プリズマ☆エルヴァ 第一部 邂逅篇   作:炭団

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22、出発前

 倫敦への出発は明日だ。その間、打ち合わせを2回した。もうこちらでする事は無い。

 チケットやホテルの手配が済んだと報告を受け、チケットも受け取った。そして士郎クン達2年生も明日修学旅行に出発する。お土産は東京○な奈をお願いした。

 

 今朝も一緒に自転車登校だが、ガードレールで待っていたら、時間が早いのでここからは歩かないかと誘われた。時計を見ると確かに早い。お互い明日が出発なので気がせいているのか? 

 士郎クンも息も整えたいだろう。

 先日、帰りが遅くなった折りはかなり寒かった。今日の私は防寒対策で白い薄手のセーターを着ていた。紺色やグレーと違って、白は人気があるのか、新都の学生服店には薄手と厚手の二種類があったのだ。なのでグレーを冬用、白を春秋用として揃えたのだが、さすがに今日は少々暑い。なので提案を受け入れて歩く事にした。この陽気だと、いつもの4ボタンベストでも昼間は暑いだろう。

 

「今日の2年生は部活免除ですか?」

「いや、弓道部は一応あるよ。だから一緒に家を出たんだ。朝練だけだけどさ」

「あ~、放課後だけ免除でしたか。なら、今朝は浮かれて怪我をしないように」

「浮かれると言っても東京だしなぁ」

「そうですね。同じ国内なら、北海道や沖縄に行きたいですよね?」

「そうなんだよ。私学なのにショボいって皆んな言ってるよ」

 

 これも1年前に経験した事だ。誰もがショボいと言っていた。

 けれどエルヴァは少し違った。異国にお上りさんで行っても、何も得られない。その土地を知り、その地の文化と伝統を知り、自国との違いを学び取り、己の精神的範疇を広げる事に旅の意味があるのだ。

 体験とは詰まるところ、異なる考え方や風習があると知り、それを楽しみつつ自己改革をする事にある。要はミニマムなマーケティングでありリサーチである。あの兄なら憑依と模倣から得た体験で、本物を知るとでも言うのだろう。

 

「ま、冬木は地方都市ですから、東京に行くのも意味がありますよ。それに往復の飛行機より新幹線の方が旅費が安く済む分、食事が良いとクラスの人が教えてくれました。テーブルマナーがあるのもそういう事なのでしょう?」

「みたいだな。ほとんどがバイキングらしいけど、2日目のテーブルマナーの日は凄いらしい。それでマナーを覚えろって事なんだろう。一成も似たような事を言ってたよ。箸で良いと思うんだけどなぁ」

「作法は確かに面倒くさいです。けれどそれはマナーだけではなく、相手の国の食文化を学ぶ意味もあるのですね。そしてそれは相手の格を認めるという意味でもあります。ナイフとフォークとくれば西欧文化です。私としても士郎クンが学んで、私達の文化から何かを感じてくれると嬉しいですよ」

「そっか、そうだよな。気を付ける事ってあるかな?」

「そうですね。フルコースと言っても 前菜が1種か2種、その後にスープが来て、魚介のメインディッシュに、あれば口直しの何か、次にお肉のメインディッシュ、そして締めのデザートとコーヒー。そんなものでしょう。ナイフやフォークのセットは外側から使えば良いとか、説明があると思います。座って左がフォーク類、右がナイフ類、奥がデザートなのは変わらないでしょう。気を付けるのは椅子に深く腰掛け背筋をシャンとする事、お皿やお椀を持たずに顔を近づける事、スープを啜ったりして音を立てない事、フォークとナイフを持ち替えない事、落とした場合はウェイターを呼んで自分では拾わない事、ナプキンで遠慮なく口を拭く事、そんなものかな?」

「随分多いな?」

「何を言ってますか。日本のお箸のマナーやタブーの方が多いですよ。確か……握り箸、拝み箸、横箸、違い箸、返し箸・逆さ箸、ちぎり箸等の持ち方。突き箸・刺し箸、仏箸・立て箸、合わせ箸、叩き箸、振り上げ箸、指し箸、持ち箸、受け箸、寄せ箸、空箸、迷い箸、移り箸・渡り箸、せせり箸、楊枝箸、涙箸、探り箸、洗い箸、もぎ箸、舐り箸、咥え箸、噛み箸、掻き箸、橋箸・渡し箸、揃え箸、直箸、透かし箸、撥ね箸、重ね箸、かき込み箸、後は落とし箸でしたっけ?」

「はぁ? 何だって? そんなにあるのか?」

「あるみたいですよ。それと騎士の時代を思い浮かべて下さい」

「騎士? あの鎧と剣の?」

「そうそう。身体を鍛えた騎士達が、皆んなでガツガツ食べるシーン。映画などで見た覚えがありませんか?」

「なんとなく憶えてるよ」

「偉い人か係の人が暖炉で炙った肉を切り分けるでしょう? それを各自のお皿かお皿代わりのまな板に乗せて。その時のナイフはマイ・ナイフだったのですよ」

「あれって自分のナイフなの?」

「そうです。当時はRPGやファンタジーの小説みたいな武器屋は存在せず、鍛冶屋に一品制作して貰っていましたから。食事専用のカラトリーが生まれたのはもっと後の大量生産が可能となった時代で、この頃に武器屋も表れたと考えられます。フォークも自分で削った串から発展したもので、最初は木製でした。そして左手のフォークか串で肉を押さえ、利き腕の右手に持った小さなナイフで肉を切っていたのですね。またこの行為は、人を斬る剣はこの場では使いませんという意思表示でもあったのです。だから持ち替えては駄目なのですよ」

