プリズマ☆エルヴァ 第一部 邂逅篇   作:炭団

26 / 45
第五章 時計塔
26、スラーの街と倫敦の時計塔


 朝食を摂った後、荷物を先輩に預け、パディントン駅に地下鉄で向かった。パディントン駅で乗り換えれば、スラーの駅まで一直線だ。列車の窓の外は雨だった。

 ザーザー降ってはいない。シトシトシトシトといかにも倫敦らしい纏わり付くかのような雨。その雨がスラーに着くと少し強くなった。

 現代魔術科のキャンパスであるスラーの街は、ヒースロー空港から西へ8kmほど先にある小さな街だ。今日の目的はライネスさんに会う事だった。

 ウェイバー先生、否、エルメロイⅡ先生を昨夜怒らせてしまったけれど、今日は関係ない。内部の人に利用され、先輩にも利用され、本当にお気の毒だと思う。

 けれど先生、先生ほど利用価値の高い人はそうそう居ません。だってどの陣営からも絶妙な位置に立ってらっしゃるんですから。

 

「ロードを怒らせた事が気になりますか?」

「それは気になりますよ。世界は異なれど、私も再来年は倫敦の住民で先生の同僚になるんですから」

「私はここのエルメロイⅡより、あちらのウェイバー先生の方が気の毒ですよ。10歳以上年下の魔法使いが同僚なんて。それに貴女に提供される家は、先生がお住まいのドルイド・ストリート近くのフラットでなく、ハーレー・ストリートに面した高級住宅でしょう? 倫敦ではメイフェアやチェルシーにオックスフォード・ストリートと並ぶ超一等地ですよ。おまけにチェルシー以外はご近所ですし。ピカデリー・ストリートへも800mくらいです。あそこに住めるのは高給取りのお医者さんや有名ミュージシャンとか、そういう人達ばかりです。この格差は大きいですよ。先生も頑張られて、現代魔術科を任される学部長にはなられましたが、私とノーリッジさんが居なければロードは無理でした。やはりケイネス先生の弟子という肩書きは武器であると同時に、重い足枷でもありましたね。それが無いだけここの先生は自由ですよ」

「でも、あの論文にあそこまで驚かれるとは……。思った以上でした」

「そりゃ、ケイネス先生から薫陶を得続けられた人と、色々な思いを10年前に残して停滞してしまった人とでは差が出て当然ですよ」

「そうですね……。あ~あ……。ケイネス先生を殺したのは先輩のお父様で、両親もとっくに死んでいる。すっかりこういうのに慣れてしまいました」

「並行世界で一々感傷に浸っていたらキリがありません。先生もですが、凛に同情でもしましたか?」

「はい。姉の存在を知らない桜なんて残酷ですよ。その切っ掛けはここの父ですけれど」

「ですからそうやって思考が堂々巡りするのなら、無駄であり浪費ですよ」

 

 時間の無駄、脳への栄養素の浪費。先輩らしい省略した言い回し。師匠である先生や私の知っている凜さんなら心の贅肉と言うのだろう。

 けれどあの桜に凛さんは思い出せない。例え先輩の魔術であってもだ。何故なら使われた術が不可逆的な記憶消去だから。

 錬金術には時々こういう0か1かの効果しか無い方法がある。私も間桐の修練は知っている。だから小母様を残酷とは言えないのだった。

 

 程なくスラーに到着した私達は、メイン・ストリートを横切り、とある建物に向かった。

 綺麗でもないが汚くもない、大きくはないが小さくもない、特徴の希薄な建物。あちらの倫敦でも数回お邪魔している。

 広さは地方の三館くらい併設された映画館程度の敷地面積だろうか? いや、もっと広いかな? ともかく中規模のスーパーくらいの土地に、のっぺりとした外観の建物が建っている。

 これが現代魔術科の本学舎だ。

 その裏手に、もう一つ建物が見えるが、あれが旧学舎だ。立入禁止にこそなっているが、取り壊されずに在りし日の佇まいを今も誇っている。

 実はあちらの旧学舎の方が大きいのだ。それなら旧学舎をそのまま使えば良いのにと考えそうだが、あの学舎こそがハートレスが学部長だった頃のものなのだった。

 それにまだまだ新学舎に運びきれていない資料や呪体がたくさん残っている。鉱石科を取り上げられたライネスさんは、意地で現代魔術科の新学舎を建てたは良いが、そんな事情もあって旧学舎を取り壊せずにいた。

 きっと忌々しいと思っては、裏手の遺物を見ているのだろう。ともかくそんな曰くありの建物の中に入ると、先輩はいきなり炎を100箇所近くピンポイントで発生させた。

 スプリンクラーは無反応。それなりに気合の入った造形のホールは調度類にも被害が無い。相変わらず火の魔術が巧い。

 火はノーマルで初心者向けと言う魔術師は、先輩のこれを見ろ。絶対誰にも真似できないのだから。

 

「先輩、学生の使い魔でしょう? 放っとけば良かったですのに」

「若さの源は好奇心です。それは否定しませんが、礼儀は尊ばれるべきですよね」

「それはそうですが、外から着いて来たのまで壊してしまって」

「私達がスラーへ行ったとわかれば良いのですよ」

 

 同時刻、幾つかの部屋に別れて講義を受けていた学生達は一斉にギョッとした。

 ほぼ同時に全員の使い魔が潰されたのだ。それもありきたりな炎の魔術で。

 

「フラット。とんでもない人が来たぞ」

「うん。ル・シアン君、これって普通の火の魔術だよね?」

「ああ。特殊な事はしていないと思う。これ、お前なら再現できるか?」

「う~ん……」

「初めて訪れた場所で、触媒も使わずこれだけ広範囲に。しかも正確無比だ。どこも焦がしていない」

「だね。何だかワクワクして来たよ。誰も知らないタイトルなのにプレイしてみたら最高だった。そんな気持ち」

「ああ、それも最初に入ったダンジョンから、いきなり難易度が高いみたいな」

「そうそう。チュートリアル的なダンジョンの、見逃した隠し扉の奥に中ボスが居座っていたみたいな」

「あるよなぁ。いよいよ最後、ラスボス戦だと思ったら、ラスボスの居場所に通じる通路の鍵を持っているのが、その隠れていた最初の中ボスで」

「そう、全部戻って中ボスを探さなきゃいけないんだ。しかもゲームの進行時間で居場所が変わるんだよ」

「そうそうそう。奇数時間ならAで偶数時間ならBだとか。ドロップアイテム・コンプリートを達成しようと思えば、両方を倒すためにジャストの時間にどちらかを倒さないといけないんだ」

「そう。あのからくりがわかるまで時間が掛かったよね?」

「な?」

「煩い! スヴィン、フラット、静かにしろ!」

 

 日が昇る勢いのエルメロイ教室では、良くも悪くも新進気鋭で一癖も二癖もある学生が揃っている。

 そんな教室のツートップ、スヴィン・グラシュエートとフラット・エスカルドスは駅に降り立つ二人の少女に目を瞠った。

 暇潰しに放っている使い魔が捉えた一人は、馴染みのリン・トオサカ。もう一人はピンク掛かった銀髪で、素晴らしい香りを放つ少女。

 けれど、フラットはいつものリンより循環してスッキリだと変な事を言う。

 そこでその辺で遊ばせていた使い魔を向かわせたスヴィンだが、銀髪の少女の香りに鼻というか心をやられた。しかしその甘い誘惑はなんとか嗅覚遮断でやり過ごした。もう一度嗅ぎたいと思う、素敵な香り……。こんな気持ち、グレイちゃん以来だった。

 そんな二人がロビーに入るやいなや、いきなり使い魔を焼却したのだ。

 

「ル・シアン君、気付いてる? あのリンはリンじゃ無いよ。それに二人の傍に」

「ああ。何かとんでもない霊を連れていたな。グレイちゃん似なのがムカつくな。何者だろう?」

 

 教室から叩き出されたスヴィンとフラットは、これ幸いとロビーへ向かった。

 そうすると階段を登って来る少女達とナイスタイミングで擦れ違った。咄嗟に探査魔術を掛けたが無反応だ。

 振り向けば、当初からそこが目的だったみたいに、ライネスちゃんの部屋へ消えて行った。

 

「エルメロイの姫君のお客かな?」

「みたいだね」

「そこの二人、こちらに来なさい」

 

 突如、真後ろから声を掛けられた。

 ロビーの方角だ。そんなところには彼女達以外誰も居なかったのに。恐る恐るもう一度振り向けば、金沙の髪に銀の鎧を纏った美少女が立っていた。

 あの霊だ。見た目だけはグレイちゃんに似ているが、中身は別物だ。圧倒的かつ絶対的な魔力量と、暴力の香りが漂っている。

 これは間違いなくラスボスだ。何でこんな序盤の、ありきたりな廊下に。その美しい死神は涼やかな声でこう言った。

 

「好奇心は災いの元とも言いますが、何故か我がマスターはあなた方も同席しろと申しています。どうされますか?」

 

 ライネスちゃんの私室でもある執務室。

 今までは入りたくても入れない崇高な場所でもあったが、これ程入るのが怖いと思った事も無かった。

 

「本当に彼等を同席させると?」

「はい。この論文を見て理解できるのは彼等だけでしょう」

「確かに私では力不足だろうね。兄の授業が終わるまで待てないのかい?」

「それまでに要約して頂きます。さぁ、こちらに座って目を通しなさい、わんこにアホウ」

「Wanko?」

「Ahou?」

 

 ちなみにわんことアホウの部分は日本語だ。

 自分達の事だろうかと首を捻りながら、それぞれがかなり厚みのある、3部のリポートを手に取る二人。やがて目が見開かれ、5分が過ぎ、10分が過ぎ、15分過ぎた辺りでリポートを交換した。

 ページを捲る速度がどんどん早くなる。視覚情報の処理で脳がパンクしないように、魔術を使って理解する前に記憶野へ刻み込むのだ。時計塔ならではの速読術だった。

 まだまだ涼しい倫敦で、二人の額には汗が滲んでいた。3部目に目を通し終えた時に、二人は同時に声を上げた。

 

「これをあなたが!?」

「そうです」

 

 客人とともに、紅茶とチョコを楽しみながら待っていたライネスが二人に問うた。

 少し溶けたチョコが指を茶色に染めた。さすがに人前で舐め取る事はしないが、チーフで拭き取る時、少し惜しい気がした。

 

「それほどの内容だったか?」

「これは革命ですよ!」

「フラットはどう思う?」

「ええ、こっちに考えるのかって新鮮でした。それよりもそちらの鎧の人が気になって……」

 

 トオサカ・リンには見向きもしない。彼の中では別人で終わっているのだ。

 それより、このグレイちゃんに似た幽霊だ。何か得体の知れない怖さがあった。

 

「そちらの方の事は後で説明するよ。それで革命とまで言ったね、スヴィン。それはどういう意味だい?」

「このリポートは三つでセットなんですよ。それぞれが補完しあっているんです。この最初の『魔術刻印の複製と拒絶の少ない移植』なら、複製そのものも画期的で凄いですが、次の『拒絶反応を抑える処方箋』に複製方法と保存方法のキモと、改良の仕方が書かれてあるんです。そして3部目の『魔術回路のエミュレートによる属性変化』を読めば全部に筋が通ると言うか。これは何ていうのかな?」

「楽器のチューニングと保管方法」

「そうそう。調律師に依頼する魔術回路の調律を自分で簡単に行える方法や、回路の保全方法、そしてその重要性が第1部に書かれてあり、第3部ではその調律方法で回路を繋ぎ替える事が可能になれば、属性を変化できるとあります。つまりフラットなら、下位の火に地、風に水も使える可能性があると。それを成すための回路の使い方や訓練方法までが書かれています。また、第2部では刻印の複製だけでなく、刻印のリフレッシュやメンテの仕方などが。要は誰でも回路があれば今以上の魔術師になれ、魔術回路が減って行く問題で家が衰退する事もない訳です。この論文はそれを訴えつつ、神秘が薄まる世の中では回路の使い方や刻印の使い方がより重要になるだろうと書かれてあります。これは僕も納得です」

「それは確かに革命だ。それで、その属性変化は本当に可能なのか?」

「ええ、たぶん。それより重ね掛けの方ですよ。同じ属性を重ねたら、魔力消費が1.1倍から1.2倍で、出力が最低2倍からとありますが、これはおそらく正しいですよ」

「7倍くらい出たよ。消費はざっと1.2倍。正しいよ、これ」

「もう試したのか?」

「うん。間違いないよ、ライネスちゃん」

「では、スヴィン。もし仮に君がロードなら、この論文にどういう評価を下す?」

「封印指定に推薦したくとも、恩恵が大き過ぎます。何よりこの論文はともかく……その鎧の人は隠し切れないと思います。ならばむしろこちらに取り込んで、論文のアイデアを時計塔の独占にする。ライネスさんの欲しい回答はこんなところでしょう」

「同感だな。まさに革命であると証明されたな?」

「え? ライネスちゃんはいつ読んだの?」

「昨夜、三部セットで預からせて頂いたんだ。その時に軽く目を通していたのさ。そして私のような者からは第2部こそが革命だ。これに飛びつく家は後を絶たないだろう。そして兄には第3部で、君達学生には第1部と第2部の一部が役立つだろう。そう考えた時に、彼女達が帰った後に君達を喚ぼうと思ったのさ。ところが彼女達は先に君達を喚んだ。さぁ、あなたの計画を聴かせて欲しい」

 

 そこでエルヴァは、この論文を現代魔術科から発信する最新論文として、各ロードと話しを通す武器にして欲しいと言った。

 ただしもう一つのチームが、本日同じ論文を降霊科のロッコ・ベルフェバンや天体科の姫、オルガマリー・アニムスフィアに渡しているだろうとも。

 

