プリズマ☆エルヴァ 第一部 邂逅篇   作:炭団

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37、朝焼けの冬木

「朝焼けの~光の中に~立つ影は~お兄ちゃ~ん♪」

 

 褐色のエルヴァがアーチャーの背中で歌っている。変な歌詞だ。

 元の冬木に戻った私達は脱いだコートを手に持って、円蔵山をテクテクと下っていた。

 背負われたエルヴァの周りを子供達が並んで歩く。こうやって見れば、本当にほのぼのとした兄妹の姿だ。アサシンの子も溶け込んでいる。

 

「魔術回路が……か。意外な弊害があったものだな?」

「ですね。薬で少しはマシにはなりましたけれど」

「それは元に戻るのか?」

「わかりません。けれど足りなければ他所から持って来ます」

「そうだな」

 

 何某かの手があるのだろう。そう悲観してはいないようだ。

 二度目の世界旅行は酔わなかったし、気絶しなかった。最初は少々気分が悪かったがそれも治った。意外なのは衛宮君だ。彼はなんとも無いようだった。師匠が言うには、そういう体質の人も居るらしい。なんとも羨ましい体質だ。

 しかし暑い。感覚が狂うけど、こちらは梅雨が近い。もう夏よね。そんな事を考えていたら、突如白いエルヴァも歌い始めた。

 

「私の歌を聞けぇ~ッ! 赤茶けた丘で~つぶやく俺は今日も~♪ 果てしなき戦い~終わりのない咎♪ 穴が空いている~俺の心には~♪ お前に逢いたい~この寂しさ分かちあえる~お前をずっと求め疾走る~無限の時間(とき)~♪ 朝焼けに消えた~美しいお前に~再びどこかでいつかきっと出会える~♪」

 

 何の歌だ? 褐色のエルヴァのセイバーがプルプル震えている……。

 

「お前は今~何をしているだろう~ンン~輝く剣を振るっているのだろうか~♪ 軋む歯車~天まで届く~いくら叫んでも~返るはこだまだけ~♪ お前に逢いたい~終わらせたいこの運命を~お前だけを~求め続けて時は過ぎる♪ いつか本で読んだ~幻のレシピで~奇跡のチャーハンをお前にきっと作ろう~♪」

 

 何だよ、チャーハンって? 

 しかし良い声だ。歌、上手いなぁ。

 ってか、セイバー、衛宮君をガン見して泣いてるし! 

 アーチャーとお揃いの、黒いシャツとスラックス姿のランスロットがオロオロしている。

 

「また罪作りな歌を……。4番目を号泣させた歌だ」

「あの時は私も歌っていたのですが、号泣していたのは別の歌ですよ、お兄ちゃん。彼女、私のセイバーとあの士郎クンを?」

「どうだろうな? ここは美遊の手前、ルヴィアとと思うがな」

「私もそう思うのですが。エーデルフェルトの支援が受けられるのに。一体何を考えて……」

「君でもわからんか?」

「もう、私達は他人ですね。さっぱりわかりません。ああ、街が見えますね」

「うむ。今朝も穏やかだ」

 

 二人の表情と雰囲気とは打って変わって、ちっとも穏やかじゃない話の内容。衛宮君とセイバーが? 人と英霊よ? 

 するとまた白いエルヴァが歌い出した。

 

「月明かりの縁側で~誓った希望を胸に抱き~♪ Remenber~♪ 熱い剣戟~♪ Fuyuki~♪ 笑顔が映える君~二人で駆けた数週間の時刻(とき)~♪ まだ忘れたわけじゃないんだよ~あの時の約束を~同じ強さで~同じ願いを~旅の途中~♪ Remenber Fuyuki~♪♪」

 

 冬木の歌? 

 

「朝焼けの丘の上で~永久(とわ)の言葉を残した君は~♪ 黄金色に輝いて~時の狭間へと消えてゆく~♪ Remenber~♪ 鉄と鋼の匂い♪ Fuyuki~♪ 初めてのキス~二人で造った~幻と奇跡の剣~♪ まだ失くしたわけじゃないんだよ~ひたむきだった心を~落ち込んだ時に~思い浮かぶよ~あの冬の~♪ Remenber Fuyuki~♪♪」

 

 え? これってもしかして? 褐色のエルヴァとアーチャーが頷きあっている。

セイバーが思い詰めた顔で呟いた。

 

「シロウ……」

 

 決まりだ。

 

「師匠? 並行世界の衛宮君って、セイバーを召喚……ングッ?」

 

 師匠に口を塞がれた。目が後で話すと訴えていた。

 私の予測はこうだ。二人のエルヴァは白い方が英霊との縁を尊び、褐色の方は仲間や友人を尊んでいる。その優先順位の違い。これを私は感じ取っていて、白いエルヴァを信頼しても信用できなかったのでは? つまり、実力は認めていても、心の奥で気を許せない相手だと。

 そしてどこの衛宮君も、聖杯戦争があるならばセイバーを召喚して第五次を戦い抜くのだろう。これはスラーの講義室でエルヴァが話していたから間違いないと思う。師匠はきっと、今傍にいる衛宮君に聞かせたく無かったのだ。

 

 そこでふと思った。その世界で、遠坂として出る私は彼にどう接していたのだろうか? 

 セイバーからは蔑みも非難の言葉も聞かなかったし、そういう態度も無かった。なら、赤い英霊の導きで同盟でも結んだのかな? その果てに結ばれたのが、シロウさんと大魔導師なのでは? 私はそれで間違いないと、一人得心した。

 

「毎回~毎回~僕らは喚び出され~良いようにコキ使われて~嫌になっちゃうぜ~♪ ある時~僕はピンと閃いたのさ~昔の~自分を~止めれば良いんだと~♪ 初めて喚ばれた空の上~とっても~お星様がキ~レイだァった~♪ 背中に轟く破壊音~どこかのリビングに落っこちまァった~♪ 紅~い少女が言~ったのさ~朝までに掃ォ除を~済ませておけと~♪ 『地獄に堕ちろ!』」

 

 何だよ最後のセリフは? 

 今度はアーチャーに背負われた褐色のエルヴァの歌だった。アーチャーやセイバーがクスクス笑っている。師匠に至っては結構大きな笑い声が漏れていた。そして皆んなが私をチラチラ見た。何よ、気分悪いわね。けど、何の歌だろう? 

 今度は白いエルヴァがまた歌い始めた。

 

「オレは死んじまったYO~♪ オレは死んじまったYO~♪ オレは祈ったYO~英霊になったYO~♪ だけど英霊に~なってみたものの~♪ 仕事の内容は~何時もブッラクだ~♪ 『なぁお前、守護者ちゅうのは、そんなに甘いモンやおまへんのや。もっと真面目にやれ~』」

 

 今度はアーチャーもセイバーも大爆笑していた。

 

 

 やがて深山町に下りた私達は、程なく馴染みのある一角に入った。師匠がルヴィアに認識阻害の魔術を衛宮君に掛けろと言った。念のためだろうが、大事な事だ。

 エーデルフェルトに着いた私達は、会議室で寛いだ。ルヴィアがオーギュストさんに、お礼とともに拳銃を渡した。

 

「これがあったから最後まで自分の脚で立てました」

「お嬢様。良くぞご無事で。しかし、このハンドガンはエルヴァ様のものです」

「あら。あの方の……そうでしたか。では……?」

「お嬢様にお持ち頂くために、手入れは私が致しましたが、それもエルヴァ様に促されてです」

「本当に御守りでしたのね……」

 

 ああ、なるほど。白いエルヴァの気遣い方はこういうカタチなのか。

 そりゃ、聖杯を置いて来たり、人格が封じられたおもちゃを渡したりするような奴だから。やっぱり根っ子は優しいんだ。

 

「ルヴィア様……ありがとうございました」

「いいえ。私にもオーギュストが居ますのよ。彼の涙は見たくありませんもの」

「お、お嬢様……」

「あなたのお嬢様はあちらでしょう?」

 

 ルヴィアはオーギュストさんと笑顔を交わした。それを見て微笑む私の方のルヴィア。城で何かあったのかしら? 

 

「それとオーギュスト。深山町で指定した家を一軒買い上げて下さいまし。え~と……」

「俺、行くぞ?」

「いえ、あなたは座っていて下さい。アーチャー様、オーギュストの案内をお任せしても?」

「ああ、良かろう」

 

 そしてアーチャーとオーギュストさんが出て行った。この時、褐色のエルヴァに促されて、アインツベルンの子供達も家に帰った。

 ちびアサシンが寂しそうに手を振っていた。そして白いエルヴァにピッタリとくっついた。何かをエルヴァに訴えると、少女は色が薄くなって消えてしまった。仲間の元に帰ったのだそうだ。

 あの子なりにイリヤやクロエが心配だったのだろう。

 

「ルヴィアさん、どうしてアイツに?」

「あなたに釘を刺すためですわ。あの方の正体をご存知のようですが、ここでは他言無用です。特に向かいの家のあなたには」

「向かい?」

「ええ。お向かいがイリヤやクロエの家ですの。そこには両親も、兄である彼も居ますのよ」

「あ……」

「そう、そのための認識阻害ですわ。そして理由は彼が魔術とは何ら関係ない一般人だからです」

「待ってくれ。妹達が魔法少女とかやっていて、父親が衛宮切嗣なんだよな? それなのに魔術を知らないなんて、そんな事があるのか?」

「ありますのよ。家の方針や考え方は家族構成などの組み合わせで変わりますでしょう? ここのエミヤさんはご結婚されていて、娘が四人も居らっしゃるのですわ」

 

 そこで褐色のエルヴァが出て、掻い摘んで重要な事を話した。驚いていたけれど、死地を何度も潜って来たからか、この衛宮君は飲み込みが早い。

 

「わかった。美遊はそいつと会ったのか?」

「うん。イリヤやクロエのお兄さんは、とても暖かい人」

「そっか、良くして貰ったんだな……」

 

 平和な街で平凡に青春を送る衛宮君。カード事件はあったけれど、それは彼の知らない事だ。

 そして明日をも知れない過酷な街で、信じられない体験をしてきた目の前の衛宮君。

 胸にはその理不尽さに、怒りや無念や色々なものがあると思うのだけど、そんな態度をおくびにも出さず彼は美遊の頭を撫でるだけだった。

 きっと二人は会わない方が良いのだろう。

 

「今後の事もルヴィアさんに相談すべきと思うんだけど、このまま甘えてしまって良いのかな?」

「ええ、構いませんわよ。魔術師としての見返りは求めませんわ。けれど返すお積もりがあるのなら、エーデルフェルトのために働いて下さると嬉しいですわね」

 

 あれ? ルヴィア……何? 随分と固い気がする。シェロとか言わないし。どうしてだろう? 

 

「わかりませんか?」

 

 白いエルヴァだった。何? 

 

「無事捕まえれば、固有結界の担い手の血が一族に入るのですよ? 宝石・ルーンに固有結界ですから」

 

 あ! 

