プリズマ☆エルヴァ 第一部 邂逅篇   作:炭団

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この話の冒頭部分はとある礼装についてですが、かなりアダルトな内容なのでバッサリ削ってあります。


29、3日目

 翌朝起きたらエルヴァが部屋に居た。ぼんやりと窓の外を観ている。良く無い傾向だなぁ。

 

「おはよう、走らなかったの?」

「おはようございます。もう帰って来て、朝食用に着替え終わったところですよ」

 

 あら……。良く見ればその服は……。

 

「リン、おはようございます」

「おはよう、セイバー。あのさ……ちょっと耳貸して? 彼女、大丈夫なの?」

「そうですね。少し引き摺っていますが、あちらとの和解は済んでいます。お昼には元に戻るのでは」

「タフねぇ」

「いえ、かなりあちらが気遣っていて。土下座せん勢いで謝っていましたから。それに……」

「それに逆の立場なら、やはり同じです。何度もシミュレートしていた事ですのに。今回は私がナイーヴ過ぎました」

「驚いた……」

「同じ部屋ですよ。聞こえますって。それはともかくご心配をお掛けしました」

「いや、それは良いのよ。今日もまた色々ありそうだから確認よ。本当に大丈夫?」

「ええ、大丈夫ですよ」

 

 コンコンコン

 

「は~い! まだ8時前ですよ? 誰でしょうね?」

「私です! エルヴァです! 来ました、来ましたよ!」

 

 白い方のエルヴァだった。これはもしかして? 

 

「大師父からですか?」

「ええ。11時から昼の1時まで空けておくからスラーに来いと連絡がありました」

「スラー? 本部でなく?」

「そうです。そして立会人はベルフェバン代理、その他諸々です」

「諸々って何です?」

「わかるでしょう? 要は非公式なのですよ。ですが情報では生半可な冠位決議より集まるだろうと」

「そうでしたか。いよいよですね」

 

 やはりだった。エルヴァじゃないが、いよいよと思うと途端緊張する。

 

 クスクスクスクス

 

「セイバー、何で笑ってんのよ?」

「いえ……あちらのエルヴァの服装が」

 

 服装? 

 白いブラウスに紺色のリボン。ネイビーブルーのハイウェスト・スカートの後ろには編み込みの紐とリボンがあしらってあり、良いアクセントになっている。

 清楚さが強調されてちょっとお嬢様過ぎると思うけど、エルヴァみたいなタイプには似合うわ。セイバーにも似合いそうだけど。どうして笑うのかしら? 

 

「似合ってるじゃない。笑うなんて、セイバー」

「ああ……。はい、失礼しました」

 

 笑うのは止まったけれど、涙目になっている。そんなに可笑しいかな? 

 

「では、朝食に行きましょうか」

 

 褐色のエルヴァに促され廊下に出ると、あちらのセイバーが既に待っていた。アーチャーはランスロットと外へ食べに出たそうだ。正解ね。

 セイバーは白と青のボーダーになった七分袖のニットを、グレーのロングTシャツに合わせている。パンツはベロアかな? 光沢のある素材で、ハイウェストのガウチョ・パンツだ。色は紺色。エルヴァのスカートと合わせているのね。

 そして私とエルヴァを見て、今度はあちらのセイバーがクスクス笑う。何で? 

 

「へぇ~。あなた、それはヴェルデで?」

「はい。凛のと色違いです」

 

 そう。彼女の今朝のコーデは胸元にクロスのワンポイントがある、青いタートルネックに黒いミニ・スカートとニーソ。

 以前見た私を真似て買ったそうだ。こうやって見ると青も良いわね。

 

「ああ、そっか。私の赤を覚えていたから可笑しかったの?」

「はい。その服はリンのイメージがあったので」

 

 イメージがあったって。そんなにしょっちゅう着てたっけ? 

 かくいう私は、袖がレースになったグレーのカットソーにワインレッドのワイドパンツだった。ウェストを同色の紐で縛るのがミソよ。

 

「朝食はカジュアルOKですけど、少し派手では? 凛を見習いなさいな」

 

 白いエルヴァが褐色のエルヴァのスカートを摘んで小言を言う。

 

「この後にもっと驚かされますから」

「?」

 

 廊下を歩み始めると白いエルヴァが2つ隣のドアをノックした。

 

「おはようございます、エルちゃん」

「おはようございます、エル姉様。おはようございます、皆様方」

 

 出て来たのはメイドを伴う主と凜だった。

 凜は胸元にフリルをあしらった清楚な白いブラウス。襟には可愛い赤いリボンだ。そして下は黒い膝丈のスカートに白いストッキング……。ルヴィア程では無いけれど、髪を巻いている。へぇ~~! 

 これは驚いた。中学生みたいだとエルヴァ達が話していたコーディネーションってこれなのね。けど全然可怪しく無い。似合うし可愛い。つまり私でも似合うって事だ。意外……本当に驚いた。

 そして小さなエルヴァは凜よりもっとフリルが多い、少女らしいピーターパンカラーの白いブラウスに、ダークグレーのジャンパースカートだった。襟の縁や袖口にもフリルがたっぷり。可愛いなぁ。

 この子も青が好きなのか、青いリボンを襟に巻いていた。小学生らしく愛らしい。何より育ちが良さそうなのが見ただけでわかる。イリヤやクロエと同じ顔なんだけど、高貴さがあるのよね。

 この子が育つとエルヴァなのか。褐色のエルヴァなら納得だけれど。これは贔屓かな? 

 その後に続くマアエモさんは、何だろう、これ? 

 真っ白な首までピシッとしたワンピース。手の甲まで覆う長袖の見慣れない服装だ。胸のところだけ青い。頭は頭巾? 変わった服ねぇ。

 

「珍しい服ね? あれは何?」

「伝統的なアインツベルンのメイド服です。私も作業用に数着持っていますよ」

 

 こういうところが変なのよ、彼女は。

 けど、頭までスッポリ覆って顔だけ出していると、白いエルヴァと瓜二つだ。昨夜は髪型や服装の違いもあって、同じアインツベルンだなって思うだけだったけど、並ぶと身長もほぼ同じ。どうしてこんなに似ているのかしら? 

 

「母のアイリスフィールと乳母のマアエモは鋳型が同じの同型機なのですよ」

 

 褐色のエルヴァがこっそりと教えてくれたが、人に対して同型機とか言うなよ。

 

「は? お、お嬢様がこの服を?」

「厨房や工房に立つ時は便利ですよ。髪まで覆うので薬品を扱ったり料理の時には。ね?」

「は、はぁ……」

 

 マアエモさんが戸惑うのも無理はないと思う。使用人へのお仕着せを着る主人は居ないだろう。けどこの二人、エーデルフェルトでもメイド服姿が多いのよね。しかも無駄に似合うし。

 コスプレ好きが講じたからだとはイリヤやクロの弁だけど、根っからカチッとした服装が好きなのだと思う。学園の制服も似合っていたし、最初の訪問で着ていたシャツにリボンの制服も似合っていた。

 後で聞けば本当にコスプレだった訳だけど。けれど正体の不明さは満点だった。そして何より働き者だ、彼女達は。私やルヴィアも考えを改めたもの。

 当然、今まで身近で感化されて来たであろう凜もちょこまか良く動く。ここに居たのは、先に出向いて小さなエルヴァの身体の調子を診ていたからだとか。ウチの霊地にしてもそうだったけど、本当に頭が下がる。偉いわね。

 そして最後に出て来たモードレッドの姿にセイバー達が目を剥いた。コットン地でグレーのセーラー襟が付いた長袖ワンピースだ。それだけなら良いのだが、長さが膝上なのに裾を縛っていて、下着が見えそうになっているのだ。

 

「モードレッド……。スカートかパンツと合わせなさい。それでは露出狂です」

「変か? これでも着替えたんだぞ?」

 

 は? じゃ最初は何を着ていたの? 

 聞けばバストだけのチューブトップに、デニムのショートパンツだと言う。その上に赤い革ジャンだったとか。

 私と相部屋のエルヴァが、ジョギングに出る前にその姿のモードレッドを見掛けていたそうだ。それは幾ら何でも、このホテルだと不味いだろう。

 

「モードレッドは何を着ても似合いますね?」

「マスター、わかってんじゃねぇか」

「では、お昼はドレスで私をエスコートして下さい」

「ド、ドレスかよ」

「それが嫌ならスーツで。お昼は敵地へ潜入ですよ。私はあなたを騎士の中の騎士と考え……」

「お安い御用だ!」

 

 ちょろ過ぎ。でも幼いエルヴァは良い主人だと思う。相性が良いのね。

 

「となるとお嬢様。今朝の朝食会場も」

「今朝は良いですよ、ママ。朝食ならそこまでうるさく言われません。それにもう一人英霊が味方に付いていると相手にわかれば」

「使い魔に気付いていたの?」

「はい。それと私もスラーに来いと先方から連絡がありました」

「え?」

 

 これにはエルヴァ達も驚いていた。今後付け狙われたりしたら……。ある意味脅しよね? 

 

「応援に来てくれたあなたの存在を、もう嗅ぎ付けたと。血管キレそう。やはり昨夜の内に英国を落とすべきでした」

「私とセイバーにモードレッドが居ます。護ってみせますから」

 

 慌てて褐色のエルヴァが白いエルヴァをなだめた。キレたら本気で英国を落とすつもりなのだろうか? 

 

「今日のスラーで、この件に関して優位に立とうと考える者が居たらテムズ川に浮かべなさい」

 

 恐ろしい事を誰ともなしに話すと、どこからともなく『ハッ』と返事がする。そしてハラリと紙片が落ちてきた。

 

「なるほど。怪しい動きをしそうな候補ですか。先日拉致した者は?」

『前回も前々回と同じく自白させ、証拠を握った上で開放しました』

「わかりました。お祖父様の手の者と、エーデルフェルトの手の者は?」

『既に把握しております。同士討ちせぬよう、双方にある程度の情報を流しています』

「ご苦労さまでした。そのまま任務に就いて下さい」

『ハッ。お先にスラーに入っております』

 

 そして気配が消えた。

 

「父上のマスターよぉ? あんた、アサシンまで使ってんのか?」

「ええ、諜報任務に就いて貰っています。相手を懲らしめはしますが、暗殺はご法度と申し渡してありますよ」

「ふ~ん、そのオーダーをアサシンに通すマスターか。あいつらは舞台準備担当か?」

「言ってみれば、そうですね」

「腕が良さそうだ。全然気付かなかったぜ?」

「すみません。話しておけば良かったですね?」

「いや、マスターとの会話を聞くまでは、オレもあんたらを疑ってたから。お互い様だ」

「フフ……」

「ハハ……お前ぇもやっぱりエルヴァだな」

「当然ですよ。あの子は仕え甲斐がありますか?」

「ああ。わざわざこのオレが出張ってやったんだからな。気に入らないはずがない。それはお前もだろ?」

「鋭いですね。実はここだけの話、あの子に逢うのが怖かったです」

「細かい事は知らないが、お前もマスターも複雑そうだ。けど、いいヤツだったろ?」

「ええ。あんなに素直で可愛い子とは。自分の過去ではありませんね。あの子ならではの良さが光っています」

「ああ、オレもそう思う」

 

 意外だ。白いエルヴァはセイバーだけでなくモードレッドとも相性が良いの? 

 それに答えてくれたのは褐色のエルヴァだ。

 

「モードレッドは騎士が寄り付きそうもない……そうですね、スラム街みたいな、ああいう場所の暮らしぶりもつぶさに見て来たのだと思いますよ?」

 

 と言うと? 

 

「耳聡くて情報通なのですよ。だから反乱軍を率いる自信があったのだと」

 

 なるほど。王だと見え難い事を色々知っていたのね? 

 そしてそれは白いエルヴァも同じなんだ。マーケットリサーチってやつね。モードレッドって商人向きなのかしら? 

 

「そう、そういう事です。得難い人材だと思いますよ。ブリテン程度に収まる人物ではありません」

「どういう意味だよ?」

「あなたにブリテンは狭過ぎます。マスターと共に世界に目を向けなさいな」

「へ?」

「適材適所ですよ。アーサー王にはブリテンがちょうどでした。ですがあなたの器にブリテンは合わないのです。もっと合った場所がきっとありますよ。大昔のあの頃とは違いますよ? 飛行機に乗って、世界中あちこちに行ってみなさい」

「ね? モードレッド、私の話した通りでしょう? 旅費は全部持ちますから、二人で色んなものを観ましょう」

「ああ……マスター。そうだな……。そういう事だよな!」

 

 それを聞いていた、褐色のエルヴァのセイバーが大きな溜息を吐いた。

 

「今ならわかる。旅をさせてあげれば良かった」

「ですね。マスターを護りなさいとは、信じて着いて行きなさいという意味でした。そんな驚いた顔をしないで下さい。私もエルと共に学んだのですよ。ですから、あなたも自らを卑下する事はありません。もう一人のエルと共にあって下さい」

「……わかりました」

 

 そんな中で白いエルヴァが、モードレッドに何かを手渡して見せていた。

 

「何だこれ?」

「ブリテンの国王証明書です。もっと言えば領土は英国全土ですよ」

「はぁ? どういう事だ?」

「実を言うと、私は12歳の時にマーリンの目の前で岩の剣を抜きましてね。戴冠式も記念撮影も済ませています。その書状はその証明です」

「ま、待てやコラ! 手前ぇ、現代人だろうが!?」

「ブリテンのあの落日から1500年が流れています。エルは本当に抜いていますよ」

 

 モードレッドともう一人のセイバーの目が点になった。

 話が可怪しい。どういう事だろう? ってか、記念撮影って何だ? 

