がめ煮と言えば九州は福岡県の郷土料理である。
筑前煮、筑前炊きと言い換えれば、ああ、あれかと思い出す人も多いだろう。その昔はすっぽんを使った煮物だったとも言われるが、現在は鶏肉と根菜類を煮込む冬の定番料理だ。
関東では小鉢の一品物だが、やはり関西より西ではメインのおかずと考える人も多い。そんな筑前煮を、筍・小ぶりの新ジャガ・しいたけ・ふき等を使い、春の炊き合せとした。
これにメイタガレイの唐揚げをメインとし、小さなマイワシの煮付けと、金目鯛の山椒煮、鱚の天ぷらの酢の物、それとだし巻き玉子にちくわの甘辛煮を添えてみた。
なお金目鯛の山椒煮だけ、義兄が最初から最後まで作っていた。自分で魚を買って来て、私に今夜の晩餐に添えて欲しいと言ってきたのだ。
一皿に切り身が二切れ。そこに長ネギとしし唐が添えてあり、山椒の風味を殺さない程度に刻み生姜が振り掛けてある。これ、少し味見したけれど子供には辛い。なので粉山椒を後から振り掛ける煮付けも作っていた。そちらにはしし唐の代わりにゴボウが添えられていた。この金目鯛の山椒煮は誰に向けて作ったんだろうね? ミエミエだけど。
本日の献立を家庭料理にしたのは、今日が母の日だからだ。私なりに母でなく、ここのアイリさんを思って作ってみた。さてさて、皆んなの表情は。
煮付けの辛味や甘辛煮の濃い味付けが、あっさりとした筑前煮を映えさせる。またこれらが、唐揚げとだし巻きを引き立てても居た。
口直しの鱚がまた良い。オレンジと和えてあり酢の物独特のすえるような香りより、柑橘系の爽やかさの方が先に立つ。これを口に入れると、筑前煮がまた美味しいのだ。
椀物はシンプルな豆腐だけの吸い物だったが、ダシが良い。美味しい。お漬物も最高。ああ、日本人で良かった。作っている人はドイツ系の人だけど。
ほぼ全員がご飯をお代わりしている。私は既に2杯を終え、3杯目をどうしようかと悩んでいる最中である。今までの人生でここまでお代わりした経験は何度あるだろう?
「炭水化物は糖質……炭水化物は糖質……。体重計……体重計……」
横の師匠がブツブツ呟いている。痛いほどわかる。その気持ち。
ただ事前に知らされていたが、ここではとんでもない魔術が使われていた。料理にでは無い。衛宮君に対してである。衛宮君にはイリヤさんとシロウさんの存在を隠さねばならないからだ。
エルヴァの姉が白いエルヴァ。これも変だ。けれど更にその姉がエルヴァにそっくりなイリヤだと明かせば、彼はパニックになるだろう。だから事前にあちらの家と打ち合わせしていたのだ。
「エルヴァさん? このお姉さんの料理って凄いな? 会席料理も凄かったけれど、これもまた……」
「でしょう? なに気ない料理ですのに、ちょっとこの味が出ないのですよ」
「だよな? 似たようなのは作れるけど、洗練されてるって言うか……手順かな?」
「手順と、キミもなんとなくわかっているように、調味料や火加減などのタイミングですね」
「だな。それと野菜の切り方も。上手だよなぁ」
「前も話しましたが、姿勢ですよ。足踏みや胴造り、こういう八節がキチンとできれば。的は28メートル先でなく、まな板との距離ですよ?」
「料理で八節か。なるほど」
「ええ。あの姉は目を瞑ってキュウリの小口切りやキャベツの千切りができます。それも手の内が毎回同じだからです」
「う~ん……。でさ、この山椒煮だっけ? なんか違うよな?」
「これだけ姉さんではありませんね。お酒を呑む人向けの味付けです」
「ああ、それでか。けど、こういう味付けも良いなぁ」
実はイリヤさんも白いエルヴァも並んでご飯を食べている。当然、褐色のエルヴァもここに居る。ルヴィアも二人並んで食べている。なのに衛宮君は気付いていない。誰と誰の会話だと認識しているのだろう?
ただし、師匠の師匠である魔導師とシロウさんにセイバー達は別室だ。そして、アーチャーが作ったと聞いているこの山椒煮。結構私好みの味だった。
「美味しいわぁ~」
「う~ん……。本当に美味しいね、これは。金目鯛も良いなぁ。山椒の風味がなんとも堪らない。お代わりを頼もう」
「パパ、お腹が出るよ?」
「本当だね。でも、ご飯で誤魔化さないとお酒が欲しくなるからね。そうだ、明日から少し走ろうか?」
「うん。イリヤ、私達もパパと一緒に走ろう?」
「うん」
アインツベルン家の会話だ。ほのぼのしているが、私は少し背の高い方のイリヤとクロの会話に驚かされた。
「イリヤ、このイワシってさ。ショウガ煮なんだよね?」
「う~ん? そうだと思うけど、なんか前のと違うよね?」
違うのか? 何か工夫があるのだろうか?
「イワシは足が早いのもありますが、身が小さいので大袈裟に臭み抜きをしません。これはお湯に酢を入れ、そこで下茹でしてから別の鍋で煮ているのです。卸した生姜と練り梅、それと濃口醤油に味醂とお酒を入れて煮詰め、お皿に盛り付けた後に、残った煮汁に砂糖を入れて作ったタレを掛けているのですね。だから一尾に生姜の千切り、もう一尾に和えた梅干しが載っているのですよ。煮込む際に使った生姜と梅を捨てるのが、この料理のキモです。そのまま出せば雑味が出ますから。それと山椒煮の刺激に負けないよう、梅を少し多めに入れているところも良いですね。それが筑前煮を引き立て、ちくわの甘辛煮と合うのですよ。胃壁が破れるまで飯を喰えという、悪魔のおかずですね」
「だよね?」
確かに。私、もう3杯目を半分食べ終えてるもの。
「帰ったら生姜煮と梅煮の違いや、生姜と梅の両方を使う場合の良い点と駄目な点も教えてあげるから。今はそれよりも、ちくわの甘辛煮を先に覚えた方が良いわよ?」
「そうなんだ?」
「そう。ちくわをお魚に見立てれば、どう? 下処理や下拵えの要らない楽なお魚でしょう? それを黄金比で煮る事から覚えるのよ。そして次に、こんにゃくや大根を加えて行くの。それを覚えれば、大抵の煮物が作れるようになるから。今年の冬にはイカと大根の煮物を教えてあげるからね」
白いエルヴァにイリヤとクロの双子、そしてイリヤさんの会話である。
う~ん……ちくわからか。なるほどなぁ。こんな料理上手な姉達が傍に居れば、この子達も上手くなるだろう。正直、羨ましい。
「ミユ、あなたも習いたいですか?」
「いえ……」
「ミユ……」
「そちらの私」
「何ですの?」
「この子はあなたの妹ですか?」
「ええ」
「代替行為でなく?」
「も、勿論です! ミユはミユですわ」
「なら、ここに残られるエル姉様から、しっかり教わりなさい。私も口添え致しますので」
「あなた……?」
「私がエル姉様からお料理を習っていますのよ。小学生頃からずっと」
「え?」
「住んでいる場所や国が違いましたので、長期休暇の頃限定でしたけれど。今の私はあなたと同じく日本へ留学していますので、暇さえあれば教わっていますのよ」
「そうでしたの?」
「ええ。お二人から学んでいる経験から言わせて頂くのなら、このような日本料理なら断然イリヤ姉様ですわ。ですが和・洋・中と広く学ぶのならエル姉様が適任でしょう。それに、この子には広く学ばせるべきです。大人になったこの子がどこへ出ても恥をかかぬように。あなたもそのつもりなのでしょう?」
「そうですわね。ミユ、あなたは私の妹ですわ。私としてはいつまででもここに居て欲しいと思いますが、いつかは私も本国に帰らねばなりません。その時にあなたはどうするのか。どうなりたいのか。それを決断せねばなりません」
「私は……」
「今すぐでなくてよろしいのですよ? けれど、彼女の話した事や私の話した事も考えていて下さい」
「はい」
「素直で可愛らしい子ですわ。この子に魔術は?」
「いえ、まだ……」
「それもエル姉様と相談なされば良いでしょう。そして……あなたが抱える、一族の事も何もかも」
「はぁ~……。わかりましたわ……」
ミユの頭の中はその前に少し混乱していた。正確には感動していたのだ。山椒煮が兄の味と似ていると感じた。勿論、兄はこんな風流な煮付けを出した事は無い。けれど味の芯の部分がとても似ていると感じたのだ。
いつかの白い方のエルヴァさんの料理は、兄の三歩先を行っていた。例の鯵やこの山椒煮を食べるとそれが良くわかった。兄の遙か先を行く味だ。なのに今夜のお料理、山椒煮以外のものは、五歩から七歩先を行っていると思えた。これを作ったエルヴァさんのお姉さんは並行世界のイリヤだ。思わず友人の顔を見詰めてしまう。イリヤと二人でエルヴァさんから習い、二人で五歩や七歩先を目指したいと強く思う美遊だった。
「アーチャー、お代わりを所望します」
「こちらも」
「セイバー……。君達は以前より食べる量が増えていないか?」
「許して下さい。倫敦は厳しかった」
「ポテトはもう……」
「確かになぁ。ご飯はあるが、おかずは足りるか?」
「あと少し欲しいですね」
「ふむ。では2~3品作ってこよう」
ヘラクレスやランスロット卿と入れ替わり、戻って来たセイバー達の食いっぷりが凄まじい。染み沁みと食べるヘラクレスと、これでもかという美麗字句を並べ立てつつ、貪るランスロット卿は面白い対比だった。
思い返せば、倫敦での手打ちの酒を呑んでいた騎士達の食いっぷりも凄かった。エルが仕舞い込んでいた非常食を粗方食べ尽くしていた。
コンバットレーションや、どこかで買って忘れていた、土産物の饅頭や煎餅までもウマイウマイと食べていた。あれと比べるとセイバー達はがっつかないし、大人しい食べ方なのだが。それでも量が多い。
彼女達がここまで食に対して貪欲なのは、生前の食生活にかなり不満があったからだと思う。しかし、その抑えた感情を目覚めさせてしまったのは他でもない。並行世界に於ける生前の私達なのだろう。
となればしょせんは他人事だ、こちらの責任は皆無だ──とは、言えないのが私だった。これをして暗黒史とは言いたくないが、ぼんやりと思い浮かべる私のセイバーより美味そうに食べている気がする。
と言うか……どこの衛宮士郎にも、この高速頷きは引き出せまい。既に二人して5合炊きの釜3杯分のご飯を食べ切っている。
それでも懐が痛まぬ現マスター達。金は正義だと言われると、私までが頷きそうになる。なんだかなぁ。ま、ジイサンが美味しいとご飯を4杯も食べてくれている。私はそれだけで十分だ。
冷蔵庫の中には──卵、少々の鶏もも肉、キャベツ1/4、もやし1袋、ブロッコリー1本、油揚げ1枚が残っているだけ。
イリヤは鶏ももを、ランスロット卿のリクエストでスープにもしていた。セイバー達が居ないので、卿を厨房に呼び、横に立たせ教えたそうだ。
結局私の出番は失われたわけだが、私もセイバー達と出ていたので仕方あるまい。卿はたいそう喜んでいたそうだ。
さて、イリヤが使わなかった油揚げだが。根菜類は使い切ってあるのに、何を作ろうとしていたのか? 何れにせよ、これも使い切った方が良さそうだな。これを使えば、冷蔵庫は本当に空だ。明日、買い出しに出ねばならんだろう。
ふむ……。刻んだキャベツともやしに鶏肉を軽く炒め、オムレツにするか? いや、この追加で新たに炊いた5合も食べ切って貰わねばな。ならば……。
油抜きした油揚げと春キャベツの煮物。
ブロッコリーとちくわの辛子醤油和え。
もやしと鶏もも肉の一味炒め。
合計3品、調理時間15分。炒め物や和え物は直ぐにできるが、煮物は時間が掛かる。まぁ、こんなものであろう。
「借りている冷蔵庫を見事にすっからかんにしたな?」
「ああ、ルヴィアの家の食材は使えんしな。昔を思い出すよ。さもしいメニューだ」
「残り物だから仕方ないだろ。盛り付けて運んでやるよ」
「悪いな。私は後片付けをしよう」
シロウも手持ち無沙汰なのか、煮物に胡麻を振ったりして見栄え良くしてから運んでいる。
この食材ならあいつはどういうメニューを考えるだろうか? 炒め物を省いて酢の物を作るだろうか?