「つまりは早い者勝ちか。勝った場合は私達現代魔術科が好きなように使って良いと?」

「一応はそうです。そこから先はあなた向きの仕事ですね。見事、使いこなせばエルメロイの借金は消えるでしょう」

「だろうな。そして例の刻印。兄を開放しろと?」

「いいえ。残るでしょう、あの人は。手のひらで護ってあげて下さい」

「クク……となると、そちらのメリットが何も無いぞ? それともまだ他に手が?」

「幾らでもあります。彼女もその手の一つですよ」

「確かにな。いまだかつてゴーストライナーを召喚し、使役したロードは居ないものな」

「ゴーストライナー!?」

 

 揃って素っ頓狂な声を出すスヴィンとフラットだった。

 

「境界記録帯……つまり、英霊って事!? 嘘ッ! 友達になりたい!」

「断る。嫌だ。拒否する。承諾も承服もしかねる。断固として撥ね退けさせて貰おう、若きメイガス」

「何で……そこまで……orz」

「う~む。見事な拒絶だ。しかし何故?」

「痴漢と友人になりたい女性は居ないでしょう。フラットくん、その無遠慮な探査魔術を止めなさい。モナコの家と資産を全部手放しても償えきれぬ賠償金を請求しましょうか?」

「あ……いえ……失礼しました……」

「コイツが素直に謝った? 何かの誤り? 天変地異の前触れ?」

 

 別にフラットは拒絶にショックを受けた訳では無い。彼女の拒絶は彼女がマスターと呼んだ、銀髪の少女が発した命令であるとわかるからだ。

 問題は断ると言った瞬間に、この建物のみならず、時計塔の主要な場所に潜ませていた使い魔が全部同時に壊された事にあった。そして使い魔とのパスを、彼女が使役するであろう使い魔とのパスに強制的に繋ぎ替えらたのだ。

 今、フラットはその眼を通して、この部屋の外や建物の周囲を黒ずくめの者達が取り囲んでいる事を見せ付けられている。だから詫びの言葉が無意識で出たのだ。

 また時計塔本部には、目の前のゴーストライナーと同じ存在と、男性のゴーストライナー、更にマスターと呼ばれた銀髪の少女と同じ存在にリン・トオサカ本人、そして黒ずくめの者達が何人も何人も居た。

 こんな魔術は初めてだ。他人の魔術に干渉するのが得意な自分でもこれは無理だ。相手の使い魔とのパスを利用して、自分が持つ複数の別の使い魔に瞬時に繋ぎ替えるなんて。

 そしてそれを逆手に取って、彼女へパスを繋いで考えの一つでも読もうとすれば、そんなルートには全部一方通行の弁が付いていた。つまり相手は自分へパスを幾らでも繋げられるのに、こちらは何もできないのだ。

 男性のゴーストライナーが言う。

 

『フラット・エスカルドス。君の態度次第で時計塔を含む倫敦の人々の命数は決まる。大人しくしていたまえ』

 

 フラットは今まで何も怖くなかった。

 実の親に5度も殺され掛かったのにだ。世の中がどうとかそんな難しい事は知らないが、いつだってなんとかなった。また、なるものだと思っていた。

 実際面白いもの、楽しい事を追い掛けていれば勝手に問題は解決していた。自分はただただ、思い付く限りの楽しい事を追い掛けていれば良かったのだ。また、それが幸せだった。

 だからこそ、そんな楽しい事を与えてくれる魔術が好きだったし、時計塔の人や現代魔術科の仲間が好きだった。

 

 先生が好きだ。ライネスちゃんが好きだ。ル・シアン君が好きだ。皆んな皆んな大好きだ。それが今崩れて行く。銀髪の少女へ何も干渉できない。いや視えたり感じ取れるものはあるけれど、どこか嘘っぽく感じる。きっと弁から偽の情報を流されている。

 リン・トオサカに似た少女は何一つ視えない。ここに存在しているかも怪しい。そしてライネスちゃんにル・シアン君は、人を遥かに超える魔力を放つゴーストライナーの射程距離内だ。トリムちゃんでも間に合わない。

 きっと盾になっても、もろとも斬り飛ばされるだけだろう。だって、あのゴーストライナーは黄金に輝く、とんでもない魔力と神秘を秘めた不思議な剣を持っているから。

 あれは危険だ。今、この場は詰んでいる。吐き気がする。指が震える。足もガタガタと煩い。ああ、ダメだ……。

 

「フラット? 泣いてるのか、お前?」

「え? ル・シアン君、何? 僕が泣いてる……?」

 

 そこでデスクの椅子に陣取っていた少女が、立ち上がって拍手をした。

 

「素晴らしい。時計塔一の問題児のこんな表情は初めてだ。実に見事なお手並みだったよ」

 

 そこでドアがバンっと大きく開かれた。

 

「ライネス! 無事か!?」

「先生! 先生!」

 

 フラットは涙をボロボロと流してエルメロイⅡに縋った。

 

「おっと、二度美味しいとは。サービスが良過ぎるぞ!」

 

 それからエルメロイⅡを迎え入れ、結界を張り直し再び密談に入った。

 

「先生はどうして?」

「ああ、教室からお前達を叩き出したは良いが、途端に膨大な魔力の気配が湧いて、それに反応して他の学生が騒ぎ出してな。なんとか落ち着かせて、シャルダン翁に頼んで次の講義に入って貰った。その間に使い魔からの報告で来訪者が君達だとわかったので、種々の問題が起きんように手を打ってからここに来た訳だ」

「おいおい。随分とのんびりだね。私が死んでいたらどうするつもりだったのだ? 麗しの兄上よ?」

「彼女達はお前にだけは、手を出さんよ。私も魔力の高まりに驚いただけだ」

「何故、手を出さないと言い切れるのかな?」

「ミス・トオサカ、レディ・アインツベルン。昨夜は失礼した。ライネス、彼女達はお前と同じタイプだ。私は翻弄されていたのだよ」

「やっと気付いたかね?」

「いえ、狙ったのは清老頭ですが」

「Chinrouto?」

「先輩……」

「何を? それはともかく本題を聞いていなかったと思い出してな。そしてその論文が本題か」

「兄者、昨夜の論文は?」

「ああ、持って帰って熟読した。インターネットやデジタルデバイスが発達した近未来に於ける魔術のあり方……。その論文の日付が1996年だった」

「それであんなに狼狽えたのか?」

「まぁ……な」

 

 ライネスも、スヴィンとフラットもパソコンを使えるし、携帯電話でメールも打てる。

 学部長であるエルメロイⅡ自身が、成績表に表計算ソフトを使っているし、位階推薦には串刺し計算が必須だった。

 また外部の親しい者や、時計塔の事務関係とはメールでやり取りしている。先日もミス・トオサカとミス・エーデルフェルトが破壊した教室の修繕費用が詳しくわかるメールが、メールボックスに入っていた。

 要は苦情と督促だ。発送元は事務局だが、事務局長の署名入りで業者が発行した請求書と領収書のPDFが添付されていた。日にちは指定されていないが、事務局で立て替えているので、早急に振り込めという意味だ。

 しかし現代魔術科の今年度予算に、これ以上の出費の余地は無い。暴飲暴食はしない方だが、胸がムカムカする。いわゆる逆流性胃炎というやつか? とうとう胃潰瘍の他にも症状が増えた? 

 確かにメールは便利だ。一々本部まで出向く必要がないし、電話で言った言わないで揉める事もない。日付と時間が明確なメールは、お互いが必ず目を通すなら有益な事この上無しだろう。

 と同時に、こんな風に確実な証拠を突き付ける事も可能だ。今回は突き付けられたのだが。もう、エーデルフェルト理事に洗い浚い話して、修繕費を肩代わりして貰う他は無いだろう。はぁ……。胃カメラを飲む日は近い。

 

 そして────

 このように便利な装置が誰でも使える現代。デジタルカメラで何らかの神秘が撮影され、ネットに流れる時は近い。

 並行世界の自分は8年以上も早くこの危険に気付き、論文にして警告していたのだ。正直打ちのめされた。何故なら自宅の机に山と置かれた幾つかの書き掛けの論文──その内の一つとほぼ同じ内容だったからだ。

 

 そこに追い打ちを掛けた、昨夜の少女の言葉。

 

 この銀髪の少女は知っている──

 10年前のあの戦争を知っている──

 我が王を知っている──

 

 褐色の少女は名をなんと言った? そうだ。エルヴァ・フォン・アインツベルン。思い出して夜中に飛び起きた。

 その名は紛れもなくセイバー陣営を支えた家の名であり、聖杯戦争の仕掛け人の名だ。何故、今の今まで忘れていたのだろう? 何かの暗示? それは十分考えられる事だった。

 

 核心を隠して話すのは骨が折れる。

 ライネスはある程度知っているし、空気を読むだろう。スヴィンも興味はあるだろうが、この場では控える賢さがある。問題はフラットだ。

 この二人を招き入れたのは、この3部の論文の価値を認めさせるためだったと理解できる。一読しつつ、スヴィンの説明を聞けば確かに画期的であり革命的だと理解できる。しかしこれは火種でもある。取扱いの難しい論文だ。

 要らぬ事を話さないでくれと願うばかりだったが、先程からどうも様子が変だ。大人しい。こんな大人しいフラットは初めて見る。

 もしや、締め上げられた? むむぅ……学生を締めるのはどうだと思いつつ、良い薬だと思ってしまう。いかんな。

 

「それでこれを手土産と考えた場合、君達は何が望みなのだ?」

「大師父との会談です。そのセッテイングをお願いしたい次第です」

 

 

 

 しかし、この界隈のホテルをエルヴァが選んだ理由が良くわかる。

 雨の中を傘をさして振り向けば、ホテルの位置も高さも言う事なしだ。つくづくよく考えてあると思えた。ロイヤルVIP御用達のホテルなので、敵も迂闊に手が出せず、ご丁寧にも一々お呼びたて下さるのだ。

 そしてホテルの真裏は広い公園。私達の部屋は道路側でなく公園側に面しているので、窓際に立っても狙撃される畏れが無い。おまけに公園に出向けば、女王陛下を起こさぬように、当の相手が結界を張ってくれるサービス付きだったとか。

 

 今、私達は徒歩でセント・ジェームズ・パークを横断している。傘をさしているのは私と褐色のエルヴァだけだった。

 そのエルヴァが、歩きながら昨夜の出来事を話してくれたのだ。彼女達の話も面白かったが、残ったセイバーと凜の話が凄い。そんな化け物みたいなキメラを斃せる凜はさすがだ。

 途中、公園内で何かあったのか、隠れていたアサシン達が実体化した。こんなに居るの? 

 アーチャーが空に向かって何か話している。こういう訳のわからない接触をして来るのは……思い当たる人が多過ぎる。たぶん、フラットだろうけど。

 

 本部に到着して受付でエルヴァが話しを通すと、降霊科のロッコ・ベルフェバン学部長代理が既にお待ちだと返事が返った。

 何故か受付の女性が私の顔をジッと見ていた。綺麗な人だ。私はどこか桜に似ていると思った。そしてその女性は窓口を別の人と代わり、私達を指定された応接室に案内してくれたのだった。

 中に入るとたしかにベルフェバン代理が居た。そして横にはあどけなさと幼さを残す、銀髪の美少女も。誰だろう? 

 

 私は知らなかったのだが、彼女は時計塔の姫の内の一人、天体科のロード・マリスビリー・アニムスフィアの娘。オルガマリー・アースミレイト・アニムスフィアだとエルヴァが教えてくれた。

 良く知ってるわね、あなた? こっちは時計塔の本部にすら入った事が無いってのに。

 だけどオルガマリーって子は堂々としているわ。これで美遊達と歳が変わらないっていうのだから大したものだ。

 

 確かにオルガマリーは若輩であるが、こういう場に堂々と立ち会える度胸は、幼さ故の無知でなくこの子の美徳だ。

 エルヴァは才気溢れる彼女を、とても可愛がっていた。また理事とはいえ、気さくで年の近いエルヴァをオルガマリーも慕っていた。

 

「昨夜のお話にあった論文とはこれですかな?」

「はい」

 

 挨拶もそこそこにベルフェバン代理とエルヴァが話し始める。

 ちなみにセイバーは廊下で待機、アーチャーは霊体化して周囲を見張っていた。

 

「時間との勝負です。これと同じものを肌の白い方が今日、スラーに持って行きました」

「なるほど。保険ですか。それは仕方ないでしょう」

 

 少女が唇を噛む。他にも取り引き相手が存在する事が許せないらしい。

 そう、あなたはこんな事をこれからもたくさん体験して、大人になって行くのだ。未来のロード・アニムスフィア。

 

「となると……あなた方にとっての本山は、ゼルリッチ様ですか?」

「ま、バレバレですね。その通りです」

「宝石翁にお会いして何を求めますか?」

「自重を促したいですね。御身の存在は組織とは相容れないと」

「ふぅ~……。それをあなたのような第三者から指摘されるとは……」

「私は魔術が好きで、時計塔を愛しています。インターネットがもっと広範囲に広がり、誰しもがデジタル機器で簡単にスクープを物にできる時代になればこのような組織こそが重要です。しかし何人かの旧態依然とした頭の固いロードや理事には、この危機が見えていません。今、神秘の世界は大きなパラダイムシフトを迎えようとしています。そんな重要な時に、要らぬ火薬を持ち込んで欲しく無いのですよ」

「本当に手厳しい」

「ベルフェバンさん。建前の根源、本音の根源。現代は純粋に根源を求めるには難しい時代になりました。昔なら宗教とモラル程度がハードルでしたが、今はそれより広範囲で複雑な政治と経済も絡んで来ます。だからこそ、お気楽な時代にそれを得た者が、フラフラ現れては困る。第一魔法や第三魔法の体現者と同じく行方不明であって欲しかった。それが時計塔の本音でしょう?」

「どこまでもご存知なのですね?」

「非難ではありませんよ? 組織としては当然のあり方です。そして組織が安定して回るためには、時として不安定な者も受け入れざるを得ません。『世界』に於ける人理と同じです。集団に潜む全体意思は、常に停滞と固着を恐れ変化を求め促します。しかし、それすらも緻密に観測し演算を重ねなければ不穏分子は不穏分子のままで、いつしか組織を食い破ろうとします」

「む……? 何者を想定されています?」

「前現代魔術科学部長、ドクター・ハートレスです」

「……それは、遺恨ですかな?」

「悔恨か憧憬か。あの関係がトム&ジェリーなら良いですが。何れにせよエルメロイⅡに固執するあまり、アトラスと組むのはやり過ぎです」

「なるほど……。そこを掴んでいたからの忠告ですか?」

「そうです」

 

 ここで先程の事務職員がお茶を運んで来た。

 アールグレイか。中々の味だ。やっぱり本部ともなると良い葉を使っているなぁ。

 

「時に……あなたは悼んでおいでなのか、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトを?」

「そうですね。これからの時計塔に必要な方でした。それでどこまで調べが?」

「あなたはわざとかどうかは不明ですが、アインツベルンと名乗った。第四次聖杯戦争。調べるのに骨が折れましたが」

「そうです。私は魔術師殺しの関係者です。彼を暴こうとするなら……」

「わかっておりますよ。私とて倫敦は愛する街です」

「これで各ロードが自分で考える緒(いとぐち)にはなったでしょう。感謝します、ロッコ・ベルフェバン学部長代理。そして、未来のロード・アニムスフィア」

 

 オルガマリーは紅潮した。名乗っていないのに相手は自分を知っていた。

 非難も叱責も誰何もせず、立ち会う事を暗に了承してくれていたのだ。そこからは和やかに話せた。話せば話すほど、彼女の理知的な姿と魔術師としての在り方に好感が湧いた。

 

「また、お会いできますか?」

 

 どうして最後の最後で、そんな事を聞いてしまったのだろう? 

