ヘラクレスが宣言通り144杯のカレーを食べ終える頃、二人のセイバーは30杯ずつ食べ終えていた。追加で何升炊き、鍋何杯分のカレーを作ったろうか。
しかし、意外にも何故かルヴィアの家の厨房にはシュウ酸アルマイトの大きな鍋があったので、それを数回使っただけの追加で済んだのだった。それもアカオのしゅう酸実用鍋、最大の45センチサイズだ。
「何故この洋式の厨房にシュウ酸アルマイト鍋が? 豚汁や汁粉でも振る舞うのか?」
「ですよね? 新巻鮭一本使って、ミルクシチューでも作るのかと。業務用のアルミ鍋もきちんと揃っていますのに」
「ああ、さすがはルヴィアだ。これ全部、中尾のキングだぞ? 君やイリヤも寸胴はこれだったろう?」
「そうです。滅多に使いませんけどね。姉さん、洋食はル・クルーゼで、和食は中尾の行平ばかりですし。私は鍋ですと、ストウブとジオ・プロダクトが多いですね」
「多層はなぁ。ホーロー鍋はまだしも、私には合わないな。君がだし巻きまで多層で焼くのには驚いたよ」
「銅でも鉄でも焼けますけれど、慣れると多層の方が楽ですよ?」
「なんと言うか、独特の手順があるだろう?」
「弱火でたっぷり予熱して、全部の層に熱を行き渡らせる。垂らした水滴が踊るのを確認する。油はキッチンペーパーで押し広げる。2回目の前に少量の水を垂らし、焦げを落とし切ってから油を広げ直し。たったこれだけの事ですが、姉さんもこういうのを面倒臭がりますね。確かに馴染んだ銅や鉄の方が良いという意見もわかります。しかし、予熱をして油返しして、余熱も利用するって、油返し以外は多層も同じですよ。とは言え、私も多層のフライパンはムニエルやハンバーグ、少量の煮込み料理などにしか使いませんね」
「だろうなぁ。しかし建物が新しいだけあって厨房器具も新しいな。このフライパンなんて、まだ焼き入れて無いぞ?」
「ルヴィアのシェフも勉強家ですね。本国ではデバイヤーでしたのに、これは遠藤商事のTKGですよ」
「国産の業務用ならこれだろうな。フライパンはイリヤがタークで、君がリバーライトと山田の中華鍋だったな?」
「いえ、姉さんもリバーライトと山田の中華鍋を持っていますよ。私のとはサイズ違いですが」
「ああ、あの小さな中華鍋はイリヤのだったか。何に使うのだと思っていたが。それで、大きい方が君か?」
「そうです。あらら、あそこの奥の棚を見て下さい。新品のお鍋がギッシリ。先日はありませんでしたのに。あれ全部、ビタクラフト・プロですよ。試しているのでしょうか?」
ビタクラフトはアメリカ製の高級多層鋼鍋である。これらのメーカーを知らなければ料理の経験が無いか、底の浅い料理しかしてこなかった事がモロバレだとまでエルヴァは思う。
道具に拘りがなく凝らない人間は、良い仕事ができない。これはどんな事にでも当て嵌まる事実だ。
そしてそんな事を深く知ると義兄の異常な魔術が良く理解できる。その道具を苦労して贖い、使いこなせるまでの努力の日々をすっ飛ばすのだ。
消えない投影で頭に来る前に、こちらに頭が沸騰する。人の努力を舐め腐っている。そして長年の観察で義兄の弱点を遂に見付けた。
それは包丁研ぎだ。毎回毎回切れ味最高の状態で投影するので、研ぎがかなり下手なのだ。おまけにレパートリーが家庭惣菜に偏っているので専用の厨房道具をあまり知らない。
それと一見最高に見える調理技術も意外な穴がある。
これは日本の主婦や主夫の発想に近いのかも知れないし、戦場経験が長過ぎたせいかも知れないが、調味料や食材などがそこらで買えるものばかりなのだ。
だから専門家が扱うような、ハタ科の『あら(クエの別名でなくアラ属の魚)』や1m超の『クエ』や『マハタ』、或いは『クロマグロ』や『ヒラメ』が、シロウさんに習う以前は捌けなかった。
マグロなんて専用の鮪包丁がなければブロックに捌けない。そもそも1m級の『あら』や『クエ』は1本100万はする。『クロマグロ』などは数百万だ。
