42、土曜日。体育祭
朝起きると、身体が重い。どうした事だと魔術で探査を掛けると、誰かが私の上にいた。先に目を開けろよという話だが、どうやら私は霊に魅入られたらしい。
「重い……。どいて下さい、姉さん」
「ん~……。おはよう……エルヴァ」
パジャマかネグリジェくらい着なさいよ。ブラを外してパンイチで私に抱きついていた。本当にでかい胸だな。
「おはようございます。暑くなって来たからと、レディがそういうスタイルで眠るのは感心しませんよ?」
「いや、寝顔が見たいなって思ってね。それで霊体化して部屋に入ったのよ。そうしたら電気が消えてて。点けるとあなたは起きちゃうだろうし。それで朝まで一緒に眠れば見られるかなって」
「で、見れましたか?」
「ううん。あなたに今起こされたんだもの。私の寝顔を晒しただけだったわ」
「ご馳走様でした。可愛い寝顔でしたよ」
「ありがと。ねぇ? 今日は走らないの?」
「それはさすがに。今日は体育祭本番ですから。運動前の運動はどうかと」
「うん、そうよね。走りに行こうとしたら止めようと思ったのよ」
だから部屋で添い寝をしたと。
「今日は大人しく部屋であなたの勇姿を見守っているわ」
「フフ……」
それで私の方からキスしてあげたら、満面の笑顔だった。
当たり前の家族とのスキンシップ……それをこの人は8歳で失ってしまった。だから餓えていた。だから弟というだけで衛宮士郎を受け入れられたのだ。
私は英雄王を尊敬しているが、AUOだけは許さない。必ず目を潰し心臓を破壊してやろうと思っている。それはシロウさんの二度目のトラウマでもあった。
イリヤスフィールが義姉だと知ったのは随分後だったそうだが、それが余計に目の前で殺された白き少女を忘れられなくした。
世界を救った大英雄は、今もその思いを胸に秘めていた。だから子供の頃からあの人は私達に優しかったのだ。
閑話休題。
今日はランドセルを使わない。代わりにドイターの自転車用リュックサックを背負っていく。リュックサックとはドイツ語なのだけど、本当の発音はルックザックに近い。
ドイターもドイツのメーカーだ。そのルックザックに、洗濯したての体操服やタオルに替えの下着を詰めた。そして室内に備え付けのバスルームで軽くシャワーを浴びた。その後に制服に着替えた。
小学校ではないので、体操服で登校する事は無い。無いのだが……それをジ~ッと眺めていらっしゃる。こういうなに気ない事も、この人には珍しいし楽しいのだろう。
「メイドにばかりさせていたから、自分で着替えられないとか?」
「大当たりよ。そんなボタンの多い服なんて一人じゃ着れないわ」
鏡の前で髪をブラッシングして艶を出す。手で纏めた髪を、後頭部のややサイドで捻ってゴムで留める。これを3回繰り返した。
少しラフ感のあるサイド編みだ。これは崩れにくい上に躍動感があるので運動向けなのだ。部活の弓道には向かないが、体育の時は良くやっている。
「あなたは、髪を纏めるのが上手だね~。結局さぁ、お嬢様って何もできない人の事よね?」
「自虐ですか?」
「そうそう。投影開始(トレース・オン)────」
そしてこの姉は、なんと私と同じ髪型のみならず、制服までトレースしていた。白い夏のブラウスは胸の辺りがパンパンだ。ルヴィア並に張っている。これが合服や冬服だと、ベストやブレザーを特注しないと一番上のボタンが留まらないだろう。
「お見送りまでこの格好ね。良いでしょう?」
「ええ、どうぞ」
童顔でも背が高いし、出るところが出ているのでコスプレ感が強い。髪が長すぎるのも問題だと思った。時間はまだあるので鏡の前に座らせて、タオルを肩に掛けてあげた。
髪を梳いて似合う髪型に変えてあげた。三つ編みの変形で、輪が二つあるタイプ。それでも後ろに流した二つの編み込みは腰まであった。
かなり気に入って貰えたようだ。お礼だと言っておでこにキスされた。この身長差は結構大きいなぁ。
食堂に実の姉の姿は無い。この時間はお向かいで朝食を摂っているか、セラや士郎クンと料理をしているのだ。ああ、お弁当かも。他の面々との挨拶を終えると、ルヴィアが素っ頓狂な声をあげた。
「あなた!? あなたはまさか、学園に行かれますの?」
「ううん、行かないわよ。イリヤに悪いもの。エルヴァとお揃いにしたかっただけ。だから単なるコスプレね」
「なるほど。宝石で見えるように致しましょうか?」
「ありがとう。でも、遠見の魔術を昨夜エルヴァにレクチャーして貰ったから大丈夫よ」
「そうでしたの」
「それでエルヴァは、かけっこばっかりらしいのよ。あなた達は何に出るの?」
「私はリンと組んでニニンサンキャク、そして単独でショウガイレースにカリモノレースですわね」
「辞めとけつったのに。障害はまだ良いけど、借り物競走なんてできるの?」
「宝石を忍ばせて探査を掛ければ」
「なんつう事を平然と言うのよ」
「リンは?」
「私は二人三脚と障害レース、それとクラス対抗リレーよ」
「へぇ~、二つも同じ競技なんだ?」
「だって私の腕を掴んで申告するんだもの。リレーは推薦ね。陸上部はA組に偏っているのだけど、女子は3人だけで、その内の一人はハイジャンプ専門で、もう一人がマネージャーなのよ。それでその子は運動が苦手らしいの。で、その子の推薦で」
三枝さんに推薦されたのか。渋々受けたみたいに話しているが、クラスに貢献できるとなって満更でもないようだ。
「師匠とそちらのルヴィアはどこに?」
「何でしょう? 昨夜も姉さんと部屋で何かゴソゴソしていましたから。応援グッズなど持ち込めないのは、姉さんも凜も知っていると思うので別件だと思いますが」
「ふ~ん。衛宮君はどうするの?」
「俺は明日の運動会だ。高等部は何の繋がりもないから入れないぞ?」
「そりゃそうか」
「エル、姉さん達はまさかビデオを?」
「撮影できるとすれば姉さんでしょうけど、ビデオなんて用意していませんでしたよ?」
「それはきっと、使い魔ですよ。使い魔の視野を簡易な魔力槽か何かに出力して、それを持って帰れば」
「ああ、あの方法ならいけますね?」
「はい……。嫌だなぁ……」
「エルヴァ、アキラメロン」
朝食を済ませばちょうど良い時間だった。玄関を出ればドンピシャで、士郎クンがお向かいの玄関から出て来た。
姉さんはお父さんやお母様達とクルマで向かうそうだ。門の影で英霊の姉さんが手を振っている。やっぱりこっちの士郎クンを敢えて避けてくれている。普通の子としての存在が嬉しいのは私も同じだ。
〈嬉しいと言うより眩しいのよ。家族と一緒に幸せに暮らしているシロウだよ? 任せるからちゃんと学校まで連れて行ってあげてね〉
〈わかりました〉
きっちりパスを繋がれていた。契約はしたけれど、念話のパスは必要になってからで良いと、魔力供給のパスしか繋いでいなかったのだ。大聖杯を通さない契約だとこうなる。これは寝ている間にだな。やられた。
けれど怒る気にならない。あの人は本当に私を妹のように考えてくれているのが、普段の言動に表れているからだ。また、パスからもその感情が流れて来ていた。
以前セイバーに聖杯戦争の流れが変化するのは衛宮士郎とアーチャーが同時存在するからだと説明したが、要素はそれだけでは無い。どういうタイプの人が参加するのかでも流れは変る。当たり前の事なので説明を省いたのだ。
並行世界では同姓同名の同一人物であっても、それぞれが顔が一緒の他人だ。私達人間は座を持たないので、産まれて来る時に入る魂が微妙に違うのだ。出生の際に似たカタチのものが器に合わせて自然に選ばれるだけだ。
だから聖杯を閉じるタイプの姉さんは、皆んなこの人に似ている。巫女の姉さん然り、実の姉然り。姉も聖杯戦争があったなら、家族のためになら閉じるタイプだ。