「あ、そういう?」

「はい。左利きでも、テーブルナイフは右で持て。これは不文律です。多分、マナーの本を読めば左利きの場合は持ち替えても良い。セットの並べ替えだけはマナー違反と書かれていると思います。ですが、上流の家に左利きはまず居ません。子供の頃に必ず矯正されますから」

「けど、スポーツとか」

「嗜むのは構いませんが、スポーツは娯楽で観戦するものなのですよ、上流の場合は。それよりも道具の歴史と格です。格の高いものほど右利き用なのです。例えば狩猟のライフルや弓も右利きでしょう?」

「そうなるのか?」

「そうですよ。弓は殿上人の嗜みであって、畑を耕す人が覚えるものでは無かったでしょう?」

「そうだけどさ、今は違うじゃないか」

「言いたい事はわかります。近代スポーツのアーチェリーやクレイ射撃には確かに左利きの人も居ます。ですがそんな昔ながらの作法に拘る貴族が、今も居るのがヨーロッパなのですよ。君が震え上がるような上流階級の社交界って本当にあるのですよ? 周りがどうとか、自分は関係ないとかの話でなく、あるものはあるのだと、正しく認識しませんと。これは道具もそうです。疎かにすれば道具の歴史や重みがわからない鈍い人になります」

「ああ、それはありそうだ。そういう事かぁ」

「ええ。そしてユンボやクレーン、カメラに筆記具。こういうのも右利き用ですよね? 人に近い道具ほど右利き用ばかりなのですよ。何より人が人とコミュニケーションを取る上で重要な文字は、右利きを前提に開発されていますよね?」

「なるほどな。言われてみればそうだ」

「少し引っ掛けでしたけれど、ユンボみたいな特殊な道具は高価な上に専用の免許が必要でしょう? つまりそれも限られた人の道具なのです。そしてカメラや筆記具は本来貴族のものだったのですね。日本製以前はドイツ製しか無かった文化ですよ。バイクやクルマもそうです。敗戦国の工業や文化製品が世界を席巻しているのが現在です。日本人は希少で高価なものが身近にある事を、もっとありがたがらないと」

「そうだよなぁ」

「小学生がDVDレコーダーやプレイヤーをカチャカチャして、いつでも好きな時にアニメや映画を鑑賞できる国って、他はアメリカとEUの裕福な国くらいなものでしょう? 普及に応じて今後は変わるにせよ、日本は最先端を走っている国の一つですよ」

「う~ん……確かにそうだ。イリヤみたいな子って海外には少ないんだ?」

「少ないどころか、目が充血する程のマラソン視聴が許される家がまずありませんよ。この間も叱ったところです」

「それか。お姉ちゃんに叱られたって落ち込んでたのは。クロエはそういう事をしないよな?」

「あの子はアニメに余り興味がありませんね。性格もアクティヴですから、アウトドア向きなのですよ。キャンプなどに連れて行ってあげて欲しいですね。おチビちゃんに聞けば、家族旅行もほとんど無かったと話していましたし」

「親父もお袋も忙しいからなぁ。だから俺がついつい出しゃばって……。それでお兄ちゃん子になったんだろうな」

「そうですね。けれど士郎クンに感謝していますよ、あの子は」

「なら嬉しいけど」

「そうだ、士郎クン。東京に行ったら、是非最先端のトイレと立ち食いソバを味わって来て下さいな」

「トイレはわからなくもないけど、どうしてソバ?」

「ストリート・フーズでそこの文化がわかると言うか。大阪ならたこ焼き、フランクフルトならカレー味のソーセージ、倫敦ならフィッシュアンドチップス、ブリュッセルならフリッツと呼び名が変わる、ソースたっぷりのフライドポテトとか」

「屋台もの? ああいうのが好きなんだ?」

「かなり好きです。万博や食の博覧会、地方の物産展とか大好きですよ」

「へぇ~。デパートの駅弁大会とか好きそうだな?」

「駅弁も日本独特の文化ですよね。冷めても美味しい料理って意外と少ないですから。駅弁を知れば『冷たい食事』なんてやってられませんよ」

「え? 駅弁は冷めてるだろう?」

「言葉足らずでした。ドイツには夜間に火を使わないというマナーが昔からありましてね。ですから、夜の食事はパンとハムやチーズに果物だけで済ますという風習があったのです。それを『冷たい食事』と呼ぶのですよ」

「ああ、そういうのがあるのか」

「そうです。それも文化ですよ。余り好きではありませんけれど。例えば、食欲がなくてお茶碗によそったご飯が辛い時でも、塩握りに海苔を巻けばおかず無しでも結構食べられるでしょう?」

「ああ、そうだよな。プラス、たくあん二切れとかで十分な時はあるよな」

「それで屋台ものは温かい上に、お手軽に異文化を楽しめます。これはどこの国へ行ってもそうです。実は私、駅の構内でスタミナうどんを食べたいのですが、誰かに見られたらと躊躇しています。私って目立つでしょう? 見た目がまんま外人なので。スタンドで『おっちゃん、スタミナうどん一つ』とかピッタリの小銭で注文したら、お忙しい通勤時の人々がむせかねません」