「オレならか? 似たようなもんだろ。野菜と油っ気のあるものをキチンと三等分して、煮物・和え物・炒め物と作り分けてある。それに追加のおかずだろう? 短時間で調理可能な良いレシピだと思うがな」
「そうか」
「やっぱりお前って、こういう制約があると冴えるな?」
「だから守護者に堕ちるのさ」
「言ってろ。どうも早けりゃ来週半ばだな?」
「うむ。ヘラクレスも2~3日後と話していた」
「クロは注意しろよ。エルに絶対着いて来るぞ?」
「それとクロエな。もう一人のエルに着いて行くだろう。そうなると二人のチビも着いて来そうだ」
「特にオレ達の方のイリヤはリベンジしたいだろうしな」
「カードの後に来たヤツラにな。イリヤもクロもそれが原因で私達の世界に来た訳だ。思うところはあるだろう。渡る時も連れて行くのではないか?」
「なら、こっそりお膳立てだ。お前はエルをキレさせるなよ?」
「それは相手に言ってくれ」
翌朝、私とクロエはイリヤ達を叩き起こした。
「起きなさい!」
「眠い~。おはようのチュ~」
「はいはい。魔力ゲット、ありがとさん」
「ほら、あんたも起きなさいってば」
イリヤ達の眠っていたベッドの左右で、それぞれの妹から魔力を頂く褐色の姉達。
なんとなく効率も良いし、目覚めも快適なのでクロとクロエはあの日以来フローリングで眠っていた。クロエはスイスのエルヴァと出逢ってから少し変わったと思うクロだった。前に感じた見えない壁のようなものが失くなった。それに妹のイリヤの面倒をよくみている。
またイリヤの方もクロエに甘えるだけでなく、自分からテキパキと動く。朝に弱いのは体質だと思うから仕方ないけれど、あの子も姉の自覚が出たのだろう。とても良い事だ。
さて、私は私で自分の妹を洗面所まで連れて行かなきゃ。顔を洗い、ジャージに着替え、玄関に向かうとジャージ姿のパパが既に待っていた。
「おはよう、じゃ行こうか」
「お兄ちゃんは?」
「エルヴァ君達と走り終えて、二人とも、もう学校だよ。朝練があるんだって。荷物があるから向かいのエルヴァ君も一緒に行ったよ」
「エルお姉ちゃん、自転車も持って来てたんだ?」
「みたいね」
五人で公園まで走ると、凜と凛にルヴィア達四人がリンからシゴカれていた。
「次は腹筋50回!」
イリヤお姉ちゃんの料理は美味しい分、食べ過ぎてしまうのが難点だった。
私達に気付いたリンやルヴィア達がペコリと頭を下げた。
「おはようございます」
「おはようございます。そちらもですか?」
「はい、弟子の指導とダイエットを兼ねて。あの子の料理は悪魔の料理ですよ」
「それは可哀想ですよ。自制が効かないのは自分のせいですし」
「フフ……褒め言葉ですよ、衛宮さん。I can't stop chopsticks です」
「ハハ……。確かに」
簡単なやり取りの後に私達は未遠川の堤防まで走った。そこから冬木大橋まで走って家に戻るのだ。
「クロ、ここまで来て家が見えないと変な感じだね?」
家とは今の私達が住んでいる、エルお姉ちゃんが建てたビルの事だ。部屋が一緒だったと泣いていた子がビルを懐かしむ。神経が太いわね。
イリヤは天然だけど、泣いた後からが強い。どことなく魔法使いの凜とも似ている。河川敷で少し体操をしてから戻ろうとすれば、とんでもない天然発言が聞こえた。
「そうだ。イリヤやクロエお姉ちゃんのところでも調理実習ってあるんだよね?」
「うん、あるよ」
「私達は明日あるんだけど、パウンドケーキって何かわかる?」
私とイリヤは顔を見合わせた。そうか、そんな時期なんだ。この子らは勝負……なんてしないか。
イリヤはお兄ちゃん目当てだろうし、クロエはお姉ちゃん目当てだろう。とは言え、予習はしておいた方が良いと思う。班分けがどうなるかはわからないけれど、美遊の事もあるしね。
「今日はクラブが無いでしょう? 放課後は真っ直ぐ帰って来てよ。材料は私とクロで揃えておくから」
「そうそう。クッキング・クラブで作った事があるから、学園から帰ったら教えてあげる。バッチリ美味しいのを作って、お兄ちゃんやお姉ちゃんに喜んでもらわないと」
「あ、そっか。お兄ちゃんに食べてもらえば……」
「そうよイリヤ、私はお姉ちゃんに。二人が居て良かったわ。私達だけなら何も考えなかったわよ」
「だね」
「イリヤ、クロエ……。せめてパパやママの事は覚えておいてよ……」
「ごめん、忘れてた」
「じゃ、頑張って大目に作るわね」
クッキング・クラブは方便だ。本当に入っているし、お姉ちゃんに教わりつつ作ったのも本当だ。
けれど……実はこのパウンドケーキの話をお姉ちゃん達に話して、こっぴどく叱られた苦い経験があったのだ。特に私が。
だから杞憂と思いつつ、同じ轍を踏まぬようにとクロエが心配だったのだ。ああ、杞憂とか同じ轍とかはお姉ちゃんに教わった言葉だよ。普通の小学生は使わないので大人っぽく感じるでしょう?
それはさておいて、まず突っ込まれたのが、勝負をする前に条件を決めていたかどうかだった。これは他者のチカラを借りても良いのかどうかだ。
私は美々のチカラを借りていた。その条件をイリヤが納得していたか、美々が納得していたかどうかを問われたのだ。
お姉ちゃんはこう言った。
『お互い小学生なのですから、自分で作る事が重要です。班活動なら班で協力する事も大切です。ですがその前に私達は魔術師です。まして同族との勝負です。予めの条件提示で、お互いが納得尽くなのであれば、他者のチカラを借りるのもありでしょう。そこで問います。クロちゃんは美々ちゃんに成功報酬を提示しましたか?』
そう、契約なのだ。契約を疎かにした事。それがお姉ちゃんに叱られた理由だった。この『契約』と言った時のお姉ちゃんの目が怖かった。
昔みたいにそんなのどうでもいいじゃないとか、いちいち細かいよとか言えば、たぶん叩かれてたと思う。なぜなら今の私にはわかるけれど、契約を疎かにする魔術師は魔術師とは呼べないからだ。それとお仕事の意味もあったと思う。
そして他者のチカラを借りる場合の人選が甘かった事。これが叱られた2番目の理由だった。
『私なら高等部に通う姉がいる子から、お姉さんを紹介してもらいます。そしてそのお姉さんから、お菓子作りの上手な人を更に紹介して貰いますね。その方から教えを請うも良し、その方のケーキとすり替えて持ち替えるも良しです』
お姉ちゃんが口にした報酬は確か2万円だったと思う。それなら高校生でも落ちるだろうと。
当然イリヤはズルいと言った。
『そうです。それが世間一般の目です。二人はまだ小学生なのですから、失敗も含め自分で作る事から学べる事は大きいと私も思います。それが一般的な正論でしょう。ですが魔術師の勝負ともなれば、冷静に自らの戦力を分析しなければなりません。そして足りないモノは他所から持って来る、無ければ買って来る。これもまた正しいのです。そこを明確に決めていたのかどうかという話しですよ。クロちゃん。絶対にライバルにバレない事、次に採点者を騙し通す事。この二点を疎かにした事と、仲間となってくれた相手に対価を怠った事は、ちょっと許せません』
イリヤにわかりやすく言い直した後、更にお姉ちゃんは続けた。
『私達魔術師は世間一般の常識から逸脱した存在です。故に社会生活を営む上で模範となる友人や仲間は貴重なのですよ。あなた達の仲間でそれを身近で教えて下さるお友達が美々ちゃんでしょう? そんな真面目なお友達を下に見るやり方は良くありません。クロちゃん、こういう実習は普通、次はパウンドケーキを作りますと事前にお知らせがあるはずですよね? なら、本でレシピや手順などを予め調べたり、セラに教えてもらいつつ、練習しておくものですよ。テストや宿題と同じです。私があなた達なら、それを高等部のお兄ちゃんが帰って来る時間に合わせ、軽く試食して頂いて好みの味をリサーチしますね。それで本番は抹茶味やチョコ味とか、お兄ちゃんの好みになるよう工夫すれば良いのです。喜んで貰いたい、美味しく食べて欲しい、そういう気持ちが欠けていますよ』
そうなのだ。私は勝負で目がかすみ、お兄ちゃんの気持ちを何も考えていなかったのだ。
エルお姉ちゃんだけじゃない。イリヤお姉ちゃんも、お料理で一番大切なのは食べてもらう人の気持ちだと話していた。
何よりもう逢えない、私達のお兄ちゃんがイリヤのケーキを食べた時にそう話していたのだ。そんな大切な事を忘れてしまえば、妹の資格がない……。私は泣きそうだった。
『それにクロちゃん。失敗しても良いのですよ、こんなのは。むしろそれを逆手に取り、『失敗しちゃった。イリヤに負けちゃったよ。どこがイケないのか、一緒に作りながら教えてよ』くらいは言えませんと』
目からウロコだった。これにもイリヤはズルいと言った。
『そこで『何を言ってるの? もちろん、イリヤも一緒だよ。ね、お兄ちゃん』と即座に返すのです。そうすればクロちゃんはこれで、ああ、この子の方がしっかりしていてお姉ちゃんだなと、お兄ちゃんに思わせる事に成功です。おチビちゃんにズルして勝っても意味はありませんよ』
お姉ちゃんは色んな意味で大人だった。この時、私は大いに反省した。
そしてイリヤと二人で、お姉ちゃんからパウンドケーキの作り方を真剣に学んだのだ。
そしてそれはとても上手にできて、アーチャーのお兄ちゃんや、並行世界から来たお兄ちゃんにも褒められた。試食してくれた凜や桜も美味しいと褒めてくれたのだった。
今日突然話しても、お姉ちゃんは忙しいだろうから、監督役はセラに……あっと、旅行中だった……。仕方ない。なんとかなるだろう。
そうして私とイリヤは、二人が学校に行った後、足りない材料を買いに街へ出たのだった。勿論、手の空いてそうな、凜とルヴィアに着いて来てもらった。でないと補導されるからね。
「凜、あれは何ですの?」
「あ」
片付け忘れか、誰かが棄てたのを面白半分に指したのか。商店と商店の間の戸板の横ではためいている。
それは鯉のぼりのミニチュアだった。
「わかりました。魚屋さんの目印ですわね?」
「違いますけど、その意味もあるのかな?」
確かに右のお店は魚屋さんだった。凜がルヴィアにこどもの日を教えている。私達はマウント深山に来ていた。
「ルヴィアさん、今朝、随分シゴカれてたよね?」
「いえ、前々から先生とは走っていましたのよ」
「そうなの?」
「ええ。少しでもご一緒して私を覚えて頂きませんと」
「その努力とアピールの甲斐があって、昨夜正式に弟子と認められたんですよ」
「へぇ~、良かったじゃない。ズッと断られてたもんね」