とても個人で買えるものでは無いのだ。だがエルヴァはシロウを通じて卸から買い入れ、これらを中学生頃から捌いていた。醤油も味醂も良い醸造元を何軒もシロウに聞き、その中から自分好みのものを選んでいる。
食品会社を営み金のある自称料理研究家はとことんだった。
ただ、最近は義兄もメキメキ上達しているので気を抜けないのが難点だ。
「あちらの彼より先進的だな。日本にまで着いて来たならそうなるか」
「色々情報アンテナを張っているみたいですね。それであなたはどうします?」
と、白いエルヴァが褐色のエルヴァに尋ねた。
「今のところは別に。マンションか一軒家に引っ越せば揃えるでしょうけど。セラがクックパル・プライムとスプリングのクリスタルを使っていましてね。今の状態でもかなり嬉しいですよ」
「へ? WMFやフィスラーでなく? ビタクラフトのコロラドでもなく?」
「そうです。クリステルや十得鍋でもありません。意外でしょう?」
クックパルはヨシカワの製品で、スプリングのクリスタルとはスイス・スプリング社の高級シリーズの事だ。
そしてクリステルはフランスの鍋で、十得鍋は日本の宮崎製作所製だ。エルヴァが愛用するジオ・プロダクトもこの宮崎製作所である。
また、エルヴァの家のセラはそのクリステルと十得鍋を使っている。それは場所を取らないからだ。押しが強そうに見えて、その実メイドの本分を忘れない彼女。
ビルの屋上に、花壇やベランダの鉢植えに使うガーデニング用品が詰まった小屋を持っているので、キッチンの棚や流しの下を専有してはいけないと控えているのだ。
一方、ここのセラは海外生活が多いアイリスフィールに代わって、主婦業を一任されている。コンクリで覆われがちな一軒家には珍しい、決して広くは無いが手入れの行き届いた庭。
一瞥しただけだが、玄関やガレージのプランターも選び方と植わっている花のバランスがとても良く、家のデザインとマッチしている。改めて彼女のセンスを知ったエルヴァだった。
「スプリングのクリスタルは、私がドイツで使っていますけれど。入手性とCMの影響でしょうか?」
「クックパルは一時料理番組で使われていましたし、クリスタルはウェッジウッドの流れかと。日本ではあれで広まりましたからね」
「ですね。確か葵小母様のクリスタルがウェッジウッドでしたね」
「はい。凜と桜ちゃん向けに、富士ホーローのフルータスを揃えられていましたね」
「あれ、可愛いですよね?」
「可愛いです。小母様は野田琺瑯の月兎印で……」
「そうそう、赤いスリムポッド。あれはお洒落ですよね」
「ですよ。そう言えば凜はどこに?」
「今、新都のカフェでスイーツをお楽しみ中ですね」
凜と聞いてアーチャーはナチュラルに言う。
「並行世界の差異を探しているのでなく、新しい店を新規開拓しているだけではないか?」
「それは、言っちゃダメですよ」
それを聞いていたクロとイリヤ。
「そういや凜は初日とこの間の晩餐会以外見てないね」
「泊まりはここらしいけど、朝から夜まで帰らないんだって。一応、アサシンさんが着いているらしいけど」
「魔法使いだから、私らじゃわからない調べ物があるんだろうね」
「うん」
更にこちらのイリヤと美遊。
「魔法使いってホントに居るんだね?」
「それが凜さんとは。ここの凛さんは嫌だろうな」
「比べられるもんね?」
割り込むクロとイリヤ。もう誰が誰だかわからない。
「私ら毎日それだっつうの」
「え?」
「私らも双子だから、エルお姉ちゃんとイリヤお姉ちゃん達といつも比べられるのよ」
「しかも私なんて名前も見た目も同じだから。皆んなからチビって呼ばれて」
「ああ……。けど、けど。私はお姉ちゃんから、おチビちゃんって呼ばれるのは新鮮で嬉しいなぁ」
「ここはイリヤお姉ちゃんが居ないもの。あっちじゃあなた以外にイリヤが三人居るのよ?」
「そうだった……」
「皆んな優しいけどね」
「そうなの?」
「うん。少しずつ違う優しさがあって。面白いよ」
「へぇ~。例えば?」