「って、立ち食いかよ!? けどそれは悩むよなぁ。なら、休みの日に俺と行こうか?」

「だから、それを間桐さんが知ったらどうなるのですかと。振られて引っ叩かれないと理解できない?」

「キビシイ……。けど、そこが俺はダメだよな……」

「まぁまぁ。そうだ、彼女を誘おうかな」

「誰?」

「白い方のエルヴァ。後、2~3週間程で帰るそうなので」

「そっか。帰るのか……寂しいな」

「ですね……」

 

 校門を潜ると校庭からスススッと三連星がやって来た。

 

「今、あなたは選ばれた! ブラック・パンサーがブラック・レパードに出会う刻、穂群原の黒い伝説は幕を開ける!」

 

 私は自転車を士郎クンに預け、大笑いしてしまった。だって、お腹が痛くて自転車を転かしそうだったから。

 黒い伝説って暗黒史か何かか。ライダーに結界でも張られたのか。まるで、ブラクラに引っ掛かったみたいだ。この面白い人は陸上部短距離のエースで蒔寺楓という。まさか彼女から勧誘が来るとは。

 実はあちらで私ことエルヴァは、軽音部と兼部で陸上部員でもあったのだ。それも長距離専門。

 しかし、マラソンが高校の種目に無いのと、お祖父様にそんなスポーツにうつつを抜かす事は認めんと叱られ、すっかりやる気を失くし幽霊部員であった。軽音部もそうだったが、あいにく私は陸上に飽いていた。

 そこが47番としての反対意見なのかも知れないが、この新天地で弓道部に入って気分一新、学園生活をエンジョイしている。なので、蒔寺さんの目利きは買うがお断りだった。

 

「残念。そのジェットストリームアタックは不発です。もはや私は弓道部員。お互いの焦げ臭そうな見た目に親近感はありますが。許されよ、黒豹の人よ」

「あ~! 遅かったか! 何てこった!」

「おい、氷室に三枝。こちらの人は3年生で先輩だぞ?」

「いや、わかっているのだが、蒔の字が先走ってな。あい済まぬ、アインツベルン先輩に衛宮の」

「済みません、先輩。蒔ちゃんにはちゃんと言っておきますから」

「私が悪いのか? 先輩、むっちゃ乗ってくれたじゃん。こんなにフィーリングが合うのに、惜しいなぁ。ちょこっと一緒に走りませんか?」

「ごめんなさい。え~とマキ?」

「蒔寺楓っす!」

「もう私は弓道部に残り少ない高校生活を懸けると誓ったのです。アイムソーリーヒゲソーリー、マキデラカエデッスさん……?」

「エルヴァさん、何だそれ……プププ」

「笑うな、衛宮のくせに!」

「くせにとは失礼だぞ、蒔の字。そうですね。先輩はドイツの方とお聞きしました。和の心を学ぶのなら弓道は良いと思います」

「メ鐘、裏切ったな!?」

「良いコンボですね」

「コンボ?」

「コンビネーションの略で、組み合わせという意味です。ハンバーガーにポテトとジュースみたいな」

「ああ……」

「日本人には定食の方がわかりやすいですか?」

「定食ですか!?」

「三人が定食……面白過ぎる……クククク」

「それがダメなら、そうですねぇ。隅っこの三色ベジタブルは失礼なので、ミックスグリルはどうです? 何か欠けたら物足りない」

「上手い! クク、ククク……」

「う、上手いのかナ?」

「では皆さん、朝練がありますので、これで失礼します」

「すみませんでした、先輩」

「失礼します、先輩」

「またな~、先輩」

 

「三人とも早いんだな? 陸上部も朝練か?」

「いや、蒔の字が先輩を勧誘するから早く来いと昨夜な」

「それ、おかしいだろ? 弓道部だって知らなけりゃ、こんな早くから待っていても意味ないぞ?」

「ところがコヤツは、朝イチに逢えるからと聞かんのだ」

「野生の勘……かな? けど、氷室ならエルヴァさんの連絡先がウチだって調べてあるだろ? 電話で良かったのに」

「バッカだな、衛宮。直接会う事で誠意が伝わるんだろ~?」

「見事なまでの玉砕だった訳だが」

「茶化すな!」

「けど、蒔寺の言いたい事もわかるよ。だから蒔寺に乗ってくれたんだろうな」

「衛宮君、先輩ってそういう人なの?」

「ああ、そういう人だぞ。だってあの人はうちの妹みたいに本来は色白なんだよ。なのに自分の日焼けをさ、墨汁をうっかりこぼしたとか、魚を焼いていたら自分まで焼けてしまったとか自虐で言うんだよな」