それにきっと、私から世間の常識やら仕組みやら色んな事を知りたいのだと思う。なら、回線はこのまま保持するので学んで欲しいと思う。そして折を見てマンションでも買おう。そこで姉さんと暮らそう。
きっとお父さんやお母様もその方が安心される。受肉のクスリはエルに譲って貰って、二人で旅に出て、あの城では見れなかったものをたくさん見せてあげよう。
「士郎クンは何の種目に出場でしたか?」
「棒倒しの棒を支える係、台風の目のポール側、騎馬戦で馬の前側」
「救護テント行き確定?」
「言わないでくれって。けど、何でこうなったんだろ?」
「さぁ?」
流された訳でもなく、他薦からの強引な多数決で決まった訳でも無いらしい。となるとそれは運命だよ。幸運Eの本領発揮だなぁ。
「よし、キミの屍は私が拾いましょう。心置きなく玉砕して下さい」
「なんでさ~?」
「桜ちゃん、保健委員でしょう? 知ってますからね」
「そ、それとこれとは関係ないぞ?」
「ま、体育祭実行委員を逃がれられただけマシですか?」
「そうだなぁ。けど、大会や試合が終わった秋の文化祭は、運動部員の文化祭実行委員が急増するんだよ。だからあっちは危ない気がする」
「つまり体育祭の実行委員は文化系の人が多いと?」
「学園は毎年そうだよ」
「ま、双方のスケジュールから鑑みてもそこは仕方ないですね。そうとなれば、秋は柳洞クンが引き込みそうですね?」
「だよ……」
正門を潜ると、校舎の4階から2階までにデカデカと『体育祭』と垂れ幕があった。使い回しなら良いけど、新規制作だと大変だろうね。
「エルヴァさんは梯団が赤なんだよな?」
「そうですね、A組ですから。凛やルヴィアと同じですよ。そういうキミはC組なので1-Dの桜ちゃんと同じ?」
「そうなんだよ」
「うっわ。私の超絶ブルマ姿で、上書きしてやる」
「何言ってんのさ!?」
「冗談ですよ。じゃ、ここで。お互い頑張りましょう!」
「ああ!」
手を上げたらきちんとハイタッチを返してくれる。かなり女の子慣れしてきた。良い事だ。
下足室の扉の陰から恨めしそうにこちらを観ているのは、士郎クンと同じ2-Cの森山奈菜巳さんだった。おチビちゃんやクロエちゃんの同級生、森山那奈亀ちゃんのお姉さんだ。
私以外で士郎クンを衛宮君でなく士郎君呼びする大胆な子だ。大人しそうだけれど衛宮士郎ファンクラブのナンバー2が彼女だろう。
そして私が知りうる限り、学園の女子で士郎クンに好意を寄せている女の子は十人を越える。あの朴念仁は自覚がないけれど、結構モテるのだ。
そのファンクラブのトップに君臨するのが桜ちゃんなわけだけど、実は二人が交際を誤魔化しているのは、お互いが恥ずかしがり屋な面もあるが、妹のおチビちゃんを刺激しないようにとの大人な配慮も理由にある。
と同時に、この状況を桜ちゃんが望んでいたりもするのだ。
どういう事かと言うと、ナンバー2以下を煙に巻いて、恨みを買うターゲットにならないようにしているのだ。これをして黒いとは言わないけれど、あの子もしたたかだよね。
そしてこの私、エルヴァ・フォン・アインツベルンは、編入以降既に3回告白を受け、お手紙を20数通頂いていた。残念だけどすべてお断りしている。
理由は私と付き合ってステータスにしたい、あわよくば大人な関係になりたいとか、ありがちな相手ばかりだったから。
これが吉川クンみたいなタイプだったら受けていたかと言うと、それもない。今の私は士郎クンを取り巻く女の子の駆け引きを、こうして外から眺める方が楽しいからだ。
そんな私の密かな喜びを、しっかりと見破ったのが2-Aの氷室鐘さんだった。あの眼鏡の奥をキラリと光らせ、どこからか軍師扇を取り出す一風変わった特技がある。
住所は新都玄木坂四番地蝉菜マンション12-1で、市長の氷室道雪氏の一人娘だ。絵画と人間観察が趣味だという彼女は、編入以来私をこっそりと観察していた。
ま、霊感は無いし、魔術回路も無い人なので自由にさせている。意外と似ている部分があるし、距離感が読める子だから気にならないのもある。ただし憶測でおかしな行動に出る場合がある。そこだけは注意だ。
逆に距離感皆無なのが本日最大のライバルになる可能性が高い、同じく2-Aの蒔寺楓さんだった。
実は彼女の身長は163センチで私より10センチも高い。呉服屋さんの一人娘なだけあって着物がとても良く似合う人だ。騒がしいけれど、和に通づるものに造詣が深く結構気に入っている子だった。
この二人に大人しく控えめな、陸上部マネージャーの三枝由紀香さんを足せば、学園外でも知っている人がいる陸上部三人娘となる。
三枝さんは大家族の長女で、下に弟さんがたくさん居る。正確な人数は知らないが、四~五人は弟が居たと思う。そんな家の育ちだから、包容力があるし、お料理上手で物持ちも良い。お嫁さんにしたい候補の筆頭だった。
人格解析して、メイドの雛形にしたい子だ。ああいう子を口説きに行かない男性って、本当に見る目がないと思う。
着替え終えてグラウンドに出ると、そんな三人娘が放送委員とテントの中で談笑していた。
「おはようございます」
挨拶の声を掛けると、皆んなが立ち上がって挨拶を返してくれた。しまった、こちらは3年生だものね。
けれどそんな私の心を読んだかのごとく、一人だけ立ち上がらず手を振る人が居た。蒔寺楓さんだ。
「お~! おはよう、先輩!」
「今日は西欧人の足の長さを活かして、蒔寺さんに勝ちますから」
「うっ……宣戦布告かよ」
「なに気にスタイルの良さを自慢しておるな」
「私と身長が変わらないのに、どうしてこんなところにウエストがあるんだろうネ?」
「昔、ご先祖様が暗黒魔術(錬金術)にハマって、領民(鋳造したホムンクルス)の内蔵を抜い(調べて、医学に役立てようと研究し)ていたそうです。ですからその呪いで私は内蔵が少ないのです。悲しいですよね?」
「え~っ!」
実を言うと前の世界でもこの三人とはよく話す仲だった。なのでご先祖が錬金術を齧っていた関係で、ドイツの家には怪しいアイテムがゴロゴロ有ると話してあった。
不思議だろうけど、この程度は秘匿の漏洩にもならないし、意外にも面白話として聞き流すのだ。蒔寺楓という、ご先祖が海賊だったという友人がいるお蔭で。
彼女の家には古い蔵が幾つもあり、妙なお宝や骨董品が眠っていたりする。彼女達には私の話が、その延長のように聞こえるらしい。情報の結界はこんな風に試して、結果を観察し、応用していくものなのだ。
そして相手に応じて琴線に触れる言葉を残し印象づける。そうやって心理的な味方を増やす。これは裏返せば神秘への信仰を深める布教行為でもある。実践している魔術師は少ないけれど、知り合いの何人かは同じような事をしていた。
「今日出る、四つの種目でトップを狙います!」
「おお~!」
「うわぁ~」
「マジか、先輩!」
「やってみる! あなたの後ろから~♪」
そうして私は梯団席へ向かった。しまった。ジャージを穿いていた。ここはブルマ姿で胸をぷるるんとしなきゃいけなかったのに。赤い梯団ハチマキをしっかり巻いていただけにミスった。途中、薫と合流した。
「エルヴァ、ノリノリだな?」
「はい。ヨーロッパでは体育祭や運動会は珍しいですから。あってもスポーツ競技会で、雰囲気は日本の球技大会と身体測定をミックスしたストイックな感じですね」
「ああ、陸上の競技会みたいな?」
「そうです、そんな感じです」
「しつこいようだけど、本当に大丈夫なんだな?」
「はい。バッチリですよ」
薫の心配はわかるが、月のものは終わったし、睡眠もたっぷり摂った今日の私は絶好調だ。何ならスキップで他の走者を軽くブッ千切ってみせますよ?