 

「タネを明かせば、パリのネズミーにそういうアトラクションがありましてね。そこで抜いたのです」

「驚かすな! マジでビビったぞ……」

「ですがモードレッド、彼女の義姉もまた別のアーサー王なのです」

「あ? 座が違うみたいな?」

「そうです。そしてその彼女は抜けなかった。彼女は私に言いましたよ。『やっと王を辞められた』と。バカにするのは簡単です。ですがその重責は英霊から受肉し、人として第二の人生を歩む彼女を囚えて離さなかったのです。私も鈍いので今は実感がありませんが、あなたに戴冠の儀でも行えば同じ気持ちになるのやも知れませんね」

「何を弱気な……クソッ……」

「1000馬力のターボカーでトップを走る人がいました。オレにもできる? ガキの寝言です。走り抜けた人間に憧れるのは構いませんが、同じ走りができるはずがない。あなたはあなたなのですから。同じ最高速度を出そうと、ラップタイムで越えようとも、それはあなただけの違う走りなのです。今のあなたならわかるでしょう?」

「チッ……」

「けれど私はそんな同じコースをぐるぐる周るあなた達を尻目に、ジェット機で違う国へ飛んで行くだけです」

「……」

 

 モードレッドはチラリと小さな主を見た。その子はニコニコと笑っていた。

 そうだ。親がレーサーだからと、自分もレーサーになる必要は無い。選択肢は幾つもあるのだ。けれど人は自分に入る情報だけで動いてしまう。それを破れと言っているのだ。

 それなら、違う道を生きても楽しいだろう。同じ道であっても追い掛け方が変わって来る。そうよね。広い視野を持たないと。

 ここで私はふと思った。

 英霊を召喚できる条件が魔術師であるなら、否応無く召喚される英霊も魔術師と同じ親のレールをなぞるタイプが来るのかなと。ただ、なんとなくそう思ったのだ。

 

 

 朝食はいつものイングリッシュ・ブレックファストで、小さなエルヴァだけワッフルだった。

 クロテッド・クリームとベリーを添えて食べるのだが、これがかなり甘い。お子様向けと言えば間違いないけど。どうも顔を見れば、余り好きじゃないみたいだ。その気持ち、わからなくもないなぁ。

 他は麦のお粥、ポリッジがメニューにあるけれど、どれもイマイチなのよねぇ。それもあって、エルヴァは単品でチーズオムレツと、スモークサーモンとスクランブルエッグの盛り合わせを頼んでいた。全員で回して取ろうという算段だ。

 小さなエルヴァはスクランブルエッグを結構取っていた。玉子が好きなのかな? 

 

「ああ、塩鮭と卵と海苔でご飯が食べたい」

 

 これ、私や凜の心の声では無い。なんと白い方のエルヴァの呟きだった。二人のセイバーがウンウン頷いている。

 

「父上、塩を振ったサーモンと玉子だろ? これと同じじゃねぇか」

「いえ、燻製でなく切り身に塩を振って焼くのです。塩だけでここまで美味になるのかと、驚く事請け合いですよ。そして海苔は海藻を干した加工品ですが、これがまた香ばしくてご飯が進みます」

「ええ、焼き海苔か味付け海苔かでも変わりますね」

「父上……。よだれ……」

「失礼。それに卵かけご飯にダシ醤油も良いですね。納豆は好みの分かれるところですが、私は好きです」

「ま、待ってくれ父上達。今、何つった? 変なイメージが頭に湧いたが、まさか生卵をライスにぶっかけて喰うのか?」

「そうですよ」

「ええ、その通りです」

「嘘だろ!?」

 

 心底驚いていた。まぁ、当然か。

 それにライスもご飯のように炊くイメージでなく、煮込んだイメージなのだろう。ダシと味付けをしっかりしてあれば、そこに卵を落としても美味しいけれど。わからないだろうなぁ、こればかりは。

 するとセイバーはエルヴァからメモとペンを借りるとスラスラと文字を書いた。そこには日本の漢字で『卵』と『玉子』が書かれていた。

 

「この卵という文字はあらゆる卵生生物の卵を指します。そしてこちらの玉子の文字は調理された鳥類のものを指します。そして例外が鶏卵の生。これをそのまま使う場合のみこの卵の文字を使います」

「父上は日本語が書けるのか!?」

「この程度ですよ。全部を知っている訳ではありません。あなたには親子丼を食して欲しい」

「オヤコドン?」

「男性が母親とその娘を手篭めにする事です」

「ち、父上! どういうつもりだ!」

「それは後付けで、鶏卵と鶏肉を使った丼料理の事ですよ。エル、オイタが過ぎますよ?」

「すみません……」

「ビックリしたぜ。けど色々あるんだな?」

「ええ、日本の料理は本当に多種多様です。親子丼とは鶏肉をダシで煮込み卵でとじたものをご飯に載せて食すものを言います。鶏肉でなく豚肉や牛肉を使えば他人丼。特に牛肉だと開化丼という言い方もあります。また同じ牛肉に卵を使わず、タマネギを入れダシで煮込んでご飯に載せればそれが牛丼です。卵でとじる場合は、カツ丼、衣笠丼、木の葉丼、キツネ丼などがあります。この他に海鮮丼やその亜種、天丼にうな丼、中華丼やカレー丼と丼ものには枚挙に暇がない。そしてその先に、もっと手の込んだ美味が待っているのです」

「マジか……」

 

 

「お姉様方が日本から来られたのは存じていますが、その塩サーモンも日本料理ですか?」

「そうですよ。日本の典型的な朝食ですね。塩鮭の代わりに別の魚や干物を焼く場合もあります。鯖に秋刀魚、鯵の開きやウルメの丸干し等々ですね。納豆や卵の代わりにちょっとした煮物や玉子焼きが付く場合もありますよ。後は海苔と味噌汁とお漬物。大抵のホテルや旅館で朝食に和食を頼めば、こんな感じのメニューです」

「では、お姉様方は毎日そのようなお食事を?」

「いえ、毎日ではありませんよ? パンの日もあればうどんやお粥の日もあります」

「エルちゃん。日本は食材が世界一豊富で、価格帯の幅が広いのです。安くも手に入りますし、高級なお肉やフルーツもあります。そしてメニューを献立とも言いますが、そのバリエーションの多さには本当に驚かされますよ?」

「そんなに多いのですか?」

「多いですよ。文明の発達に拠る流通経路の進化も大きいですが、主食という概念がある事も大きいですね。日本は小麦でなくヒエやアワといった雑穀からお米へと穀物が変化しました。これが麦粥からパンになった以上の変化で、そこにジャガイモやワインを足したような感覚なのです。お米が税金や給金となり、お米がお酒ともなったのです。なので如何にお米を食べるかでおかずが進化したのですよ。しかも四方が海に囲まれ山も多い国土です。寿司にせよ天ぷらにせよ日本でしか発展しようのない料理だったのですね。おまけに伝統は護りつつ、新しいものを取り入れれば独自に改良する国民性が、これまた様々な料理を創りましてね。シュニッツェルとトンカツを食べ比べさせてあげたいですよ。それと私達のママが向いていたと言うか、料理の師匠がママを天才と褒めていました」

「え? マアエモ・ママが?」

 

 これにはマアエモさんも驚いている。

 

「そちらの私がですか? あの、もしかしてお嬢様方は、料理がお得意なのでしょうか?」

「ああ、師匠がと仰られていましたね。師匠が居るなら、お得意なのですか?」

「まぁ、好きですね」

 

 ここは私の出番だ。

 

「何を今更謙遜してんのよ。この二人はプロ並みよプロ並み。一度二人に作って貰いなさいな。洋食・和食何でも御座れで、一番得意なのは中華料理とまでいう幅広さよ。何を食べても最高だから」

 

 どうだ、言ってやったぞ。案の定、小さなエルヴァやマアエモさんが目を丸くしている。ついでにモードレッドも。

 

「中華料理? またどうしてですか?」

「小学校の1年生頃でしたかね? 仕事の都合で半年ほど香港に住んでいたのです。その時に料理人から教わりました。中華用のコンロをエッペルハイムの自宅や冬木の家にも設置して、今もずっと勉強を続けています。その冬木では和食の達人に包丁の研ぎ方から叩き込まれています」

「全部終われば、日本に帰る前にスイスにお寄りします。その時にご馳走しましょう」

「「おお!」」

 

 いや、喜んで良いのは小さなエルヴァとマアエモさんだけでしょう? どうしてモードレッドやセイバー達まで喜ぶのよ。

 ま、普通に用意するんだろうけど。

 

「お嬢様、トンカツとはシュニッツェルとはまた違うのですか? 確かアルゼンチンでしたか……」

「ミラネサナポリターナでしょう? 肉とチーズとなればコルドン・ブルーとも似てますよね。ですがトンカツはもっと厚切りの豚肉を使います。溶き卵を通して小麦粉やパン粉をまぶすまでは同じですが、タップリ張った160度程度の油かラードで揚げて、ソースや辛子で頂くものです。最後の1分から1分半を少し高温で揚げるのがコツですよ。これでざっくりとした衣がサクサクに揚がります。このカリッサクッとした食感が日本の特徴ですね。天ぷらや唐揚げもベチャッとさせてはアウトですよ。それと私のママのコルドン・ブルーはカリッサクッの後にフワ~と香辛料とハーブの香りが鼻に抜け、ソース要らずです。私はあれとレシュティにザウアークラウトとビールがあれば一日一食でも耐えられますから」

「いえ、しっかりお食べになって下さい。けれどコルドン・ブルーにもそんな工夫が?」

「ええ。それとママの得意料理はスコッチエッグとハムカツですよ」

「スコッチエッグってなんですか、お姉様?」

「冷まして殻を剥いたゆで玉子を、合ひき肉で包み、衣を付け油で揚げた料理です。卵をうずらにしたり、ミキサーに掛けたお野菜を団子にしたりして、ハーブと香辛料にタマネギやニンジンを刻んで練ったひき肉を使えば、これまたソース要らずの一品です。こういう工夫をすれば、ピーマンの肉詰めが苦手な子供でも美味しいと言いますから」

「うわぁ、食べたい」

「この他に揚げないでトマトソースで煮込んだりしても美味しいですよ」

「スコッチエッグはインドから伝わった料理が再開発されたものですので倫敦でも食べられますが、そちらの私はかなり工夫されていますね?」

「そうです。この子、お肉を余り食べないのでしょう?」

「少食なのは仕方ないと思いますし、好き嫌いがそれほど無いのも有り難いです。野菜もしっかり食べますし。けれど仰られる通り、お肉を少ししか食べませんね。お嬢様もそうだったのですか?」

「はい。身体が小さかったのもありますが、あの頃の私には100gでも辛かったです。それで魚に目覚めたと言いますか。タマゴ料理や揚げ物は嫌いではありませんでしたので、そのスコッチエッグやハムカツに野菜の団子のレシピは、ママが少しでも私にタンパク質と脂質を摂って欲しいと調べてくれた上での工夫だったのです」

「やはり……そんな気がしておりました。しかし、ハムは……」

「シュヴァルツヴェルダー・シンケンはもう少し大きくなれば食べられるようになりますよ。無駄に鼻が良いので、あの匂いが幼い頃は厳しかったのです。それが日本に行ってお肉屋さんの店先で売られている、ラードで揚げたペラペラに薄いハムカツを食べたら意外に美味しかったのでハマったと言うか。それから徐々に燻製肉の匂いが気にならなくなりました。今のエルちゃんでもハーブを使うかルーラーデンみたいに煮込んでしまえばそれなりに食べられると思いますよ? そして今の私はミラノのサラミもプロシュットもハモンセラーノも平気ですし、そんな加工食品の会社も経営しています。なのでシュールストレミングも平気になりました。叱らないであれこれと工夫してくれたママが居てくれたから、今の私があるのです。感謝していますよ」

「お嬢様……」

「ママ……。私も感謝してるからね?」

「ありがとうございます、お嬢様。私もまだまだ勉強ですね」

「それとここに残るそちらのエルヴァは私と同じ記憶と経験を積んでいます。料理もそうですが、裁縫・編み物・手芸、そして笛やピアノといった楽器も扱えます。ママ、彼女を利用しない手はありませんよ?」

「あの、楽器はクラリネットも?」

「はい。ピッコロから始まって、ウィンナクラリネットに今はソプラノ・サックスにアルト・サックスも。彼女は私ほど楽器に固執はしないようですが、間違いなく吹けるはずですから」

