あだ名、雁やん。以上。
「ちゃんと紹介してくれよ!? 『間桐雁夜。四十路に近いが魔道の血を引く彼は実年齢よりも若く見えた。精悍な顔に似合わぬ眉間の皺は、何か懸念を抱えている表れか。そんな彼が生まれ育った故郷の冬木に降り立つのは、実に養女の高等学校入学以来だった』とかさ! こう……ものにはあるだろ! 作法とか! 慣例とか! 礼儀と礼節を忘れるな!」
単なるざわざわ要員かと思えば上手いな! さすがは物書きか?! いっそ、お前がナレーションしろ!
「うるせい! 仕事放棄すんな!」
先日、所要で倫敦を訪れた俺は、仕事を終えると兄が住むウェスト・アクトンに立ち寄った。
そこで聞かされた、甥の慎二の馬鹿話。彼女から贈られた財布と写真だけは護ったと胸を張る甥は、見栄張君だけどやっぱり可愛い。
ついつい、これで新しい服でも買って、彼女とデートしろと50ポンド紙幣を10枚ほど渡してしまった。だから叔父さん好きだと言われてもな。
お前は好い子と結ばれて血を繋げよ? 魔道は捨てても家門は護って欲しい。若い頃、家を飛び出した俺が言うのは矛盾しているかな?
それはともかく、彼女が好きならそういう馬鹿な遊びは止めろ。叔父さん? 俺はもうダメだ。どの女も、どの女も……口説いた端から振られている。いや、そんな事はどうでも良いんだよ!
問題は、身包み剥がされた慎二を救けてくれたっていう人達の特徴だ。六人が女の子で一人の男性が居たという。夜中に何だ、ハーレムか?
内二人は黒髪の日本人で、ジャケットを貸してくれた人は、慎二の顔に驚いた素振りがあったという。そして残る四人は西欧人で二人が銀髪に紅い瞳だったと……。
思わず黒髪の子の瞳の色を聞いたが、銀髪の子に意識が行ってよく憶えていないそうだ。そして男性以外は全員が双子だったという。一瞬、時計塔に渡っている凛ちゃんかと思ったが、違うみたいだ。凛ちゃんは双子じゃないしな。
だが、場所はハイド・パークだ。何かあるなと情報を集めてみた。するとスラーで執行者を含む数人が消えたという噂を手に入れた。表向きはフリーのジャーナリストだが、本業は情報屋な俺にはピンと来るものがあった。
そこで更に詳しく調べてみれば……何も掴めなかった。けれど、怪しい。俺の勘がそう言っている。銀髪に赤い瞳……アインツベルンが復活している……?
それで切嗣さんにコンタクトを取ったんだが、なんと休暇を取って暫く日本にいるという。だから俺は切嗣さんに会うべく日本に戻ったんだ。
ピンポンピンポンピンポン
「はいは~い。どちら様?」
「あ、間桐雁夜です。切嗣さんはおいでですか?」
セラさんの声だ。昔はツンツンしてばかりだったのに、人間らしくなったなぁ。暫くしてカチャリとドアが開き、切嗣さんが出て来た。
「ここじゃマズい。向いの部屋を借りよう」
向かい? 知らない間にお向かいには豪邸が建っていた。
「どうしたんです? この家は?」
「エーデルフェルトさ。北欧の」
「あの名門の?」
「そう」
「まさか……聖杯戦争が?」
「雁夜君、声が大きい。中で話すから」
「ああ、はい」
そして屋内の応接室で聞かされた話は驚愕だった。
そんな訳のわからない杖にイリヤちゃんが巻き込まれていて、持ち込んだのが凛ちゃんだったなんて。
しかも目の前に居る凛ちゃんは、漢字が少し違っていて並行世界で魔法に至った凛ちゃんだという。正確には凜と書くそうだ。下が示すでなく禾なんだね。
妙齢のどこか葵さんに似た美人は彼女の師匠で、やはり魔法を得たどこかの凜ちゃんで、それでもって英霊でもあって……。
おまけにイリヤちゃんが高校生になったようなカワイコチャン二人は、本当に一人はイリヤちゃんで、もう一人は双子の妹で……。頭がパンクしそうだった。
「雁夜君、大丈夫かい?」
「いや……なんか……」
「それで僕の娘が四人になった」
双子の妹の並列思考中の意識が剥離して、それがここのイリヤちゃんに入っちゃって、それがカードと……。
「はぁ……。ともかく聖杯戦争ではなく、イリヤちゃん達を守るために倫敦に行ったところが、諜報機関に察知されて揉めていると?」
やはり慎二を救けてくれたのは彼女達だった。ジャケット貸してくれたのも、目の前の魔法使いの凜ちゃんで、凛ちゃんもそこに居た訳だ。
「やっと飲み込めて来ました」
「そうかい」
「となると、これは関係ないのかな?」
「何がだい?」
俺は知己の間柄であるトレジャーハンターや、情報屋仲間から得た推論を纏めたリポートを切嗣さんに渡した。
裏稼業専門というか、ハンターを中心に色んな事に手を出す魔術使い。それも腕に覚えのある奴等が軒並み大怪我を負って入院していた。
目を通した切嗣さんはそれをイリヤちゃん似の双子に回した。
「これは良い情報です。こちらに迷惑を掛けたお詫びにと、アトラス院が私達に挑戦して来る魔術師を排除したようですね」
「あ、これってそういう意味ね?」
「ええ。バゼットさんも獅子劫さんも一儲けですね」
え? どういう事? 俺が全く要領が得られないのは、知らない情報があるからだと教えられた。
ただ、俺と切嗣さんの仲なので、口外しない条件でホンのサワリを聞いた。
いや、サワリで止めて貰ったのだ。聞いていてヤバイなって。裏の奥に闇と呼ばれるプロフェッショナルが居る事は知っていた。いわゆるプロの中のプロってヤツだ。
ほとんどが一匹狼で、かつての切嗣さんがこのタイプだった。こういうのは基本魔術使いが多いのが特徴だろうか? けれどそんな中に集団で行動する部隊が幾つかあった。金で動く最悪な奴等だ。
だけどこの子達は、そんな奴等のとある部隊を昨夜潰してしまったらしい。切嗣さんが声をあげるなと言ったのは、まだ残っている奴が居ると睨んでいたからだろう。