「先生に言われましたわ。今更だと」
「フフ……。実は、先生はルヴィアの事を前々から認めていたんですよ。ただ、あの距離が私とルヴィアのためだと考えられていたみたいで」
「先生のお考えはわからなくもありませんわよ? ですがあの中途半端な立場は辛かったですわね」
ルヴィアは日本に来る前からリンに弟子入りを申し込んでいたそうだ。けれど何度も断られていたらしい。それで堪りかねて日本に来て、学園の高等部2年に編入したのだ。
それからは私も知っているが、ルヴィアはリンに、猛烈にアピールしていた。イリヤは知らないだろうけど、私はルヴィアの頑張りを知っていた。何度か悔し涙を流しているところも見た。なので弟子に迎えられた事を素直に喜んだ。
私達がお姉ちゃん達の世界に行って2ヶ月ほど経った10月。お姉ちゃんの勧めで私とイリヤは、フィンランドのルヴィアの家に1週間預けられた。
そこは本宅ではなく、独立心旺盛なルヴィアが中学生頃から執事のオーギュストやクラウンと暮らしている、フィンランド湾に浮かぶ小さな島にある家だった。
フロリダの別荘みたいに、家の裏の桟橋でボートが繋いである。歩いて橋を渡って行ける隣の島には、広い公園や運動場があり、そこから更に隣の島まで行けば、動物園だけの島だ。
こんな風に、フィンランドは島がとても多い。大地はひび割れ、湖や池がこれでもかというくらいにある。だけど高い山はない。水が豊富で森林もたくさんある。
けれどかなり北の方にある国なので10月でも寒いし、日が昇るのが遅い。
そんな自然が豊かで、日本とはぜんぜん違う国の気候風土を学んで欲しいと、お姉ちゃんが送り出してくれたのだった。
秋真っ盛りのヌークシオ国立公園でキャンプをやった。ムーミンワールドにも連れて行ってもらい、色んなキャラクターを知った。博物館や美術館にも行ったし、マーケットへの買い物もメイドの人達と行った。
これはイリヤの気分転換もあったし、二人の勉強のためでもあった。あの時、ルヴィアはとても親身に私達を気づかってくれたのだ。
私はそれで元の世界のルヴィアも、本当はこんな風に年下の子に優しい人だったのだと気付いた。だからあれほど美遊が懐いていたのだ。そしてそれはここのルヴィアも同じだった。
お姉ちゃんいわく、ルヴィアはとても味のある人なのだそうだ。西欧人の中でも日本人の感性に近いフィンランド人。本来は奥ゆかしく真面目な人で、さみしがり屋なのだ。
あの高飛車に聞こえる日本語も、相手に失礼にならないようにと尊敬語が過剰になるからだとお姉ちゃんは話していた。
そしてここの凛じゃないけど、ルヴィアには双子の妹がいる。魔術回路の本数や魔力量、そして才能から言えば、妹さんが跡継ぎでもおかしくないのだとか。
だけど、妹さんは身体が弱く病気がちだった。また子供の頃から闘病生活が長かったので、引っ込み思案なところがあり、エーデルフェルト一族を率いるには向いていないだろうと、跡継ぎから外されていた。
それがどこのルヴィアにも負い目となっているのだと教えてもらった。きっと凛とのケンカが絶えなかったのも、そこらへんにあるのだろう。
でも、フィンランドで迎えてくれたルヴィアの妹さんは、エルお姉ちゃんが魔術回路の調整をした事で、体質が変わり病気とも無縁になっていた。
なので跡取りのルヴィアを気づかい、今はチェコのプラハで暮らしていた。
だけど私達に会いにわざわざ来てくれていたのだ。妹さんは、あちらの協会ではかなり高名な魔術師だった。お互いがお互いを気づかい、いっとき疎遠だった二人も、今はメールのやり取りを頻繁に行っているらしい。
だから、私の知るルヴィアはとても前向きで明るく華やかな人だ。年上の女性として憧れているし、お姉ちゃん達と並ぶ目標にしたい人の一人でもある。
結局、出会い方だよね。あの頃の私は、凛やルヴィアにとって、いつ敵になってもおかしくない存在だったろうから。
「クロ、レシピを覚えてる?」
「忘れたの? 本も買って帰ろうか」
「そこで年長者を頼って下さいまし。私はバッチリ覚えていますわよ?」
意外だけど、ルヴィアはお姉ちゃんと幼馴染みなので、料理やお菓子作りが結構できる。またルヴィア曰く、魔術師ならお菓子作りは楽勝で当たり前の事なのだそうだ。どうしてとイリヤが聞いて、ルヴィアからの返事に少し怒っていた。妹よ、わかったか。私の怒りを。
つまりはこうだ。魔術師の子供は素直で飲み込みが早い子が多い。それは代々そういう教えや躾けを受けるからだ。そして調整で記憶力や思考力も高められていたりもする。これは凜やルヴィアがそうだし、イリヤお姉ちゃんやエルお姉ちゃん達もそうだ。だからこの四人は頭が良いし、一度聞いた事を忘れたりしない。対する私は調整途中で封印されたし、イリヤは普通の子として育てられた。この差は本当に大きい。
今までもそう思う事が色々あったけれど、スイスでエルヴァに出逢ってから私達は燃えた。これはクロエやあの子のイリヤも話していた。話すと言葉が通じなくともわかる。とにかく賢いのだ。察するチカラがあるというか。洞察力や観察力が高く、そこから推測するチカラが大きい。日本に帰って来て、ここのイリヤが少し落ち込んでいたのは、妹と別れた寂しさだけではなかったと思う。
「エルヴァにご馳走できるくらい鍛えてあげないと」
「スイスで逢ったという、小さなエル姉様ですわね?」
「うん。可愛いんだよ~」
「私も可愛いとは思ったけれど、同時にこの先、クロエとイリヤは大変だろうなって思ったわ」
「そこでクッションになるのがクロエちゃんでしょう。それに私の見た限り、クロエちゃんもイリヤちゃんも大丈夫ですよ。あの子達には、あの先輩が居ますから」
「ここに残られるエル姉様の分身ですわね。なんとお呼びすれば良いのか……複雑ですわ」
「やっぱりルヴィア、気にしてたんだ?」
「当然ですわよ。実は双子で姉が居たと打ち明けられた時も驚きでしたが、今回はそれ以上ですわよ?」
「ルヴィアさん……。あっちのお姉ちゃんとお話した?」
「ええ……。ほんの少し。いけませんわね……」
「帰るまでにもっと話そう?」
「ですわね。ありがとうございます、イリヤスフィール」
エルお姉ちゃんと仲が良いだけに、褐色のお姉ちゃんの存在は複雑だったのだろう。それをサラリと指摘できるイリヤは凄い。まぁ、こいつは隠れSだけど。
本当にどうしよう。
学校までわざわざ荷物運びを手伝ってくれた事には感謝するが、校門で士郎クンが到着する前にスカートのポケットに使い魔をねじ込まれたのだ。
「何ですか、これ?」
「姉さんのリクエストです。あなたの射を見たいからと」
「あ~……」
「諦めなさい。これに関してなら何を言っても無駄だと」
「そうですねぇ……」
「時にエルヴァ?」
「はい?」
姉さんに叱られてから、オリジナルは私をエルヴァと呼ぶ。変な気分だとブツブツ言ってるが、それはまぁそうだろう。
そして私は彼女を愛称のエルで呼んでいる。もう双子の姉妹のような感覚だ。いや、本当の双子はイリヤスフィールなのだけど。
「タイが曲がっていてよ? 身嗜みはきちんと。姉に恥を掻かせないの」
そう言いつつ、キチンと結んだ私のリボンを解き、結び直す……キモい……。
「ちょっ! 私で女子校ごっこはヤメて下さい!」
「いやぁ、成長したクロちゃんみたいで。つい」
そんなアブナイ事を朝っぱらから言うな。
「冗談はそれくらいにして。やはり、半袖でスカートの中に裾を入れていると、変な感じですね?」
「そうですね。慣れましたけど、最初は違和感ありました。上にベストでも羽織れば違和感も少ないですが、そのベストも自転車に乗ると暑い季節になりましたから仕方ありません」
「ですね。ベストはカバンに?」
「はい。ロッカーにもセーターを置かないと」
「梅雨時は寒い日もありますからね」
やがて置いてきぼりにしていた士郎クンが遅れて校門を潜った。
「速過ぎだ……二人とも……ゼ~ハァ……。立ち漕ぎしないで……ハァ……ゼ~」
汗びっしょりだ。なのでエルが自転車に付けていたボトルを渡した。士郎クンは恐る恐る口を付けていた。
「毒なんて仕込んでませんよ。中身は普通のスポーツドリンクですから。それにその2本目のボトルに私はまだ口を付けていません」
ワタワタとする士郎クン。からかいなさんな。
彼女の自転車は私のピストとは違って、ダウンチューブとシートチューブの2ヶ所にボトルケージの付いたロードバイクだった。
私のスチームローラーにもダウンチューブ側にボトルケージを取り付けできるのだが、通学用なので何も付けていない。本来のピストは競輪用に代表されるトラックレーサーなので、ボトルケージは付けられない。
けれど、昨今のピスト・ブームで、各社からシティ・コミューターとなるシングル・ギアの自転車が出ている。フジ・トラックやフジ・フェザー、チネリのトラック。他にビアンキやHKSからも格安のシングル・スピードが出ていたと思う。
私のスチームローラーは、アメリカのサーリーというフレーム・メーカーが出しているシングル・スピードだ。このメーカーは自転車でいかに遊ぶかをモットーにフレームを開発していて、とても変わったものが多い。
例えばクロスチェック。見た目は冬場のシクロクロス用だが、エンド幅やブレーキ・スタッドや取り付け穴に工夫があって、カンチレバーでもVブレーキでも何でも付く。
132.5ミリのエンド幅は、ロード用もMTB用のハブも使える。そうなるとタイヤとホイールも選り取り見取りだ。
他にフェンダーや、キャリアの取り付け穴もあるので、荷台でもカゴでも付けられる。それに4130クロモリのフレームは適度にしなるので、長距離を走っても脚の疲労が少なく済む。旅に良し、通勤通学に良し。MTB用のギア比が大きなコンポを選べば、学園坂も楽勝という最高の自転車なのだ。
もっと長距離の長旅用ならロング・ホール・トラッカーというフレームもある。これだとダウンチューブの下側にもボトルホルダーがあるので3本もボトルを取り付けられる。
29インチのオフロード、カラテ・モンキーも面白そうだが、カーゴバイクのビッグ・ダミーが気になる。けれど、通学用ならシングルのスチームローラーを選ぶところが、彼女であり私なのだった。
そして、今日の彼女が跨っているのは、イタリアの名門コルナゴのロードバイクだった。そこのC40のB-Stayで、最新のHPチェーンステイとなったタイプだ。コンポもイタリアのカンパニョーロ。当然フルカンパのフルレコードだ。