元々の基礎体力プラス英霊のポテンシャル。サイボーグもののSF小説にありがちな、コップを握り潰したり、握手した相手の手を砕くような事は無いが、圧えるのに苦労しそうだ。
ロープと白線で区切られた、梯団ブロックに行けば赤いタスキを掛けた応援団の面々が、輪になって打ち合わせをしていた。中心にいる赤い長法被を羽織った彼が応援団長か。3-Bの……誰だっけ?
名前は憶えていないけど、顔はよく見る男の子だった。目が合えばニコリと笑ったので、向こうは私に親しみを感じているのだろう。その横で会釈をしてくれた女子は弓道部部長美綴綾子さんだ。応援団とは知っていたが、副団長なんだ?
あ、団長はサッカー部のキャプテンだ。そうそう、美綴さんが密かに憧れている人だった。それで副団長に。名前が全然思い出せないけれど。
「やる気満々ですわね?」
「ええ、今日は伝説を創りますよ」
「言ってなさい。頑張ってね」
「ありがとうございます。そちらも頑張って下さいね」
ルヴィアと凛だった。ルヴィアは北欧の人なので肌の白さが際立っている。その分これからの季節は厳しいようで、日焼け対策のスポーツ用アームカバーを着けていた。姉もエルもこの手のUV対策品は利用している。
特に姉は二次性徴後に体質が変化し、キツい紫外線に当たると軽い炎症が二の腕に起きるようになったので必需品だった。
なのに私はこんな、UV対策不要な褐色の肌になってしまった。銀色の鱗肌にされた008の気分だ。ギルモア博士がアインツベルンの研究員なら一発でクビだろう。
鋳造者は非鋳造者から造物主として神のように思われる場合が多い。それでも私達は神では無い。産み出した生命に全責任を負う研究者でしか無い。驕ってはならないのだ。
「あの2年の有名コンビと仲が良いんだな? 弓道場にも来てくれてただろ?」
「そうです。遠坂さんは日本人ですが、海外生活が長いのもありますし、エーデルフェルトさんは言わずもがなです。このところは日本語慣れして来ましたが、お互い英語で話せたりするので」
「ああ、なるほどな。細かいニュアンスや風習の違いとか話せるもんな?」
「そう、それもあって下宿先をエーデルフェルトさんの家に替えました。彼女には感謝していますよ」
「そっか。一緒に暮らしてたのか。それは遠坂も?」
「はい。遠坂さんは実家がこの街におありですが、二人は特に仲が良いので」
「へぇ~。同じ学年で同じクラスだしな」
「はい」
やがて各々梯団の応援団長の掛け声で、全員がわらわらと本部テント前の朝礼台に向かって整列し始めた。校長先生の開会宣言の後に学園長のありがたいお話や、PTA会長のわかりやすいお話が続く。
応援団長と副団長が朝礼台を取り巻き選手宣誓。写真屋さんも今日は二人体制だ。保護者応援席の最前列に陣取るのは……。視力強化せずともお父さんと間桐雁夜さんが居るのが確認できた。
お母様は小学生組も引き連れて来ている可能性が高い。士郎クンは嫌がるだろうけど、私にとっては最初で最後の体育祭だから我慢して欲しい。
準備運動の後はプログラムが粛々と進んでいった。1年生のムカデ競争が終われば、次は2年生の二人三脚だ。凛とルヴィアがペアを組む。出走は3番目らしい。
足を括り肩を組み、ワンツーワンツーとタイミングを合わせていた。やっぱりユクシカクシ(フィンランド語の1、2)じゃ、言い難いよね? 何かひねた子供の「行くし」「隠したし」みたいに聞こえるし。あ。
ちなみにフィンランド語は現地の人にフィンやスオミと呼ばれている。これは国家や国土に民族にまで共通で使われていて、私の認識だと北部がフィンで南部がスオミだ。ルヴィアも自分達をスオミと呼び、祖国をスオミと呼んでいる。
フィンランド語は言語使用者の数は少ないが、北欧四カ国の中では日本人に一番覚えやすい言語でもある。同音異句というか、意味の違う耳慣れた単語が多いのだ。
またこの言語はウラル語族の流れを汲むのでロシアの一部地域の言語とも共通性が高い。
余談だがマキリ・ゾォルケンの先祖がロシア北部の出身で、このウラル語族の何かを話していたそうだ。その後、帝政ロシアに飲み込まれる前にアラル海の近くに南下して、マキリの代でヨーロッパに入ったそうだ。
水の間桐でなく水涸れの間桐だと、あの人の生涯を調べるとわかってくる。先祖代々各地を転々と渡り歩いたのも、水の豊富な霊脈を求めてだ。
きっと遠い祖先が、強力な何かに呪われていたのだと思う。だから魔術師なのに、先祖から受け継いだ肉体をアッサリと捨てられたのだろう。
あちらでの私は間桐慎一さんの願いで、マキリと眷属契約を結び保護している。それで色々とこういう資料を調べさせて貰ったのだ。
知れば知るほどあの一族の哀しい運命と、それに抗うマキリの孤独な戦いに気付く。妄執に囚われず、若い頃の理想を見失わなければ。結局、私もユスティーツァ様の後継だ。
さて、競技の方だが。なんと凛とルヴィアはトップだった。
『早い! 早い! 2年A組の遠坂・エーデルフェルト組、断トツの速さだ! 普通に走っているのと変わらない! 二人三脚とは思えない異次元の走りだ!』
『これは……息ぴったりとかそういうレベルではありませんね。まるで精神感応力のある双子ですよ』
『今、一着でゴ~~~ル! 二着以下はまだ半周を越えたところ!』
あの子ら、魔術でも使った? そんな事は無いとわかっていても、ここまで合せられるとは。私は立ち上がって拍手した。きっと知らないところでたくさん練習したのだろう。
続いては男子の棒倒しだ。逝ってこい、野郎ども。死して屍拾う者なしだ。私達女子は無責任な声援を目一杯送ってあげよう。
『さぁ、いよいよ始まります。午前中のハイライト。梯団対抗、穂群原名物棒倒し!』
『他校と違って一陣営に棒が3本あるんですね?』
『そうです。そして三梯団が一度に戦います。どこかと同盟して先に一つを潰し、その後にゆうゆうと二陣営で戦うのが定石ですが、三梯団の混戦となる年もあります。果てさて今年はどんな戦いとなるのか?』
『各陣営棒を立てた。3メートルの副将棒が2本に5メートルの大将棒が1本。それぞれ30点と50点です』
『更に3本全部倒せばボーナス点が加算され、110点でなく120点となります。競技時間は5分。その間に何本倒せるか?』
『相手陣営の戦力を考えながら、どの棒を護るのか。旗を取るのではありません。完全に倒さなければいけません』
『伝統とはいえ、良くこれが現在も続くものです』
『ですので、競技終了後は5分間の休憩を挟みます。ご了承のほどお願い致します』
『まぁ、体調チェックなんですけどね』
ちょっ!? 先端の旗取りじゃないのか、ここの学園は!?
「お兄~ちゃ~ん!! 頑張れ~!!」
うわぁ、あの声はおチビちゃん達だ。
『おお。観客席から大きな声援! 可愛い少女達だ! 一体兄は誰だ?』
『そこは追求しないでおきましょう。さぁ、各陣営用意は良いか? スタートだ!』
ドドドドドドと男子の地響きが、地面だけでなく校舎の壁にまで反響する。
殴る蹴るなどの暴力行為は禁止だが、不可抗力で守備側に膝蹴りを入れたり、肩でタックルする者が後を絶たない。砂塵が舞う中で士郎クンは仲間と鼻血を流しながら大将棒を死守していた。
マジですか!? ここの学園、酷くない? これで保護者からクレームが来ないのか?