「うわ~。ウィンナクラリネットって難しいのに」

「エルちゃんも習っているのでしょう? 練習あるのみですよ」

「ママと同じ事を言う……」

「お嬢様。練習は大変ですし、遊びたいですよね?」

「うん……」

「ですが大きくなられたお嬢様方は、立派なレディですよね?」

「うん」

「そしてこんな風に私から学んだ事を話して下さるなんて……乳母としてこれ以上の幸せはありません。マアエモは口喧しいですが、お嬢様にも立派なレディになって頂きたいのですよ」

「うん、わかってる」

「もう一声、エルちゃん」

「エルちゃん、ママが好きならちゃんと言わないと」

「お姉様……。そうだね……。ママ、頑張るから。できなければこれからも叱ってね」

「お嬢様……」

 

 とうとう泣いちゃった。

 エルヴァ達も煽るなぁ。けど、マアエモさんが大好きなのね。それがひしひしと伝わってくる。だから遊びたい盛りの小さいエルヴァに、振り回されていないかと心配だったんだ。良い関係だなぁ。

 それにマアエモさんって、母性愛が滲み出ているわ。お祖父様の本当のお孫さんなのよね? でもそんなの抜きで、素晴らしい人だと思う。こういう真面目さが、創意工夫に繋がって天才とまで言われるようになったんだ。

 きっとエルヴァのマアエモさんは、エルヴァに着いてあちこちに行って勉強したのね。その経験の差だろうな。今後はこの差が縮まると思う。だってこんなに聡明で素敵な人なんだもの。

 

「父上、日本の料理ってそんなに美味いものばかりなのか?」

「そうですね。露天の食べ物であっても何かが違う。お好み焼きはお店も良いが、家で自分で焼いても美味です。焼きイカ・たこ焼き・たい焼き・コロッケ、この辺りは是非買い食いして欲しい。更に焼き鳥・おでん・もつ煮などは、日本酒とともに味わえば最高です。おやつは団子・羊羹・せんべいも良いが、石焼き芋、これに優るものはありません」

 

 彼女、何でも食べるのね? そしてもう一人のセイバーがお鍋を薦めた。

 

「お鍋もお薦めですよ。特に冬場の鍋料理は最高ですね。魚介類のダシが利いた鍋は本当に美味です」

「ええ、身体が温まり美味ですよね。時にあなた、鴨鍋を食べた事はありますか?」

「カモ? あの水辺に居る鳥の?」

「そうです。日本のそれは合鴨と言ってアヒルとの交配種だそうですが、これの鍋が堪らないのですよ。あの脂が滲みた野菜の美味しさは筆舌に尽くし難い。特に長ネギは最高ですね。鴨が葱を背負って来るということわざがある程です」

「おお……」

「マ、マスター? 日本に行かねぇか?」

「モードレッド……。少し考えさせて下さい」

「おう、良い返事を待ってるぜ」

 

 ああ、わかってしまった。

 詳しくは知らないけれど、この子はイリヤやクロエの妹になるのよね。けど事情があって、日本とは断絶してるんだ。だから昨夜あんな事を……。

 この子にとっての家族はマアエモさんとお祖父様なんだわ。もっと掘り下げると、血を分けた親に会いたくないのだと思う。姉妹なのに会えない……か。

 なんとなくだけど、モードレッドのマスターに相応しい子だと思える。きっとこの子の気持ちとモードレッドの心は繋がっている。

 

「そうだ。エルちゃんはタマゴ料理が好きなの?」

「ええ、わりと好きです」

「お嬢様。かなりでは?」

「はい……かなり好きです……」

 

 言い直しているし。可愛い。なら子供にはあれよ。

 

「エルヴァ、オムライスを作ってあげれば?」

「ええ、スイスで真っ先にご馳走しようと考えていたのがそれですよ」

「お姉様、リン様。オムライスってなんですか?」

「え!? 食べた事無いの?」

「ありません。知らない料理だと思います」

「嘘。ヨーロッパの料理よね?」

「凛さん。驚くなかれ、オムライスは日本の料理です」

「ええ~っ!」

 

 凜に指摘され驚いてしまった。本当に? 

 

「本当です。オムライスだけではありませんよ? トンカツは近い料理がありますけれど、ドリアにナポリタンにエビフライに、デザートならモンブランにプリンアラモード、アイスコーヒーにコーヒーゼリー。この辺り、全部日本発祥です」

「う、嘘!?」

「凜の言う通り本当ですよ。料理に本物のトマトでなくケチャップというソースをダバダバ使う時点で怪しいと思わないと。ハヤシライスなんて名前からして日本でしょう?」

「林さんって人が創作したの?」

「違いますよ、凛さん。ハッシュドビーフのハッシュドが訛ったんです」

 

 他にも色々説はあるらしいけれど、とにかくご飯の上に何かを掛けるという発想は日本ならではのものだそうだ。いや、東南アジアにもあるだろうと言う人が居るかも知れないが、それも戦後残った日本人が広めたらしい。

 それが現地の貧困と言っちゃ失礼だけど、一品だけのシンプルな料理とライスをワンプレートで出していた食生活がミックスされて行ったそうだ。

 そして基本は中華料理の現地アレンジ版と、その時代時代で植民地を統治していた国の何かが残っているのだそうだ。

 エルヴァが続ける。

 

「中華ならエビチリ、エビマヨ、天津飯に中華丼、冷やし中華も日本発祥です。焼肉屋さんの石焼ビビンパにしても、日本の温石や石焼き芋の石焼きを参考にした在日の方のオリジナル料理で本国には無かった料理です。あれは元々祭事料理が、ごま油を使うスタンド料理に変化したものなのですね。それよりも凄いのはケチャップライスに旗を立てるお子様ランチですよ。これは世界中どこに行ってもありません」

「お子様ランチもハンバーグとエビフライが外せませんよね。それと大手ハンバーガー・チェーンのハッピー・ミールは、絶対にお子様ランチや食玩と関係あると思います」

「共時的発見では? 子供をリピーターにするというのは正しいマーケティングですよ」

「ですね。最近はキッズ・プレートとか、オムライス・プレートとか、あちこちにあります。これも浸透した証拠ですね」

「私は昔、日本の国旗でなくスイスの国旗にして欲しいとレストランで駄々をこねた経験がありますね」

「お姉様……」

「はい。結構子供でしたよ、私も。という事でオムライスを楽しみにしていて下さいね」

「はい!」

 

 う~ん……。オムライスが日本発祥なんて知らなかった。英国に無いだけで海峡の向こうにはあるものと思い込んでいた。カードと同じ……。思い込むって怖い。広い視野、広い視野。本当に情報は大切だ。

 

「凛。I went to the supermarket and bought two pounds of hamburger. と I went to the supermarket and bought two hamburgers. の違いがわかりますか?」

「え? もう一回」

「I went to the supermarket and bought two pounds of hamburger. と I went to the supermarket and bought two hamburgers. です」

「メチャクチャ発音良いわね? それってアメリカ英語?」

「そうです。前者は2ポンドの挽き肉を買ったで、後者は2個のハンバーガーを買ったという意味ですよ」

 

 なんとアメリカではハンバーガーとはひき肉の意味とあの商品の意味の二つがあるのだ。

 英国だと挽き肉は Minced Meat だ。牛挽き肉なら Minced Beef。Hamburger はハンバーガーだ。時折バーガーと略す人が居るが、その場合はパティだけを指す場合が多い。となると……。

 

「もしかしてハンバーグってドイツ料理じゃ無いの?」

「あると言えばありますよ。ですが、日本人の思うハンバーグ・ステーキとは違いますね。固有名詞が曖昧なのですよ。Frikadelle という言葉は挽き肉料理全般を指します。敢えて言うなら小判型の肉団子ですね。Fleischkloschen という丸い肉団子を指す言葉もありますが、これはミートボールとして世界中にあります。日本人のあなたから見れば、肉食なのに大雑把だなとしか思えないでしょうね」

「肉の部位も細かく別れているのは、日本とアメリカ、あと数ヶ国くらいです。モツまで細かく別れているからとも言えますが。ともあれ英国はヘレもサーロインも一緒くたですね」

「最近のブッチャーはアメリカ式を取り入れつつありますけれどね。本当に違うのは生きた肉と死んだ肉の違いがドイツ語にある点です。英語にもこの表現があったと思いますよ」

 

 へぇ~。じゃハンブルグって何? 何だか楽しくなってきた。

 

「その都市で流行ったタルタル・ステーキが、やがてミート・ローフとして広まったからです。私達の感覚で言えば、ミート・ローフこそがハンバーグ・ステーキで、それ以外はどんな形をしていようとミート・ボールなのですよ。つくねみたいな母親の味、一般的な家庭料理の味なのですね。そしてハンバーガーという場合はハンブルグ風のという意味ですから。そうそう、メンチカツも日本発祥の料理ですね。それとピーマンの肉詰めも」

「あれ? 肉詰めはトルコ料理でしたよね?」

「確かに47番の言う通りで、肉詰めのオリジナルはそうですが、煮物と焼き物の違いがあります。確かに煮た方がピーマンの苦さが消えますけれど」

 

 そうなんだ。全然違うのね。

 

「かまぼことはんぺんと薩摩揚げの違い、ちくわとちくわぶの違い、ローカルな薩摩揚げを天ぷらと呼ぶ慣例、こういうのが理解できれば」

 

 なるほど、やっとピンと来た。今の例えは良かったわ。食べ物に詳しいから出て来る言葉よね。

 

「薩摩揚げで思い出しました。日本の鍋料理におでんという食べ物がありましてね。魚肉を練って作ったはんぺんやちくわなどをたっぷり入れて、大根や豆腐を揚げたものなどと一緒に煮込むのですが、あれは素晴らしいの一言ですよ」

「お姉様、セイバーさんの仰るそれは、お魚のミート・ボールで作ったブイヤベースですか?」

「それはつみれ汁やつみれ鍋として別にあります。もっとペーストになるくらい練って、形を整え蒸したり揚げたりした具を使うのですよ。この練り物は庶民の食べ物でしてね。安いちくわなら4本で0.6ユーロくらいです。高級なものでも4ユーロはしません。またそれらを大きな鍋で煮込み、二日掛かりで食べるお宅もあります。ロールキャベツやソーセージ、ギョウザにシュウマイ。ここまで何でも入れる鍋料理は、世界的にも類を見ないですね」

「ですから、イリヤは作りませんね」

 

 褐色のエルヴァのセイバーから始まったおでん話に、一石を投じたのは白いエルヴァのセイバーだった。

 この場合のイリヤは、エルヴァの双子の姉だろう。

 

「お姉さんはあなたより料理好きで得意だって聞いていたけど、おでんは作らないの?」

「おでんに限らず、ちゃんこ鍋や寄せ鍋も作りませんね」

「どうして?」

「タネが多すぎて素材の味同士がケンカをするからですよ。厚揚げなら油落としした厚揚げだけを焼いて、ダシ醤油を掛け、別に煮たお野菜を添えて出す人なのです。お味噌汁の具も2品未満で3品以上は入れない人ですね」

「素材の味を活かすためなのね? 本当に拘る人なのね?」

「大根も揚げ出し大根や大根のオランダ煮を作って、大根おろしを掛けて出す人ですから」

 

 揚げ出し大根? 揚げ出し豆腐みたいにして、そこに大根おろしを? 

 

「そうです。江戸時代中期の天明2年に『豆腐百珍』という本が出版されたでしょう? そのベストセラーが契機となって、百珍物が流行ったのです。そして3年後の天明5年に『大根一式料理秘密箱』や『諸国名産大根料理秘伝抄』が出版され、揚げ出し大根はその中の『大根一式料理秘密箱』に載っているレシピです。大根のオランダ煮は茄子のオランダ煮からのアレンジですね」

「私は物知らずでした。大根の上に大根とは手抜きだと思ったのです。ですが大根とは米や豆腐と並んで日本人には昔から好まれる食材だったのです。生良し、煮て良し、焼き物良し、炒めても良し、揚げても美味で、干せば旨味が増し、漬け物でも定番、そして葉っぱや皮まで食べられ、おろせば辛くなり薬味になるのです。つまり揚げ出し大根の甘辛さを薬味の大根が引き立てるのですね。イリヤは食の錬金術師ですよ」

 

 セイバーの評価が物凄い。

 想像しても大根は大根だ。揚げ出しに掛けるタレかツユが違うんだ? どんな腕だろう。想像が付かない。

 

「どんな味付けなんだろう?」

「ヒントは江戸の料理だという事です。ごま油で焦げ目が付くくらい香ばしく揚げるのがコツで、当時は日本にも入って来ていた黒胡椒を掛ける点がミソです。私も姉に刺激され、ジャガイモ、トマト、タマネギといった定番野菜の百珍を考えたりしていますが、中々上手く行きませんね」

「会長の料理は尋常ではありません。先輩がお作りになったあの会席料理も、ほとんどがイリヤ会長のレシピですよ」

 

 あの度肝を抜かれた会席料理のレシピが? それを再現するエルヴァも凄まじいが、その人は本当に高校生なの? 