クランクもカーボン。ホイールも前後カンパのボーラG3だ。総重量は7kgを切るか切らないか。総額150万円を越えるカーボン・バイクだった。
しかも上下はサイクル・ジャージで、ヘルメットにアイウェアまでピシッと決めている。けれど胸のロゴはコルナゴやチーム・アインツベルンでなくパオパオビールだった。好きだなぁ、彼女。
「これ、持って来ていたのですね?」
出発前から気付いていたが、敢えて声を掛けなかったのだ。こちらとしては荷物運びを手伝って貰う立場なので。
「ええ。久々に学園坂をこれで登りましたよ。このところDOGMAばかりでしたので、良い気分転換でした」
ドグマとは、これまたイタリアの名門ピナレロのマグネシウム製軽量ロードバイクだった。アレッサンドロ・ペタッキが踏んで、2003年にジロで6回、ツールで4回、ブエルタで5回もステージ優勝をもぎ取った名フレームだ。
特徴的な波打ったオンダ・フォークは、スプリントに耐え、急な下りでもしなやかさを失わない。ピナレロのセカンド・ブランドであるオペラのベルニーニかカノーヴァなら30万以下で、オンダならぬオーパス・フォークが付いて来る。
あれなら買っても良いかなと思う。と言うか、私には分相応だと思えた。高校生の分際で、トップレーサーが乗る本物を、次々と買い求めるエルが可怪しいと思う分別はあるのだ。
と同時に、それを自費で賄えるという現実。この先どんなに足掻いても、余程のブレークスルーが無い限り、私はエル程の成功を得られないだろう。かつての自分は、こうして離れてみれば化け物だった。
「荷物があるからと、ペースを落とさせてすみません」
「いえいえ」
「こ、これでゆっくりだったのか!?」
「士郎クン。後学のためです。その自転車を持たせて貰いなさいな」
「どうぞ」
「え? そんなひょいと……軽ッ! 何だこれ!?」
「彼女のそれは、ヨーロッパのレースを走る本物のレーサーです。150万円の自転車ですよ」
「ええ~~!」
荷物を部室まで運んで、美綴さん達に挨拶を済ますと彼女はすんなり帰った。面倒くさいので、皆んなにはドイツから遊びに来た双子の姉だと言っておいた。
しかし、あの長い弓を士郎クンや部員の見ている前で、空間からサッと取り出しサッと手渡してくれる素早さ。神業だろう。士郎クンなんて自転車に乗っている間、弓が消えていた事に全然気付いていなかった。
「先輩、あの人ですか? 弓道をなさってるお姉さんって」
「ええ、まぁ……」
「しまったぁ~。的前に立って貰うんだった」
「いやぁ、人様の道場でいきなりは。結構シャイな姉なので……」
「そうですか……」
これが姉のイリヤなら、どうぞご覧なさいと平気で的前に入るだろう。
エルならどうしていたろう? やはり遠慮すると思うのだけれど、確信が持てない。こんな事すら想像できないほど、彼女とは離れてしまった……。朝練を終えた私は着替えてから教室に入った。
「見たか? あの自転車」
「見た見た。髪をなびかせて、凄ぇスピードで下りて来んの」
「ヘルメットをかぶった銀髪の女の子だったぞ。サングラスで顔は見えなかったけど」
「アインツベルンさんみたいな感じかな?」
「似てたよな?」
「そうかぁ? それは無いだろう。彼女はお淑やかだしさ、失礼だぞ」
お淑やかなんだ、私。
「ピッチリしたジャージで外人の女の子だったよ」
「背中にゾウの絵が描いてあったわ」
「へぇ、自転車でねぇ。変わってるね?」
「そう? カッコ良かったけど」
「私も見た。ママチャリじゃないのよ。もっとスラッとした自転車で」
「へぇ~」
「きっと美人さんなんだろうなぁ」
そして女の子達がチラッチラッと私を見る。誰だろうねと愛想笑いを返す私。はぁ……。
この日は凄まじいスピードで下って来る自転車が居たと教室で噂が持ち切りだった。自転車好きな一部の男子は、メーカーや車種まで特定していた。これはきっと学園中で噂だろうなぁ。彼女はまた、3桁km/h出したのだろうか? 事故らないで無事に帰って欲しい。
昼休みになると、ルヴィアと凛に連行された。場所は生徒会室。
弓道部の人から聞いたのだが、今の彼女達は準役員みたいなもので、正式な役員からも信頼されているそうだ。凛が電気ポッドでお茶を入れてくれた。要はお弁当をご一緒しましょうとのお誘いだった訳なのだが。
先客に士郎クンと、当然の事ながら生徒会長の柳洞一成君が居た。何か嫌な予感がする。
「アインツベルン先輩?」
「はい? 何でしょう、生徒会長?」
「つかぬ事をお訊きします。朝練に参加した生徒を中心に気なる噂が立っておりまして。ご存知ですか?」
「士郎クンからも聴取済みですよね。その通りです。容疑者は私の姉で間違いないと思います。きっと馬鹿みたいな速度で坂を下ったのだろうと。小学部の登校前とはいえ、万一の事故があってはとのご懸念ごもっともです。帰りましたら姉に釘を刺しておきます。すみませんでした」
「いえ……。こちらこそ差し出がましい事を。道交法など生徒会の預かり知らぬ事です。ただ、お身内の方であるならばと考えた次第ですので。当方としても先輩を槍玉に挙げる気持ちはありません。どうかお顔を上げて下さい」
「はい」
「良い? じゃ、お弁当にしましょう?」
純粋に心配してくれただけだったのか。彼は本当に良い人だ。士郎クンも表情を和らげた。親友が何をするか心配だったろうね。
「ごめんなさい、士郎クン」
「あ、いや。けど驚いたよ、そんな危険な事をする人に見えなかったからさ」
「自転車って軽いでしょう? レース用のブレーキなので60km/h出しても、制動距離が3メートルとかそんな程度で。ここは日本ですのにね。過信ですよ。後で叱っておきます」
「先輩の双子のお姉様だとか?」
「そうです。昔っからやんちゃでして。メイドが振り回されて気の毒でした」
「メイド……」
「ああ、家政婦というか」
「なるほど。セラさんのような?」
「そうです、そうです。住み込みで働いて下さっています」
「家はドイツのどちらですか?」
「バーデン=ヴュルテンベルク州のハイデルベルクに隣接するエッペルハイムという小さな街です。近くの大きな都市はマンハイムですね」
「ライン川の支流、ネッカー川から望むハイデルベルク城の写真を見た覚えがあります。景色の良さそうな街ですね」
「ありがとうございます。ですがドイツは大都市以外はどこもあんな感じです。田舎ですよ」
「田舎。そんな事は無いでしょう?」
「いえ。コンビニも10キロ離れたマンハイムに行かないとありません。家の裏は畑ばっかりですよ」
「深山町みたいな感じかな?」
「士郎クンの想像とは違うと思いますが、地元の街も隣の街も全部洋館ですから、深山町全体が洋館街になったと思えばあながち間違っていないのかな?」
「イッセイ会長、日本には無人販売所というものがありますでしょう?」
「ええ、ありますね」
「あれを海外の方はとても不思議がるそうですわ」
「ほぅ?」
「どうしてさ?」
「盗む人が多いから成り立たないのですわ。ですが北欧にも時々ありますし、ドイツにスイス、そしてオランダにもありますのよ」
「ええ、英国の郊外にもあったわ。何度か見掛けたもの」
「ハイデルベルクは有名なお城や旧市街が残っていますし、大学もありますでしょう? ライン=ネッカー大都市圏の中でも穏やかで静かな街として知られているのですわ。要はエルヴァさんのお宅がある場所も、治安が良く人々が安心して暮らせる場所だという事ですわね」
「なるほど。治安……か」
「どうした一成?」
「うむ。聞いた事はないか? この冬木には六十年ごとに災厄が起こるという噂を?」
「都市伝説か?」
「うちは寺だぞ? 六十年おきに例年より墓が増える年があるのだ。兄に初めて教えられた時は、衛宮と同じく都市伝説を疑ったが、ああも奇妙に周期的だとな」
凛とルヴィアがチラッと私を見た。
柳洞寺にこの手のものが残っているのは知っていた。図書館にある新聞の縮刷版なら、第三次と第四次の表向きの被害がわかる。
郷土史を調べれば第一次と第二次の被害がわからなくもない。けれど柳洞寺には寺社として戸籍を扱った歴史がある関係上、結構克明な記録が残っているのだ。
切っ掛けは第一次が起きる前にあった寺の焼失だ。これにより時事的な出来事を、それまでの戸籍を書き直すついでに記す習慣が生まれたのだった。
消失の原因は言わずもがなで、大聖杯設置の邪魔になるお坊さんを追い払うために御三家が焼き払ったのだった。
今の柳洞寺は村人の嘆願に応えた遠坂の音頭で、御三家が建立したものだ。旅のお坊様が龍を追い払ったのでは無い。適当に捕まえた坊主を住職に据えただけだ。
たまたま以前の宗派と同じだったという、それだけの理由で。その末裔が生徒会長の柳洞一成クンだった。
聖堂協会が第三次から乗り出したのは、何も聖杯だけではなく住民の宗旨変えも狙っていたものだ。時は昭和に入っていたが、葬式の数だけは誤魔化せない。
なら、住民の半数を改宗させれば良いとでも考えたのだろう。隗より始めよとばかり宗旨変えしたのが、長年冬木で庄屋というか惣代を務める遠坂だった。
とは言え、厳密には宗旨替えでなく宗派替えだった。と言うのも、遠坂は元々隠れキリシタンであったからだ。特に魔術に手を染めた初代や二代目の時代は、幕府がチカラを持っていた。弾圧よりも漏洩が怖かった。
なので、初代永人や二代目のお墓は柳洞寺に、とても大きなのがキチンと残っている。ちなみにこの二代目は女性で、同じく女性で当主となった凛のご先祖であるとともに先輩でもあった。
幼い頃は逗留していた大師父に気に入られ、直々に薫陶を受けていた人だ。20数歳で第一次に参加され、婚期が近づく頃に大師父からお婿さんを紹介され、晩年に第二次にも出ていた人だ。
凛や凜の五大属性より多い六属性持ち。無を持っていれば七属性でパーフェクトだったと言われる天才だった。そう、桜の虚はこの方の隔世遺伝で、それが虚無に変化した点が禅城の血なのだ。
なのに、お墓の名は削り取られている。凜もそうだが、呪詛除けで跡取りの本名は残せないのが遠坂だった。だから時臣の名も怪しい。
反面、女子だけの習慣だろうかとも私は考えていた。伝承によれば凜にそっくりだったと言われている。けれど私達の元の世界以外は、彼女の話が何一つ残っていない。それは口伝でしか残せないからだと聞いた。
父親を失くし断絶した凛が知らないのは無理もないだろう。そんな遠坂は4代目から改宗したのだが、5代目以降は掃除にも来ないし供養料も納めていなかった。うっかりなのかねぇ?