 

「そして、あの慎重さは重要な事です。今の時計塔なら大丈夫でしょうけれど、少し前の時計塔なら? 彼の能力と存在は確実に封印指定対象ですよ」

 

 そうだ。これが一族を担わない私の限界。

 ルヴィアは衛宮君を真剣に護りたいんだ。だってそれが美遊のためでもあるんだし。だからあんなに……。

 

「ほぅ……。こちらの私は彼に?」

「みたいね」

「色恋沙汰に走る前に魔道でしょう」

 

 ちょっと驚いた。師匠の凜と同じくストイックなんだ、あちらのルヴィアは。それが聞こえたのか難しい顔をするルヴィア。

 となると当然、真向かいに立つ衛宮君も何事かと厳しい表情に変わる。彼は極限状態で戦った後だ。それも何ヶ月も幽閉された後。だから、アドレナリンが出やすいのだと思う。つまり軽い興奮状態が今も続いているのだ。

 

「あ、あの……?」

「何ですの、ミユ」

「何だ、美遊」

 

 ほとんど同時に返事をした。

 

「いや、あの……怖い顔をしていたから……」

 

 そして今度は二人同時にう~んとか言いつつ肩を解している。何だあんたら。魔術師なら自分の状態を把握しろよ、とは言えないか。タイミングが悪かったし、ホッとした後だったものね。

 それをクスクス見ている、師匠ともう一人のルヴィア。ルヴィア、お前が原因だろう。けれど褐色のエルヴァは優しい顔で、この光景を眺めていた。

 

 物騒というか、おっかないのは彼女のセイバーだ。なんとも言えない顔をしている。

 白いエルヴァのセイバーはそれを見て溜息を吐いていた。ああ……わかってしまった。白いエルヴァはセイバーを当て馬にしてルヴィアを焚き付けたんだ。

 私が感心していると、お向かいから衛宮の小父様が駆け付けて来た。衛宮君と会わせるのは不味いと、場所を変えて対応する私達。

 

「皆んな、お帰り。無事だったかい?」

 

 声は落ち着いているが、足元はどこかで見たようなサンダルだ。ダンディな服装とまったく合ってない。

 子供達だけでなく、エルヴァの事が心配だったのだろう。小母様は子供達の対応に追われているのかな? 

 

「それで守備は?」

「もう、外から攻められる事はありません。大丈夫ですよ。全部終えました」

「ホゥ……そうか、良かった……」

 

 心の底からホッとした声を出す小父様。

 

「しかし、随分な格好だね?」

「言わないで下さい……」

 

 そう。ここまで褐色のエルヴァは転身したままだったのだ。魔術回路の異変で元に戻れないのだった。

 

「お父さん。クロエちゃんはともかく、イリヤちゃんは落ち込んでいませんでしたか?」

「ほんの少し。何があったの?」

 

 椅子から立とうとしたが、よろめいて小父様に支えられる。アーチャーと白いエルヴァが彼女の状態を説明した。

 険しい顔をしていた小父様だけど、一日休めば治ると聞いて安心されていた。そしてあちらでのあらましを話す褐色のエルヴァ。

 

「イ、イリヤがそんな役割を世界から……?」

「あの場に於いてですよ? これも願望器としての側面です。ホシの願いや、人々の総体意志を無意識で拾ってしまって。それが自分の考えだと思ってしまう訳ですよ」

「そんな事が……。それで美遊ちゃんのお兄さんも士郎って本当?」

 

 別室で待機していた衛宮君が呼ばれた。

 

「し、士郎……」

「き、切嗣……。いや……ごめん」

「そうか、そちらでは名前で呼び合う仲だったのかい?」

「あ、いや……なんと言うか……」

 

 そして衛宮君の口で語られる衛宮切嗣という人物は、目の前に居るイリヤ達の父親とは随分と印象が異なっていた。

 私もルヴィアも今は小父様と呼ぶ人物は、知れば知るほど魔術師殺しとは程遠い存在になっていた。言葉の端々や咄嗟の態度で、魔術師殺しの側面は垣間見えるけれど、今はイリヤ達の善きお父さんだ。

 方や衛宮君が語る人物は、魔術師殺しよりもエゴイストな気がした。そしてカミソリのように切れやすいのに、錆びやすく脆そうにも感じた。

 

「なるほどね。その僕は世界平和を願ったの? それともその滅びを食い止めたかったの?」

「いや、世界の滅びなんて気付いて無かったと思う」

「そうか。真の危機に気付かず、最悪の選択をしようとしていたんだね。君が妹さんを護ろうとした事は正しい。間違っていないよ」

「切嗣……」

「少ない情報の中で、良く頑張った。とても難しい問題だ。仮に全部知っていたとしても、どう動けば良いのやら」

「その、人類が統合されるってのがイマイチわからなくて」

「僕もさ。それが正しいのかどうかさえわからない。けれど抑止や裁定者という存在が現れた。そして君やうちのイリヤ達が無事だった。人は自分の持つキャパを越えられないみたいだね。そして家族の願いは裏切れない。君がここに居るのは、妹さんと娘達が願ったからだ。割り切るには時間が掛かるだろうが、君は君なりの新しい人生を歩むべきだよ」

「モヤモヤするけど、それしか無いよな」

「そうさ。僕達は結局自分の手の届く範囲の事しかできないんだよ」

「え?」

「ああ……違和感あるかい? 若い頃は僕も君の養父と同じだったろう。けどね、自分の家族を幸せにできない男に何ができるんだい? 世界が~とか、人類が~とか、眼の前の宿題から逃げ出す子供じゃ無いんだからさ。不思議だろうけど、結婚して子供が生まれて……僕は変わったのさ」

「そっか……。良い事だと思う」

「ありがとう」

 

 エルヴァ達二人はニコニコとしていた。スイスのエルヴァもそうだったけれど、第三者視点の時は表情が豊かだと思う。

 

「あ、あの、アルトリア? キリツグがここまで?」

「エルの父親も同じような事を話しますよ? やはりノイン老と出逢い、職種を変え、家族との事を見詰め直せたからこそでしょう」

「なるほど」

 

 何のこっちゃ。ここで大御所と御所が登場した。

 

「凜、ルヴィア、片は付いた?」

「先生、戻りました」

「はい、なんとか」

「ま、エルが二人も居るんだし。抑止は誤魔化せた?」

「はい」

 

 誤魔化せた? どういう意味だろう? 

 

「準守護者に選ばれたのでしょう? その場合、上手く立ち回らないと守護者にされてしまうのよ。わかる?」

 

 そこで私は尋ねた。

 

「その準守護者って、一体何なんですか?」

「ニュースやドキュメンタリーなどを見ていたとするじゃない? そうすると時々、災害時に人々を誘導して奇跡の生還を果たした人などが出るでしょう? 最初の一歩はその人の小さな勇気や責任感なの。けれど人々の気持ちが、「自分は救かりたい」から「全員で救かるんだ」と変化した時に、その場限定の信仰が生まれるのね。そうして準守護者が誕生するのよ」

 

 ヒーローやヒロインの言い換えとも言えるが、確かに限定的な信仰がそこに生じるのは察せられる。

 そしてそういう災難や困難に毎回巻き込まれ、人命救助を繰り返す人もいたりする。そういう人の中で特殊な才能ある人が、死後守護者にスカウトされるのだそうだ。

 

「そして守護者にはガイアから選ばれる場合と、アラヤから選ばれる場合があるのね。そして才能がずば抜けている場合は、本人が望む望まないは関係ないの。本人の意志は一切無視して、死後にマトリクスを利用されちゃうのよ。本人は真っ当に生きて死に、輪廻の輪に戻っているのにね」

 

 つまりコピーみたいなものか。

 

「イリヤは生まれが特殊でね。そんな風にガイアから使役される可能性が誰よりも高いのよ」

「あの中田さんみたいに?」

「そう。きっとその子も生きている頃は準守護者に選ばれるような真っ直ぐな子だったのね。イリヤの場合は特殊な生まれもそうだけれど、ポテンシャルが高いだけに意志を持ったまま……つまり生前の人格や性格だけでなく、丸々そのままのマトリクスが守護者にされる可能性があったのよ。けれど、そんな羽目になりたくないでしょう? だから、そこを誤魔化さないとダメだったワケ」

 

 大魔導師は続ける。

 

「そして士郎君の場合はもっと危なかったの。どうしてかと言うと、君はアラヤ側に先達が何人か居るからよ」

 

 片目を瞑る大魔導師。衛宮君も察したのか声には出さないが、複雑な顔をしていた。

 けれど私はそれ以上の意味を含む事に気付いてしまった。コピー……。本人は輪廻に戻ってもコピーは永遠の奴隷だ。まして生前と同じ人格や性格を持ったコピー。それは余りにもつら過ぎる。

 

「わかるでしょう? 準守護者になってしまうと、マトリクスが利用されやすいの。歴史に名を残した英雄が死後の名声で英霊に奉られたり、自ら望んで守護者になったりした場合とは異なるのよ。だって準守護者に選ばれる人って、決まって純粋で心優しい人だから。だからよ、だからエルはそうさせないために、その中田という人と君とを付かず離れずの距離を保たせつつ、最終的な決断を何一つさせなかったの。もしもよ? そこでピトスだか何だかが良い方に作用して奇跡が起きれば、君は即守護者決定よ。その奇跡を君が願った事だと思わせるの。報酬を横取りして、君に対価を求めるの。酷いでしょう?」

 

 本当に酷い。

 それで人々が救かるならと大勢の人は思うだろう。衛宮君だけじゃない。私でもそう思ってしまう。けれど人身御供となったその人のコピーは……。

 

「そうでなくとも全人類を救えるなら、君は自分の死後を対価に人々を救って欲しいとか願っちゃうタイプでしょう? あんまりそうは思わないタイプかな? ま、その時にならないとわかんないか。でもね、そういう重大な決断……例えば、あちらの人々を切り棄てる決断を君が下したとするじゃない。そういうのがずっと後に残るタイプだと思うわ。でしょう? ね? するとね。その時の重責が、心の奥に凝りとなって残ちゃって、ここで誰かを救けたいという悪連鎖を起こしちゃうのよ。わかる? 君みたいなタイプはずっと世界から狙われてんのよ?」

「ええ~っ!」

「何言ってるの? 君がそうは思わなくとも、カードの影響で人助けしなきゃとか思っちゃうんでしょう? そっちからも君は勧誘が来てるのよ? わかってる?」

「ああ~……。それは感じてました……」

「だけど、妹が居るから君は踏ん張れている。その気持ちが君を救うのよ。エル、彼のカードを作り変えてあげなさい」

「その予定です。ただし、リミッターも効かせますので、以前より弱体化します。それで良いですか?」

「ええ、リミッターがある方がより安全ね。それで良い?」

「はい、それで」

「じゃ、そうしてあげて」

「了解です」

「それと統合なんて、どこででも起きている自然現象だから。今、この瞬間にも私達は幾つもの並行世界に別れているの。またある世界はこの瞬間にも壊れていき、統合されてもいるのね。それが目に見える規模か、ごく小さな現象かの差だから。気にする事なんて全然無いのよ」

 

 大魔導師の見解はシンプルかつ複雑怪奇だった。二股の道で右を選ぶか、左を選ぶか。右を選べば、左に向かった私は消え、右の私と統合される。そんなものらしい。

 似たような世界と統合される時に、願いや痛みが継承されるとエルヴァは話した。それはそれで間違いないが、その小規模な……日常茶飯事的な分裂や統合も結局は同じで、夢やデジャヴュの話は、右の誰かが左の世界に消え去る自分を垣間見る現象を指していただけなのだという。

 だからどこかの衛宮君と美遊も、似たような世界で元気に暮らしているだろうとも。

 

 並行世界って本当に訳がわからない。衛宮の小父様も、衛宮君も狐につままれたような顔をしている。

 けれどアラヤに選ばれた状態にあった衛宮君やイリヤは、あの段階ではアラヤのアンテナで、無意識のスパイも同然だった。なので、エルヴァはそういう話し方にならざるを得なかったのだろうと大魔導師は説明した。

 それにあの場にはガイアの抑止としての中田さんが居た。

 

「ちなみにガイアとは、森羅万象全ての総体意志を指すの。星であり宇宙であり、昆虫であり魚でも何でもかんでも全部を引っ括めた意志なのね。だから星や他の生物のために人類が要らないとなればバッサリよ。そしてアラヤは霊長たる人類の総体意志なの。勘違いしやすいけれど、両者は決して相反したり敵対したりするものでもなければ、並び立つものでも無いのよ。ただ、私達人類から見れば、そう見えると思える事象があるだけなの。何故なら私達も自然の一部だからよ」

「与党の中の会派や部会のようなものですよ。敵対する野党では無いという事です」

 

 褐色のエルヴァの補足がおかしい。けれどわかり良い。つまりあれか? 生徒会の中の各部活みたいな? 