これ以上はこっちの身が危ない。俺はその件には関与しないと話した。切嗣さんも娘として迎え入れた子と時計塔との繋がりもあるので、その方が有り難いと言っていた。
けれど、迎えた娘さんが桜と同じ部活とは夢にも思わなかった。少し怖いと思ったが、桜はノーマークだし、万一の場合はその子が守るだろうと話してくれた。
そして、桜の学校の体育祭が数日後にあると、俺はその時に初めて知ったのだ。切嗣さんも行くらしいので俺もお邪魔する事にした。
じゃ、一緒に行く仲間を紹介するよと会ったのが、並行世界の士郎君だった。正直、少し叫んだかも知れない。そして俺は名を名乗り、桜の父親だと話した。
そこで聞かされた、余りにも悲しい物語。そうか君は桜の事を……。だからここで起きた聖杯戦争のあらましと、桜の出生を話してあげた。彼は静かに泣いていた。
褐色の先輩と衛宮士郎さんを学園まで送った。衛宮さんには少し暗示を掛けて、ルヴィアの運転に違和感を持たないようにした。
その後、エーデルフェルトに戻ると、この世界の間桐雁夜さんが切嗣さんに伴われてやって来た。私は説明のために同席したが、ルヴィアは自室に戻っていった。かなり眠たそうだったものね。私も後で一眠りしよう。夜中のカーチェイスはさすがに眠い。
ありがたい事に、話は小一時間も掛からなかった。雁夜さんと切嗣さんが帰られた後、部屋に戻る前に私は先生に尋ねた。
「先生、他の動きはありますか?」
「不味いわ。強力な魔力持ちが二人も冬木に入っているわね。この感触はサーヴァントっぽいわ」
「え~! どうやって召喚したんですか?」
「ドイツのアインツベルンで、でしょうね。城は封印してあったと思うけど、大聖杯の中身があちらと繋がっているんでしょう? きっとその封印を破って魔力を注いで回したのよ。けど……まともなサーヴァントじゃ無いと思うの」
「と、言いますと?」
「内一人は、霊脈や大気のマナを吸い上げるのが上手いと言うか、効率が良いと言うか、バカ食いはしていないのよ。つまりもし何らかの装置があって数値で表せるのなら、あれを英霊と呼ぶのは憚れるわ。わかる?」
それはとても象徴的な意見だった。キャスターみたいな英霊だろうか? それとも先輩みたいな……?
「冬木で召喚された訳では無いんですね?」
「ええ。さっきも言った通り、ここの大聖杯のシステムはガワだけだから。釜の方はドイツと繋がっているわ」
「となると、本当にドイツで召喚?」
「どうだろう。システムはこっちなのよ? さっきからそこで引っ掛かっているのよ。座標を新たに調べでもしない限り無理だと私は思うのだけれど」
「ですが先生、座標をトランベリオやハートレスは独自に調べていましたよ?」
「そうか……。情報を買ったか盗んだか。もう少し探ってみるわね」
そう言って先生は使い魔との同調を再開した。私は部屋に戻って一眠りした。
エーデルフェルトから自宅に戻った僕は呆然とした。カーポートに停めてあった赤いMR-Sが消えているのだ。
「アイリ……」
昨夜はエルヴァ君達の峠バトルに驚かされた。親としてこちらのエルヴァ君を叱ったが、内心はアイリの血だなぁと納得もしていた。
また、あの子は操縦が上手かった。最後のアレはタイヤが限界だっただけだ。それをあそこまで保たせた。
アイリなら最初の2~3コーナーで置いていかれるだろう。そんな事を寝室でアイリに話したのは不味かったか……。
セラ尋ねるとドライブに行ったのだと言う。こんな危険な時に? だいたい借り物だぞ、あのクルマは? 彼女もわかっているだろうに?
セラが言うには、『タイヤが新品に交換してあったから、皮を剥きに走ってくる』のだそうだ。何だそれ? 向かいのエルヴァ君だろうが、何時交換したんだ? 夜中か、朝方か? 全然気付かなかったよ!
慌ててアイリの携帯電話に電話を掛けたが、寝室から音が鳴ったので僕は崩折れてしまった。30分ほどしてから戻った時は怒鳴りそうになった。けれど、彼女が連れて来た人物を見て声を出せなかったんだ。
「ど、どうしたの? その人は?」
「行き倒れていたの。もう少しで撥ねそうだったわ」
普通は警察か病院だろう。しかしアイリはここに連れ帰った。身長は165センチくらい。アイリより背が高い。僕の声が出ず、アイリが連れ帰った理由は、その女性が銀髪で赤い瞳だったからだ。
かなりの長髪だ。背中に垂らした編み込みは、太ももの裏辺りまであった。年の頃は20代前半だろうか。ホムンクルスなら外見に意味はないけれど。だが、アイリに似たこの顔は……。
けれど、スイスのマアエモ程は同型に思えない。いや、わかっている。彼女はイリヤ君やエルヴァ君に似ているんだ。あの子達の身長が伸び、20数歳になった姿と言われるなら納得できる。
「怪我は無いみたいだけど、お腹が空いているらしくて」
セラが料理を作っている間に、僕はエルヴァ君の携帯に電話を掛けた。程なくエルヴァ君がやって来た。そしてガツガツと食事を摂る女性をジッと見た。食事を続けていた彼女は少し困った顔をしていた。
アイリも拾ったは良いが、ここに至るまで名前を聞き出せていない事をエルヴァ君に報告した。エルヴァ君は一つ頷くと、アーチャーを電話で喚び出した。彼は3分も掛けず現れた。
「何だ? 何があった?」
玄関から普通に訪問した彼を、僕の友人だとセラに説明した。そして彼女を目に入れた彼はこんな事を言った。
「言っておくが、私は……君と関わりのある男では無いと思う。その昔、君と私が同時に召喚陣に招かれた。記憶にあるかね?」
女性は首を振った。知り合いに似た人が居るのか? いや、その前に召喚陣と……。すると彼女は英霊……?
