プリズマ☆エルヴァ 第一部 邂逅篇   作:炭団

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35、異世界

 長い長いトンネルを抜けた気分だった。目が覚めるとそこは雪国だったのだ。

 

「寒い……」

「リン! どうして人の話を聞きませんの? 冬着とコートを持って来いとエルヴァさんが仰っていましたのに?」

「ふん。あなた、名を変えなさい。親友の凜と同じ発音の名とは……」

「名を変える……? それはカイミョウですわね?」

 

 新しい言葉を作ってんじゃない! 改名よ! カイメイ! 

 カイミョウだとまるで戒名に聞こえるじゃないの! それに発音が同じなのは元が同じ漢字だからよ! 

 

 師匠である凜の魔法で世界を渡った私達は、旅慣れたエルヴァや彼女の友人のルヴィアを除いて気絶していたのだった。

 渡る時に酔ったらしい。しかし肉弾派のルヴィアは直ぐに目覚めたのだとか。タフね。

 そうして起こされた訳だが、やたら寒い。インフルエンザに罹ったみたいに歯の根が合わない。周りを見れば、冬なのか雪がちらついていた。そりゃ寒いわ。

 そんな中でルヴィアやエルヴァ達は軍用のコートやパーカーをしっかり着込んでいた。指摘通り、私は注意を聞き流していたのだろう。

 エルヴァ達は軍服だし、子供達は転身していたし、行き先が寒いなんて全然気付かなかった。しかも私は選りに選って半袖短パンだったのだ。本当に寒い……。

 勿論、魔術で断熱する事は可能だ。けれど、ここまで身体の芯が冷えてしまえば、外気温が取り込めない断熱魔術は却って危険だった。

 それに寒すぎて意識が集中できない。保温や体温上昇の魔術も今は難しい。

 

 辺りを見渡せば、ここは間違いなく同じ円蔵山。なのに、白く雪が積もっている。冬でも地熱が高く、雪が積もらない冬木市で。

 眼下には深山町が見えるのだが、そこには直径2キロはありそうなクレーターがあった。また海浜公園の辺りも荒廃していて、海岸線が随分と遠かった。本当に並行世界だ。

 

「誰か、何か着るものはない?」

 

 呆れた視線に耐えつつ声を出した。良く見回せばイリヤ達が居ない。いや、五人の子供達だけでなく、褐色のエルヴァにアーチャー、そしてセイバー達も居ない。あれ……一人変なのが居た! 

 

「だ、誰、この子?」

 

 褐色よりもっと濃い肌色の、アラブ系の女の子だ。

 

「ああ、アサシンの一人です。ちびハサンと言うのですが、滅多に出て来ないのですよ」

「へぇ~」

 

 その子はエルヴァにピタッとくっついていた。しかも穂群原小学部の制服姿だった。なんで? 

 

「どうしてあの格好を?」

「ほとんどすっぽんぽんで、走り去るアサシンの中からポロッと出て来たもので。それで取り敢えず手持ちの子供服を」

 

 なんでそんなのを持ち歩いてるのよ!? 

 

「あの子達は?」

「セイバー達と偵察です。先程も話した通り、アサシンも何人か先行していますよ。それと冬服……冬服……。コスプレ用しかありませんね。それで良いですか?」

「それで良いわ。貸して、お願い」

 

 確かに冬服はあった。ゴスロリ? ピラピラしたブラウスやスカートにボレロの上着。こんなの着れるか! 

 それで比較的おとなし目のを選んだのだが、その時の私は寒さで思考が鈍っていたのだろう。

 

「ナイスなマリーンルックですわね?」

「あれはどこかの学校の制服ですわねぇ」

「たまたま前側にありましたので。地元の中学校の制服ですよ」

「ど、どうして、こんなモノを持ってるのよ!?」

 

 頭から被る、脇にファスナーが付いたセーラー服。襟と袖に白線が2本。合わせるリボンは赤い紐タイ。これ、深山町の山側にある公立中学校の制服だ。さっきのといい、これといい、何でこんなのを持っているのだ? 

 けれど、背に腹は代えられない。私は渋々着込んだ。肩幅はちょうど。胸は中学生にしては大きい? 結構ゆとりがある。ただ、袖が少しだけ短いような気がした。これ、袖の長さと丈を直しているな。胸の大きな中学生か。

 それより足元だ。スカートが寒いと文句を言えば、エルヴァからブルマを渡された。せめてハーフのジャージは無いの? 短パンを脱いで重ね穿きしろとでも? 何なのよ、コイツは……。

 唐突にエルヴァの携帯電話が鳴った。誰から!? もう契約したの? 

 

「はいはい。ええ、あったでしょう? では先に入っていて下さい。ええ、そこで合流しましょう」

「誰から?」

「おチビちゃんです。ルビーにこの番号を教えてあったので。衛宮の家に行って貰いました。そこで暖を取りましょう」

 

 ルビーはサファイアとだけでなく、一般の携帯電話とも通話できるのか……。なんて便利なんだろう。

 

「という事は、ミユの家ですの?」

「そうです。やはりもぬけの殻でした。取り敢えずはそこに落ち着きましょう。ギル君もそれで良いですか?」

「ああ、問題ないよ。それよりさ……」

「歩きながら話しましょう。これでしょう? アーチャーのカード。どうぞ」

「やっぱり……。あいつから奪ってたんだ?」

「当然です」

「僕がこれを手に入れたら、裏切るとは思わないの?」

「1対7プラスアルファで勝負に出ようと? それよりこれは気候の置換なのか地軸が狂ったのか、どちらだと思います?」

「動じないね。そうだね、情報が欲しいところだけど、この街に人が住んでいる気配が感じられない。こいつはヤバイかも」

「ですね。美遊ちゃんの家に行けば、ある程度の情報が入る手筈です。そこでもう一度検討しましょう」

「予測通り、なのかな?」

「今の段階ですとそうですね。マナをほとんど感じません。この星は終わろうとしていると判じざるを得ませんね」

「だね」

「今回はあなたと意見を擦り合わせつつ、事象を促そうと思います」

「それがホシやヒトのためだと言えるのかな?」

「早計に思いますか?」

「どうかな? お姉さんは誰かから裁定者になれと?」

「いえ、申し送られたのは調停者です。ですがこの景色と様子を見ますと」

「なるほど。僕は出会うべくして出会ったのか」

「そういう事ですね」

 

 二人はヒソヒソと話しながら歩いて行く。その後ろにルヴィア達と師匠の凜が歩き、私が最後を着いて行った。

 山を降るだけなので深山町まで30分も掛からず到着するだろう。けれど……。ああ……冷えて尿意が急激に……。

 するとエルヴァが少年に失礼と言い残して、登山道脇の雑木林に入って行った。これは……。要らぬプライドで、やせ我慢をするのか。千載一遇の好機と認めるのか。

 師匠は言っていた。優雅とは準備万端整えて、時節到来を待つ姿だと。武士は喰わねど高楊枝なのではないと。少年はごゆっくり~と軽く流している。その軽さが私のハードルを下げてくれた。

 くっ、しょうがない。私も道連れとばかりエルヴァの後を追って雑木林に入った。

 

 こういう時に人は何を目印に、或いは何を基準として場所を選ぶのだろうか? その時の私は、養分になれば良いかなぁなどと、益体も無い事を考えていたのだろう。ある程度の太さがある幹の横で、スカートを捲ってしゃがんだ。

 はぁ~とか、ほぅ~とか声が出たのは許して欲しい。次に、心にゆとりができると、人は確認作業に入るらしい。ここは登山道から見えないか、誰かに見られていないか、そんな事を今更ながらに確かめていた。

 そこでふっとエルヴァの姿が見えない事に気付いた。あれ? 彼女はどこだ? もっと奥に行ったのか? そうして五感を研ぎ澄ますと、かなり近いところでジョボジョボと自分以外の音がした。と言うか、音が大きい。これはこの幹の反対側で間違いない。

 一足先に終わったのだろう。人の動く気配がした。すると幹を回って目の前に当の人物が現れた。しゃがんでジョボジョボ放尿している私。

 そんな私の目に真っ先に入ったのは、ズボンのジッパーをあげようとしている股間だった。あり得ないものをズボンの中へ収めようとしている。先客は別人で男性……? 

 硬化しつつある首を、無理やりガキゴキと上げて顔を見た。やはりこれはエルヴァだと認識した。

 

 お前はおっさんか! 歩きながら片付けるな! 音が大きかったのは落差か? 落差なのか!? 

 それよりコイツのナニが……思ったより大きい? いや、それよりもこう寒い時は確かに便利そうな気がする……。

 そんな訳のわからない事を、ほとんど同時に0.5秒で考えてしまった。これが並列思考かしら? 

 

「あ、凛。失礼」

 

 私に気付いた彼女が詫びる。

 と言うか、見てはイケない物を目の前でぶら下げながら固まるな! さっさと仕舞え! 

 

「は、早く、どっかに行け!」

 

 その声をあげたせいで、便秘気味な私はパンツを下ろした状態で体内のガスを大気に開放してしまった。要は放屁したのである。結構音が大きかった……。

 

「くぅ~~~!」

「ゴ、ゴメンなさい! 痛てっ!」

 

 直ぐ様彼女は登山道へ戻って行った。何が痛かったのだろう? かなり大きな声で痛いと叫んでいた。

 その時の私は、余程溜まっていたのか全然止まらなかった。

 唖然と呆然。しっかり放尿シーンを見られてしまった。きっとあそこも……。それよりおならまで聞かれた。このまま、この樹海で死のうかなとさえ思った。

 

 それは、自分が作った川で、靴が濡れている事すら気付かない程の衝撃的羞恥体験だった。

 漸く終わり、ティッシュで後始末をしている時に全てを思い返した。湧き上がる強烈な羞恥心。乙女の神秘を暴きやがって! 

 けれど次に脳裏に浮かんだのは、こちらが見てしまったモノのディテールやシルエットについてだった。

 魔術師の子供は得てして早熟である。性的な意味でなく、日常生活に於ける行動全般の事だ。なので私も桜も、幼い頃に父とお風呂に入った経験が全然ない。

 

 ある日の事だ。小学校の低学年頃の話だ。級友がもう一人でお風呂に入れるよと、まだ親と入っているらしき子に話していたのだ。それを聞いた私はショックだった。

 そんな親と一緒にお風呂に入ったなんて思い出が、皆んなにはあるのだと気付いて。父はおろか、母とさえ幼稚園に通うようになってから入った憶えはない。

 何が言いたいかというと、初めてだったのだ。生で男性のアレを見たのは。男性じゃないけど。けれど、高校生だと成人も同然だ。あんなきのこみたいな……。

 あ、あんな……大きのが更に大きくなって、褐色のエルヴァと……? そっか……。赤ちゃんが出て来るところでもあるもんね。案外入るのかな……?

 ハァ……。何を考えているのだ私は。下着を上げて、登山道の方へ歩いた。倫理とか節度や嗜みとか色々思う事はあるけれど……。お尻が冷えるこの状況下だ。正直便利そうだと思ってしまったのは乙女の秘密だ。

 彼女は倫敦から? いや、ここが寒いと予測して着けてきたんだろうなぁ。

 雑木林を出たところで、エルヴァが待っていた。

 

「な、何よ!」

「これどうぞ」

 

 濡れティッシュを渡された。くだらないところにも抜かりがない……。

 アイコンタクトを交わす私達。エルヴァは力強く頷いてくれた。こうして私は彼女と価値の無い秘密を共有してしまった。心理的に私の方が、負う必要のない負い目を強く感じて。

 数年後、褐色のエルヴァや遊びに来ていた師匠や姉弟子達と居酒屋で話していた時に、昔の笑い話としてこれを披露した。

 

『凛はパニックに弱いですね』

『その傾向は私もありますよ。災難でしたね。でも、おならって……ププ』

『プッ……ククク……。そっか、あんたもエルの洗礼を受けていたか』

『師匠、姉弟子、そこは笑わないで……』

 

 そう。私は咄嗟の事に弱い。前々から思っていたけれど、この時に強く自覚したのだった。

 

 

 やがて私達は目的地へ到着した。その家は武家屋敷が建ち並ぶ一角に鎮座していた。でかい! こんなのが美遊の家だって言うの? 

 

「頼もう~ッ!」

 

 玄関先で上げたエルヴァの声に反応して、褐色のエルヴァと子供達が駆け寄って来た。

 全員しっかり冬用の衣類を着込んでいる。クソォ~。

 私が気絶している間に、子供達や褐色のエルヴァの衣類を白いエルヴァが渡したのだろう。持ち歩ける倉庫。本当に便利な宝具だ。

 

「凛は目覚めました?」

「ええ、ここに居ますよ。ライフラインはどうでしたか?」

「大丈夫です。電気もガスも水道も通っています」

「この状況で?」

「ええ。それと美遊ちゃんの許可を取って、コンビニのATMで口座の残高も調べました」

「どうでしたか?」

「やはり第五次のあった世界とは大きく異なります。とても遺産と呼べるような金額ではありませんでした」

「急逝だったので準備期間が無かったとも考えられますが、士郎クンとの関係性も異なるのかも」

「そうですね。明日にでも美遊ちゃんと全額下ろします」

「100万~200万なら私が持ちますよ。それでお兄ちゃん達は?」

「もう、戻っていますよ。やはり新都まで行かないと、食料が手に入らないようですね」

「という事は、人々が居ないのは深山町だけ?」

 

 全員が奥の居間に入るとすんなりお茶が出て来た。お茶請けも用意されている。

 

「私が調べた限りでは冬木にクレーターがあるのは深山町だけだ。中心地は……」

「マウント深山と円蔵山との間だな。民家の多いところだ。そして中心にかなり大きな結界がある。その中が相手のアジトだろう」

 

 アーチャーとシロウさんの報告にフンフン頷きながら、回転焼きを分け合うエルヴァ達。

 御座候とか大判焼きとか太鼓焼きとか、呼び名が色々あるあれだ。チラチラ見えるその中身は、黄色いカスタードだった。へぇ~、何か納得だ。

 そして小さなアサシンとイリヤ達も、仲良く回転焼きを食べていた。こちらの中はあんこだった。

 

「この子、全然しゃべらないね?」

「クロ、この子って?」

「お察しの通り、アサシンの中の一人なのよ。大人しいし、悪い事はしないから、仲間として扱ってあげて?」

「ふ~ん」

「美味しそうに食べるね?」

「あ、笑った。クロエお姉ちゃん、この子に名前は無いの?」

「無いのよ。ちびハサンって呼ばれてるけど」

「あ~。お家が破産しちゃったのか……。つらいよね? もっと食べる?」

「あんたの妹は特大の大ボケをかますわね?」

「言わないで、クロ。じゃ、この子も百貌の一人って事?」

「そう」

「ひゃくぼう……?」

「うん。100の顔があるって意味なの。アサシンさんはハサン・サッバーハって人が、宝具で分裂していて、だからこの子もハサンなんだよ」

「へ~、そんな宝具があるんだ?」

 

 そうか。クロエとイリヤが知らないだけで、クロとイリヤは知ってたんだ。

 

「それで、なんでこの子、穂群原の制服を着ているの?」

「お姉ちゃんが寒そうに思ったんじゃ無いの?」

 

 チラッと私を見るな……。

 