 

「野党はアンドロメダ銀河?」

「違うわよ、エル。お隣の銀河も、遠い遠い銀河も、宇宙全体の一部である事には違いないわ。強いて言うなら地方行政よ」

「あ、そっか。自治体が違うだけなのか」

「そう、その解釈で概ね合ってるわ。あちらのあなた風に言うなら、与党の派閥かな?」

 

 もう一度整理すると、あの城の中で中田さんはガイアの端末で、イリヤと衛宮君はアラヤの端末だった。

 だから下手な動きをすると両者に察知され、妙な事象(マトリクスを奪われる)やスカウトが来る可能性があったのだ。特に中田さんはガイアのアンテナでもあった。なので彼女にイリヤのポテンシャルを見せたくなかったのだ。そしてそれを避けるためにエルヴァは最初から、最終局面で裁定者たる英霊が現れるように事を進めていたのだという。

 切っ掛けは、出発前の円蔵山でチビガメッシュを拾った事。あの子を手元に置く事で、新たな裁定者を喚ばずに済むし、妙な役割をガイアやアラヤから背負わされた英霊の出現を避けられる。

 ただ、そのためにはチビガメッシュがギルガメッシュとなり裁定者として降臨する場を作らねばならない。それをエルヴァは行っていたのだ。こんなのを知っている魔術師って居る? コイツは英霊に関してエキスパートだ。

 

 そして裁定者とはガイアとアラヤの間に立ち、両者のバランスを取るものなのだそうだ。

 エルヴァはその裁定の邪魔にならないように、ヘラクレスとアーチャーを下げさせていたのだという。何故ならヘラクレスは神の子なので、人の姿をしていてもガイアそのものであり、アーチャーはアラヤの申し子みたいなものだからだそうだ。

 アラヤの申し子とは不思議な表現だが、彼はエルヴァと出会うまではアラヤの守護者だったらしい。そしてそれを二人のエルヴァのみならず、凜とルヴィアもわかっていた。

 わかっていない私と、私の方のルヴィアが居たから、ああいうチームの別け方になったのだそうだ。この事はある程度クロも知っており、あの子が居たから褐色のエルヴァは踏ん張れたのだと言う。

 何故ならクロは白いエルヴァの秘蔵っ子で、未来のアインツベルン総裁にと、白いエルヴァが養子にした弟子でもあったからだ。つまりなんとしても無事に帰さなければならなかったのだ。褐色のエルヴァが城に向かう前に戸惑ったのは、そんな重責を一任されたからだろう。

 また、白いエルヴァは膨大な魔力と異常な宝具を持つので、イリヤ以上に抑止に狙われやすいらしい。特殊な能力があるとマトリクスの利用でなく、英雄のように本人への勧誘が直接来る。それで中田さんに着いて行かなかったのだと話していた。

 そして、こういう立て籠もりのケースでは使い魔を放って下見をし、セイバー達を塔の最上階に転移させて一気に終わらせるのがセオリーだと大魔導師は話していた。空間を跳ばせるエルヴァなら、結界を抜いて使い魔をどこにでも送り込めるからだ。確かにその方が楽だし確実だ。

 けれど、あの場合は準守護者が決定していた。なので、ヒトの代表としてイリヤと衛宮君が、ガイアの代表たる中田さんと塔の最上階に行かなければならなかったのだそうだ。

 そこでの頑張りを裁定者や中田さんに示さなければ駄目だったらしい。よくはわからないけど、そういうルールみたいなものがあるのだという。

 今後、あの世界でのヒトとホシがどうなるのかはわからない。だけど────

 

「ガイアとはそういうコスモレベルのガイアがあって、その中に銀河レベルのガイア──仏教で言うところの転輪王ね──があって、その中に太陽系毎のガイアがあり、惑星毎のガイアがあるの。自治体が違うと考えるのが正解よ。地球上の生物が絶滅してもホシは困らないし、周りの星も問題ないワケ。けれど星の運行に乱れが出れば、他の惑星にも迷惑が掛かるわ。だからガイアの抑止が動いたのよ。けれどその中田さんはホシが派遣した抑止だったのでしょう? となると彼女を派遣した意志は、その上の存在に出て来られると困るのよ。だからエインズワースを滅ぼす目的から、人類を諦める方向に目的が変化したの。だけどエルは士郎クンと美遊ちゃんを救う上で、対価として聖杯を置いていった。まぁ、美遊ちゃんの替え玉なんだけどね。それがガイアの想定を超える対価だったの。わかる? 今までは美遊ちゃんが居たから、ホシは急激な滅びを待ってくれていたとも解釈できるのよ。でも能力や容量的に無理がある。ところがエルが置いていったのは本物の本物でしょう? 後はジュリアンという少年次第ね」

 

 少しはマシな結果になるだろうと大魔導師は締め括った。何がなんだかだけど……少しでも救われるのなら、結果は良かったのだろう。

 そして聖杯にはそれだけの価値があるのだ。根源に向かえるだけでは無いらしい。

 

「やっぱりネックはこの二人だったか」

 

 この場での御所、エルヴァの姉のイリヤさんだ。厳しい……。

 確かに勉強にはなったけれど、戦力外もいいところだった。私とルヴィアは項垂れるばかりだった。

 

「まぁ、こんなのどの魔導書にも載ってないしね。あ、今の講義料はそれぞれ1千万で良いから」

 

 私はルヴィアと顔を見合わせた。このがめつさ。私だ……。

 

「えっと……?」

「ユーロなら7万8千ユーロ。旧通貨なら、46万3千800マルッカ程度ですわ」

 

 ルヴィアがルヴィアに助け舟を出した。

 

「あ、ありがとうございます。となればかなり安い?」

「ええ、今の知識は書物に残せないものですわ。安いですわよ」

 

 安いって言うなよ……。

 何だか知らないうちに借金ができてしまった。勘弁してくれないかなぁ。師匠の師匠は悪魔だ。いや、今後の授業料と思えば安いのかな? 

 

「え!? となると僕や彼も?」

「いいえ。弟子筋のこの子達だけです。ただ、他言無用にお願いします」

「それは勿論。これ、出処が僕だと知れると抑止に狙われる?」

「可能性は大ですよ。衛宮さん、奥様は自然の触覚でしょう?」

「ま、まぁ……その通りですが」

「食事に一服盛られたり……」

「ま、まさか! そういう事!?」

「先生の冗談ですよ、お父さん」

「え?」

 

 小父様までからかうのか大魔導師は。白いエルヴァも姉のイリヤもクスクス笑っている。白い悪魔だ、コイツラ。

 

「ふ~ん、パンドラね。イリヤ、パンドラってゼウスが人類に送った刺客だったわよね?」

「そうです。ゼウスから依頼を受けてヘパイストスが鋳造した私達の遠い先輩です。馬鹿みたいに機能を盛り込んで。その機能の名が『全ての贈り物』、即ちパンドラなんですよ」

 

 大魔導師とイリヤさんの会話だが、どういう事だ? 

 

「パンドラは神が造った人造人間。即ちホムンクルスなのよ。世の男を惑わす魔性の魅力と美貌、家事全般に長けた才能、ベッドでは男を誑かす狡猾なテクニック。そんな女がありとあらゆる兵器が詰まった壺だか箱だか蔵だとかを持ち歩いてるのよ。どっかのアホな妹とそっくりでしょう?」

 

 え? え? 皆んなの頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。

 

「穿った見方をすればそう見えるってだけよ。重要なのはそんな者が神話の時代から残っていた世界だったという事。きっとそのパンドラの願いは自分が死ぬ事だったのだと思うわ。だってそんな物騒なものを背負わされて生きたくないし、彼女を利用しようとした魔術師はその兵器の危険性を何も考えてもいなかった訳でしょう?」

「全てが入っているという伝承のみを信じて、伝承の裏にある真実を見ていない。ありがちですよね?」

「そう、凜の言う通り。魔術師って目の前に人参がぶら下がったら、何も気にしないし、毒が入っているとも思わないで突っ走るバカの集団だわ。特にそのエインズワースって。どこの世界でも滅ぶはずよね」

 

 結局、そのエインズワースが地軸を狂わせ、地球を壊したのかどうかは謎のままだった。

 けれど結果を見ればそうだったのだろう。

 

「ピトスが開かなかったのは、パンドラが潜在意識で封印していたからでしょう。正規の鍵では開かなかった。だから、それを抉じ開けるのにダリウスは美遊ちゃんを欲した。けれど末裔のジュリアンは永久に封印するためにパンドラの死を願い、それを達成するために美遊ちゃんを欲した訳です。ここが矛盾というか皮肉ですが、彼女の死の概念も箱の中だったのでしょう」

 

 あ。じゃぁ? 