同じ大地主の間桐は代々の墓をきちんと護り、供養料を支払っているし、掃除にも人を出しているのにだ。後ろ暗い海外からの移住者ほど、地域に溶け込む努力を怠らないものだとも言えるけれど。
実際私もエルだった頃、寺社仏閣への寄進や、冬木市在住の県会議員に市長や市議会員、町会長、地元名士の遠坂や間桐へのお中元やお歳暮は欠かさなかった。
柳洞一成が間桐慎二を情けない奴と内心思っていても無碍にはせず、遠坂凛を女狐呼ばわりする遠因はこんなところにもあったと思う。
ここでは禅城のお婆様が遠坂の名義で供養料を納めていた。凛もそれを知っていたので、倫敦に渡る前に10年分を纏めて支払っていたそうだ。
何故ならここでは教会の神父が相次いで死んだため、時臣と葵の遺骨は禅城の手引きで柳洞寺の遠坂家代々の墓に納められていたからだ。勿論、刻印の剥離などは魔術協会が行っている。火葬はその後だ。
なので彼が以前凛を女狐と呼んだのは、魔力を邪気と感じたからであって、彼自身は凛を嫌ってはいないのだった。だから生徒会の押し掛け手伝いが今も続くのだろう。かなり珍しいパターンの世界である。
こんな良い街を壊してはいけない。二度と災厄に合わせてはならない。第8のカードを封印して事件を終わらせるのだ。そう胸に誓う私だった。
閑話休題。
また忘れてはならないのが、地域の人々の防災意識やボランティア精神だ。六十年おきに災害が起きる街だ。それも江戸時代から。戦時中の隣組ではないが、ご近所同士の団結心は平成の今も固いのが冬木市だった。
特に深山町の武家屋敷街や移住者の多い洋館街はしっかりしている。どちらも重要文化財や重要伝統的建造物群保存地区に指定されたりしているし、ノブレス・オブリージュに目覚めたというか、大いに発揮している移住者の子孫も居たりするわけだ。
それらが地域の青年団や消防団などと渾然一体となり、やがて深山町から新都へ広がり、今の冬木の精神的風土を形成するに至ったのだった。
こういう事を代々親から教わってきた子供達は健全だ。そこらの子供を捕まえて尋ねれば、五人に2人から3人は何らかの青少年活動団体に所属している。
教会の日曜学校規模のものもあれば、文科省管轄下の青少年センターや自然の家などで開催されるプログラムへの参加、或いはボーイスカウトやガールスカウト入って活動している子供も多い。
神社がガール、寺がボーイの集会場所だ。この少子化の時代に随分と珍しい。だが、それが私の知る冬木だった。これは元の世界だけでなく、ここでもそうだった。回覧板でわかったのだ。
もちろんどこの世界でもそうだとは私も言わない。けれど街を構成する人々がそう変わらず、なおかつ聖杯戦争という大きなイベントがあったのなら、そう変わらないのでは無いかと思う。
そして向こうの柳洞一成クンは、間桐慎二クンや遠坂司郎クンと親友同士だった。一成クンと慎ちゃんは幼稚園こそ違うけれど、ビーバー時代からの友人だった。
遠坂クンが穂群原に入ったのは中等部からだったけど、その前から一成クンや慎ちゃんと仲が良かったのはカブスカウト時代からの友人だったからだ。そう、驚くなかれこの三人はビーバーから叩き上げたバリバリのレンジャーだったのだ。
もちろん、ここでの士郎クンはそういう活動をしていないし、柳洞クンがどうなのかは私も知らない。
また、優雅では無いとでも考えたのか、魔術師がする事では無いと考えたのか、それが時臣の薫陶だったのかは不明だが、どこの世界の遠坂凛もこういう活動からは縁遠い。
同じく衛宮士郎も父切嗣が表立って欲しくないと考えたのだと思うが、これまたこういう事に無縁であった。けれど、あの間桐の鶴野や雁夜はボーイの出身だったりする。
これはその昔臓硯がまだまともだった頃、無尽講のような互助を取り仕切っていた事が、後々育成会などを立ち上げたり支援するように変化していったという経緯が根底にある。
あのお爺さんなりの良心なのか、後ろめたさを隠すためだったのかは謎だが、明治の頃に青少年活動を支援する育成会を創立していたのだ。これは全国でもかなり早い部類だった。
もしかしたらロシア時代に何かそういう事に従事、或いは興味を持つ切っ掛けがあったのかも知れない。そのおかげでこの冬木市を擁する県は、全国でもかなり早い時期から青少年活動が活発だった。
当然六十年毎の災厄から来る防災意識や、臓硯の支援、その後の聖堂教会の参画があってこそで、紐解けば複合的要素が絡んでの事なのだが。
しかし、その真意は聖杯戦争に於ける被害から、村人や町民が自主的に立ち直って欲しいと考えたからだろうと思う。
つまり何をしているかは明かせないが、打たれても踏まれても勝手に起き上がる雑草のような人々が営む街こそが、儀式を行う土地として望ましいと考えたからなのだろうと推測できるのだ。
また、その方が被害を最小に抑えられるし、何より拠出金をも抑えられる。最初はたぶんその程度の意識だったのだと思う。それがバタフライ効果よろしくここまでになってしまった。それが冬木の現状だった。
魔術師がそんな事を一々気にするか? と思う人は居るだろう。しかし神秘を、英霊の存在を煙に巻くにはこれが一番手っ取り早いと私も思う。
そもそも台風の多い時期や、空気が乾燥して火事の多い時期に聖杯戦争が開催されるのはその辺もあるのだから。僅か十年で起きた第五次よりも、注目すべきは第四次の11月だ。
第一次の降霊地は柳洞寺、第二次の降霊地は遠坂邸。この時に旧家屋が消失し洋館に建て替えた。第三次降霊地はこれに合わせて建てられた冬木教会。
そして第四次の降霊予定地は遠坂神社だった。つまり降霊地は冬木を囲む五芒星の順だったのだ。だけど遠坂は名の通り神社と関係ある有力な氏子だ。また間桐も長い移住生活で氏子だった。そしてこの地の霊脈は神社と密接な関係がある。
そこで時臣は忘れていたとしても、初代がそのまま当主であり続ける間桐が霊脈を操作し、降霊地を新都のあそこに変えたのだ。
そのしわ寄せが開催月の変化だ。9月の台風は来る年もあれば来ない年もある。なのでこれは第一次で終わった。残りは夜が長く、空気の乾燥する1月か2月だ。第三次は二・二六事件とも絡むのでドンピシャだった。
とは言え、参加者を募る必要があった魔術協会への情報漏洩はある程度計算尽くだったとしても、聖堂教会に嗅ぎ付けられ介入されたのは痛かった。そこは誤算だったろうと思う。
だけどこの程度の範囲に於ける漏洩は、第六次や第七次を想定するなら却って四人の生贄を呼び込みやすいとも言える。
臓硯はしたたかで実に賢い。大聖杯の存在、英霊の存在、冬木に於けるその召喚方法を時臣亡き後、一人で護り続けたのだから。
悪行ばかり目に着く人物だが、自分に不利な状況を尽く自分の味方や手札に変えて、神秘を秘匿するその姿勢は立派だと思う。
これは私の想像だけれど、マキリはユスティーツァ様が好きだったのかも知れない。だからあの方そのもでもある大聖杯を護りたかったのだろうと。このように私の蟲爺評は、桜ちゃんの事を除けばかなり高い位置にあった。
「地域の小さなコミュニティが健全なのですよ。それが国土全体にとは中々いきませんが、結局教育です。学校の教育、地域の教育、保護者の教育。ランドセルでなくとも、リュックを背負った子供が『おはようございます』と挨拶をしてくれる街は世界のどこであっても安心できる土地だと思います。柳洞クン、士郎クン。冬木もそんな街ですよね?」
「エルヴァさん……そうだよな。そういう街に俺達がしていかないと」
「先輩……。衛宮……」
「そうだよ、一成。前向きに未来を見ていかないと。その周期も災害がたまたま重なっただけだろ? 五百年も千年も前からあったのか?」
「衛宮、その通りだ。噂に振り回されてはいかんな。喝ッ!」
本当に良い子達だ。
「それに、そんな怪談話なら夢のある方が良いよ」
「ほう、どんな?」
「円蔵山に登ると見える、郊外の広い森。あそこの森深く入ると古い西欧風の城があって、可愛い女の子が接待してくれるって……」
「接待されるのか?」
「ああ。迷った人が子供なら、お菓子やお茶を用意してくれて、気付いたら森の外に居るんだと」
「大人だとどうなるのだ?」
「だから変なんだよ。大人のエピソードが一切ないんだ。しかも性別問わず、子供だけ」
「面妖だな?」
「子供のそういう噂というか話しだよ。俺らの頃は城があるってだけだったけど、今の小学部じゃ、その女の子は銀髪で紅い瞳だったと噂になっててさ。妹が辟易してたよ」
「まるで妹さんや母親に先輩だからか。関係なかろうに」
「そうなんだよ。どういうあれだろうな?」
凛、ルヴィア。それは本当に私じゃないですから。
子供とは一つの事に集中すると、他の事が見えなくなる場合がある。そして親を含めた大人より、子供同士の意見を尊重する傾向にある。
そういう集中力や可愛いコミュニティで生まれる勇気や行動力が、結界などの穴を見付けてしまう場合は昔からあった。これは洋の東西を問わないと思う。
そしてこの冬木に於いてもそれは同じだった。聖杯戦争の期間中に、森の結界を抜けて迷い込む子供が稀に居たのだ。そんな中に未遠や遠坂、或いは間桐の血を引いたのか、暗示に掛かり難い体質の子供が居たりする。
その子供の語る話が、六十余年前に同じ体験をした祖父や祖母の封印された記憶を取り戻させたり、長じて自らの子や孫に語った結果なのだろうと推測するのは簡単だ。
もっとソリッドな、錬金寄りの封印だと完全に記憶を消去できるのに。けれど未来ある子供にそこまではしたくない。そう思うところがアインツベルンなのだろう。
アハトは来ないし、大体が戦いに向かないアインツベルンだ。歴代のマスターも、それを補助するメイド達も、無理して背伸びしていただけで、実は御三家の中で一番甘いのはアインツベルンだったりする。
桜ちゃんのあれは、例外中の例外だ。聞けばお母様が苦しむだろうけど、相手が間桐だったしね。
「パパとママは、お仕事大丈夫なの?」
あの騒動からこっち、ずっと日本だからね。確かに不思議に思うのも無理はないか。
「先日スイスでお祖父様と会ったろう? あの時に今の状態を話したんだ。それで魔術協会の方には手を回しておくから、お前達は今の問題を解決するまで休んでいろと言われてね。目処としては後2週間とは言ってあるけど」
「ああ、そうなんだ? そのまま勤務先が替われば良いのにね?」
「そうは行かないだろうねぇ。君のところのパパはどうなの?」
「1~2ヶ月に1回は帰って来るかな? 何だっけ? 作戦なんとか部長って役と本部の取締役を兼ねているって聞いた」
「役員なのに部長か。現場に出るんだね?」
「全部が全部じゃないけどって言いながら、結構難しい話し合いだけの仕事をしたりもするんだって。お姉ちゃんの仕事が上手く進むのもパパが頑張っているからだみたいに言ってた」
「へぇ~、どんなだろう?」
実の娘達は学校。もう一人のイリヤはアイリやイリヤ君達と買い物に出ていた。なので僕はクロと二人で留守番しながら、色々な話をしていた。
エルヴァ君に聞くのが正解なのだろうけど、そこはなんとなく憚られたんだ。うちの子よりもしっかりしているけれど、そこはやはり小学生。詳しい事はわからないみたいだ。
「パパ、何か飲む?」
「ああ、ありがとう。じゃ、コーヒーを」
「へへ、優しいね。それしか入れられないのを知ってるから?」
偶然さ。そこまで優しくないよ、僕は。けれど、良い子だ。とても温かい気持ちになる。
元々こういう子なのか、それともイリヤ君やエルヴァ君と触れ合って学んだのか。言葉のチョイスが5年生とは思えない。そう言えばクロエもそんなところがある。やはり姉なんだろうね。
スイスのエルヴァは知っていても、クロエの存在は寝耳に水だった。エルヴァ君と出会わなければ、クロエはイリヤの中で僕達をずっと恨んでいただろう。出して貰って本当に良かった。
キャンプに行こう。旅行に行こう。小学生の間に、あちこち連れて行ってあげよう。キッチンに立つ小麦色の健康的な肌を持った子を見て思う。
シャーレイ……僕はお父さんになってしまったよ。だから家族を絶対に護る。その判断だけは間違わない。
「どうぞ、パパ」
「ありがとう、クロ」
「パパ、ママにクルマを買うの?」
耳聡いな。そう、母の日の夜、寝室で約束させられたんだ。マクラーレンならどうしようと思っていたら、ロードスターかS2000で良いと言われて、ついうんと頷いてしまった。
できればロードスターだなぁ。S2000なら400万近いけれど、ロードスターなら高くとも250万くらいだ。アイリはどちらを選ぶのかな? ま、どっちを選ばれても、仕方ないけどね。
「そう。母の日と言うか、これまでのお礼も兼ねてね」
「喜ぶよ、きっと」
「その代わり、今までのクルマはお城に保管だよ。凍結の魔術なんてアイリも使えたんだなぁ」
「お姉ちゃんじゃないの? それ?」
「あ、そうか。あの子なら使えるのか……。エルヴァ君ってクルマ好きなんだよね?」
「うん。動くものは何でも好きなんだって。こっちのお姉ちゃんはそうでもないって聞いてるけど、あっちじゃエルお姉ちゃんもイリヤお姉ちゃんも小学生の頃から森の中でバイクに乗っているし、高1で大きなバイクの免許を取っているよ」
「そうなんだ? 驚きだ。どうしてバイク?」
「それで乗り方だけでなく整備の仕方も覚えられるし、後、なんて言ったっけ……。そうそう、緊急移動手段を持たない人はダメだって言ってた」
確かに。災害でも戦争でもそうだ。脚が確保できればやれる事は多い。バスやトラックが運転できれば、人々を避難させられるし、怪我人も運べる。
「それと、クレーンとかブルドーザー。ああいうのも上手なんだよ」
決まりだ。年齢的に免許はまだだろうけど、緊急事態なら関係ない。本当にブレないんだ……。
でも、女の子にバイクか……。あちらの僕はとことんだな……。
「ねぇ? そちらのエルヴァ君はどんなバイクに乗っているの?」
「ん~とね。ヤ○ハのTWだったかな? それでお買い物に行ってる。ツーリングは400ccの大きなの。名前は知らないわ。森の中はセローっていうカモシカの絵が描かれたバイクだね」
「森にバイクを?」
「うん、第四次の時からだって。あんな広い森だしね。サーヴァントに追われたらどうしようもないけど、疲れが違うでしょう?」
「その通りだね。そしてサーヴァントに操縦させれば……」
「そうそう。アルトリアお姉ちゃんがエルお姉ちゃんを後ろに乗せて走ってたんだって。パパは森には滅多に来なくて、街の中でGT-Rに乗ってたそうよ。改造してあって、速かったって話してたわ。それで、森には軽トラックで行くんだって」
軽トラックか。四駆もあるし、足場が悪いところにはもってこいだな。随分と考えてある。
そうか。舞弥と2台で作戦用の道具や食料を運べるし、服装さえ気を配れば却って地方都市には溶け込む。農道伝いに走れば森へのルートも隠せるだろう。そう考えれば、むしろ郊外では速さを求めなければ最適では無いだろうか?