ハッとしたけど、エルヴァ君は既に防音結界を張ってセラ達に命令を与えていた。セラとリーゼリットは洗濯物を干しに2階へ上がっていた。
そしてエルヴァ君は、第五次聖杯戦争が起きた世界での、とある物語を話してくれた。
悲しい運命を背負った少女の暴走。
それに拠る行方不明者の増加。
次々と謎の影に喰われるサーヴァント。
少年は片腕を奪われたが、あるサーヴァントが消える前に腕を彼に残した。
そして敵となってしまったかつてのサーヴァントを倒し、少女を救けに大聖杯に向かう。
少年は少女の姉とともに少女を救出できたが、少年の姉が大聖杯を閉じるためにその場に残った。
残った姉は最後の最後で、妄執に駆られた老魔術師の攻撃で大怪我を負う。
その流れた血が大聖杯の周囲に貼り巡らされたユスティーツァの魔術回路に触れ、潰されたはずの心臓が復活した。
と同時に、唯一胸に取り込めた英霊の能力までが彼女は使えるようになった──
「あなたには、お子さんが居ましたか?」
「いえ……。あなたは……一体?」
「私は並行世界から、従者とともに来ている者ですよ」
「並行世界……」
「ああ、彼女が私のマスターであり家族だ」
「そうなんだ?」
「そして、彼女は君では無い。君も知らぬ双子の妹だ」
「双子?」
「その姉が今、真向かいの家に居ますよ」
僕とアイリが声をあげたのは同時だろう。
「「って事は、この人(彼女)はイリヤ(なの)!?」」
この時、彼女はとてもバツの悪そうな顔をした。そしてこんな事を言った。
「いけ好かない魔術師に召喚されて、契約を切って逃げたは良いけれど、お腹が空いて……。まさか並行世界の母親に救けられるとは夢にも思わなかったなぁ。そうです。私が人だった頃の名は、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンです」
僕は口をあんぐりと開けてしまった。顎が落ちたかも知れない。アイリも最初はポカンとしていた。そして見る見る間にその大きな瞳から涙が流れた。
「イリヤちゃん……? どうして……どうしてなの……?」
彼女が名を明かさなかったのは……アイリが悲しむから。
我に返った僕は堪らず尋ねた。どうしてイリヤが英霊に? だけど答えは彼女から無かった。答えてくれたのはエルヴァ君だった。
「瀕死だった彼女が持つ小聖杯に、赤い英霊が生き残れと願ったからです。そして彼女もポテンシャルの高い人です。残念にもその場で亡くなり、英霊の座に招かれた人なのでしょう。お子さんが居たかと尋ねたのは、その後生き延び結婚された方も居たからです。その方はお子さんを育て上げた後、あちこちで慈善活動をされ聖女と呼ばれるまでになり、死後英霊となられた人です。彼はその人と会った経験があるので、彼の記憶を見たマスターたる私も知っていたのです」
聖女。そんなイリヤも……。
イリヤ君を見て思ったが、イリヤはなんとも言えないポテンシャルを持った子だったんだね……。それと先にアーチャーと出会ったせいか、僕もアイリも思ったより早く冷静になれた。表面上は。
「そして彼女はアラヤでなくガイアの守護者です。ガイアにはもっと上の存在が大勢居ますから、彼女の仕事はほとんどなかったはずです。ですから普通は喚び出せない存在なのですよ。ですがここの……ドイツのアインツベルンは大聖杯と繋がっています。倫敦で座への座標データを入手し、魔力さえ確保できるのなら。そして召喚場所があの城なら、鋳造用の魔力タンクが残っていた可能性が高いです。また城そのものも補助触媒になりますし、おそらく凍結された受精卵が、廃棄されずに残っていたのでしょう。この世界だけは条件が揃っていますね」
「つまり本当の触媒になったのはイリヤ達の姉妹か……。それで君の召喚者はどうしたの?」
彼女は少しの間、僕を見詰めた。
「言っておくが、僕達のイリヤは今学校だよ?」
「へ? お向かいに居るんじゃないの?」
「おいおい。それはエルヴァ君のお姉さんだ。こちらのイリヤはまだ小学生だよ」
「小学生!?」
「10年前の第四次聖杯戦争でアハトの家を潰したんだ。そして赤ん坊だった娘を連れて日本に移住した。だからここでは第五次も起きないし、起こさせない」
「へぇ~。ここって全然違う流れの並行世界なのね?」
そうと知ると、とたんに笑顔で僕の手を握りブンブン振る。アイリが少しムッとした。
そんなアイリの気持ちとは裏腹に僕は気付いてしまった。彼女の笑い方がクロエにそっくりなんだ。イリヤとはかなり違う。
そしてイリヤ君だ。彼女はエルヴァ君のお姉さんだけあって、精神的に大人と変わらない。けれど笑った時は……そうだ、あの笑顔に抱いた違和感。あれもクロエに似ていたんだ。
「あ、ゴメンなさい……。少し父という存在にトラウマと言うか、思い入れがあるので……」
彼女も幼い日、あの城で両親が帰るのを待っていたんだ……。
「それで召喚者だけど。今頃、山か森を彷徨っているんじゃないかな? 私自身はドイツで召喚された時に聖杯戦争と思ったのよ。だって、そういう知識が流れ込んで来たから。けれど日本に来たら、高校生の女の子や小学生を襲えって言うんだもの。だから『破戒すべき全ての符』で、契約破棄するチャンスを伺っていたの。魔力は数日持つから、シロウやリンに会って後を頼もうとか、イリヤにシロウを助けてあげてって言おうと思っていたのよ。けれど、シロウが襲われちゃって……」
「ああ……」
「昨夜、襲われたのよ。知らない? それで銃を持っていた相手を矢で射たの。けど、シロウと一緒に居た女の子が、一気に屋上まで跳んで。私より少し早く矢を射て、正確に相手の利き腕を抜いたわ。サーヴァントの気配は無いのに、動きはサーヴァントそのもの。戦闘用の新型ホムンクルスなの? 性能良いわねぇ。シロウを護るために造ったの?」
何て事を言うんだ。エルヴァ君が怒るかなと思ったけれど、彼女はニヤニヤしていた。なんでさ?