「そうだなぁ。すぐ上の双子のお姉ちゃんなら、エルお姉ちゃんに見た目は似てるけど、何でもできる人って感じ。頼れるし、優しいし。ああいう人になりたいなって思える人だよ」
それは夢で見た感想とまったく同じだった。
「その上の小さいお姉ちゃんは、一緒になって、考えてくれたり遊んでくれたり悩んでくれたりする人なの。体が弱いから無理はできないけど、いつも優しい顔で私達を見ていてくれるんだよ。最初のイリヤお姉ちゃんから一緒に魔術を教わっているけど、覚えるのが早いんだよねぇ」
「そりゃ、私と同じで、元々ある程度頭の中に知識があるからよ。けど、イリヤと一緒になって学んでいるのは偉いよね」
「うん。そして最後が一番上の巫女のお姉ちゃん。この人がアルさんの本当のマスターなの。ザ・魔術師って感じの人だね」
「どんな人なの?」
「イケイケで、ゲーム好きで、笛が上手くて、冗談が好きで……え~と、何だっけ? 鉄板の……?」
「違う、違う。たこ焼きの魔術師よ」
「たこ焼きの魔術師ってなに!?」
「たこ焼き器を使って、面白い食べ物を作ってくれるの」
「そうそう。B級グルメ研究科なのよ」
「そんな人なんだ?」
不思議だ。本当にその人もイリヤスフィールなの?
「だが、そんな楽しい子でも、夜道で出逢えば、私みたいなゴツいオッサンをけしかけて来るぞ?」
「え~~っ!」
「自分で言うか……ククク」
けしかけたのは巫女のイリヤも小さいイリヤも同じだったのだが、巫女のイリヤはアーチャー達と同じく、エルヴァの座に入っている。
なので身体がエーテル体で出力され、その恩恵で任意の姿になれる。普段は20歳前後の体で生活しているのだ。
一方、小さいイリヤは小聖杯の封印と肉体調整を行い寿命も伸び、現在も成長中だ。とは言え、エルヴァ達の世界に来たのは数ヶ月前なので、まだまだ小学生の高学年くらいにしか見えない。
目線がイリクロと近いせいか、彼女達を大変可愛がっていた。また、そうする事で精神的な成長が促されると周りが勧めているし、本人も理解しているのだ。
「腰巻き以外スッポンポンのデカいオッサンだ。髪の毛はザンバラだし、汗臭そうだし、息も臭そうだ。そんなのが君達みたいな可愛い女の子を肩に乗せてノシノシ歩いているのだ。おまけに頭が予後不良のクルクルパーだぞ。思い返しても死にたくなる」
意外な告白に驚くこちらのセイバーと少女達。
頭が『予後不良』──ゲーム好きな義姉のイリヤの影響か。自分の頭にも『危険な配合』という言葉が浮かぶので、困ったものだとため息を吐くアーチャーだった。
「あなたは後悔しているのですか?」
「腰巻き以外、身に着けて居ないのだぞ? イリヤに下から覗かれて公開していないかとか心配だ」
「そっちですか!?」
「ハハハ……戦士に後悔は無いさ、セイバー。それにどのイリヤにも不満は無い。あるとすれば護り切れなかった無念だろうな。狂化されれば作戦も方針もイリヤ任せだ。正常に喚んでくれたならと思っても、それはタラレバだ。きっと今もどこかの世界で、私とは違う分霊が戦っているのだろう。それがマスターが必要な儀式なのか、必要のない仕事なのかそれはわからない。だが、もしイリヤが再びマスターなら護り切って欲しいと思う」
「ああ……。その考えは私にもわかります」
彼自身はイリヤスフィールに何の恨みも無い。しかしアインツベルンには思うところがあったみたいで、それを察したエルヴァの姉のイリヤは巫女のイリヤと共に彼に謝罪していた。
ちなみに姉のイリヤは、何の関係もない。ただ、『家族』のために一緒に謝り、とりなしてくれたのだ。これはイリヤが6年生の頃の話である。なので巫女のイリヤは姉のイリヤに対して、絶大な感謝と信頼を寄せているのだった。
ところがエルヴァはそれより早い5年生頃にヘラクレスの心情を察し、彼を労っていた。巫女のイリヤがヘラクレスをエルに任せるのはこういう理由もある。
巫女の彼女は家族として姉として、妹のイリヤとエルヴァに弟のアーチャーの三人には幸せになって欲しいと心から願っているのだ。
