調整槽のホムンクルスは人のカタチをなさず、自我も意思も持たない肉の魔力タンクだったとシロウさんの思考を読んだ。お父さんの頭の中も同じだったので間違いないだろう。
なら必要以上に追う必要は無い。案の定、ゴルドは計算通り逃げてくれた。これに凝りて野心は捨てると思う。けれど相方のバズとかいう奴は、思考を読めばゴルド以上の野心の塊だった。
どこにアピールしたかったのかと思えば、今回の事は非合法な犯罪者集団の入団テストだったらしい。勿論、アサシンを放った。体育祭、運動会が終わった翌週の月曜か火曜には帰る予定なので、それまでに潰せと命令を出した。
何故なら私とエルヴァを追って、衛宮切嗣に行き着いたからだ。それを手土産に組織へ。きっと時間を掛け、そこのトップを狙っていたのだろう。
そんな事を私が居るのにさせるものか。誰にちょっかいを出したのか思い知るがいい。
そして今夜。ガイアの守護者となった並行世界の姉が感じたという、第二のグループを追い込むべく狩りを行う事に決定した。
5時間目が終わろうかという時、私は凄まじい悪寒に襲われた。鳥肌が立ったとかのレベルでなく、背中に氷でも入れられたかのような感覚だった。
声を上げそうになったのを堪えられたのは奇跡だろう。同じ教室のルヴィアが、これまた私と同じ顔をしていた。休み時間に彼女と話した。
「何だったのかしら?」
「わかりませんが、何らかの大掛かりな神秘が行使されたのだと」
私達が真相を知ったのは、オーギュストさんのクルマに乗った後だった。オーギュストさんからの報告を詳しく訊くために、戻ると白いエルヴァに声を掛けた。
「宝具の攻撃があったってマジ?」
「ええ。でも、もう終わりましたよ」
「終わった!?」
相変わらず素早いヤツだ。とは言え、相手の攻撃手段を聞いて肝が冷えた。ルヴィアなんて真っ青だ。冬木山の上にある神社の屋根の上から、ここまでを弓矢で? それも凄いのだが、9連発の宝具を2回連続だなんて。なのにそれを取り込んで皆んなを護ったコイツの宝具。
倫敦以降、私とルヴィアの感覚は麻痺していた。それが漸く治り掛かっていたところにこれだ。再びワケのわからない気分になった。
呆れたとか怖いとかの感覚では無い。いや、それもあるけれど、足が地につかないとでも言うのか。とにかく落ち着かないのだ。これを後で師匠に相談すれば、当たり前だと慰められた。
『ルヴィアも凛さんも。大型台風や巨大地震にケンカを売る人間は居ませんよ。先輩の事は、何かの自然現象だと思えば良いです。その方が楽になりますから』
並行世界を渡る魔法使いにこれを言わせるのか……。
中・高等部の正門を出て、すっかり閉まっている小学部の正門前を通り越すと反対車線にクルマが待っていた。今朝も学園に送ってくれた、ルヴィアのランエボだ。
並んで歩く士郎クンの頭の中では、お父さんの敵が家族を狙っている事になっている。そしてクルマを運転するルヴィアを、ルヴィアにそっくりな姉だと思い込んでもいる。
どちらもエルの暗示だけど、私を傷一つ付けずに護れた事が自信に繋がったのか、或いは姉さんの指導がここに来て実を結んだのか。きっと両方が噛み合ったのだろう。何れにせよ、今日の士郎クンの射は見事だった。
いつもの海が見えるコーナーを下って行くと、サーヴァントの気配が濃厚に漂った。
「どうした? エルヴァさん?」
「いや……ちょっと」
私がビクッとしたので、士郎クンが怪訝な顔をした。しまった。要らぬ心配を掛けてしまう。
「大丈夫。感じられたのは味方の気配ですわ」
「味方?」
午後にエルが敵の宝具を取り込んだのは気付いていた。午前中から美遊ちゃんの士郎クンが、ランスロットさんと学園を見張っている事にも気付いていた。士郎クンだけが料理の修行で家に戻ったのもわかっていた。
そんな私が驚いたのは、そのサーヴァントの気配が昨夜の襲撃の時に感じた気配と似ていると思ったからだ。となると、エルは私の知らない英霊を隠し持っていた? 彼女と別れてから何日になる?
あのMR-Sの事もある。だから新たな英霊を、どこかから連れ帰ったのかも知れない。それともこちらに来てから召喚したのだろうか?
気配がどんどん強くなる。私の緊張をよそに足回りの感触をチェックしているルヴィア。ここに来るまでにガソリンを給油し、タイヤショップで昨夜のタイヤを履き替えたのだろう。
やがて民家が増えて来るところで、横道からEG6が出て来た。
「え? あのドライバーってエルさんか? イリヤさんか?」
「違いますわよ。味方と先程申しあげた方ですわ」
私は振り向いてリアウィンドウを見た。あの銀髪に紅い瞳はエルでも姉さんでもない。間違いなくサーヴァントだ。私達にそっくりな……。
思い当たる事が一つある。きっと、彼女はガイアの守護者だ。お兄ちゃんの記録にあった、並行世界で英霊になってしまった哀しい姉……。間違いない。だけどどうやって喚び出したのだろう?
冬木の聖杯戦争に於けるサーヴァントは、基本座を持つ英霊しか喚べない。だけどこれだけの儀式なので、抑止には来て欲しくない。なのでそういうフィルターが、大聖杯のシステムに組み込まれている。
過去これを破ったのは遠坂凛だけなのだ。それは偏(ひとえ)に召喚者と同じ触媒を被召喚者が持っていた偶然からだ。ではイリヤスフィールを喚ぼうとすれば何が必要だ?
一つ、召喚場所はたぶんドイツの城。それも工房だ。完全に破壊されていなければ、おチビちゃんやクロエちゃんやエルヴァちゃんの姉妹となる卵子が残っていた可能性が高い。
二つ、午後の宝具は『射殺す百頭』の二連撃だと思われる。となると召喚日と召喚陣も同じで、先にヘラクレスが召喚されていただろう。つまりヘラクレスも触媒だった。
これだと思う。条件が揃い過ぎている。手が空けばドイツに渡り、工房の卵子を回収しよう。
「姉さんは?」
「お部屋でお休みですわ」
コンフリクトか……。ルヴィアの態度で大事に至っていない事はわかるが心配だ。
クラスは……アーチャー……。ドライバーは困った風な笑顔を返した。ああ、クラスを読み取ろうとして思わず睨んでしまったからだ。
愛想笑いを返すと、とても嬉しそう。手を振って来たぞ? 姉さんもアーチャー化すれば、ああいう感じになるのかな?