 自分が信じられなかった。いつもならカタチだけの握手を交わし、ホンの少し別れを惜しむ顔をするだけなのに。それで大抵の者は満足し、憂いなく別れられるのに。

 だけど、気持ちは尾を引いている。なんだろう、これは? 

 相手はこちらの気持ちを察したかのようにニコリとこう言った。

 

「あなたが望むなら、必ず」

 

 オルガマリーの目は、その後ロビーから出て雨の中を歩き去るエルヴァ達を窓からずっと追っていた。

 ベルフェバン代理に論文の要旨を教えて貰った。内容を知って俄然興味が湧いた。面白い事を考える人が居るものだ。こんな事を考える人だから、英霊なんて存在を従えられるのだろうか? 

 父は霊脈と直接繋がる大規模な魔術装置が無ければ不可能だと話していたのだ。一個人では、仮に召喚できても支えきれず数分が限界だと。

 なのにあの英霊は部屋の外でじっと立って待っていた。使い魔を通さずとも、その溢れ出る魔力は扉越しに感じ取れた。

 なのでコピーは2部頼んだ。1部は父に、1部は自分に。だから窓の外を見えなくなるまで追っていたのだ。今まで出会った事がないタイプの魔術師を。

 

 

 現代魔術科からスラーの駅に向かう帰り、突如認識阻害の魔術が敷かれ、銃を持った七人の男女に囲まれた。

 銃を持った男が五人に素手の男女が一名ずつだ。先輩が小声で第一波だろうと言う。十人以上隠れているらしい。

 

「な~んだ、ほとんどの人がグロックの17か19ですね。タンフォリオのT95とかフォースとか、ラーマのM85とかタウルスのPT92とか、ベルサのサンダー9とか──もっとこう、いかにも悪党が持ちそうな……オッと思わせるモノを持たないと。全然、胸にグッと来ません。つまらないなぁ……」

 

 何を言ってるんだ、この人は。

 

「あ、凜。あの左から2番目のあいつ。あいつだけクロアチアのHS2000ですよ。アメリカのスプリングフィールドかも知れませんが。へぇ~。H&KのUSPやP2000、SIGのP226とか、ミリタリー系を使いそうな顔なのに。良いなぁ。お話させて欲しいですね?」

 

 5挺の拳銃に囲まれているのに、こんな暢気な事が言える先輩。

 そんなふざけた事を先輩は英語で話しつつ、いきなり五人をいつもの空間に取り込んだ。ただ、拳銃を奪う目的のためだけに。

 発砲できたのはたった一人。先輩が違う銃を持っていると指摘した男性だけだった。勿論、私達に弾は届かない。

 そしてそれを合図に、待機していた二人の男女が襲って来た。先程の五人とは見るからに格が違う。これは間違いなく強敵だ。

 私は相手が張っていた防音と認識阻害の結界を、何十倍もの威力で張り直した。この結界は物理的な効果も付与してある。これを張ると雨に濡れないのだ。範囲は円形に50メートルくらい。それで十分だろう。

 

 セイバーさんがスッと私の前に立つ。私は傘を捨てて、ショルダーバッグからスリングショットとスラッパーを出した。

 スリングショットに使う球はクズ石と硝子を融合したものだ。クズ石とはいえ貴石なので多少の術は仕込んである。効果は玉によりけりだ。

 革製のスラッパーは先端部分が二重になっていて、その小袋に小粒の宝石が入っている。こちらは宝石の効果がそのまま出る。小粒なので威力は低いが、次の一手の布石とするには必要十分だ。

 ついでに、バッグからクリップの付いた巾着袋を出して、腰に着けた。この中には予備の宝石が入っているが、最悪ブラックジャックとしても使える。

 

 そして私達の方へは男性が、先輩には女性が向かった。残りの者は私の結界に阻まれ、目標たる私達を完全に見失いポカンとしていた。

 こちらからは普通に見えるが、あちらからは一切感知できないのだ。そこをアサシン達が襲い、薬物で気絶させ縛り上げた上で、数台のワゴン車に次々放り込みどこかへ連れて行った。

 私はセイバーさんに言った。

 

「そいつは人形です。外見こそコルネリウス・アルバですが、この世界線なら既に死亡しています。別の者が操っているのだと。頭を潰さなければ手足を斬り落としても構いません」

 

 おそらくこの素体を売ったのは冠位の人形師だろう。

 あの人形師はこの手のきな臭い仕事はきっちり避けて通る人だが、商品が何に使われるかは余り気にしない人だ。それにあくまでも商売。先輩もそんなのは全然気にしない。

 もしあの人が私達に接触するのなら、もっと後。安全を確保した状態でだ。ただ、同じ魔法使いとして蒼崎の妹さんがそのタイミングで面会をセッティングしたなら、この世界の橙子さんとは逢えないだろう。

 私としては訳がわからない青子さんより、魔術師として筋が通った橙子さんと話す方が好きなのだけれど。先輩も理論知らずな面が散見される青子さんは苦手としているし、相手からも避けられている。

 これは青子さんが先輩に魔法を盗まれるかもと恐れているからだ。青子さんが知らないだけで、先輩はとっくに理論も術式も解析されているのだけど。

 その上で先輩は、「第五魔法・青」を三咲町の霊脈に縛られ、なおかつ未来の選択肢を喰い潰す失敗法だと仰っている。また同じ風使いなので、お互いの相性が最初からわかるから避けているのだとも聞いていた。

 確かに私も風を持つので、言わんとしている事はわかるし、何度か体験済みでもある。

 

 そして先輩は、風使いであると同時に酸素使いでもあり、ちょっと他に類を見ない炎熱の魔術師でもあった。

 例えば眼球の水分だけを沸騰させたり、致死に至らない臓器や性器を巡る血を沸騰させたり……色々酷い……。

 それも残酷だが、一番酷いのはマジック・ドレインをしながら相手の周囲にある酸素を送ったり奪ったりする事だった。

 どんな魔術師でも──私達のような魔法使いであったとしても、酸素が無ければ活動できない。また脳へ行く筈の血液を沸騰させられたり、酸素を抜かれたり、或いは血管が破裂するくらい酸素を送られたら終わるしか無い。

 更に極小泡沫空間を利用した、アインツベルン式の心霊外科だ。腰骨を幾つか抜かれたら、立つ事すら不可能。この辺りは御本人も自らを戒め、相当の相手でない限り使わないと決められていた。

 

 さて、目の前の人形だが。

 中に入った精神は別人だが、やはりと言うかさすがと言うか、かなり性能が高いようだ。足も早そうだし、動きが人間のそれではない。私だけだったら大ピンチだったろう。

 人形が変化した。服の袖を引き裂いて、腕が幾条もの鞭のように広がったのだ。筋肉が鞭になると言うか、鞭の集合体があの腕なのか。

 腕が何本もの鞭に変わり、私を襲って来るのだ。当然スラッパーで応戦するけど、やたら数が多い。

 それをセイバーさんが掻い潜り、何条もの鞭を斬り落としてくれている。そこで一瞬の隙きができた。なので私は本体の頭を潰せとばかり、強化した腕でスリングショットの球を弾いた。

 球はドゴ~ンっとアルバの額に中った。中ったけれど、額に穴が空いて、頭が左右に割れてしまった。そこから再び鞭のような触手が現れ、その先は……モーニングスター? 

 そんなのをヒュンヒュン振り回して近づいて来る。その頭に仕込んであったトゲトゲは、黄色いような白いような魚の肝のような色をしていた。

 だけどところどころ紫色に変色している。ヤバいなぁ、あのモーニングスターは毒がありそうだ。人形なら何でもありなの? 

 

 けれどセイバーさんはそれらを見ても慌てず騒がず、スパンと斬り落とした。モーニングスターが飛んで植え込みの中に落ちた。そしてそこにあった草花が一瞬で枯れた。本当にイヤだ。

 敵のズボンが吹き飛んだ。脚まで何条もの鞭に変化した。ニョロニョロと器用に前進する。もう、この段階で生理的に受け付けない姿になっていた。

 なのにセイバーさんは、ありとあらゆるところから伸びる鞭の触手を3分掛からず斬り落とし相手を完全に制圧した。途中お腹が爆発して、モーニングスターが三つも出て来たが、それもバッサリだ。

 地面でビチビチと跳ねる鞭の残骸。本気で気持ち悪い仕掛けを全身に仕込んでいたが、どれもこれもセイバーさんには届かなかった。

 なのに撃退したセイバーさんは、すっごく嫌そうな顔をしていた。

 

「やっとタコの旨味がわかるようになりましたのに……」

 

 だろうと思った。でも、動かなくなったそのナニかを、私はウニのように感じた。あんまり食べ物で想像したくないのだけれど。

 ちょうどそこへ、私を四六時中護衛しているアサシンが現れた。隙かさず私は結界を緩めた。すると縄でなく鎖で雁字搦めに縛り、多足症のタコを別の仲間に引き渡していた。

 あのアサシンの名は知らないが、何度も見掛けた旧知の間柄である。先輩が指名しているのだ。ペコリと頭を下げると、顔の前で手を振って、唇の端を吊り上げ去って行った。

 

「『何の。凜殿もご無事で何より。では失礼致す』」

「セイバーさん? それはアテレコですか?」

「はい。エルの真似ですね」

 

 どのアサシンもそうだが、特に彼は私との会話や最低限の接触以外は禁じられているらしい。

 けれど、いつもいつも私や桜を見護ってくれていた。それに今回は飛行機も同じだったのだ。ファーストとエコノミーなので随分と離れていたけれど、成田・ヒースローと2回も遭った。

 先に倫敦に入っていたアサシン達から資料を集めてくれたのも彼だった。せめて二つ名くらいは教えて欲しいのだけど。

 

「あの者の二つ名ですか?」

「はい。長い間護って頂いてるのに……」

「最初はいつからです?」

「気付いたのは初等部の5~6年生頃からです。けれど、もっと前から……たぶん、父が使役していた最古参の一人で、父が最初に娘を護れと指名した人だったのだと思います。それを先輩が受け継いで……」

「ならばリン、あなたがニックネームを付けてあげれば良い。きっとあの者は喜びますよ」

「そうなんですか?」

 

 セイバーさんはそうですよと微笑んでいた。

 

「なら、フランクですね。フランク・ファーマー」

 

 私は先輩の影響もあって、結構映画好きだ。セイバーさんも、それは良い名だと褒めてくれた。

 フランクとはフランキスカという投擲用の戦斧から来ていて、後のフランク王国という国名や人名に変化した名だ。現代フランス語ならフランソワだ。そのために素直・自由・勇敢といった様々な意味が込められて行った。

 セイバーさんの時代にもあり、同時代から欧州に広まった由緒ある名前なのだった。

 

 一方、先輩はと言うと。

 両手にナックルダスターを填めて相手の女性を一方的に殴っていた。相手の攻撃は何一つ当たらない。

 先輩は空手家なので極端なダッキングこそしないが、ウィービングとスウェーバックがやたら巧いのだ。その動きは身体の柔らかさと強靭なバネを活かした、軟体動物か爬虫類の尻尾だった。

 時々、相手のパンチを避けつつ、手刀を上腕や肘に中て軌道をズラしてもいる。

 そしてこのマジック・ドレイン・マスターは、魔法使いの私以上の結界師でもあった。もう、あの二人の周囲にマナは存在しない。

 酸素も十分の一には減らされているだろう。こうなれば極小泡沫空間から無限にマナと酸素を取り込める先輩の独擅場だ。

 幾ら相手の女性の素の体力や体術が素晴らしくとも────

 子供の頃から実戦空手を学び、葛木先生やアサシン達からも格闘術や暗殺術を学んで来た先輩だって引けは取らない。なのに酸素不足で意識は朦朧とし、マナは奪われ続けるのだ。

 革手袋のルーンも、辺りに仕込みとして投げていたルーンを刻んだカードや小石も、全部焼かれるか壊されていた。そうとなれば、先輩の敵にはならない。

 先程も言ったが、先輩だけは強化も加速も魔力放出も思いのままに使えるからだ。

 もうイジメだろうな、これ。

 