そんな事を聞かされている小学生のクロとイリヤの双子は、姉達を尊敬していた。それぞれ細かな事で言い争う事もあるし、口をきかない日もあるが、家族の仲は良いと思っている。
それをわからせてくれる人が周りにとても多い事は5年生でもわかるし、その姉達には感謝しかない。
「ねぇ、お姉ちゃん。私らのカレーは?」
「お腹が空きました? まだ5時ですよ? セラには夕飯をこちらで用意すると話してありますけど、家主が戻るまで待って下さい」
そして玄関に近い応接室で待機していたら、程なくしてルヴィアと凛が帰って来た。なんと士郎と一緒に。
「あれ、お兄ちゃん? どうしたの?」
「ああ、生徒会の仕事を一緒に手伝っていたんだ。それでお茶でもと誘われてさ」
「そのまま居残って、ランサーに襲われれば良いのに。ねぇ、美遊ちゃん」
と、白いエルヴァ。
「す、すみません! 知らなくて……」
並行世界の衛宮士郎を揶揄しただけで、美遊に振ったのは何の気なしだったのだが。
「え? どういう事ですか?」
士郎に聞こえないように尋ねるエルヴァ。
「ライダーを斃したスキに誤解で私にゲイ・ボルクを。なんとか避けましたけれど」
「おお、一撃必殺のあれを? 魔力を食ったでしょう?」
「ええ、先に確保していなかったらアウトでしたね」
「抜かりありませんね。そのまま亡き者にしてくれれば、こんな面倒な旅は無かったのに」
「最低な事を言いますね?」
「ハハッ! お互い様ですよ」
ネズミーのキャラみたいに、ムカつく笑いを飛ばす白いエルヴァに、イリヤは呆れた。
「イリヤ? エルヴァさん達は何を?」
「さ、さぁ? 姉妹ゲンカかな?」
「減価償却、資産減少の響あり。通帳のゼロの数、預金残高の理をあらわす!」
「奢ってくれと言う人も久しからず、あの栄光も春の夜の夢のごとし! 高価な買い物も幻の彼方へ追いやられ、ひとえに借用書が風に舞うのみ。イェ~イ!」
「イェ~イ! 宵越しの金は持たねぇぜ!」
「金は天下の余り物。キッチリカッキリ、我が懐へ回収だ!」
「アインツベルンにあらずんば人にあらず!」
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば!」
士郎や凛がキョトンとする中でクロがため息をつく。
「はぁ~。電波モードに入っちゃった……」
「え? こういう人なのか?」
「ううん。そういうモードがあると言うか……滅多にないけど、ホンのたま~にこういう時があるの」
「う~ん……意味がわからないな。わかるか、ルヴィアさん?」
「そんな事より、シェロ! この香りはもしかして?」
「え? カレーだろ?」
「ど、どこに? カレーはどこですの!」
「こいつも電波受信機かよ……。ルヴィア、食堂か厨房でしょうよ」
するとロングでタイトな改造学生スカートを振り乱して、ルヴィアは一目散に厨房へと駆けて行った。
「何故ルヴィアはカレーにあれだけの情熱を?」
「ああ、エルヴァ。お昼のお弁当、ありがとうね。そのお弁当と先日の晩餐会での料理が、ルヴィアに突き刺さったというか、突き抜けさせたというか」
「ああ……」
「ええ。彼女はフィンランド人で中学卒業と同時に時計塔に渡ったでしょう? 欧州人のあなたなら知ってると思うけど、大金持ちでも日本で手に入る食事には驚かされるみたいで。それと併せて、彼女、カレーとかラーメンが好きみたいでね。それを先日学食で話しをしていてさ。どうやら自分で作ろうと考えるほど、日本のカレーに嵌ったみたいなのよ」
なるほどと頷きつつ、ここで首を捻る二人のエルヴァ。晩餐会は白いエルヴァだが、お弁当は褐色のエルヴァだ。
「え? お弁当は私が作ったのですよ?」
「あ、悪い。俺だ、混同しているの。同じのが作れるって聞いていたからつい。弁当に毒でも入っるのかって一成に言われてムカついてさ。晩餐会の料理も美味しかったんだぞって、混同して反論してしまったんだ」