そっか、逆も言えるのか。やっと姉さんやエルが、私を不思議がる意味がわかった気がした。
ルヴィアにお礼を言い、士郎クンとともに家に入った。帰宅の報告だ。今みたいな状況下に、これを忘れると皆んなが心配する。
その後、ルヴィアの家に向かったのだけど、カーポートのMR-Sがルヴィアの家の前庭にあった。そこでエルと先程の英霊が一緒になって、クルマの屋根を外していた。
「何を?」
「囮の人形を用意して、オープンカーで走らせます。そして狙って来る者をアーチャー四人で狙撃です」
つまり素っぴんの人形とドーランを塗った人形二体を同時操作し、クルマを走らせ囮にするらしい。そこを私とお兄ちゃんに美遊ちゃんの士郎クン、そして彼女の四人で待ち伏せるのだ。この人形の使い方をデコイと呼んでいる。
何度かやった事はあるが、操作中の人形が死ぬと結構クるのだ。以前爆殺された事があるが、しばらく動けなかった。あんな体験を自ら進んでするのか。
エルは本気だ。その怒りの理由を聞いて納得だ。敵の喚んだサーヴァントはやはりヘラクレスだった。それもアーチャーとアベンジャーの多重クラス召喚。
魔力タンクにホムンクルスが。宝具2発で30人は使い潰されたという。その魔術師は倒したらしいが、新たな部隊というのがムカつく。きっとその魔術師と繋がっていると読めるからだ。
だからエルは頭に来ているのだ。組織の壊滅にアサシン50人を、その組織がある国へ既に向かわせたと彼女は話してくれた。
となれば、冬木に入ったそいつらを潰せば終わりだ。そう考えれば、確かにこの囮作戦は手っ取り早い。
「これ、外した屋根はどうするの?」
「私が取り込みます」
「はい?」
空間にスポッと消える屋根。ポカ~ンとしている。不思議だろうな。私はエルに、学園襲撃時の判断力の甘さを相談した。
答えはアッサリ得られた。生理だった。痛みやだるさが無い分、そういう現れ方をするようだ。こういうのは個人差があるだろうし、症状も人それぞれだ。わかっていたのに、自分の事となるとわかっていない。魔術師失格だ。
「始まったと聞いてから、既に3日は経っています。今日、明日には終わるでしょう。体育祭は大丈夫ですよ」
「……ああ……」
これを聞いていた、英霊の姉さんが驚いていた。
「あなた、生理があるんだ?」
「ええ……」
「良いわね。私は18歳で英霊になっちゃったから。おまけにその年齢まで生理がなかったのよ」
「小聖杯ですね。ですが、その体格もそうだったのですか?」
「ううん。これは英霊になってからね。初めて見た時ビックリしたわ。けれど、あなたのお姉さんや元のあなたも成長してるじゃない?」
「とは言え、平均的高校生女子の身長から見ればホビットですよ」
「ハハ……トールキンね。生前、良く読んだわ」
「もしかして、『ナルニア国物語』や『はてしない物語』に『モモ』なども?」
「ええ、好きよ。ドイツ人なら一度はエンデを読むでしょう? ジム・ボタンなんてワクワクして読んだわ」
「ファンタジーがお好きなのですか?」
「ええ。けど、『ウンディーネ』は最初に読んだのが子供の頃だったから難しかったな」
姉と好みが同じだった。深い森の中の雪の結界に閉ざされた万年冬の城。そこから出ない生活は、本から外の世界を空想するしか無かったのだ。
この人も姉だった。だからコンフリクトがキツイのだ。でも、『ウンディーネ』が出て来るとは。読書家のちぃ姉さんとも似ている。ドイツ系ファンタジーが好きなら、『暁の円卓』や『盗まれた記憶の博物館』なんてどうだろう?
私はアーサー王を研究していた関係で、どうしても英国物が多いけど、アメリカのファンタジーも好きだった。そこからSFにも手を出し始めたのだ。だから姉も、私の影響でブラッドベリは読んでいる。この人も好きそうだなぁ。
第三者視点から言わせて貰えば、アハトはこと聖杯戦争に関してはボンクラだ。
典型的な研究者タイプの魔術師だったので、実戦に於ける臨み方を知らなかったのだ。第四次で衛宮切嗣に裏切られたからと、マスターたるイリヤスフィールに、従者が二人? しかも深山町の商店街をウロウロ。
すれ違いざまに刺して終わりだ。バーサーカーを喚ぶ暇も与えず殺せる。こんな調子なので私はアハトを嫌っていた。けれど、姉もちぃ姉さんもアハトの悪口を言わない。姉なんて隠居させたアハトと今だに交流がある。
母はアハトにとって数ある鋳造作の上位の作品でしかない。けれど姉は偶然に近い奇跡だった。そしてそれだけに及ばず、アハトはアハトなりに姉を愛していたのだ。だからあんな山奥でも、姉が読みたいと思う本を買い与えていたのだ。
これは読書好きなイリヤスフィールに聞けば、皆んな同じ答えだった。アハトを憎む、或いは距離を置くイリヤスフィールは、巫女の姉のようにゲーム好きか何か別の好みがある場合がほとんどだ。
そして自然の触覚として、亡き母を身近に感じても、戻らなかった父には厳しい。これはファザコンの裏返しでもあるけれど。凛にせよ士郎クンにせよ、私の周囲はファザコンが多い。
では、今度本を贈りますよと話せばたいそう喜んでいた。名前の交換もしていない事に気付いたのは、とっくに意気投合して食堂で食後のお茶を飲んでいた時だった。
いつものバス停を降り、真向かいのマンションを見上げました。電気が点いていない事を確認……。いえ、誰かが待っていてくれないかなと期待して見上げちゃうんですよね。
すると、その日はなんと電気が灯ってたんです。驚きました。ロビーに入ると、管理人さんから呼び止められました。
「あ……。空き巣ですか!?」
「違う違う。お父さんが帰ってるよと言いたかったんだよ」
「ああ……怖かった……」
私は管理人さんにお礼を言い、エレベーターに乗りました。最上階の一番角。小さなテラスとアプローチが付いたマンション。
もう、ここに越して10年が経ちます。いつもの癖で自分の鍵で開けようとすれば、カチャリとドアが開きました。枝豆が揺れています。
「おかえり、桜」
「ただいま、お父さん」
なんとお父さんはこんな時間からの買い物は危ないからと、食材を買って来てくれていたのです。
「リクエスト、ありますか?」
「うん。和食も良いけれど、桜のシチューが食べたいな」
「暑くなって来ているのに?」
「だって桜のシチューを我慢して我慢して、仕事をしてるんだぞ?」
だからそんな優しいお父さんに、真心を込めて得意なシチューを作りました。