そしてセイバーが、エルヴァ君を護ってくれさえすれば……。
「もしかして冬木に入る前から、セイバーにはバイクを用意していた?」
「うん。900ccのバイク。それとマアエモと、ルオンというお姉ちゃんのもう一人の乳母にも」
ああ、乳母がもう一人居たのか。しかしなるほどだ。乳母達もエルヴァ君が心配で。けれどその二人とエルヴァ君とセイバー、そして舞弥と僕。二人ずつの3チームは、お互いがお互いをカバーできる最小だけどナイスな布陣だ。ライダーが居ない陣営としてはかなりのものではないか?
問題はクルマやバイクから離れた時に何か仕掛けられないかだが、そこは幼いとはいえあのエルヴァ君だし、聡明な乳母も居る。そうとなれば……。
そんなエルヴァ君が今はクロの師匠で、イリヤ君はイリヤの師匠だと聞いた。妙に納得だ。
「ねぇ、クロ。魔術の修行は辛い?」
なんとなく尋ねた。クロは自分のマグカップをテーブルに置き、足をソファーに上げて膝を抱いた。
「辛くないと言えば嘘だけど。私は魔術師になるって決めてるから」
「そう」
「うん……。ごめんね。イリヤもクロエも普通に育てたいのに」
「いや。道を決めるのは本人だ。僕達親が良かれと思っていても、子供が違う道を選ぶ場合があるのは仕方ないよ。クロエはクロエで、イリヤはイリヤさ。親の持ち物じゃない。それはクロ、君も同じだろう?」
「ありがとう。パパと同じ事を言ってくれた……」
「そうか、向こうの僕も。本当は実の親に言われたかったんだね?」
「うん、でも同じよ。パパはパパだわ」
そうか。イリヤ君達の父親は同じ事を言ったか。そしてクロはマグカップに口を付けた。とても苦そうに舌を出していた。
そうだね。親という砂糖も徐々に徐々に卒業だ。けれど、こんな聡明な子にも反抗期はあるんだろうなぁ。僕は耐えられるかな。
「ねぇ、クロ。変な事を訊くけれど、イリヤ君の反抗期が酷かったって本当?」
「アハ、心配なんだ? けど、エルお姉ちゃんが居るから大丈夫だよ」
「まぁ、そこは期待してるけれど」
「それに自分で自分の事がわかっていれば良いのよ。どうしてそういう時期が来るのか、どうしてそういう心理になるのか。大人の体に近づくためにホルモンの分泌が強くなるでしょう? 身長が伸びて関節も痛くなるし。そういうのが重なるのと、子供時代の考え方と決別したくないから大人についつい反抗しちゃうの。それが人によるけど大体6年生から中学生の3年生頃まで続くのね」
「詳しいね? それは教えられて?」
「うん。イリヤお姉ちゃんは今も後悔しているの。だから色々と話してくれるのよ」
「例えばどんな?」
「『思春期に入ると身体や心と同じく、魔術回路も大人の回路へと変化するの。これが神経痛みたいに痛い日もあれば、気持ちをイライラさせたりもするのね。だから自分を強くコントロールしなければならないのよ。特に私達みたいな女の子で魔術回路が多いタイプは。遠坂なんかは敢えて反抗期に刻印を移植するのよ。理由は精神をそちらに向かわせるためなの。うちはそういうのが無かったし、切嗣もお母様も勉強不足で娘の思春期に疎かったの。だから誰も私に教えてくれなくて。それで酷かったのよ』……だって」
「あれ? 何か想像してたのと違う……?」
「下着を一緒に洗わないで、とか?」
「そう」
「イリヤお姉ちゃんは、結構パパっ子だよ? 外でパパと会ったら腕を組んだりするから」
「い、良いね、それ……」
「キャハハ、鼻の下が長いよ?」
「コ、コラ」
「フフ……ごめん。イリヤお姉ちゃんが悩んだのはアイデンティティーの確立だったの。『自分は人間なのか』って」
「いや……でも」
「うん。半分はパパの血だわ。けどね……。それでママと何度もケンカしちゃったんだって」
「ああ……」
「たぶん、ここのママはエルお姉ちゃんに教えられてるのよ。だから私達がクスリに酔った時に、イリヤにああいう風な事を話したんだと思うな」
「そうだったのか……」
『ママの血のせいであなた達はこれからも苦労をするだろう。だからこそ姉妹で助け合って』……か。
そうか。アイリ、君はきちんと母親をしているよ。それは僕が保証する。
「それよりパパが注意しないといけないのはママだわ」
「アイリを?」
「あ、ここは終わってるの?」
「何を……ああ! アイリの思春期か。イリヤが幼稚園で士郎が6年生頃かな? その頃はアイリも日本に居たからね。それで、夜中にクルマで走り回っていたらしいよ。けれどドライブするだけで。僕や子供達にあたったりも無かったよ」
「結構我慢してたんだね。偉いな、ママ」
「そうだね。そっちは……?」
「お姉ちゃん達とママって年子みたいなものでしょう? それもケンカの原因」
「ああ……。大変だったろうね?」
「だからエルお姉ちゃんが強く自分を戒めて、記録を取ったりもしていたの。イリヤお姉ちゃんに叩かれても、ママに引っ掻かられても我慢して。おまけに乳母の一人も反抗期に入っちゃったらしくてさ。お姉ちゃん自身がパパの匂いに過敏になっていたから、今日は顔を合わせませんってノートでやり取りしていたんだって」
「匂い? 確かにそういうのは耳にするけど」
「エルお姉ちゃんは鼻が良いのよ。それもあると思う。私は気にならないけど、イリヤも今日のパパはタバコ臭いって言う時があるから」
「う~ん……。気を付けないとね。ありがとう。とても参考になったよ」
「どういたしまして」
エルヴァ君は板挟みになっていたのか。その記憶と経験をうちのエルヴァ君も。ならここでは伸び伸びと過ごして欲しい。それで彼氏でも作って……。
それはなんかイヤだな……。
「イリヤちゃ~ん、これこれ、どう?」
「どうって。まさか私にですか?」
「高校生にこれは無いでしょう? あなたのイリヤちゃんに」
「え? 娘さんじゃなく、あの子に?」
それは少女らしいサマードレスだった。遠目には白一色に見えるが、ブルーオニオンのような柄がとても淡い色で入っていた。なるほど、これはお洒落だ。
自分の母親がおチビちゃん達に揃えるなら、スペイン風の大胆な原色が使われたデザインだろうから、これはこれで良いと思う。
「良いですね。少し大人っぽくて」
「でしょう? それでね、こっちはクロちゃんに。どうかしら?」
白いデニム地のショートパンツに水色の半袖ブラウス。ダークグリーンのベレー帽に、ピンクのベルトを合わせるのか。センス良いなぁ。正直、自分の母親よりセンスが良いと思う。
「これはおチビちゃんでもクロちゃんでも似合いますね。貸し借り用に良い感じ。クロちゃんはもっと男の子っぽいコーデも似合いますよ?」
「あら、どんな?」
「ベースボールシャツにスカートとか、ミリタリーシャツにホットパンツとか。エルとお揃いで迷彩パンツにタンクトップってのもありましたね」
「あら。大胆なのね?」
「私達もそうですが、双子と言っても個性が全然違いますから。けれど内面は女の子なので、白地にレースをあしらった膝丈のスカートにGジャンとかも結構好きらしくて。エルからよく借りてますよ」
「へぇ~」
「クロちゃんはエルと好みが似ているので、エルが高学年から中学生時代に着ていた服を良く借りたり譲られたりしていますね。私がおチビちゃんに譲った服は、どうも二人の好みじゃないみたいで、貸し借りもありません。おチビちゃんは気を遣って、表面は喜んだフリをしてくれますけれど、微妙みたいです」
「あら。あなたもセンスが良さそうなのに」
「ちょっとお嬢様過ぎる服が多かったんですよ、小学生時代は」
「もしかして、そちらのお母様が?」
「ですね。お城時代の延長で。中学に上がってからは変わりましたけれど。ですからおチビちゃんに色々聞くのは新鮮でした。ここのイリヤちゃんやクロエちゃんもセンスが良いですし素敵ですよね」
「ありがとう。けれど、私のエゴを押し付け過ぎたと反省しているの」
「どっちもどっちですか」
「ね。反対側にメーターが振れたのは私だけで、子供の気持ちを考えていなかったのよ。ダメだわ」
母と同じ事を言う。アハトの呪縛から逃れるために精一杯だった母。あの日、私を聖杯にしたくなかったと本音を涙ながらに語ってくれた。この人も同じだ。苦しかったんだ。
「エルお姉ちゃん、これどうかな?」
「そうそう、それで良いですよ。これで揃いました」
結局、昼からお姉ちゃん達の手が空いたので、私とママとお姉ちゃん達とで、パウンドケーキ以外の道具も揃えに来たのだ。道具さえあれば、もう一人のエルお姉ちゃんなら色々作れるし、セラも手伝える。こうしてあの子達に興味を持ってもらおうという計算だった。
さすがに家は留守にできないので、パパとクロがお留守番となった。けれどママがあっちにフラフラ、こっちにフラフラするので、商店街で二手に別れたのだった。お会計を済ませたところで、エルお姉ちゃんがイリヤお姉ちゃんに電話を掛けた。合流して家に帰るのだ。
「お待たせ、エル。道具は買えた?」
「ええ、予定のものは全部揃いましたよ。ね?」
「うん、バッチリ。これで何でも作れるよ」
「こちらもバッチリよ」
「ママも何か買ったの?」
「うん。お楽しみ」
何も持ってないのに、なんだろう?