 

「だから全ての財宝を持つあの方の降臨を待たねばならなかったのです」

 

 そういう事か。同じモノをエルヴァが持っていても、クスリと同じで何が最適なのかは不明だったんだ。

 

「そう。それでその末裔は?」

「先程話した、お土産を渡して開放しましたよ」

「ねぇ? そいつに使えるの?」

「先生、希望って希薄な望みと書くのですよ? 達成したら地上の星を歌ってあげますよ」

「フフ……あなたって子は」

 

 成せるか成せないかは相手次第。酷薄なようにも見えるが、大魔導師はエルヴァが甘いと笑っていた。

 けれど恐ろしい事に、この白い悪魔は海底の霊脈をこことは違う世界で押えている。きっとその魔力総量は英霊九騎分を遥かに上回るのだろう。だからこその余裕だ。人類史上最強の魔術師だ。

 そして体内の宝具は宝石剣と似た効果もあるようで、きっとそこからも魔力を得ているのだ。おそらく、幾つかの並行世界でも霊地開発を行っていて、そこからも。

 また師匠や大魔導師も同じだろう。だから笑いあえるのだ。その霊脈に宝石剣を繋げる権利。それこそがエルヴァ達が師匠や先生に支払う渡し賃なんだ。

 でも、誰かを……。いや、縁のある私達のような存在を救けるためなら最小の対価で動き、遊びならキッチリ対価を、それが例え従者のセイバーからでも取り立てる。それがエルヴァなのだろう。

 そんな彼女が自分より魔術師に向いていると言った、この世界の幼いエルヴァ。私もルヴィアもきっとあの子に劣る。近い未来に抜かされ……もう抜かされているか……。

 けれど、倫敦で知己を得られたのは、私とルヴィアにとっては大成果だったと言えるのは間違いない。

 

 

「時に士郎君?」

「は、はい」

「君は高校に通うの?」

「いや、何だか今更な気もして」

「なら、ウチの旦那に弟子入りしない?」

「えっと、旦那って? そもそもあなたが誰なのかすら……」

 

 それはそうだ。

 そして大魔導師は改めて自己紹介し、夫であるシロウさんの事や、弟子の凜の事を話した。

 

「並行世界って訳がわかんないな……」

「まぁね。けど、旦那と一緒に料理をしたんでしょう? どうだった?」

「そりゃもう。口では言えません」

「そう。あいつみたいな道を歩む必要は無いけれど、料理を鍛え直すのは今後のためになると思うわ。よね? ルヴィア?」

「え!? あ、はい! その通りですわ!」

 

 ああ、攻略対象の和食スキルが上がれば、ハマっているルヴィアには嬉しいだろう。何より彼自身が手に職を持てる。

 見た目が対面の飲食業には向かないかも知れないけれど、対面を要しないホテルやレストランの厨房でなら仕事は十分にある。

 ルヴィアから回される仕事は、魔術師や死徒を狩るハンターか、隠された礼装や呪体を探すトレジャーハントが主だと考えられる。20代、30代は良くとも、40代、50代になってまで続ける仕事ではない。

 そこを考えれば料理は別の仕事を得る手段となり得る。私も美遊のためにも料理の修行は良い事だと思えた。たぶん先生もそのつもりなのだと思う。

 

「本来なら君が私達の世界へ修行に来ないといけないところだけど、この世界と縁が続くのは間違いないわ。旦那に出張させるから、弟子入りしなさいな」

「けど、良いんですか? 俺には何もお礼できるものや対価が用意できません」

「対価を決めるのは旦那よ。それにあいつがそんなのを求めるはずが無いわ。求めても、教えた料理で人々を笑顔にさせろってだけよ」

「そういう人っぽいですね。わかりました。修行させて下さい。お願いします」

 

 そうして衛宮君はシロウさんの弟子と決まった。

 

「そしてエル?」

「はい?」

「あんたじゃない。あっち」

 

 今度は褐色のエルヴァに用があるみたい。

 

「あなた、魔術回路は?」

「本数は今まで通りですが、お察しの通り受肉でリセットされています」

「じゃ、産まれたて?」

「いえ。感覚としては9~10歳頃と同じ程度だと」

「ふ~ん。なら、遅くとも7~8年経てば元に戻るわね?」

「そうですね。早ければ3~4年で。魔力はエル程では無いにせよ十分ですから」

「ちょっと触らしてね? あ、立たなくて良いから。辛いんでしょう?」

「はい……」

 

 そう言って大魔導師は褐色のエルヴァを、礼装の上から触診した。

 

「うん、魔術回路だけね、問題は。それ以外はなんとも無いわ。原因はあなたもわかっているだろうけど、宝具や家の刻印が失くなった事によって回路がそれに適応しようと柔軟性を得たからなの。ほとんどは宝具の方が原因だろうけど。それと、肉体を得るための触媒となったカードの能力を刻印に変えたでしょう? そこは問題ないと思うわ。だけど、精巧に造りすぎて残滓が付け入るって言うと変だけど、あなたの潜在能力を引き上げようとしているのね。要は例の英霊の能力を越えようとしているの。だからリセットとも言えるし、リメイクやリニューアルとも言えるわね。こんなのそこらの魔術師だと起きないわ。あなただから起きたのよ。本格的な完治には数年を要するだろうけど、取り敢えず今日一日安静にしていれば、魔術回路の不調は回復するでしょう」

 

 何だそれ……。けれど、皆んながホッとした。

 そして褐色のエルヴァの頬を撫でながら、大魔導師はこう言った。

 

「早くから気付いていたのでしょう? 本来のあなたなら、カード騒動の時点で手を打って改良するでしょうに。それを放ったらかして、騙し騙し小細工して──ここのイリヤやクロエを護る事を優先していたからなの?」

 

 小父様が辛そうな顔をした。

 

「それが今回は、敵が多過ぎてオーバーヒートした訳よ。幾らその場その場で霊脈を掴めても、マナがほとんど無かった世界だったのでしょう? それをそんな子供と同じ回路──それも変わろうとしている回路でもって。内からのオドで大魔術ばかり使えばそうなるのは当然よ。本当にバカな子だわ。けど、好きよ。そういうの。あなたらしいわ。今後は何も背負わなくて良いんでしょう? あなたはここで恋をして、可愛い赤ちゃんを産みなさいな。それにあちらはその事を羨む子じゃ無いし、あなたが幸せなら却って喜ぶわ。ね? エル?」

「はい……」

「へ~い」

 

 大魔導師の言葉に、やや顔を赤らめて小声で返事をする褐色のエルヴァ。

 白い方のエルヴァはそっぽを向きながら、良く通る声で返事をしていた。

 

「問題は見合う男が居るかどうかね?」

「待ってくれ! あなたが幾ら奇跡を体現した大魔導師だとしても、娘の大事な事を勝手に決めないでくれ!」

「わかってますよ、衛宮さん。けれど、この子が自分で良い人を見付けてもこのスペックですよ?」

「む……」

「それに、あなたの人脈ルートだと、過去があなたやこの子を苦しめます」

「うッ……」

「これも姥心ですよ。私もこの子には幸せになって欲しいので」

「そ、そうでしたか……」

「ええ、ネジ曲がって糸が引くほど腐っている元と違って、本音を話すエルですよ? ね、イリヤ?」

「先生……。姉としては否定したいところなのに、逆らえない真実に直面したような気分です」

 

 姉の言葉を黙って聞いていた白いエルヴァが、紅潮してプルプル震えていた。怒ってんの!? 

 

「Eloim, Essaim, Eloim, Essaim, frugativi et appellavi! 地獄に堕ちろ!」

 

 カッと目を見開き、ヤバイ呪文を唱えている。これ、有名なグリモワールだ。悪魔召喚や呪詛に使われる呪文。

 詠唱とともにブワッと魔方陣が床に広がる。それが壁を伝い、天井を覆い、部屋全体を一瞬で包んだ! 何だ、これ!? 

 ここまで巨大な魔方陣を一瞬で作り上げる力量にも驚かされるが、もう天才と認めているだけに、何が起きるのかとそちらが気になった。

 まさか大魔導師を……? そしてピカッと光り……何も起きなかった。

 

「な、何、今の!?」

「何ですの?!」

 

 それをイリヤさんが説明してくれた。

 

「ムカついた『怒り』という感情だけを、呪文に乗せて虚空へ送ったのよ。本人を見て。スッキリしているでしょう?」

 

 井戸に向かって叫んだり、ぬいぐるみに当たったりするあれみたいなものなのだとか。何だそれ? 

 少々魔力は必要らしいが、効果が高く気分転換には持って来いなのだと言う。文字通り悪い感情を棄て去る術で、彼女のオリジナルだそうだ。

 最初は変だと思ったけれど、彼女みたいな立場だとこういうのは役立つのだろう。魔術でも本格的な呪術でもなく、単なるお咒い。人に仇なすのでなく、気分転換に。へぇ~。

 エルヴァは遊びで、日常に即した魔術や呪術とも言えないような術を良く創るのだそうだ。けれど危険は無いし、効果があるので師匠やルヴィアも使っているとか。天才は変な意味でも天才だとは、あちらのルヴィアの弁だ。なるほど、深い……。

 

 

「イリヤ、明日か明後日には帰ろうか?」

「そうですね。もう終わったなら。後は倫敦への報告とか簡単な事だけでしょう? エル?」

「薄情な女どもだ。今週いっぱい残れば週末の土曜日が高等部の体育祭、翌日曜日が小学部の運動会ですのに」

「あ~。私達の方もそろそろよね。そっか、こっちは今週なんだ?」

「そうです。先日の日曜が母の日で、中等部の運動会でした。しかも姉さん、あいつのブルマ姿が満喫できるのですよ!」

「う、嘘!? ここってまだブルマなんだ?」

「ええ、高3にもなってフトモモ全開ですよ。あの健康的な褐色の肌にコントラストを与える白い体操服。存在を強調する上向いたバスト。そして鍛え抜かれ、引き締まったウエスト。慎ましいヒップを包むブルマ。ああ……想像するだけで。ビンビンと……」

 

 危ねぇ、コイツ。倫敦で味を占めた? ってか、私にウィンクすんな! 

 

「凛って、良い香りがしますよね?」

 

 殺したくなった。コイツはやっぱり……。

 

「それはともかく、某衛宮さんは今月発売の EF28-300mm/F3.5-5.6L IS USMを既に入手済みですし、朝イチからトリプル・アクセルで場所取りすると息巻いています」

「それはうちの切嗣も同じじゃない。去年あった美遊の運動会じゃ、場所取りにクアッド・アクセルまで使って血を吐いていたわ」

「どうして僕がレンズを買ったのを知ってるんだ?! それにそちらの僕は何をやってるんだ!?」

 

 ちょっ、運動会で魔術を使ったの!? 