あ、魔術行使! 誰だ! 凛とルヴィア?! 公衆の面前でヒーリング。と言っても、二人は遠隔が得意なタイプではないし、そういう魔術を習得していない。せいぜいが生命力を活性化させる程度だろうに。
誰にもバレなきゃ良いけれど、一応士郎クンは今回他の梯団で敵側ですよ?
〈マスター、エル。シロウを護りに行っても……〉
〈ダメです。やり過ぎだとは思いますが、これは競技です〉
セイバーはどこから見ているのか。先生か残った誰かが魔術を使ったな?
競技が終わった。死屍累々だ。ノロノロと起き上がる男子はまるでゾンビだ。青梯団の大将棒を護り切ったメンバーの中に、私の鷹の目は士郎クンを捉えた。格好良いじゃないか。
怪我人の中心で棒を護る。Waiting for one's arrival.
きっと彼はそれを後悔しない。その意地が青春だから。I have no regrets. This is the only path.
キミは何かを護らせたら最高だね。Your whole life was Unlimited Protect Works.
とは言え赤梯団も大将棒が残った。勝負はこれからだ。
「男子は毎年凄いな」
「これ、問題にならないのですか?」
「その内、無くなりそうな気がするけど、やれる間はやれば良いんじゃないか?」
薫ならこう答えると思っていた。彼女は意外と楽観主義者だ。それが試合の強さに出るのだろう。
ここからは1年生と3年生女子のダンスが2回続く。正確には間に借り物競争が入るけど。これらのダンスは男子の棒倒しと対の出し物だ。体育の授業では春先から学んでいる。
1年生は創作ダンスだそうで、中等部からのエスカレーター組が中心となって高校入学組も踊れるように仕上げるのだと、以前桜ちゃん達に聞いていた。
そして2年がメイポールダンス。これは午後からだが制服に着替えて踊るらしい。日本でもやっている学校があるとは姉から聞いていたが、まさかここでもとは思わなかった。学園を買い取らなかったらあったのだろうか?
そして3年生は優雅に扇の舞だ。上は体操服で下は制服のスカート。だから3年女子は座席の下に袋に包んだスカートを置いていた。
1~2年のダンスはあちらでは無かった。だけど3年の扇の舞はあちらでも毎年行われていた。今年は姉さんやエルが踊るのだろう。それは見たいなぁ……。
午前は、そんな2回のダンスを挟んで借り物競争だ。女子的にはここがピークだろう。私は入場門に向かうルヴィアに頑張れと声を掛けた。凛は1年生のダンスに釘付けだった。
どれどれ……。桜ちゃんは左端の方だな。結構上手いと思う。お父さんが縦位置でバシャバシャとシャッターを切っていた。きっと雁夜さんに頼まれたのだろう。
「お姉ちゃ~ん」
はい? イリヤちゃんとクロエちゃんだった。梯団席の後方は通路でもあるので誰でも通行可だった。あちらのおチビちゃんとクロちゃんは気を利かせたのだろう。
「どうしました?」
「お兄ちゃんの様子を見に」
「ああ、席に居なければ救護テントですよ。格好良かったですよね?」
「ね。最後まで守ってたもん」
「お姉ちゃんはいつ出るの?」
「このダンスが終われば借り物競争で、その後に3年生のダンス。その次にマラソンです。これに出ますよ。それと午前中の最後にクラス対抗リレー。午後の一番にクラブ対抗リレー、そして本日ラストに梯団対抗リレーですね」
「うわぁ、聞いてたけれど、ダンス以外は本当に走るのばっかりなんだ?」
「エルヴァ、この子達は?」
「衛宮副部長の妹さん達で、私の従姉妹です。ほとんど妹ですけれど」
「ああ、衛宮の……」
「この人は誰?」
「弓道部の前部長で遠峰薫さんといいます。私のクラスメイトですよ」
「そうなんだ? クロエです。よろしく~」
「イリヤスフィールです。お兄ちゃんとお姉ちゃんがお世話になってます」
「こっちの子だな。中等部時代に2回ほど会ってるけど憶えてないかな?」
「そうだったんですか?」
「ああ。衛宮も中等部から弓道部だから。高等部でも試合の応援に来てくれてたろう?」
「え~と……」
「この子、お兄ちゃんしか目に入らないので」
「みたいだな。そっちはエルヴァから聞いてるけど、ドイツで療養してたんだってな。エルヴァに鍛えられたのか?」
「うん。だからもう大丈夫だよ」
「そうか。良かったな」
そこへルヴィアが駆け込んできた。借り物競争が既に始まっていたのだ。
「エルヴァさん!」
「どうしました?」
お題は「海外の人」。それをルヴィアが引くのか。
「わかりました! 行きましょう!」
「ええ!」
私はルヴィアと手を繋いで、ゴールまで一緒に走った。順位は2着だった。
そしてダンスがあるので、そのまま入場門に向かった。薫がスカートを持って行くと言ってくれたからだ。なのでジャージの下をルヴィアに渡して、席に置いてくれと頼んだ。
「頑張って下さいまし」
「任せて下さいな」
入場門でブルマの上からスカートを穿いていると、バシャバシャとシャッター音が耳に届いた。
「あの保護者、変態です」
「ちょっ!? ぼ、僕は君の父親だろう?!」
「お父さん? 他の子も居るのですよ? 皆んな年頃なのですから」
「ああ……ゴメン……」
今まで娘は小学生しか居なかったものね。父親の気持ちもわからなくはないけれど、これはやり過ぎ。後でお母様に叱られるだろう。
少し可哀想なので、カメラを2年の得点係に預けてツーショットを撮って貰った。勿論、腕を組んであげた。「秘技・魔術師殺し殺し」だ。鼻の下、伸ばし過ぎ。
ダンスは滞りなく終わった。小さな花が2回3回と中くらいの花になって、最後は全員での大輪となる。大輪は保護者席と本部席の両側を凹ませるのも定番のパターンだ。ああ、私の背が低いから、他の子と重なって見づらいのか。それでお父さんは……。
『次は穂群原体育祭記念マラソンです。男子は5km、女子は3kmで競います』
『男子で14分後半、女子で9分台前半ですと全国レベルです』
『さて、今年はどんな戦いが、どんなドラマが生まれるのか。熱い声援をお願いします』
男子は400メートルトラックを12周半、女子は7周半だ。毎朝5~10キロは走る人間には楽勝だ。男子の前に女子の競技が先に行われる。
2回のダンスとこの競技の最中を利用して、棒倒しで怪我をした人の再チェックやトイレ休憩がなされる。
間に借り物競争を挟むのは、棒倒し休憩と呼ばせないためだと、スカートを託した薫が話していた。本当か?
