プリズマ☆エルヴァ 第一部 邂逅篇   作:炭団

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39、神秘を護るという事

 翌朝、朝の運動に玄関から出た少年の傍に、赤い英霊が屋根の上から飛び降りて来た。自分の世界と同じく、一晩見張っていたらしい。少年は無意識に複雑な顔をしてしまう。

 

「私に何か用か?」

「いや……。今更だけど、礼が言いたかった」

「本当に今更だな。カードを造った者に文句はあったが、一応それも解決した。お前にどうこうとは考えとらんよ」

「そうなのか?」

「私という英霊に繋げる奇跡を呼び込んだのは、妹をなんとしても護るというお前の絶対的意志だ。それ以上でも、それ以下でもあるまいよ。気付いているのだろう? その対価がお前を蝕んでいる事を」

「ああ……」

「褐色の我が妹やルヴィアからきちんと魔術を習え。ここまで踏み込んだ貴様に、それ以外の道は無いだろう」

「そうだな。そして守護者にならない事、だな?」

「フン……。それで十分さ」

 

 鼻で小さく笑ったアーチャーは、目を細め東側の庭を顎で指した。

 

「何だ?」

「ああ、あちらで妹達がな」

 

 建物の角から覗くと、白いエルヴァと褐色のエルヴァが言い争っていた。

 大きな声は出していないが、お互いに睨みあって激しく言い合っている。どうも英語か何かだと思うが、美人が睨みあう横顔はある事を士郎に再確認させた。何をやっても似合うな……と。

 

「英語?」

「Scheiseとか言っとるだろ? 汚い言葉だが、ドイツ語だ」

「そうなんだ? 何を言い争っているんだろう?」

「白い方が褐色の方に今回は降りろと言っとる。が、褐色の方は学校を休むと言っとるようだな」

「ん? 普通に学校に行けば良いのに?」

「その時間、誰が二人の妹と貴様の妹を護る?」

「まさかそれで?」

 

 士郎は思わずアーチャーに言った。

 

「俺に何かできる事は無いか?」

「徒労に終わるぞ?」

「どういう意味だ?」

「今回エルは私達に頼らんと言った。となると一番動きやすいのは貴様だ」

「だろう? なら俺が学園に張り付けば」

「だから、それが徒労に終わると話している。使い魔を持たせ、危険が迫ったその場所に私やセイバーとは限らんが、アサシンか使い魔を飛ばすつもりなのさ。下手に動くと相手にバレるだろう?」

「ちょっ! 妹達は囮なのか!?」

「ああ、安全な囮さ。普通に考えろ。学内は安全圏なのだ。相手の組織が大きければ大きいほど、そうならざるを得ない。狙撃もできんし侵入も不可能だ。ここは貴様の世界でなく、行政がキチンと動いている。となれば、やれば不審者、武器を持っていればテロリストだ。そもそもの目的がエル達と接触しての交渉であり、監視下に置く事だろうからな。最悪は殺そうと考えているのかも知れんが、しかし世間の耳目は集めたく無い。そう考えれば、妹達が安全と言った意味がわかるだろう? もしそんな博打を打つなら、狙い目は登下校時の拉致誘拐などに限られて来る。交渉を有利にする目的で人質に取るのだ。これが一番危ない。となれば狙われやすいのはバス停までの徒歩区間とバス内だが、そこにアサシンを付ければ良いだけだ。だろう?」

「バスジャックは考えられないか? ああ……けど、大事になり過ぎるか」

「そうだ。相手もテロ行為は避けたい訳だ。ならば小学生を誘拐する上で有効な手段は?」

「パッと思い浮かばないけど……催眠……。そうだ、魔術かクスリでの催眠!」

「うむ、その通りだ。先程のバス内などが特に危ない。そこで、使い魔で見張り、毒殺や暗殺の知識が豊富なアサシンを張り付かせるのさ」

「なるほど」

「こんな風に打てる手は幾らでもある。なので白い方は褐色の方に、普通に学校へ通って欲しいのだな」

「それなら? 違う……そうか、この場合は自転車で通うあの人が囮になるのか?」

「そういう事だ。元の原因はあの二人の倫敦での活躍にあるからな。その方が相手を誘うのに好都合だろう? だが、褐色の方は頭でそれが理解できるのに、妹達が心配で堪らんのだよ。それで口論が止まらんのだ」

「なるほど。けどさ、あっちの兄貴は? あいつは普通の奴なんだろ? それこそ万一人質に……」

「その通りだ。そこでお前の出番だ。普段の登下校は、褐色の方が何時も一緒なのだよ」

「それってある意味、安全?」

「そうだな。だから学園に通うよう説得し、しかもあの二人をお前が監視していれば安全度はより高まる」

 

 そして顔を寄せてひそひそ話をする二人。

 士郎があの二人を護らずとも、褐色のエルなら大丈夫だ。まして敵の包囲網の外に士郎が居るなら、典型的な挟撃となる。

 とは言えアーチャーの真の思惑は鷹の目の視界内に、全員を固める事だった。そうすれば敷地内にエルヴァや士郎に、クロエとイリヤ、それに美遊も固まる事になる。その方がこちらも監視しやすいし、万一の場合でも自在に矢を射る事が可能だ。

 何より円蔵山の山頂付近にある岩の上に陣取れば、学園の敷地が一望できる。そうしてチャンスを────転身できる時間と、転身しても他者を気付かせぬ場を与えれば、クロエとイリヤに美遊だけでも大丈夫だろう。

 エルは手を借りないと言ったが、そこはそれだ。勝手にフォローくらいはやらせて貰う。でなければ兄貴の立つ瀬がない。

 それにいくら何でも職員でもない学生の身の高等部生が、小学部に行こうと思えば無理がある。ならばエルか、或いは自分が向かうまでの時間稼ぎができればそれで良いのだ。

 また凜と凛が、ルヴィアとルヴィアが入れ替わるなりして学園に潜入すれば完璧だろうか。

 イリクロはここのジイサンやオーギュストに任せても良いだろうし、ある程度話して学園に潜入させても良いだろう。どこかのライダーみたいな宝具で罠を仕掛けられない限り、日中の校内は安全だ。姉の方のイリヤはシロウやリンとともに大人しくして貰う他は無い。相手が魔術師なら、おそらく向いの衛宮の家とこのエーデルフェルトも安全なはずだ。

 

 しかし、相手がエルの言う軍の特殊部隊や工作員なら……。それ等と魔術師を天秤に掛ければ、前者の方が遥かに危険だ。

 状況に拠るが、最悪はこの国の機関までが動く可能性もある。もしそうなって公的機関が表立って動くと非常に困る。その際は意図せぬ撹乱となりうる。闇から闇に葬れる魔術師よりタチが悪い。

 公的機関が相手だと余程上手く立ち回らねば、神秘の秘匿が儘ならず却ってこちらの立場が悪くなる可能性が高いのだ。

 こういう政治的な駆け引きに、セカンド・オーナー未満の魔術師は疎い。地域との交流がない研究者タイプなど悲惨なほど世間知らずだ。つまり、ここの遠坂の店子などが巻き込まれる可能性もあるのだ。当然そこにも手を回さねばならない。

 それに何よりエルの予測は外れた試しが無い。あの外れぬ予測は、最早予知や予言の領域だ。そんな予言染みた言葉を耳にするのはかなり嫌な事ではあるのだが、前もって手を打てるし、何より覚悟も決まるので文句が言いづらい面がある。

 きっと舞弥はジイサンに嗜められ、電話での報告で終わるだろう。そして今日中に出国せよと命じるはずだ。今、何をしているのかは知らないが、息子さんと再会できたのなら早々に帰って貰う方が良い。

 相手が密入国するなら、冬木港沖でボートへ乗り換えだろうか? はたまた裏を掻いて空港から陸路だろうか? 

 国内で仲間の手引きがあるなら……偽装したゴミ収集車は無いか。先行している者が既に冬木に入っていれば、宅配や引っ越し業者のトラックが怪しいか。となれば1社に付き2台以上は難しいから、他社のものを考慮して……来襲者は30人前後だろうか? 

 そして冬木潜入は幾つか国が個別で行うとして……ざっと90人。ただ、様子見のところも出るだろうから……。

 

「エルヴァさん?」

「士郎クン、おはようございます。どうされました?」

「おはよう。あっち……返事も来ないし」

 

 アーチャーが顎に手をやって考え込んでいた。

 

「ああ……。港や駅に道路も、監視用の使い魔やアサシンの配置は終わっていますのに」

「それで学校、休むのか?」

「いえ、行きます。その配置の内容を聞いたので。それにあれなら、私は学園の敷地内を見張るだけで済みます。つまり小学部に異変が起きても対処しやすい訳です。運動会前なので、あの子達を休ませられません。練習もたくさんしなければならないのに。そこで悩んでいたのですよ」

 

 なるほど、運動会が近いから。事情を聞けば納得だ。この褐色の人は妹達に本当に優しい。それに警備の手配もちゃんと考えていた。やはり二人は頼りになると安心する士郎だった。

 

「エルさんと揉めてたみたいだけど?」

「見られましたか……。揉めたと言うか、妹達の安全確保で意見が食い違っていたからです。それも解決しましたよ」

「やっぱりそれでか。今回の件は、切嗣さんと相談しないのか?」

「勿論しますよ。それとオーギュストさんとも。ただ走り終えれば登校ですから、そちらはエルとキミに任せます」

 

 そう言い残してエルヴァさんは走りに出て行った。入れ替わってエルさんが俺に声を掛けて来た。

 

「おはようございます」

「おはよう。大丈夫なのか?」

「へそを曲げられましたが、大丈夫ですよ」

 

 何がとか、どうしてとか一切聞かずに会話が成り立つところがこの人の凄さだ。

 

「無茶はするなよ? エルヴァさんは、ただ皆んなを守りたいだけなんだと思う」

「私もそこは同じですよ。それでも妹達の人間力は信じてあげませんと」

「ああ……。過保護過ぎると?」

「そうです、その傾向が彼女はありますね。原因は情報の少なさです。私と別れた事で得られる情報が減り、それが不安を駆り立てているのだと」

「なるほど。けれど、それは裏返せばエルさんが特殊なのであって、エルヴァさんの洞察力が劣っている訳ではないだろう?」

「そうですね。確かにそうも言えますが、問題解決への道筋は変わらずとも、情報量の多寡に拠って得ようとする結果は異なって来ます。1~2回待てば一挙両得になるシーンを、ゲームなどで体験した憶えはありませんか?」

「ああ、なんとなく言いたい事がわかった。より大きなチャンスをエルさんは選べるんだ?」

 

 この人ならそういう奇跡みたいなものを、計算して掴めるのだろうと納得できた。

 元から違う。生まれついて持っているものが違う。と同時に、その領域の人しかわからない苦労があったのだろうとも、すんなり思えた。そうなるとその能力を失ったエルヴァさんが焦るも当然だろう。

 

「今回は機動力がものを言います。キミはバイクやクルマの操縦ができますか?」

「いや……。縁がなかったから」

「……そうですか。今ここで人生相談は難しいですが、どんな職業を選ぶにせよ、運転免許は取得して下さいね」

「やっぱり、必要?」

「必要ですね。その免許取得が1年後として……それまでに誰かから仕事を回して欲しいのなら、TPOに沿った洋服を最低十点は揃えておきましょう」

「それは……?」

「仕事というものは、顧客満足度を100パーセント満足させる仕事ぶりに拠って決まりますが、それは終えた後の評価です。まずは仕事を受ける時の態度や服装で、いかに好感度を上げるかから始まります。そして仕事中の態度や服装ですよね? きちんと身嗜みを整えて相手と真面目に接する、それはキミだけの評価でなく、キミに仕事を回してくれる人の評価にも繋がります。未成年だからと甘えるのでなく、ルヴィアからならルヴィアに恥を掻かせない、衛宮切嗣氏からならあの人に恥を掻かせない、そういう態度や服装を常に考えて下さい。また体臭も要注意ですよ。先日向こうで指摘した件は致し方ありませんでした。けれどシロウさんとの料理修行にかまけて、お魚臭い匂いで別な仕事はできないでしょう? だからお風呂に入ったり、髪を整えたりする時間が取れるようにスケジュール管理も徐々に行ってクセを付けましょう」

 

 エルさんの話は耳に痛いが、言いたい事は良くわかる。確かに俺はお洒落とは程遠い。だけど好感度を上げないと仕事を貰えないのは本当だろう。

 もう俺は学生生活に戻れない。美遊のためにも金を稼がないと。ならこのアドヴァイスはちゃんと聞かないとダメだ。

 

「どういう服装が良いんだろうな?」

「まず、ルヴィアや衛宮切嗣氏が用意する仕事は、請け負う仕事の内容や条件の確認から始まります。そしてギャラの交渉です。ですからスーツを数着と替えのジャケットが数点、シャツはその都度揃えて、下はスーツのスラックスやチノパンから合わせていきましょう。これからのシーズンならノーネクタイでも構いませんが、さり気なくチーフやスカーフを合わせても良いでしょう。そして小物として革の手帳やブランド物のペンを持ちましょう。60~70円のボールペンですと、依頼人を安く見たと受け止められる可能性もあります。現場では魔術師同士の戦いになるのか、何かを捜索して見付けるのか、それはわかりません。最初は窮屈に思うかも知れませんが、実入りは大きいと思われますので、必要な道具や服はその都度揃えられると思います。問題は内容次第ですが、まず礼装姿は見せられない場合がほとんどだと思われます。ですから身を護る服ですね、これもまたある意味礼装ですが、そういうのを対価を支払ってルヴィアに頼むのも良いでしょう」

 

 なんとなくハンターかトレジャーハントだと思っていたけれど、やはりそういう仕事が多いみたいだ。

 実入りが良いのか。そいつは有り難い。だいたい美遊の事だけでなく、何か俺の気付かないところでルヴィアさんがお金を工面してくれている気がする。こういうのもきちんと確認しないとなぁ。あの家なんて幾らするんだろう? 

 

「なぁ、エルさん。あの家って幾らくらいするんだろう?」

「ざっと4千万です。ですが今は気にしないで下さい」

「どうしてだ?」

「私が立て替えていますが、今回の一連の働きで時計塔から報酬を得ました。それで補填できるからです。そんな事よりも借金があるとは思わず、のびのびと新しい仕事をこなして下さい。そして仕事を覚え、しっかりと稼いで下さい。もし返す気持ちがあるなら、10年後でも良いですし20年後でも良いですので、エルヴァに渡して貰えますか?」

 

 ああ、この人はそういう人なんだ。エルヴァさんに残してあげたいんだ。

 

「少し離れて下さい」

 

 そして離れるとエルさんは前庭にクルマを出した。こんなのまで持ち歩いているのか? どういう魔術だ? 

 

「こ、これは?」

「スバル・インプレッサWRX RA STi バージョンⅤ。GC8のアプライドF型GC8F4DDです。2ドアのWRX TypeR STi バージョンⅤともども、6年生の頃に乳母の名義を借りて買いました。それからずっと乗っている、私の愛車ですよ」

「待て! 6年生から!?」

「峠を走り込んだのは、身体が大きくなった中学生からです。『円蔵山の青い魔女』とは私の事です。GET THE MAJO!」

「知らない!」

 

 エルさんは唖然とする俺を無視してクルマに乗り込み、エンジンを掛けた。マフラーの音が大きい。

 

「これはエンジンから足回りまで手を入れてあります。シャシダイで320馬力出ていますからね」

 

 だから何だというのだろう? 

 

「わかりませんか? 機動力が必要なのは、ポイントが点在するからです。特に侵入ポイントが。相手の目指す対象の位置は明確ですが、侵入ポイントは複数に渡ります。今回の私は本気で動きますよ」

 

 俺へのアドヴァイスは終わって、当面の問題を片付ける頭に切り替わったみたいだ。だけど、俺や美遊の世界では本気じゃ無かったのか? 

 

「あの時は裁定者を顕現させる事が、第一の最優先事項でした。そのための布石を確実に打てば、後は楽勝でしょう? キミが辛かったのはキミの魔力量と知識の問題です。エルヴァや凜に聞きましたが、敵の城では、解析で無駄な魔力を使い過ぎたのです。キミ自身がある特定の波長でしか違和感を察知できないのに、全帯域で電波を飛ばしてどうするのだと。この意味は、わかるでしょう?」

「う……」

 

 そうだ。自分の解析方法は正しいのか? 無駄はないのか? それを疑いも考えもしなかった。

 

「そういう訓練を受けていない中でのぶっつけ本番でしたから仕方ありませんが、ここに来てからその反省点を克服する訓練をしていなければ、指導を乞う事もしていない。そういう事では、ルヴィアから仕事を得られませんよ?」

「ああ……。まったくだ……」

「そして今回は、相手が魔術の存在を知っている可能性は高いですが、それでも生粋の魔術師相手ではありません。そうなれば、押さえるべきポイントや避けなければならないポイントが、桁違いに単純となります。ピンと来ないかも知れませんが」

「どういう意味だろう?」

「重い装備を背負って、戦闘用のボディアーマーを着て来たりする訳ですよ。私やルヴィアなら同じ装備でも、重力軽減や質量軽減の魔術が使えますし、素材の強化にも特性の補強だけでなく、別の効果をもたらす事も可能です。ですが普通はそういうのが無理でしょう?」

「言われてみればそうだな」

「そう、そこから考えて頂きたいのです。例えばキミの場合、エミヤの弓が使えるなら装甲車も貫けます。ですが、魔力切れで武器を持たない場合は? ね? ズバリ、キミの弱点は近接格闘ですよ」

「近接格闘?」

 

 何か大切な事を伝えようとしている気がした。

 

「はい。お兄ちゃんは軍隊の近接格闘術を正式に習得していません。キミがカードの能力を降ろしていたとしても、近接格闘は衛宮士郎の知識のままです。体力が英霊に近くなろうとも、私は魔術を封印して5分以内にキミを制圧する自信がありますよ」

「そこまで差があるのか?」

「単純な腕力だけなら、男の子のキミに当然負けますよ。つまり武術や格闘術を私は習得しているという事です」

「やっぱりそういうのは違うのか?」

「違いますね。特に近年の格闘術は。東洋の武術は精神論に偏ったり、オカルト要素が絡んだり、単なる健康促進体操に成り下がったりして実戦に向かないものもあります。ですが人体の弱点を的確に突き、破壊を目的とする格闘術は違いますよ。そして今回の相手はそういうのを熟知していると想定すべきです」

 

 なるほどだ。そしてこの話は、今後のハンターの仕事でも言えると思った。

 

「なるほど。となると接近した時が危ないのか。確認だけど、それは素手の場合だな?」

「そうです。むしろ強化してもでも、今回は素手で倒さなければなりません」

「なんでさ?」

「特殊部隊の兵士が、他国の民間人を武装して襲った。こういうカタチに持って行くのですよ。ですから正当防衛を装う必要があります。警察に引き渡して、メディアを焚き付け、国際問題にしてしまうのです。そうすれば黒幕は失脚です。そうならずともその国の何人かの首が飛びます。内政がガタガタになるでしょう。そしてブタ箱に入った段階から魔術師の本領発揮ですよ。警察署内に侵入し、中で拷問でも催眠暗示でもしてバックを吐かせるのです。命令した上官でなく、本当の黒幕を吐かせるのですね。その音声や映像をネットにでもばら撒いてやれば。その後、黒幕をアサシンで潰しても良いですが、放置して転落人生を待つのも良いでしょう。ただし持っていた利権を奪い取った後ですが」

「何を考えてる!?」

「そうやってビジネスチャンスを掴むのですよ。その利権をエルヴァに残してあげれば。そして英霊を使わず、魔術の痕跡を残さなければ、誰も真相はわかりません。神秘の秘匿は再優先事項ですよ」

 

 やっぱり、この人はエルヴァさんに残したいんだ。けれど俺は、話の内容に震え上がった。

 今まで魔術師というものを何一つわかっていなかった。本物はこういう考えで行動するのだと思い知った。となると、ルヴィアさんの話していた裏の仕事も厳しいものがあるだろうな。気合を入れないと。

 

「それとついでに言えば、こういう機会をこそ利用して、相手の内政に食い込む事が重要なのですよ。平和への近道は、その国の政治を変える事が最短です。個人でその国に乗り込んでゴソゴソしても国家は変わりません。キミの養父も私の父もそこが駄目ですね」

 

 もう高校生程度の知識では理解不能な事を話し始めた。いや、言いたい事はわかる。けど、本当にそんな事が可能なのか? 