「宅配便で送ったのでしょうね。今は知らない振りをして、受け取った時に素直にお礼を言えば良いですよ」
「ママ……」
そして家に帰ったら早速型やボウルを洗い、丁寧に拭き取って乾かした。
「キリツグ、私は母親として甘かったわ」
「何がだい?」
「女の子のヒエラルキーは5年生でほぼ決まるんだって」
「そんな」
「本当ですよ。調理実習で負け、自然学校で負け、運動会で負け……。生徒会長を2期続けようと、学年1位の成績を取ろうと、ナンバー2のレッテルは剥がせません。初等部時代の印象は大きいです」
「え~~!?」
「そんなマスオさんみたいな驚き方をして。今日ね、イリヤちゃんに色々教えて貰ったのよ」
「それで君の魂胆は?」
「お勉強はともかく二人とも運動神経は良いわ。ここにお料理とお菓子作りが加われば」
「なるほどね。ヒエラルキー云々は措いといても、女の子にあって損は無いスキルだ。けれど最近は家の手伝いも頑張っているじゃないか」
「そう。エルヴァちゃんが来てから本当に頑張っているわ。そこは素直に褒めているわよ。けれど親として私が何のスキルも無いでしょう? せめてプランはって」
パパはサッとイリヤお姉ちゃんを見た。イリヤお姉ちゃんは、たぶん記念写真の日以来で久し振りにこの家に入って来たエルお姉ちゃんに視線を移した。
それでエルお姉ちゃんがパパに話した。
「エルヴァちゃんはあちらで英才教育を受けていると思います。勝ち負けではありませんが、見合う姉で居たいとは遠からずあの子達の口から出て来るでしょう。その時に何の準備もしていなければ。5年生ができる範囲で良いですから、課題を与えて一緒に何かをしてあげましょう」
「と言うと、今日みたいな?」
「そうです。またそれもありますが、漠然と家族旅行を夢見るのでなく、飯盒炊さんが親子で学べるキャンプなどを」
「ああ、もっと具体性を持たせてって事だね? けれど夏休みにキャンプだと学校の行事に間に合わないよね? そこはどうしたら良いと思うの?」
そこでイリヤお姉ちゃんが交代した。
「庭ですよ。バーベキューだと近所迷惑ですが、キャンプ用のガス燃料を使ってご飯を炊くくらいなら。おかずはレトルトカレーや缶詰を温めるだけでも良いと思います。一緒に思い出を作ってあげて下さい」
「……そうだね。その通りだ」
「そう神妙にならずとも、事件が終われば今学園に行ってるエルヴァの方から提案がありますよ。ネットで日帰りできるキャンプ場や行楽地を散々検索していましたから。エーデルフェルトで借りている、あの子の部屋にパソコンがありましてね。さすがにパスワードは違いましたが、私が思いつきそうな文字列を打ち込めばあっさりでした」
「君ね?」
「いえ、調べたい事があったので少し借りようとすれば、ロックが掛かっていて。2回目に打ち込んだものでですよ? ですから最初は打ち間違ったと思っていたくらいです。調べ物が終わって、自分の部屋に戻る時にあれっと」
「エル、黙って借りるなんて良くないわよ?」
「ちゃんと声を掛けましたよ。借してと声を掛けたらアッサリどうぞと。パスワードの事はどちらも気付かずだったのです。それにプライバシーも何も、お互い元は同じです」
「そりゃあなたが元なんだから。今でも私よりあなたに近いとは思うけど、今後はそういう線引きをしてあげないとダメよ。あの子が今学園で経験している事をあなたはしていないでしょう? これからどんどん他人になって行くわよ」
「そうですね……それは確かに」
やっぱり。エルお姉ちゃんは寂しいんだ。
やがてクロエ達が帰って来た。着替えて降りて来たら、皆んながエプロンを着けた。凜とルヴィアに美遊もやって来た。お姉ちゃんが居るのでママやパパは見学だ。
「卵は常温に戻してありますし、下準備も終えています。今日作るパウンドケーキは洋菓子作りの基本であり、錬金術師なら作れて当たり前と言われたお菓子です。薄力粉・バター・砂糖をそれぞれ1パウンドずつ混ぜるところからパウンドケーキと名付けられたのですね。1パウンドは約453gですよ。これですとわかりにくいのでグラム換算すると、それぞれが100gの場合にMサイズの卵2個です。そしてこれらを混ぜ合わせて型に入れオーブンで焼くだけです」
「そんなに簡単なの?」
初チャレンジのイリヤが聞いた。
「そうです。玉子焼きみたいなものですよ。わかるでしょう? その分、手順とコツが奥深いのですね。バターも必ず食塩不使用タイプを選びます。レシピが簡単な分、分量の多寡や混ぜやすくするためのふるい掛けが重要なのです。またこの混ぜ方にもシュガーバッター共立て法、シュガーバッター別立て法、ジェノワーズ法、フラワーバッター法……と様々あって、この他にもあります。小学校の調理実習ならシュガーバッター法の共立て法だと思いますが、今日は別立て法でやってみましょう。何がどう違うのかと言えば、シュガーバッターは名の通り砂糖とバターを先に混ぜる方法です。共立て、別立ては卵の黄身と白身を一緒にするか別々にするかの違いですよ。フラワーバッターは小麦粉とバターを先に混ぜる方法の事です。ジェノワーズは卵と砂糖を先に泡だて、そこに小麦粉を入れ、最後にバターを混ぜる方法なのですね。実は焼き上がりがふっくらしてきめ細かなのはジェノワーズ法です。これもフラワーバッター法の一つで、スポンジケーキの作り方なのです。小麦粉がフラワーでバッターがバターですよ。別に三遊間に打ったりしませんから」
パパがクスリと笑う。
お姉ちゃんはこれをホワイトボードを使って説明していた。
「卵を別立てにしたいのはメレンゲの作り方を学んで欲しいからです。メレンゲの気持ちがわからないと魔術師には向きません」
今度は凜とルヴィアが頷き、クロエとイリヤがクスリと笑った。
たぶん凜とルヴィアはテレビ番組のタイトルと同じだと気付いていない。深~い意味で白身の状態を頭に浮かべているのだろう。
「この方法ですと焼き上がりはふっくらしませんが、しっとりと重みのある出来上がりになります。洋酒を混ぜると大人の味ですね。ドライフルーツやナッツ類を用意しましたので2回目から使ってみて下さい。1班はクロエちゃんにイリヤちゃん、そして美遊ちゃん。ここに姉さんが入って下さい。2班はクロちゃんにおチビちゃんです。ここには凜とルヴィアが入って下さい。私は全体を見つつ、大人味のを作ります。では、スタート!」
お姉ちゃんの掛け声で皆んなが一斉に動き出した。
一応経験のある私とイリヤは、1回目は自分達でやってみようとした。
「このふるうのって面倒くさいね?」
「これをちゃんとしないとダメなのよ。神秘へのアプローチと手順が似てると言われてさ。最近はそうだなって思うようになった」
「お料理のさしすせそと似たようなものかな?」
「たぶん。こういうのは同じなんだと思う」
私とイリヤの会話を聞いて、クロエが頷いている。あちらのイリヤや美遊に伝えていた。
「まさかこんな会話が出て来る家になるとは」
「けれど、皆んな楽しそうだわ」
「そこなんだよね。目標を持たせてあげる……か」
2回目を作り終えたところで、お兄ちゃんとお姉ちゃんが帰って来た。こちらのエルお姉ちゃんが、すかさず結界を張った。これでお兄ちゃんだけがエルお姉ちゃんを認識できなくなる。朝練もあったのに放課後も部活。高校生は大変だ。
「パウンドケーキ?」
「うん、実習が明日なんだ」
「あ、それで今日……。コツはわかりましたか?」
「うん。たくさん教えてもらったよ」
「ノートにもバッチリ」
「このノートが一杯になるまで、お料理やお菓子作りを教えてあげますからね」
褐色のエルヴァお姉ちゃんは、エルお姉ちゃんと違ってストレートでわかりやすい。それが段々とわざとそうしているのだとわかって来た。
あのお姉ちゃんにとっては、クロエとイリヤが妹で家族なのだろう。なんとなく寂しいが、それは仕方のないことだった。
「それで明日の本番で私達三人が作ったのを、お兄ちゃんとお姉ちゃんで試食してよ。それで美味しかったらご褒美のキス!」
そう言ってタコみたいに唇を突き出すクロエ。勝負にせず、三人が別の班であっても食べてもらおうという考えだ。
こういうフェアな場合、お姉ちゃんは優しい。もちろんお兄ちゃんも。
褐色のお姉ちゃんは髪をかき上げ、クロエにキスをした。それも皆んなが見ている前でブッチュ~と。
妹のイリヤと散々ブッチュ~とキスをしていた私が言うなという話だけれど、こういう風に返されると私も弱い。それはクロエも同じで、真っ赤になっていた。
でも、パパとママにイリヤお姉ちゃんは笑っていた。今の私はイリヤと挨拶の軽いキス以外しないけれど、案外親にも認められるものなんだ。へぇ~。
そしてお兄ちゃんは恥ずかしがり、エルお姉ちゃんは悔しがっていた。なんでさ? けど、ご褒美が早くない?