「違うよ。ハサンちゃんが私達と学校に行きたいって言ったから、これで我慢してくれって、お姉ちゃんが揃えたんだよ」

「あれ? 私、それ知らない」

「そっか、クロは知らないか。いつも美遊と一緒だもんね?」

「ああ、私達っていうか、あなたに着いて来ちゃったの?」

「そう。校門前のバス停まで。それも新都のバス停から走って追い掛けて来たんだよ」

「走って新都から学園まで?」

「そうなんだよ~。びっくりしちゃった」

「こう見えても英霊だしね。それでなだめて帰させたのね?」

「そう。それでその日に、学校から帰ったお姉ちゃんと誂えたんだって」

「なるほど。ランドセルまで用意して。中身、空っぽでしょう?」

「ううん。ノートと筆記用具が入っていて。お絵かきしたり、アラビア文字っていうの? あれで何か書いてる」

「ふ~ん」

「あれ? これ……。ちょっと見せてね?」

 

 そう言って、クロエの方のイリヤが上着の裾を捲った。

 

「これ。この襟って、中に着ているブラウスの襟なの?」

「じゃ、穂群原と似た、違う学校の服なの?」

「ううん。これが私達の世界の制服なのよ」

「へぇ~。そんな違いが」

「最初は戸惑ったけれど、上着を脱いだらブラウスだけになるんで、秋や春に便利だよ?」

「うん。そのブラウスの上に合わせる、セーターやカーディガンもあるし」

「へぇ、なんか良いね。私達の冬服だと下に長袖の体操服を着たりするだけだもんね?」

 

 ほぅ。体温調整がしやすくなっているのか。なるほど。

 

「そっちとは結構違うのかな?」

「ほとんど同じだけど、ところどころ違うわね」

「そうだねぇ。学校だったら、校内着の存在だよね」

「こうないぎ? 何それ?」

「んとね。特別な行事がない時は、ブラウスも脱いで、白いポロシャツに着替えるのよ。そうするとドッジをしても制服を汚さないですむでしょう? 下は制服のスカートでも良いし、デニムでも良い事になっていてね」

「そうそう。それもデニムなら何でも良くて、スカートの子やホットパンツの子も居るのよ。私はスカート派で、エルお姉ちゃんのお古の制服のスカートを使っているの」

「じゃ、スカートを穿き替えるんだ?」

「うん。教室の後ろに、男女別の更衣室があってね。ロッカーもそこにあるんだよ」

「え? 全然違う~」

「私はデニム派で、ショートパンツにしてる。たまにスカートの子もいるけれど、女の子はショートパンツが多いかな?」

「デニムのスカートやキュロットは6年生に多いね」

「へぇ~、良いなぁ。こっちじゃ、着替えても体操服だもんね?」

「ね。全然違うのね? 他にも違うところってあるの?」

「他は何だろ?」

「学校の服で言うなら給食着よ、イリヤ」

「そうだそうだ。あれがあった」

「なになに?」

「それがね。ボタンでとめる給食着じゃなくて、上からかぶるタイプなの。スモックっていうの? 首にも袖にもゴムが入った」

「うぇ~、何か幼稚園みたい~」

「言わないでよ。それでもギリギリセーフだったんだから」

「ギリギリって?」

「ポロシャツの校内着が決まったのって、私達が4年生で、妹の美遊が1年生の時だったの。その前の年までは、男の子が淡いブルーに女の子が淡いピンクのスモックだったのよ。お姉ちゃん達がそれを着ててさ。お古があるからそれを使いなさいって言われて」

「ちょっと恥ずかしいよね? それでクロと一緒になって、ポロシャツにしてってお願いしたんだ」

 

 そうか。その4年の途中でこの子達はエルヴァ達の世界へ。

 

「給食もあれだよ? 教室で食べないで、食堂まで行くんだよ。それで1年生から6年生まで全員白いスモックを着て」

「お弁当の日は無いの?」

「学期中に1回か2回だね。あなた達は2週間に1回くらい?」

「うん。2週間に1回だね。けれど給食着は全員着るよね? 食べるのは教室だけど」

「それだと低学年の子が落としたりしない?」

「滅多に無いけど、たまにあるかな」

「そういうのが向こうで昔問題になって、それで全員食堂で食べるように変わったんだって」

「その前は毎日お弁当でさ。私が増えたんで、セラもてんてこ舞いだったな」

「ね? だからお兄ちゃんが朝ご飯を作っていても文句を言わなくなったんだよね~」

 

 へぇ、結構細々違うのね。こういうのも師匠は調べていたりするのかしら? 

 気になるのか美遊が尋ねた。これは私のしたかった質問だった。

 

「世界が違うのはわかるけれど、どうしてそんなに違うの?」

「ああ。学校の経営者が代わったのよ。もっと言えば、エルお姉ちゃんとノインのお祖父様が買い取ったの。6年生の終わり頃からだって。中学からは完全に代わったらしいわ」

 

 スイスのあのお祖父様が! エルヴァが居たからか!? 

 

「あ~、だからそっちのママが理事長先生なんだね?」

「そういう事。でさ、調理実習もそのスモックで……」

「こっちみたいに自由にエプロンを持っていけないんだよね。それで書道の時は、ね?」

「結局、泣く泣くお姉ちゃん達のお古よ。でも5年生と6年生の女子だけにあるエプロンが昔はあってさ。私はそっちの方をお姉ちゃんから譲って貰ったの。何のための校内着なんだって言うのよ。汚れてもいいためにあるんでしょう?」

「まぁまぁ、クロ。それでも汚しちゃうのが小学生だから。この間はスカートを踏み抜いて叱られたよ~」

「あれ、あるよね~」

 

 あった、あった。高校生でもたまにそういう人が居るわ。そっか。言ってみれば、あっちの穂群原の方が私学っぽいんだ。

 師匠も高等部は2学期制で、大まかなコース別でクラスが別れた後の授業は、完全選択制だと話していた。少子化だものね。色々特色を出して生徒を集めないと。

 子供の会話って聞いていると面白いわ。懐かしい気分になるし、思わぬ情報が入ったりする。

 そこで今度は意識をセイバー達の方へ向けると、彼女達はコクコクと頷きながら、肉まんとピザまんを食べ比べていた。あれって何個目だろう? 

 伝説の湖の騎士は、あんまんを一口齧って目を瞠っていた。

 

「あ、甘い! 倫敦で食べたプディングでは無いのか……。アーサー、この黒くて甘いものは何ですか?」

「あんこです。小豆という豆を砂糖で煮て磨り潰したものですよ」

「これはもしかして菓子の類ですか? 何か宗教的な?」

「饅頭には宗教的な場合もあったと思いますが、それは宗教とは関係ありません。単に小腹を満足させるものです」

「ほぅ、つまり倫敦でお茶と一緒に頂いたケーキのようなものであると?」

「そうです。そう考えて差し支えありません」

 

 そこにもう一人のセイバーが入った。

 

「これは漉し餡ですね?」

「ええ。あの店は漉し餡だけなのでしょう。あなたは粒餡派ですか?」

「いえ、どちらも好きですよ。ですがそのどちらもしょせんはおやつです。ある程度腹を満たすのなら、肉まんかピザまんに限りますね」

 

 いや、肉まんもおやつじゃないの? そりゃ、中華街の本格的で大きな肉まんだと、食事代わりになると思うけれど。でもそれ、コンビニのよね? 

 

「そうですね。これは豚まんですが、牛肉を使った肉まんもイケますよ?」

「あなたは本当に何でも食べていますね?」

「アサシンに教わったのです。豚肉を使わない肉まんがあると」

「なるほど」

「教義的に口にできぬものが多い分、彼等は巷の食べ物に詳しいのですよ」

「ほぅ」

「アーサー!」

「何ですか?」

「このアンなるものを一口含み、この苦いお茶を頂くと見事な味に……」

「それがお茶の素晴らしさです。溶けて行く感覚も、また良いでしょう?」

「はい! このサッパリとした後味が……。これか、ヘラクレス殿の仰られた事は……」

 

 ブリテン組があんまんや肉まんで盛り上がっている最中、アーチャーとシロウさんは台所で喧々諤々と何かを話していた。

 

「しまった! ここ電気炊飯器か!?」

「何だ今更。貴様の生前はガスだったとでも言いたいのか?」

「当たり前だろう! 大食いな虎を飼いつつ、美味しさも求めるならガスしか無いだろうが?」

「本当にガスだったのか……」

「ああ。聖杯戦争中はリンナイの二升炊きを新たに買ったんだぞ?」

「それは初耳だ。セイバーのためにか?」

「そうさ。おかずは大したものは出せなかったけれど、本当に美味しそうに食べてくれてなぁ。米だけは雷画さんが紹介してくれた農家から分けて貰ってたんで安く手に入ったんだよ」

「ほぅ。私も農家から直接買っていたよ」

「な? そうでもせんと家計がな」

「だな」

「クッソ、サクッと救けて家主に文句を言おう」

「おいおい。何を言うつもりだ?」

「こんな炊飯器でだな、満足なご飯が炊けるのかと……」

「ここを見ろ。3合炊きの文化鍋がある。美遊が話していたろう? 兄はご飯に拘ると」

「何だ、早く言えよ。もう少しで修正確定だったぞ」

「修正……」

「身体は米でできている!」

「喧しいわ。日本人なら仕方ないとは思うが、お前はお前で変な方向に歪んどるな。ほら、エルが出してくれた5合炊きの文化鍋も3個あるぞ」

「ああ、良かった。安心した」

「この家でそういう物言いをするな。わざと言っとるのか?」

「偶然だよ。同じ言うなら縁側さ。けど、コンロが足りないなぁ」

「縁側言うな! ともあれ明日、また新都に買いに出れば良かろう」

「お前、本当に心が硝子だな? それと明日の仕入れは卸売りに行くぞ?」

「貴様がタフ過ぎるだけだ! それで、何故卸しだ?」

「エルの頼みさ。より広範囲の流通具合がわかるだろう?」

「なるほど」

「ついでに業務用の冷蔵庫も欲しいな」

「冷蔵庫はいらんだろうが! 貴様の家では無いのだぞ? 雪がちらつくこの気温だ。野菜や飲料は外でも良い。雪を掻き集めて小さな洞を作れば完璧だろう?」

「まぁ、そうだな。どうだ? 今夜は鍋にしないか?」

「できなくもないが……買って来た食材を、お前がチョイスしてくれるのならば」

「それはやるよ。けどスーパーでも野菜の季節感が皆無だったな? 流通価格も高目だったし」

「そうだな。これは地方も予想通りかもな」

「だな。卸しに行けばもっと詳しくわかるだろう」

 

 何やら懸念があるらしい。

 師匠が私をツンツン突いて、アーチャーが買って来た新聞を見せてくれた。日付が……出発した日の翌日!? って事は今は夏前! なのに雪……この異常性がここでは当たり前の事なのだろうか? 

 新聞の天候欄には普通に予想最低気温2度、降雪注意と雪マークが。後でエルヴァに聞こう。おそらく私はこれを聞き逃していたのだから。

 

 けれど取り敢えず今は、美味しいご飯にありつける事は確定だろう。

 そしてエルヴァ達はそれぞれの妹と一緒に、三人ずつ交代でお風呂に入っていた。美遊は褐色のエルヴァ達と一緒だ。少し不思議だけれど、イリヤやクロエと仲が良いだけでなく、美遊は褐色の彼女にルヴィアとは違う意味で懐いていた。

 ところで、白いエルヴァだが……。おい! 奴はアレを付けたままなの?! いや、トイレにでも寄って外しているか……。

 しかし高校生一人に小学生が二人。小柄とは言え三人から四人同時に入れる湯船とは。ちなみに英霊は倫敦と同じくお風呂なしです。普段、ルヴィアの家では入っているんだけどね。

 

「ここってお風呂が広いの?」

「ええ、一般用としては大きさのある檜風呂ですのよ。あの香りがサウナのようでよろしいのですわ」

「へぇ~。順番は?」

「私と彼女が最後に入りますので、あなたはエル姉様達の後に凜とお入りなさいな」

「良いの?」

「ええ、エル姉様はカラスの行水です。先に入って頂く方が早いのですわ。きっと子供達も促されて早く上がるでしょうし。それに私はこの家のお風呂を知っていますが、彼女は初めてでしょう? そこもレクチャーしませんと」

「レクチャーとは何ですの? お風呂の入り方くらい知っていますわよ」

「そういう知ったかぶったガイジンが、温泉宿で害人となるのですわ。あなたは毎回掛け湯もせずにドブンと。あそこはあなたの別宅ですので私も黙っていましたが、あれはありませんわよ?」

「あんた、掛け湯もせずに入るの?」

「カケユ?」

 

 首を捻ってるし……。

 

「それにあれだけの大浴場のお湯を使い捨てても平気な感性は、さすがに信じられません」

「ですが、お湯を換えませんと不潔でしょう?」

「どう見ても濾過器との循環機能が付いた、お風呂屋さんもびっくりな大浴場でしょうに。それともあなたは温泉旅館に行っても、お湯を全部換えろと言いますの? 幾らお金があろうと、一般の方々からドン引きされては恥の上塗りですわよ?」

 

 う~ん……。好戦的と思った後から来たルヴィアは、思った以上に常識人だった。

 

「私どもが当たり前と思うサウナでも、日本人には作法がわからぬものですわ。それと同じですのよ?」

「これでも旅先や修学旅行で狭いお風呂は体験済みです。そこまで言うのならお互いのリンと一緒に入ればよろしいでしょう?」

「私達のようなホルスタインは、最後に入らねばお湯が勿体無いでしょう? わかりませんの?」

 

 ホルスタインと言ったよ、この女。良いのか、それで。

 けど悔しさや妬ましさより、彼女の良識的な発言の数々に驚かされる。

 

「こういう一般家庭のお風呂は、直ぐに給湯できるホテルや自宅とは違いますのよ?」

「そうなのですか?」

「私のルヴィアの言う通りですよ。ここは彼女に任せて下さい」

 

 師匠の言葉だ。続けて師匠の方のルヴィアが言う。

 

「ほら、言いますでしょう? 郷に要らない者はゴーホームと」

「言いませんよ。語源は中国の諺『入郷隨俗』からで、それが日本の鎌倉時代頃の童子教で『入郷而従郷、入俗而随俗』と広まったものです。『郷に入りては郷に従え』或いは『郷に入れば郷に従え』が正解ですよ」

「おお、さすがは凜。私が言いたかったのはそれですわ」

 

 師匠、教養あるわね。私の方のルヴィアも驚いている。そしてそこにちゃっかり便乗するあちらのルヴィア。やっぱりこういうところはルヴィアだなぁ。

 けれどここまで誰も私の服装に異を唱えない。何か辛い……。そして師匠とともに脱衣場に行けば。

 

「そのセーラー服のタグを見ておいて下さい」

「へ? NIKKE? あ……」

 

 上着のネームタグには『間桐桜』とあった。良く見れば襞スカートのネームタグにも。え……? 