 だけど、言われてみれば養父の取った方法は国家から見ればテロだ。今回襲って来るかも知れない相手と、何ら変わりない。

 例えそこに住む人達を救けに来たぞと声を大にしても、政府がテロと発表し、人々が報道を信じてしまうなら。それは────国民の、国家の敵だ。

 

「ガソリンを入れてきます。キミはそれで練習して下さい」

 

 そう言い残してエルさんはクルマに乗って出て行った。ボボンとアクセルを吹かして。言葉通り乗り慣れていると感じた。

 ン? それで練習? 振り向けば、いつの間にかもう一台のクルマがあった。エンブレムを見れば、ホ○ダ製らしい。中を覗くとキーは刺さったままだ。何だろう? 運転の仕方も知らないのにどうしろと? そもそもあの人は、免許を持っているのか? 

 首を捻っていると、大魔導師と四人の女の子が出て来た。

 

「おはよう。あら?」

「おはようございます。これは……」

 

 挨拶を交わし、エルさんが置いていった事を話す。

 

「スポーツシビックのSiRⅡね。こんなの持ってたんだ、あの子? 知ってた、凜?」

「いいえ。先輩は今回、機動力を優先されるんですね? なるほど。そういう意味なら、いつものインプレッサしか考えられません。お城で凍結してあるコレクションでホ○ダならタイプRでしょうから……」

「よね? タイプRは大切にしているから持って来ないと思うわ。仮に持って来ても、サスのセッテイングとタイロッドの位置から来るアライメントの変化に悩む現行のDC5やEP3でなく、DC2やEK9だろうし。けど、この黒いEG6はそれよりも前のモデルでしょう? 何より今回の事を考えれば4枚ドアにするべきよね? 狙われるのは学園ってわかっているんだから、逃走経路はダウンヒルよ。おまけに相手は中古の一般乗用車程度でしょう? なら、CL1やCL7のユーロRかレガシィB4がベストだと思うし、納得なんだけどなぁ」

 

 この人も詳しい。何を話しているのかサッパリだ。

 

「そう言えば……ガソリンを入れてくるって、乗ってったのが4ドアでした」

「あら。インプレッサ? B4?」

「ああ……そうだ。あれは確かインプレッサだと……」

「なるほど。凜の見立て通りね。となるとこれは何だろう? ルヴィアは何か聞いている?」

「いいえ。エル姉様はランエボも持って来ていらっしゃるのかが気になりますわね」

「ああ、あれも4枚ね」

 

 そうだ。ラリーで有名なあれも4ドアだな。そうか。子供達の乗り降りがしやすいのか。映画の銀行強盗の逃走シーン。あれも4ドアが多いのはそういう理由か。

 

「らんえぼって何?」

 

 凛さん、知らないのか。

 

「ミツ○シのランサーエボリューションの事ですわね。まさかあなた?」

「父と母がラリーを通じて出会ったのは同じだと思いますが、違いますの?」

「いえ、同じですわ。ですが……」

 

 ルヴィアさんがルヴィアさんに何かを。何だ? 

 

「どういう事?」

「凛は何も知らないのねぇ。フィンランドと言えばラリーでしょう? 世界的にも有名なドライバーがたくさんいて、アマチュアレースも盛んなのよ。ルヴィアのご両親はそういうレースで出会ったワケ。そしてルヴィアも中学生頃からずっとコ・ドライバーとしてレースに出ていて、ドライバーとしての訓練を受けているのよ」

「ウっソっ!? あんたもそうなの?」

「いいえ。私はあなたと同じで魔術一筋でしたから」

 

 そうか、お互いの違いを感じ取って、ルヴィアさん達は不思議がっていたのか。

 

「という事は、公道を走れずとも練習用のクルマをお持ちですの?」

「ええ」

「彼女の愛車がそのランエボで、ⅧのMRとⅥのマキネン・モデルなんですよ」

「ああ、英雄ですものね?」

「誰よ?」

「トミ・マキネンはアリ・バタネン、ユハ・カンクネンと並ぶフィンランドの英雄的ラリー・ドライバーよ。凛、フィンランドではラリーは国技なのよ?」

「国技……」

「それとヨーロッパでの自動車レースと自転車レースは、日本人の想像するそれとは全然別よ? 南米のサッカーと同じくらい熱狂的なファンが多くてね。生活に密着した文化でもあるのよ」

 

 凛さんは本当に知らなかったらしい。俺も初めて知った。

 

「凛さんは、倫敦に居たんだろ?」

「そうよ。ラリーの草レースがあったり、マン島でバイクのレースがあるのも知ってるけど、フィンランドがそんなだったなんて知らなかったわ」

 

 え? 凛さん、マン島のレースは知ってるんだ? 後で聞けば新聞にも載るし、賭けの対象になったりもするらしい。なるほど。情報って重要だな。

 

「凛、アイルランドの英雄と言えば?」

「は、はい。クー・フーリン……?」

「ロ○ー・ギャラガーやブームタ○ン・ラッツを挙げろとは言わないけれど、真っ先にフィル・ライ○ットやU○が出ないと」

「は、はい?」

 

 これは大魔導師が凛さんをからかったんだ。フィル・ライ○ットは知らないけれど、○2ならわかる。確かにクー・フーリンよりU○の方が有名だよな。

 英雄という表現も納得だ。ただ、英霊にはならないだろうけど。けど、そういう発想が大事なんだなと俺には思えた。

 

「じゃ、朝の運動が終わったら、魔術的見地からのクルマの扱い方を教えるわ」

 

 そう言って五人は走って行った。俺も運動しよう。

 

 一汗掻いた後に、シロウさんが出て来た。挨拶を交わすと今日の予定を告げて来た。そう、昨日の夜から俺はこの人から料理を学んでいる。勿論、料理の合間に聞かされる薀蓄話への期待込みだ。

 

「ふ~ん。シビックな。良い解析の勉強になるんだが、元を知らないと意味が無いなぁ」

「どういう意味ですか?」

「どういう改造をしてあるのかを、触れただけでわかるように成れって事さ。慣れれば見ただけでわかる」

「へ?」

 

 思わず間抜けな声が出てしまう。

 

「けど、ノーマルの姿を知らないと、故障箇所も手を入れたところもわからないだろ?」

 

 そういう意味か。

 

「足回りなら、まずはボディ・シャーシの補強からだ。このクルマも内装を引っ剥がして、シャーシの床面から補強してある。スポット溶接増しに鋼材追加や板厚アップ、専用ボンドの充填に、サイドシルへのウレタン充填。そしてストラットタワーの受け面補強に、タワーバーやパフォーマンスロッドの追加と溶接。スタビライザーも径をアップしてるな。そこからサスペンションだ。ボディに逃げが無いから、サスで全部吸収させている。ここを見ろ」

 

 そうしてシロウさんはしゃがんで、タイヤの奥を指さした。

 

「ダンプが効きそうなショックに、上側と下側とで巻きが違うスプリング。ブッシュ類も強化タイプに入れ替えてある。これならFFでもケツを自由にコントロールできる。ブレーキもローター径がアップしてあって、キャリパーが前後ブレンボの対向4ポッドだ。ブレーキラインも全部メッシュか。凄ぇな。ホイールはヴ○ルクのTE37の6.5J。タイヤはアドヴァンの195/50R16。この辺りが無難だろうな」

 

 次にシロウさんはボンネットを開けてエンジンを見た。

 

「お? エンジンがB16Aじゃなく、B18B? VTECのB18CやB20Bのブロック流用じゃないのか? どれどれ……」

 

 そう言ってシロウさんはエンジンに触れた。

 

「ポート研磨はしてあるし、バルブ周りの処理も丁寧だ。ピストンも特注か? 81.0×89.0ミリだから、ストロークが81.0×87.2ミリより1.8ミリ多い。圧縮比も上げてあるようだ。けど、その1.8ミリの延長がトルクアップに繋がるとも思えん。何故このエンジンに換装したんだ? K型は別として、同じB型なら絶対にB18Cだろうに。カムは……リフト量が若干多いか? ハイカム気味ではあるけど、ノーマルと変わらん……。ああ、魔術で酸素の吸入量を変えるのか。となるとガソリンは……」

 

 シロウさんが何を話し、何に驚き、何に感心していたのか……俺にはサッパリだった。

 なので俺はもう一度、下側のサスペンションと言われた部分を覗いた。そこの筒の部分に、見たこともない札かシールのようなものが貼ってある事に気付いた。メーカー名じゃないんだ。何だろう? 

 

「この札みたいなシールは何ですか?」

「ああ、それな。それは魔術用の札だよ。ルーン魔術などが象徴的な文字だけで大きな魔術が使えるのは、術を補うこういう札を併用するからだ。これはルーンじゃないけど、この小さな札に幾つかの術式が刻まれているんだ。つまりエルは詠唱しないで魔力をここに送るだけで、サスの状態を知ったり、減衰量を変化させたりできるんだな。これをな、ボディの要所要所や、エンジンや補機類なんかに貼ってあると色んな事ができるんだ。あいつは水系の魔術師じゃないから流体を扱えない。けど、カミさんや弟子の凜なら、インジェクターの吐出量や空気の量までコントロールできる。つまり魔術に拠って擬似的なターボにもできるんだ。勿論、圧縮比やインジェクター容量も関係するから限度はあるけどな。まさに魔術師が操縦するためのクルマだよ」

 

 これまた何を話しているのかわからなかった。けど……。

 

「ボディにも札?」

「ああ、ボンネットの裏を見ろ。ここにも貼ってあるだろ? 要は外装を強化するのさ。軽量化でカーボン製に交換してある。なのにこんなので、カミさんやエルなら銃弾を跳ね返せるんだ。これは軽快に走る装甲車だよ。だからロールケージが要らないんだ。それに解析しないとわからないだろうけど、ガソリンタンクやエンジンにオイルパン、それにミッションカバーにまで貼ってある。そうすれば質量軽減や冷却も可能だし、オイルの中の不純物を、札の方へ引き寄せたりもできる。その気になれば自分と同乗者の体重以外は重量皆無だ。例え200馬力でも、6~700馬力のレーサーより加速するんじゃないか?」

 

 目からウロコだった。こんな事を考えるのが魔術師なのか!? これに乗れば妹達を護れる! 

 あ、でもそれを成す魔術と魔力が俺には……。けど……シロウさんの目は考えろと言ってる気がした。

 そうだ。考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ! 

 足りないものは他所から持って来る……それだ。俺ができなくても、妹達には魔杖がある! となれば俺に必要なのは、運転する能力。だから練習しろなのか!? 

 

「わかったか? 魔力や魔術は魔杖のアシストもあって子供達の方が上だし確実だ。お前は無事に帰ってこれるドライバーでありさえすれば良いんだ」

 

 合っていた。

 

「俺に運転を教えて下さい!」

 

 付け焼き刃でどうにかなるものじゃない。そんな事はわかっている。それでも動かせないよりマシだろう。そして俺とシロウさんは、五人が帰って来るまでクルマに乗っていた。

 エルさんは戻った後、2台のクルマを仕舞った。深山町でパトカーがウロウロしていたけど偶然だよな? 

 その後に走り込んだエルヴァさんが戻って来た。かなり遠くまで走っていたらしい。頭を冷やしていたと言っていた。良くわかる。俺もそういう時があるから。

 

 

 エーデルフェルト邸の食堂。朝食を囲む面々。

 学校組は既に制服に着替えていた。ただ、褐色のエルヴァだけは既に出ていた。弓道部の朝練以外に体育祭の打ち合わせもあるらしい。朝食は購買で、パンでも買うそうだ。

 

「エル姉様、ランエボはありませんの?」

「1台だけ持ってきていますよ。足回りがエボⅤと同じセッティングで、ファイナルを4.875のLo仕様クロスにした、GF-CP9AエボVIのRSアイセルブルーです。ルヴィアの知っているアレより手を入れていて、300馬力以上出ていますが、あなたなら乗りこなせるでしょう。札や魔装具はいつも通りです」

「それをお貸し下さい。壊しませんから」

「ええ、どうぞ。こちらのルヴィアにどうかなと、持って来ていて良かったです」

 

 エルとあちらのルヴィアの会話。こいつら、免許はどうなっているのだ? そもそもナンバーは? 仮に向こうでのものだとしても、こっちじゃ別のクルマに使われてたりしてないか? 

 

「ねぇ、ルヴィア。どう思う?」

「クルマですか? なら、そうですわねぇ……。思うところは多少ありますが、それも結局は私の狭さですわ。あの時のハンドガンと同じく、道具と割り切れるなら。何より札のお話を聞かせて頂ければ納得せざるを得ませんわね」

「そこよねぇ。それにそういう発想が他の事に繋がって行ってる気がする」

「ですわね」

 

 そうだ。師匠も運転するのだろうか? 

 

「師匠? 師匠も運転できるの?」

「先輩やルヴィアが変なんです。普通の高校生がクルマを運転できるはずがありません」

 

 だろうね。

 

「クルマに興味ないんだ?」

「そんな事はありませんよ。倫敦に行ったら乗りたいクルマも決めていますから」

「へぇ~。何?」

「ミニのクーパーSです」

 

 師匠が言うにはかつては英国製だった名車で、現在はBM○の傘下に入り、新型として復活したのだそうだ。その新型のスポーツモデルに乗りたいのだと言う。

 理由はデザインが気に入ったのもあるけれど、倫敦の街をちょこまか走るのに向いていそうだからだと。なるほど。

 

「これは余談ですが、ミニ自体は2001年発売ですが、そのクーパーSは日本だと2002年の3月2日発売だったんですよ。3月2日はミニの日ですね」

 

 師匠ずるい。お雛祭りの前日、3月2日は桜の誕生日だ。私もミニに乗ろうと決めた。

 

「鬼は~外~」

「煩い! 口に窒息するまで恵方巻きを突っ込むわよ!」

 

 エルと先生だ。そっか……先生も2月3日か。

 魔術師の家だったので関係ないと言えばそれまでだけど、こういうイベントの日が誕生日だと、子供の頃の級友達が何だかんだと煩かった。私はお婆ちゃんが居たから、恵方巻きやイワシが出たけど、先生や師匠はどうだったのだろう? 

 

「それと、原付きの免許は持っていますよ」

「原付き? ミニバイクっていうかスクーターの?」

「はい。ダルレッドメタリックDのヤ○ハ・ジョグを持っています。買ってまだ数ヶ月ですけどね。誕生日が遅いですから」

 

 そうなのだ。師匠も私も、まだ16歳になったばかりなのだった。

 

「まさかと思うけど、そっちの学園はバイク通学できるの?」

「無理ですよ。それはあちらでも校則違反です。けれど免許は何を取るのも自由ですし、通学で乗らなければ、大型バイクに乗ろうがクルマに乗ろうが叱られません。これは実家が農家で、耕運機や軽トラックにスーパー・カブなどなどに乗る必要のある生徒がそれなりに居るからですね」

 

 そう、これが冬木が地方と言われる証拠だ。ひょうたん型の平野部も、新都があり海に近く工場も多い北部は別として、南部は田園が延々と広がっている。

 未遠川を遡り、もっと南に行けばこじんまりとした街と言うか集落が点在するだけで、それ以外は畑と田圃だった。

 

「現に生徒会長のイリヤ先輩もバイクの普通免許をお持ちで、400ccの大きなバイクに乗られていますよ」

「え!? あのイリヤさんが? めっちゃお嬢様な、あの人が!?」

 

 これは驚いた。けれど聞けば納得だった。イリヤさんはこちらのイリヤと違い、数々の英才教育を受けて来たエルと、8歳で出逢って良い意味で感化されて来た人なのだった。子供用のオフロードバイクから始まって、今はかなり上手いらしい。

 未遠川の堤防や柳洞寺の石段を、二人乗りでも平気で駆け上がるという。エルに至っては、石段横の真っ直ぐな部分を猛スピードで走って、最後で荷重を抜いて登り切ったところにある石碑を踏み台にし、山門の屋根まで跳ぶそうだ。

 カードのキャスターでない、本物のキャスターが護る柳洞寺へバイクで突っ込んだ事があるという。並行世界の桜のサーヴァントはライダーだと聞いていた。そのライダーが、エルにはライダーの適性があると評しているのだとか。何だそれ? 