「ああ、なるほど。お友達に疑われてしまったのですね」
「そう、ごめん。良いやつなんだけど」
白いエルヴァが嫌味を言う。
「良い人は普通そんな事を言いませんけれど。ま、誤解があったと解釈しておきます」
「ホント、ごめん……」
それを庇う褐色のエルヴァ。
「士郎クン、キミが謝る必要はありませんよ。学園に通い始めれば、その人とも面識が生まれるでしょう。後は私の行動と態度で示せば良いだけです。きっとわかって貰えます」
「強いなぁ。そういう事をサラッと言える人は……。俺、エルヴァさんみたいな人が好きだ」
空気が固まった。
「うっわ。生で聞いたのは初めてですけど、威力ありますねぇ」
と、大魔導師の学生時代を思い浮かべる白いエルヴァ。そして震える妹のイリヤ。
「お兄ちゃん……お兄ちゃん……お兄ちゃん……」
「大丈夫、大丈夫ですよ。お兄ちゃんはライクの意味で言っただけですから。この場合、好ましいって意味です」
「そうなの?」
「そうですよ。今の言葉のどこにも私を愛してるなんて意味はありませんよ」
褐色のエルヴァがイリヤを宥める。それを聞いて真っ赤になる士郎。
「やっちゃったわね、衛宮君?」
「ああ……。俺、ホント、ダメだ……」
「海外に行く前に国語を勉強しろよって事ですね」
と、アーチャーの背をバンバン叩く白いエルヴァ。
ちなみにヘラクレスとセイバー達はサッと霊体化して部屋から出ていた。やはり戦士は空気を読めねば成り立たないのだ。
ルヴィアは走った。厨房に学園指定のローファーで駆け込めば、もぬけの殻で何もない。しかし匂いは漂う。どこだ?
もう一度廊下に出てみれば、厨房の裏手になるメイド達の食堂、そこから匂いがする。
深呼吸して入れば、オーギュストと数人のメイドが一斉に立ち上がった。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「只今戻りましたわ。良い香りですわね?」
「ええ。エルヴァ様から皆でどうぞと、日本式のカレーを頂きました。これは見事ですな。年甲斐もなくお代わりをしてしまいましたよ」
「それは……結構な事ですわね。後で私からもお礼を申し上げねばなりませんわね」
「ええ、ええ。お願い致します。実に見事でしたので、交代で頂いております。私どもが最後ですが、あれだけありましたカレーとライスがすっからかんです」
「ま、まぁ……それは……良かったですわね」
廊下に出てルヴィアは激怒した。忠実な執事やメイドを恨む気持ちは無いが、必ず、かのスパイスが香り高い、カレーを食さねばならぬと決意した。
そんなナレーターの言葉とは裏腹に、トボトボと廊下を歩くルヴィア。な、泣いてなどいませんわ! と、涙目であらぬ方向に文句を言っている。
すると二人のエルヴァが子供達に手を引かれてこちらに歩いて来た。よく見れば後ろに凛も居る。
「どうされましたの?」
「そろそろ夕飯の時間ですので、この子達のカレーを作ってあげようかなと」
「エルヴァさん! ぜ、是非、ご相伴させて下さいませ!」
「どうぞ。どのみち、凛とあなたの分も作るつもりでしたから」
「おお……さすがですわ……」
「ルヴィア、人格変わってない?」
「言わないで下さいまし、ミス・トオサカ。エルヴァさんが作って下さるカレーですわよ?」
「ま、期待値が上がるのは当然か」
「それでお二人のお好みは? 大まかな辛さと旨味とコクの量を言ってみて下さい」
そう話す褐色のエルヴァとは別に、ゴソゴソとルーのパッケージをテーブルに並べる白いエルヴァ。
「こ、これは……」
「どんだけ買ったのよ?」
バー○ントカレー 甘口・中辛・辛口
ジャ○カレー 甘口・中辛・辛口
こく○ろカレー 甘口・中辛・辛口
ザ・○リー 甘口・中辛・辛口
印○カレー 中辛・辛口
メタルイ○ドカレー 中辛・辛口
ゴール○ンカレー 甘口・中辛・辛口
ディ○ーカレー 甘口・中辛・辛口
と○けるカレー 甘口・中辛・辛口
カレーの王○さま
熟カレー 甘口・中辛・辛口