 

「ど、どういう事なの、師匠!」

「声が響きます。それに魔力を使って疲れているんですから、もう少し抑えて下さい」

「失礼……。それであの服は?」

「お察しの通りですよ。並行世界の桜のものです」

「師匠の妹さん?」

「いえ、私の妹は穂群原中等部卒業ですし、姓は遠坂です。あれは公立の制服でしょう? 別の桜ですよ」

「あ……」

 

 違う並行世界の桜……。

 そして師匠は、脱衣場で固まる私の手を引いて浴室に入った。ドアを締め簡易的な防音結界を張り、私に第五次聖杯戦争が起きる世界での桜の境遇を幾つか話してくれたのだった。

 それは以前褐色のエルヴァから聞かされた話より酷かった。

 5歳の、年長さんになったばかりの頃に養子に出される桜──その家は蟲使いの間桐。吸収と束縛を特性とし、刻印蟲という蟲を使って身体と魔術回路を水の性質に染め上げる。

 私達と同じはずだった黒髪は色素の落ちた青髪に変色し、すみれ色の瞳の色素までが薄く変わって行く。

 私の桜はまだ黒色寄りの髪だし、瞳も青に近い。しかしそれが白髪となり、間桐の青になった。だから薄い紫色になったのだと師匠が言う。

 虐待滲みた酷い調整を受けていたとは聞かされていたが、白髪になる程……。ここまで酷いとは……。私はワナワナと震えるばかりだった。

 師匠は続ける。僅か5歳の子供が、穴という穴に蟲を入れられ肉体を改造されるその有様を。

 確かに皮膚を切り裂くより、膣や肛門から体内に術式を通す方が楽だし負担も少ないのだろう。魔術師の私にはそれがわかる。けれど……! 

 子宮からも間桐の術式を得るために犯されていたという。精液に魔力とは別に術式を含ませるのだ。まだ幼稚園に通うような子よ!? どうして?! 

 私は父への呪詛を吐いた。両親を殺した英霊に感謝したいくらいに憎んだ。だって……。

 中でも一番酷い虐待を受けていた桜は、体内に巣食う蟲が魔力を搾取し、慢性的な魔力欠乏状態に貶められていたのだから。そしてその欠乏状態が性的欲求にリンクされ、5~6年生頃には行きずりの男性と交渉を持たされていたと……。

 何度も妊娠し、胎児を蟲の餌にされ、最後は子宮や肝臓の一部や腎臓まで喰われ……。持って数年の命にまでなっていたのに、サーヴァントを召喚させられ……。

 師匠の声が怒りに震えている。そんな桜を救出し、エルヴァはアインツベルンの秘技で内蔵と女性器を治してくれていた……。

 今も元気で、幸せに暮らしているという。そこの遠坂凛と師匠は友人らしい。

 

「殴らなかったの?」

「私、当時は中学生ですよ。おまけに私のやり方が不味かったのか、聖杯戦争では敵対しちゃいましてね」

 

 大団円後は泣いて詫びられたそうだが、結局何をどう考えてもそこの自分の無知さに行き着く。あのセーラー服は、その桜から救けた対価として譲り受けたものなのだとか。対価として変だろうと思ったのは翌日の朝方だ。

 だって、私はお風呂で声を殺して泣くしかできなかったから。だって、その遠坂凛は何ら私と変わらないのだから。

 どこの私も養子に出た妹は幸せに暮らしていると思い込み、あの子の危機に気付かない。SOSを聞き流し、手を差し伸べる事すらしていない。どうして……ここまで私は鈍いの……。

 そして師匠は、いよいよ動作までが鈍った私の背中を優しく流してくれた。

 

「残酷ですし、安全圏から言うなと叱られそうですが、元気な桜が同じ街に居ると思えば」

「……もう、姉妹に戻れないのかな……?」

「不可逆の錬金術を打ち破れば、これまで培って来た精神を壊す可能性もあります。そっとしておくのが正解ですよ。何よりあの子の周りにはあの子の幸せを願っている人が大勢居ます」

「……そうね。まさか衛宮君ととは思わなかったけれど……。それも姉妹か……」

 

 そう、私は衛宮君が好きだった。大ぴらなルヴィアが居たので隠していたけれど。でも桜の態度で、あの子が本気で衛宮君を好きなんだと理解できた。だから諦めたのだ……淡い恋を……。

 

「運命ですかね。残ると言ったエル先輩もクロエちゃんも、あの二人を応援しています。だから」

「詳しいのね、師匠は?」

「並行世界の違いの確認と検証ですよ。これを怠ると事故の元です。はい、タオル。それとも全身洗いましょうか?」

「あ……。ごめんなさない」

 

 そして私は心ここにあらずの状態で、お風呂から上がった。どう着替えたのか、いつルヴィア達と代わったのか全然覚えていない。

 

「凜、凛はどうしたのだ?」

「ちょっとガラスに引っ掻き瑕が……」

「なるほどな。ルヴィア達が上がれば夕飯だ。座っていてくれ」

 

 知らぬ間にお茶を薦められ飲んでいた。

 I am the bone of my sword.

 そう思い込まなきゃやってけなかった。

 Steel is my body, and fire is my blood.

 血潮は炎で身体は鋼。けれど彼の心は……。

 倫敦から帰って調べた詠唱。隠された意味はずっと疵付いて行くばかりの心だった。なんて哀しい響きなんだろう……。

 英雄は……英霊は皆んな、こんな苦しくて辛い思いを隠しているんだ。その事にやっと気付けた。

 

 

「晩ご飯は何でしょうね?」

「アーサー、そうやって胸の裡を何でも話して下されば……」

「言わないで下さい、卿よ。我らは全員が舌足らずだったのですから」

「そうですね……。しかし狭いですな」

「すまぬ。私が現界しているからだ」

「いえ、あなたでなく人数ですよ」

「それは……そうだな」

 

 子供が五人、いやアサシンの子を入れて六人。そして胡座をかいて座るヘラクレスにブリテン三人に、私と師匠の凜。更にエルヴァが二人。

 この居間に居ない金髪の男の子とルヴィア達にアーチャーとシロウさんを入れると総勢18人だ。そりゃ、狭くも感じるだろう。

 

「アルさんの背中って大きいね」

「漢はね、背中で語るのよ。いえ、語れるようになってからが漢の道なのよ」

「そうなの? クロエお姉ちゃん?」

「そうよ。だから私達も女を磨かなきゃ」

 

 あの子は何を言ってるんだ? 説得力が妙にある。

 

「しかし凄いシーンだ。両肩に二人のイリヤ。左右の膝にはクロエとクロ。両脇にもたれて居眠りしているのは二人のエルヴァですよ」

「完璧な鎧ですね。これは手が出せない」

「ですね。こんな相手と夜道で出会えば、私はあの少年を投げ捨てて逃げますよ」

「それは冗談でも酷過ぎる」

「ですが転身されたらヘラクレスが出る前に、負けますよ?」

「確かに。マスターが起きたら絶対に勝てませんね」

 

 そんな気はする。体力とか純粋なチカラとかでなく、何か裏技でもって。けれどこれは言葉遊びだろう。

 

「セイバーさんってそんなに弱いの?」

「イリヤ、そうじゃないわ。冷静な分析の結果、セイバーはそう話しているだけよ。お姉ちゃんが異常なんだと思う。私とクロとあなた達なら、四人掛かりでも簡単に負けるわよ」

 

 クロエの言葉にクロも頷いていた。

 

「ダークホースはミユですね。あなたはあちらに行かないのですか?」

「あ、いえ……何か、絵になるなって……」

 

 眠っているエルヴァの邪魔をしないように、小さなアサシンは美遊と綾取りをしていた。自分でポケットから出して美遊を誘っていたから、前々からエルヴァにでも教わっていたのだろう。

 

「確かに。あの六人はヘラクレスと縁が深いですから」

「凄いですね。そんな伝説の英雄と……」

「ま、英霊と話す機会は滅多にありませんからね」

 

 滅多にどころか一生無いのが普通だろう。神話がどうとかでなく、子供だって知っている星座となって現代まで信仰を持ち続ける人なのだ。

 私達は今、奇跡を目の当たりにし、奇跡を体験している。セイバーが美遊に問う。

 

「時にあなたのカードは?」

「エルヴァさんから預かっています。セイバーとランサーにアサシンのカードです」

「ほぅ。アーチャーやキャスターは使わないのですか?」

「それは……」

「セイバー、それはエルお姉ちゃんが美遊のために選んだ3枚なのよ」

「クロ。そうなのですか?」

「うん。それでクロエのイリヤにはセイバーにアーチャーとキャスターの3枚なの。そしてそのセイバーがある意味切り札なのね」

「切り札?」

「ええ。ヒントはあなたじゃ無いわけ」

「モードレッドですか!」

「そう。あの子はモードレッドと縁がある。なら応えてくれるカードを選ばないとね」

「ですね。この場合のランサーやキャスターにアサシンはどういう基準で?」

「美遊のランサーは攻めるためのものなの。限定召喚で一番使い勝手が良いわ。それと美遊のサッと飛び込める勇気を買ったんだって。アサシンは潜入のためよ。このアサシンも百貌のハサンだけでなく、美遊次第で色々なハサンに繋がるらしいわ」

 

 そこでちらりとクロは小さなアサシンに目をやった。もしかしてイリヤの場合はこの子に繋がるの? 

 

「それで、イリヤのキャスターは美遊を援護するためね。アーチャーは私やクロエのバックアップのためよ」

「バックアップって……」

「ううん。捨て身で特攻する訳じゃないのよ? 私とクロエにしかわからない呼吸があるの。その呼吸を合わせるには、イリヤ達もアーチャーを使うしか無いから」

「ああ、そういう意味ですか。連携力を高めようと」

「そうそう。前にセイバーが言ってくれたでしょう? 私はまだ子供だから、一人のチカラじゃサーヴァントと戦えないって。でも、皆んなのチカラを合わせれば、なんとかなるかなって」

「そうですね。今回はサーヴァントでなく黒化英霊が相手でしょうから、あなた達には良い練習でしょう」

「数が多そうだけどね。ま、お姉ちゃんが送ってくれるから魔力切れの心配はないけど」

 

 ここで褐色のエルヴァのセイバーも話に入った。

 

「クロ。つまりその連携は私のマスターのためでもある訳ですね?」

「そう。お姉ちゃんのためでもあるし、凜やルヴィアのためでもあるの」

 

 うん? どういう事だろう? 

 

「アーチャーの強みは前衛と後衛の両方をこなせる点なの。例えば私とクロエが後衛を固めれば、セイバー達前衛にアーチャーのお兄ちゃんも加われるし、中衛のお姉ちゃん達のラインまで凜やルヴィアが出られるわ。そうすると宝石魔術が届くでしょう?」

 

 あ。

 

「そこでイリヤ達二人がキャスターで空から睨んでくれれば、美遊も中衛まで行けると思うし、イリヤ達がアーチャーなら、後衛を任せて私とクロエが中衛に出られる。そうすれば凜やルヴィアをサポートできるし、中衛に居るお姉ちゃん達も前衛に回れるでしょう? この場合は逆も行けるしね。そしてイリヤ達がセイバーなら、前衛の層が厚くなり、取れる手段の幅も広がるわ。そうなればセイバーもお兄ちゃんも楽だと思う。これが総力戦の場合。分散した場合も考えれば、カードに前衛と後衛を入れておくのは当然よ」

「クロ。もしかしてカードの配分はあなたが考えたのですか?」

「私とクロエで。制作の時間が足りないから考えておけって、前々からお姉ちゃんに言われてたんだ」

 

 これは驚いた。

 このクロという子は白いエルヴァの弟子でもあると聞いていたが、発想が小学生のそれじゃ無い。勿論、エルヴァや残ったイリヤさんの助言もあったとは思うけど、これはかなり練習や鍛錬をしている気がする。

 たぶんアーチャーやセイバーにも稽古を付けて貰っているのだろう。だからこんな考え方ができるんだ。

 そしてこの子に感化されて来たのだろう。双子のイリヤも、どこかこちらのイリヤより落ち着いて見える。とは言え、クロエやイリヤも出会った頃とは明らかに違う。

 クロとイリヤの影響だろう、成長が著しい。特にスイスから帰ってからは目に見えて変わったと思う。やはり同い年のエルヴァに逢ったのは大きいのね。

 

 そしてそんな頼もしい子達が、ギリシアの大英雄と戯れている。美遊の言う通り、そこだけ神話だ。

 負けていられない。高校生の私がクヨクヨしていたらこの子達に失礼だ。私は気合を入れ直して、自分の頬を叩いたのだった。

 師匠がそんな私を見て微笑んでいた。

 

 ルヴィア達がお風呂から上がると食事が始まった。

 鍋料理だった。凍えてここに来てお風呂に入ったは良いが、そのお風呂で心底凍える話を師匠から聞かされた。だから正直、温かい食事はありがたい。けれど、このご飯って朝昼晩のどれだろう……? 

 夜中に出発して、到着も夜中だったと思うのだけれど、気絶していた私は時間の感覚が狂っていたのだった。

 

「師匠、今、何時だろう?」

「夕方の5時ですよ。夕飯にしては早いですが、昨夜から皆さん何も食べていませんしね」

 

 師匠の言葉に驚いた。

 

「私、そんなに気絶していたの?」

「初めて並行世界を渡れば、そんなものですから」

 

 つまり午前中だと思ったのは勘違いで、目覚めた時は既に午後だったのだ。そんなに長時間。よく凍え死ななかったものだ。

 

「先輩がテントを張って下さって。最初はそこで毛布にくるまって眠っていたんですよ」

 

 どうやら私は、そろそろ起こして移動しようと、片付け掛かった頃に目が醒めたらしい。テントに気付かなかったのは、先に仕舞ったからだろう。しかしテントまで取り込めるって……。なんとも便利な宝具だ。

 座卓と簡易テーブルを二つくっつけた食卓に全員が座り、食事とともに現況確認がなされた。いつの間にかギルと呼ばれる少年も戻っていた。

 

「あの子、どこに行ってたの?」

「彼なりの確認作業があったのでしょう」

 

 白いエルヴァは気にも留めていなかった。けれど食事の頭数には入っている。敵でも味方でもなく遊軍という感じなのだろうか? そんな彼が一口食べて驚いていた。

 

「これ、お兄さん達が?」

「ああ、口に合えば良いけど」

「いや、美味しいですよ」

「当然だろう。その男の料理をして、ある王はこう言ったぞ?」

「はい?」

「『その腕が我が財に入らぬのは実に残念である』とな」

「どこかの大人版の僕ですね。けれど、半分はあなたも?」

「下拵え程度を手伝ったに過ぎんよ」

 

 そこから少年は無駄口を叩かず黙々と食べていた。かなり満足しているのか、ニコニコしている。お鍋よ? 確かに美味しいとは私も思うけど、そこまで差があるのかしら? 

 もしかしたら、私が気付かない繊細な味の差があるのかも知れない。

 それはそうと白いエルヴァは鍋からエリンギを取って、「裂かれたら痛そう」と言っていた。何で私を見て言うんだ? 

 

「豚肉と鶏肉、それと季節がワケワカメな野菜にカワハギ? 何ですかこれ?」

「気候が変わり、海流も変わったんだろうな。ちゃんこや寄せ鍋がダメでも、この組み合わせはイケるだろう? どうだ?」

「お見事です。雑味を感じません。鶏肉の処理と豚の脂の処理、それとカワハギの鮮度に肝の処理ですか?」

「それと昆布の使い方にそれぞれの量だ。ま、カワハギは淡白なのでケンカし辛いし、鶏も団子にしないで豚と同じく脂を取っちまうと案外淡白だ。ここに貝類を入れるなら、豚か鶏のどちらかを抜いて、味噌仕立てにした方が良いな。豚も鶏も抜くなら貝は一種のままで、鱈を増やしても良いだろう」

 

 二人のエルヴァのみならず、少年も頷いている。雑味か。それと具材がケンカしない組み合わせ……。

 

「鱈ならネギ鱈ソーセージで!」

 

 突然白いエルヴァが叫んだ。何だそれ? 