「へぇ~、綺麗な人だから、もっと近寄りがたい人だとばかり……」

「そんな事無いぞ? 確かに第一印象はそうだった。実際、才色兼備で言葉遣いも丁寧だし。けど、ミックスグリルとかああいうジョークも好きなんだよ」

「そうだ、あれはどういう意味だったのか?」

「お前達の関係を少し話して察したんだろうな。どれか欠けても物足りないって言ってたろう?」

「なるほど……良い評価を貰えたという事か。しかし、何故食べ物に?」

「料理研究家になるのが夢なんだってさ」

「料理研究家!」

「うん、言ってたぞ。しかも言うだけあって無茶苦茶料理上手だよ」

「じゃ、お前んちは毎日フランス料理なのか? お高いな?」

「蒔の字、ドイツの方だ」

「うん? ビールとソーセージ?」

「それしか思い浮かばんか。で、実際は? そういう洋食ばかり?」

「それがなぁ。和洋中全部上手いんだ。信じられない事に」

「は? ありえねぇだろが! 嘘つくな衛宮!」

「それが本当なんだよ、蒔寺。和食の師匠が料亭の板前をやっていた人で、中華の師匠が香港の中華料理店の元コックって話していたぞ。当然フランス料理やイタリア料理もそういうプロに習ったそうだ。ドイツ料理はさすがにお国だな。お手の物だし、どれもこれも美味しいよ」

「そういうお人か?」

「そう。器用だし奥の深い人だ」

「へぇ~。衛宮、お前と先輩はどういう関係なんだ?」

「うん? 蒔寺は俺の妹って知ってるか? 今、小学部の5年生だけど」

「妹なんて居たのか?」

「待て……白いと言えば確か。そうだ。銀髪のお人形みたいな白人美少女が居たな。もしやその子が妹さんか?」

「そうそうそう。5年1組だ。あの人はその妹の従姉妹なんだよ」

「なるほど。だから先輩も似た系統の髪の色なのか」

「そういう事だ。顔もそっくりだぞ」

「え? 衛宮君?」

「あ、三枝は知らなかったかな? 俺、養子なんだよ。だから妹と全然似てないんだ。妹とお袋はそっくりだけどな。それと親父が日本人なので、妹はハーフだ」

「そうなんだ。ごめん、衛宮君……」

「いや、気にしないでくれ。クラスが違うしさ。知ってるやつは知ってるんだけど」

「敢えて宣伝するのものでも無いしな?」

「そう、氷室の言う通りさ。じゃ、俺も朝練だから。またな」

「うむ、朝からお騒がせした」

「じゃ~な、衛宮」

「またね、衛宮君」

 

 

 朝から元気な人と出合い、気分が軽くなった。

 気持ち良く朝練を終え、着替えた後に打ち合わせ通り、職員室で明日からの欠席を願い出た。国籍違いによる書類と手続きの問題だと話せばあっさり許可された。

 お礼を言い、4階の教室に向かう。教室にはクラスの半数ほどが登校していた。

 

「おはようございます」

「おはよう」

「おはようございます」

 

 挨拶を交わしつつ席にカバンを掛ける。

 

「おはよう、アインツベルン」

「はい、おはようございます」

 

 前の席の遠峰薫だ。職員室に寄った分、彼女の方が早かったみたいだ。

 

「あのさ……少し頼みがあるんだが」

「何でしょう?」

「射型をな、見て欲しいんだ」

「私が? 前部長のあなたの?」

「うん。恥を忍んで言うが、スランプでさ。射が怖いんだ」

「ここ数日、あれっと思って見ていました。早気、もたれは無かったと思います。やや、びく気味かな?」

「そうなんだよ。もたれが無いのにびくが時々あるんだ」

「う~ん……素人判断ですが、イップスになり掛かっているのかも」

「あれか? ゴルフのパターが入らない?」

「お家の人が?」

「ああ、親父が。メンタルかな?」

「結構調べていますね? 遠峰さんは昨年度の部長ですよね? 試合のプレッシャーに部員の面倒と色々おありだったと思います。これとは原因を特定できませんが、複合的なストレスが悪循環で溜まっていたのだと」

「なるほどなぁ。どうやれば治るかな?」

「これも人それぞれですよね。びくはユガケを変えてみるのも手ですが、意識の変換も良いかと思います。例えば穴の空いたコインをジッと見詰めて徐々に距離を離すとか、逆に距離を伸ばしてコイン並みに的が小さく見える場所から、自由に射てみるとか」

「遠的か。そうだな、そういうのを試しても良いな。な、アインツベルン。遠的を見てくれないか?」

「遠的ですか? どこでですか? 学園の弓道場は近的だけですよね?」

「ああ、知らないか。遠坂神社はわかるか?」

「柳洞寺のお山と反対の山にある神社ですね?」

「そうそう。そこの麓にな、大きな弓道場があるんだ。そこなら遠的の射場もあるんだ」

「バスで行かないと無理かな?」

「そうだな」

「毎日は無理ですけれど、時間が取れれば良いですよ。ただ、2年生の修学旅行の期間、書類の関係で一度ドイツに戻らねばなりません。ですから帰ってからの、再来週辺りからになりますけれど、良いですか?」

「ああ、それは良いよ。それまでは後輩指導をしながら、イップスの本でも読んでいるよ」

「そうですね。それと本気で恥を棄てて下さるなら、今日横に立ちますよ」

「ジャージのお前に指導されるのか。それも良いかもな。じゃ、放課後頼む」

「わかりました」

 

 ショートホームルームの後、1限目が始まった。英語だった。

 高3にもなると文法も増える。付加疑問文か。私が日本語でよく使う、ですよね? という念押しの文章だ。

 isn't it? や、isn't she? don't you? に、don't they? これを文章に繋げるだけ。動詞を過去形に変えれば、してましたよね? と簡単に変えられる。要点は押さえてあるので、おかしな授業ではない。けれど……。

 

 I am tired of humdrum lesson.