お父さんと私は血が繋がっていません。私はどこかの魔術師の家から養子に出されたらしいです。
そうです。間桐も昔は魔術師の家だったんです。ですが私が貰われた翌年に先代がお亡くなりになり、跡継ぎでその頃の養父だった、鶴野伯父さんが魔術師を辞めると決定したんです。
なので私は魔術師の血は引いていますし、魔術の存在も知っていますが、魔術師ではありません。また鶴野伯父さんは英国への移住を決意し、私には日本に残り弟の雁夜の養子になりなさいと言いました。そこからお父さんと私との生活が始まったのです。
幼い私は鶴野伯父さんに嫌われたのかなとお父さんに言いました。けれどお父さんは、『兄貴は本気で魔術師を辞めるんだよ。桜にも普通の子として育って欲しいから日本を離れたんだ。兄貴も俺も桜が大好きだから、気にしないで』と、そう言ってくれたんです。
ですから私は魔術の事を何も知りません。だから誰にもこの事を話しません。今は従兄妹となってしまった慎二さん。お兄ちゃんと呼んでいた記憶が薄っすらとありますが、そんな慎二さんには、可愛い恋人がいるそうです。
「どんな人?」
「金髪で青い瞳の可愛い子だよ。面食いだよな、あいつは」
「うわぁ。お元気でした?」
「元気、元気。そのせいで日本語が益々怪しくなってるよ」
「英語の成績、良さそうですね?」
「向こうじゃ国語だろう?」
「そうでした……。そうだ、お父さん。弓道部にとても素敵な先輩が入ったんですよ」
「へぇ、どんな人?」
「2コ上の3年生ですけど、格好良くて腕前が抜群なんです」
「あれ? 士郎君から鞍替えかい?」
「ちょ、ちょっとお父さん! 女の人! 女の先輩ですから!」
「そうなんだ?」
「はい。優しくて弓が巧くてお料理上手で成績抜群で運動神経も良くて部の雑用も率先してなさる素敵な方なんです!」
「息継ぎしなよ? そっか、でも好い先輩なんだね?」
「はい、アインツベルン先輩は良い人です」
「留学生?」
「このお名前でピンと来ませんか?」
「いや、同姓かなと思って。もしかしてイリヤちゃんと近しい人?」
「そうなんですよ。従姉妹だそうです。見ていると姉妹も同然ですけど。お父さん、本当はご存知だった?」
「バレたか。切嗣さんと先に会っていたから。そこで聞かされたんだ。でも、その先輩とはまだ会っていないよ。誓ってそれは本当。けど良い人かどうかは知らなかったからさ。桜が気に入るような人で安心したよ」
「それでお父さん?」
「何?」
「次の次の日曜日に、先パイの家でお料理を教わるんですよ。ど、どうしましょう?」
「今の先輩は士郎君で、教わるのはエルヴァさんからか」
「お名前までご存知だったなんて……」
「ゴメン、ゴメン。けど、良いんじゃないか? ネックだったイリヤちゃんも変わって来たと聞いているよ。エルヴァさんには感謝だね?」
「……はい。もう~、何でもご存知なんだから……」
「それがジャーナリストってもんだよ。取材先は言うまでもないけど」
「これこれ。ネタ元は明かせないのが、ジャーナリストの仁義でしょう? 匂わすだけでもダメなのでは?」
「参ったな、その通りだ。ハハハハハ……」
「それでですね。その……。アインツベルン先輩がお姉さんだったらなって……」
「……そっか。本当に良い人と会えたんだね……?」
桜に促されて先に風呂を頂いた。彼女が入っている間に軽くウィスキーを呑んでいた。兄貴に土産として持たされたスコッチだ。
今の兄貴は昔みたいなアル中じゃない。相変わらず酒好きだけど、節度をもって楽しんでいる。そんな兄貴が選んだウィスキーだ。
アイラモルトは知ってるし色々試している。けれど、このアイリークは初めてだ。メーカーはザ・ハイランズ&アイランズ・スコッチ・ウィスキー社? 知らないなぁ。
以前貰ったスモークヘッドみたいなものかな? あれも正体はアードベッグだったんだよな。となるとこれもラフロイグやラガブーリンだったりしてな。
ふむ……コイツは確かにスモーキーで美味いな。けど……エルヴァさんがお姉さんか。喜ぶべき事なんだろうけど、笑えねぇな……。凛ちゃん……本当にゴメン……。おい、兄貴。このウィスキー、アルコール抜けてんのか?
「あ~。お父さん、飲み過ぎ!」
「え? あ~……。って、早くパジャマか何か着なさい!」
そして後一杯だけという約束で、桜が用意してくれた肴を摘みつつグラスを空けた。ボトルは半分空だった。
デコイ二人を乗せたMR-Sが門から出て行った。
「壊さないで……」
思わず両手を組んで祈ってしまった。それを見てクスクス笑う、クロちゃんとクロエちゃんに、英霊の姉さん。私もとっくに礼装姿だし、横には士郎クンもお兄ちゃんも居る。全員似たり寄ったりの格好だ。そりゃ変か。
「僕もそういうコスプレしようかな? 冬木防衛家族みたいな」
「パパがするとアサシンになるからダメ」
「なんでさ……」
クロエちゃんに指摘されたお父さんはお兄ちゃんの口癖を唐突に出した。取られたお兄ちゃんは苦笑していた。あ、これ士郎クンの口癖でもあった。お父さんはそっちで癖になったのかな?
「とにかく、クロちゃんとクロエちゃんは、おチビちゃんやイリヤちゃんに美遊ちゃんとここを死守。部屋で休んでいるイリヤ姉さんと、霊脈と繋げているので動けないエルを護って下さい。凛とルヴィアは、後学のためにルヴィアのクルマに同乗して冬木を巡回。下手に手を出さず、観察者に徹して。凜とルヴィアには、この二人を任せますね」
「了解!」
「お父さんは士郎クンの足を。シビックを借りていますので」
「わかった」
「では、行きましょう」
結局、24時間営業のガソリンスタンドで2回給油しても、MR-Sが襲われる事は無かった。
あったのは──蛇行運転と煽り運転をしていた、イカれた人の口に、お父さんが銃身を突っ込んで黙らせ、免許を取り上げ昏倒させた事。
四人乗りでノーヘルのバイクの前輪を、私がバーストさせた事。居眠り運転していたトラックのルーフを士郎クンが貫き、ドライバーを起こした事くらいだった。お兄ちゃんも何かしたらしいが口を割らない。
エルはお父さんを叱り、私にバカと言い、士郎クンを褒めた。士郎クンは矢をしっかり破棄していて、証拠隠滅を完遂していた。私も畑に落としたんだけど。ノーヘル相手にやり過ぎたらしい。
お父さんに至っては煽られていたクルマを逃し、煽っていた野猿を引き摺り降ろして彼我の差を示し、矮小なコミュニティの中でしか自己を保てなかった相手の目を覚ましたのだ。意味があったと思うのだけど?