 

「青ネギでなく白ネギを用意して、適度な長さにしてから湯がくんだ。それを冷まして皮を破らないように筒のままで剥くんだな。そこに鱈のすり身を入れて両端をタコ糸で縛って鍋の具にするんだ。中身をひき肉にして、ソーセージみたいに焼いてもイケるぞ」

「あれは色々アレンジが効くので試してみるが良い。酒の肴にもなるしな」

 

 へぇ~、アーチャーの言う通りね。シチューやスープの具にしても美味しそう。ルヴィア達も同じ事を話していた。

 

「ああ、熱燗が欲しいですね」

「この鍋なら龍力の特別純米酒や、大七の純米生もと(きもと)が合うかな?」

「わかってるなら出して下さいよ」

「お前は高校生だろうが?」

「スイスは16歳以上ですと飲酒はOKで~す」

「ここは日本だ。我慢しろ」

 

 彼女はやっぱりお酒が好きなのね。

 ヨーロッパでは10代でも飲める国が結構ある。ドイツだと14歳から親が監督しているならワインやビールがパブで飲め、16歳以上になるとワインやビール程度なら外で飲める。18歳以上になれば、どこでも購入可能だったはずだ。

 英国も似たようなもので、親が居る家飲みなら5歳から可能だ。スイスは知らないけれど、きっと早いのだろう。飛行機の中でも倫敦でも飲んでたもんね。私も飲んでたけど。

 

「白子が食べたいなぁ」

「あれを喰える西欧人て、お前とイリヤにセイバー以外は記憶にないな」

 

 へぇ。エルって白子が平気なんだ。褐色のエルヴァのセイバーが不思議な顔をした。

 

「シラコとは何ですか?」

「鱈の精巣だよ」

「はぁ? あなたはそんなところまで食べるのですか?」

「私も食べますが、今のそれは私ではありません。シロウの思い出ですよ」

「美味しいのですか?」

「鍋に入れると独特の触感と旨味がありますね。エルやイリヤは生のものをポン酢で食べたりしていますよ。私は生はダメでした。しかしタコは最近食べられるようになりましたね」

「タコを克服したのですか?!」

 

 タコがダメな海外の人は多いけれど、地中海沿岸の人は平気だったりする。昔のブリテンでは食べなかったのだろうか? 

 

「白子も酢牡蠣もチュルンと行けますよ。亜鉛とビタミンDとオメガ3脂肪酸をしっかり摂りませんと。それとやはりタンパク質は魚介類を中心に。酒もタバコも避け、ストレスを溜めない生活も重要です」

「何の話ですか?」

「うん? 性欲を減退させない方法です。健全な精神は健全な肉体に宿り、その肉体を維持するには、充実した生活が必須です。それは性生活も含まれるのですよ、セイバー?」

「これって……?」

「本当の事ですよ。現代の書物に書かれている事実です。また魔力の安定には必要な事です」

「そうです。健全な肉体と精神があってこその健全な魔術回路ですから」

「なるほど」

 

 食事時にヒソヒソと何を話しているのだ、この三人は。話している内容が正しいだけに否定もできない。小学生に聞かれていないのが救いだろうか。

 やがて美味しい食事が終わり、お茶を啜る段で少年がエルヴァに声を掛けた。

 

「視えたかい?」

「ある程度は。目的はともかく、手段の選択肢が極端に狭かったのでしょうか?」

「そう、これはAがダメならB、BがダメならCという流れだけでなく、Aそのものが無かった物語でもあるのさ」

「救済やら存続やら御託を並べられても、終焉は避けられません。統合以外に道は無いのに。悪足掻きの世界ですか」

「それをスパッと言えるお姉さんが凄いよ」

 

 何を一体……。

 

「美遊ちゃん。こういう世界を私は数回見ています。5年生には難しいかも知れませんが、気候がここまで変化する原因には地軸のズレや大掛かりな魔術行使の失敗など幾つか考えられます。ここはたぶん、その魔術的な何かが失敗した世界です」

 

 師匠の言葉に皆んなが息を呑む。

 

「地軸が狂えば……」

「数年以内にほとんどの生命が絶滅しますわね。バクテリアや原生動物くらいしか生き残らないでしょう。なのに新都まで行けば生活必需品や食材が手に入ります。つまり現段階での流通は生きている訳ですわ。という事は、それに携わる人々や、それを買い求める人も居るという事です。そして、こちらの街にある大きなクレーターとマナが枯渇し掛かっているという現状。きっとあのクレーターはここだけではありませんわよ? 立入禁止の表札があるらしいので、ここ最近にできたものなのでしょう。つまり魔術行使には数百年掛かり、破綻が始まったのがここ数年の間だったのだと」

 

 ここであのクレーターは5年ほど前にできたものだろうとアーチャーが補足した。深山町は避難勧告が出ていて、人は居ないそうだ。

 この武家屋敷街の水道やガスに電気が生きているのは、ラッキー以外の何物でも無いだろうとも。

 

「ですが行政の動きが鈍いのか復興作業をしている気配がありません。という事はここだけだなく、あちこちで頻繁に起こっている現象なのでしょう。現にアーチャーさんが買い求めた新聞にも載っていませんわ。となれば考えられるのは、既にありきたりの事象となっている可能性ですわね。そしてそれは地球規模の大魔術が行われた可能性を裏付けます。しかもそれが最後の最後で失敗したのだと」

「その可能性はありますわね。ですが目的は何だったんですの?」

「不明ですわ。一魔術師が自らの家が終わるからと、全人類を天秤に掛けるとは思えません。となるとここは……」

 

 ルヴィア達の話に師匠が入った。

 

「ここは閉塞した剪定対象の世界ですね。滅びが決定してしまった世界です。元々そうだったのか、その魔術のせいなのかは謎ですが。先輩?」

「断定はできませんが、凜の話した通りでしょう。概ね予測通りでした。神話の頃から何かが異なり、異なるのにも関わらず文明が発達し、ここまで残った奇跡というか歪な世界なのだと思われます。そして起きた天変地異。その後の人類の在り方をどうすべきかの判断を下し、絶対に失敗は許されない状態なのに馬鹿みたいにカードを作って。挙句の果てにその判断を下す裁定者を召喚して、その能力を利用していたとは。世界が何たるかを知らぬ魔術師は滅ぶべきですね」

「お姉さんは、それであいつを真っ先に?」

「当然でしょう。超越者は財があるから超越しているのではありません。その存在がどういう立場であり、その世界にどういう意味を保たせ関わるのかを知らねば」

「お姉さんは大人の僕と仲が良さそうだ」

 

 そこでエルヴァが、この家の大きな座卓の上にブリキか何かのおもちゃを2個置いた。

 

「何、これ?」

「アインツベルン特製簡易魂魄保管器です。人格だけを容れたりもできます。味覚以外の四感が機能するところがミソですよ。ここにエルヴァを突っ込んでやろうと思っていましたのに」

「まさか、それで持って来ていた?」

「あなたを容れるは冗談ですが、こんなところで役に立つとは」

「読めたよ、悪趣味だなぁ。あの二人の?」

「そうです。金髪はこのロボットみたいなのに、赤髪はこちらの甲冑みたいなのに容れました。ほら、話せ」

 

 すると、おもちゃが話しだした。

 

『テメェ、覚えてろ! よくもこんな!』

「記憶も思い出も持って行かれて消えて行くだけのおもちゃなのですから、どうでも良いでしょう? そもそもお前が私を忘れるというのに。3、2、1……はい!」

『た、救けてくれてありがとうございます……………………………………………………って! 違うだろ!?』

「蚊や蝿を潰して一々記憶する人なんて居ませんよ? それともお前は、今まで食べたパンの数を数えるタイプ?」

『テ、テメェ! ギャ──ーッ!』

 

 エルヴァは人形の目を爪楊枝で突いた。

 

「こいつ等は確かに元は人ですが、数年前に死んでいたのです。人格置換と固定の触媒に元の魂が使われ、とっくに霧散していたようですね。そして……クロちゃん、おチビちゃん、その人格だけをあのボディに容れられて、この二人は操られていたのですよ」

「操られていたの? あのハンマーを持った子も?」

「そうです。それがこの鎧ですが。以前私の考察を話したでしょう? バーサーカーの二重召喚。トールの上にマグニだと」

「そうだった」

『テメェ、何でそれがわかるんだ!?』

「雷を発するトンカチはどこを調べてもミョルニルでしょうに。それに腕だけ大きくなる打ち出の小槌とは思えません」

「そう言われると、ハンマーを持った英雄って余り聞かないわよね?」

「ええ。武器としては結構使われますし、中国武術にもあります。珊璞という女性が達人として伝わっていますが、日本の新宿には100tものハンマーを振り回す女も居るそうです。私の絞りハンマーを使っての板金ハンマー格闘術も引けを取らない自負がありますが、100tはちょっと無理ですね。そもそもが4千年とラグナロクはどちらが古いのか。仮にも私は『ラインの黄金』を持つ女ですよ。『神々の黄昏』に先んじるのですから」

 

 何を言ってるのかわからない。

 

「それすら理解できないとは、ソリッドに腐ってますね」

『こ、こいつ! このクソがぁ!』

「汚い言葉しか吐けない、低俗で下劣で破廉恥なまでに堕落しきった、汚臭を撒き散らす腐敗した脳味噌。死んで当然の終わった魂だったのですね。元の顔も気持ち悪い顔でした。えづきそう」

『テ、テ……テメェ……』

「煩い、キモい。それと安心しなさい。お前は当家の末代までおもちゃです。永遠に蔑まされろ」

 

 そしてエルヴァは口汚い鎧の人形を、カタチが変わるくらいトンカチでガンガン叩いた。ガンガンガンガンと執拗なまでに。

 どんだけ嫌いなんだよ。とうとう人形は、卓の上でぺったんこになってしまった。そして仕上げにガンドを放った。どういうガンドなのか、潰されても伸ばされても悪態を吐いていたおもちゃがパタリと沈黙した。

 

「私の暗示が直ぐ解けるという事は、こいつはもう生物ではありません」

 

 生物でない……何か嫌な言い方だと思った。もう一つのおもちゃは、一連の出来事を見ても何一つ話さない。

 

「こっちは話せないのかしら?」

「置換魔術は、術者が下手糞ですと対価が足らず何かを持って行かれるのです。こいつは感情の9割方が消えているようですね」

 

 するとロボットが話し出した。

 

「ジュリアンを……弟を救って下さい……」

 

 弟? 誰? 

 

「ジュリーだか狐狸庵だか知りませんが、そいつと私に何の関係が?」

 

 バッサリだった。それきりロボットは沈黙した。

 あの侵入してきた相手をヘラクレスがいきなり斃したのは何故かと師匠に聞けば、あの二人がかなり危ないカードを使っていた事をエルヴァが見破っていたからだと言う。

 それが雷神トールと息子のマグニの二重召喚であり、英雄王ギルガメッシュだったのだと。

 そうか、そういう事か。となるとこの少年はギルガメッシュ……。だからギル君なのか。きっと私の両親とは関係ない分霊なのだろう。けれど私は複雑な気持ちだった。

 また、エルヴァは最初から相手を人では無いと言い切っていたと師匠が続けた。だから迷いなく斃したのだそうだ。

 既に死んだ者の人格を使っていたとは。嫌な魔術だ。

 

「ネクロマンサー?」

「いえ、魂や遺体ではありませんので。これも置換魔術ですよ。昨今では馬鹿にされがちなマイナー魔術ですが、昔は便利な使える魔術だったのです」

「あ、人格だけって……。置換魔術ってこういうのだったんだ?」

「そうです。必ず元より劣化し等価とならないその特性から、今では初歩の初歩として時計塔でも全体基礎科でサワリ程度しか教えていません。ですが、これがカードのような人工的触媒でも宝石並の魔力を使えるなら、かなり応用性の高い魔術なのですね。裏返せば魔力の効率が悪いだけで、魔力さえ確保すれば等価に近づける事も可能な訳です。その効率の悪さが、この世界の有様に現れている気がしないでもありません。例えば英霊の座に繋がるカード1枚を造るたびに、クレーターが一つ増えるとか」

 

 そうか。廃れるには理由がある。それが等価とならない効率の悪さ。

 そもそも人格の定着に、元の魂を触媒にしたとエルヴァは話していた。きっと、魂の固定ができないが故の代替魔術なのだ。

 この置換魔術は、時計塔では投影魔術と並ぶダメダメな魔術とされている。けれど、師匠やエルヴァみたいな無限に魔力を得る方法があるのなら、十分使える魔術になるのだろう。

 結局、魔術師はいかに魔力を確保するかに懸かっているのだ。そこをすっ飛ばして、術だけを追いかければこういう世界になるのかも知れない。白いエルヴァが耳元で囁いてきた。

 

「それと、凛?」

「何?」

「精神交換より精神置換の方が安上がりで手っ取り早いのです。劣化も足の小指を動かなくするとか、大きな問題にならない一部に押し付ける方法もあります」

「他人と意識を入れ替える……置換するって事? 何のメリットが?」

「男女入れ替えて遊べるでしょう?」

「な!?」

「以前、とある実験に参加していた時、相手の女の子と置換しましてね。女の子の快楽をあれで知りましたよ。それで一族内の好き者の女の子と置換して、一度に10人と遊んだ事もありました」

 

 なんてことを!? 

 

「桜ちゃんと置換して蟲蔵に入った事もあります。虚数の魔術をしっかり習得して。蟲風呂も慣れればこそばいだけでしたね。私は痛みを遮断する魔術が使えますし、私自身が蟲使いなので昆虫にも慣れていますので。それで臓硯を滅ぼす対価は凛との置換でした。あなた、もっと属性を組み合わせて使いなさいな」

 

 ああ! こいつ……最初から私を知り尽くしていたんだ!? 魔術も何もかも……。いやいやいや……。属性の変化なんてその体験で思いついたんじゃ? どこかの凛、あなた……やってくれたわね?! 相手は魔性の天才なのに! 