「それとあの時、山の中腹から射た人も居たわ。山頂はアーチャーだと思うけど、あれは誰?」
「そうか。君は敵では無いんだね?」
「ええ」
「なら、全てを話そう」
そしてエルヴァ君の提案で、僕達はエーデルフェルトの会議室を借り、彼女にこれまであった全てを話した。
「じゃ、昨夜の子はあなたの分身で、アーチャーの能力が使えて、ここのキリツグやお母様の養女になったって事?」
「そうです」
「そして、そちらがあなたのお姉さん?」
「はい」
エルヴァ君は返事をしたが、イリヤ君から返事が無い。真面目で礼節のしっかりした子だと思っていたから不思議だった。
「私と話すのはイヤ?」
でもアイリは。
「イリヤさん、顔色悪いわよ? 体調が悪いの?」
「え?」
僕は驚いた。けれど気遣うアイリに礼を言って、イリヤ君は理由を話してくれた。
「ふぅ……。嫌ではなく、苦しいんです。……世界修正が働くというか。英霊になったそちらには影響が余り無いみたいですが」
「ああ……そういう事ね。ごめんなさい。そっか、その宝石や装飾品はコンフリクトを抑えるため?」
なるほど……。あちらのルヴィア君が用意したのかも。
「ええ……そうです。エル……ゴメン。私、部屋に戻るわ」
「はい。後でご報告致します」
そしてイリヤ君だけが出て行った。英霊のイリヤは恐縮して、何度も謝っていた。コンフリクトは誰しもにあり得る事らしいが、個人差や相性でかなり左右されるらしい。
現にエルヴァ君は、スイスのエルヴァと会ってもなんとも無かったという。また、イリヤ君にしてもうちのイリヤとはなんとも無いそうだ。誤解を招かぬよう、エルヴァ君は姉が彼女を嫌っているのでは無いと改めて説明した。
「姉さんは誕生日が7月20日です」
「え? 11月20日じゃなくて?」
どうやら大方の並行世界でのイリヤは、僕と誕生月が同じなのだそうだ。
「そうです。ここの7歳違いのイリヤちゃんや、私達の妹であるクロエちゃんやおチビちゃんも7月20日です」
「そっか。世代の違う妹さん達はわからないけど……。これって、聖杯の完成度かな?」
「だと思います。それと魂の色と言いますか。似た色の人ですと、時々こうなりますね」
並行世界を渡るからこそ起こる椿事と言えるだろう。普通は自分と会うなんて無いからだ。
そして凜君は例外で、魔法に至った事により人類の枠から外れ(嫌な表現だ)、コンフリクトが起きないのだという。
今、クロとイリヤは別室だが、イリヤ君はそちらに行ったのかも知れない。そしてこの部屋にはアーチャーと士郎君も居る。相性に魂の色か……。確かに士郎君とうちの士郎はかなり違う。彼女に一通り話してあげた後は、こちらからの質問タイムだ。
「君のクラスはアーチャーなのかい?」
「ええ。本当に聖杯戦争は始まっていないのね?」
信じられないのも無理はないか。アーチャーにセイバーが二人、ランスロット卿にヘラクレス。この二人は元バーサーカーだ。そんな人達もこの部屋にいる。
そしてここには居ないアサシンにシロウ君やリン君を数えれば、八騎も一陣営に固まっている。ちなみに彼女はヘラクレスと対面した時、抱きついていた。元マスターか……。
「君の元マスターは、何も調べていなかったの?」
「名を上げたいだけのバカなんでしょうね。やたら私に嫌なちょっかいを出そうとするし……」
「そのセクハラ野郎を殺しに行こう!」
懐から銃を抜き出し、無意識に叫んでいた。アーチャーとヘラクレスに取り押さえられたけれど。でも、僕は……。彼女もやっぱりイリヤだ。報われなかった悲しいイリヤだ。もう死後の存在だけど、ここに……ここで……。
ふとアイリと目が合った。僕と同じ気持ちなのだろう。頷いてくれた。ああ……。僕はやっとイリヤ君やエルヴァ君の両親の気持ちがわかった。
「ああ、もう。入りなさい」
はい? エルヴァ君が立ち上がってドアを開けると、イリヤとクロが居た。聞き耳を立てていたらしい。
「え~! この子達? あなたが話していた妹って?」
「はい」
「可愛い~。そっか、娘さんもこんな感じなのね?」
「ああ、そうだよ」
そして彼女はとても優しい顔で少女達にこう言った。
「良かったね。優しいお姉さん達に出逢えて」
後でクロエとイリヤに出逢った時は『良かったね。聖杯戦争が終わった世界に産まれて』と言った。それは思いの丈が詰まった言葉だった。アハト達を潰した僕は、その言葉で許された気がしたんだ。
「お姉ちゃんもアーチャーなの?」
「うん、そうよ。お話は聞いたわ。あなたはカードからなんだってね?」
「うん」
「それでこっちが妹のイリヤちゃんか。二人で仲良くね。あ、そうだ。山の中腹から矢を放ったのはクロエちゃん?」
「ううん。あっちの美遊のお兄ちゃんだよ」
「そっか。さすがはシロウね。良い腕だわ」
「太ももを射抜いたのは、あなただったんですね?」
「ええ」
「なら、俺はまだまだです。エルヴァさんが利き腕を抜いたんだから、足を止めないといけなかった」
「そう思えるのなら、もっと上手くなるわ。それで……この先なんだけど」
娘達に挑もうとする魔術師は、彼女の元マスターと協力者の二人だけで、他の者は居ないらしい。やはり、アトラス院が潰すか止めるかしてくれていたようだ。