「エルヴァは知らないでしょうが、その男は登校中の子供の列に突っ込み、三人轢き殺しています。事故で処理され、無罪放免。のうのうとそんな煽り運転をするゲスですよ。ここに来る前に、あちらの世界では二度と運転できない体にしてやりました。仲間の何人かも最悪でしてね。一人は南極の極点で放置しました。衣類も食料もある程度置いて来たので、知恵と根性があれば生きて帰れるでしょう」
この極点が嘘で、本当はチリの片田舎に置いてきたのだそうだ。言葉も通じない、海外の見知らぬ土地に投げ出される。これはかなり恐い。けれど、以前は私もやっていたのだ。だから非難できる立場では無い。
叱られた理由がやり過ぎでなく、物足りないからだったとわかったお父さんは複雑な顔をしていた。そりゃそうだろう。そこまでの悪党だと見抜けと言う方が無茶だ。
ともあれ楽観はできないが、襲撃は終わったと見て間違いないだろう。最初のグループを全員捕らえたのが大きかったのだと思う。
それにお父さん曰く、アルさんの戦い振りを見ていたなら諦めるだろうと。感情抜きのチカラだけを話せば、僕だって君達の相手は御免蒙ると話していた。プロだから戦力差はきちんと把握するよとも。それはそうだろうな。
それに来週になれば、アサシン達の成果がどんどん明るみに出る。そうなれば指示した者、支持した組織も黙る他はない。特に今回の敵をエルは重要視し、背後の組織を潰せとアサシンに命令していた。
おそらく海外で陣頭指揮を執っているのは、MR-Sに乗らなかったもう一人だと思う。あのタイプの人形には、魔術回路も刻印のレプリカも持たせてある。捕らえた者から片っ端に掌握して、組織をズタズタにするのだ。
非合法な組織ほど掟を重んじる。有名なマフィアの血の掟などがそうだ。あれが守られるのは、組織が個人を護るという絶対的な安心感が長い歴史の中にあるからだ。
だけどその組織を構成するメンバーが、掌握されればオセロのように次々と寝返る。昨日の友や仲間が敵となるのだ。こうなると築き上げてきた信用も信頼も簡単に崩れる。
そしてある者はミャンマー辺りで、せっせと生涯を懸けて忘れられた地雷を掘るのだろう。またある者はメキシコに渡り、麻薬カルテルを潰しに行くのだろう。そして死後は守護者確定だ。
「残りの人生を懸けるに足る、人類のための大いなる目標を与え、死後の永久就職先も用意する。優しいでしょう?」
どこがだ。兄とともにツッコませて貰った。お父さんに至っては、呆けてしゃがみ込んでしまった。
それはそうだろう。まさか自分がやりたかった事を他人に、それも敵対する相手にさせて、世の中を平和にしようなんて考える者が居るとは夢にも思わなかったろうから。
そしてエルはこう思っているはずだ。幾らお題目が高尚で尊かろうと、そんな七面倒臭い事は金を払ってでも他人にやらせるべきだと。人生は一回こっきり。自身の生活を楽しんだ方が勝ちなのだから、と。
私も元はエルであったから、極端な──妻を聖杯にしても良しとするお父さんや、誰に理解されずとも己が理想を貫こうとするお兄ちゃんを思えば、彼女の方が正しいと思う気持ちが七割以上ある。
この二人に共通するのは売れない作家、或いは前衛芸術家と同じなところだ。それって誰が評価するの? 誰も知らなけりゃ無価値どころか余計なお世話だと思う。組織立てて財団に出来なかったところが限界なのだろう。
エルは腹の中でこうも考えていると思う。組織化しないのは永続的な活動が無理だと考えているから。つまり、それが成される事を一番信じていないのは、極端型のあの二人だと。
これは私もそうだと思う。誰よりも正義を信じていないのは、あの二人だ。
「イリヤ君が君達の世界に独裁国家や共産国家が無いと言ったが、それはもしや?」
「礼装併用で私が3千万、デコイが各々1千万。合計1億人を動かし無血革命を起こさせたのです。期間は1年。私が中3の頃の話です。新聞には1年革命とか、無血の平和革命として持て囃されていますよ。メディアもキー局を中心に、こちらの息が掛かった会社にほとんど変わりました。各国の政治家も六割はこちら側です。あの世界では、二度と戦争は起こさせません」
とうとうお父さんは大声を上げて泣いてしまった。仕方ないと思う。セイバーやお兄ちゃんですら、それが正しいのかどうか判断も判定もできないのだから。
1億人ともなれば一人一人の掌握量は薄まっている。けれどその人達が皆んなビリヤードの玉なのだ。周囲の人を弾きながらポケットに入れて行く。
最初は効果が弱くとも、2~3ヶ月も経つと雪崩のように一気に変わる。この影響力は凄まじい。
それは選挙でもそうだし、彼女の会社が扱う商品にしてもそうだった。彼女が気に入らない政党はどんな国でも2年保たないし、そもそも立候補しても当選しない。また、彼女が企画して売り出す食料品は呆れるほどにバカ売れする。
何か麻薬でも入っているのかと訝しむほどリピーターが多いのだ。実際、研究はしっかりされているので美味しいのだけれど。
かつて世界を手中にしたと言われる王は、こうアルトリア姉さんに言った。
『掌に収めるとは、このような事を指すのであろう。実に愉快であるな』
そのアルトリア姉さんの旦那様が、英雄王だ。私の方のセイバーには絶対に言わないけれど。そう、私やエルに姉さんの義兄は英雄王なのだった。
エーデルフェルト冬木別宅の大浴場────
私とルヴィアは師匠に誘われ、お風呂に向かった。師匠とは二度目だが、ルヴィアとは結構付き合いが長いのに初めてだった。脱衣所というか、ドレッシングルームで先客が居る事に気付いた。誰だろう?
「ああ、この下着は先輩ですね」
「エルヴァさんですの?」
「いいえ、エルさんの方です」
師匠が言い直した。この頃は白い方がエルで、褐色の方がエルヴァだと私達も認識していた。そのエルの衣類の横には、別の人の衣類があった。このでかいブラは……。
浴室に入っても姿が見えない。どこだ? かけ湯をしていたら、奥に備え付けられたサウナから、真っ赤っ赤になったエルとルヴィアが飛び出てきた。ザブ~ンと水風呂に飛び込む二人。心臓麻痺を起こすわよ?
だけど……。エルヴァに関しては倫敦で気付いていたけど、エルにあっちのルヴィアに、師匠までがツルツルだった。
「師匠、あの世界では気付かなかったけれど、お手入れし過ぎじゃないの?」
「先輩やルヴィアに釣られてやっちゃったって感じです。けれどヨーロッパではこういう人が多いですよ」
色々聞かせて貰らうと本当らしい。現に私の方のルヴィアもかなり刈り込んでいる。しかも菱形だし。これデザイナーにして貰うの?