「先輩。先輩の足を見せて貰うぜ?」
蒔寺さん。短距離専門なのにエントリーしたのか? これは凛やルヴィアから聞いていなかったので驚いた。
「返り討ちにして差しあげましょう」
そうして私達は拳を打ち付けた。
「位置について。よ~い」
パンッというスターターの合図で私達は走り出した。
様子見も駆け引きもしない。実力に裏打ちされた自分への挑戦に、ドラマなんてありはしない。
ただひたすらにマイペースをキープして、前でスタートした走る障害を躱して行くだけ。トラックを半周する頃にはトップだった。蒔寺さんの気配が後ろにある。
保護者席の前でモータードライブのバシャバシャバシャバシャという音が響いた。お父さんかな? 妹達の声援と変わらないくらい大きな声でお母様が応援して下さっている。さぁ、温まって来た。ペースを上げようか。
『速い! 3年A組、アインツベルン選手! 2周目で後続者が居ない!』
『オーバースピードでは?』
『自爆覚悟の前半アピール? と言ってる間に3周目だ! ペースが落ちない!』
『このペースだと8分台……いえ、8分台の前半に届きそうです!』
体が軽い。足も重さを感じない。ストライドも乱れない。英霊のチカラは切っている。
元々私の3000メートル自己ベストは8分24秒23だ。これはエルの記録でもあるけれど、8分25秒台ならコンスタントに出していた。
蒔寺さん、私は元陸上部です。それも長距離専門の。そして女子は3000mまでしか無かったので陸上を辞めたのですよ。
蒔寺さんの気配はもうしない。後は淡々と周回を重ねるだけ。本部席前で鐘が鳴った。ラスト1周だ。周回遅れを何人抜いたか覚えていない。前に蒔寺さんが居た。短距離専門だからなぁ。ゴール100m手前で彼女を抜いた。
「思い知ったか」
「マジか先輩!」
奮い立って、彼女の元気が少し回復した。そしてそのままゴールインした。
『今、ゴ~~~~ル!!! タイムは?! なんと8分19秒14!』
『こ、これは……。こちらの資料によりますと、高校生女子の最速は8分53秒です。そして女子3000mの世界記録が8分06秒11! 8分19秒台は男子高校生のトップレベルだ!』
シ~ンと静まった後、ワッと歓声があがった。それより全然身体がダルくない。脇腹も痛まないし、足の疲労も感じない。チカラを切ったつもりでこれか。参った。また専門誌に嗅ぎ付けられ、お祖父様のお叱りを買ってしまう……。
そんな事を考えながら、役員に声を掛けて、クールダウンを兼ねてもう1周ゆっくり走った。それでも周回遅れの子を何人か抜かしてしまった。後で思った。ウィニングランだな、これ。
本部テント横で体調チェックを受けつつ、毎日10キロは走っていて、クールダウンを必要としている事を一緒に走っていた人達に説明した。
意外にも、何人かは私が毎朝走っている事を知っていた。だから嫌味に捉える人は居なかった。助かった。その後、私は梯団席に戻った。表彰は閉会式だからだ。梯団席では皆んなが歓声をもって迎えてくれた。
「呆れたな。お前という人間を舐めてたよ。心配したこちらがバカみたいだ。そういうポテンシャルを持つ奴だったとは」
「今日は身体が軽かったので」
「よく言う」
凛とルヴィアが微妙な顔で労ってくれた。これで英霊のチカラを切っていると話せば呆れていたけれど。
「非公式ですが自己ベストが8分24秒23。8分25秒台ならコンスタントに出していました。エルは今も陸上部に席を置いていますよ」
「じゃ、元々足が速いんだ?」
「そうです。人造人間とのハイブリッドで、筋力や持久力、それに神経伝達の速度なども、胎児の頃から調整されていましたから。エルもそうなら、スイスのエルヴァもそうですよ。それにエルは倫敦で封印指定執行者を素手で倒したでしょう?」
「そうだった」
凛やルヴィアが離れると、弓道部の後輩と陸上部の人達が寄って来た。当然、陸上部に転部しない事を改めて宣言し、後輩達から差し入れのドリンクを有り難く頂いた。問題はクラブ対抗リレーだなぁ。袴で走れるのか?
「8分19秒14……負けたァ!」
「あの子、あなたより早そうとは思っていたけれど、良いのこれ?」
「ここのお祖父様は何も言わないでしょう。陸上部の勧誘も断るでしょうし。校内だけで収まれば、時計の測り間違いか誤差で通ると思いますよ?」
「そうね。軽い暗示で済みそうね?」
「それは私がしておきます。今なら全員に掛けられますから」
「うん。そうしてあげて」
そうしてエルは魔術による暗示を掛けてくれたらしい。正直助かる。
男子のマラソンが終わった。全然見ていなかったけれど。さて次は台風の目か。士郎クン、再びだな。鼻血は止まったようだし、メンバーと談笑している姿を見れば大丈夫そうだ。タフだなぁ。
同じ梯団の後輩達と話している内に台風の目が終わった。横目では追っていたので士郎クンの活躍は見ていた。青梯団は残念ながら2着で、黄梯団が1着だった。赤梯団は3着。ダメじゃん。
けれどE・F組はラグビー部や柔道部が多いので、棒倒しでC・D組の青梯団と同着1位は十分な活躍だったろう。
そしてクラス対抗リレーが始まった。この競技は各クラス男子二人女子二人を選出し、1年から3年までの十二人がリレーを繋ぐ。走者の順番などは各縦割りクラスの作戦次第だ。
つまり第一走者はA組からF組までの六人が出走し、それが男女関係なく走るのだ。一人半周200m。下馬評では陸上部の多いA組が優勝候補だった。
学年ごとのレースでないのは、梯団に得点を加算するためと、盛り上げるためだった。だいたい毎年3年が最終走者らしいのも、その方が盛り上がるかららしい。
3学年のA組十二人が集まる。陸上部の男子が仕切って、各々に注意事項を話していた。
第一走者は蒔寺楓さん。大量リードをここで奪おうという魂胆だ。第二走者も陸上部で第三走者がサッカー部。そして中間にバスケットボール部やバレー部。最終辺りに再び陸上部を入れている。まぁ、これはどこも似たり寄ったりだ。
異様なのはこんなメンバーの中に弓道部員の私がいる事。あの運動神経が抜群な、美綴綾子部長も入っていないのにだ。
更に驚かされるのはこの12人の中に、何のクラブ活動もやっていない凛がいる事だった。お昼休みや放課後の空いた時間にバトン練習を一緒に参加した。
文武両道な彼女の事だから、リレーくらい卒なくこなす事も確信しているが、彼女は弓兵のマスターだった遠坂凛では無い。ここでは学年の途中で入って来た帰国子女なのだ。
私は一応自己申告で前の学校では陸上をやっていたと話してあった。そして距離は異なれど、マラソンでそれを証明した。だけれど、凛はそうでなない。それでもこちらの不安を払拭するかのように彼女の瞳は力強かった。
掛け声とともに走者がリレーポイントに別れて入場した。レースが始まった。蒔寺さんはやはり短距離の人だ。スタートからの加速が違う。クルマやバイクで言えばゼロヨンの人だ。当たり前のように1位でバトンを繋いだ。
第二走者からは男子が続く。リードが一気に開いた。第四走者まではずっとトップだったが、第五走者の1年女子がバトンを落とした!?