「騎士としては止めたいところですが」

「一方的過ぎですものね……。しかも、得意の蹴りを使っていないんですよ?」

「ええ、気付いていました。相手のスタイルに合わせたのでしょう」

 

 おそらく襲撃者は、利害の一致した者達に拠る混成部隊だったのだろう。

 上が握手をしただけで、現場は統率が取れていないのだと思われる。だから、こんな訳のわからない個別攻撃へと流れたのだろうとはセイバーさんの見解だ。

 私もそうだろうと思う。

 

 先輩の前に赤髪の女が倒れている。

 それは元の1.2倍くらいに顔を腫らして、浅い呼吸を繰り返し呻いているバゼット・フラガ・マクレミッツさんだった。

 現役最強の封印指定執行者────。

 私の結界発動に気を取られたにせよ、先輩に対する情報が無かったにせよ、英霊殺しを前にして余りにも無防備過ぎた。

 たぶん──あの腫れ具合から察するに、頬骨や顎が砕けている。肋骨や鎖骨も折れ、肺に刺さっているだろう。肘と膝、そして手首の関節も砕かれている。

 睨んだところ、きっと尺骨に橈骨も折れるかヒビが入っていると思う。しかしこの腕の骨折は先輩の攻撃が原因では無い。魔力が途絶えているのに、ルーンを強引に使ってバカな強化をしながら先輩と戦っていたからだ。

 一方的に魔術が使え、鋼鉄となった先輩に立ち向かえばそうなるのは当然だ。彼女は自分の生命力を食い潰して戦っていたのだ。クロちゃんの言う通り──本当にバーサーカー女だ。

 けれど、その圧倒的パワーや耐久性も、魔力や酸素という燃料が切れれば止まる他は無い。まして初見なのに。慎重さも全然足りなかった。そこがセイバーさんの言う、統制が取れていない状況の現れなのだと思う。

 

 バゼットさんはもしかせずとも、この作戦に反対だったのだと思う。

 何故ならこんな駅に近い人目のある通りで、いきなり襲うなんてあり得ないからだ。

 私の知る彼女なら絶対事前に本人か仲間が種々の礼装やルーンを仕込んだ場所に誘い込んで、結界を張り人目を避けた上で、堂々と確実に相手の戦意を奪う手段に出る。それがこんな行き当たりばったりな。

 信じられないしあり得ない。どこか投げやりな印象もあった。先輩の性能を測っていたようにも見えないし、あのクレバーなバゼットさんがと不思議だったのだ。

 もしかしたら、学生を人質にしろとでも命令されていたのかも知れない。それに嫌気が差して自爆覚悟の特攻だったのかも。あり得る話だ。

 だってバゼットさんは、汚い方法を取らない事で有名な人だったのだから。素のあの人は、とてもストイックで真面目だ。その分、組織のしがらみに泣かされて来たのだけれど。

 あの万年スーツも合理性から選んだ彼女なりのスタイルなのに、お洒落に疎い粗忽な田舎者とまで陰口を叩かれていた。

 かつて先輩を殺しに来て返り討ちにあったバゼットさんは、時計塔を辞し今は先輩の元で働いている。ドイツにある先輩の家で居候兼ガードマンをしているのだ。

 スーツも英国製からイタリアンに変わった。先輩の出張に同伴する事もあるが、こちらはアーチャーさんの手が塞がっている場合に限られる。

 また、先輩は一年の大半を日本で過ごしているので、先輩の創った人材派遣会社にも登録していて、普段はそちらの仕事をされていたりする。時計塔時代より実入りが良いそうだ。

 スケジュールが合えば派遣会社を通してボディガードを頼めたはずだが、Aクラスの上のSクラスなので料金がやたら高いのが難点だ。まぁ、あの実力なら当然だろう。

 

 そんな最強の封印指定執行者の並行世界存在が、今は大の字で寝転がっている。

 呼吸の仕方から、内臓にもかなりのダメージがあるのだとわかる。あの先輩のナックルには呪詛が込められているのだ。

 殴られる度に魔術回路や刻印は次々と麻痺し、やがて停止する。接触面からはどんどんオドを奪って行く。つまり先輩はインファイトで常時魔術を発動して戦う、バゼットさんと全く同じタイプの相手なのだ。

 だから当然、奥の手の宝具のカウンターなんてあり得ない。使う暇なんて与えないし、何より殴り合いなら効果も出ない。

 しかも相手は一方的にこちらの魔術を封殺して来る。きっと彼女はルーンに身を固めた超人としてでなく、ただのか弱い女性として初めて戦った事だろう。

 彼女クラスの魔術師でも、最低3~4ヶ月は入院確定だ。そして先輩はアサシンを喚ばず、バゼットを先程の五人と同じく自らの空間に取り込んだ。

 尋問程度ならまだ良いが、このまま連れ帰って元の世界で部下にするのかも知れない。目が醒めたら別世界で、別の自分が居り、友人も家族も仕事も財産も全部自分のものでは無いとなれば恐怖だろう。

 これこそが神の御業だと転んだ代行者も居るくらいなのだから。私なんかは、一体どんなアブダクションだと思うだけだけれど。

 神隠しもタイムスリップも、次元の裂け目から並行世界に墜ちた結果だと考える人も一部には居る。そしてそれは確かだ。

 

「リン、心配ですか?」

「はい。先輩なら無茶はしないと思いますが……」

「バゼットは確かに気風の良い好ましい人物だ。ですがここの彼女は違うかも知れない」

「そうですね……」

 

 ふと師匠であるリン先生に言われた言葉を思い出した。

 

『凜。魔法使いになんてなるものじゃ無いわ。この世はね、便利な道具が発達すればするほど、人々の精神は甘やかされて育った子供のように衰えて行くの。文化と精神は反比例しているのね。人の精神なんてそんな程度のものなのよ』

 

 初等部時代に聞いた師匠の言葉だ。魔法を得て、高校生になった今だからわかる。

 遠回しに話して、中々本音を言わないのが師匠だ。文化や精神とかは自虐で話しているだけで、この場合は『魔法使いになんてなるものじゃ無い』が先生の言いたかった事だ。

 知っている人、親しい人。今まで出逢って来た人々が全員別人。苦労したし泣かされた事もあったろう。けれど弟子に弱音は吐けないから、ああいう話し方になったのだ。

 両親を失い、孤高で独り戦い続けた師匠。そんな師匠にとって青春時代に出逢ったエミヤシロウは、貴重なバロメーターだったのだ。

 

 人から外れた願いを追い続けたシロウさん────。

 魔法という、人類から掛け離れた業を得ようとしていた師匠────。

 

 今となっては吊り橋効果も否めないと仰るけれど、お互いがお互いをとても大切に考えていらっしゃる。

 私自身は聖杯戦争にマスターとして出陣した経験は無い。だからと言う訳では無いが、遠坂司郎君にしても並行世界の衛宮士郎君にしても、ある程度の距離を保っている。

 それは、私の持つ魔力にあてられ可怪しくならないようにとの予防線もあるのだが、誰がどう考えても面倒くさい相手だからという理由が大きい。

 これは空想と言うか妄想だけど、もし私が並行世界の遠坂凛で、アーチャーさんを召喚していたならと考える事がある。

 私なら衛宮君をどうしたろう? きっと学園で救けて、記憶を消して終わりだろうな。同盟を組むなんて考えられない。セイバーという戦力は欲しいけれど、同じ狙うならランサーだ。

 後衛がアーチャー、前衛がランサー。この布陣ならバーサーカーとも戦える。もし宝石剣を持っているなら、確実に勝つ自信がある。

 そして衛宮君のあの回復力を目の当たりにしたのなら、彼を触媒にしてセイバーを新たに喚ぶかも。当然来て欲しいのは、今横に立つ先輩のセイバーさんの分霊。彼女しかあり得ない。

 またアーチャーは、先輩の義兄であるアーチャーさんだ。そしてランサーは……。

 

『お前ぇ、ガキんちょと思えば魔法使いか。やるな、嬢ちゃん!』

『ああ、これでお前達とは仲間だ』

『起きろ! ぼやぼやすんなッ! こんなトコで死にたくねぇだろ!?』

 

 私はいつか、あの日あの刻に出逢ったクー・フーリンを召喚したい。

 いや……これ等は今の知識があるからですね。ちょっと反則。とは言え、生きるか死ぬかの戦争に参加するのに、10年前の全マスターやサーヴァントを調べないなんてあり得ないと思う。

 そこを知っていれば、聖剣の鞘の行方は読めたろうにな。どの凛さんも、それだけ情報を制限されていたのだから仕方ないけれど。

 先輩ならそんな程度の知識でよく参加しようと思えるなと、指差しして笑うだろう。結構、救けに行ったイリヤちゃんにまでキツイ事を言う人だから。

 こうして第三者視点で見れば、そんな無い無い尽くしな中で必ず勝者になる遠坂凛という女の子を私は凄いと思う。私も遠坂凜で魔法使いになれたけれど。それでも妹の桜みたいに、チャキチャキしたタイプの凛さんには憧れる。

 

 そして先生にとってのバロメーターがシロウさんだったみたいに、私にとってのバロメーターが先輩なのだろうか? 

 何だか真逆に作用している気がするし、却って私みたいな性格には良い面で影響があると思える人だ。だからバロメーターかどうか、こればかりはわからない。

 師匠は私にとって、魔術と魔法の先生なだけでなく、人生の先輩だ。私を導いて下さる大魔導師である前に、姉のような存在でもある。

 事実、母は先生を長女、私を次女、桜を三女として扱っている。母に誘われ、一緒にキッチンに立つ先生は少女の頃に戻っている。父も桜も私もその姿を見るのがとても好きだ。

 けれど超一級の魔法使いでもある先生。後半の言葉にしても、もっと深い意味のある言葉なのかも知れない。

 

「何を一人でモノローグを始めているのですか? 感傷に浸ってないで帰りますよ」

 

 先輩が投げ捨てた私の傘を手渡してくれた。拾って畳んでくれていたのだ。

 

「は~い」

「フフ……リンは素直ですね。エル、あちらは大丈夫でしょうか?」

「あちらは倫敦の真ん中ですよ。夜中ならともかく、日の高い内に襲われはしないでしょう。凜、アサシンにニックネームを?」

「先輩、聞いていたんですか?」

「ええ。フランク……良いですね。リン・ソーマ」

「誰ですか、それ?」

「例え氷河の歩みのように遅くとも、時計塔は少しずつ進化していますよね?」

「はい。先輩は再生を目指されているんですよね?」

「わかってますねぇ、その通りです。凜と私はユリ・シスターズですね」

「何ですか、それ?」

「ユリ・シスターズ発進! 凜、結界の外を索敵」

「了解です。魔術師や武器を持つ者は近くに居ませんが、使い魔が……。スラーの学生のだと思いますけど」

「本当に好きですね。では結界を完全に切って下さい」

「はい」

 

 すっかり雨は止んでいた。先輩が警戒したのは物理的な敵。この場合は狙撃手だ。

 陣取るとするなら、場所はメイン・ストリートに面する郷土博物館の屋根の上だろう。これ以上高い建物は無いし、建物が入り組んでいて狙撃場所が無いのがスラーだった。

 当然私の使い魔もそこに最初から陣取っている。ただ私が張った結界なので、さすがの先輩もそれを抜いて探れないのだ。

 結界を解くと携帯電話が鳴った。先輩のでなく私のだ。

 倫敦に入って直ぐに買ったのだが、番号は今回のメンバーしか知らない。受けた番号は凛さんだった。彼女は今まで出逢った、どの遠坂凛より携帯電話やメールを使いこなしていた。これは立派だと思う。

 

『凜、機械音痴でなければ魔法使いにはなれないのよ』

 

 負け惜しみです、先生。

 師匠である先生は、ビデオの録画すらできない。なのに調理器具はちゃんと扱える。きっと長い間、シロウさんに甘え過ぎたのだ。

 

『ハロー! 凜? スラーで何かあったの!?』

 

 どうやら凛さんも使い魔をスラーに常設していたらしい。先輩に壊されたかな? 

 封印指定執行者を含む集団に襲われたと話したら絶句していた。なのでホテルに戻って顔を見せるまでかなり心配された。申し訳ないです。

 そして部屋で着替え終わったら、1階にあるコートでアフタヌーン・ティーを楽しみつつ、お互いにあった事を話したのだった。ちなみにバゼットさん以外はアサシンに引き渡した後である。ちゃっかり拳銃は回収しているところが先輩だ。

 

 

 三段積みのティーセットが人数分並ぶテーブルに、山盛りのスコーンとサンドイッチが別皿で用意されていた。

 私達が真剣に話し合っている間、セイバーさん達はお茶を6~7杯お代わりし、サンドイッチを追加していたりする。これにサービス料や税金が掛かって来るのだから、凛さんがチラチラ眺め青い顔をするのも当然だろう。

 

「英霊ってコスパ悪過ぎ」

 

 あの二人が例外なのだが、英霊召喚は魔力的にもコストパフォーマンスが悪いのは事実だ。まぁ、場所も場所だ。ここは倫敦でも指折りのホテルなのだから。

 先輩達より早く倫敦に入っていた私は、前日の夜から翌日の午前中、各種の手配と準備をしていた。

 私よりもっと早くアサシンが何人か入っていたし、資料も揃えて貰っていたので、比較的仕事は楽だったけれど。

 そして先輩達を迎える午後、ピカデリー・サーカスに近いカフェでアフタヌーン・ティーを一人で楽しんでいた。そのお店はカジュアルOKなので気軽に入れるし、価格も日本円で2千500円程度と安い。

 一流のホテルや有名店だと7千~9千円が平均だろうか。このホテルなら1万円を軽く越えるだろう。だから前々から、そのお店に行きたかったのだ。

 また、ピカデリーから外れたゴールデン・スクエアからソーホー・スクエア・ガーデンズに掛けては飲食店がやたら多い。

 大英博物館やラッセルスクエアをやり過ごし、セント・パンクラス駅に掛けての界隈にもお洒落なカフェがかなりある。入ってみたいお店が目白押しだ。

 倫敦は私みたいな英国好きなタイプには、実に楽しい街なのだった。

 ホルボーン駅の近くにも良いイングリッシュ・ブレックファストのお店があるらしいが、父曰く、あそこは鉱石科の溜り場なのだそうだ。

 

 父の時代からあったカフェ。そこで父は青春を過ごし、母とは違う女性と恋に落ちた。

 と言っても、不倫では無い。その頃の父と母は知己ではあっても、婚約もしていなければ、そもそも付き合っていなかった。だから母の前に好きな人が居たと知っても、私は父に何も言わなかった。

 結局、その短い恋は父の帰国とともに終わりを告げた。けれど、この倫敦には腹違いの姉が生活している。

 先輩が私をスラーに誘ったのは、その姉が本部で事務職をしている事を知っていたからだ。つまり、本来の妹である凛さんは、まだ姉の存在を知らないのだ。

 きっとここの姉さんは凛さんを見た事だろう。父の死に拠って止まってしまった養育費や諸々の支援……。そこから先、誤解を溶き、和解に至るかどうかは二人の問題だ。

 妹を、桜を失った凛さん……。先輩は何も言わずこういう事をする人だった。この出逢いがより良き方向に進む事を祈ろう。

 ハーフの父と生粋の英国人との間に生まれた、金髪碧眼で桜みたいな顔をした姉は、いわば私とは逆のクォーターだった。私が姉さんと知り合った時は、既にご結婚されていて、可愛い娘さんが居た。私も気付けば叔母さんだった。

 この姉の存在を私の妹の桜は早いうちから知っていて、私が凹むと隠してくれていたのだ。そんな事は無いのになぁ。だって父の経理を手伝っているのは私ですよ? 