 私はあの笑顔が可愛いイリヤを思い起こして、余りのギャップに目眩がした。並行世界云々を越えてるでしょうに。

 

「お嬢様、そのお嬢様のお姉様はどうしてそこまで?」

「出逢いです。私と出逢い、良き料理の師匠と出逢ったからです。元来あの人はシンプルな、わかりやすい物が好きなのですね。それが料理に出ているのですよ。大根に大根などはその良い例です。また研究熱心なところが良い塩梅で出ているのですよ」

 

 何か今、ストンと来た。きっとあのイリヤも根っこは同じだ。

 けれどエルヴァと出会い、姉としての自覚を持ち、良い方向へ変わって行ったんだ。

 

「ママ、私はお姉ちゃんと会うべきなのかな?」

「そうですね。ご両親はともかく、お姉様とは会うべきだとマアエモは思います」

「あ、そうだ。もう一人お姉ちゃんが増えたんだった。どんな人だろう?」

 

 何だこの子。親に会いたくないだけで、姉妹の事は結構調べていたのね。

 案外、親も嫌っているのでなく気まずいだけなのかも。

 

「見た目が私みたいな子ですよ」

「敵はブラック・プディングとヴァイスヴルストです。恐れるに足らずですよ」

「ブ、ブラック・プディング?」

 

 上手い言い方だ。どちらも朝飯前と言いたいのね。マアエモさんも笑っているしセイバー達も笑っている。

 この子、近い内に日本に来るかも。

 

 

 

「アーチャー殿。現代の食事は見事ですね。この黒いソーセージは中々です」

 

 英国に於ける朝食の定番、ブラック・プディングをフォークでツンツン突付く、哀愁漂う長髪のイケメン。彼の時代は無かったのだろうか。

 確かにもそもそした、脂ギッシュなソーセージより美味いのは事実だ。ほんの少しだが。

 そのソーセージは肉感が一切皆無でツナギだけかと疑いたくなるシロモノだったりする。皮はパキッとしておらず、噛めば肉汁でなく脂だけが口中に広がるのだから。

 こんなソーセージがよく売り物になるなと思うが、英国やお隣のアイルランドでは定番だ。

 

「何より酸っぱくないのが良いです」

 

 ああ、なるほど。英国にビネガー味は本当に多い。

 フィッシュ&チップスでも何でも、モルト・ビネガーをダバダバ掛けるのが英国式だ。ピクルドエッグを初めて食べた時は、和食の酢に慣れた自分でもむせて戻しそうになった。痛んだマヨネーズのような味だったしな。

 しかしポテトチップスはソルト・ビネガー味が一番食べ飽きない。結局、量の問題だろう。

 

 とは言え、何もかもが素朴過ぎるな。このベイクド・トマトにしても、もう少しなんとかならんのだろうか? 

 これなら塩だけか、マヨネーズを添えたトマトスライスの方が美味いと思う。いや、英国のトマトだと生は酸味がきついか。日本のトマトはかなり甘いからなぁ。

 北陸や信州などでは、醤油を掛けて食べる人も居るそうだ。もっと調べると、昔の日本人はトマトに砂糖を振り掛けたり、油炒めの具にしたりもしていたらしい。その頃の酸味のきついトマトが倫敦では、今も通常の食材なのだ。

 となるとエルがお得意の西紅柿炒鶏蛋……中華のトマトと卵の炒めものや、私が得意なシャクシューカの方が断然美味いと思う。ああ、レンティルスープとタブーレが食べたい。

 

※ シャクシューカ……中近東から北アフリカの料理で、トマトソースに卵を割り落とし焼いたもの。

※ レンティルスープ……レンズ豆のスープ。

※ タブーレ……大量のパセリとトマト・タマネギ・ミントを刻んでオリーブオイルで和えたサラダ。

 

 ご飯や味噌汁よりそんな食べ物が思い浮かぶ自分は、どこの人間だろうと自嘲してしまう。和食も一時は拘っていたが、しょせんは素人レベルだった。

 勿論、今は魔導師の連れ合いであるシロウに着いて学び直しているので、生前とは雲泥の差があると思うが。

 魔法使いのリンとともに延べ1548年。数々の並行世界を渡った漢は、料理の達人となった。

 そんな奴が、手取り足取り料理を叩き込んで来た弟子がイリヤとエルヴァの妹達だ。私もイリヤに負けたが、4番目のあいつはイリヤにもエルにも負けている。

 え? お前もエルヴァに負けただろうだと? そんな事は無い。引分けだ引分け。

 

 それより奴はシェフのメル友が100人居ると豪語していたのだが、これは絶対に嘘だろう。戦場を渡り歩いたならそんな暇があるものか。む? これは3番目だったか? 

 そうだ、そうかも知れん。今だ妄執に駆られ衛宮士郎殺しを目論んでいる大馬鹿者。最早数回達成しているのに、抑止の輪に囚われ記憶は毎回リセット。それに気付かず召喚毎に士郎を狙う。本物のアホだあいつは。

 む? デジャヴか? この話をどこかで話した気がするが……。そうだ。以前4番目にしてやったのだったか? いかんなぁ。

 

 その4番目は過去、リンの旦那であるシロウが学生の頃に戦って負けた経験がある。

 理由は3番目と同じ。抑止から逃れ己の全存在を消したかったからだ。方法はともかく、逃れたい気持ちは私もわからんではないので突っ込まずに居てやろう。

 ともあれ少なからず奴は、その戦いを通じて人間性を取り戻せたのだ。しかし、そんな根性だからエルにボロボロに負けたのだと断言だけはしておく。

 

 お題はブリアラ大根だった。

 ま、奴は何の問題もなく普通に作っていた。ほとんどの人が美味いと言うだろう。手順にも間違いは無かった。

 アラに塩を振り10分以上放置。その間に面取りした大根を米の研ぎ汁で下茹で。次にアラをお湯に通しつつ血合いや、取り零した鱗を取る。

 鍋に大根とアラ、刻んだ生姜等を入れ、ダシ汁、味醂、酒、醤油等を入れつつ煮込む。奴は最後に煮詰めて、残り汁を掛けていた。悪いところはどこにも無い。しかしエルには負けた。自ら敗北を認めたのだ。

 そのエルはブリアラの下拵えで包丁を使っていた。臭みの元となる部分をバスバス切り落とし、塩を振って寝かせた後、お湯で霜降りしていたのだ。

 更にそれを、魚屋が刺し身を取った数匹分の骨とともに煮込んでいた。懇意の魚屋からハマチやブリの骨だけを貰って来るのだ。そしてこれ等を綿の布で濾し、ダシスープを取る。このスープがベースとなるのだ。

 スープは二つの鍋に分け、1番目の鍋でハマチやツバスの切り身を形良く昆布とともに煮ていた。勿論、適宜生姜や味醂に酒、醤油は使っている。醤油は淡口醤油と白醤油を合わせたものだ。

 

 ん? ツバスとは何だと? 

 出世魚だ。ツバス→ハマチ→ブリだ。この順で呼び名が替わるのだよ。勿論、呼び名は地方色や漁場のローカル色もあるので、間に別の名があったり入れ替わったりもする。

 

 そして、別に分けた二番目の鍋では、面取りして下茹でした大根を、これまた昆布と煮ている。更に1番目の鍋から7、2番目の鍋から3の割合でスープを小さな鍋に取り、ザラメと濃口醤油を合わせタレを作っていた。

 このタレを盛り付けた具の上に掛け、湯がいた後に千切りにしたサヤエンドウを添えている。

 家族の居ない男と、家族に愛され家族のために作る女の子。衛宮士郎時代に置き去りにした、地域の人々との交流も忘れていない。それがあってのハマチの骨だ。

 これはブリアラ大根では無いと、あいつも言わなかった。ジイサンを含む家族の食べっぷりが違う。妹達はアラのグロテスクさや骨の煩わしさから開放され、抽出された旨味だけを味わえる。

 そして身は締まって歯応えがあり、食べやすく美味い。どちらが勝つか一目瞭然だろう。

 

 一方、イリヤとの勝負は合作だったと聞いている。ただ単に晩ご飯の手伝いをしていただけだとか。

 献立はサゴシの西京焼き、朴葉味噌添え。白髪ねぎも添えてあったと聞いている。そしてわらびの酢の物。他のごった煮やサーモンのゆず味噌煮は前日や朝食の残り物だったそうだ。

 なに気なく思うだろうが、これらの下拵えや下茹で、焼き加減や味付けが尋常では無いのだ。例えばサゴシは昼頃から合わせ味噌に寝かせ、焼きながら味醂と酒を焦げ付かぬように刷毛で塗っているのだ。

 そして盛り付けで自家製朴葉味噌と、削ぎ切りした根深の白ネギ(白葱)を乗せている。この朴葉味噌も米麹味噌の白味噌8割と赤味噌1割、豆味噌の赤味噌を1割加えていて、朴葉そのものにも工夫があると言う。

 あの子は一事が万事この調子なので誰も勝てんのだ。プロなら手間の掛け過ぎなので採算が採れん。時間のあるアマチュアでも面倒臭がるだろう。なのにイリヤはこれらを勉強や習い事の合間を縫って下拵えをし、食事前の30分で仕上げるのだ。

 並行してご飯を鍋で炊き、吸い物や味噌汁を作りつつだぞ? 有り得んだろう? 

 

※サゴシ……ローカル色はあるが、サワラの若いものを指す。こちらも出世魚。

 

 しかし、イリヤとの料理勝負に負けてからあいつは変わった。なに気ない家庭料理の奥深さを改めて知ったのだろう。原点回帰というものかも知れない。

 それで今はシロウが開いた店、和食処『凜』の月曜から木曜までの昼と夜を担当しつつ腕を磨いている。金・土・日だけはシロウが自分で店をあけているのだが、これは元からだ。

 要は今まで休みだった月曜から木曜まで店を貸すから、自分で稼げという意味なのだ。当然、提案者はリンだ。かつての従者になんとも優しい事だな。

 私は妹のエルに着いて旅をする事が多いので、スポッター的な手伝いがほとんどだが、それでもシロウが居る日はできる限り詰めるようにしている。やはりあいつはどこか違う。

 小学生時代から釣りをしていて、弱るジイサンに釣った魚を調理して食べさせていたと言うのだ。

 防波堤や港でクロダイやイサキを釣り、若狭地に浸けて焼いていたという。ただ鱗は取っていたらしいので正確な意味での若狭焼では無い。しかしこれが6年生の子供がやる事だろうか? 

 日に日に弱るジイサンのために、少しでも健康になって欲しいと祈りと願いを込めた料理の数々。そのレパートリーは同じ衛宮士郎であっても到達できぬ領域だ。

 ここだけの話し、セイバーは言うに及ばず、リンがあいつとともに歩むと決めたのはあの料理があったからではないか? あいつのセイバーが残ったのもそういう事だろう? 

 キャスターに契約を切られ、令呪を二画使われてもセイバーは堕ちなかったそうだが、あの味を知ればな。私は三画使われても堕ちんかったと思うのだがどうだろうか。

 なお余談だが、葛木を食事で籠絡する方法がある。生きる目的と生きがいを失くした男がシロウの料理で生への活力を取り戻すのだ。目に光の戻った葛木だぞ? あの時のメディアのあの顔……ククク……。

 

 ともあれこういう事を知れば、奴もシロウを狙わなかったろうに。私も今まで何人かの衛宮士郎に出会ったが、釣りが趣味というのは奴だけだ。なので釣りをあいつは今も続けていて、自前の釣り船まで持っていたりする。

 そして長年の修行の成果だろうか。どんな食材でも見ただけで、熟成度合いや美味い部位がわかるという。呆れるのはシガテラ毒を持った魚が一目見ただけでわかると言い切るところだ。しかもこれがハズレ無しだ。どういう心眼だろうな? 

 食材の鑑定や完成形の想定、調理技術の模倣や味への共感は意味があると思えるが、たぶん私の知る八節とは異なっていると思う。

 

「君はガリアの出身だったな?」

「そうですが、何か?」

「いや、仏蘭西人の祖先が、現代の英国の食事を褒めるのはかなり珍しいシーンなのでな」

「何を仰いますか。美味なものは美味で良いではありませんか。色眼鏡で物事を見る事ほど愚かな事はありませんよ」

 

 慎一に仕えたランスと同じだな。考えが柔らかい。ニュートラルなのだ。だからキャメロットでは浮いていたのだろう。

 王妃との色恋沙汰も、当時の王妃の立場を思えば致し方無い部分があると思う。基本、この男は実直で優しいのだ。

 だからだろう。ディルや彼と呑む酒が美味いのは。

 

「ハハッ……。まったくだな。でだ、この後スラーに向かわねばならんのだが、どうするね?」

「お疑いなのですね?」

「君ではなく、君に掛けられたかも知れぬ魔術を警戒している」

「当然でしょう。しかし私としては王をお護りしたいところです。建物の外に居たとしても、あなたの不安は拭えない。さて……どうしたものか」

「いっそ、私の横に居ろ。目の届くところに居る方がマシだ」

「よろしいのですか?」

「よろしくは無いが、仕方無かろう。卿よ、私も散々人に仕えてきた身だ。君の心中はわかっている」

「アーチャー殿……」

 

 

 

「ちょっと、こんなの持って来ていたの?」

 

 朝食を終えた私達は白いエルヴァの部屋に呼ばれた。テーブルに並ぶ、お湯を注ぐだけのカップ味噌汁。それが何十個も。

 それを皆んなで飲んでいるのだ。既にごくごくと飲んでいるのは褐色のエルヴァのセイバーだった。

 

「これですね。朝はこれでなければ」

「朝っぱらから、あなたは豚汁ですか? ここはしじみで八丁味噌を選ぶべきです」

 

 何でそんなに拘るのよ? 白いエルヴァのセイバーは何か違う。あちらのイリヤの影響かな? 