「ちょっ! エルヴァさん!」
「ドイツの挨拶です。妹達の頑張りに応えてあげませんと。明日は士郎クンの番ですよ?」
そう話しつつ、イリヤや美遊にまでキスをする褐色のお姉ちゃん。さすがにイリヤには唇の横への軽いキスで、美遊にはほっぺだったけど。
「お、おでこで良いかな……?」
「上等です。ね?」
ブンブン頷く三人。顔が真っ赤だ。嬉しいだろうなぁ。お姉ちゃんは飴と鞭の使い分けが上手い。なによりお兄ちゃんがそうしなきゃいけないみたいに持っていった。
こうなるとイリヤもクロエも美遊も頑張れる。こういうところがお姉ちゃんなんだ。前の私じゃとてもイリヤのお姉ちゃんなんて言えない。自分のことしか考えてなかった。こうして見ると本当にそれが良くわかる。
イリヤはエルお姉ちゃんにラッピングしたケーキを預けていた。宝具に取り込んでもらうのだ。そうすれば傷まないし、戻ってからお兄ちゃんに食べてもらえる。
私もラッピングしてお姉ちゃんに預けた。アーチャーのお兄ちゃんに渡してもらうために。
「お~い、居るかぁ~」
「ここだ、シロウ。どうした?」
「可愛い妹達から差し入れだよ。牛丼の特盛弁当とデザートのパウンドケーキだ」
「む? 牛丼を作ったのか? 容れ物が店の物のようだが?」
「牛丼は行きがけにオレが買ったんだよ。限定復活だぞ、お前。高かったんだからな?」
「チッ、恩着せがましく言うな。ならば豚丼でも良いだろうが。それと限定復活なんてワードをエルの前で言うなよ?」
「なんでさ?」
「狂牛病で牛丼が消えた頃、鳥インフルエンザでチキン○ツタが消えた。そして長年応援していた自転車選手が死んだ。ともに2月だ。随分落ち込んでなぁ。仕事となれば顔にも態度にも出さんが、今も引きずっとる」
「そうなのか?」
「ああ、滅多に泣かんあいつがエルヴァが居ると知った時に……」
「そりゃ泣いても良いだろうが。厳しい兄貴だな?」
「そうか? ところで貴様は作ってくれんのか?」
「リンに止められたんだ。お前は耐性があるけれど、ランスロット卿が恍惚としたら困るだろう?」
「ああ……それは言えるか」
パウンドケーキ。差し入れを持って来たシロウが言うには、明日が調理実習なのでその練習にとクロやチビが提案して皆んなで作ったらしい。
ふむ。丁寧に作ってある。切り口がしっとりときめ細かい。と、手紙が……。私のこれだけはクロのお手製か……。
「アーチャー殿、この牛丼なる食べ物も美味しいですな」
「ああ」
こんな大味なものを先に食べると、あの子達の努力を正当に評価できない。上手くなったものだ。これなら十分に及第点を与えられるだろう。
「満更でもないようだな?」
「ああ、美味かった。随分腕を上げたよ。そちらはイリヤか?」
「だろうな。ラム酒を使った方がエルのだろう」
巨人は大切そうに千切りながら少しずつ食べていた。勿論私と同じく牛丼より先にだ。
冬木郊外。アインツベルン城近くの廃墟。
森の中には、城とは別に幾つかの別棟があった。その内の一つを彼等は拠点にしていた。
「できたぞ~」
「うむ、こちらも焼けた。皆んな集まれ」
わらわらと集まりだす仮面の怪しげな異形達。上半身はほぼ裸で、黒く染まった肌が晒されている。ほとんどは男だが女も居た。
飯盒で炊いたサフラン米に、選別された野菜や肉の串焼き。タレも主であるエルが書いたレシピで調合したハラールだった。
腹がくちくなったところで一人が手を挙げた。
「聞いて欲しい。今日は私がこちらのエルヴァ様担当だったのだが、悪しき男どもがエルヴァ様に……」
「男子生徒の妄想話だろうが。一々取り合わんで良い」
「しかし、あの可憐な制服をひん剥いてとか……許せん……。許せんのだ……」
「その程度、あちらのイリヤ様やエルヴァ様の番なら日常茶飯事だぞ?」
「むしろそれを真に受け、手出しをすれば大問題だ」
「然り」
「然り」
「しかしだな……俺は許せん……」
「お前は純だな? 言ってやれ、フランク」
フランクって誰だ? どよめく面々。見れば馴染みある体付き。長年、凜様の護衛を務める男だった。交替勤務でなく専属任務を与えられる凄腕だ。
「貴様、もしや……名を頂戴したのか!?」
「う、羨ましいぞ!」
「静まれ、バカども。二つ名がもう一つ増えただけだ。悔しければ任務に励め。そしてお前だ。エルヴァ様の担当は初めてか?」
「ああ……。主とは異なれど、やっと巡って来たチャンスなのだ。失敗は絶対に許されん」
「気負い過ぎではないか?」
ここで黙って聞いていた女が声を出した。
「コイツの言う通りだ。気負うな。お前の忠誠は誰もが疑っておらん。今まで機会に恵まれなかった事も承知だ。とは言え焦り過ぎだぞ。学内や通学路でなら問題は無い。あのお方ならどうとでもなるだろうからな。しかし外敵には目を見張らせよ。魔術を行使しやすい場を整え、証拠を隠滅する事が我らの役目だ。凜様や妹御との対応とは異なる事を学べ」
「むむむ……」
「その妹御お二人からの差し入れだ。ケーキだそうだ。量が少ないので千切って分けてくれと」
「またあの褐色の妹御か。幾ら完璧に隠形をしておっても見破る。げに末恐ろしき妹御よな」
「あの子は良い……。おんなじ肌だねと……。お仕事頑張ってねと……。ああ、クロ殿……」
「お前はその名を語るな! 神の名は口に上らせてはならんのだ!」
「ちょっ? 神とか言い始めたぞ?」
「こいつ等、危なくないか?」
「思うのも考えるのも自由だが、お手付きだけはしてくれるなよ?」
誰が誰だかわからないだろうが、ナレーターにもわからない。食後の甘いお茶でパウンドケーキを分かち合う黒い集団。
百貌の暗殺者────。
その生業故に忌み嫌われ、その能力故に同族からは畏敬と共に忌避されもした。いや、狂信者ほど嫌われてはいなかったが。
ともあれ、そんな我らが能力が現代に於いては必要不可欠だと、チカラを貸して欲しいと頭を下げて下されたマスター。殺しはご法度だが、山の翁の頃では無い。時代の下った19代目教主としては、現代の政情や倫理観に対応する柔軟性はあるつもりだ。
今回の仕事は普段重宝されている者達が居ない。敢えてマスターがそうして下されたのだ。日の当たらぬものに光あれと。今までもそうだった。食事には気を遣って下さり、成功は全員のものと褒めて下され、報酬を一人一人に手渡して下された。
普段お声を直接聞けぬ者も、この時だけは声が掛けられる。それが何物にも代え難い至福の時間だといつ頃からか感じていた。
今回は異世界のみならず、倫敦まで出向いたので報酬も大きいだろう。それ故に、ここまで目ぼしい働きの無かった者が焦るのだ。
こういう懸念があったので、私はエル様に進言し無理して来たのだった。女性型の私は、普段は参謀格として働かさせて貰っている。なのでその分、発言力が大きい。
しかしこの仕事に於いては裏方に回り、助言をする程度に留めていた。だが、逸る者を諌める程度は許されるだろう。
胸を裡を語り合えば、邪心でなく主に認められたいという純粋さのみ。皆んなが肩を叩き、焦るなチャンスはあると慰める。
そう、我らは一心同体。兄弟も同然ではないか。故に姉妹愛を、家族愛を大切にされる主を哀しませてはならない。ケーキを一口食べて結束力と忠誠心が倍加したのを感じる我々だった。
「ああ、こぼすな」
口の周りを拭いてやる。ウマウマと美味しそうに食べるちびハサン。みていれば否応なく湧き上がるこれは母性か父性か。それは知らぬが、私の役目はこの子のお守りもあった。
こうやって時空を跨ると、人数の多い方へ出現するのだ。また、より危険度の高い方へ。感情に乏しく、滅多に物言わぬこの子も仲間が心配なのであろう。ケーキをちびちび食べながら、皆に視線を投げ掛けている。胸がほっこりする。
ところでこれ、ハラールなのか?
「エル~、起きてる~?」
「起きてますよ。何か?」
「あっちのエルから回収した使い魔を返しに来たの」
「何だ……。明日で良いですのに」
「大切な使い魔でしょう? どうしてよ?」
「姉さんを思って、今から一人エッチをしようと……」
「死ね! バカ!」
「投げ付けないで下さい。それでどうでした、あちらの射は?」
「言う事なし。あれで英霊のチカラを絞って、人の能力だけなのよね?」
「ですね。ほとんど自分だけのチカラでしょう」
「勿体無い……。あなたも同じ才能があるはずなのに。どうしてあなたは弓道に興味がないの?」
「姉さんのテリトリーを侵したくないからです。あちらはその制約がありませんし、適度に英霊の本能を発揮できますしね」
「……やっぱり錯覚じゃないよね?」
「何が?」
「お兄ちゃんのチカラみたいに、大量の剣が霞的に殺到するんじゃないかって。そんな気がしたの」
「ラインの黄金の残り滓に、英霊エミヤの本能が反応しているのですね。大会に出るようになれば苦労しそうです」
「何か抑える方法はないの?」
「本人が精神力で抑えるしかありません。また、それくらいはできるでしょう」
「そうなの?」
「そうですよ。彼女なら大丈夫です」
今日の部活の後、アインツベルン先輩から可愛くラッピングされた袋を戴いた。帰ってから開けて下さいと言われたのでそのまま持って帰った。クッキーか何かだろうか?
お菓子作りも得意そうな先輩だから、ドイツの珍しいお菓子だったりして。お風呂も晩御飯も終わって、ベッドの上でラップを開ければ、それは。
『良い加減、見ていて歯痒いです。そろそろ本気を出しなさい。さもないと私が食べちゃうぞ? エルヴァ』
というお手紙と共に、お手製クッキーと男性用避妊具が箱で……。しかも大人のホテルの優待券までが。クッキーはともかく、先輩あなたは何を……? こ、こ、高校生には、ま、まだ早いですッ……。け、けれど……。
『
『桜、俺初めてなんだ……痛かったらゴメンな』
『いえ、先パイ。私も初めてです。けれど先パイとなら』
『桜……。(胸が……大きいだけじゃない……なんて柔らかいんだ。桜、桜……)』
『(ブ、ブラウス越しの指がもどかしい……。けれど直接だと恥ずかしい。あ! 先パイのが手の甲に……硬い……)』
『桜、も、もう我慢出来ない。脱がすぞ?』
『先パイ……はい……』
そうして衛宮士郎は間桐桜が身にまとう服を、一枚一枚丁寧に脱がすのだった。
その手付きはあたかも宝石を扱う人のそれだった。
ほんの僅かな指の動きで背中に電流が疾走る。と同時に、先パイが私を大切に思ってくれている事がわかる。
いつの間にか下着姿になった先パイの股間が大きく膨らんでいた。
『(私で感じてくれている……。先パイ、苦しそう。楽になって下さい)』
私が差し出した避妊具を装着した先パイが私の脚を広げる。いよいよだ……』
つづく』
何ですか! 何で小説付きなんですか!? それもこんな可愛い便箋に綺麗な文字で?! しかも最後がつづくって!? 気になって気になって仕方ありません!
あ、あれ? どこか遠くで髪が地面に触れそうなほど長髪の外人さんが応援してくれている姿が……。
目を瞑ると、より一層はっきりと。メガネの似合いそうな、鼻筋に特徴のある、とても優しそうな美人。胸、大きいなぁ。
『サクラ、頑張りなさい』
はい? ど、どうして私の名を? あなたは誰ですか?
やがてその顔が、手繰り寄せた眩い光の中でアインツベルン先輩の顔と重なった。ちょっ!? 先パイでなく先輩のお顔でイッてしまった。
そして荒い息を整える中で気付いてしまった。私は先パイだけでなく、いつの間にか先輩も好きになっていたんだ……。女の子同士なのに……けれど不潔感より好意が先に立つ。
優しい声に、気品のある仕草。そして時々ドキッとするなに気ない所作。一人っ子の私が幼い頃から夢見ていた理想の姉。それがいつしかアインツベルン先輩になっていた。
確かに入部以来、先輩を熱く見る部員は男女問わず多い。だからと言って、あんな素敵な先輩を汚すような真似を私はどうして?
きっとアインツベルン先輩はそれを見透かしていたんだ。だから食べちゃうぞなの? それって脈アリって事? わからない……。
あ~あ……。お風呂止めたけど、まだ温かいかな? もう一度入って、頭を冷やそう……。そして、先パイから戴いた美味しいお茶を飲んで眠ろう。
勉強机の上には先パイのお母様から戴いたオルゴールが置いてある。アイリ小母様はいつも私を気遣ってくれ、日本に戻られるたびに、こういう可愛いプレゼントを忘れない。母の居ない私には母のような存在だった。
今回のオルゴールはスイスのお土産で、素敵な木箱のタイプだった。曲はキャッツというミュージカルで有名なメモリー。こういうのを聞きながらお茶を飲むと本当に優雅だ。思わず先パイから戴いた修学旅行のお土産を指先で遊んでしまう。
その先パイのお土産は、可愛い枝豆のキーホルダー。家の鍵を付けたけれど、先パイは東京のどこに行ってたんですか? 可愛いし気に入りましたけれど、普通は女の子にそんなの贈りませんよね? 時々、謎な先パイです。
枝豆か……。膨らんだ部分が二つだから、中の豆も二つって事ですよね? 一つは私。もう一つは……。
次回から美遊世界です。