 使途不明で定期的な倫敦への振込。それは何だと調べるために、時計塔への用事ついでに調べたのが数年前だった。そして出逢った姉と、姉のお母様。とても優しく聡明な人だった。

 ああ、父が好きになりそうなタイプだなと思えた。ただ魔術師としては二代目で、才能もそこそこ。それでフッたのかと訝しんだが、小母様はそうでは無いと仰っていた。

 才能ある父の足を引っ張りたくないから、自分から身を引いたのだと。そして父との子供を密かに産み育てた。それが姉だった。

 父が私達以外に娘が居ると知ったのは、ちょうど私が初等部の1年生になった頃だという。その頃から現在まで、最初は姉の養育費名目で、姉が成人した後は小母様への援助として、そして今は孫へのお小遣い? として同じ金額を毎月振り込んでいた。

 小母様には、父からの手紙を見せて戴いた。切々と綴られる姉への愛情深い言葉の数々。そんな姉も素敵な人だった。ハイド・パークを二人で歩いた時を思い出す。凛さんにもそんな日が訪れると良いのにな……。

 

『サクラとあの子のフィアンセともここを歩いたの。叱らないであげてね。あの子はあなたが大好きなのよ』

 

 先に言われちゃうとどうしようもない。

 私は高校卒業後に時計塔の講師として倫敦へ行く。母の手前、姉の事が話題に出る事は無いが、桜も先生も、そしてあの厳格な父までもが姉によろしくと言って来た。

 父も私が姉の存在を知ったとわかれば、随分と砕けていた。私達と変わらず、姉を愛しているのだろう。それは決して嫌な気分では無かった。遠坂の人間は、皆んな魔術師と思えないほど甘々なのだ。

 そんな姉さんと入りたいと思っているお店は、何でもドドンとワンプレートで提供するフル・ブレックファストでなく、好きなものを自分で取るバイキング形式なのだとか。

 だからか、鉱石科のみならず地元学生の溜り場となっていて、優雅では無いと父は話していた。あなたの尺度は優雅かそうでないかだけですか? 

 そんな店を凛さんに知っていますかと訊けば、彼女は常連らしい。あれ? 案外、凛さんが知らないだけで、姉さんとは何度か会っている? 

 

「私は元々起き掛けに食べられないタイプなのよ。だから寮でお茶を飲めばそのまま鉱石科の教室へ直行なのね。けど2限目が入ってなかったら、午後まで空くでしょう? そんな時にブランチが楽しめるお店はないかなと探していたの。そこで見付けたのが、あなたの言うそこだった訳。あのお店はブレックファストだと混み合うけど、ブランチで使うと便利よ。人も減って、優雅に落ち着いて食べられるからお薦めのお店だわ」

 

 凛さんも優雅って言うし。この人もファザコンだ。

 けれど、これは良い事を聞いた。ブラック・プディングは要らないので、ベイクド・トマトを増量したいな。

 今回の件が無ければ、どんなところか下見がてら是非行ってみたいのだけれど。先輩みたいにハッシュドポテトが無くとも暴れないし、セイバーさんみたいにチップスで熱くなったりしないので。

 

「どう見る?」

「決め付けはできませんが、ハートレスは民主主義派と協調している可能性が高まりましたね」

 

 お茶お終え、ウィンドウ・ショッピングも済ませた私達は、部屋に戻って今後の打ち合わせをしていた。

 アーチャーさんの質問に先輩が答える。

 

「しかし手応えがありません。お兄ちゃん達を陽動と思わせ、こちらを狙わせたのは作戦通りに行きましたが」

「ふむ。協力とまでは確信が持てんか。とは言え、今夜か明日には民主主義派が動くだろう。尻尾は?」

「アサシンの何人かが痕跡を掴んだだけです。やはり英霊をかなり恐れていますね」

「となれば、相手は当初の計画が頓挫したも同然だろう。諦めはしないのかね?」

「どこまでの業の深さと野心を持っているかですね。皮肉でなく諦めの悪い人が……」

「クク……君の周りには多いな?」

 

 私はこの紅い英霊の過去の一部を知っている。生前の姿も知っている。並行世界の私を何度も何度もサポートしてくれた事も知っている。

 だからという訳では無いが、このお二人の会話を聞く事がとても好きだ。だってアーチャーさんは先輩と話す時、皮肉やジョークを交えながらいつも笑っているから。

 

「後2日では無理ですか?」

 

 褐色の先輩が無茶を言う。こちらの先輩は妙に甘い。ここの凛さんやルヴィアには合うだろうけど。

 先輩の一部だった人。けれど微妙に違う。

 

「強行すれば、あなたが一番避けたかった結果を招きかねませんよ?」

「うむ。今回の件は今の家族を護りたいが故の行動だろう? 少々長引いても禍根は絶たねば。後々困るのは君だぞ?」

「彼女、士郎クンの修学旅行と日程を合わせたかったのでしょうね。確かに小学生に強いる我慢はその辺りが限度でしょうし。あなたはあなたであって、衛宮切嗣でもアイリスフィール・フォン・アインツベルンでもありませんのに」

「ああ、イリヤとクロエにか。心配を掛けるのは申し訳ないが、それはこちらのイリヤとクロがフォローしてくれているだろう。あの子達も成長した。私は大丈夫だと信じているがね」

 

 やはりここでの妹さん達が気になるんだ。こういうのは変わらないなぁ。

 

「それでですが、今夜も夜釣りに出られます?」

「非効率的ですが出ますよ。セント・ポール大聖堂とケンジントン宮殿。どちらが良いでしょうね?」

 

 相手の実力行使を誘うならハイド・パーク一択だ。ただ、西側のケンジントン・ガーデンズは荒らせないけど。問題は午前中に何か仕込まれていないかどうかだ。

 

「私の使い魔は何も捉えていませんね」

 

 そう言って先輩は魔眼蟲を取り出した。リアルタイムでは見付からなかったが、過去視させると2週間前に何か仕込まれていたらしい。元々倫敦は時計塔のお膝元だ。我々相手でなくとも、通常の備えで何某かの礼装が仕込まれているのは当然だろう。その2週間前が結界か何かの定期メンテであったとしても、相手は未来視で罠を張っていると想定すべきだ。

 

 夕食後、一息ついた後に私達は夜のハイド・パークを歩いた。先輩達の先導で私と凛さんが並んで歩き、左右にセイバーさん達、その後ろにアーチャーさんだ。

 凛さんには余計な魔術は使うなと念を押してある。異世界同位体──即ち同一存在が同一の場所に居れば、世界修正が働く。私はそれを先生と共同開発したアミュレットで抑えていた。

 私も先生も魔法使いなので世界の理から外れている。なのでコンフリクトは起きないのだが念のためだ。当然術式は先生のオリジナルを元に二人で改良したものだった。だから効果は今までの3倍以上ある。

 けれど、そんな必要ないアミュレットを身に着けていても、同じ波長の魔術は干渉してしまう。それを避けるために使うなと話したのだ。

 

 夜のハイド・パークは以前ほど危なくない。ところどころ灯りもあるし、公園の外からの光も多い。

 外の通りを2階建てのバスが走って行く。その横に黒いクルマが。タクシーだ。ロンドンタクシーとして知られる、オースチンのFX4やLTIのTX1はいつ見ても可愛い。

 ちょっとLTIの方が丸くてモダンだ。けれど後席が対面で五人も座れるのは良いなと思う。

 父はどうしてクルマの免許を持たなかったのだろう? 母の運転するクルマでも助手席に絶対乗らない。いつも後席に座り足を組み、愛用のステッキを組んだ足に立て掛けるのだ。

 そしてそんな父に母は文句を言わない。家族での外食であっても、何かをお考えなのよと母は言うが、そんな四六時中考える事なんてそうは無いだろうに。

 小父様の運転でキャンプや温泉旅館に行く先輩や会長が、初等部時代は羨ましかった。けれど歳を経てわかって来た。父はとことんまで不器用なのだ。

 英国被れだからという訳では無いが、父は私達が幼い頃ごくたまに、海外の珍しい事や面白い事を話してくれる事があった。きっと、世界はお前達が思うより広いのだと教えたかったのだと思う。

 夕食が終わり、お酒が少し入った上機嫌な父は、倫敦に限らずイングランドやスコットランドの様々な街の様子や景色を、表情を変えずに語ってくれたものだ。それは父にしては珍しい事だった。

 だから本当にたまの事で、滅多に無いと言っても良い頻度だったけれど、私も桜もそれを聞くのがとても楽しみだった。何より「葵も飲みなさい」と、この時ばかりは父は夫の顔で、母の恋人だったから。

 そして話の内容に子供の私達はワクワクした。エジンバラの地下街だとか、嘆きの谷だとか。父は単なる被れでなく、かなりマニアックだった。地下街なんて一般公開されていないのに、友人と入った事があるそうだ。

 スコットランドのキルトは家の紋章と同じく、家ごとにパターンが決まっている。それを知った幼い私達は、遠坂にもと桜とあれこれ考えた。

 そのクレヨンの図案は、父の書斎に今も額に入って飾ってある。母の写真や姉さんの写真とともに。これが不器用な父の本音だったりする。

 その悪友は魔術師としては珍しく社交的な方で、東洋の片田舎からやって来た父と妙にウマが合い、今に至るまで友人であった。

 現在もエジンバラにお住まいなのだが、小学生の頃に父と二人でお伺いした事がある。同年輩の男の子も居たので、お見合いとは言わないがお披露目も兼ねていたらしい。

 私は中学に入って魔法を得てしまったので、今の父がどう考えているのかは不明だ。だけどエリックは今も私のメール友達だった。

 

「エリック? エリック・メイヤー? 知らないわねぇ」

 

 こちらの時計塔には居ないようだ。プラハにでも行ったのだろうか? 違う違う。凛さんが時計塔に行ったのが早いんだ。なら余計な言葉だったかも。ああ、今年の夏。お邪魔でなければ、先輩とセイバーさんの旅行に着いて行きたいなぁ。

 

 アーサー王と巡る英国10日間の旅 ~古戦場と、伝説の地へ~

 

「何それ!? 私も行きたいんですけど!」

「頑張って世界を越えて下さい。そうすればお祝いに旅費くらいは持ちますよ」

「本当に!?」

「ええ」

「なら、頑張るしか無いわね!」

「そうそう。そういうノリで良いんですよ」

「良いのかよ!?」

「良いんですよ。魔法ってそんなものです」

「そうなんだ?」

 

 そんなものですよ、凛さん。

 人類が知ってはならぬ禁忌の第四魔法の前にある三つの魔法は、意外と近いところにあります。個人根源と世界根源。この違いと、孔(あな)の啓(ひら)き方を知れば。

 確かに一つの世界で独りしか同じ魔法は得られません。それはその人個人が、内面にある個人根源を拓(ひら)いて道を造ったからです。

 しかし並行世界存在が魔法を得た場合、同位体ならそこに行けます。これは第二魔法と第三魔法の特典ですよ。裏返せば第二魔法と第三魔法は、必ず個人根源に到達しなければ得られないものなのです。

 勿論、個人根源を得た後に、世界根源を得ても良いですが。ただ、第二魔法の使い手で両根源を得ているのは大師父のみです。

 そして────特に第一魔法だけは、絶対先に世界根源に繋がらないと意味がありません。

 故に真の魔法が第一魔法のみと言われるのですよ。ただしそれは持ち帰れないし、発動しても誰も観測できません。何故なら、世界を創ればその人はその世界の神だからです。

 そして神は自らの作品の中に存在できないんですよ。ただ移ろい行く中身を観測するだけです。ですが、開闢でなく時空改変に止めれば、一応存在は可能です。抑止に付け狙われますけれど。

 

 

「ヘ~ルプ! ヘルプ・ミ~!」

 

 いきなりだった。

 黝(あおぐろ)の髪をした素っ裸の少年が、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら救けを求めて来たのだ。気の毒にレイプでもされたのだろうか。

 こちらが女の子ばかりなのでビクッとしたが、上着を脱いで手渡した。その時に彼の東洋系の面立ちに唖然とした。二人の先輩方は I need somebody とか not just anybody とか彼の叫びに合いの手を入れていただけだけど。