 

「末の妹が1年生でしたので、櫓を組んでサンニッパやヨンニッパをその上にズラズラ並べて」

「す、凄いね……?」

「ええ。それに保護者参加の徒競走は、美遊のためにと実力で1番を取っていましたよ?」

「本当に凄いね。かなり身体を鍛えてるのかな?」

「ええ、普段から。一回り筋肉が多いと思います」

「そうか……。負けてられないね」

「けれど、運動会後は一番上の姉の鞘で手当されていました」

「アヴァロンか……無茶をし過ぎだよ。気持ちはわかるけれど……」

 

 衛宮の小父様が呆れていた。

 

「そっか、体育祭ね……。エル……いいえ、エルヴァ?」

「姉さん。姉さんは高校生活だけでなく、生徒会長としても最後の体育祭ですよね? 何かとご腐心されていると思います。ですから、心安らかにご自分の世界での体育祭をですね……」

「嫌よ。あなたが活躍する体育祭を見学したいの。そして衛宮さんが撮影したデータを切嗣やお母様に観て頂くのよ」

「エルヴァ、アキラメロン」

「エル……あなたのせいで……」

 

 顔を真っ赤にして抗議する褐色のエルヴァ。それを一切受け付けないイリヤさん。勝てないんだろうなぁ。小父様も苦笑いだ。

 

「衛宮君は美遊の応援に行かないの?」

「あのな? 遠坂さん、俺があちらのお兄さんと鉢合わせしたら不味いだろ? そりゃ美遊が元気に学校に通ってると聞けば嬉しいし、運動会の応援は是非とも行きたいけどさ」

「ああ、うちの士郎が行くとしたら、あの子達が6年生になってからじゃないかな? 恥ずかしいから来ないでくれって、去年言われてたから。認識阻害程度なら僕でも使えるから、良ければ連れて行くよ?」

「そうなんですか? 嬉しいお誘いだけど、行くと美遊も嫌がるだろうな……」

「バレなきゃ良いのさ。コソッと行ってあげなさい」

「そうですね」

「ただし、お弁当は作ってあげて。それを僕が上手く渡してあげるから」

「え、でも」

「そうなさいませ。私も応援に向かいますが、お弁当はイリヤやクロエと一緒でしょうから、小父様から渡すのが無難ですわよ。それに諸々の手続きも今週には終わります。貯蓄等の口座開設はそちらで行って頂かねばなりませんが、間に合わないようなら当方で立て替えておきますわ。当座に必要な金額を仰って下されば用立て致しますので」

「わかった。頼みます。何もかも甘えてしまって……申し訳ない」

 

 

 という事で姉さん達の滞在は今週いっぱいと決まりました。嫌だなぁ……。

 エルなんて完全に私で遊んでいる。けれどクラスの期待があるので、何時も通り頑張るだけですが。

 反省会が終わる頃に漸く立てるようになり、転身も解けたので、私はお母様にご挨拶をと向かいの家にお父さんと行きました。

 平日なので士郎クンや妹達は学校です。朝練に出る時刻を予測して妹達を帰らせたので、上手く誤魔化して学校に向かったようです。

 私ですか? 私は魔術回路の疲労がまだ残っていたので今日は休みました。凛とルヴィアは3限目から出ると学園に向かったので、欠席の旨を託けました。

 

「エルヴァちゃん……。無事で良かったわ」

 

 お母様が抱きしめて下さいます。それを有り難く感じ、そっと抱き返す私。

 お父さんが目を細めてうんうんと頷いていました。そこはかとなく誰かが悪い噂を立てているような気が。

 

 

「姉さん。あいつ回路が焼けてからこっち、可怪しくないですか? 敵の城で何があったのか、まるで賢者モードですよ」

「賢者? どういう流れで賢者?」

「いえ、何かを悟ったのか、開放されたのか、射精(だ)しちゃったのか、それは知りませんけど」

「はぁ? 意味が不明よ。けど、先生の説明通りでしょう? 受肉化で回路が若返り、新しい使い方を覚えなきゃならない。そこに神経が行ってるだけだと思うけど? でも、性格的な事を指して言ってるのなら、あっちのエルは出逢った時から真面目で可愛いらしいわね」

「異議あり!」

「何でよ? あなたも集中している時は大人しいじゃない。あの子が嫌いなの?」

「嫌ってはいませんが、あれは私ではありません」

「何を言ってるの? 要はそういう事でしょう?」

 

 会長と先輩の会話が噛み合ってない。

 

「お二人、こうは考えられませんか?」

「何、凜?」

「何ですか、凜?」

「向いの衛宮君。彼が英霊のチカラを降ろしていて、しかも女の子になったと」

「あ、エルはエルだけど、そんな感じだよね?」

「お兄ちゃんがグレずに、いつぞやみたいに女体化した感じだと?」

「そうそう、それよ。メイド服だった頃。そうだわ、雰囲気が似てるよねぇ」

「ええ、そんな気がします。まさかと思いますけど、カードに飲まれ掛かっているとか?」

「そうなの、エル?」

「そこまで精神が弱いとは思えませんけれど。ですが凜の見解は当たっていますね。回路がヘタっているから抵抗力が弱まっているのかも知れません。転身が解けなかったのもそのせいだと」

「なるほど。けど、お兄ちゃんは風邪か何かの病原菌なの?」

「ええ。英霊の精神世界が人の精神を侵食する様は正にウィルス。これをエミヤ菌と名付けましょう。雑菌にこそ相応しい」

「ヤメなさい。贋作者って言われるより傷付くわよ?」

「世界というオムニ・コンシューマ・プロダクツで再開発された存在に傷付く権利はありません」

「本当に感情を棄てて暴れまわるぞ! 姿が見えぬからと好き勝手に言いおって!」

「ククク……試してみるが良い。貴様の『無限の剣製』をも、我が宝具で取り込んでくれよう」

「とっくに取り込んどるクセに……」

 

 アーチャーさんが戻って来た。

 

「それに私がなりたかったのはギャ○ンだ。あの赤い礼装も蒸着しているのだぞ?」

 

 これは利いた。先輩が腹を抱えて笑っている。笑い過ぎて椅子からズリ落ちた。

 

「あ~、苦しい」

「それとあの子は君の科した枷から外れた。もうあの子は君では無い。その変化の兆候はバーサーカーのカードの頃から出ていたぞ?」

「そうなって貰うために、会席料理の日にキスをしたのです」

 

 あ、あれか。何かを贈ったというあれは、そういう意味だったんですね。つまり47番という役割は思考法をも縛っていた。その見えない枷を外してあげたんだ。

 となると、あの少し奥ゆかしい態度や雰囲気は、褐色の先輩の個性なんだ。

 

「で、リンの見立ては?」

「体調なら、今日一日寝ていれば大丈夫だそうです。ただ、受肉で魔術回路がリセットされただけでなく、リニューアルしようとしているらしく、そこを騙し騙し今まで通りの使い方をしたのでああなったらしいです」

「あの、城を溶かしたマグマではないか? あれがダメ押しをしたように感じる」

「メラガイアーでなくメラゾーマに抑えるべきだったと?」

「いや、メラやメラミに抑えるべきだった」

「お兄ちゃん……。あんた、座にPS2やSFCを置いてんのか?」

「それは義姉の影響だ。彼女が教えてくれたのだよ」

 

 巫女のイリヤさんは無類のゲーム好きだった。特にRPGが好きで、シューティングやドライビングも得意だった。

 先輩方の家の、会長と先輩が共同で使われるリビングに巨大なAQUOSが置いてあり、暇さえあればゲームをされている。

 会長も先輩もテレビは見ない人なのだ。だからあのモニターにはアンテナ線が繋がっていない。イリヤさんのゲームか、会長や先輩が買って来た映画の再生専用だった。

 そんなイリヤさんは、御自分の聖杯戦争で、森の城にわざわざ電線を引いてゲームをしていたのだという。時々、気が向いたら衛宮士郎君に意味不明な助言を与えたり、失敗した目玉焼きを無理くり食べさせたり、バーサーカーにリモコン用電池を買いに走らせたりしていたらしい。

 そんな変な事ばかりしていたら、勝手に最後の最後まで生き残れたのだと言うのだから凄い。

 そして時々、元の世界のシロウにサクラ、そしてリンに逢いたいと仰る。私達の世界は気に入ってるので戻る気は無いそうだが、元気で居るよと知らせたいのだとか。

 アーチャーさんと同じで受肉がネックとなっている。大きくも小さくもなれるので今のままで良いらしいが、衛宮の小父様と小母様はとても心配されているのだった。

 

「それで守備はいかがでした?」

「ああ、鍵を預かって来た。購入価格は荒れ具合を指摘して、実質土地代だけの4千万だ」

「現金で?」

「ああ、オーギュストが用意していた」

「わかりました。後で返却致します。ですが思ったより安かったですね。あの土地なら億近くは行くでしょうに? あの一帯の土地を扱う不動産屋は藤村組のフロントでしたよね?」

「そうだ。それでここを買い上げたエーデルフェルトが手を出すのかとなって揉めそうだったのだ」

「でしょうね。藤村組がエーデルフェルトの実態を知っていれば、言い値で即売でしょうけれど」

「うむ。が、ここで無茶はできんだろう? そこでさり気なく衛宮からの依頼なので、雷画氏を通してくれないかと」

「ハッタリ? 悪手ですよ?」

「普通ならな。実は行き掛けにジイサ……切嗣氏から名を出して良いと言われていたのだ」

「なるほど。ここでも関係があった訳ですね?」

「第四次があったならそうなるだろう。あの人は表の事は知らぬ存ぜぬを通すのに、裏稼業の者には筋を通すからなぁ」

「その仁義があるから仕事が回る面もありますからね。しかし、その値引きは条件付きでしょう?」

「ああ、修繕・修理は認めるが改築・新築はまかりならんと」

「でしょうね」

 

 藤村組は冬木に江戸時代から根を張るテキ屋の元締めだ。本業は神社仏閣の縁日での店の仕切りや出店だ。

 勿論、街の用心棒も兼ねているので、みかじめ料や花代なども夜の飲食店から取っている。けれど、かなり良心的な価格だと私は父から聞いていた。

 父も繁華街やオフィス街にビルを結構持っているので詳しいのだ。それに父が魔術師である事を知っている、数少ない人間の一人が歴代の藤村組組長だった。

 それは聖杯戦争での犠牲を抑えたい遠坂と、街の人の安寧を願う藤村組の思惑が一致したが故だ。荒くれ者も多いし、いわゆる暴力団と抗争していた時期もあったので同一視されがちだが、冬木の藤村組は実はそういった他の組とは一線を画した存在なのだった。

 何より忘八者としては江戸時代以前の戦国時代から連綿と続く日本一古い一家なので、その道の人からは畏敬の念を抱かれていたりもする。

 こういう事に衛宮の小父様は鼻が利く。きっとここでも筋を通していたのだろう。また、あの武家屋敷はその昔の、藤村何某がお世話になった恩人の家だったとも聞いている。どこの小父様も組長に余程気に入られたのだろう。また、衛宮士郎君も。

 

「そういう事で、エル……。戻るのは今週いっぱい待ってくれんか?」

「手直しですか? 業者を喚べば?」

「いや、あの家こそ……。それにアイツはどこの小僧とも違う。だろう?」

「ま、お兄ちゃんみたいにならないタイプではありますね。わかりました。少々の損失は目を瞑りましょう」

「悪い、助かる」

 

 ここが先輩だ。もう滞在延長は決まっているのに、ここぞとばかりに恩を売るのだ。

 けれどアーチャーさんの希望日数と体育祭や運動会の日程が一致するのは、先輩が持つ豪運のせいだ。そしてアーチャーさんはそんな事を露程も知らず、ただ自分の思い入れだけで一文の得にもならない家の修繕を願い出てしまう。

 きっと美遊ちゃんのお兄さんは自分のような守護者にはならない。その事が嬉しいだけで、材料の費用も工賃も被るつもりなのだ。

 会長が溜息を吐きつつ先輩をツンツン突いた。先輩はわかっていますよと頷く。この修繕費も先輩が持つのだろう。土地代も先輩が支払うのに。これが私の知る先輩とアーチャーさんの関係だ。

 衛宮さんはルヴィアに伴われ美遊ちゃんの部屋を見学したり、シロウさんと厨房で料理談義をしていたのでこの場には居ない。

 凛さんは師匠の私を差し置いて、先生に引き摺られてどこかへ連れて行かれた。きっと楽しい思いをしているだろう。

 