 

「父上、しじみって貝の絵のこれか?」

「それです。お薦めですよ」

「このとうふって何だ?」

「豆腐は大豆を煮て、磨り潰した汁を型に入れ、にがりという凝固剤で固めたものです。これを水切りして揚げたものが厚揚げです。単品で食べても美味しいですが、煮物やこのようなお味噌汁に入れても美味しいですよ」

「じゃ、オレはこっちのとうふにしようかな?」

「モードレッド、私はお薦めを話しました。あなたはまた父に反逆するのですか?」

「え? いや、そ、そんな事は無いぞ!」

「味噌汁の具くらいで大袈裟ですね。好きなのを選ばせて上げなさいな、セイバー」

 

 円卓が割れたのは味噌汁の具が原因だった……笑えないわ。

 大人達の喧騒を他所に両手で包み込むようにして、フーフーと冷ましながら飲んでいるのは小さなエルヴァだ。

 

「ほぅ……。温まりますね」

 

 そう、今朝は少し肌寒い。倫敦は春になっても時折こういう日がある。

 

「お味噌の味は大丈夫なの?」

「ええ。スシ・バーには何度も入っていますし、ミソ・ラーメンは結構好きですよ」

 

 スシ・バーの味噌汁ねぇ。ダシは入ってるのかしら? 

 そしてラーメン。こんな小さな子にもラーメンは知られているのね。

 

「先輩と好みが同じですね」

「お姉様と?」

「ええ、先輩はラーメンだと味噌ラーメンしか食べません」

「自分で注文するなら、ですよ。人からこれにしろと薦められれば、違うものも頂きます」

「お姉様、やはり本場日本のラーメンは違いますか?」

「本当の本場は中国や台湾ですが、国民性なのでしょうね。魔改造させれば日本人の右に出る者は居ないでしょう。美味しいお店は全国にあり、多種多様です。東京ならどこのお店に入っても標準以上ですね。私は札幌の純すみ系やサラッとした味の三平などが好きですが、これも人それぞれです。観光気分では、あなたの一杯はまず見付かりませんよ」

「そんなにお店があるんですか?」

「ありますよ。けれど最後はうどんに戻りますね。私の場合は」

「ウドン?」

「このお味噌汁にもダシという旨味成分が使われていますが、うどんの場合は昆布丸々一本と、カツオ以外の魚、マルソウダ、ゴマサバ、マサバ、ムロアジ、ウルメイワシ、マイワシ、カタクチイワシ等々の雑節から摂ったダシが多いです。それを醤油と味醂で味を整えたスープに、小麦粉を練って作ったヌードルを入れて……」

「スープパスタ?」

「そんな感じです。こればかりは贅沢を言いません。空港から街に出れば、立ち食いうどんのお店を探すほど好きですよ。この時ばかりは原料費が安い昆布ダシだけでも文句は言いません」

「ほえ~」

 

 ここで微笑みながら見守っていた褐色のエルヴァも参戦した。

 

「フランクフルトに降り立ったら、空港の中でカレーブルストを買いに走りますものね」

「ですね。どちらもソウル・フードですよ」

「そんな中で手っ取り早く食べられる和食がうどんなのですよ」

「なるほど~」

「なぁ? ミソウドンってあんのか?」

「モードレッド。父はエルとともに味噌煮込みうどんを名古屋へ食べに行きました。あれを食せばあなたは驚きますよ」

「あるのか……凄ぇな日本って」

 

 ここに食いついたのが、もう一人のセイバーだ。

 

「あなたは名古屋まで? それを食べに?」

「ええ。ひつまぶしも食しましたし、手羽先にきしめん、ういろうも頂きましたよ」

「あ、あなたは……」

「私を羨む前に、自身も現代に生きているのだと自覚しなさい。お客様なままですと本当の味わいが理解できません」

「どういう意味です?」

「要は働いていて、食費をある程度収めているのですよ」

「は、働く? 何をしているのですか?」

「有り体に言えば、飲食店のホールスタッフです」

「父上が酌女を? 嘘だろ?」

 

 酌女って古風だなぁ。

 

「どこのお店で?」

「並行世界ですから、聞いてもこの世界にはありませんよ?」

「そりゃそうだ。じゃ、お店はセイバーのお店なの?」

「いいえ。以前のマスターが経営しているお店です。そこを手伝っています」

「以前のマスター?」

「ええ、エルの前のマスターです」

 

 そしてセイバーはふと笑った。

 

「だ、誰?」

「あ~!」

 

 叫んだのは褐色のエルヴァのセイバーだった。

 

「ど、どうしたの?」

「いや……。まさかと思いますが、ランスロット卿と?」

「彼ではありません。ヒントは彼も一人では無いという事ですよ」

「あ~、そう言えば4番目とか……」

「そう、その彼です」

「そちらの方が羨ましい……」

 

 あれ? もしかしてこの表情は……セイバーって前のマスターに恋してる……? って事は、前のマスターは男性? 

 俄然、気になって来るんだけど。どんなヤツだろう? 

 

「父上の前のマスターって誰だろうな?」

「さぁ。気になりますか、モードレッド?」

「ああ。エルヴァみたいなヤツなら良いけど」

「そうですね。お姉様方なら安心ですね」

「いや、お前もだよ。マスター」

 

 こっちはこっちで殺し文句を無意識で垂れ流してるし。小さなエルヴァの顔、真っ赤じゃないの。

 

 

 会計を済ませてホテルに戻る。

 ぼちぼち彼女達もスラーに向かう服装に着替え終えているだろう。

 

「アーチャー殿は料理をなさいますか?」

「戦場では料理番も何度か担当していたしな。嗜む程度はやっていたさ」

「ふむ」

「何かね?」

「いえ、その昔のブリテンは貧乏でしてね。人件費が捻出できず、騎士が交代で王の料理番をしておりました。それで私も何度かした事があるのですよ」

「ガウェイン卿が専属だったのでは?」

「いえ、もっぱら彼の担当する機会が多かったというだけです。王は私の料理を楽しみにして下さっていましたよ」

「言わんとする事が段々読めて来た。やはりドーバーを挟んで調理法に差が?」

「ありましたね。ローマに近いかどうかで、結構文化に差がありました」

「君の故郷は現代で言うところのブルターニュ地方で、そこに出る前の祖先はアルザス辺りの出身だと睨んでいるが、きっと肉詰めのパイやシチューが既にあったのだろうな」

「ま、現代のものとは違うと思いますが、ありましたね」

「そして王はそのような手の込んだ料理を好んでいたと?」

「その通りです。しかしハーブとビネガーは手に入っても、塩が」

「うむ、スパイスはまだ早いだろうしな。マイ・岩塩を持ち歩いていたというのは本当かね?」

「それは王侯貴族に限られます。庶民はどうしていたのやら、厳しい国でした」

 

 ビネガーが広く浸透した理由は、この塩の入手性の悪さもある。

 素材の臭み抜きや香り付けはハーブで行えるが、塩の吸水性を利用できない点は痛い。要は臭みの元となる汁が吸い出せないのだ。

 現代の英国も魚料理と言えばニシンの何かか、揚げ物しかない理由がこれだ。下拵えがきちんとできない土地。これは本当に痛い。

 古代のメソポタミアで使われだした塩は、やがて製法とともにエジプトやギリシア・ローマへと伝わった。そしてオーストリアで産出される岩塩は広くヨーロッパ全土に普及した。

 仏蘭西も独自に塩を含む地下水を汲み上げて塩を得ていた時代があった。英国と言えばお土産にもされるマルドンの塩が有名だが、海水から作るこの塩の歴史も200年を少し過ぎる程度だ。

 どんな料理の名人でも、塩がなければ味は決まらない。

 

「アーチャー殿。あなたは現代の……いや、もしかすると未来の英霊でしょう?」

「む。どうしてそう思うのかね?」

「私はバーサーカーの適性があります。そして……このクラスの恩恵と申しますか、私が変わっていると申しますか、狂っている間の事を結構明確に覚えておるのですよ。私はかつて日本で召喚されアーサーと戦った記憶があります」

「君?!」

「今のでわかりました。あなたはあの儀式の関係者でしょう?」

 

 王の片腕とも言われた湖の騎士が鋭いのは知っていたつもりだったが、これには驚かされた。

 

「君は私の知る騎士より鋭いな?」

「別の私と知り合いですか?」

「うむ。酒を酌み交わす仲だ」

「そうでしたか。私の真意はあなたがどうこうではありません。ここで生き、王への贖罪を果たさねばなりません。それ故にあなたの知恵を拝借できればと考えた次第ですよ」

「そういう事か。私は白いエルヴァの従者だ。彼女とともにやがて元の世界に帰らねばならん。なので夜は空けておいてくれ。帰るまでにできる限りの事を話そう」

「ありがとうございます。このランスロット、ご恩は忘れません」

「何、構わんよ。それはそうと、君は霊体化できるのか?」

「できますよ。それが何か?」

「いや、今は私と付かず離れずなので服も投影でどうにかなるが、万一離れれば服がな」

「ああ、魔力で編んでいるのですね。消えるのですか?」

「大丈夫だとは思うが、余り試した経験が無くてな」

「そうでしたか。ま、離れる時は誰かと戦う時です。その時は鎧で」

「そうだな。スラーで何事も無ければ良いが……」

 

 

 現代魔術科にて緘口令が敷かれた。

 突如の休講に色めき立つ学生は少なくなかったが、ほとんどが休みと知って喜ぶとは何だ? とは言え、疑問を持つ者が増えても困る。それで重大な会議の場に建物を提供する旨と、要人が訪問する事のみを伝達した。

 

「ファック! 何故、スラーなんだ?!」

「意趣返しか、釘を刺したつもりなのか。そこは不明だがね」

「まぁな。何らかの意図はあるだろう。しかし、相変わらず私にはそれが読めん」

「つまり、その汚い言葉は自虐だったと」

「まぁ、そうだ」

 

 違うぞ、兄上。スラーはイコライザーだよ。

 誰もが礼装を持ち込めるんだ。学生がそういう抜け穴を見つけているからね。そして事前準備したくとも、変に鼻が良い学生がトラップを仕込んでいるのでこれまた不可能に近いんだ。

 そしてここは兄上が差配する場だ。誰もがあなたを疑わない。つまり誰しもが、ここでは己のその場に於ける素の力量だけでアピールする他は無い。きっとここが選ばれた理由はそんなところだ。

 しかし相手は英霊持ちだ。意外と白旗を上げた結果が、この場所を選ばせた理由だったりして。

 はてさて、今日はどうなる事やら。楽しみだね。

 

 午前10時30分、一行はスラーに到着した。

 タクシーから出た薄いピンクのショートドレス姿の小さなエルヴァを、二人のエルヴァが挟んでいる。こちらはブラウンの光沢あるドレスで白いエルヴァがゴールドの、褐色のエルヴァがシルバーのショートボレロを羽織っている。

 その後ろにリトル・ブラック・ドレス姿の凛と凜が並んで歩く。

 その両側やや前方に、これまたリトル・ブラック・ドレスを纏った、二人のセイバーが前方と左右に目を光らせていた。

 真紅のパーティドレスを着たモードレッドは、最後方で上空を睨んでいた。

 

「アーチャーとランスの野郎はどうしたんだ?」

「先行して屋上を跳んでいますね」

「ご苦労なこった。どんな奴が来てもオレや父上達が居れば問題なしだっつうのに」

「モードレッド、過信は禁物ですよ」

「セイバーさん、モードレッドはちゃんと見張っていますよ。1000mほど上空を雁の群れが飛んでいますが、何か怪しいらしいです」

 

 小さいエルヴァの言葉に驚く。視力を強化しても見えないわよ? 