まぁ、西欧人は体臭がキツいし、ビデが常設されている国もある。清潔に保つ意味もあるんだろうなぁ。
こうなると以前聞かされた毛根が死滅するクスリというのが便利そうだ。
「実は私、生まれてこの方1本も生えて来ないのです。ホムンクルスの血なのかなぁ」
ウソだろ? じゃ、イリヤさんも? なんか怪しい。
「それで何をしていたの?」
「密談ですよ。美遊ちゃんのお兄さんについて」
「うん?」
「今後の事ですわ」
「それは私が決めますわよ」
「ええ、それは承知の上ですの。あなたのエーデルフェルトが掴んでいるならよろしいのですが、もしそうでないならあの士郎に向いた良い仕事がありますのよ。それが上手く行くかを検討していましたのよ」
「それは?」
「旧ソ連に接収された、ナチスが欧州各地から集めた呪体や礼装、それに刻印ですわ。時々オークションに出たりしますでしょう?」
「ああ……確かにございますわね」
「ナチスが集めたもので発見されたものは、各地の協会や協会員が保存しています。ですがまだまだたくさん残っていますのよ」
「ええ。何十万点もあると言われますものね?」
「そうです。それをお探しなさいというお話ですわ。多少の危険はありますが、誰かと戦うものではありません。それにそれを見付ければエーデルフェルトの大いなる財産になります。何よりあなたとしても甘い感情を捨てて、士郎を活かせるでしょう?」
これは衛宮君に楽な仕事を与えて、無理矢理大きな成功報酬を与えなくて済むという話だ。
そんな事を繰り返せば、一族の間でルヴィアの立場が悪くなる。何より衛宮君に失礼だ。だけど、旧ソ連が持っていた呪体となれば難易度に見合った報酬が見込めるし、用意できるのだそうだ。
何故ならトラップ云々で危険度が高いのでなく、ソ連崩壊で各地に散らばったので、探すのも集めるのも手間が掛かるからだ。また、この呪体は既に加工されて礼装となったものがほとんどなのだという。
つまりエーデルフェルトで加工せずとも、簡単な点検だけで即売買が利くのだ。そしてエルの方のルヴィアはその探索をライフワークにしており、エルの協力の下、かなりの数を集め終えているのだという。
勿論エルの方は刻印目当てだと断言していた。それはそうだろうな。他家の刻印なんて、普通は使えないしどうしようもないもの。
そしてルヴィアは、その発見場所や既に入手している相手との交渉方法、買い取り金額に売却金額をリストアップできるとも話していた。
これなら私もルヴィアも手伝えるし、エルが向こうで持っているであろう、呪体や霊脈、鉱床などを調査するついでに仕事ができる。何より道を外した魔術師を追う、ハンターのようなリスクが無い。
衛宮君に対する魔術面はルヴィアと私でフォローできるし、その期間は魔術然り、料理然り、色んな意味で彼の勉強になるだろう。
また、ルヴィアと私の仲がより良くなると思える仕事だし、ルヴィアにしてみても衛宮君との仲を深めるチャンスだと言える。
正直、ナイスなアイデアだと思った。ルヴィアまでが目を大きくして何度も頷いている。これで決まりだろう。しかしこんな事を高温のサウナで考えていたとは。侮りがたしフィンランド人。片方はスイス人だけど。
「マッピングをお願いしても?」
「ええ。パソコンを貸して頂ければ一両日中に仕上げますわ。高等部を卒業してからでも構いませんが、もし可能なら夏休みから動けるように計画を立てれば良いでしょう」
「ありがとうございます。それで、対価はいかほどご用意すれば?」
「そうですわね……。エル姉様、どう思われます?」
「同じエーデルフェルトでも、世界の違いからバッティングする部分がありません。と言いましても、現状ではこちらのルヴィアが与えるばかり……さてさて」
エルはこの時、すごく悪戯っ子な顔をしていた。なのでルヴィアは身構えてしまった。
「では、そちらのルヴィア?」
「は、はい」
「この地に於ける、遠坂家の再興を手伝いなさい。眷属は無理でも子族に組み込む事は可能でしょう?」
「はい?」
「ええ!?」
遠坂がエーデルフェルトの支族? ど、どうして?
「凜からの報告と先生の見立てで、このままではジリ貧になる事が明白です。時計塔だけでなく、他の協会も見て回り研究しなさい。そこで高等部を卒業してからで良いですから、手始めにエーデルフェルトの伝手でプラハに行きなさい」
「プラハ? どうして?」
「ハァ……。あなたとルヴィアに長子の認定が下りました。ですが受け取る条件は、放校処分と引き換えです」
「ど、どういう事よ!?」
「どういう事ですの?」
「鉱石科の教室を壊したでしょう? あれの修繕費を事務局が現代魔術科に請求したのです。それでお困りだったエルメロイⅡ先生が、エーデルフェルト理事に泣きついたのですよ。金額は400万ポンド。日本円で約6億円です。特別棟でしたし、準備室にあった呪体もかなり被害があったそうです。一応理事の顔もあってルヴィアは大丈夫ですが、極東の小さな家ですとね?」
なんて事だ……。時計塔を辞める覚悟はあったけれど、放校処分って……。
「宝石剣を見せれば道はありましたのに」
頂いた宝石剣を倫敦での交渉材料にしないでくれと頼んだのは、私とルヴィアだった。私のはエルヴァが、ルヴィアのはアーチャーが投影したものだ。それは他人の魔術であり成果だ。だからエルに断ったのだ。
きっとエルの事だから、断った事を内心で喜んでくれていると思う。
「長子と引き換えって、どういう意味なの?」
「それがエルメロイⅡ先生の慈悲でしょう。他所へ行っても肩書きは活かせるでしょう?」
「ああ……」
「そしてケンカ両成敗と言うなら半分はルヴィアにも責任があります。なので二人が今は真実友人であるならば、一緒にプラハに赴き、時計塔では学べない事を学べば良いと思います。時計塔で学べる範囲は、こちらの凜やルヴィアがゲートを潜って教授してくれるでしょう。ともかく凛。あなたは冬木だけに縛られず、もっと広い視野を持てるように世界を見なさい。凜もあなたとルヴィアの師匠として最後まで見捨てないと話しています。この旧ソ連の呪体を探す旅は、あなた達を大きく成長させる事でしょう」
そうして私とルヴィアは時計塔を退学する事になった。ショックだけれど、仕方のない事だった。要は調子に乗ってやり過ぎたのだ。
だけどこんな風に私達の事を思ってくれる仲間がいる。そういう人達と知り合え、縁が生まれた。これこそが最大の宝だと思えた。
聞けばあちらのルヴィアは既に開位で、師匠の凜に至っては時計塔でもプラハでも王冠なのだという。更には今回の件で、ここの時計塔からも王冠の打診があったという。そして二人のエルヴァは色位が決定していた。
負けてられない。落ち込んでいる暇も無い。だって、こんな人達に目を掛けられたんだから。
「なお、魔杖はそのまま返却と相成りました。それで凛、ルヴィア。凜という師匠に出会ったこの後も魔杖は必要ですか?」
確かに私もルヴィアも宝石剣を頂いているし、今後はまず必要とならない。家宝として置いていても死蔵するだけだった。
そこでエルは美遊とイリヤ次第だが、二人が中学生になるまで貸与する事を条件に買い上げると言ってくれた。1本2億円。安いのか高いのか。ただ、私としてはありがたかった。この2億は呪体探しの旅の軍資金となり得る。
それに時計塔を退学になっても、私はセカンド・オーナーであり、魔術協会の会員だ。冬木からの収入はできる限り、霊脈のメンテ費用などに置いておきたい。
そして叶うかどうかは不明だが、老後、桜のために少しでも残しておきたいと私は考えていた。けれど支族ってどういう事だろう?