横濱舶○亭 野菜仕立て甘口・こだわりの中辛・ブラック辛口
上記が各々数箱ずつ用意されていた。
この他に赤缶カレー粉にガラムマサラ、ターメリック、クミンパウダー、コリアンダー、レッドチリパウダー、クミンシード、カルダモン、クローブ、ナツメグ、塩、砂糖、黒胡椒、白胡椒、生姜、にんにく、トマト、ヨーグルト等々も揃っている。
はっきり言って、ルーを使わずここにあるスパイスだけでカレーは作れる。
「何が一番よろしいんですの?」
「個人的にはザ・○リーかディ○ーカレーに、プラスアルファ好みのスパイス増量ですね。赤缶カレー粉やガラムマサラは常備しておくとコロッケやムニエルにも使えて便利です。それとゴール○ンカレーも欧州の人にはウケそうですね。昭和の味、学校給食の味覚を求めるならメタルイ○ドカレーにバー○ントカレーブチ込みでしょうか。こちらの印○カレーはスパイスが効いていて、ジャ○カレーの辛さとはまた違った大人の味です。これをベースに色々足しても面白いですよ。最近良く見かけるようになったフレークタイプは少量作るのに良いですね」
「このカレーの王○さまって何よ?」
「それ、赤ちゃん用だよ」
「でしょうね。何でこんなのまで揃えるのよ?」
「ノリです」
「ほんっとに……。で、この子達には?」
「このところはバー○ントカレーの中辛8に、こく○ろカレーの甘口2を足してあげていますね」
中辛と聞いて驚くここのイリヤ。
「ウソ! 中辛を食べられるの?」
「うっわ。そっちはお兄ちゃんはどうしてたの? 高校生に甘口はないでしょう?」
「ガマンしてくれてたんだろうなぁ。それとも何か掛けていたのかな?」
「おチビちゃん、美遊ちゃん。チャレンジしてみては?」
優しくイリヤと美遊を促す褐色のエルヴァ。
「そうだね」
「食べみよう? イリヤ」
「あなたが妙に甘口ですね?」
「家族構成と立ち位置で変わりますよ」
「なるほどですね」
そして悩んだ末にルヴィアが選んだのは、ゴール○ンカレーの中辛だった。
二人のエルヴァは頷き合うと、一人はタマネギを炒め、一人はジャガイモを茹で始めた。牛肉と人参をバターで炒め、炒め終えたタマネギを投入し、ブイヨンを入れて煮込む。火を止め、ルーを割り入れ完成だ。
ご飯の横にバターを塗ったジャガイモを2コ添え、パセリを振り掛ける。そこにルーを掛けた。福神漬けやらっきょうは無い。代わりに刻んだピクルスを添えた。
「ジャガイモを別にするんだ? なるほど、これだと冷蔵できるし、味もぼやけないのか。へぇ~、これはこれで良いわね。ドイツ系の人らしい考えだわ」
「ああ、美味しい……。この味ですわ~。ミス・トオサカ、このサラダを御覧なさい」
「ええ、トマトを切り離さない程度に切り込みを入れて、チーズやレタスが挟んであるのね」
「具材はイタリア南部のインサラータ・カプレーゼそのまま。つまりモッツァレッラチーズとトマトのサラダですわ。ですがこれをハッセルバック風にされるのは初めて見ましたわ」
「それをオーブンで軽く焼いてオリーブオイルを掛けても美味しいですよ」
「おお!」
「それとナスビをハッセルバック風に切って、刻んだ夏野菜を挟み、崩れないように適度なザルに入れて素揚げして、それを好みのソースやダシで頂く方法もあります。日本は野菜が豊富で安く手に入りますから、こういうのを料理人さんにリクエストすると良いですよ」
「そのハッセルバック風素揚げはカレーにトッピングしても美味しいですよ」
「ああ、確かに夏野菜のカレーに見栄えが良さそう」
エルヴァの説明に感動するルヴィアと凛。
カレーの作り方は横に立ってもらい、作りながら説明したのでルヴィアもあっさり覚えたようだ。
今度はザ・○リーかディ○ーカレーを自分で作ると話していた。
「あの、マッシュポテトにカレーは変でしょうか?」
ルヴィアがエルヴァ達に尋ねた。