 

 アルトリア姉さんの授業が恋しい。

 

 

 2限目が終わり、ティーブレイクにコーヒーを買いに行った。

 ベンチで一休みしていると下級生が寄って来た。一人はツーサイドアップの東洋人で、一人は金髪縦ロールの白人。ご丁寧に人除けの魔術を使っている。

 

「ケンカなら買いますよ?」

「違いますわよ!」

「持って行くもののリストを見て貰ったでしょう? あれで良いのかなって」

「ああ……。あちらがOKを出していたでしょうに?」

「なんかあなたと違って、そっけないと言うか、話しかけにくいって言うか……」

 

 確かに、彼女にはそういう空気があるだろうな。上の空では無いけれど、四六時中何かを考えていたから。

 その点私は考える事が少ない。それに新しい家族の事もあって、敢えて雰囲気を変えているのだから。いや……変えたつもりが、今はその方が心地良かったりする。むしろ今の自分が本当の自分だと思える。あれ……? 

 

「気持ちはわかります。ですがあの態度でキチンと着飾り、キングス・イングリッシュをサラリと話せるから、テキサス訛りの罵倒語が際立つのですよ」

「テキサス訛り?」

「親しい親族がアメリカ南部にいらっしゃって。汚い言葉を覚えてしまったのです」

「どんなよ?」

「単語の言い換えや意図的な端折り、それと組み合わされる卑猥な単語ですね。日本語で話すとこんな感じです。『髪のササクレだったマッチ棒女、オメェの洗濯板を相棒のミルクで矯正しろや。遠目に見たらお祓えの大幣だぞ? そもそもカルシウム足りてんのか? そんなだから朝が弱いし、小さい事でイライラするんだぞ?』」

「ムカつく~~ッ!」

「これをルヴィアみたいな慇懃無礼にならぬよう慇懃かつ丁寧に話している中に、ズバッと挟むのですよ」

「私、バカにされています?」

「バカにはしていませんよ。言葉のアヤです。あなたは会話力が高い人ですから」

「ああ……。このレベルの英会話ができるって事ね? 確かにルヴィアの英語もキングス・イングリッシュだものね?」

「そういう事です。ルヴィアの発音はお手本になるでしょう?」

「ええ。BBCのアナウンサーみたいだけどね」

「ですから効果が高いのです。心理戦とはそういうものですよ」

「そっか。あっちに行けば会う人会う人、全員とそういう戦いになるのよね?」

「そうです。あなたもそれなりに話せるとは思いますが、ネイティブの三枚舌と戦うには厳しいでしょう?」

「そうよね……。ルヴィア、私の研究発表とかどうだった?」

「そこで問われますのは内容と理論ですわ。少々言い回しが変だとしても、それを責めたりはしませんわよ」

「ああ……。議論はお任せします……」

「はい」

「ご同行できず、申し訳ありません」

「いいえ。凛、ルヴィアのこういう部分をわかってあげて下さいね」

「どういう?」

「心の機微というか細かな配慮というか。ヨーロッパ人の中でもフィンランド人が一番日本人に近い感性を持っているのですから」

「え?」

「本当ですよ。彼女は家の育ちと立場で、今回私達が向かい合う相手と同じ態度を取らざるを得ないだけです。時計塔ではあなたと一番感性が近く、誰よりもあなたの事を理解していたはずです。そしてルヴィア。ご両親を亡くされて、親族も不明。たった一人の妹とも会話ができない。それでも6代目遠坂として家名は護らなければならない。そんな毎日に耐えられますか、あなたは?」

 

 ルヴィアは何かを言おうとして、じっとこちらを見た。けれどチャイムが鳴ったので、失礼と一言残し私は校舎へ向かった。

 コーヒーの紙コップをゴミ箱に棄てて、階段を一段飛ばしで教室に戻ったのだ。

 この手の波紋を投げ掛ける、爆撃発言は正直苦手だ。あの二人、ルヴィアにも問題がない訳ではないが、どちらかと言えば凛の認識不足から問題が起きている。

 別に今日言わなくとも良かったのだが、時計塔のロードや理事が持つ空気を知って欲しくて話している内に熱くなってしまった。

 エーデルフェルトは時計塔に所属する魔術師なら、知らぬ者の居ない北欧随一の名門である。しかも現当主がプラハと兼任で理事を務めているのだ。

 長年の魔術的貢献、経済的貢献は極東の小さな家では計り知れないだろう。おそらく、現時計塔に在籍している親族や門弟は、学籍だけで五十人を超えると思う。

 民主主義派の学部に限らず、事務や運営にもエーデルフェルトの職員が居るはずだ。そんな状態の中で跡取りと指名されていれば、生半可な態度は取れないし、中途半端な成績は残せない。

 何故ならルヴィアと変わらぬ成績を残す一門内の学生が三~四人は居て当然だし、典位クラス以上の魔術師も多いからだ。だから絶対に負けられない。弱みを見せられない。

 対する凛は天涯孤独で、もう棄てるものが何も無い。ルヴィアという目標に向かってイケイケで走れば良いだけだ。

 それなのに、相手はお嬢様で資金に恵まれ、次から次に宝石を買い漁る。また、こちらのミスをあげつらって笑う。なので何かと腹が立つ。

 それはわかるが、エーデルフェルトは両替商や宝石商から端を発し、金融やシンジケートを組む家に発展した経緯がある。今は重工業や精密機器、通信業にも関わっている、表の事業でも成功している一族なのだ。