「このまま衛宮君はお金の事に気付かないままですか?」

「そんなの一段落してからで良いのよ、凜。それにエルも返して欲しいのでは無いでしょう? ここのエルやルヴィアに何かを返してくれるのなら」

「姉さんに先に言われては。ですが、エルヴァには15億分の宝石や金塊を渡してあります。それ等の換金もエーデルフェルトが終えていますし、口座も開いたと聞いています。ですからエルヴァも落ち着けば事業を始めて、良い塩梅にあのお兄ちゃんを活かすでしょう」

「そうね。人材としては優秀だと思うわ。それに美遊ちゃんが彼にとってのジェミニと言うか。あの子が居るなら、お兄ちゃんの言う通りで、彼は大丈夫よ。何か彼向きな仕事を探して上げなさいな」

 

 会長の言葉に頷く私と先輩とアーチャーさんだった。

 

「ところでお兄ちゃん?」

「何だ?」

「隣の婆ァも掃除しておいて下さいね」

「安心しろ。時間のズレがこういうところで出ているようだ。お隣は家を売って、とっくに施設生活だった。買い上げたのは藤村組で、既に駐車場になっていたよ」

「ああ……。あの女の人はどうしたのでしょうね」

 

 これはどういう事かと説明すると──

 武家屋敷街は段々になった、ひな壇みたいな土地で、先輩や会長が以前お住まいだった家は一番上の段に建っていた。

 都合七軒程で円蔵山に向かって右端が以前の家、その隣が藤村組組長の家だった。

 ところが右端の家の右、その奥まったところに、もう一軒平屋があり、大昔は鍛冶屋か何かだったらしい。大正の頃に廃業して長年空き家だったと聞いている。

 そんな古い民家に戦後のドサクサに紛れたのか、再び人が住むようになった。新しい家人は街に馴染まぬ勝手気侭な人達で、近所の人々はほとほと迷惑していたのだとか。

 やがて代替わりし、家人の顔触れも代わったが、その家の老母が癇癪持ちで気性の激しい人だった。一人息子は大人しい役所務めであったが、いい歳になりお嫁さんを貰った。

 このお嫁さんが実にできた人で近所の評判も上々だった。けれど、気に食わない義母はああだこうだと難癖を付けてはお嫁さんを泣かしていた。

 やがて赤ちゃんを身籠ったが、残念にも流れてしまった。そんな頃に先輩方が武家屋敷を買い取ったのだ。

 

 銀髪の双子は町内でも有名で、色んな人から可愛がられた。

 中でもお向いのお婆さんやお隣の組長、その隣の奥さんや、隣の平屋の若奥さんには可愛がられた。

 けれど、母親のアイリ小母様が美遊ちゃんをお腹に宿した頃、お隣で夜な夜な大きな音がした。やがてそれはガラスの割れる音であったり、食器が砕ける音だと判明した。

 そう、若奥さんが再び身籠ったのだ。そしてそれが気に入らない義母が前の子と同じように殺そうと暴れていたのだ。

 小母様の身が心配だった先輩は単身乗り込み、お嫁さんを救けた。弁護士を雇い離婚させ、司法に告発した。隣の家を買いあげ、別口で用立てたお金をお嫁さんに渡して逃してあげたのだ。

 当然の文句が出るはずが一切無かった。義母は痴呆にさせられ施設に放り込まれたのだ。

 そしてお嫁さんが蹴られようが叩かれようがヘラヘラと傍観者だった旦那さんは魂の改竄を受け、今も元お嫁さんに慰謝料を払い続けるロボットみたいにされた。

 あの時の奥さんが、今は新都のスーパーで働き、女手一つで娘さんを育てている。その娘さんは美遊ちゃんの友達であるが、私の知る限りどこの世界にも居ない。

 

 また、衛宮士郎君が一人住まいになってから、家の前の角がゴミの回収場所になるのは、この義母の押し付けがあったからだ。

 小学校高学年か、中学1年生の男の子の一人住まい。後見人が藤村雷画さんだとしても、表立って名は出していない。なので体良く利用されるのだ。

 毎度毎度、どこの衛宮君に聞いても親切そうなあのお婆さんが? そんなまさかと返す。お隣で胎児が二度も殺されているのに。しかも二度目の時はここに住んでいるのに気付かなかったのだ。

 アーチャーさん曰く、身近に潜む悪を見逃す輩に正義を語る資格はない、だ。勿論、ご自分の反省込みでの言葉だ。そしてこの事件はシロウさんも生前気付かなかったのだ。

 先輩だけが気付き、一人の命を救い、未来に希望を繋いだのだった。

 

 

 翌朝。

 今朝もジョギングをしようといつも通り出ているのだが、エルヴァがまだ出て来ない。

 私は一緒に走るエルヴァを待つ間、前庭にアサシンを集め、お兄ちゃんを手伝って買い取った家を掃除するように伝えた。

 

「エル、あの子はまだ調子が悪いのよ。私が残るから、走っておいで」

 

 そう姉さんに言われたので軽く走って来た。戻って食堂に入ると、制服に着替えたエルヴァが居た。

 

「おはようございます。大丈夫ですか?」

「おはようございます。すみません、一緒に走れず。かなり待って頂いたみたいで」

「それは構いませんが、学校に?」

「ええ。今日明日と魔術を使わなければ大丈夫ですよ」

「そうですか。使い魔を預けるのとアサシンに潜入されるのと、どちらが良いですか?」

「それは姉さんが?」

「姉さんだけではありません。私も心配しています」

「わかりました。使い魔を預かります」

 

 そう渋々という訳でも無かった。

 出逢った時から私より素直で大人しい彼女は、昨日から特に静かだ。チューリッヒで別れたエルヴァを彷彿とさせる。

 失礼と先に申し添えて、おでこに手のひらを当てた。熱は無いし、先日より魔術回路は安定している。変わるつつあるにせよ、問題は無さそうだ。日課のジョギングを控えたのが良かったのか、私の見立てでもお昼には体調不良も寛解するだろうと思えた。

 けれど……。じっと彼女の瞳を見詰めた。コクンと小さく頷くエルヴァ。やっぱり。タイミングが重なったのか。

 

「昨夜辺りからですか?」

「いえ、今朝起きたら。そろそろとは考えていましたので、先にあれこれ揃えて正解でした」

「痛みはありませんか?」

「今は。気分も別に。憂鬱になったりもありません。意外と軽いタイプなのかも」

「姉さんと同じですね」

 

 宝具を持つ私が未だ体験していないもの。それが彼女に来たのだ。

 やがて18歳になろうかというのに、私には月のものがない。怪しまれないようにエア生理で、時々体育を見学するという涙ぐましい努力をしている。月間ブロックの手帳には、架空の周期で生理予定日や毎朝測る基礎体温や血圧が記入されていた。

 基礎体温と血圧は魔術回路の調子にも関係するので、毎日欠かさず測っている魔術師は多い。だけど、もう彼女は架空の周期を手帳に刻む必要が失くなった。そんな虚しい努力から開放された。エルヴァは初経(初潮)を迎えたのだ。

 先生では無いが、良い人を見付けて可愛い赤ちゃんを産んで欲しいと心から思う。

 

「姉さんには黙っていますね」

「ええ。この歳でお赤飯を炊かれても。それにあなたに悪い気がします」

「いいえ。つらいようなら言って下さい。薬を処方しますから」

「そこまで心配されるとは……。意外でした」

「今となっては、私もあなたの姉みたいなものですから」

 

 本音を話してみた。するとゲフンゲフンと。咽るとは失礼な。

 

「期せずして、私から別れたパーフェクトソルジャーがあなたですよ?」

「私が咽たからと。別にヂヂリウムが必要な訳ではありませんよ? 半英霊という意味ならその通りですが。それと初めてなのでナプキンです。触媒用に要ります?」

「今夜、頂きに上がります」

 

 生理が来ない私はこの手の触媒用血液採取を、注射器で僅かに残った処女膜から採血していた。

 私は一応処女だが、自己探究心が旺盛なので処女膜は一部を残して擦り切れていた。だから、まさかエルヴァが受肉で再生しているとは露程も思わなかったのだ。

 今、思い返してもこの子には悪い事をしたと思う。私は彼女を自分の分身であり、自分の一部だと考えていた。まるで自分の所有物のように思い込んでいた。私とは違う側面が、半英霊化する事で出ているだけだと考えていた。けれど、それは違っていた。彼女には彼女の個性があったのだ。

 そうとは気付かなかった倫敦での夜。魔力供給のパス形成のついでに、サービス精神を発揮し過ぎた。さすがに4時間は長かった。本当に申し訳ない。ともあれ、あの注射針の痛みから開放されるかと思えば嬉しかったのも事実だ。預かったブツから抽出した成分を培養すれば良いだけだ。

 そこへ紅茶を片手に姉さんが加わった。先程までの会話内容は聞こえていない。

 

「お兄ちゃんの影響は無いの?」

「ああ、精神の侵食をご心配されて……。なるほど、昨日は回路がヘタっていましたものね。そういう風に見えましたか?」

「ええ」

「なら、大丈夫ですよ。ご心配をお掛けしました」

 

 そうして彼女は元気良く行ってきますと学園に向かった。朝練を休んだ分、今日は帰りが遅くなると言い残して。

 だから自転車でなくバス通学だという。薫がスランプで、その自主練に付き合って神社の弓道場へ行くのだと知った姉は別の意味で心配していた。けれど使い魔で観察した限り、もう大丈夫だろう。

 

 

 授業が終わった後、私と薫は神社行きのバスに乗った。

 部活には薫が話を通していた。弓具や道着などは当然それぞれが持っている。ここは神社でなく冬木市の経営だった。受付で予約の旨を申し出、使用料300円を支払う。

 一般市民は500円で市外の人だと600円なのだそうだ。学生は一律300円。これが遠的射場の場合。

 近的だと使用料が一般市民で1000円。市外の人は1200円。学生は600円と倍になる。試合なども行われており、その場合の専有使用料は時間帯により2000円から5000円の間だ。

 更衣室のロッカーは鍵付きのコイン式で200円。下足室は鍵有りと鍵無しがあって、鍵付きだと100円だ。

 高いと思うだろうか? 管理費や諸々の人件費を考えれば、さすがは市営で安いと私は思うのだけれど。

 遠的は五人立てで、左端が空いていた。これも薫が要望を伝えてあったそうだ。今日は6時間目が体育だったので、着替え終えた私達は軽い柔軟を終えれば直ぐ様射場に入った。

 

 早速弓を薫に握って貰う。6時までなので時間が無いのだ。

 遠的の狙いは矢が落ちる事を見越して、的のかなり上の何もないところに付ける。馴れないと.45ACPで100m先のマンターゲットを狙うより難しいかも知れない。

 弦や弓は個々人で強めたりする場合があるが、基本は近的と同じ弓を使う人がほとんどだろう。ただ、矢は遠くまで飛ばせるように矢羽の長さや幅が短く、重量も軽い専用品が使われる場合が多い。

 また、これらは遠い的にしっかり刺さるように、板付けという鏃(矢尻)部分が尖っていた。当然薫はそれら遠的専用の矢を用意していたし、私も先日揃えていた。

 さて、構えて貰えば薫は引き分けで腰を切ったりせず、中胴のまま大三で仰角にしていた。つまり動きの止まる時に角度を付けているのだ。この他に大三で退き胴にして引き分けにする方法と、会で退き胴にして仰角にする方法がある。