それで3位にまで後退したが、続く第六走者は凛だ。ルヴィアの声援が耳に届いたが、途中でフィンランド語に戻っていた。
凛が一人抜かした。姉さんやエルに凜、そして従姉妹と称して校内に入っているルヴィアの声援も耳に飛び込んで来た。放送委員ががなり立て、見守る生徒も保護者も大歓声だ。
そして凛はぐんぐんとトップを走る選手に迫った。後5歩、4歩、3歩、2歩……トップに立つ瞬間にバトンを次走者に預けたのだった。
凛がトップに追いついたのはテイク・オーバー・ゾーンだった。けれど十分だ。よく走った。
「お願い! エルヴァ!」
「了解!」
5mでトップを追い抜く。50mで置き去り、100mで15mは離す。200m走り切り次走者にバトンを渡した時は20m近く離した。後は仲間に託すだけだ。
結果はA組が1位。B組も3位と健闘したので、赤梯団が総合優勝に王手を掛けて午前中の競技は終わった。
お昼の休憩はぞろぞろと食堂に向かう生徒が多い。荷物をあまり持ちたくないので、お弁当を避けるためだ。そして穂群原は私学だ。
となるとPTA役員や来賓に仕出しのお弁当が出ても、お弁当を持たない保護者は、食堂を利用するか校外に出るしかない。
そしてこの学園は山に建っている。よって平時の人数以上の人が食堂に向かう訳だ。
当然毎年恒例の事として、食堂の偉い人は見込み人数を把握しているだろうがメニューは必然的に絞られる。
何より今日は土曜日だ。日曜日に体育祭が行われないのは、日曜を何度も潰せないからだった。先週の日曜は中等部の体育祭で、明日は小学部の運動会。日曜に教員の動員を掛ければ、特別手当を出さねばならない。
つまり人件費が上がるのだ。これが一貫校のつらいところだった。
これは食堂の従業員にも当て嵌まり、3回もの連続休日出勤は厳しいものがある。なので中等部と小学部はお弁当持参が当然となる。
またこの方が行事感が出て児童や生徒も喜ぶ。何より伝統でもあるし、反対したり苦情を申し立てる保護者もいない。
そもそも家の事情でお弁当の用意が難しいというような親は、経済的に私学に通わせるのが難しいものだ。お金があれば仕出しでもほかべんでも、何でも用意できるのだから。
そんな理由で食堂の混雑は避けられない。私やエルのみならず、姉のイリヤもそれは予想していた。だから今朝姉は早くからセラとともに、全員分のお弁当を作ってくれていたのだ。
保護者の応援席に向かえば、姉さんがクーラーボックスからお弁当とペットボトルのお茶を取り出して手渡してくれた。それを受け取りビニールシートの上に座った。
移動せずとも木陰に姉さんが居たのだ。聞けば前の応援席は男性陣と妹達で、お母様と姉さんは最初から木陰で場所取りをされていたのだった。
目はお父さんや子供達から借りれば良い。ここに来て魔術をバシバシ使うアインツベルン家だった。
そして凛やルヴィアは言うに及ばず、士郎クンが桜ちゃんを伴ってやって来た。やるな。
お父さんが間桐雁夜さんと桜ちゃんを紹介していた。この時にイリヤちゃんは何かを感じたのだろう。この後、どんどんお姉ちゃんらしくなって行った。
「お姉ちゃん、速かったねぇ」
「学生最後の運動会ですから張り切っています。クロエちゃんもイリヤちゃんも明日は頑張って下さいね。それでクロちゃん達は明日どうします?」
「私らが行けば恥ずかしいだろうし、どうしようか迷ってる」
「トラックは狭くなりますし、応援席もギュウギュウでしょう。エルに頼んで使い魔で観る方が良いかも知れませんね」
「エルお姉ちゃんもそう言ってた」〈ただイリヤがさ、美遊を見たいって〉
最後は念話だった。クロちゃんとのパスは生きてるのか。受肉で消えたのは魔力供給のパスだけで、念話のようなものは残るみたいだ。
いや、セイバーとは全部繋ぎ直したよね? ももしかして切れたのは魔力供給用のパスだけだった?
となるとチャンネルのようなものだろうか? 一度合せた周波数は頭が憶えているみたいな。
〈テス、テス。お兄ちゃん? 〉
〈何だ今頃気付いたのか? 倫敦辺りで気付くだろうに? 〉
〈いや……念話を全然使わなかったものですから〉
〈ククク……弁当には私が作った惣菜も入っている。しっかり食べろよ〉
〈ああ……お向かいのキッチンだと狭くて難しいから? 〉
〈うむ、それもあるが元々向かいでは料理をしていない。前日イリヤとメニューの相談をしてな。昨夜、厨房で仕込んで今朝持たせたのだ〉
それはそうだ。これだけの人数分を用意しようと思えば、一般家屋のキッチンでは難しいものがある。
〈ありがとうございます〉
〈頑張れよ〉
やっぱりだった。兄は私の事を随分と心配してくれていたのだ。
「クロちゃん。帰ったらもう一度相談しましょうか?」
「うん、そうしてあげて」
私はお弁当を早めに切り上げた。クラブ対抗リレーに出場するため、道着に着替えなければならないからだ。
姉さんの場合は弓道部と書道部に出走するので、袴で2回走っている。華道部と茶道部は隔週土曜の特別クラブなので、体育祭で走る事はない。いや、仮に出ても着物で走れないだろう。
「袴で1着なんて、気味の悪い事はしないでね?」
「え~」
確かに気味が悪いか。
「アーサー、マスターは素晴らしいですね」
「ええ。ここまでとは思いもしませんでした。奇跡を何度も目の当たりにして来ましたが、それすらも結局蓋を開ければ、それなりに納得の行く理由がありました。しかしエルは今、自らの実力だけで戦っている」
「理由は勿論ありますよ。それは毎朝走って身体を鍛えているからです。我がマスターが日常行って来た事が、彼女にも受け継がれているからですね。毎朝一緒に走っているでしょう?」
「そうですね。そういう事ですよね。しかし……」
「フフフ……。あなたも在りし日の少年に剣を指南したクチでしょう?」
「ええ」
「それを現代人の尺度にしてしまった。彼は彼なりの理由があって身体を鍛えてはいたが、理論的に鍛えていた訳ではない。エルは女性だ。男性よりも劣っている事を誰よりも熟知している。だからこそ誰よりも理論的に、日頃から自らを鍛えていた。また彼女は人造生命体と人間とのハイブリッドだ。胎児の頃から一族の長となるべく、調整され知識を与えられて来た。そのような者を測るのに、彼を尺度にすれば彼が気の毒ですよ」
「なるほど……。その上で、私の方のエルは英霊の能力を得た訳ですか」
「そうです。とは言え、最初の頃は精神体で活動していたそうですから、呆れた知識ですね」
「魔術の知識が、本当に生半可ではありませんね」
応援合戦の後、昼の競技が始まった。
クラブ対抗リレーなのだが、ここで質問だ。弓道部は運動部なのか、文化部なのか? さて答えはいかに?
社会人の場合は道として精神修養に重きを置く団体が多いが、学生の場合は的に中て優劣を競うので弓道連盟は日本体育協会の傘下団体となっている。よって答えは運動部なのだ。
しかし部員も顧問もコーチも、運動部でなく最も厳しい文化部だと認識している。それは殺傷能力のある道具を扱うからだ。それだけに礼儀や礼節に厳しい。
ただ勘違いしないで欲しいが、厳しいのは事故を起こさないためであり、先輩と敬語で話すのも注意事項や部内のルールを徹底させるためだ。
だから本当は指示を明確にするために、先輩も後輩へは敬語を使うべきなのだ。業績の良い会社と同じだ。こういう事を地道に行うから事故が起きないのだ。
けれど、どうしても3年生は2年生や1年生への口調が乱雑になりがちだし、2年生は1年生にキツくなる。薫の後に美綴さんだしなぁ。
何度か1年生には乱暴な言葉を使わない方が良いと助言したけれど、こういうのは中々直るものではない。
「先輩、袴で走るって無茶だと思いませんか?」
「正直、無茶だと思います。裾をたくし上げるか、こんな風に前紐で前側を短めに調節して着るしかありません。ですけど弓道部はこれだけ揃った運動部の中で、柔道部や剣道部と並ぶ和風な衣類で活動する数少ないクラブの一つです。バトンが矢尻を取った棒矢でなく、弦を張っていない弓と言うのも賑やかし要素があるからこそです。この後の文化部のレースですと、どこもかしこも似たり寄ったりですよ? 運動部の中では美味しいポジションなのだと思って頑張りましょう。ね?」
「エルヴァは1年に人気あるなぁ」
「間桐筆頭にべったりです。口調は優しいし、正論をきちんと話せる人ですからね」
「美綴も言葉遣いが変わってきたな?」
「あれだけの先輩に指摘されれば、私でも考えますよ。社会人になってから困るぞと脅されましたからね」