 そんな家の跡取り娘と、冬木村の庄屋の末裔が張り合ってどうするのだと。ミスを笑う点だけを冷静に指摘すれば良いだけだ。ところが凛もお嬢様の仮面を被っているので、ついつい同じ土俵に立ちたがる。その方向は墓穴しか掘らないのに。

 

 こういう事を理解させるのがオリジナル……この際、0番で良いか、奴は上手い。その事が離れたからわかる、反対派だったから余計にわかるのだ。0番は偉いよなぁ。しょせん私は47番だ。感情で言い過ぎたと思う。後で謝ろう。

 

 

 お昼休み。春の陽気が気持ち良い。

 教室の窓から、校舎脇のベンチが空いているのが見えたのでそこで食べようと降りてみた。クラスメイトには話し掛けられこそすれ、一緒に食べようとは誘われない。

 かつての同級生なので原因はわかっている。嫌われているのでなく、私と話題が続くかどうかが不安なのだ。証言もある。私に嫌われたくないので距離を置いて、様子を伺っている状態なのだと食堂派の薫が教えてくれた。

 そんなところだろうと想像していたので納得だ。

 こういうのは切っ掛けだ。何かイベントがあれば変わるものだ。そして高2の修学旅行が終われば、次は体育祭がある。潮目が変わるのはそこだろう。

 そんな事を考えつつベンチに行くと、先程は居なかった先客が居た。1年生ばかりの四人組。その中に間桐桜が居た。

 

「こんにちは、アインツベルン先輩」

 

 立とうとするのを手で制す。膝の弁当を落としますよ? 

 後の三人はペコリとお辞儀。それで良いのだ。真面目だなぁ、桜ちゃんは。

 

「こんにちは、皆さん。お天気、良いですものね」

「はい」

「仲良しグループですか?」

「はい。中等部からの友人です。クラスは色々ですけど」

 

 1年生だと5月のこの頃でも、新しいクラスメイトと一緒にお弁当とは行かないだろう。

 中等部は小学部からのエスカレーター組と外部受験した人が初めて出会う。それよりはマシだと思うけれど、高等部になると外部受験生が一気に増え、学生人数が倍になる。

 小学部……向こうの初等部なら、1学年3クラスで、1学級平均20数人。学年に拠るが30人を超える事はない。だいたい1学年80人弱なので、6学年で460~480人だ。

 中等部だと、これが1学年4クラスに増える。1学級の人数は30数人。1学年130人強。3学年で400人弱だ。けれど高等部は1学年8クラスあり、1学級は40人弱で220~240人は在籍する。3学年で900人弱だ。

 つまり内部生の桜ちゃんでも、高等部に上がれば知らない先輩や同級生が圧倒的に多いのだ。

 だから高等部1年生は5月が終わるまで、中等部時代の友人と一緒にいる事が多い。打ち解けるのは、やはり体育祭後だ。

 ただ、ここの学園は中等部も3クラスだし、高等部は6クラスだった。採算が取れているのか心配になる人数だ。教職員の人件費に施設管理に維持費。先生方の給料は当然以前の世界より低いだろう。

 こんなので聖杯戦争が起きて、鮮血神殿とか張られたら、ムカつく事この上なしだ。自らのサーヴァントが騎兵であるにも関わらず手綱を握る事を拒否し、あまつさえ学園を獲物として差し出した……。

 先パイと戦いたくないからって……巫山戯てるのか!? 究極のエゴだ!! おっと……ふぅ~。ここの桜ちゃんは関係なかった……。私は横のベンチに座った。

 

「先輩、お一人なんですか?」

「はい。編入早々は中々難しいですね」

「美人過ぎて声を掛けられないとか?」

 

 少し茶目っ気のある子が話し掛けて来た。

 

「それ、喜んで良いのですか?」

 

 笑いながら返すと、相手は『ええっと……』と苦笑いで言葉に詰まる。その後は体育祭の話で盛り上がった。

 曰く、中等部とは比べ物にならない。

 曰く、走る距離が長くなって競技が厳しい。

 曰く、応援団が凄いらしい。

 まぁ、どこにでもある、あるあるネタだ。しかし、ドイツやスイスに体育祭は無い。アニメでしか知らない人がほとんどで、向こうの友人が羨ましがっていたと話せば驚いていた。

 

 終礼のホームルームで体育祭の出場選手が決められた。

 普段の体育で私を観ていた女子のクラスメイトは、アインツベルンさんを推薦しますと力説合戦だ。まかり間違えばイジメだがこの場合は真逆で、本当にクラスのために、梯団のために私を選んでくれている。

 私も調子に乗って、クラス対抗リレー、梯団対抗リレーの他に、クラブ対抗リレー、挙句の果てに以前の学園には無かった穂群原体育祭記念マラソンという競争にまで参加了承してしまった。

 このマラソンは体育祭内での単独競技で、梯団やクラスの得点も関係なく、女子は3km、男子は5km走るそうだ。上位選手には何やら賞品が出るらしい。

 梯団に得点が入らないクラブ対抗リレーと同じで賑やかしなのだが、運動部は各部最低二人出さなければならないとか。選ばれた事を部活の部長やキャプテンに報告して下さいと体育祭実行委員が言う。はいと返事をすると薫が振り向いた。