 

「センキュー」

「日本人ですか?」

「え? あぁ……。日本語がァ話せるの……?」

 

 そう口にした途端、男の子はグスグスと泣き出した。ここで会うのか。道理で居ないはずだ。追って来る者は居なかった。そして安全を確認した後に名前と家を訊いた。

 

「マイネームイズ……あ……ぼ、僕の、な、名前はシンジ・マトーでぇす。僕の日本語は通ゥじまァすか?」

「うん?」

「ええと……。プライマリーからUKなァので。あ、そぉれと。家はアクトンでぇす」

 

 アクトンはウェンブリーの南に位置する街で、ウェストアクトンは日本人街があるほど日本人が多い。和食の食材が揃うので、シロウさんも良く利用していたそうだ。

 

「ここから5キロくらい西ですね。ハイド・パークには遊びに?」

「えっと……チャレンジ・ワンセルフ」

「ああ、肝試しね」

「そぅだ、キモォダメーシだ。懐っかしいなぁ」

 

 かなり日本語の発音が怪しい。それも吃っているのでなく、思い出しながら話している感じ。きっと海外の生活の方が長いのだ。

 髪も記憶にある人物より長めだし、コロンの香りがするのでかなりのお洒落さんなのだろう。もしかしたらもう国籍も英国なのかも。

 そうしている間に先輩に命じられたアーチャーさんが、男性用の衣類を入手して来た。随分と心配そうな眼差しをしている。

 なので服を着ている時に英語で訊いたのだが、レイプでなく追い剥ぎにあっただけらしい。不幸中の幸いか。しかし流暢な英語だ。これは英国に移住して長いだろうなぁ。

 彼が言うには、強盗が衣類と金銭を奪って逃げたので、反対方向へ人を求めていたら私達が居たのだとか。結界に弾かれる寸前だったが、視認性と集音効果を上げていたのが功を奏した。

 そしてやはりだ。倫敦は10年目で、父親と二人で幸せに暮らして居ると話していた。

 今回は学校の友人との、ありがちな賭けだったらしい。そしてどこの国の言葉なのかもわからない連中に絡まれて、見張り役が一目散に逃げてしまって。後は殴る蹴るの後に、財布の中身と古着屋で換金できる衣服を剥ぎ取られた訳だ。

 と言っても大袈裟に言ってるだけで、ほとんど怪我は無い。こういうところは変わらない。それでも、死守して握りしめた財布。中身を投げ捨て、それを相手が拾う隙きに逃げたようだ。

 見せて貰えば、中には可愛い金髪の女の子の写真があった。財布の送り主らしい。怖かったろうに彼は護り切ったんだ。

 そこで私達は公園から一度出て、タクシーを捕まえた。ドライバーには多めにお金を渡してある。彼は是非お礼をと言っていたが、先輩も私も嫌な事は早く忘れて、いつもの日々に戻りなさいと見送ったのだった。

 

「マトーって良くある名字なの?」

「シッ。先輩二人がブチ切れてますから静かに……」

「え? 何で……?」

 

 私達の世界の間桐慎二には兄がいる。その名を間桐慎一という。慎二君の4歳上で水の魔術の天才だ。

 彼は生まれ付き、魔術回路が臓硯の全盛期並みに多い先祖返りだった。そして使う吸収の魔術は、乾燥系とでも言うのか。とにかく周囲や目標物の水分だけを奪い取るのだ。

 その昔の4~5歳頃、修練中に臓硯とその使い魔を僅か数秒で干乾びさせ死滅へ追いやるといった事故があった。これは弟の慎二君を守ったからだと言われているが、父が語らないので詳しくは知らない。

 そしてこの慎一さんは先輩に劣らぬ早熟な人で、第四次でのバーサーカーのマスターだったのだ。ただし令呪で狂化は解いていたけれど。理由が良い。他の陣営が誰も選ばないクラスだからだと言って、真っ先に喚び出したのだ。

 そしてその第四次の頃までは父の弟子だった。そこでなんと4年生の男の子が、使い魔の蟲や霊体化できるサーヴァントを使って、聖杯戦争の実態を探っていたのだ。子供を使う父も父だが、父の眼鏡にかなう慎一さんも異常だった。

 そんな彼の具申により、大聖杯の汚染が判明。遠坂・間桐組は戦争の中断と無期延期を決定したのだった。それはちょうど先輩達、アインツベルン・衛宮組と同じ結論だった。

 これによりアインツベルンの城で各マスターとサーヴァントの会合が開かれ、当日参加できなかった他の陣営を説得して終結したのが私達の世界だ。

 ちなみにアサシンを召喚したのは、他の世界同様言峰綺礼神父だったが、令呪が浮かんだのは3年も前でなく、開催の1年前だった。そこで、父親の言峰璃正神父は父と相談し令呪とサーヴァントを託した。

 その後の言峰綺礼神父は、監督役である父の璃正神父を手伝っていた。父は友誼ある璃正神父の息子を、危険な目に遭わせたく無かったのだ。だから無茶をしてアサシンを引き受けたのだった。

 魔力をそんなに必要としないアサシンを勧めたのも父らしい。たぶん百貌のアサシンを喚ぶ聖遺物を用意したのも父だと思う。情報の重要さをわかっていたのだ。

 そして、フランクと名付けたあの人は、この頃から私を護ってくれていたのだと私は思う。この判断が良かったのか、父は英雄王と二騎支える事ができた。それでも王様は気難しかったのだけれど。

 

『時臣、我への供物がアサシン風情と同じとはどういう了見なのだ?』

『王よ。魔力をワインと例えるならば、それが私の限度で御座います。ですが王ならば、更にそれを芳醇なブランデーとされる事が可能でしょう。そのような事がアサシンに可能でしょうか? アサシンと同列にされているのは御身の言葉ではありませんか?』

 

 そして英雄王は最初の言葉を撤回したのだ。召喚時に、『どうか愚昧なる民に安息の道を示されますよう』と願った父の触媒は古い鎖とその端の飾りだった。この触媒は当家の家宝だ。未だどの世界でも見た憶えが無い。

 こんなところから歴史は変わるのだろう。だからこそ、キャスターに師匠が来たのだと私は信じている。父の夢は聖杯が叶えたのでなく、どう参加するのかで決まったのだ。

 人生はそんなものだろうと思う。物事は全部そうなのだろうとも思う。どういう準備をして、どういう気持ちで、どう望むのか。優雅であるとは、その結果の一側面でしかない。私は魔道とはいえ人を貶めず、真っ当に歩む父が好きだ。

 

 その後、長じた慎一さんはケイネス先生に師事し、高校卒業後に倫敦へ渡った。今はウェイバー先生が抜けたエルメロイ教室で、筆頭を張る学生である。

 ウェイバー先生が現代魔術科を引き受けたのも、慎一さんの勧めがあったからだと聞いていた。ロード・エルメロイも、同じ水の魔術師である慎一さんを殊の外可愛がっており、慎一さんがウェイバー先生とケイネス先生の仲を取り持ったとも聞いている。そんな兄が居る弟。とにかく慎二君にとっては兄の慎一さんがヒーローだった。

 

『慎二、俺は魔術を極める。だから、お前は金儲けを極めろ』

 

 こういう家は意外と多い。一子相伝の掟に則り、後継者から外された兄弟姉妹が資産を増やす役割を負うのだ。そして商才も無く、そこからもあぶれた者は政府の機関などに入る。

 そんな簡単に行かないだろうって? そんな事は無い。魔術師の子弟はより良い魔術回路を継承させるため、母体に居る間から様々な調整を受けるものだからだ。

 その結果、素直で賢い子が名門ほど多い。親の願いと夢に従う素直な子。神秘を紐解く上で必要な知能。容姿端麗で相手に事欠かず、言葉の端々から知性と教養を滲ませ、そして人好きのする笑顔を振り撒く。

 それが世間一般から見れば、とことん外れた事であったとしても、魔術師には絶対に必要な要素なのだった。

 よく本気になったら、能面のように感情が読めない貌をするのが魔術師と言われるが、実際はそんな事は無い。いつもと変わらず、親しげに話しながら相手に術を掛けるのが本物の魔術師だ。

 先輩なんてニコニコと握手やハグをしながら相手を刺したり撃ったり術を掛けたりする。それはそれで怖いけど。

 けれどそんな魔術師も、表の顔は一般人と変わらない。だから国家や政府が敷く政策に行政、社会に浸透したシステムからは絶対に逃げられない。むしろ魔術師は立場に依っては税制面で優遇される場合もあるし、不利になる場合もある曖昧な存在だ。

 なので政府や行政機関に魔術師の血を引く者が、どこの国にも一定数は居るものなのだ。それを知ってか知らずか、一緒くたにして凡俗に落ちたとかいう父は少し傲慢だと思う。

 

 それはさておき、魔術回路が無くそのために祖父に殺されかかった慎二君。救ってくれた兄の言葉は絶対だし、何より投資や投機のトレーダーは彼に向いていた。

 私も幼馴染みであり、兄の慎一さんとはかつての同門だ。だから、金勘定の事は慎二君に教わる場合も多い。

 そんな他の世界より社交的で友人が多く、精神もイケメンな慎二君が憧れ、真剣に告白した相手が先輩なのだった。そして先輩は2回断り、3回目に折れている。

 その時の条件が凄い。200億用意できたのなら結婚を考えると慎二君に堂々と言い放ったのだ。間桐の財産なら届くのだろうか? 

 ともかくそんな大金を提示した先輩を、一口でがめついと断ずるのは早計だ。まずこの金額は、第四次聖杯戦争に於ける御三家の拠出金と同額だったりする。

 諸々の隠蔽工作に掛かる費用は開催ごとに高騰し、第四次の時点でアインツベルンが100億、遠坂と間桐がそれぞれ50億だったのだ。

 慎二君に言わせると、先輩の本音は見せ金で間桐分の50億でも良いので、一声でそれが集められる人脈を持つ人物になれとの意味なのだとか。確かに命を狙われる事も多い先輩にとって、慎二君が家族になれば大きな弱点になる。

 だからあの言葉は、自分の身は自分で護れる大人になれという意味で合っているのだと私も最近は思うようになった。

 それを慎二君は持ち前の明晰さで察し、笑って受けて立ったのだ。

 

 デートらしいデートをしている場面は見ないが、私達は全員幼馴染みなので仲が良い。それぞれが魔術師の家だ。当然クリスマスや誕生日のお祝い等も無い。だが、学園で会えば口頭でお祝いくらいは言うし、一緒に遊びに出掛ける事も多い。

 昔からグループで映画に行ったり買い物くらいはしていた。けれど二人きりのシーンは食事時以外まず見ない。抱擁シーンは勿論、腕を組んでいるところも見掛けない。

 手を繋ぐところは頻繁に見るが、これは幼馴染みが故の気安さからだ。そもそもそこに私達も居るのだし、皆んなそれが当たり前になっているのだ。

 だって私や桜に会長も慎二君や慎一さんと無意識に手を繋いでショー・ウィンドウを眺めたりしていたのだから。

 妹弟子の凜さん曰く、『桜、彼は私達の知る慎二じゃないわ。別人として接しなさい。でなきゃ失礼だわ』だ。凜さんの妹の桜さんは、先輩が背中を押したので衛宮君と付き合っている。今が幸せの絶頂だろう。

 辛い事もたくさんあったと察しているだけに、私も桜も応援している。そんな桜さんが、嫌悪感も抱かず『あんな兄さんが欲しかった』と感想を漏らすのが、私達と幼馴染みの慎二君だった。

 ちなみに私が中学で魔法を得たので、妹の桜が正式に慎一さんと婚約した。そして二人で倫敦へ行き、姉さんに逢っていた。

 中学生の桜と大学生くらいの慎一さん。よく二人旅を許したものだと思うが、父も母も慎一さんを気に入っていたし信頼もしていた。また桜には旅をさせるべきだとも考えていたようだ。

 そんな桜が今は高校生。まだ15歳だが、日本で結婚が認められる16歳になれば大人の関係になるのかな、あの二人は。そんな事は無いと慎一さんなら否定するだろうけど。

 そしてどうして桜が姉さんの存在を知ったのかと言うと、それは慎一さんが最初から知っていたからだった。弟子時代に父が漏らしたらしい。父らしいうっかりだ。慎一さんは姉さんから妹を頼みますと頭を下げられたそうだ。

 私に秘密にしていたのは、私が姉の存在を知らないと思っていた事と、もし知れば私の精神衛生に良くないと考えてくれたからだった。わかるけど、わかるけど……何か胸がモヤモヤする。

 だって私は遠坂のために、相手を選ばなければならないのだ。より魔術回路が多く、強靭で、意志の強い子供を設けねばならない。だから自由恋愛は不可能に近い。

 

『凜、魔法使いになんてなるものじゃ無いわよ』

 

 どの家も二の足を踏んでしまい、見合う相手が居ない未来が確定しているのが現在の私だ。私達の世界はそんな世界だ。

 先輩みたいな彼氏が欲しい……。

 

 閑話休題。

 

 そしてたまに見掛けるのは、二人並んで駅の立ち食いうどんを食べているところだろうか。それも決まって、てんぷらうどんかスタミナうどんだ。

 先輩は何故か、あの安っぽい衣だけのてんぷらが好物なのだった。関西のハイカラや関東のたぬきでは駄目らしい。ダシを吸った、あのてんぷらが崩れた甘さが堪らないのだと言う。

 姉であるイリヤ会長が山菜うどんやおかめうどん派で、一杯500円以上の座れるお店にしか入らないので、かなり変わっていると言えるだろう。

 ちなみにスタミナうどんは、てんぷらうどんに落とし卵をトッピングしたものだ。ここに肉が入れば上スタミナ。もしくは肉入りスタミナ。油揚げ、昆布、肉でデラックス。てんぷら、油揚げ、肉、卵でホームラン。全部載せでスペシャルかお店の屋号。