 

「当然、心臓に巣食う本体を先に私の空間に取り込んで除いた後ですよ?」

 

 心臓に本体……お風呂で師匠から聞いた臓硯の本体だ。何となく読めてきた。これもケース・バイ・ケースなのだと思うが、その世界では心臓だけでなくサブもあったから臓硯は死ななかった。そしてそこの私と桜のリクエストは臓硯の完全な滅殺。それに応えたんだ。相手は知能ある蟲であって人間では無い。だからか……。

 

「あのさ、私の桜の心臓は……?」

「錬金術で血液に変成されたのでしょう。心臓の内壁に張り付いていた痕跡はありましたが消えていました。子供ですし成虫でなく幼虫だったのだと思います。つまり本体になる前の状態だったのだと」

 

 今も残っていたら、復活した臓硯に乗っ取られていた可能性もあるんだ……。小母様……ありがとう……。

 

「となると先輩、美遊ちゃんを欲した最大の理由は?」

 

 師匠の質問でエルヴァが私から離れた。救かった……。コイツの囁きは悪魔だ。

 

「そこです。今後出会う敵は必ず人類救済、世界の再生などを訴えて来るでしょう。ですが、それは間違いなく嘘です。大本に居る魔術師が魔力を欲しているだけの偽りでしょうね。おそらく海外、いや、この冬木の街でも良いですが、もっと調査すればこの世界を緩やかに終わらせるための準守護者が要所要所に居るはずです。美遊ちゃん、あなたの兄もその役割を世界に振られた存在だった可能性が高いと私は思います。残酷ですが、あなたとお兄さんを救けたら、私はそれ以上手を出しません。ここは終わった世界です」

 

 終わった世界……。何故? どうして? ここで住まう人に明日を願う事は許されないの? 子供達の純粋な瞳がそう訴えていた。美遊の手を握っていた紅い瞳の少女がエルヴァに問いを投げ掛けた。

 

「お姉ちゃん、皆んなを救けられないの?」

「救世主は本来その世界からしか生まれて来ないものなのです。そしてここまでの異常があれば、誰かが既に動いているはずですよ。なのに放ったアサシンも使い魔も、そのような人物を捉えていません。聖書でもギリシア神話でも何でも良いですが、それを紐解けばここの人類史には生き抜くための何かが決定的に欠けている事が記されていると思いますよ」

「どういう事?」

「こんな街のど真ん中にクレーターなぞ出来た日は、人はもっとパニックになります。今が収束して落ち着いた状態だとしても、何年も放っぽりだされて誰もビラやデモで行政を訴えないなんてあり得ません。民家が建ち並ぶ地域にクレーターができたのですよ? 住んでいた人の災害保険がどういう契約をされていたのかは知りませんが、こんな状態で放っとかれるなんてあり得ません。幾ら行儀の良い日本人でもこれは異常です。ここまで来れば地方行政だけでなく政府が動きます。世界的にも大ニュースのはずです。でしょう? 私も凜と同じく、こういう世界を何度か見ています。早急に滅びを促し、他の世界に統合させてあげる事が慈悲だと私は思いますね」

「統合って……?」

「ここで生きた人々の経験や思いが、並行世界に生きる同位体と融合する事象を指して統合と言います。デジャヴュや予知夢はこの現象の名残りだと言われていますね。要はここに生きる人々は滅んでも思いや願いに痛みは分散され、ここと近い並行世界に残るのです。失敗しないように、教訓として記憶の底に残る訳です。それが『世界』ですよ」

「けれど!」

「わかりますよ、その気持ちは。ですがそれをどうやって糺すのですか? 誰に訴えても誰もそんな方法は知りもしないし、できないのです。何故なら私達もこの『世界』の中で生まれ育った、『世界』の一部だからです。ここまでの事を知り、それでも私は美遊ちゃんとお兄さんだけは救けると話しました。本来ならどちらも救からないのに。あなた達が出逢えた事が既に魔法と同じ特級の奇跡なのですよ? もしマナがもっと豊富な、ホシが元気な段階なら、聖杯であるあなた達五人に私や凜が魔力を送れば世界の再生は可能だったかも知れません。けれど、そんな方法でも半数の三人は人身御供で帰れなくなる可能性があります。そしてそういう犠牲を買って出そうなのが、クロちゃんにクロエちゃんに、エルヴァ、あなたでしょう?」

 

 こいつはよく見てる。正に今名指しで呼ばれた3人がビクッとしたから。それに私は褐色のエルヴァとわかれたくない。これはルヴィアも同じだと思う。

 

「そんな犠牲を払ってまで救わねばならないなんて私は思いません。明日からクロちゃんやクロエちゃんが居なくなった世界なんて想像できますか? 正直に話します。私だって姉さんが救かるなら、自分の生命を差し出すかも知れません。あなた達もそうでしょう? そんな事をさせたくありません」

 

 小さなイリヤが泣いている。美遊と抱き合って泣いている。クロとイリヤにクロエも唇を噛んでいる。ちびアサシンまでが哀しそうな顔をしていた。

 でも、エルヴァの言う通りだ。犠牲を払ってまでしなければならない事では無い。しょせん他人の世界なのだ。ブリキのおもちゃも、ルヴィア達も押し黙っている。何か言いたいが誰もが何も言えない。

 褐色のエルヴァはエルヴァを睨むようにして見詰めていた。名指しが気になったのではない。白いエルヴァも同じなんだ。そして彼女はかなりの対価を支払って、美遊と彼女の兄を救うのだろう。それがわかるだけに……。

 

 

 翌朝、エルヴァ達の日課であるランニングに、私と師匠にルヴィア達も着いて行った。

 公園に近い曲がり角で白いエルヴァが人とぶつかり、見事にすっ転んだ。

 

「もう~、いきなり飛び出ないで欲しいです。コケちゃいましたよ」

「イテテ……失礼しました。お怪我はありませんか?」

「怪我はないですが、お腹が切ないです」

 

 それはこの寒空の中で半袖体操服にブルマという健康優良児的な、中学生くらいの女の子だった。

 

「あ……。それは良かったです。ではさようなら」

 

 随分と薄情なエルヴァ。

 

「情報を持っていないか、何か聞かないと」

「目を合わせてはダメです。ああいう人とは関わらない方が身のためです」

 

 話を聞こうとする私を褐色のエルヴァが引き留め、そんな事を言った。

 そこを勇気ある金髪ドリルが。

 

「この街はどうなっていますの? 何かご存知ありませんこと?」

「さぁ、わからないです。と言うか、私は誰ですか? ここはどこですか?」

「はぁ?」

 

 あ。それで関わるなと……。

 

「きっとどこかの専門病棟から抜け出したのでしょう。あの体操服も盗品の可能性がありますね」

「やはりお気の毒な人でしたか?」

「どうやら。あなたの名前は?」

 

 なに気に酷い白いエルヴァと褐色のエルヴァ。それに対して相手は。

 

「名前? さぁ?」

 

 完全に記憶障害らしい。

 

「言語は理解し会話が可能……。知的障害では無い……単なる記憶喪失?」

「ですかね。警察に預けるか、このまま棄てるか」

「先輩、風邪でも引かれては。取り敢えず家まで連れ帰りましょうよ」

「そうですねぇ。それで良いですか、中田氏?」

「中田?」

「ほら、胸のゼッケン」

「あ、中田です。あってます!」

 

 合ってねぇよ! 田中だろう! そりゃ上から見れば中田とも読めるけど! 

 けど、この子はエルヴァのからかいをすんなり受け入れた。そして中田と呼べば返事をするようになってしまった。どうして? 

 

「知能指数が低そうです。凜、このいう人は面倒ですよ?」

「先輩って時々残酷ですね。せめて食事と服くらいは。その後に警察に届けましょう」

 

 師匠は優しい。けど、めんどくさそうと言う意見に私は賛成だ。声には出さないけど。

 

 

 家に戻ると事件が起きていた。美遊がイリヤと二人で飛び出し、兄を探しに行ったらしい。それをクロエが追い掛けているとも。

 

「黙っていた……でなく、あなた達も出し抜かれた?」

「うん、やられた。エルヴァと出逢った事で、あの子、前以上に美遊への共感が強くなったみたい」

 

 嘘だろう。美遊が逸ったのは事実。イリヤが共感したのも事実だと思う。けれど出て行こうとするのは、一応止めたはずだ。でも止まらなかった。

 それに、残ったクロにしてもイリヤにしても、美遊の気持ちが痛いほどわかるのだろう。だから手心を加えた。敢えて見逃したんだ。それが理解できるから、エルヴァは助け舟を出すような話し方をしているんだ。

 やはりこの子達もエルヴァ達も同族への共感度が高いと思う。それがホムンクルスの血なのかどうかはわからないけど。

 

「良い分析ですよ、クロちゃん。イリヤちゃんも姉の自覚が出たのでしょう。街に出ているアサシンには念話で知らせました。お兄ちゃんからの念話ですと、ランスロットさんと一緒に既に向かっているようです」

「それならエルは拠点を護って下さい。私もセイバーと追い掛けて様子を見ます」

 

 姉として責任を感じたのか、褐色のエルヴァが自らのセイバーと走った。そこにちびアサシンが着いて行った。

 

「良いの? あのアサシンは?」

「あの子は大丈夫ですよ。最弱でも必ず生き延びて帰ってきます。むしろラックが少し高いので、安心ですね」

 

 そうなんだ? 幸運値が高いのか。薄幸そうな子なのに。

 そして白いエルヴァとクロとイリヤに、ルヴィア達と私と師匠、それにセイバーが残ったのだった。ヘラクレスとシロウさんに少年の姿が見えないが、男性二人は買い出しで隣の市まで出掛けたのだとか。少年は謎だ。

 冬木の別の街に買い出しに行く予定だった、アーチャーとランスロットさんは出発が遅かった。なので駆けて行くクロエを途中で発見できたのだという。もしかしたら少年も同行したのかも知れない。どちらに着いて行ったのかは謎だけど。

 とにかくあの少年は得体が知れない。正体はわかったが、目的が見えない。そして得体が知れない奴がまた一人増えた。中田さんだが、どうするんだろう? 

 

「嫌です! 中田は体操服と決まっています! それはイリヤさんとこのホシに誓ったのです!」

 

 暫定中田さんが、別室で着替えさせていた師匠から逃げて来た。あの寒そうな体操服でなければ嫌らしい。どういうファッションセンスだろうか? 

 

「誓ったって、私と?」

「いいえ、あなたじゃありません。もう一人のイリヤさんとです」

「え~? いつの間に?」

 

 いつの間にも何も会ってないでしょうに。追い駆けて来た師匠が肩で息をしている。かなり走り回ったようだ。

 エルヴァが少し首を捻った後、こう言った。

 

「中田氏、あなたは何をしたい人ですか?」

 

 エルヴァは田を濁点付きで発音した。嫌な奴だ。そもそもこいつは最初から氏を付けていた。狙ってたんだ。

 

「中田はエインズワースを滅ぼします!」

 

 え? どういう事だ? 

 

「クロちゃん。この子、間違いなく抑止ですよ。発動条件は準守護者が二人以上揃った場合なのだと」

「つまり……あっちのイリヤと美遊のお兄ちゃん?」

「そうです。あなた達も私の下に跳ばされなければ、ここと似た並行世界に来て、この子みたいなヒトと出逢っていたのでしょう。そしておチビちゃんの決断にあなたは振り回されて、例の人形二人やその他の奴らにボコられ……」

「あ~……。お姉ちゃんみたいな直感が欲しいよ。真っ先に倒すんだもん」

「幸運値が高いのです。とは言え、私も今回はあのイリヤちゃんの意見を尊重しましょう」

「やっぱりお姉ちゃんも迷ってたんだね?」

「合理的思考と感情は別物です。この手の事は正しくとも正解とは言えない場合もありますよ。会社の事なら迷いませんけどね」

「だね」

 

 抑止! この星が遣わした!? どこかの施設から抜け出した、お気の毒な子じゃなかったの!? 

 

「何を根拠に?」

「曲がり角で、この私に気付かれずにブツかった時点で怪しいです」

 

 エルヴァは普段からそういう探査式防壁魔術を、半径数メートルの範囲で結界のように張っているのだそうだ。これは寝ている間もそうらしい。彼女の許可がない限り近づけないのだとか。

 だから彼女を傷付けるなど、実質不可能なのだと師匠が言う。なるほど。魔力持ちは贅沢だな。

 

「それを掻い潜って。むしろ私の防壁範囲内にいきなり出現したとも言えます。つまりあの瞬間にこの子は出現したのですよ。戦力に加えろと大いなる意志が働いたのでしょう。ホシがやる事は昆虫より謎ですね?」

 

 知らないけどさ。となると、それまでは存在しなかったって事? 

 

「そこは不明ですが、エインズワースを滅ぼせとだけ命令されて、それ以外は何も記憶に無い。なのに日常会話が日本語で成り立つ知性はある。きっとどこかの、もう亡くなった誰かのマトリクスを利用して、あの瞬間に創られた存在なのでしょう」

 

 凄い奇跡なんだけど? 

 

「ですから補助なのですよ。美遊ちゃんのお兄さんとイリヤちゃんが準とは言え人間代表で、この子はホシの代表な訳です。つまり協力しろって事ですよ。相手はそれだけホシに仇なす者で、だからこそホシの味方であるお兄さんが捕まったとも言えるのではないでしょうか?」

「お姉ちゃんは大丈夫だよね?」

「私はあれですよ。仏に逢えば仏を殺し、親に逢えば親をも殺す。五百両の方が大事だと思う人間なので。問題ナッシングです」

 

 何だよ、それ? 結局金か? 金なのか? 

 

「最低だ」

「最低ですよ。けれどそれが人類、ひいては全世界のためとなれば、私も姉さんもお互いを殺す事に迷いは無いでしょう。勿論、その前に足掻いて足掻いて、他の手を探します。ですが、探しても見付からない場合もありますよね? だから、普通はそんな無様な結果になって、足掻かないように布石を打つものなのです。嫌な未来を手繰り寄せないために。誰だって親や姉妹を殺したくは無いのですから。なのに、そういった工夫が成された痕跡が無い時点でここは可怪しい訳ですよ。昨日も話していたのはこの点です」

 

 そして白いエルヴァは私の目を見詰めて、ポソリとこう言った。

 

「師匠の凜が迷うならあなたが動きなさい。私もエルヴァが迷うなら動きます」

 

 意味はわからなかったが、私はなんとも言えない気持ちで頷いたのだった。

 

 

 朝食を食べ終えた頃、アサシンの誰かが報告に来た。

 

「どうでしたか? 察知されて捕まったりは?」

「ありません。皆様ご無事です。まずは目的地のクレーターでセイバー殿が宝具を開放。エクスカリバーで結界を破壊し、強行突入です。その後我らが先行し、地下水路にあった独房を発見。アーチャー殿が固有結界を展開し外敵を排除、そこで囚われていた美遊殿の兄上を救出しました。ただ今、ランスロット殿が殿を務めつつ退却中です。先に知らせよとのエルヴァ様のご命令で走った次第です。それと……。あの者のご面倒を……相済みませぬ」

 

 連れ戻すのでなく、突入したんだ? 

 しかも成功しているし。そして最後のは、ちびアサシンの事ね。

 エルヴァはアサシンの肩に手を置いてねぎらっていた。そして報告を終えたアサシンはスッと消えた。霊体化して戻ったのだろう。

 

「良し! 凜、ルヴィア、手伝って下さい! 食事の用意です! 後、お風呂の用意も!」

「はい!」

「はい!」

 

 私とルヴィアも配膳を手伝った。用意ができたところで皆んなが戻って来た。一行を玄関で迎える。

 セイバーが担いで来たお兄さんは意識を失っていた。その顔を見れば本当に衛宮君だった。ただ、皮膚の色がところどころ斑になっている。それは私達の知るエルヴァやクロやクロエ、そしてアーチャーと同じ褐色だった。

 別室で寝かせ、看病に師匠と美遊にイリヤが付いた。担いで来たセイバーと交代して、もう一人のセイバーが部屋の警護に当たる。後でおかゆを持って行くので、戻った皆んなは食事を済ませてくれと白いエルヴァが言った。

 お茶を入れながら私は、ちびアサシンと一緒に食事を摂っている褐色のエルヴァに聞いた。何があったのかと。

 

「転身して飛び出した美遊ちゃんを、おチビちゃんも転身して追ってくれたのですね。そして地上をクロエちゃんが走ってくれて。それが目印になってお兄ちゃんとランスロットさんが追いついたそうです。どうしても折れない美遊ちゃんに、お兄ちゃんが提案して、我々が居るのだから、いっそ奪還に乗り込もうと決まった矢先に私達も追いついた訳です。そこでもう美遊ちゃんの意志は覆せないとわかったので、結界に穴を開けセイバーに宝具を開放して貰い、敵の城を直撃させました。結界と外壁を吹き飛ばし、アサシンが突入し地下の独房を発見。お兄ちゃんが固有結界を発動し、独房を取り込みつつ防御。わらわらと現れる黒化英霊をセイバーとランスロットさん、そして私とクロエちゃんで撃破。ですから感動のシーンはおチビちゃとお兄ちゃん以外見ていません」

「そこを報告してくれませんと」

 

 その気持ちはわかる。

 

「それでこの子は何をしていたの?」

 

 ちびアサシンの事だ。

 

「この子が最前線で隠形して、黒化英霊がどこから何人来ると知らせてくれていたのです」

 

 なるほど斥候か。言葉が話せずとも数くらいなら方法はある。

 

「それにこの子の念話は私にも聞こえます。意外でした」

「それは元が同じだから?」

「と、思いますが、受肉してパスがリセットされているのに。セイバーとも繋ぎ直したのですよ?」

 

 セイバーとも繋ぎ直した……。言われてみればそうなるわね。不思議な事もあるものだ。

 

「エルヴァ。この子の本能は私だけでなく、あなたの事も主人と認めているのでしょう。きっとアサシンの大勢はあなたを惜しんで居るのだと」

 

 白いエルヴァの言葉だ。

 

「ああ……。ありがたい事です」

 

 なるほど。って事は、この子はアサシンの総体意思が具現化した存在? 何故かそう思えた。

 

「ねぇ、私、美遊とイリヤの食事を運ぶけど?」

「それはクロちゃんとおチビちゃんに任せます。クロエちゃんもあちらで頂きますか?」

「うん、そうしてくれると嬉しい」

「ならそうしますけれど、あなた達は食欲旺盛ですね。あのお兄さんの部屋でねぇ……」

 

 そしてエルヴァは給仕に戻った。食欲旺盛が意味不明だけど、あまり心配はしていないみたいだ。それだけ褐色のエルヴァやセイバーにアーチャー達を信頼しているのだろう。

 戦いでお腹が空いたのか、セイバーとランスロットさんの食べっぷりが凄い。対照的にゆっくりと噛み締めて食事を進めている褐色のエルヴァとちびアサシン。彼女の横に、一仕事終えエプロンを外した白いエルヴァが座った。

 

「黒化英霊の数は?」

「ざっと500体以上でした。セイバーが200、ランスロットさんが250、私とクロエちゃんで50といったところですね」

「まぁ、そんなところでしょう。お疲れ様です」

 

 軽く言う。英霊なら200とか当たり前なのかも知れないけど、50もどうやって? 