「この場合の子族は支流の支でなく子孫の子と書きます。それは氏にとらわれない一族という意味です。わかりやすく言えば傘下ですね。ですが傘下と言えど眷属ではありません。本当の意味での一族に入るのでなく、エーデルフェルトの長である小父様や小母様が認め、ルヴィアが共同研究者と指名する状態を指します」
「それは単に、共同研究者と指名するだけではありませんの?」
「あなた。あなたはエーデルフェルトの跡継ぎですわよ? その跡継ぎが一族外から共同研究者を選出する意味を考えなさい。この子族とはエル姉様の策ですのよ。見事、二人が独自の宝石剣を作成し、どちらかが根源に行けたのなら?」
「ああ……。リンだけが行けたとしても、その功績が当家にも還って来ると?」
「そうですわ。一族としても鼻が高い訳です。それだけの者に目を掛けていたと。また、あなただけが行けたとしても、共同研究者なら凛も得られるものが大きいわけです」
ルヴィアだけが根源に行けたとすれば感情的にどうなるやら。けれどその後を考えれば考える程、妙案だと思えた。
「工房でのお話はこれを指していましたの?」
「さぁ? どうでしょう」
ルヴィアがルヴィアを一瞬睨んだ。だけどその後は苦笑いだった。二人の間に何かあったようだ。
「そちらもそのような契約か何かを結んでいるの?」
「いいえ。凜とは7歳からの親友ですの。共同研究者と言うより義姉妹ですわ。魔術のみならず霊地開発や地下資源の開発など、表立った事業もご一緒する場合がありますのよ」
ルヴィアに続いて師匠が言葉を続けた。
「石油や天然ガスはいつか枯渇します。ですがマナだけは、このホシが生きている限り無くなりません。ですが、そんなマナは一般人の預かり知らぬ未知のエネルギーです。これを秘匿しながら、どうこれからの未来に役立てるのか。ネットの次は資源に対するパラダイムシフトが必ず訪れます。それがクリーンな核融合なのか、マナを使う何かなのか、或いは神秘と科学をミックスした何かなのかは私にもわかりません。ですが、根源を得て魔法使いになってもゴールでない事はわかります。魔法使いだからこそ、未来の魔術師や彼等を取り巻く人々に思いを馳せませんと。人が居るから、人々が願うから神秘は現代にも残っているのです。だからこそですよ。人との縁が大切だと話したのはそういう意味です、凛、ルヴィア」
私とルヴィアは感動していた。誰よりもパーソナルな魔術師の頂点に立つ魔法使いは、誰よりもコモンセンスに溢れ、グローバルな思考の持ち主だった。
「それと、もう一つ条件を話しておきますわ」
「何?」
「何ですの?」
「二人の研究をその都度、凜に開示しなさい」
師匠に開示するのは吝かでは無いが、これは連想するに師匠だけでなく、このルヴィアも見るという事だ。私とルヴィアは顔を見合わせた。『世界の違いからバッティングする部分がない』。エルヴァの言いたかった事が段々と理解できる。
そういう事なのだ。お互いがお互いを高め合うために、四人による研究を提案してくれているのだ。確かに最初の頃はあちらのルヴィアが損をするばかりだろう。
だけど彼女はこちらの伸びしろに期待してくれているのだ。私とルヴィアは深々と頭を下げたのだった。
そして私達は別室で相互契約を交わした。ルヴィアは立場上難しいのではないかと懸念したが、オーギュストさん曰く、ルヴィアのお父様はあちらとこういう契約を締結する事を望んでいたのだそうだ。さすがだ。
ただし、署名にはエルの名も必要だとオーギュストさんは言った。つまり立会人兼見届人だ。強制力は無いが、私達に不正があればエルの面目が潰れる。だけど、彼女は嫌な顔一つせず署名してくれた。
ちなみにセルフギアス・スクロールは、異世界同位体で同じ刻印を持つのなら意味がなかった。言われてみればその通りだ。共倒れになりたくない。
それにエルの告白によれば、修復師で呪術師でもある彼女にとってのセルフギアス・スクロールは穴だらけなのだとか。呪術師としてなら呪いを無効化できるし、修復師としてなら刻印を入れ替えたりもできるらしい。本当に恐ろしいヤツだ。
だけど刻印を彼女に登録し、複製を預かって貰っている家は本当に多いのだとか。保管料は年間100万ユーロ。日本円に換算して約1億2千万だ。
時計塔やプラハの有力者やその親族に眷属。あちらの世界では彼女が居ないと成り立たないほどだという。しかもあちらのエーデルフェルトや遠坂も預けているという。つまり彼女は私達の刻印を熟知しているのだった。
ただ、見返りも大きいそうで、師匠の凜は左腕だけでなく、バックアップとして臀部にも刻印があった。ルヴィアも右腕だけでなく背中にも刻印があった。
これを画期的と思うか、他家への流出だと訝しむのか。それでも余りにも魔術界のメリットは大きいし、実績も確かなので、あちらでのアインツベルンは不可侵の家とされているそうだ。
確かに無茶苦茶を言う奴だが、造詣は深いし、基本悪人では無い。何より商売人として信用第一なので、絶対にそんな事はしないと師匠もルヴィアも断言している。
でも、だからこそと言うべきか、生命を狙われる事が多いそうだ。尽く返り討ちにしているそうだが。
更に師匠からこうも言われた。ここのエルヴァが参加してくれるかどうかは不明だけれど、エルと師匠とルヴィアの三人で、桜の事を考えると。期待はしないで欲しいので契約の後に話したのだと念を押されたが、その気持だけで私は涙が出た。
また、ルヴィアの妹の病気を治すとも。私はこの時に初めて彼女が双子だったと知った。
驚きの余り呆ける私を置き去りにじて、三人はルヴィアと話を進めていた。幼少の頃はともかく、成長した今は難しいだろうと話していたが、見込みはあるらしい。
私は何の病気かは知らないし、それがルヴィアの最大の悩みだったのだと今知ったばかりだった。桜の存在を知った時は文句を言っていたが、桜と私の関係や、桜の状態を知ってからの彼女はどこか優しかった。
そうか、お互いに妹の事で悩んでいたからか。姓の違う姉妹だと、師匠やあちらのルヴィアが言うはずだ。本当に私とルヴィアは似た者同士だ。
後日、口座に2億3500万が振り込まれていた。内訳はルビー売却の対価、カード騒動の対価、そして下ろされた500万だった。並行世界でお金を用立てられるエルの力量にも驚かされるが、律儀に500万を返してくれた事に驚いた。
あれはこちらのエルヴァだったし、私としては諦めるというより、宝石剣の対価として納得していたのに。だけどこれが彼女なのだろう。
そして3千万だ。カード騒動に対する成功報酬らしいけど、何もできなかった私が黙って貰う道理は無い。なので相手が違うが、エルヴァに小切手を渡した。彼女は苦笑いしながら受け取ってくれた。
この時の小切手は私の会社の当座預金を使えないので、銀行に頼んで預金小切手、いわゆる保証小切手を発行して貰った。高額な不動産取引をする場合の手段なので、一般の人はまず知らない方法だ。
アメリカなんかは個人口座向けの個人小切手(パーソナルチェック)が普及しているが、日本ではまず見ない。少額なら現金かクレジットカード、或いは指定日までの振込だ。
高額な振込も無いことは無いが、通帳やカード以外に本人確認書類が必要だったり相手に立ち会って貰ったりして面倒なのだ。
手数料は3万円以上なら一律400円ちょいと知れているけれど、3千万ともなると小切手の方がスマートだ。
税金諸々は受け取ったエルヴァの義務なので、当方は渡せば終わりだ。こういうのも覚えておいて損はない。