だけど彼女はあのグラウンドの五人とは明らかに異なるチームを見掛けたという。たぶんそっちが本来警戒すべき本命だったのだろう。僕の勘がそう言っている。
けれど、闇夜で三方向から射抜かれた事実は、プロであれば撤退の大きな理由となる。おそらくそのチームは襲って来ないだろう。後で炙り出せば終わると思えた。
となれば当面の問題は、その二人の魔術師だ。魔力を提供してくれるのなら、手伝うと彼女は言ってくれた。そこで仮マスターに、エルヴァ君の勧めで凜君が契約した。
「よろしくね。魔法使いのリンか。勝ったも同然ね?」
「自陣営を過信し過ぎて、気を抜くところが悪い癖ですよ?」
「へ? あ……バ、バーサーカーは最強でしょう!?」
「じゃ、アーチャーは弱いんですか?」
「もう~! 大人しくて可愛いと思ったのに、リンはリンだわ……」
僕はヘラクレスの気持ちをアーチャーから教えられていた。と、同時にわかってしまった。この子もバカではない。ヘラクレスへの万感の感謝と、狂化した事に対するお詫びの言葉を敢えて避けているのだ。
そして凜君はそこに気付いて欲しいと、この子にそぐわないキツイ話し方をしている。そこを読んでのこの態度なのだ。アイリも何か言いたそうだけれど、言葉が出ないようだ。
「どいつもこいつも。エミヤ菌に罹ると、どうしてこうも面倒くさくなるのか」
エルヴァ君の漏らした言葉に対して、最初に笑ったのはアーチャーだった。それを意外そうに見詰める、ガイアの守護者となった彼女。こうして驚いた顔を見ると、イリヤやクロエより目が大きいなぁ。ここまで来るとラウンド・アイだ。
アイリは吊目気味なアーモンド・アイで、イリヤ君にエルヴァ君、そしてウチのエルヴァはラウンディッシュ・アーモンド・アイだ。
同じように思っても微妙に違うものなんだね。これが世界の違いだろうか?
そんな益体もない事を考えていたら、ため息を一つ吐いた彼女がソファから立ち上がった。そしてヘラクレスに感謝と謝罪の言葉を述べ、凜君にも頭を下げて詫びた。
そうして僕達は、また一歩親密になれたんだ。お昼はイリヤ君とエーデルフェルトのコックが作った料理に舌鼓を打った。そこで同席できないイリヤ君に、彼女はエルヴァ君の使い魔を通じてお礼を言った。
そっか。使い魔という手があるんだ。それで楽しい会話は午後まで続いた。だけど……。
「これは絶対に私の勘違いじゃないわ。あの魔術師は協力者とともに、私以外のサーヴァントを召喚している」
「それは?」
「ヘラクレスだと思う」
そう。彼女が少し頑なだったのは、バーサーカー(狂戦士)に逢えると思っていたからなのだ。僕が想像する以上に、彼女には思い入れがあるのだろう。英霊となり、ともに肩を並べられる喜びと期待もあったと思う。
けれど、召喚者は彼女とは徹底的に反りが合わない人間だった。失意の中で僕達に出会い、本物のヘラクレスにも出逢えた。だけど、彼女の中では狂化を解くとは、イコール弱体化だった。
とは言え、このヘラクレスは違う。並行世界の妹が魔力を送るヘラクレスは、根本的に強さのランクが違っていた。なので、その戸惑いも頑なさに繋がったのだった。
「マスターの名は?」
「知らない。けれど元マスターの協力者の名はわかるわ」
「誰ですか?」
「ゴルド・ムジークよ」
僕はその名を知らなかったが、エルヴァ君は知っていた。ムジーク家はアインツベルンに続く、人造生命体の鋳造に長けた一族だという。きっと、鋳造したホムンクルスを魔力タンクにして、バーサーカーに魔力を送るのだろうと。
その総合力をエルヴァ君達と競いたいのだろうとも話してくれた。元マスターは胡散臭いが、このゴルドという男は純粋な技量合戦目当てだろうから、対戦すれば自ずと察するだろうとも話していた。
「あ、そうだ。元マスターのニックネームかファーストネームだけはわかる」
「それは?」
「バズって呼ばれてたわ」
僕はエルヴァ君に聞き覚えがあるか確認した。
「空から落ちてくる女の子を受け止めた?」
「それ、パズー」
「では、公安9課の女タラシ?」
「それ、パズ」
「口コミを活用したマーケティング?」
「そこから付けられたニックネームの可能性はあるけど、今は関係ない」
「詳しい……」
何の事かわからなかった。
突然、エルヴァ君が立ち上がり叫んだ。セイバー達も立ち上がり、僕達を護ろうと取り囲んだ。
「お兄ちゃん! 霊体化して屋根! 攻撃の方角を!」
アーチャーが消え、エルヴァ君は呪文を唱えた。
「エル、宝具だ」
そう言い残して、ヘラクレスも霊体化した。森羅の彼女は子供達を庇うように腕の中に入れ、天井を睨んでいた。凜君とルヴィア君は宝石を組み合わせて、僕達の周囲に結界を張っている。
しかし、何も起こらない。この家に被弾しないのだ。
「どういう事だ?」
「キリツグ。今、エルが敵の宝具を取り込んでいるのです。7、8……9発だ!」
「何ッ!」
セイバーの言葉に驚いていると、アーチャーが現れた。
「冬木山の山頂、遠坂神社上社の屋根の上からだ」
市の反対じゃないか? 何キロ離れているんだ?