 勿論、呼び名はローカルなものだから、場所やお店で変わるだろう。けれど、あの安っぽいてんぷらだけは、関西の特定の立ち食いにしか存在しない。

 そしてうどんにコロッケやフライドポテトを入れたりする食べ方があるそうだが、あれは関西のダシでなく、関東のツユの方が合うそうだ。

 また、同じソバを頂くなら、春菊のてんぷらだとも断言されている。そんなの、スイス人の先輩に力説されても。

 

 たこ焼きもお好み焼きも、ラーメンに牛丼も、初めて食べたのは先輩と一緒だった。

 かつて征服王とウェイバー先生がハマった、鍾馗というお好み焼き店は先輩と何度も通っている。お腹がパンパンになるが、モダン焼きが本当に美味しい。

 そして決まって先輩はイカ・ブタ・エビの座布団を注文される。モダン焼きは麺が中だが、座布団は麺が上と言うか後乗せなのだ。お好み焼きをお皿にして焼きそばが乗っていると思えば良い。

 初めて先輩から分けてもらった時に、私は衝撃を受けた。麺がボリューム増し装置なのでなく、それぞれを別で頼んだみたいに楽しめるのだ。

 桜に自慢したら、とっくの昔にイリヤ会長と行って食べたとアッサリ返された。私は本当に奥手で世間知らずだ……。

 

 けれど先輩はそんな私を次はあそこ、その次はあそこと、どこへでも連れて行ってくれる。

 エーゲ海のサントリーニ島では、テラスにプールのあるホテルを取ってくれた。朝も昼も夜も景色は最高。部屋の白い内装もとても素敵だった。

 魚介類に慣れた日本人でも、あの巨大なタコの足のグリルは楽しめると思う。イワシのマリネやグリルも、煮付けやフライに慣れた舌だと新鮮だ。トルコとも近いので文化のミックスされた味が楽しめるのだ。

 それにサントリーニ島固有の葡萄のアシルティコや、ギリシアに古くからあるアシリという葡萄から造られたワインは、先輩が私のためにと甘口を選んでくれたにせよ魚介ととても良く合った。

 何本か持って帰りお土産として父に渡したら、カンパーニャのファランギーナやオーストリアのグリューナー・フェルトリーナーと似ていて美味しいと言っていた。さすが通だ。

 未成年だけど、洋酒棚にはお祝いの時に口を付ける、私のギリシア・ワインが数本置かれている。これも不器用な父の計らいだった。

 結局、毎日何時間プールに居たのだろう。指がふやけクタクタになるまで遊んだ事は憶えているが、街を歩いたり買い物をした記憶が薄い。写真を見返して、ああ、そうだったと思い出すだけだ。

 きっと目に飛び込む景色が余りにも美し過ぎて、オーバーフローを起こしていたのだろう。

 

 スペインでは先輩の別荘があるコスタ・デル・ソルを中心に、クルマや列車でリスボンやマドリードを巡った。エーゲ海程では無いが白い建物が多かった。

 こちらでは心にゆとりがあったからか、結構どこで買い物をしたとか、どこを歩いたとか細々憶えている。

 アンダルシア料理は日本人の味覚と合う。牛肉のシェリー酒煮やイベリコ豚のステーキも美味しいが、なに気ない豆の煮込みやイカ墨のパエリアが実に美味しかった。

 パエリアには、お店の人が大きなエビをド~ンと載せてくれ、先輩が喜んでいたのを思い出す。別の日はエビとムール貝のパエリアを食べた。こちらはサフランで炊いているのか色が黄色かった。

 けれど私の口に合ったのだろう。イカ墨より気に入り、お代わりしてしまった。それで家でも作りたいなとパエリア鍋を買おうとしたら、そんなものは日本にもあると先輩から言われたのだ。パエリア鍋って日本でも売っていたんだ?

 先輩曰く、通販で買えるし、大都市のデパートに行けば普通に売っているそうだ。作るだけなら餃子鍋やすき焼き鍋、フライパンでも作れると仰るが、それは何か違う。雰囲気は大切ですよ、先輩。

 

 そして旅行前に父からスペインのワインは凜に合わないだろうと言われていたのだが、本当に合わなかった。これは驚いた。美味しくない訳でなく、私の味覚に全然合わないのだ。

 どれもこれもが渋い。甘くサッパリした風味のものもあるらしいけれど、それではスペインを楽しんだとは言えないとは先輩のお言葉だった。

 ああ、確かに私はトロッケンベーレンアウスレーゼやアイスヴァインやベーレンアウスレーゼの方が好きだ。全部先輩から瓶で頂いたのだが。

 父曰く、どれもが高級品で、トロッケンベーレンアウスレーゼは1本100万円近いのだとか。それをポンとくれる先輩。

 

 昔……初等部の3年生頃までは、先輩や会長がアインツベルンだから、小父様が魔術師殺しだからと交流を禁止されていた。けれどお二人の人柄に触れ、先輩の立場やお仕事を知るにつけ、父は変わって行った。

 

『凜。ご迷惑にならないようにな。色々学んで帰って来なさい』

 

 そう言って、気持ち良く旅へ送り出してくれる。父がここまで変わるには、イリヤ会長だけでは足りなかったと思う。先輩が居たからこそだ。本当に先輩には感謝しかない。

 

 そんな何でも知っていて私に教えてくれる先輩は、とびきりのチャレンジャーだった。

 どこの国のどんな街に行こうと、一人でフラッとお店に入る。パブでもバルでも焼き肉屋でも臆さず一人で入るのだ。そこがスラムであろうと貧民窟であろうと、自分の嗅覚を信じてスッと入るのだ。

 これは小父様もそうらしい。親子だなぁ。その小父様に至っては、そんな危険な街の安ホテルで普通に泊まったりするそうなので、先輩より上だと思う。

 そしてお二人は、裏通りにある隠れた名店を独特の嗅覚で嗅ぎ当てて、美味しいものに必ずありつくのだ。小父様はその昔、ジャンクフードが多かったらしいけれど、今はそういう食べ歩きを楽しまれているのだとか。これは先輩の影響だろうなぁ。

 そんな先輩なだけに時々危険な目に遭う。けれど、あの人は強化の魔術を使わずとも、素で腕っぷしもかなり強かった。そして馬鹿みたいに度胸があるのだ。そもそもその前に変な人が絶対に寄り付かないのだけど。

 人間には五感の他に第六感などがある。強い弱いの個人差はあるけれど、誰だってこれはある。そこに先輩の存在感やオーラが様々な影響を及ぼすのだ。

 この少女に関わると運が潰える。この少女に悪戯をすれば俺は死ぬ。そういう嫌な直感を相手に抱かせるのだ。アルトリア先生は掌握や魂の改竄が漏れているのではないかと話していた。

 ま、襲われても先輩なら即掌握だ。どんな相手でも掌握されれば皆んな回れ右だ。それも先輩の匙加減一つ。

 仲間の男を先輩だと思い込み、気持ちの悪い行為を路上ライブして終わってしまった者も多いらしい。そういう相手にニヤリとワセリンやローションを渡し、動画に録る先輩は本物の悪魔だ。正気に戻れば自殺ものだろう。

 そして各国の政府要人や教会側にライヴァル会社の偉い人、そういう人達の変態的行為が記録された動画を大量にストックされている。何人かはネットに繰り返し動画が流されているらしい。

 これが、世にも恐ろしい先輩の掌握術だった。

 

 なのに先輩は、この安全な日本での立ち食いそばやうどんの、お一人様が妙に気恥ずかしいらしい。ズルズルと啜るのは気後れと言うより、罪深く感じるので、一緒に堕ちる仲間が欲しいのだとか。

 生活はこちらでも、お仕事や一族に纏わるイベントが向こうである先輩は、やはり欧州人だ。だから、そこは仕方ないのかも。確かにそういうお相手役なら慎二君が打って付けかも知れない。

 こちらは七味をやり取りしているシーンを思い出して、にやけてしまうのだけれど。だって先輩は七味唐辛子が大好きで、信じられないほど掛ける人だから。

 辛い物好きでなく、あの風味にハマっているのだ。山椒や胡麻やけしの実とかがブレンドされた、あの香りがとても好きなのだそうだ。

 なので錬金術師で料理好きな先輩は、何と何を組み合わせれば好みの風味になるのかを自分で調べて、辛さ控えめな専用七味を作ったりしている。

 そんな拘りな先輩を怒らせないように気遣いながら、慎二君は毎回掛け過ぎを注意している。

 

『このお店、七味じゃなく一味だけだから、掛け過ぎると辛いよ?』

『そう思って、今回は自家製七味を持参しました』

『持ち込んでんのかよ? とにかく僕が壁になるからお店の人に見付からないようにね』

『なら、これもイケますね』

『トッピング持参?! 幾ら何でも、唐揚げとかポテトとか持って来んなよ!?』

 

 このやり取りが実に微笑ましいのだ。あの柔らかい、愛情がこもった、けれど鋭いツッコミが慎二君の味だ。そして何だかんだ言いながら、ダシを吸ったポテトや唐揚げを『これもイケるねぇ』と一緒になって食べている。

 

 そんな関係なので並行世界の歪んだ間桐慎二を、先輩は心底毛嫌いしていた。

 この歪みにも幾つかパターンがあって、桜が養子に迎えられた頃から桜の逃げ場を失くすために薬を盛られて狂って行くパターンと、聖杯戦争の駒にするために精神を魔術で干渉されるパターンと、それらとは別に劣等感から自主的にマスター権を桜から得るパターンとがある。

 要は薬や魔術で歪められたか、自分の弱さに負けて自分で歪んだのかの違いだ。

 そして……中でもこの最後のパターン、桜を暴力で脅し、マスター権を奪い取る慎二に先輩は容赦が無い。殴る蹴るは当たり前、ナイフで刺す、ハンマーや釘抜きでの殴打も当然、銃器の使用も辞さない。

 電動ドリルで太ももに穴を開けたり、ペンチで爪を毟り取る場合もあった。傷口や眼や鼻に、練からしやわさびを塗りたくりもする。

 とにかく悪辣な魔術師に対する時のように、とことんまでいたぶるのだ。学園に張られたライダーの結界を外させるために、両膝をアサルトライフルで撃ち抜いたりもしている。

 殺しはしないが、その眼で視るな、その声で語るなと、目を潰そうとしたり、喉を潰す場合もあった。

 私はこの残忍性を、愛情の裏返しだと見ている。先輩なりに一人前の魔術師として扱っているのだ。それを防げないのは本人が魔術を使えないから。けれど自分は魔術師だと言い張るのなら、情け容赦は要らない。先輩はそういう人だ。

 そして常に上から目線で偉そうだけれど、先輩はかなり慎二君が好きなのだと思う。そう、七味を手渡せる距離ほどには。

 

 そこで先程出会った間桐慎二だ。先輩は実に複雑そうな顔だった。仲間とお馬鹿な賭けはしているようだが、それは男の子にありがちな範囲だ。

 それより倫敦育ちが功を奏したのか、嫌な印象があの間桐慎二には無かった。そう、慎二君のように真っ直ぐ育った感がある。

 だから襲った相手にブチ切れていた。アサシンを走らせなかったのはギリギリの判断だったろう。となると褐色の先輩はどうするのか。同じ世界に住む、先輩だけの慎二君になる可能性があるのかな? 

 随分な遠距離恋愛だけれど。こればかりはわからない。

 

「包茎でしたね」

「剥く楽しみがあると思えば」

「挿れる前に終わりそうです」

「それはガッカリです。士郎クンが意外と大きいだけに」

「いつ見たんだよ!?」

「お風呂場で」

「既に男女の仲?!」

「違います。精神体だった私が目覚めたのが、イリヤちゃんのお風呂タイムだった……」

「ウソッ! 虫も殺さない顔して、妹に?? 日本に帰ったら……」

「事故です。と言うか、おチビちゃんやクロちゃんに聞いているでしょうに? 電気が消えていたので、上がったものと勘違いして入って来たのですよ。そして窓からルビーが飛び込んで来て、士郎クンの顔面に」

「つまり、失神しているにも係わらず、予想外に大きかったと?」

「そうです」

「やるな、あの男。とは言え、普段大きいからと、勃起時も大きいとは限りませんよ?」

「ま、薬を調合すればどうにかなりますよ」

「そうですね。それに適度な大きさを満たすのなら、回数や回復力の方が重要ですよ」

「む。あなたは何回?」

「気分次第ですが、ノッた時は3~4回は」

「ですよね~」

 

 要らぬ聞き耳を立てなければ良かった……。

 優雅が邪魔をして、恐怖で縮んでいたのだと庇う事すらできない。魔術師とは、実に因果な商売だ。

 

「ですがあの写真……」

「可愛かったですね。慎ちゃん、ああいう子が好みなのか……」

「コンチクショー!」

 

 え! 嘘!? 嫉妬してたんだ? 先輩が? 