 ともあれ、師匠はその赤いスクーターに乗って、新都のイリヤさんやエル達の家に遊びに行くそうだ。行動範囲が広がるに連れ、頭の中の地図は狭くなるのだとか。そんなものなのかなぁ。

 

「先輩なんて自転車で2~300キロメートルは平気で走りますよ?」

 

 マンハイム近郊の自宅から、幼稚園時代のスイスの家まで自転車で走る事があるそうだ。それが約300キロメートル。冬木からだと東は長野県、西は山口県まで行けてしまう。

 冬木から日帰りで、琵琶湖一周とか淡路島一周を平気でするとも聞いた。バイクの試走だと言って、四国一周や九州の由布院までの旅を土日で済ました事もあったという。そりゃ、頭の中の地図は狭いだろう。

 そして師匠は私の目を見詰めてこう言った。

 

「聖杯戦争みたいな局地戦では、機動力がものを言います。それは冬木市内と限定されているからですね。となれば自分達以外の陣営を探す場合、どうします?」

 

 師匠は使い魔を放ちつつ、前以て屋根の上や電信柱の上に魔力を通した糸を張っておくのだと教えてくれた。サーヴァントも魔術師も一般人には遭いたくない。なのでそういう人が通らないところを通るからと。

 更には糸が何本もあれば、その切れ方で拠点の場所も大体特定できるとも。ただし、サーヴァントでも魔術を使える者は居るから、隠蔽が大切だとも話してくれた。なるほど~。

 そして自分がバイクやクルマを使えるなら、自分のサーヴァントと相手を挟み撃ちにしたり、待ち伏せしたりできる。それは仮定の話だけれど、私やルヴィアみたいな、召喚した限りは仲間なのだから一緒に戦いたいと思うタイプにはぴったりな話だった。

 そうか、それと似た状況だから機動力が大切なのか。そもそもが生命を狙いに来る相手がいるのに、免許がどうとか思う私は常識に縛られ過ぎていた。倫敦でアーチャーから教えられたのに……。

 見れば私の方のルヴィアだけでなく、衛宮君までが師匠の言葉に耳を傾けていた。このまま話していたいが、登校時間が迫って来た。名残惜しく私達は学園に向かったのだった。

 

 

 こちらの私やもう一人の凛が出て行った後、入れ替わりで衛宮の小父様とイリヤにクロの三人が参りました。

 あちらで食事を済ませたイリヤ姉様もお戻りになられました。今度はシロウさんと後片付けに厨房へ。早朝の運動後に、お向かいで朝食や昼食のご用意までされていますのに。本当に働き者ですわね。

 ま、イリヤ姉様のそれは趣味というか習性でしょうけれど。ですが、ここの片付けくらいメイドに任せれば良いのです。それがあの者達の仕事なのですから。なのでそちらに行こうとした士郎を私と凜が引き止めましたの。

 

「衛宮さん、引き止めて申し訳ありません。今回の作戦は学校組を除いた私達で行う事がほぼ確実です」

「ああ、やっぱりそうなるか。けど、この子達も?」

「僕も彼の懸念に賛同するよ。正直イリヤ達のためとは言え、この子達を巻き込むのはどうかと思う。が……エル君に凜君。それだけ、この子達が戦力になると?」

「はい。おチビちゃんは粘り強いですし、クロちゃんの機転があれば大丈夫です。士郎クンもあの城でこの子達の活躍を見ていたのでしょう?」

「ああ、二人合わせた実力は俺より上かも知れない。クロちゃんもクロエちゃんも決断は早いし行動も的確だ。それにクロちゃんとクロエちゃんが組むより、どちらも自分のイリヤちゃんと組めばもっと凄いと思う。問題は無駄な動きをしないように指示ができる、第三の目が欲しいトコかな……って、もしかして、それが俺……か?」

「フフフ……キミは面白いですね。この子達の采配は私がします。ですがそういう風に考えられるなら、任せる日も近いでしょう」

 

 ふむ。この士郎は何か違いますわね。アーチャー様に近いのですわ。そうとなれば……この斑になった褐色の肌。

 学園に向かわれたエル姉様やクロエやここに居るクロより、この人は危ない面があるとも言えますわね。気をつけませんと。

 

「それで舞弥さんとの連絡は?」

「先程取れたよ。内容は昨夜君が使い魔で知らせてくれた予測通りだ。倫敦での君達の活躍を諜報機関がキャッチしていた。その情報が東側に漏れたようだ」

「あの大統領の側近、あいつですね……。大統領府に100発くらい宝具の雨でも降らしますか」

「君ね……冗談でも辞めてよ」

「けれど、MI6が漏らしたとは思えませんね。MI5から官僚の誰かに流れ、それがパブあたりで拾われた? 或いは時計塔の噂をムハバラート・エル=ハベヤ辺りが掴んでいて、そこから?」

「僕もその線を睨んでる。アトラス院の院長が来ていたろう? あれも裏付けになったろうね」

「モサドからCIAに流れなかっただけマシですか?」

「北米は昔から魔術否定派が多くてね。神秘を信じないんだ。民間感情と間逆なのさ」

「となりますと、相手はスペツナズか、そこに近い機関ですわね? 腕が鳴りますわ」

「君も戦い慣れていそうだね?」

「はい。エーデルフェルトは代々武闘派ですのよ。ハイエナが実はオオカミだった事を知らしめて見せますわ」

「遠坂は後ろでこっそり見ています」

「凜! ちっとも優雅じゃ無いわよ!?」

「無茶言わないで下さい、先生。私程度で何をしろと?」

「そんなの決まっているでしょう! 宝石を握り込んでぶん殴ってやりゃ良いのよ!」

 

 凜と違い大魔導師は肉弾派ですのよ。お若い頃は、倫敦で私と殴り合っていたとか……。どちらも淑女とは言い難い。

 ですが、先生は『アイツと私は、ライバルであり親友なの』と、私達が子供の頃から仰っていました。その薫陶があればこそ、私と凜も親友なのです。

 とはいえ、今回の相手は一人や二人ではありません。そんな宝石を握った拳を確実に痛める、捨て身の攻撃が何度もできるはずがありませんのに。どうしてお部屋に戻らずこちらに……? 

 

「リンさん。今回はあなたも?」

「ええ」

「一体何を……?」

「フフ……衛宮さん。私も遠坂凜です。元は冬木のセカンド・オーナー。ここはホームですわ」

 

 ホーム。そうですわ。先生もセカンド・オーナーだった時代が。これは新しく加わった、ここの凛への? 

 

「まさか、あなたも!?」

「そのまさかです。可愛い弟子が新たに弟子を取りました。なら孫弟子を少しは助けてあげませんと。聞けば凛は中学卒業と同時に倫敦に渡ったので、冬木の重要性をきちんと理解できていない様子。衛宮さん。第四次であなたもそうしたように、ここは条件さえ揃えば英霊が喚び出せる土地です。その実体と英霊の存在だけは隠し通さねばなりません」

「確かに。軍の上層部や政府に知られてはいけない」

「そこで霊脈を使って、冬木市全域に探査結界を張りました。エルの考えでは、全員捕らえて司法に任せるのでしょう? 闇の組織を表に曝し、日本政府に貸しを作る。そうすればエルヴァもここで生きやすいでしょう」

「無茶だ。穏便に済ませたい官僚が裏取引に使うだけだ」

「そうはさせません。エルなら証拠を揃え、これをアメリカに流すでしょう。それも消えないように電子の海へ」

「陰謀論で揉み消されないかな?」

「同じ証拠のコピーが大統領府の机の上に置かれるのに?」

「アサシンか!? そうか、彼等をそんな風に使うのか……」

「そうです。表立ってセイバーやアーチャーは使えません。これは旦那や私もそうです。先程も言いましたが、英霊という存在は絶対に秘匿しなければなりません。ですがアサシンは違います。彼等は英霊の特殊部隊です。ですから……」

「わかりました。こちらも勝手な行動はしません。連絡を取りながら行動に移します」

「それが最善であり無難です」

 

 そうですわ。組織に属する者は命令系統を逸脱する行動が取れません。表の政治問題にしてしまう事が最良でしょう。

 

「それで、パパ?」

「何だい、クロ?」

「セラとリズはいつ帰るの?」

「今日の予定。確かに危険なんだけど、こちらの状況は説明してある。ま、僕を襲いに敵が入ったとね。嘘だけど」

「クルマ? 電車?」

「電車。だから、電話が入り次第、駅まで迎えに行くよ」

「それならお姉ちゃんに行ってもらった方が良いよ」

「え? 免許は?」

「あります。倫敦に赴くに当たって、偽造の免許証をオーギュストさんを通して手に入れていましたから」

「君は……」

「それとルビー、ルビーとサファイアの解析結果を話しなさい」

「え? 解析って? 何、お姉ちゃん?」

『ああ……すみません、イリヤさん。エルさんに頼まれて、こちらのルビーちゃんとサファイアちゃんを解析していました』

「どうして?」

『それは時計塔から、おかしな命令を入れられていないか探るためですよ』

 

 その通りですわ。これは私も予測していました。

 

「で、結果は?」

『時計塔に逆らうな、それだけです。マスターを護れとの命令は生きています』

「ホゥ~、良かった」

「時計塔と敵対する必要が失くなったのなら、実質何もないのも同然だね」

「それ以外の第三者が入れていないかが不安だったのです。イリヤちゃんに渡したカードはご存知ですか?」

「ああ、イリヤ君から聞いてるよ。セイバーにアーチャー、そしてキャスターだろう?」

「その通りです。そしてあの三枚は反逆の騎士に、錬鉄の反英雄、そして裏切りの魔女ですよ」

「ああ……。それはあらぬ命令を危惧して?」

「そうです。その三枚はそういう観点からも選んでいました。そしてこちらを」

 

 エル姉様がコップの水をテーブルに指で広げました。水盆の魔術。遠見や過去視をするのに良く使われます。

 凜や私を使わず、流体が得意でないエル姉様が御自分でなさるのは珍しいですわね。そして窓となった枠の上部に、宝石を一つ置かれました。あれは私のです。

 宝石からの魔力が、水でできた窓枠を潤します。そこに映った映像は、あの城での子供達の活躍ぶりでした。

 

「この重鎧はイリヤか? これは凄い。モードレッドそのままだ……。クロエもクロと一緒になって……これはエルヴァ君と士郎君を護っているのか? ああ、二人は結界か何かの起点を壊しているんだね……。立派だ。僕が行く必要が無いと言った意味がわかったよ」

 

 

 そして打ち合わせが終わった後に、オーギュストの報告がありましたの。

 

「ルヴィア様。傭兵と言いますか、汚れ仕事専門の指揮系統に乗らない契約部隊が動いておるようです」

「動くとすればそうなりますわね。オーギュスト、あなたのルヴィアはまだこの手の事を知りませんでしょう?」

「はい……」

「これを契機と捉え闇の存在を教えるのか、そのまま知らせないでおくのか。それはここの父が決める事です。ただ、オーギュスト……。例え恨まれたとしても一時の感情ですわ。あなたはあなたの正義を通しなさい」

「ルヴィア様……あなたも、そちらの私をお恨みに?」

「子供だったのですわ。自分の知る魔術、いわゆる裏の底を覗いただけで深淵を知ったつもりでしたの。人の欲は神秘をも越えるもの。そこで蠢く闇に堕ちた者達の存在を受け入れられなかったのです。そこでそれは筋が違うとエル姉様に叱られました。ですが、オーギュスト。今の私はそれがあったればこそです」

「ルヴィア様……」

 

 諜報部隊も特殊部隊も、国家の組織であるなら給料から銀行などを追えば個人を探れます。どうやるのだと? 蛇の道は蛇ですのよ。

 ですが、政府の要人や軍の上層部が個人で外部のチームと契約する場合、足取りが掴み難いものですわ。そして闇の仕事とはそういう者達が請け負うのです。

 報酬も依頼人や依頼人と懇意な者の天下り先、そんな民間企業から出されていたりしますのよ。名目も資材設備費などが多いでしょうか。ですのでそういうチームはペーパー会社を名乗っています。

 こうなると私もエル姉様も動きやすいですわ。全員拉致して、魔術で洗脳して返す手段も使えますもの。

 

『あなた方に指示を出したボスの寝首をかけ』

 

 不殺の誓いがあるエル姉様には無理でも、私はそれができます。逆にそのボスまでもがこちらのスパイとなり、より奥に居座る真の敵を探るのはエル姉様にしかできません。何れにせよ、相手はこれで終わりですわね。

 エル姉様に先生が質問されました。

 

「エル、あのシビックは何なのよ?」

「5代目EG型スポーツシビックのSiRⅡです」

「それはわかってんのよ。意図を聞いてるの、意図を」

「意図ですか? 卵みたいなシビックよりカッコ良いからです。リアゲートも使いやすいですし」

「ふ~ん。エンジン換装の理由は?」

「排気量アップに拠るパワーアップとストロークアップに拠るトルクアップです。微妙ですが、ピークでなくパーシャル領域での扱いやすさを優先しました。それとB16AやB16BみたいなVTECはありませんが、カムは弄ってあり、4~6000rpmで160ps、18.2kgf-m は出ています。高速や長いストレートのあるサーキットでは負けますが、街中やミニ・サーキットでならターボ車にも負けません」

「トルクカーブとパワーカーブを見ないとわからないけど、あなたの感覚には合ってるのね?」

「そういう事です。外したエンジンは、シビックフェリオの1番安いEL・EG7に載せて、メイドが乗っていますよ」

「マーヤ・ママ?」

「いえ、イルマタルです。例の如く30万くらいで買った、ワンオーナー中古車両を峠仕様に。本当に好き者でしてね。パートナーという商用バンには、プレリュード用のH22AというVTECエンジンを載せていますよ。あれは四駆のEY8型ですが、内装の一部に姉妹車でワゴンのオルティアの装備を流用しています。O・Z Racingのホイールがキマった、お洒落なバンです」

「なんでバン? 足が跳ねるでしょう?」

「そこがホ○ダで、前後ダブル・ウィッシュボーンなのですよ」

「それでFFを選ばずに、四駆を選ぶの? レガシィに対抗してるつもりかしら?」

「でしょうね。変わった色のロードスターに乗ったり、カ○サキのバイクばかり集めたり、変人です」

「あなたがそれを言うか。でもあのロードスターは良い色よね。なんて色だっけ?」

「スプラッシュグリーン(25R)ですね。NBの3型にしか無い色で、1600ccのNB6では50台しか造られなかったそうです。内SPが41台。あの子のはそのSPです。NB8は24台らしいですから希少な色ですね。これとS200W系ハイゼットのデッキバンは新車から乗っています」

「微妙にあなたと好みが似てるわよね?」

「認めます。私がヤ○ハ党なのを除けば、デッキバンもワーゲンのタイプ2も好みです」

 

 イルマタルさんはエル姉様が鋳造されたホムンクルスで、バイクやクルマの修理・改造を職業にされている方です。ややこしいですが、エル姉様はご自分が鋳造した作品を『メイド』と呼ばれるのです。これはその者達もヒトであるという意味なのですわ。

 そしてイルマタルさんはメイドに必要な知識の代わりに、メカニックやチューナーに必要な知識をこれでもかと詰め込まれた方ですのよ。

 日本に居る時間より、スイスでノインのお祖父様や御友人といったエンスージアストな方々の、クルマやバイクに触れている時間の方が長いと思います。レストアの知識もバッチリですから重宝されていますわね。

 更には環境問題もお詳しく、エル姉様とともにタービンやマフラーに取り付けるキャタライザーを開発されましたのよ。この触媒はメタルと、とある物質を3種融合したものですが、宝石魔術の応用技術が使われていますの。

 NOx、CO2等々の排出量がほぼゼロになるという、夢のような触媒ですわ。この、とある物質が何であるかはお教え頂けませんでした。それはそうですわね。ただし、自然界に普通に存在するものなのだそうですわ。

 問題は現代の科学でその3種を融合する事は不可能だという点。ですが将来はわかりませんし、宝石魔術の応用と申しましても私どもの神秘には触れていないのです。

 こういう穴を見付けるのがお得意なのは今更ですが、歴史を変える程の世界的事業にしてしまうとは。

 現在は欧州のほとんどの自動車メーカーやバイク・メーカーが、このキャタライザーを取り付けていますのよ。そこから得られる収入は推して知るべしですわね。

 アフターパーツとしても売られていますので、効率は落ちますが古いクルマにも付けられます。2~3年に1回取り替えなければならないので、エル姉様とイルマタルさんの工場は大忙しです。それで彼女はお金を貯められて、御自身を買い戻されたのですわ。

 これも偏に自分で食べていけるようになって欲しいとの、エル姉様の願いがあったからこそですわね。勿論、エル姉様は解放する旨の誓約書を発行なさっただけで、金銭は彼女から受け取っていません。

 ご自身は今もフリーのメカニックですが、その内ショップでも開かれるのでしょうか? あの触媒で年間何十億も儲けていらっしゃいますのにね? ちなみに私のランエボも、この方の手が入っていますのよ。

 

「じゃ、シビックのエンジンもイルマが?」

「いえ、あれは自分で組みました。彼女にはインジェクターのマッピングとマニホールドの制作を手伝って頂きました。エアクリもアルミの板をTIG溶接して、私が作りました。マフラーもそうですが、高回転向けの抜けより中域でのトルク重視です。サスもアンダーが出難く、オーバーでお尻を振る事もありません。この僅かなトルクアップを確実に地面に伝える仕様です。SiRⅡなので快適装備満載ですが、ノーマルのSiRやEK9より街中では速いですよ。何より補強の際に塗装を全部剥がして、シーリングも一からやり直しているので、今後10年はホ○ダ病の雨漏りがありません」

「タイプRより速いの? 本当に?」

「当然サーキットでは負けますよ。ですが冬木市内を走る分には、峠であろうと、未遠川沿いの道路であろうと負けません」

「ふ~ん。けど、あなたは四駆派だったわよね?」

「いえ、FRやMRも好きですよ。FFは車種が限られますが、好きなものもあります。会社の営業車も私の仕事用もFFばかりですし。あのシビックは私なりの営業車なのですよ」

「ああ……。やっと意図というか、考えがわかった。街中で乗りやすく高速は快適で、取引先に迅速に向かう……」

「そういう事です」

 

 エル姉様らしいですわね。日本のほとんどの道路ではランエボやインプレッサが上でしょうし、高速道路のような直線や緩い高速コーナーが多い道路ですとGT-Rやスープラが上でしょう。ですが限られた道、冬木のような街やヨーロッパの古い街中ならFFハッチバックは意味があります。

 この冬木にしましてもほとんどが隘路で、ハンドルを切り損ねたら民家に突っ込みそうな入り組んだ県道や、舗装路に限ったとしても脱輪すれば田んぼか小川という曲がりくねった農道ばかりです。

 こういう道は欧州でも多いのですわ。ですから欧州で1番売れていて、良く見掛けるクルマもFFハッチバックですのよ。ホットハッチという言葉もあるくらい、高性能エンジンを積んだタイプが数多くありますの。

 フィンランドもト○タのヤリス(ヴィッツ)やニ○サンのマイクラ(マーチ)が良く走っています。他はチェコのシ○コダの何か、もしくはフォルクス○ーゲンの何かですわね。エル姉様の会社もフォルクス○ーゲンのポロかルポが多いですわ。

 営業で急ぎの場合や、隣の国まで行く必要のある人向けにゴ○フのGTIなどもご用意されていますのよ。また、ポロには無いGTIがルポにはあります。ですが会社には導入されていません。

 なのにエッペルハイムのご自宅のガレージに置いてありますの。あれは一体どなたのでしょうね? 