「射殺す百頭……。敵は情報通りヘラクレスです。新都のビルを避けて、山なりに射ていますね」
エルヴァ君の言葉に二度驚く。
「出るわ」
そう言い残して英霊に至ったイリヤは消えた。待ちなさいとアイリが止めたが間に合わなかった。
「エル、第二射が来ます」
「射殺す百頭が二回。これで打ち止めでしょう。ホムンクルスを20~30人は潰しましたね……」
エルヴァ君はなんとも言えない顔をした。
「大丈夫かい?」
「私は大丈夫です。お兄ちゃん、セイバー、彼女を止めて下さい。行ってもアルさんの邪魔になるだけです」
「わかった」
「承知しました」
そうして二人が霊体化して出ようとしたところで、もう一人のセイバーが着いて行こうとした。
「私も行きます」
「ここに残り、他の攻撃を警戒するべきだった。後でエルヴァに、そう叱られますよ?」
「う……。確かに……」
「それに、私のセイバーに行かせたのは検分役を果たして貰うため。士郎クンもクロエちゃんも、魔眼蟲からの映像を水盆に映すのでしっかり見て下さい。アーチャー・バトルですよ」
エルヴァ君は凜君と手を繋ぎ、四人の英霊を冬木山のとあるポイントへ転移させた。
褐色の娘のセイバーにああ言ったのは、単独行動を控えさせるためで、セイバーとアーチャーは森羅の彼女を抑えるためなのだとわかった。最初から敵にはヘラクレスを充てるつもりだったのだ。
サーヴァントの転移。通常なら令呪があって初めて行える事だが、令呪システムを解析済みの凜君は令呪がなくとも魔力さえ確保できれば可能なのだという。
ただ、今回のこれはエルヴァ君の空間転移魔術だ。そこに凜君が少々の魔力と同時に正確な座標を送っているらしい。
彼女はセカンド・オーナーの娘であるだけでなく、魔法使いとしてどこの遠坂凛よりも冬木を知り抜いているのだとか。手を繋いだのそのためだったのだ。
冬木山の二つある頂きの低い方に上社がある。彼らは高い方の頂きに現界し、アーチャーと森羅の彼女が弓を構えた。
上社の屋根で弓を握って陣取る異形は、身長が2メートルくらいで肌が赤黒い。こちらのヘラクレスさんより二回りは小さいだろうか。
革か何かを鞣したものを頭から被っているので顔はまったくわからない。異様なのはその布か革が、太い鎖で巻き止められいる点だった。
「あれは一体……?」
「願掛けでしょうか。クラスもバーサーカーでなく、アーチャーとアヴェンジャーの二重召喚ですね。あれがヘラクレスなら12の倍、24回も命を奪わなければ斃せない可能性があります」
「先輩、狂化されていないあの人がどうして復讐者なんかに?」
「勝手な想像ですが、アルさんと違って神を憎んでいるのでは? 心意気の小ささが身体の大きさに出ていますね」
「なるほど。となると願いはヘラクレスの名の抹消?」
「たぶん。アルさん、ガチンコで頭に来ていますね。あ~あ……上社は諦めて貰う他はないかな……。取り敢えずは、アルさんにグラムを握って頂きました。幾つ魄切りできるか」
そして上社の屋根に突如ヘラクレスが転移し、相手を斬ってかき消えた。そこを隙かさず、アーチャー達が矢を射た。
「魄を18本も切ったのに立っています。アルさん以外は離脱して下さい。マスター排除の方が早い」
そう言うとエルヴァ君は床に手を着いた。2分も掛からず、ターゲットの両手足を宝具で切り飛ばしたという。このピンポイントな座標は、先程凜君からダウンロードしたのだろうか?
「どうやってマスターの位置が?」
「大聖杯の中身はドイツですが、システムは円蔵山に残っています。霊脈をたどり、それをハッキングしました。令呪をたどればマスターの位置なんてすぐにわかります。これを先にするから、サーヴァントのクラスが読めるのです」
「つまり、君は全サーヴァントのマスターの位置とクラスがわかるのか?」
「はい。これを逆にされるのが嫌なので、聖杯を使わない召喚方法を考えたのですよ」
そんな奴が居て堪るものか。こりゃ、勝てない。そして不殺の誓いは残酷だった。
「マスターの脳を一部破壊しました。言語野と魔術回路とリンクした部分です。これでサーヴァントに命令を出せません。サーヴァントも魔力が尽きれば消える他はありません。令呪の主導権も奪いました。ここに乗り込む時間すら残されていないでしょう」
水盆には屋根の上でヘラクレスさんと異形が殴り合う姿が映っている。殴り合うは語弊だ。一方的にヘラクレスさんが異形を痛め付けていた。強い。余りにも強い。
『天将奔烈!!』
異形が布を自分が吐いた血に染めて、吹っ飛んで行った。
「え?! これってマンガの?」
「そのマンガを読んで、技を開発したのですよ、あの鍛錬マニアは。他にはヘラクレス百裂拳とか天破活殺や無想転生などなどもマスターしています」
「ちょっ!? マジか……」
「私も神拳と聖拳は使えますよ。風の魔術師なので。残虐なので使いませんけどね」
かまいたちを起こして手足を切ったり、体内に酸素を送って爆破か……酷いな……。昨夜みたいなタイヤで抑えて欲しい。いや、あれも酷いんだけど。
そして、戦いの場所が上社の後ろの林に移った。その御蔭で屋根の一部が破壊された程度で済んでいる。ただし、途中の木々は薙ぎ倒され悲惨な状態になっていた。
何十もの拳を一方的に叩き付けるヘラクレス。最後、異形は完全に斃れ、金色の粒子となって消えて行った。令呪を封殺され逃げる事も叶わず、一方的に殴殺された異形。