 

 

 そうして見送った間桐慎二と別れた後に、再び公園内に戻ろうとすると、一人の老婆が現れた。歩いて来たのでは無い。本当に目の前に突然現れたのだ。

 

「暴漢に襲われた少年を救う……。イイトコあるじゃないか。こりゃ聞いてたのと違うな」

 

 そうぶっきら棒に話す背筋のシャンとしたこの人は民主主義派のツートップの一角。イノライ・バリュエレータ・アトロホルムだった。

 この位置は見事の一言に尽きる。公園内だと魔術行使が怖い。さりとてこの人の性格だと直接会って確かめたいところだろう。よってタクシーを見送った公園外の、けれど通行人が気にも止めないこの一瞬こそが最適の瞬間だった。

 正直やられたと思ったが、先輩方は不敵にも笑っていた。

 

「魔術師だからこそ、ふきのように通したい筋もあります」

「Fuki? Fuyuki? だが、そうだな。で、お前さん達は?」

「私の名はエルヴァ・ハーウェイです」

「私は彼女とファーストネームが同じで、エルヴァ・フォン・アインツベルンです」

 

 そう来たか。

 

「ハーウェイ、知る人ぞ知る経済集団だな。そしてアインツベルン……懐かしい名だ」

「アインツベルンの名を?」

「そりゃ知ってるさ。狙いはなんだい?」

 

 単刀直入だ。相変わらずサバサバしている。が、騙されてはいけない。

 耳から外したイヤホンがシャカシャカ音楽を鳴らしているが、この音も携帯音楽プレイヤーを入れている腰の革製ポーチも、全部魔術の導入に使われたり、術の発動に必要な触媒が入っていたりするのだ。

 流れるメロディーは自己埋没するための呪文代わりで、既に組んである術式を起動できるように準備が整った証拠なのだった。そしてポーチには索敵や攻撃に使える砂のような粒子が入っている。

 それが本当に砂なのか人骨を砕いたものなのか、何なのかは不明だけれど、かなり高位の魔術師でもある。なにせ、あの人形師蒼崎橙子の師匠だった人だ。

 

「ちっ。相性悪いね。なんて魔術を使うんだい」

 

 二人の先輩に愚痴を零していた。やはり、これだけの人でも先輩に探査魔術は利かないか。

 

「ねぇ、この人誰?」

「おいおい、お嬢さん。オレはエルメロイⅡにあたるべきなのか?」

 

 凛さん……。

 

「そちらの方はロード・バリュエレータですよ、凛さん」

「あ! し、失礼しました……」

「まぁ、良いさ。これで坊やとメルアステアで遊ぶ口実ができた」

 

 この場合の坊やはエルメロイⅡ先生で、メルアステアは鉱石科の学部長だ。

 

「トランベリオ氏には飽きましたか?」

「腐れ縁が長いからね。けれどマグダネル坊やも気に入ってるよ」

 

 一学生の凛さんにはわからなかったろうが、これが時計塔だ。この人こそが三大派閥の一角、トランベリオを支えるロード・バリュエレータなのだった。

 

「ではお話致します。要望は──。一つ、時計塔の存続。二つ、理事会や教授陣の風通しを良くする事。三つ、アトラス院との二重スパイを排除する事です。条件はこちらが用意する幾つかの提案と特許出願用に開発した礼装を吟味して頂く事です」

 

 この礼装は霊脈と霊脈のとの接点や瘤に魔力溜まりを、明確に視覚化する装置だった。当時7歳の先輩が開発した礼装だ。

 これに拠り、先輩は理事やロードの中抜きを告発し、世界中のファースト・オーナーやセカンド・オーナーから絶大な支持を受けて時計塔の理事に迎えられたのだ。

 とっくに親戚が理事として入っているのだが、僅か7歳の先輩が跡継ぎでなく、新規で理事になれたのは異例中の異例だった。

 そして魔術協会に所属する霊脈のオーナーには、上納金の義務がある。これは協会や時計塔の運営費だ。セカンド・オーナーなら霊地の売上から5パーセント、ファースト・オーナーなら10パーセントと決まっている。それも他の収入には一切触れず、協会に登録している霊地の上から2番目までの5パーセント、10パーセントである。随分良心的と言えるだろう。

 しかし問題は霊地の売買権や所有権が時計塔にあると、嘘を吐く理事や息の掛かった職員が居た事だ。中には情報に疎いオーナーを騙して20パーセントもの上納金をせしめていた者も居た。父もこれに騙されていて、以前は15パーセントも払っていたのだ。私が継ぐ頃はファースト・オーナーだと言われていたらしい。

 なんとも悔しい話だが、ファースト・オーナーともなれば、霊地の所有権が得られる。そうとなれば知己も増え極東の家にも婿の候補が寄って来る。だからファースト・オーナーの看板がより魅力的だったのだろう。

 父の苦悩は娘として良くわかるので、そこは責められない。

 

 そしてその売買権だが、これもファースト・オーナーに昇格さえしていれば自動的に得られるものなのだ。これは一口でいうと個人の信用に於いて、他の魔術師に販売する権利を有するという事である。

 またセカンド・オーナーでも所有権は持っている。この場合は懇意の魔術師が居たとしても勝手に売れず、必ず協会を仲介する必要があるという事だ。

 これは破産した、或いは魔術師が途絶えたからと、家族や遺族が勝手に現金化するなという意味だ。見知らぬ第三者に売られて神秘が拡散しては困るからだ。実に真っ当で当たり前な理由なのである。私の話す意味がわかるだろうか? 

 要は支族や眷属が多い一門にファースト・オーナーが偏るのは、他人に売買する必要が無いからだ。自分達の中で霊地を回せば良いだけだけなのだから。

 反対にと言うか裏返せば、遠坂みたいな弱小な家はセカンド・オーナー止まりになるという事だ。こういうのをキチンと調べて、刻印を分ければ桜を養子に出さずに魔術師として育てられるのに。

 しかし、先輩と会わない世界の父に入る情報は余りにも作為的で狭窄だった。

 例えばファースト・オーナーでも売買は協会を通して手数料を払え、セカンド・オーナーなら廃業の際は協会に霊地を返却しろと通達されていたのだから。

 父が協会には恩を売って利用せよ、信用は絶対にするなと話していたのは、こういう胡散臭さを感じ取っていたからだろう。

 

 先輩はこれ等の証拠を固め告発し、プラハからも突き上げたのだ。ちなみに理事は一口50万ポンドで、役職に拠っては三口や五口を納めなければならない。これを五口、七口と騙って中を抜く理事やロードも居たのだ。

 本来の時計塔での霊地の扱いは、後が続かない魔術師から買い取り、別の協会員に売る事にある。これは協会員を減らさないための措置として当然だし、この売買に於ける手数料は人件費や調査費からも当然だ。

 そこで先輩は霊地と家との相性に着目し、その家に合う霊脈に着色して転売する事を事業とした。勿論、協会も通すので買う側の支払い金額は大きい。しかし、その家の魔術の属性や特性に合う霊地の魅力は余りにも大きいのだ。

 また、同時に売る側も協会直より高く売れるのだからメリットがこれまた大きい。しかも先輩は調整後売りに出す霊地をランク付けして、100年保障や500年保障を堂々と謳っていた。

 こんな売り方をする者は今まで居なかったし、買った人からの反響が称賛や絶賛一色だから誰も文句を言えないのだった。実に凄まじい。

 そうして霊地売買はアインツベルンに限ると業界の信用を勝ち取ったのだ。慎一さんはそんな先輩から霊地を買い、その借金返済のために先輩の霊地開発事業に参画している。当然私も先輩から仕事を請け負い、霊地の色付けを手伝ったりしている。

 この色付けと霊地調査はセットの仕事だが、発注者が政府だと本当に儲かるのだ。例えばイタリア中部の霊脈調整で、先輩は800万ユーロ、つまり日本円で約10億円を得、私と慎一さんがそれぞれ100万ユーロ、約1億3千万円ずつを得ている。

 リスクを負って、執行者の下請けやハンターをやる者はバカだと先輩は言い切っている。

 

 そして年々魔術師は貧乏になっている。4~5代以下の家が特に顕著だろう。これは世界的に経済ピラミッドがそうなって行ってるので仕方ない面もあるけれど。

 なので昨今は幾ら良いアイデアを申請して、特許を取っても儲からない。そういう優れたアイデアの特許ほど、使用料も高額になるので敬遠されてしまうのだ。

 神秘は益々、昔ながらの名門に独占されつつある。それが21世紀だった。

 畢竟、歴史の浅い家の者ほど、長く続く名門に嫌厭感を抱いている。ウェイバー先生も、ここのエルメロイⅡ先生も、そういう背景から産まれた寵児だろう。

 だからこそ、あんな奴等が困るなら神秘の漏洩など大した事では無いと考える世代が増えつつあると、警鐘を鳴らす論文が書けるのだ。

 

 これを知って妹弟子の凜さんも、今はモグラ生活が多い。モグラとは、実際に潜るのでなく地脈から霊脈をたどり、回路と同調させて霊脈を読む仕事をいう。その時に慎一さんのような蟲師と組んで霊脈の調整を行うのだ。

 政府は表立った金融政策の他に、こういう地道な霊脈調整にも予算を注ぎ込む。何故なら、そうしないと国が貧困に喘ぐからだ。人材が育たない、農業や工業が発展しない。これらは霊脈に問題があってそうなる事も多い。

 先輩はそんな重要な調整をたった独りで行える、第一人者なのだった。修復師、調律師の究極の姿だ。一部地域とはいえ、ホシの調律なんて誰も行えなかったのだから。

 取り引き先も政府関連や大企業が多くを締め、ガンガン儲けるので、先輩の会社に務める魔術師も多い。

 また、私や凜さんみたいな五大属性持ちは、アナログ計測器として最高なので仕事が優先的に回って来るのだ。実にありがたい事である。

 そして先輩はそんな装置を民主主義派の武器にして、時計塔の運営に役立てて欲しいと言ったのだった。

 

「何を企んでいる? ああ、確かにこれ程の礼装は今まで無かった。きっとお前さんの言う不正も暴かれ、あくどいやつは失脚するのだろうさ。だが、その後の嵐はどうするのだ? 揺り返しは避けられないぞ?」

「それこそトランベリオに任せれば良いでしょう? それに神秘の世界はネットと端末の普及で大きなパラダイム・シフトを迎える時期に来ています。旧来の方法では存続も危ういです。組織の鬱血を治し、澱み無く流れるようにしませんと」

「そういう時期に来ている事は、オレも否定しない。だが性急過ぎないか?」

「民主主義派のあなたがそれを仰いますか?」

「確かにな……」

「持ち帰ってご相談されて下さい。ですが、時は待ってくれない事も理解して下さいね」

「そうだな。決断の刻はいつも向こうからやって来るものだな」

「外部からの強引な圧力だったで良いではありませんか。相手は英霊を使って脅迫して来たのだ、で」

「ハハハ……そうか。口実だったのか。それを用意してくれていたのだな?」

 

 そうしてイノライ・バリュエレータ・アトロホルムは、渡された礼装を重たそうに持って帰ったのだった。あれ、30キロはあったと思う。腰は大丈夫なのかと心配だ。

 

「先輩?」

「これで手札は全部切りました。後は相手がどう出るかです」

「案外アッサリ引いたわね?」

 

 凛さんが暢気な事を言う。

 

「私達への事前調査が終わっていたからですよ。野菜のふきに対して冬木とは普通は出ません。それに調査が終わっていなければあの人は出て来ないです。自分の度胸をアピールするにも英霊という存在は出鱈目過ぎますから。けれど、私達がまずは話から入るタイプと知れば、この場に出るのは色々な意味でチャンスでしょう」

「そう、トランベリオへの牽制であり、中立派のメルアステアへの牽制にもなります。私としても今回は中立派が邪魔でしたので、それでスラーで暴れた訳です。あそこには魔眼使いのレーマン家の娘が居ますから」

「途中から現代魔術科に入ったイヴェット・L・レーマン?! 彼女、中立派なんだ?」

「そうですよ」

 

 あれ? ここではスパイと公言していないのか。それとも時期が早いのかな? 

 

「なるほどねぇ。じゃ、トランベリオへの牽制って? やっぱりツートップだと水面下で争いが?」

「それもありますが、一番の理由は霊地の売上の中抜きです。これを止めさせたいが故のアルビオン再開発だったのですよ。今回私が渡した礼装があれば、霊地の価値が見直され売買や賃借の体系が変わります。これを遂行すればほとんどの魔術師は儲かるか、儲けるチャンスを掴めます。だから民主主義派の武器になるのですね」

 

 更に褐色の先輩が補う。

 

「そこで貴族主義派へ渡した論文です。あれがあれば民主主義派への対面が保てます。そしてエルメロイⅡ先生も護られる訳です」

「ああ、だからスラーにも持って行ったと話したのね?」

「そうです。ライネスなら現代魔術科で独占しようとは考えません。それでどういう立場を得られるか、そのメリットを考えるでしょう」

「そう。だから刻印に意味が出るのですよ。あの論文を貴族主義派のトップに献上すれば身は安泰です」

「論文を棄てる勇気を持たせるために……」

「けれど次の世代には種を。オルガマリーなら、ゆくゆくはライネスと組んで新しい時計塔を創るでしょう。それにどのみち、あの論文を活かせる学生は現代魔術科にしか居ないでしょうしね。凛、ルヴィアと本気で研究しなさい」

「あぁ!」

 

 凛さんは驚くばかりだった。それはそうだろうな。私も以前はそうだったから。

 そう、結局あの論文内容を他者に教えられるのはエルメロイⅡ先生しか居ないし、学んで伸びる尖った学生も現代魔術科にしか集まらないのだ。

 これから先はともかく、現状どの科もその科に相応しい、それに特化した学生しか居ない。だからといって論文の内容は基礎魔術とは言い難い。

 なら扱うのは現代魔術科か創造科しか無いのだ。そして先の霊脈探査の礼装があって、論文の扱いは貴族主義派に委ねられる。となれば現代魔術科しか扱えないのだった。

 また、その論文を活かせるのはオルガマリーやライネスなどの若く柔軟な世代だ。と同時に、それは燻った、才気はあっても名門とは程遠い家の者への福音でもある。

 あれは若い頃のウェイバー先生のために書いた論文なのだった。きっかけは先生が書いた、ネットとデジタルデバイスが広まった未来への警鐘となるあの論文だ。

 先輩はあの論文を読んで、ウェイバー先生を認めたのだ。先輩はそういう人だ。

 その後、私達は夜釣りを打ち切り、明日はハロッズに行きたいとか、茶葉を買いたいとかワイワイ話しつつ、ハイド・パーク・コーナーを抜けてグリーン・パークに入ったのだった。

 するととんでもなく立派な結界が張ってあり、中に銀髪の少女と甲冑の英霊が待ち受けていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。