 

「自らの意志がない相手なぞ、どうとでもなりますよ。辛くなるのは100を超えた辺りからでしょう。それに50という数字は、クロエちゃんにお手本を見せていたからだろうと」

 

 余裕あるなぁ。そんなエルヴァとカード奪取を争っていたなんて……負けて当然だったわね。

 

「そうは言っても、彼女が前に出てクロエちゃんが後方から弓で援護でしょう。彼女は私と同じで双剣である必要はありません。武器なんて何でも投影して、その都度替えれば良いだけです。やりようは幾らでもあるでしょう」

 

 そんなものなんだ? 

 

「誰かと会いましたか?」

「いえ。ですが魔術的な視線は感じました。出て来ようとして諦めたようですね」

「本物の英霊に攻め込まれたなら、狂信者でも一時的には考え直すでしょう」

「ええ、二の足を踏んだのだと」

「では、今夜襲撃して終わらせましょう」

 

 これだ。白い方のエルヴァは本当に計算と決断が早い。しかも無謀な賭けでなく、深く考慮した結果だ。最低限の情報から、必要な最適解とそれに応じたプランをサッと導き出すのだ。

 そしてフットワークがやたら軽い。思い付いたら即行動。倫敦でも驚かされた事だ。

 

「その前に……」

 

 食事を終えて、湯呑を持った褐色のエルヴァだった。

 

「城の上空。つまりクレーター中心部の真上に、巨大な漆黒の四角錐が浮かんでいました」

「やはり近づかないとあなたには見えませんでしたか?」

「ええ。エル、あなたはここに来た時から見えていたのですか?」

「はい、私の眼にはしっかりと。空間置換程度なら見破れます。そしてあれこそがピトスなのでしょう」

 

 四角錐って何だ? 

 

「ピトス?」

「エルヴァが学園に乗って行く自転車です」

「あれはピストです!」

「競輪用だけがピストだとは言いませんけれど、お兄ちゃんの影響で魂が削られたりしていませんよね?」

「磨かれ過ぎて摩滅すると言いたいのですか? 大丈夫です。ブレーキ付きですよ?」

「それは先日見ました。本当に大丈夫?」

「本当です」

 

 そのまま二人は禅問答みたいな会話を続けていた。何で自転車で魂が摩滅するの? 

 白いエルヴァは褐色のエルヴァに、何か思うところがあるようだ。とは言え二人の会話は抽象的過ぎた。聞いていても意味不明なので、私はルヴィア達の会話に耳を傾けた。

 

「一体、どういう事ですの?」

「ここはアインツベルンが存在しない世界ですわ。『世界』がこの世界線を残すために代役を立てた。それがエインズワースなのだと思われます。私どもの世界では、アインツベルンもエインズワースも数千年前から続いた家ですのよ。ただ、エインズワースは数百年前に滅びましたけれど。人類史の神秘に長年関わって来たアインツベルン。それがここではエインズワースなのでしょう」

「代役……」

「数千年も……それがエルヴァの家」

 

 情報が足りない。世界が代役を立てた。これはわからなくも無い。きっと他の並行世界と整合性を取ろうとするのだろう。

 けれど……ピトスって何だろう? 自転車でない事はわかるけれど。

 

「凛、あなたにどうしても叶えたい願いがあったとしましょう。それが願望器を使えば叶う可能性があると文献か何かで知った場合、あなたならどうされますか?」

 

 師匠のルヴィアからの質問だった。

 

「それしか方法が無いなら願望器を探すわね。そして必ず手に入れる」

 

 そう。桜を苦しめずに記憶を取り戻せるなら私は……。

 

「ええ。そうなると、まずは自分の知る方法内で願望器を探しますでしょう?」

 

 当たり前の事だ。知らない方法で探しようは無いだろう。そういう方法があるのだと後で知ったとしても、まずは知っている方法で試すのが普通だ。

 

「そうね。パッとは思い浮かばないけど」

「そしてここはアインツベルンが存在しない世界ですわ。となると同じ冬木でも聖杯は無い訳です」

「あ、そうか。聖杯戦争そのものが起きないのか?」

「そこでカードに拠る英霊の能力召喚ですわ。聖杯を宝具として持つ英霊の能力を召喚すれば?」

「あ!」

 

 そうだ。可能性はある。何より手っ取り早いし、カードという実績もある。となると美遊はどういう? 

 

「予備、或いは本来のものに支障が出ている可能性ですわね」

「なるほど。となると相手が召喚した英霊って誰?」

「ギリシア神話のパンドラでしょう。ピトスとは瓷、または匣の事ですわ」

「ああ! パンドラの箱! そっか、あれがピトスだった……。どこかで聞いた憶えがあったのよ。自転車がどうこうとか言うから、飛んでいたわ。うん? でも?」

「そうですわ。中身は何もかもが入っているとされますわね。それの選別なんて、ヒトには無理でしょう?」

「それで美遊が必要になると……」

 

 選別係が美遊なのか、美遊で代行するプランに替えたのか、そこは謎だけれど。

 

「無駄に多い黒化英霊もトーフスクイを宝具に持つ英霊が居ないか、手当たり次第に喚んでいたのかも」

 

 豆腐掬いって何だよ。意味はわかるけど。このルヴィアは味があるわね。何より日本語が上手い。

 しかし上空にあるらしき何かを見ただけで、それをパンドラの箱と見破るエルヴァ。少ない情報で謎解きをしていくルヴィア。二人とも、こういう事に慣れている。私の方のルヴィアも目を丸くしていた。

 

「とは言え、エル姉様の仰られる、神話の段階から異なる世界というワードが引っ掛かりますわ。どう思われます?」

 

 ルヴィアは褐色のエルヴァに問を投げ掛けた。

 

「そうですね。神話の時代から、パンドラが生き残っていた世界。彼女の死の概念も箱に入っていた。つまり箱が開けられなかった世界ではないかと思います。勘ですけれど」

 

 勘とは言ったが、何故か信憑性が高いと感じた。

 

 

「家主が目覚めたぞ」

 

 そう言い残してアーチャーが玄関から出て行った。

 

「あの人、どこに行ったの?」

「追手が来ていないか、屋根に登って見張っているのでしょう。私のセイバーも出たようですので、交代して食事を摂って欲しいです。洗い物と片付けが儘なりません」

 

 それを聞いていたこちらのセイバーとランスロットさんも、慌てて食事を終えて出て行った。確かに見張りは必要か。そして子供達に支えられて、家主が居間に入って来た。

 

「酸っぱ!」

 

 盛大に顔を顰める白いエルヴァ。鼻を摘むポーズをちびアサシンとともに取っている。

 

「美遊、この人達もお前の友達なのか?」

「うん」

「そうか……皆んな、ありがとう」

 

 エルヴァがお礼を言う衛宮君に向かって言い放った。

 

「挨拶もお礼も後で良いですから、お風呂が沸いてますので入って来て下さい! あなた、めっちゃ臭い!」

 

 どうやら独房に、2~3ヶ月も放り込まれていたようだ。言われてみれば埃のような汗のような、独特の酸っぱい臭いがしていた。それで食欲云々と。

 

「トイレも紙もない独房だったのでしょう? お尻もちゃんと洗って下さいね」

 

 なんつう事を言うんだ。衛宮君は顔を赤くしてお風呂に向かった。

 

「あれは、2~3回洗わないと泡立たないでしょうね」

「その割には髪が伸びたり、脂でベタッとしていませんでしたね?」

「あなたと同じで半英霊化しているのです。斑になった皮膚は彼の本能が精一杯、英霊化する事に抵抗しているからですよ」

「なるほど。侵食され掛かっていると?」

「ええ。あなたやクロちゃんにクロエちゃんは、アインツベルンです。元から半分は人でありません」

 

 イリヤ達が嫌な顔をした。それはそうだろう。

 

「自然の触覚な訳です。それに聖杯の娘でもあります。それが功を奏して、英霊の存在を制御下に置けるのですね。ですが、あのお兄さんは普通の人間です。救いがあるのは、彼が美遊ちゃんを護る兄であって、人々を誰彼構わず救いたいと願うバカ人参では無いところです。案外、彼を染めているカードの人も、こっちに来るなと諭しているのかも」

「あり得ますね」

 

 これにクロとクロエが頷いていた。この子達にはそれがわかるのだろう。そして40分ほどしてから衛宮君は戻ったのだった。

 

「では、何があったのか話して下さい」

 

 どこから話したものかと逡巡していた彼だけど、考えを纏めながらゆっくりと言葉を紡いだ。

 ある日起きた突然の災害から、切嗣さんに救けられた。冬木では無かったらしいが、こういうのを運命というのだろうか。それから養子というより助手として、二人であちこちを巡ったそうだ。

 人類の恒久的平和を模索する日々は徒労に終わり、やがて旅は冬木の地に至った。そこで彼らは再び異変に巻き込まれる。黒い闇が街を覆う寸前だった。道路は逃げ惑う人々で大渋滞。なのに遠くを見れば、一部晴れ渡った空が。

 その晴れの中心に居たのは美遊だった。人々の願望を聞き届け、闇の侵食を圧えていたのだ。それは奇跡だった。そこで冬木の神稚児伝説に行き着いた。そんな聖杯とも言える彼女を拾ったのが5年前。

 やがて切嗣さんは衛宮君に後を託して病没。それを契機に兄妹となり美遊との二人暮らしが始まった。料理や家事の事を少しずつ教えてあげた。頭の良い妹は、真面目で熱心だった。少しの助言で物事を理解し、わからなければ衛宮君に尋ねたり本を読んだり、自主的に学ぼうとする子だった。

 それは、何物にも代え難い楽しい日々だった。けれどそれは僅かな期間で終わってしまう。美遊のためにと元の家に向かったところで彼女を攫われてしまったのだ。四方八方探し回る衛宮君。手掛かりは何一つ無い。

 しかし行き倒れたところを、救けてくれた神父から助言を得て相手の居場所が判明。その時に聞かされた聖杯戦争と始まりの御三家の存在。前回の聖杯戦争で、エインズワース以外の二家が滅び、あのクレーターが深山町にできた。きっとその中心に求める相手が居ると神父から聞いた衛宮君は、勇んでクレーターに向かった。

 しかし、強固な魔術に阻まれ再び道は閉ざされる。そんな打ちひしがれた状態の中で、部活の後輩が1枚のカードを彼に託し絶命……。

 そのカードを媒介にし、英霊のチカラを自らの身体に降ろして戦う──新たな聖杯戦争が始まった。そして勝者となった彼は、聖杯である美遊の安寧を、美遊に望んで物語は終わった。

 

「要約し過ぎでは御座いませんの?」

「ウッサいわね!」

 

 そんな事よりも、遠坂や間桐が滅んでいた事に私はショックを受けていた。美遊がボロボロ泣いている。そしてイリヤ達が、美遊の向こうでの生活を衛宮君に話していた。子供達は皆んな泣いていた。そんなイリヤ達に衛宮君がお礼を言う。感動的なシーンだ。

 けれど……私は違う事を考えていた。美遊なら桜の記憶を……。そして、白いエルヴァも違う事を考えていた。

 

「つまり、その聖杯戦争では、敵が全て人形だった訳ですね?」

「そうだ」

「なら、キミが胸を痛める必要は一切ありませんよ」

「人形だからか? けど、魂は……」

「魂でなく、人格のコピーですよ」

「え?」

「人格のコピー。レコーダーに生前の声を入れたようなものです」

「そう……なるのか?」

「そうです。それよりも重要な事を話しますね?」

「何だ?」

「おそらく美遊ちゃんの持つ能力を起動するために必要なファクターは、魔術師の魂七つを焚べる事だったのです。7歳で能力が消えるのでなく、その七という数字にこそ意味があるのだと」

「あ!」

「昔は法力や神通力が使える者七人を集め、人身御供にしていたのでは? 江戸時代以前の地図を調べれば七首村とかありそうです」

 

 なんという発想! そうだ。捧げるべき供物が明確なら、戦争する意味なんて無い。だって聖杯が美遊なら、そこにあるんだもの。秘密にして独占すれば良い。秘密が漏洩するリスクを負ってまで人を集める理由がない。

 だとするなら、儀式として重要なのは、美遊を起動させる事だったんだ。魔術師を寄せ集める事こそが最大の目的だったんだ……。七首村は知らないけれど、それは余りにも大きな対価だ……。

 

「そして供物は間桐桜で揃っていたのです。キミか彼女のどちらかが欲しかった。おそらくキミは、触媒で使った分を補填するための予備だったと思われます。きっと囚えられていた理由はそれもあったのでしょうね」

「うッ……」

「そして元々七つの魂は、君が遭遇した前回の闇で揃える予定だったと思いますよ。きっとツインテの女の子が、くれてやるものかと上手くやったのでしょうね。だから……カードに拠る聖杯戦争ごっこをやり直す必要があったのでしょう」

 

 とうとうごっこと言いやがった。つまり彼女にとってはニセモノの儀式であり茶番なのだろう。御三家の一角、その本家の総裁は本質をちゃんと見透かしていた。

 

「ついでに言えば、間桐桜の兄である間桐慎二には魔術回路がありません。つまり魔術師の血を引いていても、魔術師では無かったのです。カードが使えたのは、魔力をその桜という子が提供させられていたのでしょう。或いは人形に簡易的な魔力炉心を埋めていたか」

「そ、そうだったのか……」

 

 師匠が顰めっ面をした。きっとここの私は死んでも魂や人格をコピーさせずに逃げ切ったのだろう。だから桜だったんだ……。

 