「他家のホムンクルスとはいえ、生命を粗末にする者は絶対に許しません」
これがアインツベルン11代目総裁の怒りだった。ヘラクレスさんはそれがわかっていたのだ。彼の拳はエルヴァ君の拳でもあったのだ。
彼女は本気で怒っていた。昨夜のエルヴァ君と同じく。そして怒りの理由は、至極真っ当だと僕は思えた。
ホムンクルスを人でないと定義してしまえば、僕はアイリや娘達を否定する事になってしまう。きっと彼女も同じ気持ちなのだ。
後でわかったが、大魔導師のリン君はエルヴァ君のチカラが十全に発揮できるよう、事前に冬木全土の霊脈の主導権をエルヴァ君に書き換えていたのだそうだ。
そこに凜君から送られるマッピングと座標。二人が組めば聖杯戦争なんて一日掛からず終わるだろう。
シロウ君はリン君の発案を聞き、大聖杯の設置場所を見張っていた。そこからたどって、とある農家の使われていない家屋や土蔵に、人の形をなさないホムンクルスの成れの果てが百近くもあったのを発見していた。
それを彼は結界を張って焼いたそうだ。それが正解だろう。救えぬものというのは確かにある。
シロウ君からは、エルヴァ君に絶対に話すなと念を押された。だろうなと納得した。あの子に人殺しをさせてはいけない。
昨夜、埠頭で僕は娘のエルヴァ君を止めてしまった。説明を聞けば、彼女の怒りはもっともだった。魔術師殺しの頃の僕だと理解できなかっただろう。
だけど、世の中の真っ当に生きる人々の悔しさや怒りをあの子はちゃんとわかっていた。止めて正解だったと思う。あんな良い子に殺人なんてさせてはいけない。
もしどうしてもと言うなら、あの子を悲しませるだろうが僕がやろう。それが親の務めだ。
雁やんは数ヶ月ぶりに帰った自宅マンションで寛いでいた。娘の桜は学園だろう。心配だし早く会いたい。けれど下手な行動は取れないと自重した。なのでマンション内の管理人室を訪れ、普段のお礼を言っておいた。
「間桐さん。おかえりなさい。いつもいつもすみませんねぇ」
日本に帰れば、必ずお中元やお歳暮の手配は忘れない。兄から叩き込まれた処世術だった。
自室に入れば、取り敢えずお湯を沸かしてお茶を入れた。日本茶の渋みと旨味が嬉しい。棚にはフォートナム&メイソンの紅茶があった。
あれ? 好みが変わった? だけど馴染みの喫茶店から茶葉を買い求める、いつものキーマンもあるなぁ。
「女の子ってわかんないよなぁ。よく、俺が父親をやれてるもんだ」
爺を滅ぼすチャンスは聖杯戦争しかないと、衛宮切嗣陣営と組んでから早10年──桜の事を聞きつけ数年ぶりに家に戻った次男を、爺は言葉巧みにマスターにすると嘯いていたが、雇われマスターが存在する事は事前に掴んでいた。
なので、その場では穏便に話を済ませ辞去した。こちらは既に衛宮切嗣と協力体制にあったからだった──
かれこれ11年前だろうか。滅多に連絡を寄越さなかった兄貴が頻繁に電話を掛けてくるようになった。理由はまぁ想像が付くと思うが、爺から嫌味ばかり言われて辟易していたのだろう。
それで兄貴はとうとう音を上げて、出張先の海外にまで掛けてきた。ジャーナリストをしている俺にとっては、電話回線を潰されるのは迷惑だったが、そんな矢先に知った桜ちゃんの養子縁組話はまさに青天の霹靂だった。
何で我が子を、葵さんとの子を手放すのだと時臣に怒りを覚えたのは一瞬だ。きっと言葉巧みに、あの狡猾な爺から誑かされたのだろう。時臣も頭が固い。
俺が間桐を出たのは魔術が嫌だという理由より、爺と爺が追求してきた魔術が嫌だったのが大きな理由だった。それを説明したくとも、他家に家の魔術は明かせないんだよ。察しろよ、本当に。
そして兄貴は爺に園児だった桜を調教しろと言われたそうだ。何を考えてるんだ、あの爺は。電話口で兄貴、泣いてたぞ。爺は、人を殺して喰って生命を長らえさせているとも切々と話していた。
それでもうこの妄執に駆られた爺はダメだと、俺は間桐に本気で見切りを付けた。爺を消すしか無いと考えたのだ。だから俺は、当時バルカン半島で名を売った衛宮切嗣にアポを取ろうとしたんだ。
そして四方八方に手を尽くし、漸く彼の所在を突き止めるとアインツベルンに傭兵として入った事を知った。
アインツベルン……間桐なら当然知っている名だ。これは好都合だ。彼は聖杯戦争に出ようとしている。
なら、彼が欲しがるであろう、できる限りの情報を集めた。それを手に彼と交渉しよう。そう考えたんだ。そしてそれは上手く行った。
今の兄貴は間桐が持っていた資産を俺と分け、霊地や爺の残した研究資料などを協会に売って英国で暮らしている。これは保護を求める意味もあったと思う。だから慎二は年齢的にともかく、兄貴は市民権を得ていたはずだ。
財産の八割方は兄貴が持って行った。当初俺は、騙されて没収になるんじゃないかと心配だった。が、蓋を開ければそんな事はなく、それなりに遊んで暮らせるだけの財産はそのままだった。
なのに兄貴は真っ当に資格を取って、税理士みたいなものを営んでいたりする。魔術関連の事を知っている訳だし、長年間桐の資産を管理していただけあって、神秘関連の帳簿をどうすべきかにあの兄貴は詳しい。案外、天職なのかもな。
そこから手を広め、今は魔術協会員からの仕事もちょくちょくあるそうだ。さすがにロードクラスは無いけれど、そこそこ名の通った家とも取引があると話していた。
