肉を食べました。あれは美味でしたねぇ」
「巻き上げた金で焼き肉……」
一瞬、慎二なら良いか考えてしまった己は汚れた大人だ。何よりアイツは金持ちだった。
しかし、かつての友がカツアゲされていたとは。ブリテンよ、それで良いのか……?
「して、間桐臓硯と桜はどうなった?」
「ゾウケン? ああ、あの異臭のする老人。アーチャーが斬ってましたね。その後、リンが魔術で焼いて」
「それで桜は遠坂か。心臓か書斎に隠れていた本体はどうしたのだ?」
「確か、リンとキャスターがこちらの同盟とは別に不可侵の取り決めをしていて、彼女に頼んだとかどうとか」
「ああ、なるほど。先に手を結んでいたのか。やるな、その凛は。では、英雄王は?」
「ランサーとアーチャー、そして私とバーサーカーとで。トドメはアヴァロンを使い私が刺しました」
「ほぅ。ランサーのマスターは?」
「赤毛の女性でした。こちらもリンと何か縁があったみたいですね」
「彼女が無事だった世界か。するとイリヤは?」
「元気ですよ。お別れの時、大量に食料を用意してくれ、嬉しかったですね」
「君は一体……何者だ? いや……違う。そうだ。何回召喚に応じている?」
「第四次が1回、その後に第五次を3回です」
「やはりか……。では、ここへは?」
「美味しいものが食べられると思ったからですよ」
驚くアーチャーとセイバー。きっと以前の第五次での反省を活かし、衛宮士郎を導きつつ、凛やイリヤと話しを着けたのだろう。
何よりランサーのマスターが本来のマスターだったのは僥倖だったろう。例え彼女が聖杯の真実や他の並行世界での出来事を知らなくとも。この彼女には、凛とバゼットの意味がある。
そう考えながら、アーチャーは更に考えた。もしかしたら最初の衛宮士郎に何かあり、それが切っ掛けで彼女は第五次の再召喚に応じたのではないかと。
そしてその3回も怪しい。もしかすれば、5~6回は応じてないか? そうして満足する結果を何回か得られたから、ここに来たのではないか?
それは詰まるところ、我々やエルヴァがやっている事と同じだ。彼女がここの黒いエルヴァと出会ったのも運命なのだと確信した。
ふとヘラクレスを見れば、ニヤリとした。やはり彼はこのセイバーを知っていたのだ。狂化されつつも応援していたのかも知れない。少女達に気取られてはいけないので、ここで話は打ち切った。
ああ、なるほどね。そうでしたか、ふ~んと褐色のエルヴァを見る白いエルヴァ。褐色のエルヴァは驚いた顔をしていた。そうか、狙った召喚では無かったのか……。
それでもそういうセイバーを引き当てるとは。思った以上に褐色のエルヴァは運を持っていると感じた。そして白いエルヴァは、長姉のアルトリアを思った。
当時8歳だった自らが参戦した第四次聖杯戦争。アハトの城で出会ったセイバーは、召喚時に泣いていた。ただ、さめざめと泣き続ける彼女に見切りを着けた衛宮切嗣に次いで、幼いエルヴァが話しを聞いた。
何故泣くのか? 何があなたにあったのか? 聞けば彼女は第四次、第五次と続き、この第四次に世界を渡って参戦していたのだ。
彼女はその第五次で敵の罠に嵌り、マスターだった少年を殺してしまったという。エルヴァはそこで初めて衛宮士郎という名を、黒い鎧に身を堅める英霊から聞いたのだった。
「アルトリア姉さんの事を?」
「ええ、出会った時の事を思い出しました」
ハーブや香辛料で煮詰まる野菜。後少し煮て、火を止め、ルーを混ぜれば出来上がりだ。
強化魔術を掛ければ100メートルを4~7秒で駆け抜けられるそうですね。
要する時間が変動するのは魔術の熟練度や素の体力もあるのでしょう。
そしてそこに48倍もの固有時制御が掛けられるのなら。
CDの52倍速がDVDの1倍速だったと思います。英霊という存在も世界の中にある規格の一つです。
そんな風な規格違いを紐解いているのだと解釈して下さい。