「けど、それも正論だよな?」
「はい」
「衛宮、お前どこ見てんだ? また姉ちゃんに見とれてんのか?」
「な!?」
「違う違う、コイツが見てんのは1年の間桐だよ。な?」
「え? 好きなのか?」
「お前は高等部からの受験組だったな? 一応、隠しているつもりなんだよ、コイツ」
「あ、もう付き合ってんのか?」
「バ、バ、何言ってんのさ!?」
「ああ、中等部時代からだ。ワケありでな」
「妹のイリヤちゃんのためさ」
「なるほど。よしよし黙っといてやるから。足、もつれさせるなよ?」
士郎クンは家に友人を招いたりは滅多に無いし、親友と呼べる相手は柳洞クンくらいしか居ない。けれど弓道部員からはとても愛されていた。職人気質というか、お互いが同じ目的を持つ相手とは馴染むのだ。
それに彼のストイックな姿は、私でも気持ち良く感じる。弓道部は恋愛禁止では無いが、彼に憧れている女子部員も何人か居る。校内では今のように秘密にするのが正解だろう。
そして結果は下から数えてなんぼの着順だった。長々引っ張ってしまって申し訳ないが、現実はこんなものだ。
クラブ対抗リレーが終わると、私は梯団対抗リレーまで2時間近く暇だった。なので部室で体操服に着替えると、小銭を入れたポーチを持ってコーヒーを飲みに行った。
「コーヒー、本当に好きなんだな?」
「え?」
本当は気付いていた、この気配は吉川クンだと。どうやら彼も飲み物を補給しに来たらしい。今日は目一杯声をあげてたから、喉がカラカラなのだろう。
「クラブ対抗リレー、お疲れ様でした」
「そっちこそ。お互い袴で大変だったな? いや、竹刀より弓を持って走る、そっちの方が大変か。あれ、こけて折ったらどうすんだ?」
「OBの先輩が対抗リレーで使えと置いていった傷んだ弓ですよ。それを見栄え良くしただけで」
「そうなのか? それで、聞いたぞ? この後、梯団対抗リレーも走るんだって?」
「はい。応援してくれますか?」
「黄梯団の応援団長だぞ、俺?」
「フフフ……」
「ハハハ……」
「次は何に?」
「騎馬戦。当然馬だ」
「前側?」
「ああ」
「弟分の衛宮士郎クンを壊さないでくれるなら、目一杯応援しますよ」
「衛宮は確か青梯団だろう? おいおい、赤梯団はどうすんだ?」
「それは私の脚でカバーしますから」
「ハハハハ、言ってくれる。でも、お前はそういう奴だ。……勝てよ」
いつもはアインツベルンさんなのに、お前と呼ばれた。しかも去り際に勝てよと。私は後ろ姿をずっと見ていた。
「お姉ちゃん!」
ゲフッ。飛び込んで来るなよ、クロエちゃん。
「ゴメン、痛かった?」
「ちょっと苦しかったですが、大丈夫ですよ。どうしました?」
「テイダンセキに居なかったから、部室かなと思って」
「あれ? クロエちゃんとクロちゃんだけ?」
「うん。イリヤ達はお兄ちゃんの様子を見てる」
「ああ、弓道場はクロちゃんしか知らないのか」
「そう、それで案内してあげたのよ。場所は同じだけど、少し小さいね?」
「そこが目下の悩みですよ。部員の人数と練習場所の数が合わないので」
「ふ~ん。高校生って大変だね?」
「そんな事はありませんよ。とは言え、生け簀の中の鯉なのかな?」
「どういう意味?」
「一見自由に見えても、管理されているって意味でしょう? だからお姉ちゃんが悩んでも、道場が大きくなるかどうかは学校の経営者が決める事なのよ。それで悩んでも仕方ないという意味を込めて、生け簀の中の鯉と言ったのよ」
「な~るほど。クロって頭が良いね?」
「一緒でしょう? 変わんないわよ」
そうして冷えた飲料を適当に買って、保護者席に一緒に向かった。そうだなぁ、いつかイリヤちゃんやクロエちゃんの恋愛相談に乗らなきゃイケない。
クロエちゃんは5年経たずにそうなる予感もある。お父さんやお母様に言いにくい事も、私ならばと相談して来るだろう。
その時のために私も体験しておくべきか。何か凄い言い訳を考えてないか? あんなに背が高い奴を弘クンとか呼んで腕を組むのか? 30センチ以上身長差があるぞ?
まるで私がモンチ○チかダ○コちゃんに見えないか? そういやモンチ○チは、今年の1月に結婚したよね? ああ、フランスではキキって名だった。箒で飛ぶ魔術は私にもできる。あ~! 空中戦の模擬試合、箒でできたじゃないか! しまったぁ~!
「何を考えてんだ、お前!?」
「はい?」
「思考がこちらに駄々漏れだと話しています」
ああ……。エルに漏れていたのか……。
「私より乙女ですね? どうなるかはわかりませんが、流れに任せても良いと思いますよ?」
「流れに?」
「積極的に動かなくとも、あなたの器量ならどうとでもなりますよ」
「なるほど」
「ええ、私ならローマ皇帝と同じで賽は投げられたとしか言えませんが、あなたは英霊のチカラがあります。犀(サイ)を投げる事も可能では?」
「アルさんじゃ無いっつうの!」
けれど、彼女の言いたい事はわかった。これはまだ萌芽だ。予感があるだけなのだ。人の心はどうなるかわからない。臆病風に吹かれても意味は無いけれど、待つ事は意味があるだろう。
〈魔術師のあなたが選ぶには最悪の相手ですけれど〉
そこだよなぁ。彼は魔術師とは縁遠いし、何より親が警察官だ。
〈それにガタイは良くても、アソコが大きいとは限りません〉
ああ、あなたのは立派ですよっと!
〈とは言え、生理を迎えて好みというか、本能レベルで嗜好が変わった? 〉
あ、そうか。それはあるか。妊娠すると食べ物の嗜好が変化する場合がある。もしかすればそれと同じような現象が起きたのかも知れない。
〈トンカツ好きがササミとプロテイン好きになったみたいな? 〉
どういう例えだ。でも、そういう事なのかなと妙に納得した。そんな事を念話で話していたら、障害物レースが始まっていた。これ、網くぐりや麻袋の他にアメ食いとパン食いの二種が途中にある。
アメ食いはバットに薄力粉が伸ばされ、そこにアメが隠されている。手を使わず顔面をバットに突っ込んで、口先でアメを探さなきゃいけないのだ。
無事にアメをゲットしても顔は真っ白になる。よくこんなのに、あの才媛二人が立候補したものだ。
2-Aの子に聞けば、ルヴィアはクラスに早くから溶け込んでいたという。やはりルヴィアの方が周りを良く見ているし、切り替えが早いのだ。
凛の腕を掴んで無理矢理立候補していたと聞いた。溶け込んで欲しいと願っての事だろう。
それを凛もわかっているのか、顔どころかツーサイドアップを白く染めてゴールしていた。あの子も変わってきた。私は思わず笑顔で帰ってきた二人を梯団席で抱きしめた。照れていたけど嬉しそうだった。
顔は洗面所で洗ったようだが、ルヴィアの髪もところどころ白い。ロールの端はバットに落ちたのか真っ白だった。私はルヴィアの髪を払ってあげつつ尋ねた。
「こういう競技だとわかっていますのに、どうして髪をまとめなかったのですか?」
「普段通りのままの方が、ギャップがあってウケますでしょう?」
「ルヴィア……。カッコいいですよ」
「あ、ありがとうございます」
ルヴィアはあの城で足手まといだった事を恥じていた。私も凜も責めてはいないのだが、大いに反省したらしい。今日のルヴィアも凛も輝いている。城であった事を話し合ったのだろう。
凛ももう、あの城でランスロットさんが、あの世界の桜人形を斬り伏せた事に気付いているのかも知れない。
1年生の競技をじっと見ている凛。その横で誰とも特定できない声援を送るルヴィア。種目は大縄跳びで、3学年18クラスの選抜選手が、グラウンドを目一杯使って飛んでいた。
18チームに占領されたグラウンド。なのにちょうど私達の前が1-Dだった。それを凛は食い入るように見ているのだ。そんなだからルヴィアは名前を呼べないのだ。う~ん……。
そしてその横は3-Eだった。大きな背中が縄を回している。タイミングをとる大きな声。少しだけキュンとした。
やがて午後のメイン、騎馬戦が始まった。短パンに半袖体操シャツのツワモノどもが隊列を組む。梯団対抗なので総当たりだ。2勝で勝ち抜き、1勝1敗で三者が並ぶなら、残っていた騎馬の数で判定される。確か1勝に付き100点だったと思う。
最初は我が赤梯団と青梯団だった。ドドドドォと足音が地響きとなり、ウオーッという戦士の怒声や激声の混ざった大音声が校舎に反響していた。午前の棒倒し以上だ。
そしてこの競技の恐ろしいところはハチマキや帽子を取るのではなく、相手の騎馬を崩すところなのだった。これも棒倒しと同じだ。ここの学園はどうなっているのだ?