「憎むべきは、エインズワースに取り憑いた亡霊の哀れな妄執です。間桐桜も魔術師の家の者だったのでしょう? 覚悟はあったと思いますよ。ですがそれでも、キミだけは無事で居て欲しかった、なんとか逃れて欲しかった。それが彼女の嘘偽り無い願いだったのです。なら、キミはなんとしても生きなければなりません」

「そうだけど……。俺はあいつらを……」

「許す許さないのレベルを越えていますよね? 私でもそのような悪党は許しません。そして、地軸が狂う程の天変地異。これもあいつらが原因なら滅ぼすべきと私も思います。ですがその前に考えましょう。遠い海岸線、これも矛盾しているでしょう?」

「矛盾?」

「最小限の狂いとしても、今時分に雪が降るなら南半球は暑い訳です。そして冬でも比較的暖かいとされるこの冬木で雪。となれば緯度がかなり高くなったのだと推測できます。するとですよ? 南極の氷はどうなります? 北極もそうです。再び極が凍るまで、普通は海面の水位が上がるものです。ですが、海岸線は遠い訳ですよ。どこも水没した形跡がありませんし、新聞にも掲載されていません。大きな津波の予兆? 氷河期に入って全球凍結する一歩手前? 報道各社を押さえた壮大なペテン? それとも本当に地軸が狂う程の魔術を使い、それを隠蔽するためにさらなる大魔術を使った?」

「そんな事を?」

「わかりませんし、知りません。そもそもそんな事はキミの考える事ではありませんよ?」

「どういう事だ? 何が言いたい?」

「良~く聞きなさい。キミが願えば美遊ちゃんと二人、違う並行世界に逃してあげられると私は話しています。相手の行動の過程がどうだとか、計画を阻止したいとか、キミの信じる正義のためにどうだとか、最早そんなレベルを越えていますし、悠長な事をしている時間も残されていません。もし地軸が狂った……自然が元に戻せないほど狂ったのなら、この世界は終わりです。仮に隠蔽の魔術が使われていたとしても、それが切れれば世界中でパニックですよ。何の準備もできずに、このホシは2年以内で終わります。人類どころか、ほとんどの生物が滅亡するのです。生き残るのは原生動物やゴキブリみたいな生命力旺盛な昆虫程度ですよ」

「バ、バカな!」

 

 エルヴァはメモ用紙に地軸が傾いた地球を何種類か描いた。そしてデフォルメされた太陽と。そしてオルドビス紀末のO-S境界、デボン紀末のF-F境界、ペルム紀末のP-T境界、三畳紀末のT-J境界、白亜紀末のK-Pg境界という過去の地球で起こったとされる、五度の大量絶滅をメモに記した。

 

「日本の緯度ですと、僅かこれだけの傾きで四季が明確になります。そして今は夏前。この季節に雪が降るなら、地軸が立って反対に向かいつつあるか、仮想の南極星に向かって地軸が偏芯して行く場合が考えられます。何れにせよ作物に甚大な被害が出て、数年……いえ、年内に食料が手に入らなくなりますよ」

「そんな事って!?」

「ネットで気象衛星のデータくらい調べて下さい。私の手の者は既に調べ終えていますよ。私が何故、アーチャーのお兄ちゃん達に遠くのスーパーまで買い出しに行って貰っているのかを考えて下さい。それは市場価格と品物の内容を調べて頂くためだったのです。今朝の塩鮭は一切れ600円ですよ? 卵はワンパック10個入りで900円。私どもの世界では一切れ100円から120円です。卵も10個で150円から250円です。それとキミの貯蓄。衛宮切嗣の遺産だと思いますが、これ以上物価が上がれば、半年以内に食費だけで底を突きますよ?」

「ぅ……」

 

 そんなに物価が上がっていたのか。鍋のときも季節感が無いみたいな事を話していた。つまりそれだけ地軸が狂っているんだ。となればエルヴァの指摘通り、農作物が壊滅する日も近い。

 スーパーの買い出しで物価と品揃えをみて……確かにニュースを見るより実感があるだろう。けれど、誰もそれを指摘せず、新聞にも載っていない……。そこが魔術なのだろうか? 

 

「それと地磁気と天候の乱れ、月とのバランスによる海面の変化も大きいですね。この先は本当に地獄あるのみです」

「ええッ!? じゃ、あいつは一体何を?」

「その一義樹理庵という人は、人類をシフトしようと考えているのではありませんか? どんな災害にも耐えられる人間。例えば炭素系の肉体を棄ててケイ素系に切り替えるとか。もしそうなってしまえば思考する石ですよ。直列や並列に並べれば生体コンピューターになって、根源への道を計算できるとか有り得そうですね?」

 

 エルヴァの言葉は突拍子もないが、魔術師なら考えそうな事だ。

 

「全人類を水銀と硫黄の化合物でない、錬金術師が夢見ていた本物の賢者の石。つまり魔力へ変換するような大それた事も、置換の魔術と聖杯があれば可能でしょう」

 

 やはりそういう発想か。

 

「更に言えば、そもそもこの冬木に魔術協会が出向いてない点が可怪しいのです。キミが動く前に、こんな事をしでかしたエインズワースは協会や教会に滅ぼされて然るべきですよ。何故なら、神秘も信仰もこの地球というホシがあってこそなのですから。なのにキミの話では、聖堂教会から派遣された神父の話しか出て来ませんでした。また、ここまで天変地異を起こせば、政府どころか各国の軍隊が動きます。地軸が傾くとは、怪獣が上陸した以上の破壊と破滅が待った無しの現象なのですよ?」

 

 そうだ。誰かがこの異常に気付かなければ可怪しいのだ。という事は、協会はとっくに圧えられていて、もう諦めた? もしくはハナから存在しない? 或いは滅ぼされた? 世間の学者さんや各大学などの研究機関はどうした? 地球が滅ぶのに……。

 私にはわからないけど、エルヴァが言う通り、全人類を騙す大掛かりな魔術が何百年も前から行使されているのだろうか……? 極端だけど、そういう気もする。

 

「なら俺は……」

「キミが人類と妹の両方を護ると考えたのなら、真っ先に政府機関や行政に逃げ込まなければいけなかったのです。それが最善かどうかは謎ですが、ここまで来れば神秘の秘匿もへったくれも関係ありませんよ。それを自分だけで……荷が重過ぎるとは思わなかったのですか?」

 

 そう、必然そうなって来る。もはや個人の問題では無いのだから。

 

「じゃ、どうすれば……」

「美遊ちゃんが居ます。キミは、キミが話した通り妹を護れたのです。それで十分ではありませんか?」

「……君は一体……?」

 

 そしてエルヴァは並行世界の物語を話し始めた。聖杯戦争を切っ掛けに双子の姉と出逢えた事、魔法使いと出逢い、日本で知り合った幼馴染みが魔法使いになった事。並行世界を巡って親しい人の災難を潰して回っている事。英霊と契約している事、などなど。親しい人の災難を潰す……。そんな事を彼女達は……桜を救うのもそれでか。そして対価は桜に対してはとても安く、そこの私からはドカッと。けれど、桜が安いのは間桐の資産を奪ったりもしているのかもね。

 

「じゃ……君は衛宮切嗣の実の娘……。そして美遊が友人と言ったこの子達も?」

「そうです。この子達の兄も衛宮士郎ですよ。だから美遊ちゃんはあちらの士郎クンにあなたの面影を重ねて……。ずっと我慢していたのです。さぁ、今夜はクマさんパジャマ解禁ですね?」

 

 すごく良い顔でサムズアップする白いエルヴァ。さっきまでの深刻そうな顔は何だったんだ? 

 

「ど、ど、どうして知っているんですか?!」

 

 涙目で赤面する美遊。この子のこんな顔は初めて見た。

 

「え?! 美遊ってそういうのを着るんだ!?」

「押し入れや箪笥に10着以上着ぐるみパジャマがありましたよ。和箪笥には、それ以上の和服が。またこの和服や帯が中々な上質なコレクションでしてね。子供向けとは思えない染め付けや刺繍でした。一枚数十万はするでしょう」

「人んちで……お姉ちゃん、ドン引きだよ~」

 

 クロやイリヤが抗議する。当たり前だ。

 

「ドン引きは、このマダラ兄貴だ。学生で金もないのに、妹可愛さで高価な着物を次々と。やがてご飯も食べられなくなるのに……信じられません」

「そこまで切羽詰まっているとは思わなかったんだよ!」

「子供向けの割烹着までありましたからね。この和服フェチ!」

「わ、和服フェチ!?」

 

 凄いことを言うなぁ。クロがクスリと笑ったのは何故だ? 

 ともあれ今の衛宮君の発言。切羽詰まっているとは思わなかった……つまり物価上昇は幽閉されていた間に急激にカーブを変えた可能性がある。滝に近づけば川の流れはいきなり早くなる。何故かそういう風に思った。

 

「言われてみれば、美遊って着物が似合いそう」

「だよね~」

「けれど、どうして、そんな家探しをしたの?」

「決まってます。私はアインツベルン11代目総裁であるとともに、あなた達の姉ですよ? ならば美遊ちゃんというパーフェクトな5年生が、どう生まれたのかを探るのは当然でしょう。そして私はついに美遊ちゃんの弱点を発見しました!」

 

 ズビシッと美遊を指差す。こいつ、ノリノリだな。

 

「な、何なの? お姉ちゃん!?」

「音楽ですよ。お兄さんのお話にあったように、美遊ちゃんは幼稚園も小学校にも通っていないのです。蔵書はかなりのものですが、教科書もランドセルもない。そして家事全般が得意な衛宮士郎クンも、音楽だけは教えられなかった。美遊ちゃんは音楽……特にリコーダーが苦手でしょう? 持ち前の器用さと熱心な練習で、なんとか課題程度をこなせているだけです。ですよね、エルヴァ? あなたがこっそり教えていた事を私が知らないとでも?」

「まぁまぁ。そんな責め立てるような物言いは良くないですよ? それと私はイリヤちゃんやクロエちゃんにも教えていますから。そもそもが、昨日見付けた、この家の図書室での蔵書漁りから始まったのです」

 

 なんと、昨日のうちにそんな部屋を見付けて、夜通し書物に目を通していたのだとか。あの居眠りは仮眠だったのか! 

 そして私も気付いてしまった。この家から出ない生活。そしてこの気候。もしかしたら美遊は水泳も苦手なのでは? 

 これは根拠もある。現保護者のルヴィアが北欧の人なので、あまり泳ぎが得意では無いのだ。カナヅチでは無いだろうが、そう聞いていたので、私も水泳で彼女に勝負を挑んだ事は無い。

 

「彼女と私は、アサシン数名と神話を紐解いて居たのです。そこでパンドラの記述があっても、箱の存在が記されていない事に気付きました。エルが話したように、ここは箱が開けられなかった世界です」

 

 褐色のエルヴァの言葉に皆んなが息を呑んだ。関係ない話をしていたのに、ちゃんと繋がった。箱が開けられなかった世界……。勘じゃなくて根拠があったのか!? 

 当然の事ながら、衛宮君と美遊はキョトンとしている。だって箱の伝承なんて無い世界なのだから。クロがルヴィアに尋ねた。

 

「その箱って何?」

「中には全てが入っている、神からの贈り物と言われていますの。ですが匣なのか、瓷なのか定まっていませんのよ。そうとなれば変容するもの、或いは霊体とも考えられますわね。それはつまり、ある種の聖杯ですわ」

「そうか。それをあいつらは……」

「わかりましたか、お兄さん?」

「何が? 箱の話なんて初めて聞いたからなんともだぞ?」

「そうではなく」

「ああ、リコーダーの? その人にお礼を言えって事か? そりゃ勿論、有り難く思うけど」

「違います。この見た目が黒い女は、妹達のリコーダーやキミの可愛い妹のリコーダーをペロペロしていた疑惑があります!」

 

 何を言い出すんだ、この女は!? 

 

「お、教えてくれてただけだろう?!」

「そうですよ。教えているだけです。そのために、ちゃんとゼンオンの150BNを新品で買いましたよ」

「ヤマハやアウロスやスズキでなく、難しいとされるゼンオン。しかもきっちりバロックだ!」

「あなたと同じです。子供の頃からバロック式に慣れているのですから。勿論、ジャーマン式の運指で教えていますよ。ただし、中等部に上がってアルトを吹くようになれば、バロック式にならざるを得ません。ですからそちらの事も伝えています」

「む。抜かり無い奴め」

「あなたがクロちゃんやおチビちゃんに同じ事をしているでしょうに」

「ま、そうです。しかし勇気ありますね、あなたは?」

「何がです?」

「こんな可愛い顔をしていても、リコーダーの唄口なんてめっちゃ臭いのに」

「嗅いでるのかよ、お前は!?」

「最低だ! このお姉ちゃん!」

 

 クロとイリヤがブーブー文句を言う。当然だろう。クロエとイリヤは心配そうに褐色のエルヴァを見るが、エルヴァはそんな事はしないと首を振った。

 

「たまたまです。たまたまですよ。お兄さんも小学生時代、クラスの可愛い女の子のを嗅いだり、唄口を好きな女の子のとコッソリ繋ぎ替えたりしましたよね?」

「するかッ! この人、おかしいぞ!?」

「可怪しいのはキミですよ」

「なんでさ。何で俺がおかしいんだ?」

「性欲旺盛な男子高校生が、小学校高学年くらいの美少女と二人暮らし。しかも女の子を学校に通わせてもいない。キミ、この辺りが無人で良かったですね。本来ならご近所ではかなり怪しい人物として噂になっていますよ」

「え?」

 

 そこだ。ここに気付かないなんてあり得ない。種々の事情があったにせよ、高校生の男の子が小学生の女の子を引き取り育てる────

 この異常性が異常と思えない彼の中の常識。そしてそれを気にもしない、この世界の在り方。異様だ。異様過ぎる。それに今後はどうするのだ? エルヴァの指摘は鋭い。変な事も同時に言うけど。

 

「それだけでは無いでしょう? 今後二次性徴が始まれば、キミはどうするのですか?」

「そうですよ。生理用品の使い方とか、キミが指導するのですか?」

「しかもそれをあなたが新都まで買いに行くのですか? 薬局でコンドームをくれと言うより恥ずかしいですよ?」

 

 子供も居るのに堂々と避妊具の名を出すな! 