そして俺にも幾ばくかの財産が入った訳だけど、それはどうでも良かった。何故なら俺が一旦マスターを断り間桐を出た事で桜は……。
あの日────切嗣さんやウェイバー君と、救出に向かった蟲蔵で発見した桜は悲惨だった。ギリギリだった。アイリさんが繋いでくれた命だったのだ。
一方、間桐を滅ぼすと決意していた俺は、葵さんに間桐でのすべてを話した。葵さんは桜の惨状を知り、時臣を詰った。その後、二人はアーチャーに見切りを付けられ殺された。
腹が立ったが相手は最強のサーヴァントだ。俺にできる事は遺体を運び出す事だけだった。まだ温かい遺体に残された僅かな血液を、アイリさんは桜を救う触媒とした。対価は遠坂での思い出と肉親の記憶だった。
寒さが日増しに強まる季節だったからか、遺体は聖杯戦争が終結するまで傷まなかった。俺は何度も胸の裡で凛ちゃんに詫びた。
教会は神父の死で、てんやわんやだった。なので時臣達の葬式の手配をしたのは俺だった。そして禅城に電話を入れた。凛ちゃんを支えてあげて下さいと。
お祖父さんとお祖母さんは桜も引き取れないかと言ったが、記憶を失っているので盟約云々を差し引いても無理だからと話せる範囲を話した。
そして凛ちゃんに贖罪を兼ねて、お祖母さんに俺が受け取った株を全部預けた。現金は桜のために残してある。
たった一人を救うのにここまでしなければならないのかと、切嗣さんはショックを受けていた。今のあの人が形作られたのは、あの聖杯戦争があったからだと思う。そしてそれは俺も同じだった。
魔道を嫌った俺だったけど、結局俺は魔術が少しだけ使える情報屋になってしまった。俺の情報収集力を切嗣さんが買ってくれたのだ。
それに何より桜を食べさせなきゃいけない。病院に入れ、気力と体力が戻れば小学校に通わせなきゃいけない。いつかアイリさんの掛けた術を、安全に解ける魔術師を探さなきゃいけない。
だから俺は迷わなかった。冷たくなった葵さんと時臣。彼らに俺は誓ったのだ。
熱を出せば付きっ切りで朝を迎えた。お風呂に入れてあげた。下手くそな食事を作ってあげた。洗濯やアイロン掛けの指南本や料理のレシピ本がやたら増えた。小学校の入学式は恥ずかしかった。慣れない格好に照れたんだ。
やがてジャーナリスト時代の貯蓄が底を突く頃に、仕事が軌道に乗った。切嗣さんから独立して、じゃんじゃん仕事を入れた。頑張る桜の手のあかぎれを見て家政婦を雇い、高学年になるまで面倒をみて貰った。
寂しいだろうに桜は何一つ文句を言わなかった。そんな子が今は家事や炊事が好きだと笑って話す高校生になった。
滅多に帰れないけれど、家の事を本当に良くやってくれている。こうやって周りを見渡せば、どこもかしこも綺麗だ。
冷蔵庫を開ければ、ちゃんと作り置きのおかずがタッパに分けられてある。明日のお弁当の副菜か、今夜の副菜か。あれこれ考えてあるんだろうな。そして無駄な食材のストックは一切無い。本当に良い子に育った。
後は士郎君と結ばれて孫を見せてくれるだけだ。そうだ、あの子達は絶対に幸せにならなきゃいけない。ならなきゃ嘘だ。なんとしても幸せにさせる。それは俺と切嗣さんとの誓いだった。
アイリさんから携帯にメールが入っていた。今日は会えなかったけれど、学校に行っている方のエルヴァさんは、二人を応援してくれているそうだ。ありがたい。
本体とも言うべきエルヴァさんとそのお姉さんのイリヤさん。この二人も若いのにやり手だと思えた。
そして魔法を得たという、並行世界の凜ちゃん……。その彼女に、凛ちゃんが弟子になったという。複雑な気分だけど、あの子には魔道が合っているのだろう。
俺も裏の情報屋となって10年を超える。魔術が汚いだけのものでは無い事も知っていた。なら、凛ちゃんにも良き出会いがあったのだと信じよう。
電話だ。
「はい、間桐です」
『雁夜君か? 衛宮切嗣だ。今夜から明日に掛けて大掃除があると思う。桜ちゃんが戻ったら家から出すな。久々だからと浮かれて外食なんて出るなよ?』
それは切嗣さんからの警告だった。となると俺はしなきゃならない事がある。もう一度冷蔵庫の中身をチェックだ。
急に帰って来た俺。当然、桜は俺のために俺の好きそうな、海外の外食に慣れきった舌をグイッと日本の家庭料理に引き戻すメニューを考える。
そうとなると冷蔵庫に足りないものは買い出しに出なければならなくなる。それはなんとしても避けるべきだろう。そこで俺はPCを立ち上げ、ネットでレシピを検索した。生活必需品のストックも確認だ。
桜が帰るまでに、俺が足りないものを買って揃えておくのだ。ついでに買い物の間に洗濯機も回しておくか。乾燥機があると本当に便利だ。
アチャ子っぽいのは有名なアチャ子ではありません。
この物語はプロットの前に下敷きとなる拙作の未発表同人小説があり、そこで白い方のエルや魔法使いの凜の世界を描いていました。
(妹弟子となる凜や士郎を並行世界から連れ帰った後の文章が残っていますが、会話形式のテキストで5MB分あります。それ以前のものが消えたのが残念です)
そこには何人ものイリヤを出していました。これはUBWでのイリヤ救済を願ってでした。
そこからHFのイリヤ救済を求めて生まれたのが今回の英霊イリヤの素である、聖杯を閉じたイリヤです。2005~6年頃の事でした。