 可愛いからといういい加減な理由でマイクラも入れてらっしゃいますが、あれは内装がイマイチですわねぇ。女性の事務員がよく使われているそうですが。

 

 それはさておき、ヨーロッパではディーゼルですわ。そして日本製はディーゼルエンジンのラインナップが、どのクルマも1種類しかありません。それがポロⅣなら4種類、ルポで3種類ですわ。この差は大きいんですのよ。

 ではマイクラの存在意義と購入動機はと言いますと、K12の可愛らしさと、そこそこの軽さでしょうね。主力の1.4リットルならルポの方が断然速いですし、操縦性も安定性も高いです。結局、ヨーロッパにはヨーロッパのクルマが、アウトバーンにはドイツ製が似合うのですわ。

 ですから冬木では日本製に拘るのです。現にエル姉様がお仕事で使われる専用車がフォルクス○ーゲンのパサート2.8VR6の青いワゴンと、パサートのストレッチ版とも言えるシュ○ダのスペルブで、これらはどちらもFFです。スペルブもエンジンはパサートと同じ2.8リットルのVR6で色も青ですのよ。

 また、距離がある時は2.5TDIのT4やT5に乗られています。内1台は側面の窓を潰し、内装にベッドやテーブルを備え付けていますわね。

 要はキャンプ用でなく移動事務所ですわ。このアイデアは私も温めておりましたので、似たようなクルマを2台持っています。

 それと霊地の探査や調整の場合は、過酷な土地の場合も多いですので、ニッ○ン・サファリやト○タ・ランドクルーザーの改造車、もしくはスカニアの特装トラックを出されますわね。ロシアにもあちら用の専用トラックやバンがあるそうですわ。

 ともあれ、私はFFハッチバックの日本製なら、昨年出たマ○ダ2(DY系2代目デミオ)だと思いますわね。

 ああ、念のために言っておきますが、欧州ではマニュアル・ミッションが主流です。今後は自動クラッチの2ペダルも増えると思いますが、トルコンのATやCVTなどは誰も見向きもしません。それは高級セダンのための装備なのですわ。

 

「じゃ、ヨーロッパでこの手のを買うなら何?」

「あちらでですか?」

「ええ。FFのハッチバックで」

「そうですねぇ……フィ○ットのプントか、○ペル・コルサCか、プジ○ーの206か、はたまたフ○ード・フィエスタか……悩みますね」

「気が多いわねぇ?」

 

 これは先生の質問の仕方が悪いですわ。

 

「エル姉様。現在のヨーロッパで手に入るAセグメントのFFハッチバックで、営業向けかつ、御自分で運転なさりたいクルマなら何を選ばれます?」

「フォルクス○ーゲンのルポ、それかニッ○ンのマイクラですね」

「では、同一条件でBセグメントからなら?」

「フォルクス○ーゲン・ポロかプジ○ー・206です」

「あっさりと。条件の出し方が悪かったのね。マイクラって?」

「マーチの事ですわ。あのデザインがお好きなんですのよ。それと営業所のクルマがフォルクス○ーゲンで、ルポもポロもたくさん運用されていますの。そして何台かマイクラも導入されていますのよ。206やフィエスタの名が出ましたのは、デザインとラリーの成績からでしょうね」

「なるほど。じゃ、ルヴィア? スポーツカーだと、どういう分け方になるの?」

「何を以てスポーツと定義するのかで変わりますわね。そしてどこを走り、何と戦うのか」

「フフ……一本取られた。適材適所でより先鋭的に。魔術と同じよね?」

「ええ。ただ、エキゾチック・カーで言うならフ○ラーリがお好きなのですが、お祖父様に止められていて、それでガヤルドだったそうですわ。それもラン○ルギーニがフォルクス○ーゲン・グループに入り安定性と信頼性が高くなったからでしたの」

「セイバーにあげたアレか。ポ○シェとBM○も止められているんだっけ?」

「意味合いが異なりますが。ポ○シェとフ○ラーリは凝りだすと泥沼にハマるからだそうですわよ。BM○はバイエルンのクルマだから駄目なのだとお聞きしています」

「うん? 前者はご心配されてよね? 後者は何?」

 

 これには私でなくエル姉様が答えられました。

 

「私達アインツベルンは黒い森から広がった一族です。黒い森もメ○ツェデスもポ○シェもバーデン=ヴュルテンベルク州です。そしてお隣のバイエルン州とは気質が異なると言いますか、合わないのだそうです。ですから、一族の長老方は皆んなバイエルンを嫌っていますね。アハトがバイエルンに城を建てたのも原因ですよ」

「ドイツの南にある大きな州が、隣同士で仲が悪かったなんて……?」

「いえ、アインツベルンだからです。ウチでは、裏切り者は隣に逃げるとよく言われますから」

「あんたのトコは大概ね?」

「ハイカラとタヌキ、阪神と巨人。細かな違いが敵愾心に変化する例は、どこにでもありますよ」

「確かにね」

 

 往々にしてこういうのはどこにでもあるものですが、問題のほとんどはアハトという人物です。そしてエル姉様もイリヤ姉様も、そのアハトの家の出身。養子に出たエル姉様御自身も、その血統で御苦労があったそうですわ。イリヤ姉様と再会されてからは、イリヤ姉様のためにあれこれご腐心なされておいでですのよ。

 お話は変わりますが、大魔導師は実はクルマが大好きですの。幼い頃に母親が運転するボ○ボ940に乗っていたと覚えてらっしゃるのです。

 これの何が珍しいのかと申しますと、凜の小母様はFFの850でしたの。その後V70に乗り換えていらっしゃいますのよ。そしてどこの遠坂凛も、母親が何に乗っていたのかを憶えておりませんの。何か運命的ですわね。

 それはともあれ、生前はお誕生日の関係で免許を取られたのは遅かったそうですが、私どもの世界に残ると決めた翌年には免許を取られクルマを求められました。最初に手に入れられたのが、中古のオー○ザム・キャロルでピンクの可愛い軽自動車です。

 次に求められたのが真っ赤なフ○ードのレーザー。ファミリアのNEOと同じと言えばおわかり頂けるかと。1.8リットルのエンジンはロードスターと同じですの。

 先生がこれにお決めになった理由は、生前の事ですが中古のファミリア・アスティナをお持ちだったのが切っ掛けですのよ。人気がなく安かったそうですわ。ですが、増えて行く家族にはぴったりな5ドア・ハッチバックですわね。

 マ○ダ・ファミリア。欧州名MAZ○A 323。アスティナとランティスは323F。あちらではヒットしたクルマですのよ。特にドイツではその優れたパッケージングが高く評価され、かなりヒットしましたの。

 そんな323はラリーでも活躍し、6代目BF型で追加発売された1.6リットルターボのGTXは母の愛車でした。幼い日、身体の弱い双子の妹が熱を出せば、掛かりつけのお医者様まで1000湖ラリーよろしく雪の中を駆け抜けて行った母。

 今でも憶えていますわ。そして私どもが小学校に通う頃、母はクルマを323Fに替えました。と言いましてもBG型でなくCBA型ですので、日本で言うランティスの方ですわね。

 結局、その後BG型の1.8リットルターボのGT-Xを追加で贖われましたけれど。そのランティスと同時代のファミリアが8代目のBH型で、その中の派生車の一つがNEOですのよ。

 という事で、ランエボ、ランエボと言う私ですが、結構マ○ダには思い入れがありますの。コ・ドライバーとして何度かアマチュアレースにも出ていますが、プライベーターに323が多かったのも原因ですわね。

 それにファミリアとは家族や親友という意味もありますが、綴りを少し変えれば使い魔という意味にもなります。良い名前でしたのに、大きく重いアクセラに代わってしまいました。はぁ……。

 また私と同じく母の勇姿を憶えているのか、妹も323が好きらしく、プラハに323GTXのミニカーを持って行きましたのよ。エル姉様のお蔭で以前より元気になった妹。あの子は何に乗るのでしょう? 

 そして先生が次に求められたのが、RX-7の最終型ですわ。赤いパサーストで、先生にとてもお似合いですのよ。

 時に並行世界では、フ○ラーリやラン○ルギーニを駆る遠坂凛も居るそうです。ですが先生は、パトロンに取り入って、身の丈に合わないクルマに乗る者は魔道を極められないとキッパリ仰られていますわ。

 これは私も凜も肝に銘じたお話でした。それだからレーザーもお似合いなのですわ。

 ちなみにシロウさんは仕入れ用のハイゼットジャンボ冷蔵車と釣り用のネイキッド、そしてフォレスターを初代のS/tbから、二代目のSTiバージョンへと乗り継いでいらっしゃいますのよ。つまりは先生と同じく3台持ちですわね。

 ご夫妻二人で6台ですわ。これを多いと見る方がほとんどでしょうが、ま、先生の場合はRX-7の走行距離を伸ばしたくないという理由がありますし、シロウさんの場合はネイキッドを追加しませんとフォレスターが生臭くなりますものね。

 

 そういった様々な人のお考えに触れた私は、普段の足にはミニバンが良いなと考えておりましたの。そしてショールームにムルティプラを見に行き……。オーギュストやクラウンからも賛同を得られませんでした。

 私にそぐわないやら、エーデルフェルトの恥だとか……煩いのなんの。ムルティプラ……あの4メートルを切る長さがよろしいのに。乗り心地もそこそこで、内装もオシャレですのにね。

 それで結局私は、日本でキューブキュービックを買ってみましたのよ。免許はまだですので庭の中でしか乗れませんけれど、あの乗り心地は……トラックでしたわね。

 お好きに使いなさいと使用人に申し渡してありますが、買い物に便利なようでメイドには好評です。CVTも彼女らの好みに合ったようです。が、こうなれば普段の足をもう一度検討せねばなりません。

 そこでジャパニーズ・ホットハッチですわ。迷いに迷い、イルマさんとも相談し、ダイハツ・ストーリアのツーリングを求めましたの。モデル末期で正式な免許を取った来年には、消えるのを聞いたからですわ。

 1.3リットルのK3-VE2が載った、フルタイム4WDの5速ミッション。

 勿論、エンジンはイルマさんの手でファインチューンされ、足回りも見て頂きました。外装はエーデルフェルトの青にオールペン済みです。もっとパワーが必要なら、ターボを付けられるそうですわ。シートもレカロに替え、ステアリングもモモにしました。お気に入りですのよ。

 そんな事がありましたので、エル姉様のシビックには驚きでした。あのクルマはサーキットを走る、硬派なイメージがありますでしょう? ラリー好きなエル姉様が選ばれるとは。後で試乗させて頂きましょう。

 

 

「イリヤ、ちょっと来て?」

「何かな、クロお姉ちゃん?」

 

 私は妹を伴って校舎裏に行った。

 裏と言っても、長方形の校舎の非常階段がある短辺側だから、真裏でなく横だ。そこにそびえる高い金網を隔てた先には、中等部と高等部の食堂や購買が並んでいる。金網の向こうにクロを待たせていた。業者のクルマが通る専用道路の植え込みに隠れているのだ。

 

「どういう事?」

「また、何かありそうなのよ」

「え?」

「だから、薄々気付いていたの、私が。けれど勝手に動くと皆んなに迷惑を掛けるでしょう? でも、知らないままなのも嫌じゃない。万一の事があったらと思うし。なのでクロと相談してたんだ。それで今朝、私達が登校した後にルヴィアん家でパパやクロ達が呼ばれて話し合っていたらしいの。それを聞こうとね」

「つまりクロエお姉ちゃんはスパイ?」

 

 イリヤの言葉に金網の向こうのクロが抗議した。

 

「結果としてはそうなるけど、そういう言い方はヤメて。あと、私がここに来ている事は、お姉ちゃん達にはバレバレだから」

「イリヤの目じゃ見えないかな? ルビー、視力強化してあげて」

『はいはい~。イリヤさん、高等部校舎の4階の窓ですよ』

「あ、ここからも見えるんだ?」

 

 そう、5年生と6年生の教室は4階なので、廊下の窓から首を出して左を覗けば高等部の校舎が見える。普段は施錠されている非常階段に出ればもっと見えるだろう。

 

「そう、購買と食堂との間。そこからだと2階から上が見えるのよ」

「どれどれ。あ、本当だね? あ~、あの購買でアイスが買えるんだよ~。早く中学生になりたいなぁ」

「今は関係ないでしょう!? さっき言ったそこを更に上にたどって、ルビーが言った4階の窓を見る!」

「手を振っている人が……。お姉ちゃん?」

「そうよ。私の考えなんてお姉ちゃんには見え見えだったの。で、クロ。何を言われてきたの?」

 

 イリヤはクロをスパイと言ったが、違う意味でスパイの可能性があったのだ。

 

「別に何も。ここに来るなとも話すなとも言われてないわ。もしかしたら、手を振ってくれているエルヴァお姉ちゃんと、エルお姉ちゃんとで考えが違うのかも」

「そういう事か」

「うん。だから話すのは良いけど、私は後でエルお姉ちゃんに叱られるのかもね」

 

 そう言いつつクロはウィンクをして、ルヴィアん家であった話の内容を教えてくれた。海外の諜報機関や特殊部隊が動いていると聞いて、イリヤは頭から湯気を出していた。私はしまったと思った。

 これ、秘密にしたいんじゃなくて、私らじゃ難し過ぎるんだ? だからお姉ちゃん達の意見が対立しちゃったのか。

 私はウンウン唸っている妹の顔を見た。これがスイスのエルヴァならすんなりわかるんだろうなぁ。

 

「秘密にしたかったのはどっちのお姉ちゃん?」

「気分悪くしないでね。あなた達の方のエルヴァお姉ちゃんよ」

 

 やっぱり。お姉ちゃんらしい。

 あのエインズワースの城で、何度も何度も私やクロやイリヤ達をかばってくれたお姉ちゃん。その目は強く生き残れと言っていた。けれど普段はそんな怖いくらいの強さが影を潜めて、私達にとても優しいお姉ちゃん。

 そして敵の目的は────クロは濁しているけれど、お姉ちゃん達の拘束、或いは殺害だろう。どうしよう。心配だし、なんとかしたい。けど勝手に動けば邪魔になる。

 

「あ~~! もう!」

「私と同じ事を……」

「やっぱり?」

「うん。それで私の妹もルヴィアん家で唸っているわ。だからちゃんとした指示が出るまで、普段通りにするしか無いのよ」

「だね……。ありがとう。疑ってゴメン」

「いいえ。気持ちはわかるから。焦っちゃ駄目よ? じゃ」

 

 そうしてクロは帰った。そしてクロの気持ちもわかった。あの子も悩んで焦っていたんだ。私のためと言うより、自分自身を戒める意味もあって話してくれたのだろう。良いタイミングでチャイムが鳴ったので、私達も教室に戻ったのだった。

 

 

 ティーブレイク。いつもの自販機で校内価格60円のカップコーヒーを飲む。アペックスの自販機は日本中どこにでもある。ホットとアイスの両機能を最初に搭載したメーカーだ。

 とは言え、飲料を販売する自動販売機である。どんなに機能が優れていても、商品が不味ければ意味はない。

 ところがここのエスプレッソベースのコーヒーは、ブラックで飲むとそこそこの味がした。ミルク増量ボタンを押して、一メモリだけ入れるとなお良い。高速道路のS.A.やP.A.或いは公共施設の自販機コーナーなら90~120円はするだろう。

 さすがに150円以上の挽き豆使用やミル挽きタイプには負けるが、この味が60円で楽しめるここの穂群原は素晴らしい。

 あちらではパックと缶の自販機しか無かったのが残念だ。なので私は同じコーヒー好きのエルには、学園の自販機について話していない。

 

「だからさ、スープラだって。A80のあのいかにもコックピットって感じが良いんだよ」

「それならRX-7も変わらないじゃん」

 

 2年生だった。どちらがよりスポーツカーらしいかで論を競っていた。

 私個人はゴテゴテしたA80よりA70だなぁ。四人乗れるグランツーリスモとして良くできていたと思う。空力も良いので、燃費もこの手のクルマにしては良い。Z20ソアラよりカッコいいし。

 それとは別にA80スープラと同時期のZ30ソアラ。重いけれど、あれもデザインが良いと思う。

 けれど究極のグランツーリスモはフ○ラーリだ。マラネロでなく、昔の365GTB/4。通称デイトナ。その前の275GTB/4と並んで、デザインが抜群に良い。

 お祖父様は、アクリルに覆われた丸目ライトの赤い前期型を1台と、リトラクタブルになった後期型のクーペの黒と赤を2台、そして黄色いスパイダーを1台お持ちだった。この黒と赤のクーペは、バブル期に湧く日本のタイヤのCMに貸し出したと仰られているが、かなり嘘くさい。

 とは言え、全部で1406台しか造られなかった希少品ではあるので、可能性はあるのかなぁ。あれが本当に欲しい。

 オークションで買えなくもない資産を得ても二の足を踏んでいた。きっとエルに聞けば同じ答えを出すだろう。365GTB/4があがりの1台だと。

 

「いや、ロータリーはロマンがあるよ、確かに。四十七士の話なんてグッと来る。けどな、あれは夢のエンジンじゃない。燃焼室の形状が長細いから理想的な燃焼に程遠いし、潤滑と冷却、そして精度に問題があるよ」

 

 お? 詳しい。プラグが2本必要なのも燃焼室の問題だ。確かにレシプロエンジンは円筒の中をピストンが上下するだけ。つまり、円柱の容積が変化するだけだ。吸気・掃気も部品点数は増えこそすれ、ポートでしか行えないロータリーより確実だ。何よりピストンに同心円で重複してリングを嵌めるので、潤滑オイルが燃焼室に入るリスクが少ない。

 これがロータリーだと、三角おにぎりの頂点と、エキセントリック・シャフトのある中央部の左右とで合計五箇所もシールしなければならない。また、この三角おにぎりの頂点が擦れるので、プラグが奥まったところにしか設置できない。なので2本必要だとも言えるのだ。

 そして各所のシール類の精度にシャフトの精度。これらにはレシプロ以上の高精度が求められる。更にあの手この手を打っても、冷却しきれない熱のこもる形状。根本的にどうしようもない。だから各メーカーは開発を断念したのだ。

 結局、ヴァンケルはアイデアだけを売りたかったのだ。バルブが要らない、カムも必要ない。シンプル・イズ・ベスト。そういう謳い文句に体良く引っ掛かったのは、播磨と同じ山陽は安芸のメーカーだった。

 メーカーの起死回生には必要な事だったのだろう。なのでわかっていて乗った。この場合、吉良上野介義央がヴァンケル・ロータリーで、四十七士が若き技術者達だった。

 

 四十七士が気の毒なのは、浅野内匠頭長矩が被害妄想で鬱になっていた事。この事から吉良上野介義央が悪いのでなく、義央の家人、江戸家老が自らの失態を長矩のせいにして義央に報告していたという説がある。私もその説に賛成だ。

 もっと言えば、会社などでもよくある些細な失敗。江戸家老が直接犯したミスでなく、配下の細々したミス。そんな小さなミスを幾つか見逃してしまい、とうとう隠せない段階まで来てしまった。だから長矩のせいにしたのだろうと私は考えている。

 要は江戸家老には、捌けるだけの技量がなかったのだ。何より江戸時代には、ホウレンソウも無かったろうし。

 そして起こった刃傷事件だ。これは私でも切腹を申し付けるだろう。ただし両方に。吉良家が当時、青息吐息で火の車だったのは明白だ。領地を天領にする手もあった。

 しかし吉良家は高家旗本で名門中の名門。それに情の厚い人で上杉家を救ったりもしていた。そうなると、喧嘩両成敗にしてしまえば吉良家のために造反する家が幾つも出て来る。

 だから浅野家だけに罰が下った。吉良家が情に厚いなんてあり得ない。あの家は財政の厳しい上杉家にタカっていたとか、弱い者いじめをしていたとかいう話もあるけれど、どちらにせよ赤穂浪士の話は当時の幕府の歪みが出ていると思う。

 

 やがて2年生のクルマ談義は、2002年で終わった国内スポーツカーを惜しむ意見で一致していた。

 教室に戻る傍ら、確かに90年代のクルマは日本車に限らず輝いていたなと思った。私は免許を取ったら何に乗ろう? 2ドアや4ドアのインプレッサは今更だから、5ドアのスポーツワゴン? 