 

「それ、私の使い魔です。セント・ジェームズ・パークに居たエジプト雁です。目を借りていました」

「お姉様の?」

 

 なんじゃそれ。

 

「そうです。あれと手元に忍ばせている使い魔の情報を、ホテルで待って下さっているマアエモ・ママに送っているのですよ。でなければあなたの事が心配でしょう?」

「ああ……ママのために。ありがとうございます」

「じゃ、あれは無視で良いんだな?」

「ええ。他に気になる事はありますか?」

「敵意のない気配が50人以上? 多いな……消えたり現れたりだ。全部アサシンか?」

「アサシンですね」

「って事は、後は魔術師の仕込みが無いかどうかだ。頼むぜ、魔法使い」

「この手の探査魔術は先輩の方が得意なんですが……けど、私には何も感じませんね。どうです、先輩方?」

「監視用の使い魔が20匹ほど居ますね。設置型で移動できないタイプです」

「やらしいなぁ。脳髄と眼球だけ取り出して礼装とくっつけたみたいな?」

「そう、そのタイプです。正直キモいですが、融合に魔術を使うだけならとても発見され難いですから」

「夕方まで持てば良いと割り切った運用ですね。あなたの話を聞く限り、学生の方がセンスがありましたね」

「そこは現代魔術科です。特に今の学生は光っています。SFみたいなナノマシーンという万能な存在に頼らず、魔術でそれを代用し実現した。それが時計塔ですが、上位の学生のアイデアはその先を行っています」

 

 私は仲間が褒められ素直に嬉しかった。

 

「ですが、今日のために使い魔を全部引き上げろと厳命されているでしょうに」

「学生のがあるの?」

「ありますね。先日のと同じタイプ。フラット君とスヴィン君の使い魔ですね。他のはアサシンが潰してあるようです」

「それ、アサシンがわざと見逃したの?」

「いえ、彼らが発見できなかったのです。47番はわかりますか?」

「なんとなくあれかなという気はしますけれど。あの二人はレベルが高いですね」

「ですよね。将来欲しい人材です」

 

 随分な高評価だ。

 

「凜はわかる?」

「苦手ですが、裏技を使えば位置はわかります」

「裏技って?」

「魔力波をソナーみたいに拡散するんですよ」

「宝石剣で魔力をカバーするのね?」

「そういう事です」

 

 呆れた。こんな魔力の浪費を思い付く魔術師は居ないだろう。宝石剣を持つってそういう事なのね。

 

「さ、着きました。入りましょうか」

 

 我が学び舎だけど、随分と緊張する。

 事の発端は任務が成功した暁には、大師父の弟子に取って貰えると言われたからだった。あの日から何日経ったろう? けれど、私とルヴィアは既に時計塔を辞める覚悟を決めていた。

 もし許されるなら、凜の弟子になりたい。あの円蔵山の時から考えていた事。宝石剣や魔法使い云々だけではない。彼女は超一流だ。私が漠然と目指していた理想の姿が、今確かなものとして傍で歩いている。

 私は大きく息を吸って一歩を進めたのだった。

 

 馴染みある幾つかの講義室横を通り過ぎ、会議室へと進むエルヴァ達。

 

「場所が指定されていたの? 案内も無しで?」

「軽く探査魔術を使ってみて下さい」

 

 なるほど。道案内のように魔術で編んだ標識と言うか案内板が。位相をズラして壁に貼ってあるのか。

 

「けど、位相をズラすって、確か仕込みが必要な魔術だけど?」

「ここも時計塔の施設には違いありません。本来これは緊急用なのでしょう」

 

 ああ、火災や震災時の非難誘導用。ああいう感じなのか。これは知らなかったなぁ。

 

「では、入りましょうか」

「お待ち下さい。私から先に」

 

 そう言ってセイバーから入った。

 中には数人の人と、十数匹の使い魔が居た。勿論、エルメロイⅡ先生とライネスも居る。

 他はベルフェバン代理とオルガマリー、先日のバリュエレータ。その横の男性は知らない顔だ。この人も威厳があるから、ロードかそれに準ずる人なのだろう。

 それとは別に二人、日本人が居た。黒髪の和服が似合う女性と、赤茶色の髪の女性だ。そしてその奥に陣取るのは大師父だった。

 

「来たね」

「随分と厚着だな」

 

 何が気に障ったのか宝剣が男性の足元に大穴を開けた! 

 それと同時に会議室が一変して赤い荒野に変わる! 

 エルヴァ、どうして!? 

 

「口の利き方に気を付けなさい。それと茶番は結構です。宝石翁はどちらに?」

 

 え? どういう意味? 

 

「あのトランベリオは偽物です。本物が操っているのならまだしも、他人が扱ってる人形です。そして一番奥で座っている人物も」

「え? 宝石翁が偽物?」

「偽物と言うより私と凛さんみたいなものですね」

「魔法に至ってないゼルリッチ翁って事?!」

 

 既に武装した褐色のエルヴァとセイバーにモードレッドが小さなエルヴァを護る。

 アーチャーとランスロットは離れた位置で武装し、戦局を見守っていた。

 白いエルヴァと彼女のセイバーがずずいと前に出て声を張り上げる。

 

「ベルフェバン代理、オルガマリー、ロード・バリュエレータ。体良く駒にされましたね? 蒼崎橙子さん、カバンは使い魔とともに現実世界です。降伏しなさい。どうせ、何某かの等価交換で嫌々受けた頼まれ仕事でしょう?」

 

 何万本もの剣が降伏を迫る。

 

「わかった、降参だ」

「確かに私は高校3年生です」

「ちッ。お前、日本語がわかるのか」

「ええ。おそらくあなたはこちらの戦力を測れと依頼されただけでしょう? それももう一度封印指定候補のリストに上がっているとでも、暗に脅されて?」

「脅されたは語弊があるな。取り消しも何もリストには載っていない。ただ、向こうの背後を洗ってから借りを返すつもりだったけどな」

「ウルサイって煩雑の煩と書く以外に、五月の蝿とも書きますよね? そういう蚊や蝿のような不快虫は、発生源から潰しませんと徒労に終わりますよ?」

「それがお前の実力か。軽く言ってくれるものだ。私では精々目の前のせっかく作った料理に、たかろうとする虫を払う以外に術(すべ)はないよ」

 

 私の知る限りエルヴァ達は倫敦では英語とドイツ語しか使っていない。けれど私や凜も居るのだから、例えエルヴァが日本語を知らずとも通訳は可能だ。

 日本語がわかるのかとは、どういう意味だろう? 降参→高3は日本語で話さないと意味がないダジャレだろうに。

 

「ここに若い日本人の魔法使いが居るとは想定していなかったからですよ」

 

 あ、妹さんも高校生くらいで魔法を得たんだっけ? もしかしたらトラウマなんだ。

 

「トラウマよりリスクを認識させたのですよ。魔法使いと戦いたい魔術師は居ません。それと法政科が先日執行者を使って襲って来たでしょう? あの襲撃は凜を狙っていたのです。宝石翁だけでも迷惑なのに、別の魔法使いが現れたとなると。今日の蒼崎橙子さんも、水面下で法政科が交渉した結果でしょう。先日のスラーの段階では橙子さんは関係なかったはずです。今回はロード・バリュエレータの護衛が表向きの名目だと思われますが、真相は第三者を通した、法政科からの依頼で間違いありません。ああ、依頼者の名は話さなくて良いですよ。話せば戦争です。聞かない事が慈悲だと捉えて下さい。どのみちそいつはとっくにアサシンが捕まえましたが」

「な……?!」

「まだ英霊が居るのか!?」

 

 和装の令嬢と冠位の魔術師が驚く。

 

「バカ弟子が、余計な気を遣いおって……。次元の違う魔術師だと坊やにも話したのになぁ」

「ロード・バリュエレータ。その坊やが誰かは声に出さないで下さい。私は時計塔とケンカをしたい訳ではありませんから。ただ騙そうとする者、人の威光を笠に着る狐が嫌いなだけです。真相を話して下さい、魔術師ゼルリッチさん」

 

 白髪で恰幅の良い老人が大きな溜息を吐いた。そして周囲を制してエルヴァの前へ歩んで来た。

 

「お前さんはユスティーツァの末かな?」

「そうです。ただ、アハトの家の者ではなくノイントの跡継ぎです」

「そうか。それが何故永人の末と知己を? 聖杯とは関係なかろうに」

「第四次の前に両親や双子の姉と出逢ったからですよ。私は養子に出されていたのです」

「なるほど、五次の器の娘と双子なのか。そんなお前さんが魔法に至った永人の末裔と……そんな世界線があるんじゃな。わかった、話そう。お察しの通りじゃよ。儂もゼルリッチではあるが、宝石翁と呼ばれる人物では無い。ただ、魔法は得とるがな」

 

 魔法を得ているって事は、私じゃなく凜と同じって事よね? 

 やはり……。並行世界の同一人物であるなら同じ魔法を得られる可能性があるんだ。

 

「失礼しました。魔術師呼ばわりは撤回します。それとご安心下さい。固有結界に阻まれ、ここに居る人間以外は誰もこの会話を聞いていません。もし口外する者が居たのなら……あなたがなさろうとする事は静観します。何ならアサシンのレンタルも致しますよ」

「ふぅ……。お前さんは……儂らと同じで、ほとんど知っとるんじゃな?」

「さて。ある人から世界を見守れとは言われました」

「儂みたいな爺さんにかね?」

「黒髪のスレンダーな美人です。とある世界線での第五次の勝者で、天寿を全うした後に英霊に迎えられた人ですよ」

「ほぅ?」

「そんな人が私の世界では第四次にキャスターとして現れたのです。しかも同じく英霊に迎えられた夫を伴って」

「夫婦で英霊に? それもスカウトされて? 何者じゃ?」

「ヒントは出ていましたが?」

「並行世界の永人の末裔……か。夫とは?」

「ご夫妻の世界線では第四次終結後に大火災が発生しました。その災害の生き残りです」

「そうか! 錬鉄の。この固有結界もそうか?」

 

 錬鉄? ニックネーム? 

 

「これは世界線を異にする別人ですよ」

「なるほど。宝石剣で無限に魔力を送られる錬鉄の魔術師か。噂は耳にしとる。どこかの儂が会っとるじゃろう?」

「数回逢ったとは伺っています」

「そうか、そういう世界線から来たのか、なるほど。じゃが、奇跡を起こすには、もう一つファクターが必要じゃな?」

「さすがは大師父。もう一人は第五次で錬鉄の少年が召喚したアーサー王です」

 

 そしてエルヴァは淡々とある物語を話し始めた。

 現代の神話。人が英霊に至る道。ああ……これは凜の師匠の物語だ────

 延べ1548年も世界を渡り、概算で累計150億以上もの人々を救ったという大魔導師と、その宝具となった夫の物語────

 最大の功績は地球を破壊する規模の小惑星を、木っ端微塵に粉砕し、地球を救った事だとエルヴァが話す。60億人以上を救い、地球を、世界を護った……。

 何だそれ? 過去のどんな英雄がこんな事を成し遂げられた? 

 ヒーローとか救世主とか、そんな言葉が軽く飛んで行く。英霊にスカウト。つまりはそういう事なのだ。波乱万丈の冒険譚は聞いている者を驚かせ目を輝かせた。私は思わず奮い立った。

 

「……その直死の魔眼を持った女性も結界内で無限の剣製に踊らされ、体中に乳酸が溜まりハンガーノックで倒れました」

 

 蒼崎橙子さんが凄く嫌そうな顔をしていた。

 わかる。この情報だけで相手は奇跡の魔眼持ちであっても魔術師では無いとわかった。

 肉体強化の魔術はいきなり全体を強化するのでは無い。遅筋や速筋といった己の筋肉に合わせて、靭帯強化や疲労耐性を付けつつ行うものなのだ。

 更に酸素を運ぶヘモグロビンが流れる血管や心臓に、当然呼吸器も強化する。そこまでできないと全身強化は行えない。

 そして凜の師匠はとことんクレバーなのだろう。無限の時間と無限の魔力。乳酸が溜まり疲労で動けなくなるまで……めっちゃ嫌だ。そんなの相手にしたくない。けれど二人だから可能な技。

 私の予測だけれど、旦那さんはアーチャーと同じ能力を持つのだと思う。子孫の可能性がかなり高い。まず間違いないだろう。そんな人が冬木に居たんだ……。

 ここには居ないのだろうか? けれど、第四次では市民会館や図書館が立ち並ぶあの一角が、丸々焼失したという。

 その災害の生き残り……。数百棟が焼け落ち、死者は500人以上だと……。私の知る街とは異なる、並行世界のできごと。私は聞いていて胸が痛くなった。

 

「大師父。今回は安直過ぎましたね。カードの回収が事件の解決では無いと思いますよ?」

「そうじゃな。儂を追って来たとは本当かね?」

「そこです。真実は未だ不明ですが、円蔵山近辺の位相が緩んでいるのは事実です。これは私のみならず、こちらの魔法使いが自ら確認してもいます」

「むぅ。確かに儂がこの世界に入ったポイントが冬木の円蔵山じゃ。そんな事がのぅ……」

「そして起こったカード騒動。これは不味いと知己のロードと相談され、紹介されたエルメロイⅡに協力を仰いだ訳ですね?」

「他にも理由はあるが、概ねそんなところじゃ」

「その相談相手とエルメロイⅡとで生じた時間差。その段階を踏んだ事が2枚のカードと残り5枚とで回収者が別れた理由ですか?」

 