 

「え? え? あ~~っ!」

 

 褐色のエルヴァも懸念していたらしい。顔を真っ赤にする小学生組。けれどここは重要だ。ルヴィアはその点でも最適な保護者だった。

 

「それにキミが本当に感謝しなければならない相手はそちらの女性、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトさんですよ」

「右側の人です。彼女が並行世界を渡って行き場も居場所もない美遊ちゃんを保護し、戸籍を作り、学校に通わせ、社会の常識を学ばせていたのですよ」

「あ~……」

 

 美遊に専属のメイドをさせる事に、当初私は疑問を感じた。一度それをルヴィアに尋ねたのだ。すると彼女は、美遊には常識に欠ける面があるので、そこを教えているのだと話してくれた。

 私はこの時、世間知らずなお嬢様が何を教えるつもりなのだと思ったものだが、ルヴィアはこれを感じ取っていたのだろう。

 実際の指導はオーギュストさんだと思うが、私はルヴィアの慧眼に感服した。衛宮君はそんなルヴィアに深々と頭を下げた。

 

「あなたにお願いがありますの」

「何だろう? 返せるものなら何でも返すけれど」

「そうではありませんわ。お願いは一つだけ……。私を今後もミユの姉でいさせて下さいまし。私にとってもこの子は妹なのですわ」

「美遊? そうなのか?」

「うん。ルヴィアさんはとても良い人。行き場も家もなかった私に家と着るものと食事を与えてくれた人なの。お兄ちゃん、ルヴィアさんは私の姉さんです」

「そうか……そんな人と出逢えたんだな。ルヴィアさん、俺からも頼む。美遊をよろしく」

 

 あ、こいつ……。シェロ替えする気かも。こっちの衛宮君なら魔術の事も話せるし、何より魔術師殺しと縁者になる事もない。また親類も小煩そうな妹も居ないのだ。

 イリヤと違い美遊なら、願ったり叶ったりだろう。だってこの子は傍で見ていても、ルヴィアと仲が良いし。そう考えれば、この衛宮君を連れ帰れたなら美味しい相手だ。

 わかる……今、ルヴィアの頭の中でどういう計算が働いているかが。しかも見詰め合ったりして、結構良いムードだ。これはあり得るか……。

 

「このお人好しで八方美人なところが、キミが使ったカードの英霊と同じですよね?」

「え? あ、そうだ。そっちの笛を教えてくれてる人も、英霊エミヤと何か関係があるのか?」

 

 そして変なところで勘が働く。これも衛宮君なのだろう。『英霊エミヤ』。やはり先祖だったか。私はこの時、衛宮君が養子である事をキレイサッパリ失念していた。

 

「強いて言うなら妹ですね。そしてこちらの子達の姉でもあります」

「は?」

 

 これはややこしい。しっかし中田さん、朝ごはんを食べた後、ここまでズッとイビキをかいて熟睡してるけど良いのか? 

 そして誤魔化しても意味は無いと全部話す褐色のエルヴァ。

 

「って事は、元は同一人物?」

「はい。ちなみに私達は高校3年生ですよ」

「ええっ! 年上だったのか!? てっきり中学生くらいだと……」

「庭に出ろっ! カードでも美遊ちゃんでも好きに使え! 修正してくれるわッ!」

 

 白いエルヴァの背後に黄金の波紋が浮かび、宝剣がニョキニョキと顔を出した。

 

「な、なんでさ!? 何で君がそれを使えるんだ!?」

 

 結局大事には至らなかったのだけど。褐色のエルヴァ曰く。白いエルヴァは長幼の序に拘る人らしく、男子からのタメ口が特に気になるタイプなのだとか。

 言われてみればそんな気がする。何千年も続く魔術師の家の11代目総裁で、50万からの従業員を抱える企業のオーナーなんだもの。同年輩の男の子なんて歯牙にも掛けないのだろう。

 となると、褐色のエルヴァがどれだけフランクなのかがわかろうものだ。

 

「今後の方針ですが、エインズワースを滅ぼす、これで良いですか?」

「正直、まだ迷う。けれどそれでこの星に何が起きているのかがわかれば。解明しても、手なんて無いんだろうけど」

「逃げるが勝ちなのですが……そちらのイリヤちゃんはどう考えますか?」

「私も同じ。何が起きているかを知らないとダメだと思う」

「私もそう思う」

 

 二人のイリヤが同じ意見だ。

 

「そうですか。なら、今夜襲撃を掛け、そこで一義樹理庵なる者を捕え、事情を明らかにさせましょう」

 

 午後3時になると金髪の少年が帰って来た。エルヴァと真剣に話し込んでいた。私も少しだけ参加したけれど、概ねはエルヴァの推測通りだった。

 夕方4時を回った頃にシロウさん達が帰って来た。エルヴァは今夜の行動に対してお伺いを立てていた。

 

「良いんじゃないか。それで何か掴めるかもな」

 

 そしてスッと台所に立とうとする男性に対して家主が物申した。

 

「ちょ、ちょっと。俺が作りますから」

「10×365と1600×365。3650と584000だ。朝昼晩なら×3、それがオレ達の差だ」

 

 何を言ってるのか理解できない衛宮君。だろうなぁ。

 

「まぁ、そう邪険にせず、簡単な事を手伝わせてはどうだ?」

 

 横合いから黒シャツの男性が声を掛けた。首を捻る衛宮君。誰だろう、どこかで会った憶えがとか考えているのだろう。対してシロウさんは上を向いてしばらく考えた後に、衛宮君をアシスタントにした。

 

「良い勉強になるだろう。しっかり見ておけよ」

「あんた等、人んちで……」

 

 偉そうにとでも言いたいのだろう。けれどシロウさんが発泡スチロールの箱から取り出した魚を、ひょいとまな板に載せ捌き始めると押し黙ってしまった。

 デカイ! 何だあの魚は。ヒラメ? 

 

「あれってヒラメよね?」

「平目ですね。7~8キロはありそうです。いよいよ気候が可怪しいですね」

「90センチ越えているだろう。久々にあいつの9枚おろしが見られるな」

 

 そう言って台所を覗く黒シャツ。9枚おろしって? 

 

「2枚おろしや3枚おろしは聞いた憶えがあるでしょう?」

「ええ」

「平目や鰈は平べったいので、5枚おろしという方法で捌きます。簡単に言うと骨の上下に表裏、そして骨の部分で5枚です。そこそこ大きなものですと美味しいエンガワを切り離す場合があります。この上下を足して7枚おろし。更にあの平目のような大きさになれば、エンガワも表裏で取れます。つまり身が4枚にエンガワが4枚、そこに骨を足して9枚となるのですね」

「あなたも捌けるの?」

「私と姉さんはあの人の弟子ですよ?」

 

 そうだった。衛宮君はシロウさんの横で呆然と見ていた。それはそうだろうな。こんな巨大な魚なんて、幾ら料理好きな人でも捌いた経験なんて皆無だろう。

 実家が漁師だとか、料理好きな釣り人くらいしか思い浮かばない。そもそも一匹幾らだ? 

 

「良し、こっちの切り身を昆布締めしておいてくれ」

「昆布締め? 昆布で挟めば良かったんだったかな?」

「まったく……あやふやなのか? エル、指導してやってくれ!」

「了解」

 

 そして昆布締めを実演しながら教える白いエルヴァ。

 

「こっちの裏身も昆布締めですか?」

「ああ、そっちをやらせてやれ。表身の上は刺し身、下は鍋だ」

「この人数ですよ?」

「3匹仕入れたんだよ。おい、家主の少年。アラを回したら煮付けとアラ汁くらいは作れるか?」

 

 大きな発泡スチロールの箱にヒラメがまだ入っていた。

 

「ああ……それならなんとか」

 

 めっちゃ自信無さそう。美遊も凄く心配している。家庭料理全般は彼も上手いのだろう。けれど、これは度が過ぎている。

 

「ハードルが高過ぎるよね?」

「お兄ちゃんもエルヴァさんのお料理を食べていれば……」

「よねぇ」

 

 突如、思い出したようにアーチャーが振り向いた。

 

「そう言えばセイバー達はどうした?」

「ランスロットさんやアルさんと、道場や庭の掃除です。昨日突貫でお兄ちゃんやシロウさんがしてくれましたけれど、まだまだ足りないでしょう?」

「そうだな。なら、私もあちらを手伝おう。ここを任せるが良いか?」

「敗者は去れ」

「煩いわ!」

 

 この間、褐色のエルヴァと師匠が布団を干したり、洗濯をしていた事を私は気付かなかった。またルヴィア達がこの家の長い廊下の窓を拭いたり、座敷の掃除をしていた事も。

 姿が見えない、小さなアサシンまでもが手伝っていたという。私は後でルヴィア達に頭を下げる羽目になった。しかし仕方ないだろう。

 だって皆んなで掃除をしようと決まっその時──イリヤ達と同じくお手伝いは免除らしき少年が、ひょっこり帰って来た事で、私はエルヴァや彼と話していて気付かなかったのだから。

 この時、褐色のエルヴァが居ない事に気付かなかったのは、私のうっかりだ。そして彼の語る話は、先程の通りでエルヴァの話を補完していた。やはりここは終わりが決定した世界らしい。

 また、人類の存続という大義名分をあちらは掲げているらしいが、これもエルヴァの予測通り、人を変質させるものである可能性が濃厚だと言う。

 美遊やイリヤ達を散々不安にさせて、彼は再び出て行った。その入れ替わりでシロウさん達が帰って来たのだった。

 

「おい、大皿はあるか?」

「大皿、あったかなぁ。一体何に?」

「刺し身を薄造りで引こうかなと。ま、無けりゃ創るだけだ。投影開始(トレース・オン)────!」

 

 その手に大皿を持つシロウさん。

 

「うっわ。人間国宝の陶芸家もビックリですよ。実用に耐える九谷焼の大皿を一瞬で。この絵付けなら40~50万はするでしょうね」

「本物ならな。さ、これに造って行こう」

 

 衛宮君は固まってしまった。そしてヨロヨロと居間にやって来て座り込んでしまう。

 

「あの人は、まさか……並行世界の俺……?」

 

 そんなの聞かないでよ。

 

「同じ魔術を使うから同じとは限らないわ」

「そうだな……。焼き物なんて俺には投影できないし。何より出刃や柳刃の出来が全然違う。あれは俺には無理だ……」

 

 どうやらシロウさんは包丁まで投影していたらしい。もっと聞けば鍋やその他の足りない道具も次々と。

 更にはあんな大きな魚が乗るまな板なんて、今まで家には無かったと衛宮君がいう。気付けば既に用意してあったのだそうだ。だろうねぇ。

 ここからでも見える、キッチンの水槽を覆い隠す程の大きなまな板。普通の家にそんなものは無いだろう。

 まぁ、色々気になるのはわかるわ。けどね、衛宮君。上には上が居るの。並行世界を越えるとそんな人はたくさん居るのよ。私も散々思い知ったから。

 

「なぁ、家主の少年」

 

 シロウさんは手を休めず、振り向きもしないで衛宮君に話し掛けた。

 

「は、はい!」

「君は何を目指している?」

「え……と。以前は養親と同じ……。人々を助けられる人になりたいと……」

「なら今は?」

「今ですか? 今は……妹を護ってやりたいと思っています」

「良いんじゃないか、それで。しっかり働いて金を貯めろよ? でないと嫁さんに出してやれないしな」

「よ、嫁……? 妹はまだ小学生ですよ?」

「五年十年なんてあっという間だ。兄貴ならきっちり計画を立てておけよ?」

「……はい……」

 

 英霊、いや救世主の言葉とは思えないけれど、衛宮君には何かが届いたみたいだった。それを見守る小学生達も居るんだけどね。

 

「み、美遊がお嫁さん!」

「驚き過ぎよ、イリヤ。皆んな大人になればそのうち結婚するでしょう? そして私達より美遊の方がハードルが低いのよ?」

「ど、どういう事? クロお姉ちゃん?」

「だって私達にはパパとママが居るのよ? あなた、お兄ちゃんとの結婚なんて許されると思う?」

「あ~」

「ね? おまけに私なんて同性なんだよ? 私が男の子だったらなぁ」

「姉さん女房!?」

「10歳以下の年の差なんて微々たるものよ」

「あなたはお姉ちゃんをそこまで? 美々とは逆ベクトルで腐って行ってない?」

「クロ、言い過ぎ。好きになるってそういう事なんだから」

「あなたはあなたで反省するとトコトンよね? パパに似てるわ……」

「クロはママに似過ぎなの。良い加減なところが特に」

 

 お互いの顔を見る、クロとイリヤ。うんうんと頷いている。第三者から見れば、どいつもこいつもそっくりだ。

 そしてこの子達の両親は知らないが、クロエとイリヤに限定するなら、どちらも親に似ている部分があると思うのだけれど。

 

「まぁ、ともかく。私は魔術の勉強をしっかりしないと」

「どうして? クロエお姉ちゃん?」

「ん? 英霊を受肉させる方法をね。どうもお姉ちゃんの宝具に取り込まれると、受肉のクスリが効かないのよ」

「そうだった! クロエお姉ちゃんって、アーチャーのお兄……!?」

「シッ。美遊のお兄ちゃんに話せない事もあるんだから、発言には注意して」

「あ、はい……」

 

 聞いてて恥ずかしいやら何やら。クロエは注意しないとエルヴァみたいに男性器の研究をしそうだ。つか、あんたがエルヴァの餌食に……無いか。あの褐色のエルヴァに限って。

 

「おい。アラ汁の下拵えは?」

「あ、はい!」

 

 さっきよりシャキッとした衛宮君が台所に戻った。

 

「今晩決戦だろ? 皆んなには英気を養ってもらわんとな。食材はたっぷりある。着いて来れるか?」

「と、当然ッ!」

 

 台所からエルヴァが戻った。

 

「妙な漢臭い固有結界を張ってくれますね。弾き出されましたよ」

「あの二人は?」

「衛宮士郎は今、英霊エミヤの調理技術を憑依して学んでいるのです。その料理の創造理念を鑑定し、基本の骨子となる献立を想定し、構成されたレシピを複製し、調理に必要な技術を模倣し、成長に至る経験と味に共感し、蓄積された年月を再現し、あらゆる工程を凌駕し尽くし────ここに、幻想を結び卓上の一皿と成す────!」

 

 料理って熱いのね! ってか、あんたの解説が変よ! けれど、ふと見やった二人の背中はとても楽しそうだった。

 

「誰かのためじゃない。家族に……たった一人の妹と、その妹と友人となってくれた人達に報いるための! あの強く、優しい人達の笑顔と健康を願って料理を作るんだッ! それがお前が最初に目指した姿に繋がるんだよ! 笑顔無き救いなんて嘘だ! 救う限りはその人達の夢や希望も救えっ! 取り戻させろ! それが料理なら可能なんだッ!」

「はいッ!」

「お兄ちゃん……楽しそう……」

 

 シロウさんの話が正解かどうかは知らない。けれど衛宮君の中で燻っていた何かは、別の炎で燃やされ業火となったのは間違いないだろう。

 

「90年代のカップ麺のCMで育ったような世代はこれだから」

「どういう意味?」

「うん? この先、大卒なら景気回復も少しは見えて来るでしょうが、このまま高卒ですと、連れ帰っても就職氷河期に引っ掛かります。そこもある訳ですよ」

 

 あ~……。就職できないから、訳のわからないものを目指しちゃうの……? 

 

「それに本物の国境は食べて笑い合っても消えませんよ。Handsfree?」

 

 エルヴァは何を言っているのか? 私が首を捻っていると、廊下から声が届いた。

 

「あいつは度重なる戦いで、私という英霊に塗りつぶされ掛かっていた。そのまま行けば破綻か破滅に進むと考えたのだろう。シロウはそれを回避しようと、ああして自らの青臭さを曝け出してくれて居るのさ」

 

 その声は私と美遊を含む皆んなには届いたが、台所の二人には届いていない。それで良いのだろう。

 美遊は入り口に向かって頭を下げ、次いでキッチンに向かって深々と頭を下げていた。

 

「あいつは君という妹が居るから大丈夫だ。ただ衛宮切嗣という男に憧れただけで、記憶を失くして使命に取り憑かれた訳では無かろうからな」

 

 クロの目にはハートマークが浮かんでいた。

 

「あの分析力が大人の魅力なのよ……」

「けど、分析力や洞察力ならお姉ちゃんの方が上でしょう?」

「エルお姉ちゃんは好きよ。私の師匠でもあるし。けれど、あなたみたいな恋愛感情は無いわね」

「どうして?」

「遊ばれるのがわかっているから」

 

 遊ぶって何だとツッコミたいが、クロは賢い。危機回避能力が高いのだ。




次回バトル回です。
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