 レオーネやジャスティのスイング・バックは本気の実用車だったと今でも思う。アルシオーネや、お祖父様がお持ちのSVXは今でも好きだ。試される大地ほどでは無いけれど、スイスも雪国なので4WDへの関心は高いのです。

 けれど、ランカスターやアウトバックは、私にはまだ早いかな? あれはある意味オールロードクワトロだからね。RSが出る前のSと同じか、それ以上にオールロードクワトロは輝いている。

 そしてクアトロと言えば80年から91年まで製造された、Ur-クワトロだ。あのブリスターフェンダーは、オーソドックスな箱型の2ドア・クーペが只者では無い事を知らしめた。中でも6MTを積んだ83年から84年のスポーツ・クアトロは化け物だった。

 そのグループB時代のレギュレーションモデルを、エルはかなり集めていた。けれど私はクアトロ以外、そこまで良いとは思わなかった。どれもこれも無理をしている。軽過ぎて危ないとさえ思うものもあった。特に足回りが酷い。クルマが跳ね過ぎるのだ。

 当時は路面に吸い付くサスペンションが作れなかったのだろうか? 逆に現代のオールロードクワトロやアウトバックはしなやかだけど無駄に重い。となると、結局はインプレッサかランサー・エボリューションになってしまう。

 大アンダーで、ハンドルを向けた方向の外側に飛んで行くハイパワー・ターボ4WD。それがサスを詰めて、ニュートラルに持って行くと涙が出るほど楽しいクルマになる。理想を言えば、軽くてお手頃でアマデウスみたいな4WDワゴンが出れば良いとは思うけれど。

 

 それとは方向性が違うけれど、私は街中を真っ直ぐ走る4WDも好きだった。ラダーフレームの本格的クロカンでなく、モノコックのアーバン四駆の事だ。

 そうだ……。HR-Vの3ドアは失くなったんだっけ? あれはビークロスの軽量小型版みたいな感じでオシャレだった。買おうかなと迷っていた時期があった。

 あっちはお金に困る事が無いから、絶対に買っているだろうな。それで、D16AをK20AやK24Aに換えていたりして。

 

 そうだ。エンジン換装と言えば……。

 最速営業車というコンセプトで、改造しまくったスポーツシビックがあったけれど。あれってどうなったのだろう? 

 コンセプトの認識違いで、CR-XのEF8で作ろうと言った私の意見はバッサリ却下されたんだよね。

 逆にこっちもインジェクションでなくFCRを入れるという彼女の意見は阻止したなぁ。バイク好きのFCR神話はものすごい。

 あれはエル自身だったのかな? 頭の中で殴り合いの喧嘩をしたものね。

 ともあれエコカーを作ったら、スポーツカーになっちゃったというあの頃のホ○ダは面白い。インサイトはコンセプト止まりにして、CR-YとかCR-Zとか出せば良いのに。けれどあのスポーツシビックは、舞台が峠であるなら有名ショップのチューニング・マシーンにも勝てるだろうと勝手な自信を持った1台だった。

 ボンネットに屋根、そしてリアゲートと言うか、リアハッチと言うか、バックドアと言うか、テールゲートと言うか、ともかくあそこもカーボンで、窓はフロントとリア以外全部アクリルだ。

 これだけで外注すれば制作費300万を軽く超えるだろう。左右のドアもカーボンにすれば、もう15~17キロは軽くなると思うけど、ヨーの変化が怖くて止めたんだった。

 もしかしたら今はドアやフェンダーもカーボンかも知れない。ロールケージを入れていない分、パフォーマンスロッドやリアゲートバーには拘った。当然ヘリカルLSDにABSのオプションも入っている。あれはこのところ台頭して来た、イグニスや欧州版タイプRに対抗して作ったクルマでもあった。

 錬鉄の英霊すら騙し通した、コンロッドの延長と、ピストン・ヘッドに潜り込むかのようなピストン・ピンの位置。一応8500rpmと公言していても、その気になれば9500rpmは回るエンジンと、インテグラ用を流用したラジエーターがミソだった。

 インテグラのラジエーターを使うと、エアコンを外さないで容量アップができる。勿論、配管はやり直しになるが、TIG溶接ができるなら問題はない。

 シビックをチューンすれば、必ず立ちはだかる壁。それに答えを出せたと自分なりに思えた1台だ。

 タコ棒でコリコリ擦り合せした日々。ピストンやコンロッドを何回計量器で計ったろうか。強化スプリングは錬金術で作れるが、チタンボルトとチタンカムは一品物だった。

 AE111の20バルブなんてメじゃない。4A-GEを5A-Gや7A-G化したエンジンより回るし、中域のパワーがあった。シャシダイでの計測で一喜一憂した。

 

 元々私が目指していた安全な運転とは、物事に対していかに反応速度を上げて対処できるかにあった。

 ガツンと利くだけでなく、どういう風に利くのか。そこが重要なブレーキ。オンオフのスイッチではない、無断階でもここではこれだとリニアにわかるアクセル。逐一と変化するロード・インフォメーションを確実にドライバーに教えてくれるシャーシと足回り。

 それがあるから反応できる。それがあるから安全度が高い。どれもこれもパーシャル域のコントロール性を重要視した。

 そんな我儘な私の好みに応えてくれる、確かなチューンドをいつも造ってくれていたイルマ。彼女に感謝の気持ちを捧げるべく、私自らが制作したのが、あのスポーツシビックだった。

 スポーツシビックと聞いて乗り気でなかったイルマも、エンジンを見て火が着いた。抱えている仕事で忙しいのにも関わらず、インテークマニホールドを一品物で作ってくれ、インジェクションを組んで点火マップを書き換えてくれた。

 自分でできなくも無かったが嬉しかった。マフラーの曲げに四苦八苦していたら、こうですよとタコ足マニホールドとマフラーをチタンで作ってくれさえした。

 彼女の知識は、話せば話すほど奥が深かった。自分が鋳造したとは思えない程だ。元気にしているかな、イルマ。

 

 キャンバーはフロントのみ-1度。サスはオーリンズかショーワ。路面状況でタイヤとセットで替えていた。円蔵山でも冬木山でも、下りのタイムで負けたのは、S2000と自分のインプレッサだけだった。いや、冬木にそんなに走り屋は居ないけど。

 それでもS2000を駆るマーヤ・ママは速かった。その余りにも速い印象が強烈に焼き付いていたので、こちらのお母様にもついついS2000を薦めたのだった。

 本当のところS2000はスポーツカーでは無い。乗って楽しいオープン2シーターのフリをした公道走行可能なレーサーだった。お母様がどの程度の腕前かは知らないけれど、できればロードスターを先に買って、十分腕を磨いてからS2000に乗って欲しいというのが本音だ。

 250馬力を叩き出すエンジンより、前に進もうとするあのシャーシを味わって欲しい。高回転高出力のNAエンジンは、低回転時のトルクが不足し、パワーバンドが2サイクルのバイクみたいに狭い。

 それをしてピーキーという言葉があるのだが、S2000の本当のピーキーさは足回りにあった。シャーシの限界が高いのにサスの限界は意外と低いのだ。特にリアが。

 2001年9月のマイナーチェンジでマシになったという人もいれば、2003年10月のマイナーチェンジで良くなったという人もいる。私は2001年派だが、お母様には2003年10月以降の物をお薦めしたい。現行を新車で買われるなら問題ないと思うが。

 ともかくあのリアのダンプ後、一気にブレイクするところが克服できれば────エンジンを高回転でキープするアクセルとクラッチワークを習得すれば────あれ程面白いクルマは無いだろう。

 

『お嬢様。このクルマには上も下もあります。けれど────美味しいところはノーマルより下がっています。排気量は2200ccにアップ。馬力は250psで変わらず。それでもこれはS2000です』

 

 少し借りたS2000のコーナースピードは、ドライな峠で最強だった。中間トルクと中域のパワーが上がっていたのだ。

 FRだからこその、あのコーナースピード。窓の外は、宇宙船のワープ空間だった。なのに、雨天や霜の降りた路面ではコントロール性に不安を覚えた。

 だから────あのS2000が、ウェットでも最強になった姿をイメージしてボディを補強したEG6を作ったのだ。

 共鳴点も共振点も徹底的に解析してあった。馬力は要らない。ステアリングに悪影響を与える過大なトルクも要らない。マシンのバランスと、私のクセ。前後の重量配分とステアリング特性に、前に進もうとするトラクション。

 タイヤが路面との摩擦で溶けて生まれる粘着力を上回る何か────

 ショップに頼めば4~500万は掛かりそうな、わかる人にしかわからない宝石のようなクルマ────

 あれがあれば私は────

 ああいう遊びも、もうできないのか。それでもどうしてもと言うのなら、お金は現実として間違いなく必須だ。

 けれど……バリバリ稼ぐのは、ルヴィアや凛が大人になってからで良いだろう。そしてその経営基盤を、何れはそっくり三人の妹に譲ろう。

 クロエにイリヤにエルヴァ……あの三人の可愛い妹に。ああ……エルヴァは元気だろうか。

 

 そう言えば、ここのママはEP3だった。エンジンはK20Aで最初から2リットルだし、フィットが出て国内販売は低迷しているが足回りはかなり良い。タラバガニのロッドも、街中で走る分には弱点とはならない。

 グリルの付いたEK4やEK9よりEG6派の私は、同じグリルが付くならEP3やEU8の方が好きだ。欧州モデルの3ドアEP2に5ドアのEU8、このVTEC D16V 1.6Lは良く回るし足がしなやかで感動した憶えがある。

 日本だとD17Aの1.7LでCVTばかりだ。MTはタイプRにしかない。

 けれどEG6みたいに、コンソールを入れ替えなくても最初から2DINなのは嬉しい。真空管のCQ-TX5500Dがスポッと入るのだ。インパネシフトは気にならないタイプだし……。

 カーポートは縦に2台置けるのに、奥が空いている。お母様の300SLにぶつけられそうなので、お父さんは別の場所に屋根付きガレージを借りてレンジローバーを置いていた。

 古タイヤをクルマとクルマの間に挟めば良いだけだが、バンパーの高さが合わないのだ。それがシビックなら300SLやロードスターにS2000と高さが合う。

 それに、ちょっとしたお買い物にセラが使ってくれても良い。230万ちょい。オプションを入れると270万くらいだろうか? 

 買っちゃおうかな。そしてお母様がロードスターをお買いになり、乗りこなせるようになったなら、S2000をプレゼントしても良い。だって、S2000にはタイプRが出ていないのだから。

 とことん腕に覚えのない一見さんはお断りと言わんばかりのレーシーさなのに、メーカーはサーキットでどうぞというタイプRを出していないのだ。S2000はモードレッドみたいにグレても良い。その権利がある。

 そして私自身もガレージを借りて、今の熟成されたIII型NSXのタイプRをEP3と一緒に置こう。

 どこのどんな道であろうと敵無しだった、あの白いLA-NA2。あれは伝説だった。そして乳母であるマーヤ・ママが思春期に入り、夜な夜な遠征して走り屋達を潰していたのが、2000年ちょうどだった。

 峠を狂ったように下る、サンライトイエローのGF-DC2・タイプR・X。そんな悲しいママを見たくなくて、ママを降した私のGC8。

 今のマーヤ・ママは白いLA-AP1(S2000)と白いLA-NA2(NSX)を駆る白い王女だった。元の世界のお母様がホ○ダで白色を避けていたのは、マーヤ・ママに勝てないからだ。冬の女王は白銀の王女に兜を脱いだのだった。

 バイクはルオン・ママに負けるが、元セイバーのアルトリア姉さんとタメを張るママ。クルマだと断トツ一番で、私に負けた以外は無敗記録を今も続けるママ。マーヤ・ママ……あなたこそが最速です。

 

 そんな事を考えながら階段を登りきり4階の廊下を歩いていると、外から凄まじいエキゾーストノートが耳に飛び込んで来た。あのターボ車特有の排気音に混ざる、パシッというブローオフバルブの音は……。

 思わず窓から覗くと、WRブルーのGC8インプレッサが正門前の道路をヒュンと疾走って行った。鷹の目が捉えた助手席の少女はクロちゃん!? 

 コーヒーを買いに行く前に見掛けていたから、来ているのは知っていたけれど。後席にはアサシン? どうして? あ、後ろからハイエースが追っている? とうとう学園を嗅ぎ付けたか……。

 

 

 昼休みの生徒会室。今日もお弁当が美味しいのだが。

 

「煮物の味付けが少し違うな?」

「うん。今日はエルヴァやお姉さんじゃないの。私が昨夜作ったんだけど、イマイチ?」

「遠坂か。十分美味いよ。な、一成?」

「うむ」

 

 だがしかし、とはいえどうも、ま、言いたい事はわかるわよ? 

 美味しくないわけじゃない。けれど何かが足りない。それが自分でもわかるのだから。レシピを聞くだけでなく、イリヤさんからも直接何度か教えて貰い、私の調理技術は急激に上がった。そこで満を持してのお弁当だったのだ。

 

「遠坂、あれだよ。俺達は知っちゃいけない領域まで知ってしまったんだ。俺も最近自分の料理に悩むようになった」

 

 料理上手な衛宮君の告白は私の腑に落ちた。

 まだ彼の料理を本格的にご馳走になった訳ではないが、エルヴァ達に触発されて何度か差し入れを持参していた。そしてご相伴に与った彼の差し入れは、想像通りに美味しかった。本当に腕が良い。

 この頃の私は彼に魔術師の素養がある事を疑っていなかったし、実直で一途なタイプなのも知っていた。だから負けてられないとイリヤさんに頭を下げて教えを請うたのだ。

 なのにだ。きっと彼も家で、何度も何度もチャレンジしていた事だろう。それでも届かない味。

 

「一体何が違うのかしら……?」

 

 そこで会話が止まってしまった。

 工程やら過程やら、調味料を入れるタイミングや火加減。それとダシ。ここら辺に違いが出るのはわかっている。わかっているから横に立って貰い、彼女特製のダシをお借りした。けれど、それでも差が出る。

 セイバーが言っていた、『料理の錬金術師』『沁み入る味』とは本当の事だ。もうオカルトにしか思えない。エルヴァの料理を目指して精進する。それが無難で正しいのだろう。

 何故なら彼女の味は、遥かな高みではあってもまだ頑張れば再現できそうな気がするのだ。人の領域というか。けれどイリヤさんの料理は違う。知ってはいけない領域の味か……。言い得て妙だと思った。

 

「ところで衛宮。お前はキャブレターの修理ができるか?」

「ん? どうした?」

「いや、兄の檀家廻り用のスクーターが調子悪くてな。メカに強いお前ならと。キャブレターとの断定は素人判断だが、兄はそこで間違いないと言っとる。どうだろうか?」

「キャブレターか……悪い、一成。俺、家電はある程度わかってもそっちは無理だ」

「そうか。衛宮は免許を持っとらんから縁が無かったな」

「ああ、スマン」

「いや、謝る必要は無いぞ」

 

 あれ? それエルヴァなら直せるんじゃないの? 横のルヴィアも同じように思ったみたい。私と似たような顔をしていた。

 だって先生が仰っていたのだ。エルは子供の頃からバイクに乗っていて、メカにも強いって。そもそもあのクルマを改造したのもエルヴァでしょう? 問題は自転車で危険走行していた人物が、その白いエルヴァだと柳洞君も今は知っている点だった。

 けれど褐色のエルヴァも元は同一人物。バイクに興味が無いとは聞いているけれど、彼女なら知識があるのでは? 

 食後、教室に戻る時、私とルヴィアはエルヴァに聞いてみる事を勧めた。

 

 

 そろそろ蚊が出そうだなと思いつつ、高等部・中等部と小学部を隔てる、トラック用通路脇の植え込みに隠れていた。蚊が出そうだと考えていたのに、校舎の影と木陰が重なるここは肌寒かった。う~ん、早く来ないかなぁ。

 私とクロエは念話が通じる。きっとパスのチャンネルが一緒なのだ。残念ながらこちらのイリヤには、そのパスが無い。私の妹にはあるんだけどね。だから妹のイリヤは家で留守番してもらった。

 クロエやイリヤに伝える事は伝えたので帰ろうかと、通路から学園前の道路に出た。ああ、お陽様が温かい。薄着をしすぎた。半袖でも制服なら生地が厚いからそこまで寒くないんだよね。

 話している途中で転身してやろうかと思ったけれど、ここでの私は部外者だ。おまけに金網の反対側だと、誰かに見付かったら問題だ。

 なので来しなはバスだったが、帰りは歩く事にした。温まりたかったのもあったけれど、ちょっとした予感がしたのだ。

 海の見えるカーブまで降りると案の定、道を訊ねられた。ピシッとしたスーツを着ている、私より濃い褐色の男性。帽子で隠しているがスキンヘッドだ。地図を広げながら話し掛けてくる。先日ケーキを託したアサシンだった。

 

「どうしたの?」

「見張られています。私に道順を教えるフリをして、指さしながら振り返って下さい」

 

 100mほど下ったところに白いワンボックスのバンが停まっていた。

 

「あのクルマ?」

「そうです。最悪はガスを使っての誘拐でしょう。中には屈強な男が三人。こちら方面には現在私しかおりません。携帯電話はお持ちですか?」

「うん」

「それならバス停まで戻られ、バスに乗るか……いえ、クルマを喚んで下さい。エル様が来られるでしょう」

「わかった、ありがとう。けど、あれは泳がしているの?」

「ええ。あのクルマに使い魔を付ける隙きを作るのが私の役目です」

「りょーかい。頑張ってね」

 

 そして私は彼をバス停まで案内するフリをした。再び坂を登ると、視界の隅で海の見えるカーブへ白いバンがゆっくり登って来るのが見えた。

 彼も英霊なのだから、一人でも三人程度の相手なら楽勝だと考えてはいけない。アサシンは分裂しているので一人一人は意外と弱い。もしかしたら私でも勝てるかも知れない。

 そして相手は一般人ではない。特殊な訓練を受けている人達だ。それなら私にしても転身して武器を使わなきゃならない。そうすると殺し合いになってしまう。

 だけどそれはお姉ちゃんを困らせる。だからつまらない見栄を張らず、こうして避けるのは最良だと思った。歩きながら電話を掛けると直ぐにお姉ちゃんが出た。

 

『クロちゃん、どうしました?』

「学園からの帰りなんだけど、着けられているの。校門前のバス停まで迎えに来て?」

『わかりました。直ぐに出ます。10分で着きますから』

「はい。待ってます」

 

 通話を切った私はアサシンと並んでバス停まで歩いた。本当の意味で安全な場所は守衛さんのいる正門前だけど、最悪な場合は巻き込んでしまうし、打てる手も打てなくなる。

 私はバス停の椅子に座って、転身しないで干将を投影した。クルマを途中で止めて、小さな崖を歩いて登って来る可能性もあるので、もたれた壁の裏側にも神経を行き渡らせる。

 

「クロ殿。鏡面のように反射するナイフは投影できますか?」

 

 なるほど。手鏡代わりに? 

 

「この場合はバックミラーですね」

 

 そうして彼は簡易な小屋型のバス停のひさしの両端に、私が投影したナイフを刺した。真後ろはわからないが、登ってくれば草が揺れるのが見えるのでわかるだろう。刺突や狙撃も考慮して、後ろの壁を強化した。

 

「迎えのクルマが来ましたら、ナイフは回収しておきます」

「うん、お願い。慌てていると破棄するのを忘れちゃうからね」

 

 程なくして迎えのクルマが来た。後ろに羽がある青い4ドア。くるっとタイヤを鳴らしながらターンをして、ドアがこちらに向くようにしてくれた。

 

「乗りなさい。アサシン、あなたも」

「私もですか?」

 

 疑問に感じながらも、アサシンはナイフを回収すると後ろに乗り込んだ。私は前の助手席だ。

 

「二人ともシートベルトを。飛ばしますよ!」

「使い魔は?」

「そんな事はやってられません」

 

 かなり切羽詰まってる? そしてお姉ちゃんは、再びターンをして学園坂を登っていった?! この先はバスの方向転換場所しか無いはずなのに? 