 後の二つは近的と同じように引けるので、両方の距離で弓を引く人に多い。弓道は水平な場に立ち、足場や身体の向きから作っていくものだ。けれど、彼女の構え方だと爪先上がりや爪先下がりでも射る事が可能だろう。

 全然姿勢は違うのだが、こと的付け(狙い)の仕方はコンパウンドボウを射ていた私と似ていると思う。私も中胴のまま大三で狙いを決めるタイプだ。こうでなければ狩猟に使えないのだった。

 ただ、英霊の能力を使い、フェイルノートを引く時だけは違う。もっと極端に最初の打起しから仰角にしている。こうでなければ数百メートル先の的付けができないのだ。

 

 さて、その薫の1射目、2射目は真っ直ぐ的の上を抜けた。けれど3射目からは的内を上下するだけで、左右には絶対にブレなかった。

 彼女はやはり遠的に向いている。あのビクも現れない。弓手は綺麗に定まっているし、弦を引く馬手の角度も取った仰角と一致していた。何より離れが気持ち良い。

 遠的とは、ここまでしないと矢が的に届かないものなのだ。けれど思った通りだった。彼女の頭や身体の中にある照準は遠的用だ。

 近的で矢を上に外したり、ビクが出るのも無意識で仰角を取ろうとしていたからかも知れない。思い返せば離れが違っていた。

 

「やはりあなたは遠的の人ですね?」

「ああ、エルヴァの言う通りだな。私はこっちが向いているよ」

 

 この頃は薫を含め、クラスで仲の良い人や、部活の同学年は私をエルヴァと名前で呼んでいた。

 

「ですが、この感触をものにすれば、再び近的でも安定しますよ」

「そうだな。そうなると嬉しいな」

 

 交代して射場に立つ。

 

『愛 尼 煩悩 魔僧都』

 

 魔力は通さないが、集中する時につい呟いてしまう。

 元はエルがお兄ちゃんをからかう時の偽呪文だったのに。何時しか私はこれが自分の呪文になっていた。番えた矢は軽い放物線を描いた後、60メートル離れた直径100センチの的に吸い込まれた。

 何射かした後に、私達は道場を出た。

 

「お前、遠的も上手いな?」

「逆ですよ。あなたと同じで、私も本来は遠的タイプなのですよ」

「そうなのか?」

「はい。ライフルを撃つと話したでしょう? それに狩猟で使うコンパウンドボウも獲物の距離は100メートルくらいです。それもあって頭の中のサイト……狙いが、遠距離用なのですよ。となれば近的なんて真っ直ぐにしか飛ばない範囲でしょう?」

「そうだな。獲物がどうとかはわからないけど、真っ直ぐ飛ぶって……そういう感覚を忘れていたな」

「映画のロビン・フッドみたいにどこまでも真っ直ぐ。私はああいう矢が好きです」

「だな。私もあれは観たよ。カッコいいよな?」

「はい。それでですね。私は、あなたなら遠的で全国を狙えると思います」

「無茶言うな。一次予選と決定戦を勝ち抜かないと全国には行けないんだぞ?」

「私、あなた、美綴さんの三人でこの夏、狙いませんか? 近的の試合がある美綴さんには厳しいですか?」

「マジか。けど、試合はたいてい同会場で別時間だ。それに美綴なら……お前が引くってなら喜んで補欠でも何でもするって言うだろうな。そうだな……美綴が出れない場合の補欠も立ててやってみるか」

「ええ」

「じゃ、美綴に伝えておくよ」

 

 実は私自身が士郎クンに焚き付けられていたのだ。

 そして、私達3年生を差し置いて、2年の間と先生やコーチの間では話が纏まっていたのだ。男子の選手は個人だけど、そちらもとっくに決定済みだった。そこで女子は美綴さんが薫や私と組めるのなら狙うと宣言してくれていたらしい。

 

 こうして私の高校生活最後の夏は、生涯忘れられないとても熱い日々となったのだった。

 

 

 

 私は妹のエルと使い魔を通して、もう一人の妹の遠的を観ていた。薫は当然だが、あの子の矢に私は痺れた。

 私は中等部に入る以前から志保さんの手解きで弓道を学んでいた。小柄な6年生の女の子がやるような競技では無かったけれど、書道や茶道を嗜む私に、お前なら合うスポーツだと薦めてくれたのが薫だったのだ。

 今だにスポーツなのか武道なのか、はたまた書道や茶道に通じる精神修養と美を追求する道なのかで悩む場合がある。ある意味、美術部員になった気がするのが弓道だった。

 そして志保さんを紹介され、志保さん達を指導されるコーチから、薫とともに学ぶようになった。その方は穂群原学園弓道部のコーチでもあった。きっと薫は一人だと気恥ずかしかったのだろう。

 それはそうだと思う。当時の志保さんは中学3年生とはいえ、高校生と混じって練習するような人だったし、大人のコーチから学ぶのは勇気が要ったと思うから。

 そんな志保さんは、薫の家とご近所で長年の幼馴染みだった。やはり女の子同士なので、弟の司郎クンより志保さんと遊ぶ事の方が多かったらしい。

 やがて志保さんは未遠の跡を継ぐために、神社へ養子に出た。ただこれは戸籍上だけの話で、実家を離れた訳ではない。

 私達が中学に上がり、志保さんは高校生になった。弓道場でも志保さんは親切で明るく、私達中等部生の憧れだった。またその生来の真面目な性格は、高等部の先輩方も愛でており、随分と可愛がられていた。

 その御蔭で私と薫も贔屓にされ、高校生から練習を良く診て貰えた。だから、私と薫は中等部でも全国大会まで行けたのだ。

 時は過ぎ、志保さんが高等部を卒業した後に、私達は高校1年生になった。期待の新人と持て囃され、先輩方と熱心に練習した。

 1年生の頃は二次予選の決定戦で泣いた。全国なんて遠い遠い場所だった。当時の3年生は私達が中等部1年生の時の3年生も多かった。手取り足取り親身になって教えてくれた先輩方だ。

 何時も居残って、私達新人や中等部生の行き届かない手入れを手直しして下さっていた。道場の清掃も的張りにも手を抜かない真面目な方ばかり。尊敬していたし好きだった。そんな先輩方の涙。

 だから2年になった私達は、一つ上の新3年生となった先輩方と全国を誓った。一次予選に決定戦と、とんとん拍子で優勝。ブロック大会では優勝したが、総体の全国大会では2位止まりだった。周りの人は褒めてくれたけれど悔しかった。

 そして去年の夏、薫達は近的とは別に三人立てで遠的にも挑んでいた。私は近的専門なのか遠的は試しても全然だった。なので補欠と称するマネージャーとして、ブロック大会の遠的会場に着いて行ったのだった。

 あの時の薫の悔し涙が忘れられない。薫だけは皆中だったのだ。だけどチーム戦なので仕方ない。ここで仲間を非難する薫ではない。

 そんな薫と私は親友だ。そしてエルと薫も親友だった。三人とも穂群原初等部からの顔馴染みだけれど、エルと被る友人は少ない。

 そういうエルと同じ記憶を持つ妹が、遠的で全国を狙う。それも薫とともに。私はジーンと胸が熱くなった。

 

「エル、どうしよう」

「何がですか?」

「私、なんだか泣きそう」

「三人目に入りたかった?」

「ううん。私に遠的は無理よ。けど一緒に全国に行きたいわ」

「始まったばかりですよ。一次予選はともかく、決定戦は難しいのでは?」

「薫にエルに綾子ちゃんよ?」

「ここの薫はスランプから抜けたばかりですし、綾子の実力も不明ですよ」

「いいえ。行くわ、あの子達は」

 

 

 やがてすっかり日も沈んだ頃に、向かいの家で報告を終えたエルが帰って来た。

 

「お帰りなさい。観たわよ。やはりあなたは遠的なのね?」

「ただいま戻りました。そうですね、どちらかと言えば遠的でしょうね」

「淡々としているわね?」

「まだ足踏みが始まったばかりです。一喜一憂は早いですよ?」

 

 嗜められてしまった。思わず横に居るエルを見る。

 そうだ、この子は姉の私と違って一族の長であり、企業のオーナーだった。その重責から開放されたとはいえ、心構えが一学生の私とは違うのだ。言葉が出ない。だから抱きしめるしか無かった。

 

「姉さん……。行けるところまで行くだけですよ」

 

 そう言って抱き返してくれた。

 白い方の妹は少しむくれた顔をしていた。小学生の頃以来、見ていない顔だ。妬いてくれてるの? へぇ~。

 そして離れた後、私は彼女の弓具を見させて貰った。カケや弓に矢は普通道場に置くものだ。だけど、案の定予備を持っていた。矢の予備はわかる。それに足して弓があるのだ。つまり二張り持ちだ。これは本気だな。

 

 ポツポツと話す言葉の少ない妹。

 曰く、私の射が好きだったので、やってみたかった。

 曰く、美綴さんと士郎クンがレギュラーに入らない自分を惜しんでくれ、先生やコーチが尽力してくれた。

 曰く、お互い3年の薫と最後のチャンスに挑みたかった。

 それならと、私は彼女に頼んで弓を見せて貰った。弓袋から取り出されたそれは、青というより紺色。

 

「色はともかくバンブー? 道場のは?」

「同じバンブーです。あちらは18kgですが、こちらは姉さんと同じ15kgですよ」

 

 私はもっと反動の弱い弓が好みなのだけど。ⅠやⅡよりマシとは思うけど、この子はこのⅢを選ぶんだ? へぇ~。

 

「なんで弓力の違うものを?」

「素引きに使ったり、射型を乱さずにチカラを抑えた射が学べるからです」

 

 この子……。英霊のチカラを普段の生活に適応させようとしているのか。きっとその恩恵だ、これは。

 弦にタオルを当てて、軽く引かせて貰った。ルヴィアの家は天井が高いので何の問題もない。握り具合が良い。少し入木な弓は角見を効かせやすいだろう。関板のキズは、何度か矢を射ている証拠だ。

 そっとタオルを捲くれば、中仕掛けがとても綺麗に巻かれてあった。

 少し気になるのは矢筈の当たった痕が数ヶ所ある点だった。本来の位置の上に二ヶ所、下に一ヶ所。

 

「この筈の痕は?」

「矢勢重視か、矢飛び重視か、伸びを出すのかで変えています」

「どういう事?」

「ハーモニクスポイントを外せば弦の振幅を大きく拾えます。それプラス、筈が弦から離れるタイミングで角見をほんの少しグッと。弓返しにならず、弓返りで収まる範囲でスナップを効かせれば、伸びのある落ちない矢が放てます」

 

 アーチャーの能力を得た妹はこんな事を言うのか。エルまでが目を丸くしている。

 この子は弓を一弦ベースみたいに捉え、弦の振幅を弓の復元力にプラスしているのだ。元来、それが角見の働きだ。角見とは親指の付け根の部分を指し、そこを右方向、つまり反時計回りに効かせる事で弦の軌道を外に流す事をいう。