 

「大丈夫か? 毎年、レベルが高いんだぞ?」

「なんとかなるでしょう」

「そうか。お前ならそうかもな」

 

 そして挨拶の後、荷物を纏め弓道部に向かった。

 道場に入り、射場の神棚にご挨拶してから更衣室に向かおうとしたら、ドワっと先に来ていた人がどよめいた。何だと思えば見学者が数名居た。その中に凛とルヴィアも居る。ペコリとこちらに頭を下げて来た。さすがにルヴィアは椅子だった。

 

「アインツベルン先輩!」

「間桐さん。お昼はありがとうございます」

「いえ、それよりですね」

 

 桜ちゃんが言うには、お客様も居らっしゃるので3年の私に恥をかかせられない。だから、予備の道着を持って来ているので使って欲しいとの事だった。

 士郎クンの方を見ると、『迷惑だったかな?』と困ったような笑顔を返してくれた。昨夜辺り、電話で話していたのだろう。

 聞けば桜ちゃんは中等部から弓道部だったそうだ。なので予備の道着は何枚かあるとか。そうか。中等部からだったのか。道理で筋が良いはずだ。

 しかし困った。下に着るTシャツも無ければ、正式な弓道用の袴の着け方もわからない。剣道や合気道の袴はあるけれど、あれとどう着け方が違う気がする。

 そう言えば、巫女の姉に借りて巫女装束をコスプレした事がある。けど、あれこそ紐の結びが前へ出過ぎだしなぁ……。

 そんな事を考えていたら、腕を掴まれ更衣室に連れ込まれた。結構チカラが強いな、桜ちゃん。それ、どなたからか借り受けた怪力ですか? 

『いやぁ~、私はまだ経験が無いの。許して~』とか小声で言えば、先に中で待っていた薫に笑われた。

 

「お前、そういうタイプだったのか。へぇ~」

 

 そこを桜ちゃんが割って入って、サブバッグの中から包みを取り出した。

 

「先輩、これどうぞ」

 

 桜ちゃんからTシャツを手渡された。用意が良いなぁ。薫の方をチラチラ見ながら匂いを嗅ぐ振りをした。

 

「遊んでないで早く着替えろ」

 

 叱られた。なんでさ。

 下着姿になりブラを外す。スポーツブラに替えるのだ。私の胸は母や姉のFカップには劣るが、限りなくEに近いDカップだ。胸筋を鍛え過ぎたらしく、走っても揺れない。

 この、ツンと上を向いたカタチが空気抵抗を軽減させ、コンマ1秒を稼ぐのだ。また弾道力学的にも……どうでも良いか。ともかく私の割れた腹筋を見て薫が驚いていた。

 

「ああ、お前空手をやってたんだっけ。凄い腹だな?」

「押忍!」

 

 その後はテキパキと着替えた。足袋を穿いて上衣に袖を通す。上衣だけだと妊婦さんかレントゲン室前で並んだ患者さんみたいだ。

 

「ゴ~ンゴ~ンゴ~ンゴ~ン」

「MRI検査でもCTスキャンでも無ぇよ!」

 

 薫のツッコミは鋭いので好きだ。

 そして帯は浴衣結と太鼓しか、ぱっと思い出せず、自信が無かったので薫に頼んだ。袴の着け方もやはり違った。帯を余らせ、袴の前紐の余りを巻き込んで帯に差し込む。なるほど。

 

「先輩、ウェスト細~い」

 

 そう変わらないだろうに。1~2cmや1~2kgの差で一喜一憂するところが間桐桜か。これは全並行世界共通らしい。

 髪は既にポニーテールに結い直している。鏡の前でチェック。軽く整えてから射場に出た。うおっと男子がどよめく。お前ら今夜のおかずは決定だな。若いんだから三杯はお代わりしろよ。

 って、士郎クン……君もですか……。呆けた顔で私を見ている。けれど桜ちゃんに睨まれて即ショボンヌ。可愛いなぁ。

 あらま、見学者もオオ~とかホゥ~とか。見渡すと、着替えている間に見学者が増えていたようだ。今日は留学生も見学に来ているのか。凛とルヴィアが笑顔で手を振ってくれた。気分を害したろうに、ありがたい。

 あ……しまった。あの二人、和解してる……? そうか、お昼はその報告だったのか。なら、私もとびっきりの笑顔で手を振ろう。ああ、笑い返してくれた。良かった……。

 

 しかし見学者が多い。なるほど、そういう公開の日だったのか。それで薫はジャージのお前にと言っていたのかな……? 

 きっと副部長の士郎クンも見学の事を知っていたので気を回してくれたのだろう。私は小声で桜ちゃんにお礼を言った。だって士郎クンのブレーンはこの子だから。

 

 軽い準備運動と柔軟運動の後に薫の横に着いた。

 運動の時にスポーツブラを着けるのは陸上の頃からの習慣だが、姉の失敗談も色々聞いている。柔軟運動で肩甲骨の裏をほぐす時に、普通のブラだとホックが外れる場合があるのだ。それと袴の脇。運動後はスッと人の陰に入って、たくし上がった上衣を下げる。そうしないと、男子を悩殺間違いなしだ。

 さて、薫を間近で見る。

 記憶にある薫の射形と照らし合わせるのだ。足踏み、胴造り、弓構え、打起し、引分け、会? ん? 