 

「ここの学園はウチが買い取っていないので、敷地が曖昧で道路の区画整理が行き届いていないのです。ですからこの道は旧道まで繋がっているのですよ。一応舗装されていますが、一部は農道で未舗装です。そこを下りきれば水族館前の国道です。そこまで一気に逃げますよ!」

 

 ブバババーッと、このクルマはとても喧しい。時々パシュパシュ変な音がするし。けれど速い。方向転換の場所を過ぎたら、その先に本当に道路があった。振り向くと後ろから白いバンが追い掛けて来ていた。

 

「そんな50万km以上も走っていそうなH50系ハイエースが、この手塩に掛けたGC8に追い付くものですか! なんぴとたりとも私の影は踏ませません!」

 

 速い、速い。旧道というところに入ってからは白いバンが見えなくなった。右に左にハンドルを回すお姉ちゃん。シフトノブを操作する手がちょこまかと早い。

 右足はふわふわと柔らかくエンジンを吹かし、左足はスパスパとクラッチを操作していた。

 カーブの前では右足を内股にして、爪先でブレーキを踏みながらカカトでアクセルを吹かしたり、左足でコーナー中にクラッチを切ったりしていた。時々、サイドブレーキもギュッと引く。そのたびにタイヤの音がキャーキャーと響く。

 私とアサシンは、振り回されて酔いそうだった。水族館の見える国道まで来たら、完全に目が回っていた。

 

「無線か携帯で仲間を喚びましたね。4台追って来ています! このままアインツベルンの森方向に逃げますよ!」

 

 そう言って、お姉ちゃんは国道を西に走らせた。右手の景色は海浜公園からボート置き場に変わり、すぐに海水浴場に変わった。そして左手は民家や個人商店が消えて森になった。

 この森の奥にアインツベルンの森がある。この森から見て北側は結界が弱い。今はお姉ちゃんが張り直したけれど、先日までは弱いままだった。理由は単純。昭和の終わりごろにこの国道ができたからだ。

 その昔は海まで樹々が張り出していて、そこまでがアインツベルンの森だったのだ。国が決めたことに反対できる魔術師ってどのくらいいるのだろう? 

 アインツベルンも海外の国には無力だった。そして並行世界で言峰神父が侵入したルートがここだったのだ。

 更に進んで、隣の市まで入ってからお姉ちゃんは左折した。正規の入り口である南から森へ入るのだろうか。この辺りは民家が道路から離れているし、人通りがほとんどない。相手は窓を開けて銃を構えた。

 けれど、右に左に車線を変えるお姉ちゃんの運転で銃が撃てない。先頭のクルマが煙を出していきなり止まってしまった。

 そこを2台目と3台目のクルマが追突した。4台目のクルマはなんとか回避したけれど、そのまま畑に落っこっちゃった。

 

「故障?」

「魔術です。炎の魔術で異常燃焼を起こさせました。エンジン・ブローで止まったのですよ」

 

 よくわからないけど、相手のエンジンを壊しちゃったらしい。自分でクルマを運転しながら術式を編んで、移動しているから座標が定まりにくい相手のエンジンの中に魔術を掛ける……。それがどれだけ難しいか。そしてこれだと他の人が魔術とは思わない。

 そこから10kmほど農道や県道を北に進んだ。地元の人しか知らない道だ。そして再び左折した。どうやら森には入らないで、ぐるっと周るらしい。もう周囲に他のクルマはいなかった。私達は再び県道と市道を織り交ぜて円蔵山を北から登った。

 この登り口の交差点にはお米の精米所があって、セラと何度か来ていた。私達の方のセラは免許とクルマを持っている。セラはエルお姉ちゃんから給料を貰っていて、それで自分のクルマを買ったのだ。

 コペンっていう軽自動車だけど、あれって屋根がボタンで開くから気持ちいいんだよね。それにママと違ってセラは安全運転だし。ここのセラも運転できると思うけど、どうなんだろう? 

 そんな交差点から坂を登る私達。ここから展望台に出れば、その先を下ると深山町だ。この道は川沿いに走るより早いのだった。

 

「お姉ちゃん、道が違うよ?」

「この世界では10年前に崖崩れがあったので、ルートが変わったのです。それで知らない道路なのですよ」

「そうなんだ?」

 

 やがて深山町の洋館街が見えた。あれ? 凛の家が見えない? 

 

「凛の家は? 道が変わったから見えないの?」

「行けばわかりますよ」

 

 そう言って、お姉ちゃんは凛の家の近くでクルマを停めた。アサシンがここで降りた。

 

「ちっこ! あれ、本当に凛の家なの?」

「後ろの崖が失くなっているでしょう? その崖崩れで前の家が全壊したそうです」

「うわぁ、かわいそうに。凛は運が良いのか悪いのかわからないところがあるよね?」

「そうですねぇ」

「どうしてあそこでアサシンを降ろしたの?」

「相手の対象に凛も入っているからですよ。結界は張られていますが、相手の中にディスペルできる者が居ないとも限りません。ですから家に何か仕込まれていないかを他のアサシンに探らせていたのです。それなら仲間と合流して帰って貰おうと」

「なるほど」

 

 私は事の顛末をクロエに念話で伝えた。驚いていたけれど、あの子は直ぐにわかってくれた。

 

 イリヤや美遊と必ず三人で行動して、バスに乗って真っ直ぐ帰って来る事。

 お兄ちゃんが気になるだろうけど、お兄ちゃんは学園にいるお姉ちゃんに任せる事。

 凛やルヴィアは、あなた達がいない方が実力を発揮できる。それにエーデルフェルトからクルマが出るから放おっておく事。

 もしエーデルフェルトのクルマが下校時刻のタイミングと合うなら、それに乗って帰って来ても良い事。

 

 以上の四つを話した。追加で、パニックになるイリヤの手を引くのはあなただけだ、スイスのエルヴァに笑われないように頑張れと送った。

 

 エーデルフェルトに着こうかというところで、お姉ちゃんの携帯が鳴った。パパからだった。新都の冬木駅にセラやリズが着いたのだ。すかさずお姉ちゃんはクルマを新都に走らせた。駅前でセラとリズを拾い、あるコードを二人に対して掛けた。

 曖昧だったお姉ちゃん達三人の存在を念押しで誤魔化すのと、今ある危機を違和感なく受け止め行動できるようにだ。暗示だとアインツベルンの結晶であるセラとリズには効きづらい。

 だけど、エルお姉ちゃんが持つアインツベルン製ホムンクルスに対する絶対命令権を発動すれば、セラもリズも疑問を抱かないし、矛盾も何も感じないのだった。

 ママの跡を継ぐ、アハト系3代目のイリヤお姉ちゃんも絶対命令権を持つが、エルお姉ちゃんの方が強力らしい。これはママに対しても有効らしいけれど、今ままで使った事はないそうだ。

 こんな事を堂々と話しているのに、二人はおみやげ話と留守の間の家事の心配しかしていなかった。そしてスタンドに寄って、ガソリンを満タンにしてから帰ったのだった。

 セラとリズのおみやげはえびせんべいやバウムクーヘンだった。そのおみやげを見て、私とイリヤはピンと来た。二人の行き先は、以前家族旅行でお姉ちゃん達と行った能登半島だったのだ。

 エルお姉ちゃんなら、巻鰤や車麩、今頃ならホタルイカを買って来いと言うだろうなぁ。眺めていても仕方ないので、私はルヴィアの家に行った。

 

「ねぇ~、凜、ルヴィア、聞いて、聞いて~」

「何ですの?」

「どうしたの、クロちゃん?」

「お姉ちゃんの運転荒い~」

「使い魔で見ていましたわ。無駄のない、見事なドライビングでしたわね。エンジン・ブローの魔術もさすがですわ。それが?」

「それが……って。わかるけど、ああしないと敵に追い付かれるって。けど、けど、坂道でガードレールにスレスレだよ? クルマは真横に向いたり、斜めになったり、どこに向かって走るのよって感じだし」

「山道の下りでしょう? ブレーキで前輪に荷重を乗せて、素早く方向をカーブの出口に向かせているだけですわよ。DCCDで後輪にトルクを寄せられて、FR風にされていますの。エル姉様がGCと丸目でない前方後円墳な現行型がお好きなのは、DCCDが前後35:65だからですわ」

 

 はい? 

 

「それにあの道は私どもの世界では学園のテニスコートがある第二グラウンドで遮られていますが、地元の農家が畑に向かう農道でもありますわ。ですからターマックとグラベルが混在した道ですの。そこを走るのならインプレッサやランエボが正解ですわ。舗装路はある程度メンテされていますが、土の道は荒れ放題。エル姉様はバイクでもクルマでもあの道は走り込まれ、知り抜いておいでです。ですから、あなたが思うような事故は起きませんわよ」

「ならさ。そこまで知ってるなら、どこかで待ち伏せして宝具で一気にやっつけちゃえば良いのに」

「倫敦で嗅ぎ付けられていますのに、更に神秘を相手に見せますの?」

「そうです。クロちゃん、この場合は逃げるが勝ちですよ。エンジン・ブローが正解です。相手に情報を与えず、あの青いインプレッサだけを印象付ける……」

「ええ、エル姉様は対象をご自分に絞らせるお積もりなのですわ。そして凜と私とでランエボを駆り、相手を追い落とすのです」

「何でレースみたいになるの?」

「なるのでなく、そうさせるのですわ」

「クロちゃん、先輩はあのGC8の4ドアを3台お持ちなんですよ。他に2ドアも数台。現行まで含めると10台以上です」

「同じのばっかり?」

「ええ。そして褐色の先輩やクロエちゃんを救うために用意した素体も3体あります。きっとこちらに持って来られたGC8も3台あるはずです」

「まさかお姉ちゃんは、三人にわかれて運転するって事?」

「ええ、間違いないと思います。そういう直感をお持ちの方ですから。分割思考で同じ動きやバラバラの動きをする三人。そんな陽動をされると」

「ますますインプレッサばかりが、印象付けられますわね。そして陽動とは読めても、こちらの意図は見えません」

「人の土俵で、相手の得意種目に乗せられ、気付けば罠の中ですね」

「罠って言っても決め手に欠けるような……」

「クロ。魔杖に愛想を尽かされたあの者達とは違いますわよ。ご覧なさい」

「サファイア? じゃ……無くて、何これ!? えらくちっこい?」

「ペンダントになっていますのよ。サファイアはあなたの妹の美遊が中学生になるまでレンタルする契約です。ですが私もサファイアとは幼い頃よりの友人。これはエル姉様に作って頂いたレプリカですわ。ただし人工精霊が入っていませんので、私が正しい指示を細々送らねばなりませんけれど」

「ル、ルヴィア……高校生なのに転身するの……?」

「恥を掻くのはあちらでしょう。手柄と功績は私のもの、残る噂と不始末の揉み消しはあちらが行えばよろしいのよ」

 

 ルヴィアは思ったより残酷だった。

 

「ここのルヴィアが嫌いなの?」

「嫌ってはいませんが、不甲斐ないとは思いますわね」

「まさか凜も?」

「念のためのルビー・レプリカは持っていますけれど、宝石剣があれば十分です」

「まぁ、そうだろうね。これって、転身による防御と攻撃力のアップだけ?」

「ええ、基本は。ライフル弾も跳ね返せますが、本物のサファイアと違い、中ると痛いですわね」

「お試し済み!?」

「当然でしょう。それにこれはエル姉様がお持ちのチョーカーの元となったものです。私や凜が杖を持つには相応しくない年齢になった事でお造り下さったのですわ。イリヤの分も既にあるそうですわよ?」

 

 お姉ちゃん、そんなの作ってたんだ? 

 

「それに実戦データがなければ危険ですわよ?」

「誰に撃ってもらったの?」

「エル姉様ですわ」

「怖くなかったの? 死ぬかもしれないのに?」

「そんな危ない不良品をお作りになるエル姉様ではありませんわ」

 

 ルヴィアや凜のお姉ちゃんに対する信頼は絶大だった。また、お姉ちゃんも二人を信頼していた。わかった。三人ならきっと大丈夫だ。

 

「2時半に出ますか?」

「そうですわね」

「どこかに行くの?」

「イリヤとクロエに美遊を迎えに」

「あれ? 最初からその予定だったの?」

「ええ」

「あちらのルヴィア達はオーギュストさんが迎えに出る予定です」

「な~んだ。良かった」

「クロちゃん。気を抜いてはいけませんよ。先生の結界で20人以上が冬木に入っている事が明白なんですから」

「20人以上も!? じゃ、あっちのエルお姉ちゃんは?」

「エル姉様が担当ですわ」

 

 私はなるほどと思った。

 

 

 放課後の部活も終わり、私は制服に着替えた。随分と遅くなってしまった。体育祭が終われば大会が始まる。今日、正式にメンバーが発表された。この県大会で勝ち上がり優勝か準優勝をもぎ取れば、全国へ行けるのだ。なので皆んな気合が入っていた。

 そして先生とコーチの計らいで、私は遠的の団体だけでなく、近的と遠的の個人戦にもエントリーしていた。頑張ろう。

 弓道場の戸締まりは部長の美綴さんか、副部長の士郎クンと決まっているが、この日は士郎クンが当番だった。そして今日の部活は発表のお蔭で時間が押していた。

 なので一緒に帰る私は煮沸室のガスの元栓や、窓の施錠などのチェックを手伝っていた。他の部員は既に帰っていて、残るは私達だけ。

 ここでグラウンドから剣戟の音が聞こえれば、何かのフラグだけれど。私はそれに似た────違和感というか悪寒に近いものを感じていた。

 それが段々と強くなる。道場入り口の施錠をしている士郎クンに、急いでと声を掛けた。

 

「何だ?」

「嫌な予感がします。来た! 急いで!」

 

 私は鍵を掛け終えた士郎クンの腕を引き、正門に向かって走った! 

 

「おい! エルヴァさん! 鍵! 職員室に返さないと!」

「緊急事態です! キミも衛宮切嗣の息子なら覚悟を決めなさい! 3、4……5人。敵に囲まれています。銃器を持っている可能性大です!」

「え?」

「ボサッとしない! 身を屈めて! 左に跳べ!」

 

 私は士郎クンを蹴飛ばした。同時に蹴った反動を利用して右に跳んだ。二人がさっきまで居た場所をチュンッと何かが弾けて行く。士郎クンの方角には正門の守衛室がある。敵の狙いは私だと祈って。

 

「士郎クン! 守衛室まで走りなさい! そこで110番!」

「わ、わかった!」

 

 再び右に跳ぶ私。2発弾けた。この感じは.223レミントンか5.56mmだ。

 だけど発砲音が聞こえない。サプレッサーを使ってもライフルの音は響くはずだ。魔術だろうか? それなのに魔術を使った感じがしない……。

 わかった、礼装だ。消音効果のある礼装をライフルに貼り付けるか組み込んでいるのだ。魔術回路を使わないし、発動範囲が狭いので察知できないのだ。後で調べれば僅かな魔力残滓は残るだろう。

 それにこれは魔術師でなくとも使えるように、簡単なワードで起動でき、なおかつ魔力を封入してあるタイプだ。となると相手の仲間に実戦的な魔術師が存在する可能性が高い。

 だってこんな礼装、闇マーケットだとかなり高価で、おいそれと買える代物では無いからだ。

 士郎クンの前で礼装姿に転身はできない。しかし半英霊の肉体は既に目覚めた。横目で守衛室にたどり着いた士郎クンを確認。駐輪場の屋根を支える鉄柱に火花が散る。

 

 今だ! 

 私は駐輪場の屋根の上に飛び上がった。これなら庇が邪魔をして私の姿は士郎クンにも敵にも見えないだろう。私は屋根の柔らかい部分を踏み抜かないように避けて、鉄骨を蹴って校舎の3階の窓枠まで跳んだ。

 その勢いのまま、更に垂直に屋上まで跳ぶ。生身だった頃は、強化と魔力放出を併用しないと絶対に無理だった人とは思えない動き。スカートの中からブラウスの裾がたくし上がって来るが気にしてられない。屋上フェンスの上に立ち、呪文を唱えた。

 

『愛 尼 煩悩 魔 僧都』

 

 見なくともわかる。フェイルノートが放った5本の矢はライフルを構える相手の右腕を貫いた。私は瞬時に役目を終えた矢を消した。証拠隠滅を忘れてはならない。けれど不安は消えない……。

 この手の部隊だ。他にも仲間が居るのはわかる。だけど……この感触は……。え? サーヴァント? 居た! 円蔵山の峰。学園に一番近い頂の中腹だ! 私は弓をそちらに向け、バルムンクを……。

 その瞬間、足元のコンクリにありきたりな弓道用のジュラルミンの矢が刺さった。フェンスの上に立つ私を狙ったものでは無い。放たれたのは円蔵山の山頂!? ここから何km離れている!? 

 同じ事ができるはずなのに驚いてしまった。あれは間違いなく兄だ。

 となると、さっきのは味方だという警告? 目を凝らして唸っている五人を見下ろせば、消したはずの矢が残っていた。

 正確には私の矢とほぼ同時に刺さったのだろう。ただし5本では無い。もっと数が多い……? 10本? 

 2番目に消えた矢は相手の足、太腿に刺さっていた。3番目に消えた矢は、私と同じ利き腕だった。どういう事だ? 

 角度的に兄では無い。となると、あの瞬間に、謎の人物は私の倍も矢を放った……? 

 頂の中腹を睨む。あそこからグラウンドまでの距離。この距離を稼げる魔力を込められるのは……。クロちゃんでギリギリ。クロエちゃんにはまだ無理だろう。こんな芸当ができるのは……。

 あ、美遊ちゃんのお兄ちゃんか。なるほど良い腕だ。後でお礼を言おう。けれど……10本が引っ掛かる。それに一瞬感じたサーヴァントの気配は? 私の勘違い? 

 鷹の目は2つのライトが学園坂を登ってくるのを捉えた。守衛室から見えない場所で地面に飛び降りた。

 暗視スコープの類は無いと思いたい。あったとしてもビデオでなければ記憶を後で消せば良い。

 

「エルヴァさん!」

「大丈夫ですか? 士郎クン?」

「守衛さんが……」

 

 殺されていたのかと思ったが違っていた。士郎クンが要領を得ないので困ってらしたのだ。

 ああ、ここは日本だった。外部からの不審者を見張っている守衛さんが、内部で銃撃されたなんて話しても信じるはずが無いのだ。会話の内容は知らないが、全然信じて貰えなかっただろうな。

 私は「錯乱した」彼を家まで送るので、先生に鍵を返しておいて欲しいとお願いしてカバンを拾った。小さなセダンに自転車2台は載らない。今夜は置いて帰ろう。明日はバス通学になるが仕方ない。

 そうして私と士郎クンは、正門前に停まったインプレッサに乗り込んだのだった。

 

 運転席にはお父さん。助手席にエル。私と士郎クンが後席だ。

 

「親父、いったい……?」

「士郎、男ならうろたえるな。落ち着くのは無理でも、どういう状況なのか頭を切り替えなさい。今回、君達は紛れも無く襲われた。銃を持った複数の相手に。敵はたぶん……僕の仕事に関係する。犯罪を阻止された相手の逆恨みだろう」

「え?」

「士郎、考えろ。学園で君達が襲われたんだ。つまり相手は僕の家族構成まで調べ尽くしているって事だ」

「あ……」

 

 この段階で2台目のインプレッサが向かって来ていた。エルが操作する人形だろう。アサシンも乗っているのかも知れない。きっと私達が去った後で、その人形が守衛さんに暗示を掛け、弾痕の後始末をするのだ。

 守衛さんの記憶操作は、体育祭や運動会の日程が迫っているからだ。それに色々な試合や大会が各クラブで始まりつつある。

 普通なら警察沙汰にして犯人を引き渡すだろう。けれど表立った事件に今の学園は巻き込めない。良い判断だと思った。

 今頃、あの五人はろくな傷の手当もされず、アサシン達に囲まれているのは間違いない。

 

 今回、私は甘かった。たぶん相手は5~6時間目に敷地内に入り、潜伏してチャンスを待っていたのだ。気配を感じなかったのは礼装だ。ハイエースから逃げるインプレッサを見ていたのに……。

 柳洞クンのせいでは無いが、午後の休み時間にキャブレターの話を聞いて浮かれてしまっていた。良くあるジェットの目詰まりだから、バイク屋さんで簡単に直せると。

 どうしてもと言うなら、キャブレーター用のピン・クリーナーを買う金額だけ持って貰えれば、お山に伺うと話していたのだ。そんな風に柳洞クンから頼られたのは初めてだった。凛では無いが、私もあちらでは女怪と呼ばれていたのだ。だから嬉しかった。

 そして今日の部活での発表だ。余りにもここの学園生活が楽しいので、気が緩んでいた……。

 そして奴等をエル、或いは凛かルヴィアの使い魔が捉えていたのだ。そうだ! あの二人は……? 