おチビちゃんやクロエちゃんの勉強をみた後にお向かいへ戻ると、いつもの顔ぶれが妙に和気あいあいとしていた。どうしたのと聞けば、随分な計画が一気に纏まっていた。
旧ソ連の呪体や礼装は良い案だと思ったし、共同研究もあの二人ならその内そうなると踏んでいたので驚きはしなかった。そもそも先日私はその礼装の一つを相手から奪い取り、エルに渡していたのだから。
だけれど、ここに凜とルヴィアが入ると聞いて少々驚いた。並行世界の呪体探しは凜とルヴィアのライフワークであり趣味だった。それらに関する情報をリストアップして譲るという。幾ら共同研究者でもやり過ぎのような気がする。
けれど凜もルヴィアもそれで良いという。一回りも二回りも大きくなった二人の妹に私は抱きついてしまった。
「エル姉様……」
「先輩……」
まだ、そう呼んでくれるのか。私は感無量だった。
そしてその契約だが、契約時のエルの立会は彼女の範疇だと思う。けれどエルがルヴィアの妹さんと桜ちゃんの事も話したと聞いて、今度こそ驚いた。
ルヴィアの妹さんに関しては、実績があるだけになんとかなる気はする。だけど桜ちゃんの記憶に関しては真剣に無茶だと思った。
私はそれよりも前に、倫敦のお姉さんとちゃんと会って、時臣の死で止まった仕送りの件と遺産の事をきちんと話すべきだと考えた。エルの腕を掴んで別室に連れ込み、その事を話すと彼女はこう言った。
「希望的観測は確かにマズいですよね。ですが試してみたい手が一つあります」
「それは?」
「あちらの桜ちゃんですよ。彼女の記憶を触媒にして空白を埋めるのです」
「まさか、ここにあの子を連れて来るのですか?」
「そうです。凜の妹の方でなく、連れ帰った凜の妹の桜ちゃんを。彼女は間桐での修練をすべて覚えています。彼女の精神力を触媒にすれば」
「ああ! それを凛のお姉さんに?」
「そういう事です。一気に纏めるならこれでしょう?」
倫敦に居る凛のお姉さんは時計党本部の事務職であり、同時に魔術師でもあった。あの家は若いが、精神世界に干渉する術に長けていた。それはエルや私の掌握術とは似て非なるもので、強制性より自主性を重んじる術だった。
今までの時代には余り意味のない才能だった。だけどもしこの先、『ニューロマンサー』のような電脳空間が本当に現れたなら、その才能は遺憾なく発揮される事だろう。
そう、あのお姉さんの魔術はそっち方面に活かせる特殊な魔術だったのだ。私もエルも新しい魔術師のあり方を見た思いで喜んだものだ。そうだ。色々と下準備は必要だが、あのお姉さんなら一縷の望みがある。
私やエルに凜はついつい並行世界での同一人物を自分達の世界での知人かのように話す悪いクセがあるが、アサシンの事前調査であのお姉さんも、自身の家の魔術をしっかり受け継いでいる事は確認済みだった。
しかも触媒があの桜ちゃんなら、むしろ上手く行く可能性が高い。それは「桜ちゃんの凜への思い」、これだけを抽出して触媒にすれば良いからだ。
真っ白な精神にこれだけを書き込む。これならここの桜ちゃんが記憶を取り戻しても壊れる心配はまず無いだろう。
私は凛だけが、お姉さんと和解するのは不公平だと考えていた。当然そこには桜ちゃんも居るべきだと。だけど、今を幸せに暮らしている桜ちゃんを慮って、無意識に線を引いていた。
そっとしておく事が最善だと思っていた。何より失敗が怖かった。だと言うのにエルは、一石二鳥や三鳥のこんな手を考えていた。私が擬似的な姉を演じ、時間を掛けて彼女に刷り込む必要は無かったのだ。
私は奥の手で、桜ちゃんに魂の改竄を施そうとさえ考えていた。だけどそれは湧き出る本物の心ではない。書き換えられた、或いは書き加えられた偽物だ。
それは私も嫌だったし、彼女も嫌だったのだろう。だからこういう方法を考えたのだ。認めよう、私は彼女に及ばない。
部屋に戻った私は、私服に着替えながら、オペラ『魔弾の射手』の前奏曲をパソコンで掛けていた。ウェーバー作曲のこのオペラは、7発中6発は狙ったところに中るが、残りの1発は悪魔が望む場所に中るとされる魔弾に纏わる物語だった。
そして中ったのは誠実な狩人マックスを策略で嵌めたカスパールの胸だった。
イタリア・オペラ全盛期に大ヒットしたドイツのオペラだ。この魔弾の伝説は本当にドイツにある。射撃をするドイツ系の人なら誰もが知っている伝説だ。
私はアーチャーの能力を手に入れたが、魔弾の射手では無かったのだ。エルならば悪魔と契約せず、7発全部を自分の狙い通りに中てるだろう。決してお兄ちゃんが悪魔だとは思わないが。
だけど、運命を切り開くとはそういう事なのだと納得した。
そしてこの日、以前からルヴィアと約束していたフィンランド料理を、専属コックのニコさんを交えて作ってみた。
元々、エルと同じアレンジレシピは持っていたのだけれど、今回は更にそれを私なりのアイデアで推し進めた感じだ。その新しいレシピをコックさんに見せて、食材の調達を頼んでいたのだ。メニューは──
その一がフィンランド風ロールキャベツのカーリカーリュレート。トマト煮でもイケるし、肉を魚のつみれにしてホワイトソースで仕立てても良い。
その二がサーモンのミルク・シチューであるロヒケイット。これだけは他の魚で代用せずサーモンで作らないと意味がない。今回のメインでもあるし、ミルクとサーモンはかなり合う。そして異国の料理なのに意外とイケると思える日本人が多いと思う。
そもそも私は世界中のどこに行こうと、シチューとスープだけはまずハズレが無いと思っている。ポトフが大丈夫なら南米でカスエラを頼んでみて欲しい。カナダでカリブーシチューが大丈夫だったらアイルランドのギネスシチューも大丈夫だ。
ともに鹿肉あるいはトナカイの肉を黒ビールで煮込んだものだ。これでトナカイの肉に慣れたなら、フィンランドのトナカイ料理にもチャレンジして欲しい。
そしてその三は、白いソースを掛けたミートボールのリハプッラ。ミートボールは世界中どこに行ってもあまり変わりはない。今回は中華料理のように肉団子を油で揚げて、ホワイトソースと焼き塩の両方で楽しめるようにした。
そしてその四。じゃがいもと肉野菜の炒め物であるピッティパンヌ。これはスウェーデンの家庭料理でもあり、北欧全土に広まっているメジャーな料理だ。
日本人にわかりやすく言えば、ジャーマンポテトのベーコンがその都度余った肉やソーセージに代用されるだけだ。後はお好みでビーツやタマネギを足して塩コショウで味を整え、仕上げに目玉焼きを乗せるだけだ。
敢えて味付けを薄くしてベリーソース代わりにベリージャムで食べて欲しい。ちょとした北欧気分を味わえるお手軽料理だ。もちろんここに様々なピクルスを添えてみた。
今回のテーマはこれらに日本の食材だけを用い、和風の味付けとフィンランドならではの味付けをミックスして作る事にあった。なので有名なザリガニ料理は出せなかった。トナカイの肉も鹿肉で代用できたが今回はパスした。
それとルヴィア以外がロンドンで辟易していたのでブラック・プディングも外した。味見はコックさんとともに何度もした。何故ならお互いに美味しいと思えるポイントを見付けたかったからだ。
彼もこれならお嬢様も喜ぶでしょうと太鼓判を捺してくれ、レパートリーに取り入れると話していた。これは当然ルヴィアのためもあったが、私なりのレシピを新しく開拓したいという願いと、オーギュストさん達にも喜んで欲しいという願いもあったからだ。
出来上がった料理は好評で、特に二人のルヴィアは絶賛してくれた。凜と凛も気に入ってくれたようだ。二人のセイバーにも概ね好評だったし、士郎クンや美遊ちゃんもルヴィアの国の料理だと知ると喜んでいた。