 遠目で見ていて気付かなかった違和感があった。薫に頼んで矢を番えず、的側から見させて貰った。本来なら叱られる見方だろう。だけどこの場合は許して欲しい。

 頭も振れず、視線も良い。的付けも問題ない。そして次は後ろから見た。やはり記憶の射形と違う。手の内を少し無理に纏めようとしている。会の段階で弓手は安定しているが、しわ寄せが馬手に来ていると感じた。

 

『常に最強の自分をイメージしろ』

 

 兄の言葉を思い出す。あれは何にでも当て嵌まる。

 要は一番美しいとか、格好良いとか、そういう自分の理想をイメージしてそれを再現しろという意味だ。或いはそれに邁進しろという意味でもある。

 美しく正しい射形が取れれば、矢は真っ直ぐ的へ向かう。これはどんな事にも当て嵌まる。正しい手順、正しい動作。それを完璧に覚える事から物事は始まるのだ。学ぶとは真似るから来ているのだから。

 上手な人の動作やカタチを真似て、それを自分の体型や筋力に合わせて変化させる。それが学んだという事なのだ。そしてそれを行うのに、邪魔となる余計な脂肪や筋肉の硬さを取り除いておく。

 この辺の心構えを重要だとして、言葉を削って家訓に残せば、遠坂家のあれになるのだ。ちゃんとわかりやすい言葉も残してやれよと思うけれど。

 

 さて、薫の射型だが。

 これまでに何度も何度も練習して、頭の中に理想の射形は残っているはずだ。基本は何も間違っていないのだ。けれど、身体がそれを再現できない時はある。つくづく人はメンタルな生き物だと思う。

 豆腐メンタルな父は、機械に徹する事でなんとかやって来れたという。けれど、私や姉のようにホムンクルスの血でも引かない限り、普通の人間にそれは不可能だ。

 イメージだけでご飯は食べられませんよ、お兄ちゃん。ロボットじゃ無かったから守護者が嫌になったのでしょう? 

 

「どうだ?」

「ん。思うところはあります。今度は的付けを60メートル先に。ただし矢が落ちないと考えて」

「どういう?」

「理屈でなく、鉄砲みたいに真っ直ぐ飛ぶとイメージして下さい。いきなりですが、それで四射して貰えますか?」

「わかった。やってみよう」

 

 足踏み、胴造り、弓構え、打起し、引分け、会、離れ、残心。矢は霞的のかなり上。安土に突き刺さった。

 

「その勢いのまま、的付けを近的に」

 

 再び足踏み、胴造り、弓構え、打起し、引分け、会、離れ、残心。矢は霞的に吸い込まれる。一の黒だ。けれど、まぐれっぽい。

 再度、足踏み、胴造り、弓構え、打起し、引分け、会、離れ、残心。矢は三の白上を抜く。四度の八節で二の白下端。

 

「最初はナシです。これが四射目のつもりで」

 

 そう言って彼女の予備の矢を渡す。

 弓道場が静まり返る。足踏み、胴造り、弓構え、打起し、引分け……。びくでは無いが、馬手の筋肉がピクリと。けれど誰しもに起きる範囲だ。そして会、離れ、残心。矢は? 矢は? 

 矢はヒュンと風切り音を残して中白を貫いた! 

 見守って居た人達がどよめく。薫はしっかりと残りの作法を通してから、後ろで正座していた私の方へやってきた。

 

「ありがとな。取り敢えずこのイメージでやってみるよ」

「ええ」

「今度はお前の射を見せてくれ」

「はい」

 

 そこへスススと桜ちゃんが寄って来た。何だと思えば、部の備品らしき並寸の弓を渡された。

 軽く引いて弦の具合を見てみると、かなり良い感じだ。ジロリと桜ちゃんを見れば、目線をズラした。やっぱり士郎クンか。

 桜ちゃんは並寸だが弓が私には弱い。姉は中等部時代から愛用している三寸詰めのカーボンと、並寸のグラスとカーボンを気分で変えていた。私もそれを持たせて貰っていたので、余り寸法や材質に拘りは無い。強いて言うならカーボンかなという程度だ。

 けれど、弦はコンポジットでなく麻が良い。それも矢勢の出る硬め。手に余計な振動が帰らない。和弓の原点はこれだよと姉に教えて貰ったのだ。矢は番えなかったけれど、コンパウンド・ボウとは全然違う余韻に痺れてしまった。

 昔、鳴弦という魔除けの方法があったのも頷ける。ただ残念なのは、麻の弦は竹弓専用でカーボンやグラスファイバーの弓には合成弦と決まっている点だ。

 そんな私の好みを知ってか知らずか、弦はかなり硬めだった。備品のカーボン弓も16kg以上ありそうなのを選んでくれている。絶対に女子向きでは無い。けれど私に対しては、そうでなければと士郎クンは感じたのだろう。

 頑固なまでの思い込みが、道を知る人の素晴らしさとなって出ている。ここのブラウニーは味があるじゃないか。

 なら見て欲しい。感じて欲しい。目を通して脳裏に焼き付けて欲しい。これが君の姉の射だ。

 

 旅立ちの餞別は四射的中。東京○な奈、忘れるなよ、士郎クン。

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