「いえ、全然ありですよ。ヨーロッパで口さみしい時は、マッシュポテトやポテトパンケーキに日本から持って行ったレトルトカレーを掛けて食べたりしています。私はスイス人なのでポテトパンケーキをレシュティと呼んでいますが、元々は農家の朝食だったのですね。それがカレーを掛けると立派な昼食や夜食になります。そちらのハッセルバックにもカレーは合いますよ。また、湯掻いたり蒸した野菜を串に刺し、チーズフォンデュならぬカレーフォンデュで頂くのも楽しいです。日本に居るなら、串カツを買って来てカレーを掛けて食べてみて下さい。タレ代わりに突っ込んでも良いですね。ソース味に飽きた時はありがたいです」
「キャンプのBBQでもレトルトが一袋あればソース代わりになりますしね」
「ええ。カレーうどん、カレーそば、カレーラーメン、カレー南蛮。麺類にも鍋料理にもカレー味はありますから、何でも試してみて下さい」
「赤缶カレー粉みたいな粉カレーがあると、色々アレンジできて楽しいですよ。余ったうどん玉を湯掻いて、3センチくらいに刻み耐熱皿に乗せて、チーズと卵を乗せてオーブンで焼いてみて下さい」
うどん玉と聞いて凛が驚く。
「それってカレー味のうどんグラタン?」
「そうです」
「面白い工夫ですわね」
「イタリア料理のラザニアにカレー粉を使って作る場合もありますね。ワインと合うので結構好きです」
「カレーを利かせ過ぎない方が美味しいですね」
「そうそう。お正月のお餅が余ったら、ラザニアかグラタンに入れて焼くと良いですよ」
「それ、良さそう」
大地主なので親や祖父の代からの付き合いもある凛は、お中元の素麺やお歳暮の餅で困る事が多いのだ。
素麺はともかく、お餅などは普通贈らないものだが、相手は一人住まいの凛を気遣うお年寄りばかりなのだった。
「カレーの炒めたタマネギは、わざと余らせて翌朝のオニオングラタンスープにすると良いですよ」
「日本ですと、良いチーズが手に入り辛いですけどね」
女性陣は延々とアレンジ料理を話し続けていた。
一方、小学生組は成長期ならではの味覚の違いで意見が別れていた。
「クロエお姉ちゃん、何を振ってるの?」
「ガラムマサラっていうミックススパイスよ」
「え? 辛くなるの?」
「何言ってるの。いつまでお子様な甘口カレーを食べるつもりなの?」
「ええ? これ中辛だよね? 私、ちょっと辛いって思うもん。だよね、美遊?」
「少し甘い。もっと辛くても良いと思う」
「そうなの?!」
美遊は兄と二人暮らしだったが、イリヤには兄の他にセラやリーゼリットも居る。
当然セラはイリヤに合わせて味付けるので、士郎は香辛料を常備していた。身体の成長差だけでなく、こういう家族構成も味覚の差となる。イリクロはこんな事もエルヴァや姉のイリヤ達から教えられていた。
「ほらぁ~。美遊もこれ掛けなよ」
「うん。ありがとう」
「イリヤは? 黙々と食べているけど」
「いや、辛さはちょうどなんだけど。このハンバーグがけっこうクると言うか。食べ切れるかな」
なんとエルヴァ達は小学生組にハンバーグをトッピングしてあげていたのだ。その分、じゃがバタは一人2分の1個だった。ハンバーグの中はしっかりジューシーなのに火は通っている。
けれど外にはおこげがほとんど無い。少しカリッとした部分がある程度だった。
『ハンバーグは火加減が大事なんだ。中火で表面を少し焼いて、後は蓋をしてとろ火で蒸し焼きにするんだよ』
小さい美遊のためにと、何度も火加減を教えてくれた兄。
『冷たい手で捏ねるとか、空気をしっかり抜くとかも大事だけど、火加減は全部の料理で重要だからな』
兄と一緒にペチペチと空気を抜きながら教えられた。踏み台に乗って近くなった兄の横顔を思い出す。
大きくなるに連れて中火から弱火にとろ火、ここの変化で料理の仕上がりが決まるとわかった。それはどんな料理にも言える事だった。今はそれなりに自信がある。
なのにこのハンバーグの作り方はさっぱりわからなかった。イリヤが何か言っている。あっちのイリヤだけど。
「その分、ご飯も減らしてくれているのはわかるけど」