 

「まさか、りn……」

 

 喉元まで出か掛かった声を飲み込んだ。ショックの大きい士郎クンには情報過多だ。これ以上はパニックを誘発するだけだ。

 

「士郎クン?」

 

 エルが士郎クンの名を呼んで振り向いた。目を見詰めて暗示を一瞬で掛けた。そしてそのまま眠らせた。

 カバーストーリーは、私が校内に潜入した不審者に襲われ掛かったのを、士郎クンが救けに入って身代わりに殴られ気絶した────。

 だけど私が大騒ぎした事で守衛さんが駆けつけ、犯人は逃げた。士郎クンが気絶しているので、迎えに来て欲しいと携帯電話で家に知らせた……だった。

 それが無難だと思う。本当に銃で襲われたと話したり、何もなかったと記憶を消すより、改竄する方が良いと思う。

 

「エルヴァ?」

「はい?」

 

 エルが後席に振り向いたままで次に私を呼んだ。何だろう? 

 

「お父さんが士郎クンに話した『男ならうろたえるな』『状況を見て、頭を切り替えろ』。これを聞いた時の危機感に対応しようとした気持ち、そして姉であるあなたを守りたいと願った気持ち、この感情だけは消していません」

 

 ああ、士郎クンの成長に繋がるからと……。記憶を改変しても、感情だけは残してくれたのか。

 

「それと慌て過ぎです。あなたは彼の姉であり、おチビちゃんやクロエちゃんの模範とならなければ。士郎クンを起こす前に、ブラウスの裾をスカートの中にちゃんと入れなさい。情けない」

「すみません……」

 

 お父さんが笑いを堪えている。参ったな。学園坂の途中で停めてくれたので、私はクルマから降りた。服装の乱れを糺すのだ。

 スカートのウェストにタレた裾を押し込み、下から手を入れて裾を引っ張った。こんな事を人の目線がある中でやったのは初等部以来だ。情けないが、手っ取り早いので仕方ない。

 乗り込む前にサイドミラーで見ればリボンも緩んでいた。一度解いてミラーを見ながら結び直していると……。わかるかな? 

 私は後部座席から降りて外にいるのだ。助手席にはエルが乗っている。そして私が腰をかがめて覗き込んでるミラーは左側だ。ウィンドウ越しにエルが笑っていた。それもかなり激しく。うい~んと窓が下りた。

 

「スカートの中に手を突っ込む女子高生。あなた、最高です」

「ウ、ウルサイ!」

 

 涙目になって笑っている。自分の醜態を見た自分。醜態を自分に晒した自分。目の端に涙が滲んだ。カッコ悪い……。

 

「それと前」

「前?」

 

 ふと見やれば数メートル先に紺色のランエボが停まっていた。降りてきたのはルヴィアと凜だった。み、見られた? 

 

「こちらの私と凛はオーギュストのクルマで既に帰っていますわ。子供達は先に私が送りました」

「当分このカタチで朝夕は送り迎えをします。他の勢力も動いている可能性がありますから。ですから先輩は、衛宮さんだけを守って下さい」

「わかりました。ありがとうございます、助かります……。それで学園に近い峰に居たのは?」

「はい? まさかスナイパーも配置されていたんですか?」

「いえ。矢でした」

「それでしたら、美遊ちゃんのお兄さんでは?」

 

 やれやれ、兄と士郎クンの共謀か。

 けれど、兄やセイバーからは感じない、大聖杯で召喚されたサーヴァント特有の気配……。あれは……? 

 

「ゴメンね、士郎」

 

 そうしてお父さんは士郎クンを殴った。痛みで目覚めたところでクルマを停めたようなフリをする。

 

「目が覚めたかい?」

「ああ……親父……。そうだ! エルヴァさん! エルヴァさんは無事か!」

「はい、大丈夫ですよ。キミが守ってくれたから……」

 

 これ以上は言えませんよ。クサイ演技だ。けど、服装を直しといて良かった。そして、士郎クンのほっとした顔には、誇らしげな色合いもあった。男の子だものね。偽の記憶だけど、それで良いと思った。

 大人になった彼にはファミリー・ワゴンやコンパクト・カーでなく、ラダーフレームの骨太なAWDに乗って欲しい。芯のある力強いクルマに。今日はクルマの事を考えていたからか、何故かそんな風に思った。

 

 

 士郎クンを送った後、インプレッサの操縦席にエルが座った。

 

「制服のままだと不味いですので、転身するか2分以内に着替えて、それで追い掛けて来て下さい」

 

 え? それ? 前庭の暗がりに佇むそれは、あのEG6だった。私は大慌てで家に飛び込み、部屋で着替えた。脱いだ制服はベッドの上に放り投げた。急いでジーンズを穿き、Tシャツを被り、Gジャンを羽織った。スニーカーを履いて玄関を飛び出たら、インプレッサは消えていた。

 

「行くよ。君の操縦を見せてね」

「お父さん?」

 

 助手席にはお父さんが既に収まっていた。追い掛けて来いと言いつつ、本人はとっくに出て行った後だった。どうやらお父さんが作戦を聞いているらしい。

 

「慌てすぎだよ。ジャンパーの中に髪の毛が半分入っているよ?」

 

 ああ……。今日の私はダメだ。けれど落ち込んでいられない。私は走らせながら内容を確認した。

 どうやらGC8は3台あり、エルがドーランを塗った人形を三体同時操作して相手を誘い出すらしい。挟撃や待ち伏せにEG6の私達と、ランエボの凜とルヴィア組、そして何かに乗ったエルだという。エルはさっきのGC8を人形に預けて乗り換えるのか? 

 タクシーって事は無いだろうし、バイクも考えづらい。何か他にも持って来ているのだろうか。深山町を流していたら、お父さんの携帯に着信が入った。

 

「釣れたみたいだ。新都で釣った2台は冬木山に向かった。深山町で釣った残りの1台は円蔵山だ」

「では、私達は円蔵山ですね?」

「ああ、展望台を越えるルートだよ」

 

 展望台への道路は、記憶にあるよりかなり変わっていた。例の崖崩れでルートが変わったのだ。あの広い遠坂の庭を越えて館を全壊させたのだから当然といえば当然か。当時はかなりニュースになったろう。

 展望台まで駆け上がるとスキール音が聞こえた。ギリギリだった。これ以上の時間差があると追い付けない。相手のクルマはシルバーのヴィッツだった。3~4年前の中古だろうとは予測していたので驚きはしないが、数の多いカローラだと思っていた。取り敢えず、商用ワゴンでは無いのでホッとした。

 展望台から下りに入ると、ヴィッツが前走のインプレッサに追い付きそうになっていた。わざと遅く走らせているのだ。

 そして加速してヴィッツをコーナー手前で待つ。ブレーキを長く踏む事で追いつかせつつ、自然なブレーキと思わせているのだ。

 あれはヒール・アンド・トゥでブレーキを踏みながら、アクセルをホンの軽く踏み、クラッチも同時に切っているのだ。そうすると回転を落とさず、瞬時に加速できる。追いつかせるための高度なテクニックだ。

 この隙きを利用して、私は魔術の術式を編んだ。風の魔術の応用で前のクルマのタイヤ、その中のエアを膨張させた。全輪同時バーストで、道路脇の木にぶつかるヴィッツ。

 よく見れば5ドアの営業車だ。ドアには〇〇K.K.酷いなぁ、案の定だけど盗難車両だよ、これ。

 リース車両なら、保険はリース会社持ちだ。幾ばくかのペナルティがあっても知れている。けれど法人リースが結べない、個人商店や零細とも呼べない小さな会社なら気の毒過ぎる。だから、もし商用ワゴンだと嫌だなぁと思ったのだ。

 呻いてる二人の男をお父さんが銃で脅しつつ、用意してあった手錠で後ろ手に確保した。後でアサシンが拾う手筈だった。

 

 こんな事を深夜まで四回繰り返した。最後は港湾だった。8歳の私が姉とともにランサーと戦ったコンテナ埠頭だ。懐かしい。

 追い詰めた相手のクルマは個人商店の箱バンだった。私は頭に血が上った。礼装姿にはならないが、英霊の力を多少は使わせて貰う事にした。

 逃げ場を失ったクルマからハンドガンを構える男達が飛び出てきた。助手席側の男にお父さんが狙いを付けた。ダメだ。

 本当なら運転席側の男を私が担当すべきだろうが、もうお父さんに人殺しはさせられない。だから私は一瞬で距離を詰め、前蹴りで運転席側の男の手首を折った。

 そして箱バンの屋根を飛び越え、助手席側の男の頭を蹴り飛ばした。案の定、お父さんの撃った弾が男の頭があった場所を通過した。

 

「エルヴァ! 危ないだろう! 何をやっているんだ!」

「もう、お父さんに人殺しはさせません!」

「君……。その男、頭が潰れてないか?」

 

 え? あ、心音はある。コンクリは血の海だけど……。その時、手首を折ったもう一人が逃げようとした。再びクルマを飛び越え、ぶん殴った。

 

「エルヴァ! もう一人居る!」

 

 ん! クルマの中でしゃがんで隠れていたか。私が殴ったのでノビてしまった、そいつの襟首を掴んで持ち上げた。そいつを弾避けにしてクルマに近付いた。

 三人目の男はマシンガンを抱えていたのだ。撃たれても怪我とは無縁な身体になったはずだが、まだ実弾テストはやっていなかった。何口径まで耐えられるのか不明なので弾避けにしたのだけど、人に殺すなと言いつつこれはどうなのかと思ってしまった。

 なので吊り上げた男を、マシンガンの男に投げつけた。相手の視界を遮りつつ、低く回り込んでアッパーを胃に入れた。何を食べたのか、大量に消化物や未消化物をリバースする。

 ひるんだところで正義のパンチをお見舞いしたいところだが、嘔吐物まみれの顔が汚いので殴りたくなかった。なので前かがみでガラ空きだったお尻を蹴飛ばした。

 尾てい骨を粉砕された男は、ギャンとか言って、5メートルほど飛んだ。探査を掛けていたので、この三人が魔術師なのは予めわかっていた。なので少々手荒く扱っても死なないだろう。

 三人目の存在が不明だったのは探査の甘さでなく、礼装だった。学園のアサルトライフルはこの礼装の機能限定版が使われていたのだ。出どころはロシアだろう。

 

「それは何だい?」

 

 お父さんが銃を構え、辺りを警戒しながら訊いてきた。

 

「気配を消す礼装です。それも旧ナチの。珍しい物で、現存しているのは十も残っていない筈です。こんなところでお目にかかるとは」

「そうか……。うん? 第二次のものなら、東側に接収されていたんじゃないか?」

「ええ、ロシアに。それがここの組織に流れたのだと思われます」

 

 この礼装は十分予見できる事だった。ルヴィアがスペツナズに類すると予測し、私も納得していたのに……。

 それにこれを起動させるにはそれなりの腕が必要だ。つまりそれだけの魔術師だったから、銃に慣れていなかったとも言えるのだ。それは運が良かったという事だ。情けない……。

 

「この男だけ異質だね」

「ですね」

 

 これまでの男は全員屈強なムキムキ・マッチョだった。なのにこの男はブヨブヨのお腹が出っ張った豚みたいだった。そして何度か引き金を引いた素振りを見ていたのに、弾は出なかった。マシンガンの安全装置を外していなかったのだ。

 男達に手錠を掛けたお父さんがマシンガンを持ち上げた。

 

「バラライカか」

「ええ、PPSh-41。骨董品ですよ。安全装置の外し方がわからなかったみたいですね」

「これってトリガーのここ?」

「いえ。そこがフルとセミの切り替えです。セーフティはボルトのここです」

「これか? 変わってるねぇ」

 

 さすがの魔術師殺しも、骨董品の扱いは知らなかったらしい。

 

「何故、こんな古いものを。どういう事だろう?」

「こいつだけ雇われの雇われだったのでは?」

「なるほど。つまり、それだけの礼装を持っている可能性があると」

「そうです。この男のルートでしょう」

「そうだね。そして……」

「ええ。くだらない優越感に浸った鼻持ちならないヤツだったのでしょう」

 

 或いは魔術師ならではの貴族主義で嫌われていたのだと思う。説明されても聞いていなかった可能性もあるが。

 そしてこの男はロシア人ではない。たぶん旧東ドイツ辺りの出身だろう。他の者は確実にロシア人なのに。

 ロシアは長い間ソビエト連邦だった。独裁していた共産党は兵器になり得る魔術を独占し、在野の魔術師を徹底的に狩ったという。なのでロシアには今だに魔術協会が無い。プラハまで出向かないと協会とコンタクトできないのだ

 

「良かった。クルマに傷がなくて」

 

 後方の窓に入れられた商店名を指さしながら、訝しむお父さんに、個人商店のクルマだと説明した。

 

「君、そんなのを気にしてたの?」

 

 そんなの呼ばわりは無いだろう? デフレで儲けの少ない中、コツコツと減価償却されているのですよ。手懸りはないかとグローブボックスを開けると、税金の分割納付書があった。

 

「何だい? これ?」

 

 はぁ~……。ほんの2ヶ月前に確定申告されて、昨日か今日、税金を分納させてくれと税務署に談判されに行った直後に盗まれたのですよ。まともに働いていない人はこれだから。

 でも、ここで口論しても理解できないだろう。私は説明しながら、手錠を掛けられた相手の膝にトゥキックを入れた。1秒間に2回でも4回でも無い。4倍の16発を膝頭が砕けても、大腿骨の下部と脛骨の上部が砕けても蹴った。

 お父さんは止めたけれど、スイスのエルヴァも今の私と似たような事を考えていますよ。

 

 繰り返される世界から連れ帰った凜を思い起こす。彼女は自分一人だけで青色申告をしていたのだ。この意味がわかるかな? 

 賃貸ししている土地家屋の収入は確定申告しなければならないのは当たり前の事だ。表の事業なので税理士も雇える。問題は霊地収入との配分なのだ。神秘の事を政府関係者が誰も知らない世界と、国家によって政府が神秘の一端を知っている世界があるのだ。

 そしてあの繰り返される虚構の世界では国税庁が霊地や魔術師の存在を知っており、凜の家に申告用紙が送られていたのだ。魔術で一時的に生理を止めてまで臨んだ聖杯戦争の、あのクソ忙しい時期に確定申告ですよ? 

 そこで立つ鳥跡を濁さずで、私は申告を手伝ってあげた訳だ。すると蓋を開ければビックリで、少しでも節税したいからと、彼女は青色申告を誰の手も借りず個人でやっていたのだ。

 穂群原は商業科でなく総合科なので、簿記の授業はない。総勘定元帳、仕訳帳、現金出納帳、預金帳、売上帳、固定資産台帳……土地管理ならざっとこの程度の帳簿を提出しなければならない。しかも複式簿記だ。日本政府ですら単式簿記なのに。

 それなら有限会社にして個人事業主で申請しなさいよと。15歳以上なら社長になれるのだから。しかも2003年2月からは資本金が1円でもOKになったのに。そして普段からの出費を経費で落とせば良いのだ。

 私なんてお寿司を食べても接待交際費か、研究費で落としていましたよ。ちなみに研究費で落とせる理由は、食品会社を営んでいたからです。あれが彼女の限界なのかなぁ。

 

 それに対してここの凛は、経理を税理士に頼んでいた。出会った当初は貧乏遠坂と言ってしまったが、言峰神父が後見人にならず、禅城のお祖母様が凛の資産を管理していたので、想像以上に彼女は身持ちの固い資産家だった。

 2003年の改正に合わせて準備もしていたので、15歳になると直ぐ様有限会社を立ち上げ、お祖母様を従業員にしていたのだ。つまり給料という名目で祖母に毎月年金を渡せるカタチにしていた訳だ。

 凛はそれらの手を打ってから倫敦に渡っていた。これは立派だと思う。私はこれらの事を帳簿を見てあげていた師匠の凜から聞かされ驚いた。

 神秘関連については、この世界の場合は1000万以上の売上がある場合のみ、その内の3パーセントを国税庁の指定する名目で収めるだけだった。

 凜曰く、経理が外注とはいえかなり綺麗に回っていて、どこにも問題が無いそうだ。協会に収めるパーセンテージも、そこまで阿漕(あこぎ/ズルい)ではなく、きっかり7パーセントだったらしい。

 元の世界の5パーセントよりは高いけれど、10パーセント以下なら世界の違いによる誤差の範囲だと思う。

 不動産収入や保有する株式にしても、凜のところには負けても、余所の世界の遠坂凛とは比べ物にならないほど優良物件や優良銘柄を抱えていて、かなりの儲けがあるのだとか。

 それに桜ちゃんのためにと、彼女は定期で2億も積み立てていた。お祖母様にも同じくらい残してあるのだから本当に立派だ。後見人の違いはここまで差が出るのものなのかと、聞いた私は大いに驚いたものだ。

 そんな子だからカードのせいで霊脈が乱れた時に、大人しい凜から証拠を固めた上で、厳しく叱られた事がかなり堪えたらしい。それがどうやら弟子入りの件に繋がったみたい。

 凜もルヴィアも帳簿類はしっかりやるタイプだ。そういうところから信用が産まれたのだろう。要はウマがあったのだ。

 

 

 お父さんがタバコを一服している間に、取り敢えず終わったと携帯に連絡が入った。なので冬木市を横断して冬木山に登った。合流地点は、冬木山スカイラインのP.A.そこで赤いMR-Sを駆るエルを見た。え? ト○タ嫌いなのにMR-S? 

 ああ、でもモデ○スタのPX-01(ハイラックスサーフ)やPX-10(ランドクルーザー)やらを彼女は持っていた。PX-12(レトロ・カローラⅡ)にPX-14(フィッシング・プラド)などもあった。

 希少価値が高いから、後々良い値で売れるだろうと、乗りもしないのに買っていたのだ。

 人形達もそれぞれのクルマから降りて、エルと意見を交換していた。その内の一人が私をお姉様と呼んだ。はい? 随分と個性があるというか……。

 

「あなたを参考に、分割思考を切り離して単独で活動できるようにしました。今回の作戦は新しい101番目から103番目までに働いて貰ったのですよ」

 

 だから私の事を、先輩的な意味合いでお姉様と? 