 ああ、そういう事か……。

 

「誰もが儂に気を使い過ぎおってな。その結果じゃ」

「しかし詳しく聞かされていないエルメロイⅡは、学生の派遣で片が付くと読み誤った?」

「いや、それに関しては彼を責めんでやってくれ。内々に済ませたかった儂の要望もあった故にな。どうやらそれがあちこちに波紋を広げたようじゃ。とは言えエーデルフェルトと遠坂じゃ。こ奴等ならイケると踏んだんじゃがなぁ」

「第三次の教訓を胸に秘めたルヴィアや、第四次で冒険し、第五次で勝者となった凛ではありません。ここはアハトの家が滅び、マキリが潰えた世界ですよ」

 

 え? って事は……並行世界の私は、凜の師匠以外でも勝者の場合があるんだ? 凜が私を物足らなく感じるのはそこかも知れないわね。

 きっと同じ10年でも、親の遺志を継いで自己研鑽を怠らなかった私を何人か知っているんだ。だからか。こちらはそんな儀式があった事すら知らず、倫敦に逃げたんだもんね……。

 

「では、ここの聖杯戦争は第四次で終わったのか?」

「はい。それでその余剰魔力を嗅ぎ付けられたのだろうと。本来なら昨年の年末から今年の新年に掛けてが第五次でしょう」

「そうか……。儂が嗅ぎ付けさせたとも言えるのぅ。裏目に出たと言うか、悪い方にばかり……それ故に儂に文句を言いたかったと?」

「そうです。この後、知らぬ並行世界からの侵略すら考えられますから。ですが、もう十分ですよ」

「十分とは?」

「円卓九騎に光の御子、見知らぬ雑魚。誰も私達の敵ではありませんでした。大師父、円卓はこちらの力量を測るため……。ズバリ、あなたの召喚でしょう?」

 

 大師父はとぼけなかった。

 

「ま、そうじゃな。お前さんの考え通りじゃ。しかしあの場と結界を利用しただけで、槍の英霊と戦車の英霊は知らんぞ?」

「そこは理解しています。槍はトランベリオ、戦車はドクター・ハートレスといったところでしょう」

「失礼、大師父。待ってくれないか? マグダネル坊やがお前さん達を襲ったってのは本当か?」

 

 声を上げたのはロード・バリュエレータだった。イノライとて、魑魅魍魎が跋扈する時計塔でロードを張って来た鉄人だ。自分達の権力闘争が、囲われた範囲のしょせんは砂場の児戯だと理解している。

 それだけにちっぽけな価値観で、外部に存在するもっと大きなチカラと敵対する事は避けて来た。その事はマグダネルも理解している筈だ。なのに……。

 

「はい。ただしその事は水に流します」

「何故だい?」

「マグダネル・トランベリオ・エルロッドも時計塔を愛しているのだと確認できたからです。もしかすればあちらはあちらで、戦車の英霊を狙っていたのかも知れません。まんまと鉢合わせさせられたのだと。実はホテルでかなり強力なマジック・ドレインを喰らいましてね。当初、私はこれをトランベリオさんだと考えていました」

「幾ら何でもホテルまるごとは無理だろう? 他の宿泊客も居るだろうに?」

「そうです。それに時計塔の使い魔もうじゃうじゃですよね? そんな中で少しずつ陣を私達が宿泊する部屋にだけ、長方形に張っていたのです。私達が取っていた部屋は2室並び。一つ空いてこの子の部屋でした。間は空きです。つまり4室分の陣だった訳ですよ」

「その限定的な結界を、オレ達の目を盗んで張ったというのか?」

「はい。そして槍の英霊はそれを感知し公園で待機していたようです。彼はルーン使いとしても高名ですから。そしてその結界を発動させたであろう人物を殺した後に私達と出会った訳です。もっと広範囲に使い魔なりを張っていれば、術者の死体を公園の外に運び出す者達を感知できましたのに。その者達がトランベリオの手の者だと判明したのはここに向かう途中でした。ま、あれだけ好戦的な英霊ですと戦いは避けられませんでしたけれど」

「坊や……それで代役を?」

「たぶん。ここに来て誤解から戦ってしまうと一大事です。それを避けるための英断だったのだと。こちらは彼の英霊を斃してしまいましたから。本当に申し訳ない事です」

「なるほどな」

 

 あっさり斃したと言ってのける。この若さで何をどうしたらそこまでの事ができるのだ? 

 イノライは思わず身震いした。

 

「そして、その後の大師父の円卓もタイミングが良過ぎでした。あれでかなり迷わされました」

「それは済まんかった。儂の召喚でトランベリオが疑われるとは……」

「直接、トランベリオさんに聞きませんとわかりませんが、相手の狙いがカードと魔杖だとまでは察知されていたのだと思います。そして相手のターゲットは、私達がカードを預けたエルメロイⅡ先生です。民主主義派の人達からずっと護られていたとはご存知でしたか、先生?」

 

 よろめいて驚くエルメロイⅡ。全然、気付かなかったらしい。

 

「私が護られていたとは本当か!?」

「ええ。最初の会食にもスパイが大勢いました。その人達を捕まえ、自白させれば行き当たるのはほとんどが民主主義派の誰かと、貴族主義派のベルフェバン代理でした。なので失敗から逃亡したりして露頭に迷う前に、私の方で記憶操作して開放しました。調べて頂ければわかると思いますが、変な暗示は掛けていません。アサシンと出会った事を忘れているだけです。そして使い魔の方ですが、こちらは反対に貴族主義派のものがほとんどでしたね」

 

 つまりエルヴァが言うには、ホテルの使い魔や潜入していた人達はこちらを見張るだけでなく、エルメロイⅡを護ろうとしていたのだ。そこに様々な思惑が絡んでいようとも、彼の存在には意味と価値がある。

 

「あなたは愛されていますね。この結界の外で鎌を振り回す女の子を、先日の男の子二人が必死になって止めていますよ」

「あいつら……来ていたのか」

「グレイまで。あの二人が手引きしたのかな?」

「だろうな」

「この結界はそう簡単には壊れませんが、鎌を槍にされると少々不味いです。何よりあの槍にはリスクがあります。それを彼女に負わせる訳には行きません。また、ここに入れば槍は彼女でなくこちらの従者のものとなるでしょう」

「あ!」

「選ぶとなればそちらのどちらかだろうね。そうなるとグレイの精神が……」

「ああ……持たんだろうな。この結界はその意味も?」

「そうです」

 

 固有結界は余計な使い魔の排除だけでなく、グレイを護る意味もあったのだ。

 

「なんと全部、計算ずくの結果じゃったか」

「そうですね」

「お前さん、まだ何か隠しとるじゃろう?」

「ええ。今、冬木を護っているのは正真正銘のヘラクレスです。誰であろうと彼に敵う者は居ないでしょう」

 

 ざわめく面々。それはそうだろう。

 

「そうか、そこまで英霊を……。万一、侵略があれば戦うのかね?」

「ええ。時計塔には重荷が過ぎるでしょう? 大師父はそれをお知りになりたかったから円卓を召喚したのでは?」

「そうじゃな。なら聞きたい。お前さんはどうしてそこまで時計塔に肩入れする?」

 

 これはどのロードにも疑問だろう。

 

「私は魔術を愛しています。時計塔が大好きです」

 

 エルヴァは静かに透き通る声でそう言い放った。それを聞く凛はジーンとしていた。

 

「そしてこれから先、インターネットやデジタル・デバイスが発達すれば神秘は益々薄まり、探究し辛い時代になります。そんな時代こそ、組織として神秘を護る者が必要です。その最右翼となるのが時計塔と私は信じているからですよ」

 

 エルメロイⅡが大きく頷いた。

 

「そして私は、自分の世界では序列2位の理事を務めています。またプラハでは序列3位の理事を兼任しています」

 

 これに真っ先に反応したのはロード・バリュエレータだった。

 

「おいおい。私や坊やより上だったのか? 聞いて良いかい? お前さんの派閥は?」

「ズバリ、貴族主義派です。ですが、ロード・バリュエレータ。あなたを蔑ろにした事はありませんし、私がバックアップしているのは、現代魔術科と創造科、そして降霊科です。そして降霊科の中の召喚科では何度か講義も受け持っていました」

 

 目を大きく見開いたベルフェバン代理が問うた。

 

「あの、もしかしてそちらの私は?」

「私とは歳の離れた友人で、10年来の茶飲み友達ですよ。ベルフェバン代理」

「なんと……。ではあの論文は?」

「中学1年生の頃に書き上げ、姉の書いた第二章を足して中2になって時計塔に提出しました。その後、理事が偽名で書いたとバレて、一騒動後に無理やり卒業証書を手渡されましたね。授与をして下さったのはベルフェバン代理、あなたでしたよ。それを渡すから勘弁してくれと言われました」

「はぁ……。そうとう引っ掻き回しましたな?」

「はい。別に階位が欲しかった訳ではありませんが、学生で無かったとしてもこの論文には階位を出すべきとの意見もあり揉めたそうです」

「ベルフェエバン代理、それはどのような論文かな?」

「ロード・バリュエレータ。時計塔の未来を変える論文ですよ」

 

 答えたのはエルメロイⅡだった。

 

「なんと……それは本当に?」

「ええ。ロード・エルメロイⅡの話した通りです。ただあれは主義主張を離れても、現代魔術科でしか扱えません。創造科としても気になるところでしょうが」

「いや、それを見透かされたのだろう。こちらはこちらで別の土産があってね。その論文は任せるよ」

「どこの世界でも結局こうなりすね。それでお詫びに英霊の召喚方法をベルフェバン代理に、いつもこっそりお教えしています。勿論維持する方法と」

「そ、それは……」

「私の世界ではルフレウスさんに後で文句を言われました。儂とベルフェバンの仲を裂くのかと」

「言うでしょうなぁ……。どこであっても」

「ですが、それまで強面だったルフレウスさんとも、それを切っ掛けに仲良くなりました。そして卒業証書を作成して下さったのです。授与の立会人はウェイバー先生とエルメロイ先生でした。エルメロイ先生は聖杯戦争からの仲ですが、同じ色位だと笑っていましたね」

「色位と同時に卒業ですか……」

「ウェイバー先生とエルメロイ先生だって?! そ、そちらではケイネスが生きているのか!?」

 

 叫んだのはライネスだった。

 

「お元気でピンピンしていますよ。何度か共同で論文を書いてもいます。ですからあの世界にエルメロイⅡ先生は居ません。いらっしゃるのはウェイバー先生なのですよ」

「ああ……。あの方が生きている世界……」

「エルメロイⅡ先生。そのエルメロイ先生からの言伝です。『君は君の道を歩め。君のエルメロイも君を恨んではいないだろう。魔術を愛す心を忘れず君の学生を大切にしろ。それが手向けだ』です」

 

 エルメロイⅡは泣きそうな顔をしていた。

 

「そしてとある人からの言伝です。『坊主、焦らずコツコツとやれ。振り返った時に見える道が坊主の歩んだ道のりだ。今のお前さんなら、どれだけ彼方まで歩いたかがわかるだろう? だが、お前さんの目指すオケアノスはまだまだ遠い。気張れよ』」

 

 エルメロイⅡは大粒の涙を流していた。時折声にならない声を上げている。嗚咽というやつだ。

 

「そこに……そこに……王は健在なのか……?」

「健在というか、困ったくらいに元気ですよ。米国籍を取得し空軍に入り、現在はNASA勤務のスペースシャトル・パイロットです。既に6~7回程宇宙に出ていて、国際宇宙ステーションへ機材を運んだりしています。規定では身長193cm以下と決まっていますのに。そこだけは謎です」

「ま、まさか……宇宙征服を?」

「そのまさかです。何年掛かろうが大マゼラン星雲に行き、惑星に余の名を残すと息巻いていますね」

「ああ……それってジャパニメーションじゃないか……。あの方らしい……」

「その代償でウェイバー先生は何度か血を吐いていますよ。ご存知だと思いますが、以前事故がありましたでしょう? 実はこちらではその時のパイロットがあの方だったのです。緊急時に彼は咄嗟に乗務員全員を固有結界に取り込んで地上で結界を解除しました。あの状態でどうやって生き延びたのだ、どうして全員が助かったのだと、世界を駆け巡る大ニュースになりましたよ。しかし事故調査委員会が何度開かれようと、どれだけ資料や証拠を集めようとも、事故の原因は掴めても助かった理由は不明。それはそうですよね? ゴーストライナーが宝具を使用したなど発表できるはずもありませんから。やがて噂が噂を呼び、ゴシップ誌も参戦。本物の奇跡だと誰しもが口にし、彼は奇跡の漢、不死身の漢、ミスター・イモータル、リアル・アメリカン・ヒーローと呼称され一躍時の人となったのです。メディアにも度々登場し、各国から賞や勲章が送られ、法王や国家元首といった人々との謁見会食に名誉国民・名誉市民認定は当たり前、講演依頼も数多く、様々な大学で講演を開き若者達をあのカリスマで……」

 

 嗚呼……というなんとも言えない声はエルメロイⅡからだ。

 

「そして名誉教授に迎えられています。もはや別の意味で世界征服を果たしていますね。チラッと聞けば、パイロットを引退後は共和党から大統領に立候補するとか。あの知名度ですから市長や州知事の道を通らず、そのままイケそうだから怖いです。しかも現大統領は世論に押されスペース・シャトル計画の延長を発表しました。次号機の名はイスカンダルに決定ですよ。あの人は今、世界一のヒーローなのです」

 

 ハハ、ハハハハハハ! 