 これを行うから矢は狙い通りに真っすぐ飛び、その勢いで弓返りが起きるのだ。

 これは和弓に抉ったレストがなく、そのままだと矢が右に飛ぶのを是正するために先人が編み出した方法だった。そしてこの角見の働きで僅かながら、返る弦の勢いが強くなる。これが矢勢となって現れるのだ。

 矢勢は初速、矢飛びは直進性、伸びは野球のボールと同じで最後まで衰えないスピードをいう。それをほんの少し与えるのでなく、コントロールして更に与えたりしているのだ。

 きっと他にも細かな事をしていて、弓道場や会場の風や湿度、気温に応じて変えるのだろう。

 初日の神業的な射はエルから聞いていた。その秘密の一端がこれなのだ。元々ライフル射撃をしていて、コンパウンドボウで狩猟をしていた子だ。遠的に向くだろうとは思っていたが、こちらの想像の遥か上だった。

 

「エルヴァ、あなたのフェイルノートを見せて」

「姉さん……」

 

 この時の私は声が冷たかったかも知れない。でも、この子はもうエルではない。

 可愛い妹には違いないが、弓引きのエルヴァだ。ならば、同じ弓引きとして残せるものを残してあげたい。異世界で生きると決めた妹に。

 そのフェイルノートは義兄のそれとは違い、握りが真ん中でなく下から2/5の辺りにあった。これも弦を楽器の弦と考えるなら、ここもハーモニクスポイントだ。

 対する和弓は下から1/3の部分に握りがある。この方が真ん中より衝撃が少ないからだと言われるが、この歪さから馬上でも世界に類を見ない大弓が引けるのだった。

 手に取るまでもなく、レストが左でなく右にある事に気付いた。それも中心まで抉れていない。つまりこの子は洋弓で角見を効かせているのだ。弓力は……あれ? 私の弓と同じ? 

 

「それをお兄ちゃんに見せて投影し直して下さい。それが今の私です」

「わざと弓力を下げたのね。ありがとう。じゃぁ、今の私を見て、焼き付けて」

 

 頷いたエルが壁に泡沫空間を作った。そして矢を投影してくれた。カケが無いので、指先を強化した。髪も左に寄せておく。

 的となる空間に合わせて足踏みをし、胴造りする。弓構えでレストに矢を架け、物見する。そこから打起し、大三から引分けた時に褐色の妹は感嘆の溜息を吐いた。そして会に至り、離れから残心。矢は気持ち良く虚空に消えた。

 

「姉さん! さすがです!」

 

 興奮した妹は、ビデオに残したいとまで言う。はい? 

 そこで待っていてくれと頼まれ、更に使い魔をエルに出させ、エルを別室に押し込んだ。エルヴァは携帯電話で士郎クンを喚んだ。なるほど。

 なので私は髪を束ね直し、士郎クンが見詰める前で和弓を引いた。当然タオルを巻いた素引きだ。なので会で戻している。別室ではエルと、もう一人の士郎クンや凛にルヴィアが観ていた。

 

「これは……。エルヴァさんからお姉さんは上手いと聞いていたけど……」

「どうです、士郎クン。違うでしょう?」

 

 そしてエルの頼みで士郎クンに素引きして貰い、射形を指導した。かなり上手い。熱心に練習しているからだろう。どこの衛宮士郎クンより上手いと感じた。

 けれど志保さんの薫陶を得て、私達と切磋琢磨している遠坂司郎クンには僅かながら及ばないと思う。なのに……。

 天性の才能は会の短さに繋がるものだ。会が短ければ、中てに行く弓になりやすい。それでも外さないのがエミヤだけれど。会までしか見ていないのに、彼にはその危うさが無いのだ。

 エルヴァが片目を瞑った。距離感だ。彼は人生を急いでいない。正義の味方を目指していない。でも芯の強さは同じで、その強さで以って弓を引いている。

 私は指導しながら彼の目指している射形を瞼に浮かべた。眩いばかりの射の先に、英霊エミヤの陰もシロウさんの陰も無い。ああ、司郎クンと同じものを、彼は衛宮士郎のカタチとして掴み掛かっている。

 ただ真っ直ぐ、己を無心に。けれど司郎クンの全てを乗せて矢は的に吸い込まれて行く。それはきっと士郎クンも同じだろう。

 彼には導いてくれる志保さんが居ない。それでも私のアドヴァイスを忘れず、エルヴァに学べばそこは近い。そしてその先だ。男女の違いはあれど、志保さんの目指す射。私は彼にそれを伝えたかった。

 

「ありがとうございます! 見えた気がします。エルヴァさんのを観て自分なりに工夫していましたが、どこが良くてどこが駄目だったのか……それがもっとハッキリわかりました。本当にありがとうございます」

 

 伝わったみたいだ。良かった。

 

「それで、良ければ部の皆んなにも見せて頂けませんか?」

 

 はい? 褐色の妹が笑っている。あれ? これは私の性格と士郎クンの性格を読んだ上での仕込み? 私は嵌められた? 

 けれど、一時の感動も記憶の風化とともに掠れて消えていく。指標となる何かが無ければ、我流に陥る。なら仕方ない。

 翌日。髪をポニーテールに纏め、妹の予備の道着を着た私は学園弓道場の的前に立っていた。

 

 

 夜10時を回った頃、エルが部屋に来た。予め用意してあったブツを渡す。

 魔力を帯びた経血。彼女ならきっと魔術医療に活かしてくれるだろう。

 

「ありがとうございます。これで何人ものホムンクスが救えます」

 

 彼女の鋳造したそれでなく、他家のホムンクルスの事だ。

 特にアハト系の者達には意味がある。この血は延命の特効薬となるのだ。

 アハトが鋳造したタイプは5~6年で耐用年数が尽きる。これまでも延命処置は様々行ったが、一番の特効薬は処女膜から採血した血で作った血清の注射だった。半分ヒトの血が混ざるとは、それだけ生命力に溢れているとも言えた。だから経血までが特効薬となってしまう。アハトの調整を受けた姉には不可能な、生理のないエルにも無理な、私にだけ可能な事。

 それ以外の使い途もある。例えば彼女が鋳造した素形に魂を移し替える場合だ。この場合にも、この血は触媒として使えるのだ。どうせ元は同一人物だ。彼女の手でホムンクルス達が救われるなら、恥も何も無かった。

 間桐の術で、愛液や恥垢から触媒になる品を生成する方法がある。他の誰かとなら絶対に嫌だが、彼女とならそういう採集活動をしても構わないとまで考えていた。なので生理中とはいえ、この時の私は抱かれる覚悟を持っていた。なのにエルはおやすみと言って、キスをして自室に帰ってしまった。後で我に返って思った。生理中は性欲が増しているのだと。

 もしかしたら見透かされたのかも知れない。宝具が失くなったからとタガが外れ、淫乱になったとでも思われたろうか。

 けれど、倫敦でのあの夜。彼女は私に赤ちゃんを産んで欲しいと懇願して果てたのだ。そして私も子供が欲しいと彼女に告白して、真っ白な世界に魂を投げ出した。虚しいけれど、あれはお互いの本音だった。

 私はエルが好きだった。究極のナルシズム? 違う。姉に抱いた幼い頃の恋心でもない。離れたからこそ言える。客観的に見たかつての自分は、一人の女としてお手本にしたい人だったのだ。本人には絶対に言わないけれど。

 だけど……元は同一人物なのに、今は彼女みたいな行動は演技でなければできない。もう完全に別人なのだろう。だから倫敦での事は思い出として残そうと思った。恨みも怒りもあったけれど、意味のある行為だったとそう素直に思えた。

 それでも現実問題として……この先結婚して子供を産んでも、養子には出せない。それが例え彼女でも。お腹を痛めた我が子は譲れない。けれど、卵子の提供はしてあげようと思った。

 ただ、彼女が自身のDNA解析を推し進め、見事本物の精子を造れたのなら、彼女の子を産んでも良いとは思った。『悪徳なんかこわくない』や『愛に時間を』に相当毒されている思考だったが、それを恐れる魔術師は居ないだろう。

 そんな事を考えながら、クローゼットの奥に設置してある巣箱の蟲達に経血を含ませた餌を与えた。この蟲と巣箱の事はルヴィアから許可を貰っている。

 同盟関係であり友人でもあるがそこは礼儀だ。エルから分けて貰った幼蟲も後少しで成蟲になり卵を産むだろう。その子らが成虫になれば街に放てる。そうなれば微々たるものだが魔力が増える。

 家族には話していないが、エルは冬木郊外でモーテルやラブホテルを経営していて、そこの地下で蟲を飼っていた。理由は利用客が未遠か間桐の血を引くからだ。冬木の市民はどこかしらで遠坂や間桐と繋がっていた。二百年以上も家を続ければ必然的にそうなる。

 直系以外は魔力を持たないと思う方がおかしいのだ。だから彼女は利用後の避妊具などから魔力を回収させていた。

 これをホテル2~3軒を365日経営するだけで、セイバーのような英霊そのものは無理でも、サーヴァントなら3週間は維持できるほどの魔力が溜まる。

 きっと若い頃の臓硯も遊郭の経営に乗り出そうと考えたはずだ。けれど夜の街の利権構造が複雑で諦めたのだと思う。

 それが現代では名義と免許さえどうにかすれば、ああしてホテル経営ができてしまう。時代が変わった頃には、もう呆けていたのだろう。

 聖杯戦争──この儀式を存続させたのは遠坂ではないし、アインツベルンでもない。間桐臓硯ただ一人だ。

 封印指定を受けてしまった魔術師。犯罪者として追われる身になった傭兵や軍人。マフィアとは言わないが犯罪者集団から逃げている者。こういう人達が聖杯戦争の事を耳に入れる機会は時々あるものだ。そして起死回生を願って参戦しようと目論む事も。

 どうやって? 魔術師を籠絡して同盟を組んでも良いし、脅迫しても良い。令呪があるなら腕を切り落とす事も可能だ。自身が魔力持ちなら言う事なし、魔術師でもあるなら最上、そうでなくとも魂喰いという方法もある。

 こういう想定外の参戦者を排除していたのが、臓硯だった。『偽臣の書』もそういう発想から生まれたものだ。時の遠坂当主やその徒弟、聖堂教会が動いたケースもあるだろうが、終始一貫して行っていたのは臓硯だけだ。

 間桐慎二はこの事を、全容は無理でも一部を知っていた可能性がある。

 はぁ……。この世界の間桐慎二は慎ちゃんに似ていた。あんな可愛い彼女がいるんだ……。ツンツンと蟲をつつく。ちーちー、きーきーと餌をねだっている姿が可愛い。魔術師って悲しいな。

 

「大きくなってね」

 

 思わず独り言が出た。宝具の中で育てると効率が良いのだが、私にそれは無理だった。司令蟲の刻印は受肉化の際に、肝臓と胃に貼り付けて貰っていた。術式を少し変えてあるので、この蟲達は私の命令しか聞かない。

 エルと同じでも良かったけれど、同じ魔術師であるからこそ線引きは必要だ。少しだけ餌を与えて私は巣箱を閉めた。そして、お茶を飲みに食堂に向かった。




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