 元々エルは性格や容姿を変えた、自らが操作するデコイでも人形でもない、思考を分けて人格や口調のデコレーション機能を与えた素体を何体か活動させていた。

 アジトを持ち、電力が安定して引ける環境があるなら、培養槽と素体も幾つか預けていたのだ。

 要はそれでボディを次々替えて貰い、産業スパイやボディガードなどをアサシンとともに行わせているのだ。中には彼女の会社で働く者や、彼女のドイツの家でメイド長の友人として逗留している者もいた。

 なので人形を使った今回の作戦に驚きは無かった。だけど個性を持つほどの単独思考に、身体を与えて単独活動させると元に戻れなくなるのでは? 

 聞けばそこは克服できているらしい。英霊では無いが、『ラインの黄金』の座に確保してしまえば大丈夫なのだと彼女は言う。

 確かに元々の発想が座のあり方の研究と、兄や姉にアルさんの救済策だったからなぁ。益々他人になりそうだが、彼女ならできるのだろう。

 けれど、この子達に会ったお父さんは複雑な顔をしていた。ドーランを塗った彼女達は、私そっくりだものね。顔を洗ってドーランを落としても、エルか姉さんにしか見えないし。

 

「それであのMR-Sは?」

「イルマに薦められて、あの子から買い取りました。エンジンは1ZZ-FEのままですが、メカチューンしてあって2ZZ-GEなみに回ります。馬力は155ps程度に抑えてありますが、トルクは22.3kg-mあるそうです。それも5000rpmで発生ですよ」

「ヘッドを2ZZ-GEに替えてあるとか?」

「かも知れませんね。そこそこ軽量でかなり面白いですよ。良かったら乗ってみて下さい」

 

 そんな改造の仕方があるのかどうかは知らないが、なんとなく言ってみた。2004年2月発売モデルのSエディションだという。

 じゃ、数ヶ月前にイルマが新車で買って、彼女に売ったんだ? どうりで私の記憶に無いはずだ。そして彼女も珍しくこのクルマに関して、余り調べていないようだった。

 ともあれ、勧められるままに赤いレカロのシートに座り、小振りなモモのステアリングを握った。革のベローチェか。シフトノブまでモモ製だ。好きだなぁ。

 私はパーソナルの古い4スポーク・ウッドや、ナルディのウッドが好きなのだけど。滑るから嫌なのかな? あ、でもイルマが付けたそのままなのかも。

 これでホイールがRSワタナベだったら面白いけど、運転席側の窓の外のエルが言うには純正ホイールらしい。前は15インチで後ろが16インチだそうだ。へぇ~、前後でサイズが違うのか。そのホイールを白に塗り替え、5本スポークの1本にZZW30と赤い文字で入れてあるのだとか。

 その他、O2センサーがどうとか、3つも入っている触媒を入れ換えたとか、エンジンもミッションもオイルは良いものを入れてあるとか、インジェクターそのものとエンジンマウントを強化品に変えているとも話していた。

 ボディのリアサイドに特徴的なエアダクトがあるが、その右側にオイルクーラーが設置されてあるそうだ。ふ~ん。

 

「他は?」

「強化クラッチとLSDが入り、ABSを切っています」

 

 はい? LSDはわかるけれど、ABSを切るって何だ? 車重が軽いから? 電子制御に何か問題がある? 

 

「どこまで回ります?」

「8000回転。ですが最大出力は7000回転で、後はダラダラです」

 

 なるほど。それでトルクは5000回転か。ストロークアップでもして2000ccあるのかも。ま、ともあれ乗ってみよう。

 私はお父さんに一服していて下さいと伝えて試運転をさせて貰う事にした。好きだねぇと苦笑いされた。ごめんなさい。

 着座位置やミラーを直さなくて良いのは、当たり前といえば当たり前か。私はエンジンを掛け、少し重めのクラッチを繋いだ。

 スーッと前に出るクルマはは、硬さを感じない。スポット溶接増しのようなシャーシ補強はされていないようだ。

 が、パフォーマンス・ロッドの追加や強化スタビライザー、サスとブレーキの交換、メンバーの取り付けボルトのリジッド化と言ったイルマがやりそうな事はたいていしてあるようだ。

 カーブ手前のブレーキはコントローラブル。ああ、でもこのブレーキはノーマルだなぁ。なのにブレーキングでバタつかないし、変な跳ね方もしない。この馬力なら容量が十分なのか。シューだけ良いのに変えてあるのか。

 サスは中々だ。路面に吸い付くようにして走る。クイッとノーズが入るのはミッドシップだからだろうか。コーナーの侵入がとても良く、コーナースピードも速い。

 ステアリングはニュートラル。アクセルとホンの少しのきっかけでお尻が出せる。なのにスピンしそうな気配はない。イルマはシャーシとサスから変えていくからなぁ。どこのサスだろう? けれどスタビが良くないかな? 

 スタビも善し悪しだ。サーキットのような平坦な道でのコーナーなら効果は高いが、こういうアンジュレーションの激しい峠道だと却ってロールが大きくなるのだ。これはもっと違う道路を想定して足が決めてあるようだ。

 走りながら解析を掛けた。するとドライカーボンのアンダーカバーが、床の全面を覆っているところに気付いた。高速でボディが浮くのを抑えるためだと思うが、ここまで大袈裟にするようなクルマだろうか? 

 フロントスポイラーやリアのウィングで十分ではないのか? ボンネットにはサメのエラみたいなダクトがある。MRだからそこにエンジンは無いのに? 

 ああ。ある特定の速度以上出せば、空気が溜まって浮遊感が出るのか。それを避けるためのダクトだろうな。アンダーカバーも、たぶんそれを抑えるため。なるほど。

 以前見た雑誌では、MR-Sはオーバーステア気味で、リアが流れやすいと書いてあったような気がする。けれどワインディングでは、ロールこそ大きいが、EG6よりハンドリングがしっとりと落ち着いていて素直に感じた。

 アンダーカバーとボンネットの効果は、流す程度の速度でも出ているようだ。だけど、どうも狙ったシチュエーションが峠ではないと思う。街乗りなのかなぁ? 

 高回転高出力でなく、トルクを盛り上げるフン詰まりなエグゾースト。かっ飛ばすクルマじゃないけど、シフトをサボれそうなトルクバンド。うん、街乗りだな。

 そこで坂を降りきったところで、少し街中を走ってみた。う~ん……信号がかったるく感じる。こういう特性のエンジンってオートマ向きではないか? 

 それと街中だと挙動がより一層安定する。やはりコーナーでシュッとノーズが入るところは素晴らしい。お尻が勝手に出て行く怖さは皆無だ。

 この派手なエアロ・パーツやアンダーカバーがしっかり効いている。それにこれは、このスタビの効果もありそうだ。

 もしかしたら錬金術で制作した? 術式を解析……。あ? これ、魔術による切り替え式だ! きちんとワインディング用もあった。急遽、クルマをUターンして、もと来た道を駆け上がる。

 右の緩いコーナーが迫る。路面を舐めるように曲がる。オン・ザ・レールだ。すごく良い。左に曲がるタイトなコーナーでは、コマネズミか二人乗りのローラー・コースターだ。これは良い。さっきまでとは違って、ロールが減った。

 コーナー速度が一気に上がった。これは楽しい。それがわかると他の事もわかってきた。クロス気味な6速ミッションと手の内に入るパワーは、低回転から太らせてあるトルクも相まってとても感触が良い。

 もしかしたらギアを換えてあるのかも。アフターでそんなのが出ておらずとも、何かを加工流用するのがイルマだ。パーシャル領域で、クルマがグッと前に出る。コーナーとコーナーの繋がりがとても良い。

 自分のゾーンが活かせるエンジン特性。ヘアピンで4→3→2とシフトダウン。付け替えてあるアルミのペダルはヒール・アンド・トゥがとてもやりやすい。立ち上がりも中々良い加速だ。

 車体の軽さが活きている。これが下りだったらかなりのレベルだと思う。純粋な速さでは、S2000やFD2インテグラに負けるだろうが私は気に入った。

 これは面白い。ロードスターとは別種の楽しさがある。今のイルマはこんなマニアックなのを作るのか。

 

 このMR-Sはエルが秘蔵している車両の中からイルマに譲った、あのハチロクと似ていると私は思った。

 AE86。1600cc、いわゆるテンロクの名車だ。

 私はエルだった頃、このハチロクを大量に買い付けた事がある。最後まで残ったFRのライトスポーツなので、プレミアが付くと睨んでの中古の先物買いだった。

 3ドア・ファストバック・クーペ、2ドア・ノッチバックのAPEXに、GT-VやGT。日本全国に使い魔やアサシンを走らせ、ワンオーナーやツーオーナーの極上品を100台以上買い上げて城に保管していたのだ。

 そして読みは当たり、某マンガの影響で中古価格は高騰。今となってはツートーン・トレノ(パンダ・トレノ)だけでなく、その他のトレノやレビンも高騰している。2~3台手放すだけで、国産の上質な新車が手に入るほどだ。

 そんな中に1台、少しサビが浮いているノッチバック2ドアクーペのGTがあった。それを鋳造したばかりのイルマに与えると、彼女はどんどん手を入れていった。

 内装を引っ剥がしフロアやサイドシルを補強し、溶接スポット増しに板厚アップと今に至るシャーシ剛性を高める基本技術はあれで確立したのだと思う。ドライバーだけでなくメカニックも育てるクルマがハチロクなのだ。

 エンジンも4A-GEUが5A-G、7A-Gとストロークが変化し、今はAE101のVVT付き5バルブのハイコンプ仕様に落ち着いた。

 ただ足回りだけは凝りに凝っていて、誰でもドリフトできる。私はこのMR-Sをそんな彼女のハチロクと同じだと感じたのだ。そっか、スタビをこんな風にね。

 

「ありがとうございます。面白かったです」

「でしょう? 意外と良かったでしょう?」

 

 実に良い顔で笑っている。ト○タ嫌いな彼女も気に入っているのだろう。これで食わず嫌いが、多少は改善されるかも知れない。となれば薦めたイルマの大金星だろう。

 

「何でしたら、このまま貸しますよ」

 

 ありがたい。だって、あのEG6はどんなに素晴らしくとも彼女のものだ。それに今の私にあれを作る余裕はない。

 けれど、このMR-Sくらいならなんとか作れそうに思えた。この先、違うクルマを買ったとしても、ここに詰まったアイデアは活かせるだろう。

 だから彼女が帰るまで、このまま借りようと思ったのだ。私は乗って来たEG6を彼女に返し、お父さんを横に乗せてP.A.を出た。左の緩いコーナー。気持ち良い。右の少しきつめのコーナー。楽しい。良いなぁ。

 

「ニコニコして。そんなに良いの?」

「はい、とても楽しいですよ」

「ふ~ん……。どっちが前だか後ろだかわからないようなクルマなのに。これって幾らくらいするのかな?」

「220万くらいでしょうか。そこに諸費用です」

「なるほどね。うん? 何か後ろから来てる?」

 

 ミラーには写っていない。ライトを消している? そしてつづら折りが続くところでライトが点いた。30センチも開いてない。ビタビタに着けられている。EG6だ。パッシングして来た。あいつ~! 

 

※この走行はクローズドコースによるテストです。一般公道では危険ですので絶対に真似しないで下さい。

 

 頭に妙なテロップを流すな! どこがクローズだ! 思いっ切り公道だろうが! 

 けれど、使い魔で一般人は登って来ないようにしたようだ。向こうはやる気だ。バトルは山を下り切るまでと頭に流れた。左足ブレーキとサイドブレーキでアンダーステアを巧みに抑え、MR-Sの真後ろから離れない。

 私は熱くなり、お父さんの存在をキレイサッパリ忘れてしまった。こちらもサイドをちょい引きしたり、クラッチを蹴飛ばしつつヒール・アンド・トゥでアンダーを抑える。

 けれど、あちらは私達が手塩に掛けたエンジンにシャーシだ。設計年度の違いはあれど、このままでは負けが確実。頭には当然先程走った、下りのマップが浮かんでいる。

 単独走行での時計を出すためのライン取りに、他車が居る場合のベストライン、犠牲にすべきコーナーも頭にある。だけど、そんなのはあちらも当然知っているだろう。何か、何か手はないか? 見落としはないか? 

 そうだ、タイヤだ! 向こうのフロントタイヤはカーチェイスでズルズルのはずだ。それなのにこのベタベタの走りは何だ? 

 

 FFは基本アンダーステアだ。なのでブレーキで前輪に荷重を掛け、ステアリングが効くようにする。コーナーの侵入まではどれも余り変わらないが、コーナリングの途中から抜け出る一歩手前が変わってくる。

 コーナリング後半はシフトダウンも終わっているので、前輪に荷重を入れるために右足でアクセルを踏みながら、左足でブレーキを踏むのがFFのセオリーだ。

 当然、そんな事を繰り返すと前輪の負担は大きい。駆動輪も前輪なら、その悪癖を消す走り方の負担も前輪に来るのだから。

 なのにミラーに写るライトは30センチも離れていない。どちらも元は同じ1800ccだ。あちらの方が馬力があるのは事実だけど、ここまでビタビタなんてあり得ない。

 なぜならエンジン性能にシャーシ性能、トレッドやホイールベース云々を措いても、MRとFFだ。駆動方式の違いからライン取りは変化するはずなのだ。

 つまりサーキットでもないこんな峠道で、ずっと真後ろに着く事など不可能なのだ。なのに向こうは……まるで500馬力級のクルマのようにゆとりで着いて来る。

 

 次の左コーナーで某マンガで有名になった溝落としをした。アウトに膨らませず(アンダーを抑え)、コーナー速度を上げる方法はフィクションだ。けれど、脱出速度と脱出角度を変える方法はノンフィクションだ。

 私は張り出した木にスレスレで脱出した。木のせいで、ベストの角度には若干甘かったが、立ち上がりは十分に速い。何より狙い通りのラインと速度が得られたので、次のコーナーの進入速度をかなり稼げた。

 右のコーナーで始まる次の複合コーナーは、慣性ドリフトで抜けて行った。ロードスターと同じで、アクセルオフとステアリング、そしてその後のアクセルオンでドリフトができる。

 馬鹿みたいにクルマを横にしない。この場合はコーナリング速度と脱出速度を上げるための、トラクションを活かした前に押すドリフトだ。

 フェイントをしないのはサスが路面追従優先なので、しっとりし過ぎてフェイントが効き辛いからだった。

 こういうクルマの場合、慣性ドリフトの切っ掛けは、意図的なシフトダウンロックかサイドブレーキを引くかして、フットブレーキを微妙に組み合わせた前輪荷重移動が主となる。

 けれどMRはタイミングこそピンポイントだが、アクセルオフで切っ掛けが作れる。

 そしてこんな小技も向かうコーナーの路面状況やアールのキツさ、コーストータルで見た場合の、タイムを稼ぐコーナーか捨てるコーナーかで変わって来る。

 要はマネージメントだ。耐久でガソリンやタイヤの山を計算するのと同じだし、ブレーキングやコーナリングでタイヤを潰すようにしてトラクションを稼ぐのと同じだ。

 区間Aの第3コーナーを捨てると区間Bの進入が早くなりトータルタイムが早くなるなら、第3コーナーを捨てるのは間違いではない。それを逸早く気付いて、自分の走りに反映できるかどうかだ。

 その次のヘアピンでは、シフトダウン後にアクセル踏みっぱで、サイドを3回引いたり戻したりした。僅か1.2秒の事だ。

 この場合は、抜けた先のコーナーに繋げるためにも、エンジンのトルクバンドを外さず回転を維持したかったからだ。

 と同時に、次のコーナーへの切っ掛けと荷重の関係でフット・ブレーキで前輪荷重にしたくない、だけど減速しないと事故になる、そのギリギリを保つにはヒール・アンド・トゥは使えない。そのためのサイドブレーキ分割引きだった。

 勿論、シフトダウンとエンジンブレーキも併用している。難しそうに思うかも知れないが、自分の体重と操縦位置で荷重を変えたり、身体に受ける風圧で減速を行うバイクより楽だと思う。

 こんなのをエルや姉のイリヤはやっているのだ。なら私も負けてられない。

 さて、この複合コーナーで少しは時間が稼げたか? 忙しくハンドルを操作しながら、私は探査魔術を掛けた。するとエンジンに気になるものがあった。

 カムのプーリー? スライドプーリーに細工がしてある! 魔力を込めた。バルタイが変わる! なんと! このクルマ、魔術でバルタイが変えられる?! 

 カムのリフト量や作用角は変えられないので、可変バルブには劣るだろうが、この僅かなパワーアップと中間トルクの盛り上がりは好みだった。

 外装やシャーシに札を貼るのは知っていたが、オイルが循環するエンジン内部にこんな事を? 

 そうか! リューターか何かで、プーリーに呪文を彫ったんだ! 触媒はエアクリーナーだ! 意識してエアクリーナーに魔力を通すと回転が上がりトルクが太り始めた。なんて事を考え出すんだ!? 

 だけど、エンジン回転を考えながら切り替えるのは自分だ。忙しなく両手両足を動かしながら、コーナー毎の立ち上がりで切り替えた。

 脱出速度が上がる。ぎこちなさも回数をこなせば馴れて来た。イケる! 眼の前には最後のコーナー。7メートル? いや、10メートルは離せた。

 勝った! そう確信した瞬間に、オーバーステアを出してスピンしてしまった。何もない広場というか原っぱというか、思いがけないセーフゾーンに突っ込んで停まった。ラッキー……。

 こちらのズルズルタイヤも良く保った方だろう。あちらも今夜はカーチェイス後なのに……。私はタイヤへの強化魔術を掛け忘れていたのだ。今日は本当にダメだ……。

 クルマはぶつけなかったけれど、我に返ればお父さんにしこたま怒鳴られた。バトルは辛勝。テクは引き分け、魔術と人間関係を含む環境で大敗した。くっそ! 一人素早く逃げやがって! 

 

「君がアイリの血を引くのは良くわかった! だからって! し、死ぬかと思ったよッ!」

 

 深夜なので信号が点滅している。赤く明滅するお父さんからガミガミ叱られる私。シュールだ。そこをS15シルビアのスペックRが通り過ぎた。叱られているところを思いっ切り見られたなぁ。

 それはともかく、エルはEG6の可変バルタイを切っていた可能性がある。こんな効果の美味しいもの、組み込んでいないはずがないのだから。

 何より奥の手で、酸素の吸入量や燃焼具合……この他も魔術で変えられたはずだ。タイヤの温存があったにせよ、遊びだからと手を抜いてくれたのだろう。

 

 

 深夜────午前2時30分。

 森深くのアインツベルン城にて、五人の男性は新たに捕まった十八人の男達と引き会わされた。計二十三名。人種も国籍もバラバラ。

 内、魔術師は四人。ハンターとして個人で名の通った者も居た。全員が魔道の粋を集めたエル特製の薬品で、同じボスの名を吐いた。

 

 午前3時30分。

 指揮を執っていた男が捕まった。これまた薬品で依頼者の名を吐いた。

 

 午前7時。

 ヨーロッパ周りでアサシン十三人が一人に固まり、某国に渡った。政府の要人十数人が、一斉に入院したと報じられたのが翌々日だった。当然、日本にはこんなニュースは入って来ない。

 しかし、幾つかの諜報機関と国際情勢に詳しい魔術師や、裏情報に詳しい極一部のジャーナリストは、第一報が入るまでに嗅ぎ付けていた。

 

 後日談として二十三人の男達は銃器を持って警察署に突入し、全員が逮捕された。そのマガジンには弾が入っていなかった。




この物語最長のバトル回。
2004年当時のクルマをかなりリアルに書いています。
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