背も伸びて体重も35キロを越えたけれど、まだまだ華奢なこの体。
お姉ちゃんから、でっかいスコープを付けたなんとか2000に勝ってるよと言われたけれど意味不明だった。とにかく食べ切れる自信がない。
「無理なら残せばいいじゃん、イリヤ」
「え~、でも」
「イリヤお姉ちゃんならともかく、エルお姉ちゃんなら残せって言うわよ」
「そうだね。お姉ちゃ~ん!」
「はいはい。どうしました?」
「ごめん。少し多いの。残していい?」
「良いですよ。余ったのはお兄ちゃんに食べさせますから。ポチ~」
そこへ黒の上下から赤い外套に変わった偉丈夫が、歯を光らせて飛び込んで来た。
「誰がポチだ。任せろイリヤ。食べ尽くしてやるさ」
スプーン片手に背中で語る。
「両手で持たないとね~。右手は白いスプーン、左手は黒いスプーンでさぁ」
「なんでさ!」
目を瞠ってアーチャーを眺める美遊。そう言えばバーサーカーのカードの時もこの格好だった。それは褐色のエルヴァと同じで、クロという子とも同じで、あの時の兄とも似ている。
という事はこの人こそが、あのカードの元となった英霊なのか? そして、どこか子供っぽい笑顔と優しい雰囲気に口癖。まさか、まさか。
「まさかり担いだ金太郎~♪」
突如歌うエルヴァズ。
「心に花束を抱いていれば、手に何を持とうが自由です」
「右手に銃。左に抱くは見知らぬ女。あんたもケリィの立派な息子だ」
「いよっ! 冬木の種馬!」
「何を言っとる?!」
言い返しつつムシャムシャとイリヤのカレーを食う。器用だ。
正直はしたないと自分でも思っている。だが親や兄が子供や弟妹の食べ残しを食べて何が悪いとも思う。義姉やヘラクレスとともに、エルヴァが体内に保有する宝具『ラインの黄金』に捕われ座を得て、やがて8年になる。
当時10歳だった義妹は、その深慮遠謀から義兄の心に根ざす疵を癒やす方法を、出会った当初から模索していた。
彼女とどれだけ世界を巡ったろう。義妹のビジネスに於ける運転手に抜擢され、北欧・東欧・地中海沿岸、ヤクートにカムチャッカ、ペルー・チリ・アルゼンチン、それこそ世界を股にかけて走った。生前より行った国の数が多いのだ。
その車中泊も含む旅行中に、義妹や義姉はいつも語り掛けてくれた。語らい笑いあった事も多いが、罵り合ってケンカした事もある。
それは家族に必要な儀式であり、人としての感情を取り戻すリハビリでもあったのだ。
「ミス・トオサカ? そう言えばシェロは?」
「もう。放ったらかして出て行くんだから。私がお茶を出したわよ。それでエルヴァ達と少し話した後に帰ったわ。後日、お詫びにカレーでもご馳走したら?」
「良い案ですわね。作り方も覚えましたし」
「ま、見ててあげるし、わからなければ手伝うから。結局、私が作るって話は流れたみたいだしね」
「ですわね。ですが……こう、なんと言いますか。先を読むのが……」
「いや、大きな流れを読むならわかるわよ? あのエルヴァならそれくらいは当然だと思うし。けど、アンタがカレーを食べたいなんて誰が思うのよ。今日のこれも、あのヘラクレスのついでだったんでしょう?」
「そうなのですが、不思議ですわ。何かそういう事象に纏まって行くようで……」
「どういう意味よ? 彼女にそんな特殊能力があるとでも?」
「わかりませんわ。ですがそういうモノを追い求めるのが私達ですもの」
「それはあなたのカンなのか、嗅覚なのか。ま、頭の隅には置いとくわ」
食材はエルヴァ達が調達したものであったし、ガス代や水道代も別途支払われた。
お米は銘柄指定でキヌヒカリとひとめぼれのブレンド。野菜は地域のものを道の駅で購っていた。それらがまだ余っている。しばらくはジャガイモや人参、タマネギ、米に困る事は無いだろう。
むしろカレー皿などそれまでに無かった食器や、寸胴鍋にコンロが増えたので差し引きはプラスだったかも知れない。
しかしながら、エーデルフェルト邸はその後、一週間近くカレー臭かったのだった。
これで第一章が終わりです。