お兄ちゃんとシロウさんに新しい姉さんの皿も用意したが、三人はランスロットさんと夜警に出ていた。特に新しい姉さんは、姉さんとのコンフリクトを気遣って外したのだと思う。申し訳ない。
エルと先生は『美味しいけれどカロリー高過ぎ』と苦言を呈していた。確かになぁ。バターとか多いものね。これは私も気になっていた。
エルに意見を求めると、彼女はどれか一品をメインとしてカレリアパイかベリーパイを合わせてみるべきだとアドヴァイスを贈ってくれた。そうだよね。
本来素朴な北欧料理を美味しく作ろうと頑張り過ぎて、中華料理みたいなこってりてんこ盛りになってしまったのは反省だ。
なお、カレリアパイはお粥を生地で包んだパイで、味付けや工夫のしどころがたくさんある面白いパイだ。
生地をたらこや明太子で味付けても良さそうだと言われて、これまた目からウロコだった。そうだ、相手はルヴィアだ。彼女ならウケるかも。
夜、夜警の中間報告と称して、英霊の姉さんだけが帰ってきた。
「イリヤは部屋に戻った?」
「はい。すみません、気を遣わせて」
「ううん、お互い様だから。気にしないで。それに彼女は来週帰るんでしょう?」
「そうです」
「ねぇ、エルヴァ。私、ここに残っても良いかな?」
私は早速この件を、別室でお茶を楽しんでいたエルに話した。ちょうど、士郎クンも居て、彼も賛成してくれた。
「あの人とエルヴァさんに弓を習いたいよ」
「私のは邪道ですよ?」
「実戦向きだからだろう? 今の俺に必要なのはそれだから。ぜひ、お願いします」
「それこそシロウさんに……」
「シロウさんは料理と人生訓担当ですよ。それに彼が欲しいのは、弓矢の技術というより戦局や大局を観る目でしょう?」
「そうなのですか?」
「そう、それだ。正確に言うとものの見方だ。勿論、俺自身が本を読んだり、体験したりして見識を広げないと駄目な事も理解している。だけどさ……」
「こうして話せば、徐々にわかってくるものだと思いますけど」
「そこが男の子なのでしょう。とは言えエルヴァの言う通りですよ。焦ってしまうと、本当は何がしたかったのか見えなくなります。落ち着けと言っても難しいとは思いますが」
この後、エルは士郎クンと延々と話し合っていた。どうやら前々からこういう相談に乗ってあげていたらしい。学校から帰って聞いたプランも、それがあったからだろう。
もう少し秘密で事を進めたかったらしいが、とうとう旧ソ連の呪体についても話していた。案の定、士郎クンは食い付いて目を輝かせていた。私と英霊の姉さんは、やれやれと部屋を辞し廊下に出た。
「やっぱり、男の子って目標を持たないと駄目なのね?」
「駄目というか、停まってしまうと、無駄な時間に思えて焦るのでしょうね。停滞するのは私も苦手ですから、わかる気もします。だからと言って四つも五つも並行してタスクをこなすにはまだ早いでしょうし。こういうのも料理と同じですよ。毎日考えて作るから、手順の簡略化やコツが掴めると言うか。腕が上がるとはそういう事ですからね」
「そうよね~。けど、あのシロウはミユちゃんの事もあって、正義の味方なんかに憧れていないんでしょう?」
「そうです。ですから姉さんが思うような危うさは無いと思いますよ? たぶん、エルのプランを聞けばひとまず落ち着くと思います」
「そうね。それでさ、私にできる何かって無いかな?」
「それは仕事ですか?」
「仕事というか……打ち込める何かというか。知ってると思うけど、私の人生って18年で止まったでしょう? それまでの時間も聖杯になって消えろだしさ。自分でこうしたい、こうやって生きたいという意志に欠けている気がするのね」
「なるほど。何度か自己分析されたのですね?」
「そう。それでね、短期的な楽しみはさ、案外と見付けられるのよ。けれど長期的な……これが私だよってのが思い浮かばないというか……」
「そうですねぇ。ぶっちゃけますが、学校に通った経験がありませんでしょう? おまけにその状態で座を得られた訳ですし。それで他者とのコミュニケーションから得られる情報が少ないのだと思います。それを何となく生前から自覚されていたから読書好きになられたのだと。本を読むのは良い事ですよ。問題はジャンルが偏っている点ですね。いきなりノンフィクションや現代物は厳しいと思うので、歴史物や群像物を読むと馴染みやすいかもですね」
「なるほどね~。あなたと話すのが楽しいのは、こうやって今まで自分が知らなかった事を学べるからね?」
「かも知れませんね。そうだ。このまま残ると決めたのなら、アルバイトをしてみませんか?」
「アルバイト?」
「はい。それもお客と対面するアルバイト」
「ああ、なるほど。お客とも話せるし、そこから本当にしたい事が見付かる可能性もあるわね?」
「そうです。そこを期待してのアルバイトですよ。長期だと慣れない内は厳しいと思います。なので2~3ヶ月の短期で色々体験されてはいかがです?」
「良いわね~。うん、やってみるわ。それでセイバーにランスロットだっけ。三人目、イケる?」
蟲が卵を産んだ。それがなくとも私の魔力量なら八騎は支えられる事を大師父が証明してくれた。そう、私の魔力を奪ったのはハートレスだったが、それを大師父が横取りして円卓を召喚したのだ。なので凜に説明して姉さんと再契約をした。
こうして私は夏休みのアルバイト仲間を確保したのだった。私がフォローすれば、お嬢様で世間ズレした部分も何とかなるだろう。不満や愚痴も聞いてあげられるし、何よりこの人はやはり姉さんだ。この好奇心と積極性が才能だと思う。
あれをするなこれをするなとアハトやメイドが抑えなければ、どこまでも伸びる人なのだ。それに一緒のアルバイトなら、夏休みにおチビちゃんやクロエちゃんと遊んであげる時間も取れるだろう。
「でさ、明日学校に行っても良いかな?」
「ああ……体育祭ですものね。見たいという気持ちはわかります。ですがイリヤ姉さんが先客で来られますよ?」
「ああ、そっか。そうだよね。それだとダメだね」
「ふむ……。私の使い魔を貸しても、そちらには操作できませんしね……。姉さんは遠見の魔術や水盆の魔術は?」
「私は魔術師としては二流もイイとこなのよ。英霊化で願望器としての機能が上がっているから、教えてくれたらできそうな気もするけど」
それならという事で、私は姉さんを部屋に招き、遠見の魔術を教えた。遠見と言っても種類は多い。私がお教えしたいと考えているのは、アインツベルンの森の樹々に意識を移す方法の応用だ。
学園の校庭に植えられた何十本もの樹々を地脈からたどって捕まえ、そこに意識を転移して視覚を越えた超感覚の網を張る術だ。これは覚えておくと大変便利で、この術の先に霊脈探査や大聖杯のシステム遠隔操作などがある。
同じ地の魔術師であり、同族だ。しかも聖杯戦争中は森の管理をされていただろう。なので術式と座標はキスで送った。思った通り簡単なレクチャーで覚えて下さった。
「遠い昔にお母様からキスして貰って以来ねぇ。エルヴァ、今のはある意味、私のファーストキスよ?」
「え~。ドイツでは挨拶のうちですよ?」
「あなたが正しいのだと思うけれど、そういう常識が通用する家だったと思う?」
「あ~……」
「ね? あ~あ。シロウやリンを襲っとけば良かった」
何を言うやら。こうして姉さんは何かのタガが外れたのか、私とだけは家屋の中だと平気でキスするようになってしまった。本当に挨拶程度の軽いものなので誰も咎めないし、私も気にしないので良いのだけれど。