 大笑いが響いた。泣き止んだエルメロイⅡだ。

 

「何をやっているのだあの方は……。ハハッ……大統領か……。ハハハッ……実に、実にあの方らしい……」

 

 泣き止んだというより泣き笑いだった。けれど先生の眉間からシワが減ったような気が私はした。

 後で何の事だったのかとエルヴァに聞いて納得した。先生にはそんな悩みがあったんだ。儀式の期間中の僅かな関係。一期一会のその触れ合いは、ここまで大きなものを召喚者に残すのか。

 更に白いエルヴァが続けた。

 

「そんな私が特に目を掛けていて、何度か個人教授も受け持っていたのがオルガマリーとライネスです」

「は?」

「え……?」

「あなた達が時計塔の未来を創ると信じているのですよ」

 

 突然の名指しと、託された願いに目を丸くする若い二人。

 

「そして、化野菱理さん、蒼崎橙子さん。お二人は私とは昵懇の取り引き相手です。特に橙子さんの研究は私とモロ被りしている部分が多々あります。私の渾名は『人形遣い』ですよ。表向きは『宝石の修復師』ですが。アドラの事件も昼に伺い、午後3時には帰りました」

「何!?」

 

 仰天したのはエルメロイⅡだった。

 

「どうやって、あの謎を解いた?」

「謎解きはしていません。使い魔50匹を持ち込んで怪しいものを強行探査です。そして私はオーディオマニアでもあります。音響と魔術なんて、あの城に入った瞬間からわかっていました。それで今この結界を維持している私の英霊が、炙り出した怪物を斬って終わりですよ。謎解きはウェイバー先生に任せて、私はその日の夜に倫敦でロード・バルトメロイと直談判していました。時計塔の未来のためなら目を瞑りますが、私利私欲に走るのなら叩き潰しますよと。御本人は否定され、部下の勇み足だと謝罪されていましたね」

 

 彼女の後ろの空間が黄金の波紋を広げ、にょきにょきと宝剣や宝槍が菱理達を標的と定める。

 見ただけでわかってしまう。あれは絶対的な死の概念が込められた剣や槍だ。この場での死は端末やデコイの停止では無い。本体までが確実に死ぬ、無謬なる絶対的な死の呪いだった。

 

 化野菱理は知らず手足が震えた。こんなものをどうやって手に入れた? こんなものが何故、人間に操れる? ロード・バリュエレータが言った通りだ。桁外れ過ぎる。

 この相手は謎解きなどの過程をすっ飛ばして、結果を迅速に求めるタイプだ。自分程度では煙に巻く事など不可能。正直、この世界に来て欲しく無かった。

 しかしそうなれば、この後に来る問題を政治的に押し付けあい、逃げ回るばかりの我々では解決できない。そう思えたから、宝石翁の呼び掛けに応えここに来たのだ。

 しかもこれまでの調べで彼女は法政科の立場に、一定以上の理解を示していたのは明白。おまけに異なる世界で理事をしているとまで言う。この若さで。

 しかし若いが故に発想は柔軟だ。となれば、交渉の余地は幾らでもあったのだ。なのに先走った者達が執行者を使い、未だ生死不明の状態だ。完全に詰んでしまった。

 

 一方、俯く菱理とは対称的に蒼崎橙子は冷静だった。

 止むに止まれぬ約定に、若干の脅しが入ったいわくありの金で動いたのは事実だが、今回ここに出向いたのは情報収集のためでもあった。正直自分の作品の行く末など知らないし、時計塔でのパワーゲームには興味ない。

 けれど相手は執行者の手を逃れ……いや、倒した上でここに立っている。

 耳に入った情報では作品が5分も持たなかったという。どうにも気になる相手だった。だからどんな奴だと会いたくなってここに来た。ついでに何かの接点が持てればと考えたのだ。まさか英霊をこんなにも使役する者とは夢にも思わなかったが。

 奥の手を奪われ、ルーンすら効かなさそうな相手だが、それでも、まだまだ交渉の余地はあると睨んでいる。何より話を信じるならば、並行世界では取り引き相手だという。それはこちらが望む状態であり朗報だった。

 何より橙子自身、ここに出向き直接会って納得できた。見たところ相手は根っからの商売人だ。考えたくも無いが、妹と手を組んだとしても勝てる見込みのない相手だろう。

 魔術師としては負ける気はしないが、こと戦闘に関しては冠位の自分より遥かに上だ。

 話の通り、この結界で干からびるまで踊らされるか、ゴーストライナーに斬られて終わる。しかしそれはまだ良い方だ。

 あの剣は何だ? あれに貫かれたら、工房で目覚める人形は居ないだろう。因果……いや、縁を断ち切る剣だ。あれに触れれば完全に終わる。

 あいつは修羅場を潜り慣れている。なのに研究内容は私と被ると、親しみを込めた視線で語る。異なる世界では取り引き相手だと明かしてくれる。

 確かにこいつは人形師だ。いや、造形師か。私と同じく作品に誇りを持つタイプだ。そして錬金術から来る、ホムンクルスの鋳造に長けているのだろう。

 横に立つ英霊並みの存在感を放つ褐色の少女がまた凄い。自分自身を使い魔にするのか? 

 自分もやった事があるが、なんとも面白い。完成度がダンチだ。またその応用なのか、同じ英霊が三人もいる。若干一人は個性が違うようだが。

 もしかすれば日本人の少女のケースと同じく、並行世界でそれぞれ英霊に至った存在なのかも知れない。

 そして何より凄まじいのは、それらを支える信じられぬ程の膨大な魔力量だ。これを常時保持し、おそらくは地と火と風の三重属性まで持っていると読めた。

 更には紅い男性と黒い甲冑の英霊まで従え、日本にはギリシアの大英雄まで控えているという。

 何だろう、あいつは? 何故か子供のようにワクワクしてしまった。エルメロイとアニムスフィアの姫達と、知らず同じ顔をしている自分を自覚する橙子だった。

 

「トーコ、随分楽しそうじゃないか?」

「ええ、ロード・バリュエレータ。ここに立ち会わせて頂き感謝します」

「勝手に来ておいてそれか。しかし、な? オレもあの子に逢ってから、工房に籠もりっきりさ」

「はい。私も思い付いた事を直ぐに調べたいし試したい」

「ああいう魔術師になりたかったな?」

「はい」

「ロード、私も賛同します」

「ベルフェバン殿。まったくですな」

 

 高らかな大笑いが響いた。大師父だった。

 

「なんとも痛快じゃな。儂はあの子にこの後の事も任せようと思う。どうじゃな?」

「賛同するよ、宝石翁」

「私もですな」

「私も」

 

 ロード・バリュエレータにベルフェバン代理が賛成の意を示し、蒼崎橙子さんもそれに続いた。

 

「現代魔術科と天体科はどうするんじゃ?」

「ク……。賛同する他は無いでしょう」

「私も賛成するよ。アニムスフィア、無理するな。そちらは父上が居らねば決断が厳しいだろう? それくらいの猶予は頂けるのかな?」

「勿論ですとも。それに賛同は感謝致しますが、協力の要請は致しません。アルビオンの問題も、各派閥の問題にも当方は口を挟みません。そもそもあのような呪体の塊が持つ総体的な魔力量は、この倫敦の地上に異様な影響を与えているはずです。それが良い悪いや、管理できているできていないでなく、各ロードにおかれましては、線引きした方が確かな案件ではありますよ。座の風程では無いにせよ、神隠し的な失踪や、神出鬼没のジャックザリッパーのような事件は、その魔力と関係あると考えるのが自然です」

 

 なるほどだ。理解したのは大師父と数名だけど。

 しかしこれがヒントになって、その年の内にアルビオンのゆらぎが発見されたのだった。ゆらぎとは時々地上に近い場所に、アルビオンの一部が現出する怪異を指す。これはその怪現象の予言だった。

 そしてエルヴァはそのようなゆらぎを感じ取る魔眼や、操作できる魔術がこの世にはあるとも教えてくれた。

 

「敢えて見返りを言うなら、修復師の仕事を回して下さい。そして今後もこちらが出す提案や論文を吟味して頂ければ」

 

 エルヴァは最低限の要望しか出さない。いや、最初からそうだった。

 

「それくらいはお安いご用じゃ。な?」

 

 皆んなが頷く中で、押し黙ったままの偽物呼ばわりされた男性が苦渋に満ちた声を上げた。

 

「我々はあいつ等に踊らされていたのか……」

 

 私にはまだ全貌が見えない。けれど何かが噛み合い、何かが終わった。

 そしておずおずと和服の女性がエルヴァに尋ねた。

 

「こちらの手の者は……?」

「まだ居たのですか? 疾く往になさい。私が幾ら寛容でも、襲って来る相手は容赦しません。法制科の人事にまで口を挟みませんが、賠償は彼等の労働力で返して頂きます。帰りはバゼットに襲われないよう気を付けて下さいね」

 

 やがて剣の丘が消え、和装の麗人は裾を引き摺って出て行った。

 入れ替わって銀髪を振り乱した少女が、泣きながらエルメロイⅡ先生に飛び付いた。セイバー達は既に霊体化している。

 

「取り敢えず、こちらの意思は皆様方に伝わったと思います。並行世界からの干渉や攻撃があった場合は必ずご連絡致します。そして皆さんは時計塔の護りを固めて下さい。そしてこの件に関しては派閥を越えて動いて下さい。窓口はベルフェバン代理とエルメロイⅡ先生でよろしいでしょうか?」

「ロード・バリュエレータ? 私が責任を以て情報共有を致します」

「仕方ないな。頼みます、ベルフェバン代理。トーコは一度日本に戻るか?」

「そうですね。もう少し彼女と話したい」

「なら私の携帯電話の番号をお知らせします。日本への帰国は3日後になる予定です」

 

 その後、私達は別室に移動しお茶で歓談した。その前に……。

 

「ワンコにアホウ。この廊下で腕立て100回!」

「ちょっ!? 人の学生に勝手に罰を与えるな!」

「フン。では相互オケアヌスの刑で勘弁しましょう」

「何だそれは?」

「某W君が、とある王にお尻を開いてOK・アヌスと」

「ババババカを言うなっ!」

「『坊主のあれこそ最果ての地よな。下手な女より良かったわい』と、仰っていましたよ?」

「嘘吐け!」

「ミス・アインツベルン! そのネタを教えてくれ! 兄者のこんな顔は初めてだ!」

「ならば、日本語でスケベな事を『エロ』と言います。そして相手に惚れる事を『メロメロ』とも。Ⅱ世ですから×2でロード・エロメロメロと」

「だ、黙れ!」

「凄ぇ。グレートビッグベン☆ロンドンスターやプロフェッサー・カリスマなんて吹っ飛ぶぞ!」

「エロメロメロ。ちょっと発音し難いけど、新しいよね?」

「黙れ、貴様ら!」

 

 と、一波乱あり、泣いていたグレイが泣き止んでしまった。

 そして私はフードがはだけた彼女の顔を初めて見た。本当だ。セイバーにそっくりだった。色素の抜けた銀髪にグレイの瞳。全体の印象はモノトーン。だからグレイなのか。そんなグレイに向かってエルヴァが言い放った。

 

「グレイさんですね? 私はエルと申します。今後も私の妹がお世話になると思います。あなたの師匠、エルメロイⅡ先生は時計塔の未来に必要な方です。旦那さんに持って来いの男性ですから、絶対に逃してはなりませんよ?」

 

 グレイが茹で蛸のように真っ赤になっていた。これは……。へぇ~。

 そして部屋に入った私は先生にこう言った。

 

「エルメロイⅡ先生」

「何かね、ミス・トオサカ?」

「先日の大師父の弟子の件です」

「うん?」

「辞退します。そして私は彼女に弟子入りします」

「ミス・トオサカ?!」

「振られたのう。しかし良い選択じゃ。儂よりそちらの方がお前さんのためになるじゃろう」

「ま、待って下さい! 凛さん、こんな場でなんて事を!?」

 

 そう、この場だからだ。有り難い事に大師父やエルメロイⅡ先生のみならず、エルヴァの口添えでベルフェバン代理とロード・バリュエレータの推挙まで頂けた。

 そして凜から渋々弟子に認められた後、私達はスラーを辞去したのだった。

 後でルヴィアと揉めて、二人して弟子に認められたのだけど。私のポリシーがとか、こういう形の弟子はとか色々言ってたし、最初は彼女のお眼鏡に叶わなかった事も重々承知。

 けれど、最後は認めさせた者勝ちだろう。これが私の報酬だ。師匠、逃さないからね?

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