先生方の間では、何度も何度も梯団ハチマキの争奪戦にしないかと話は出たらしい。
しかしそれは女子のハチマキ取りと被るからと反対意見が必ず出、子弟を通わすOBやOGが我が子の怪我も恐れず存続を嘆願するという珍しい事になっていた。
ちなみにハチマキ取りとはブルマの後ろにハチマキを挿して、それを全員で奪い合う鬼ごっこだ。おっさんホイホイだな。
ただ、これも大いに盛り上がるのは事実だ。なので女子は穂群原高等部に入学した段階でクラス分けの後、教科書や体操服を購入する際に、ハチマキも2本購入させられる。
中途編入の私も2本買った。そして必ず裏地の白い部分に学年とクラスと氏名を記入しなければならない。
普段の体育で使っても良いのだが、ほとんどの女子はこの日と球技大会でしか使わない。私は髪を纏めるのにゴム隠しのリボンとして良く使っていた。
今も纏めた髪の先で結んでいる。もう一本は競技中は額に巻き、今はネクタイのように首に巻いていた。
2本必要なのは競技後のハチマキが戻るまでに時間を要するからだった。なお、マラソンに出た私はこの競技が免除だった。残念!
そして士郎クン達の騎馬はボコボコにされながらも最後まで立っていた。目の周りにアザができてるぞ?
本当に敗走しない男だな。何でそんなになっても立っていられる? 理解できない。しかも試合は赤梯団の勝ちだし。
次は赤梯団と黄梯団の対戦だ。吉川クンは一番端で応援席側の騎馬だった。おいおい。そして合図とともに赤梯団の騎馬を蹴散らし、私が座る応援席の前にやって来た。マジですか……。よし。女は度胸だ。
「頑張れ~! 吉川ク~ン! ファイトッ!」
「おうッ!」
今、ここには女子しか居ない。凛とルヴィアもギョッとしている。他の子の顔も驚きと落胆の表情だった。吉川クン、モテるからなぁ。落胆組は彼のファンかも。悪いことをしたな。
けれど、何故か他の梯団を応援した私を裏切り者と見做す視線は無かった。そして心なしか、全騎馬の士気が一斉にダウンした。なんでさ?
「どういう事ですの?」
「さぁ、何かあったんでしょう。ともあれ剣道部の彼もモテるタイプみたいだけど、エルヴァが男子のみならず女子からも人気があるのを、本人が自覚していないのがなんともね」
「ああ、それで覇気が萎んだと。リン、女子からもとは?」
「あら、気付いてなかった? 特に下級生からの人気が凄いのよ。ある意味、私達もそうでしょう?」
「確かに、傍から見ればそうなりますわね」
「そうなんだよ。ホント、天然で凄い人だ」
「あら、ミツヅリさん」
「美綴さん、それは弓道部で?」
「ああ、部だと顕著だな。1年なんか男女問わず先輩のファンだぞ? 遠坂がよく見てる間桐なんかもそうだし」
「な!?」
「ハァ~……」
「2年も先輩のファンが多いな。衛宮はよく自制しているよ。私が男だったら玉砕覚悟で告白しているな」
「従姉弟ですわよ?」
「従姉弟でも結婚できるだろう?」
「それ、ヨーロッパじゃ無理な国もあるから。それ以前にモラルとして忌避されているわ」
「そっか。国によって違うんだな」
3回戦は青梯団と黄梯団の対決だった。今度の吉川クン達の騎馬は中央だった。結構強かった青梯団の、応援団長を擁する騎馬と直接対決するらしい。赤梯団を蹴散らした武者達と、赤梯団に届かなかった益荒男達。戦いの火蓋は切られた。
ウオ──ーッ! ドドドドドォォ! 良いなぁ。なんで女子に騎馬戦が無いのだろう。
「往くぞ! 吉川先輩! 騎馬の余力は十分かッ!」
「来い、衛宮! お前も男だ! 手加減はせんッ!」
何をやっているのだあの二人は。青はどうした? 目を凝らせば、青の応援団長達の騎馬は既に崩れていた。そもそもあの周囲でイテテとか言ってるゾンビは青梯団の人達ばかりだった。
二騎が激突した。私は拳を握って両者を応援した。そんな私の声を誰も気に留めない。何故なら全女子と保護者が張り裂けんばかりに叫んでいたからだ。
「衛宮、やるな?」
「先輩こそ」
「何で立っていられる?」
「それは……俺が、俺自身(のココロ)には負けられないからだッ!」
「お前は武の精神(ココロ)がわかっている」
魔術で音声を拾ったが、何を話し込んでいるのだ? 上の人がポカンとしているぞ? と言うか、皆んなすね毛が……。
ちなみに士郎クンの斜め右後ろは柳洞クンで、左後ろは後藤という男子だった。上の子は知らないけれど、穂群原での騎馬戦は梯団が同じであれば、クラスや学年が違っても馬が組めた。
全学年通して馬が組めない場合は年の若い教師が補助に入る事となっていた。かつて新人だった頃の葛木先生が、今柳洞クンが入っている位置に収まり、累々の屍を築いたという伝説がある。5年前の事らしいけど、本当か?
だけど時は無情だ。無残なタイムアップが来た。青梯団で残った騎馬は士郎クン達だけだった。勝敗は決した。黄梯団の勝ちである。両者、お風呂で滲みるだろうなぁ。
結果は2連勝した黄梯団が優勝。1勝1敗の赤梯団が2位。2連敗の青梯団が3位だった。
熱き戦いは終わった。席に戻るゾンビ達も、応援席で戦士を向かえる女子達も泣いていた。私も感動していた。失くならないはずだ、この競技。こんなにも感動するなんて。
そして2年女子のメイポールダンスとハチマキ取りが続く。凛もルヴィアも制服に着替えて入場門に向かった。これ、次のハチマキ取りまでに着替える時間があるのか?
私は慌てて、二人の座席の下にある袋を持って退場門で待機した。中には運動靴も入っているようだ。
ダンスはヨーロッパ人ならどこかで見た事がある内容だ。五月祭で行われる場合が多いだろうか?
センターに棒を立てて、その棒の頭から長いリボンが、そのサークル全員分垂れている。その端を掴んで、リボンを棒に巻いたり解いたりするダンスだ。私も何度か参加していて、どこの村でもやっているありきたりな春の踊りだ。
これがドイツの北部から北に行けばワルプルギスの夜になる。ルヴィアもこちらの文化だ。南に行けば普通の謝肉祭か五月祭。ただスイスは山国なので少しだけ違う。謝肉祭もあるけれど、チューリッヒには4月に早春祭りというのがある。
人々は中世の頃の衣装で着飾り、市内のあちこちで舞踏会が開かれる。そしてクライマックスは巨大な雪だるまを火炙りにして祭りが終わる。
雪だるま人形の中には爆竹が仕込まれていて、パンパンッ、パンパンッと喧しい。けれどこの人形の燃え方でその年の短い夏の天候を占ってきた伝統ある行事なのだ。
私も小さな頃はドレスを着て、ルヴィアみたいに髪をくるくる巻いて、乳母と連れ立って参加していた。そんな事を思い出すのは、やはりこのダンスが私の目からはお祭りと密着しているからだ。
ダンスが終わった。ルヴィアと凛を労う。
「良かったですよ」
「ありがとう、わざわざ持って来てくれたんだ?」
「着替えをどうしましょうと思っていましたものね」
「とにかく下に体操服を着ているのでしょう? 靴を履き替えて下さい。ブラウスとスカートは、私が後で畳んでおきますから」
「お願い。ホント、助かる」
「では、お願いします」
「任せて下さい」
そうして彼女達の制服を預かった。ぽつねんと取り残された梯団席で、綺麗に折り畳んで袋にしまう。
やがて始まった女子のハチマキ取りは、キャッキャ、ウフフ、オホホのホと、お互いの尻尾を奪い合う可愛い競技だった。
薫は腰を振って相手を躱し、リーチの長さを活かして既にハチマキを何十本も奪っていた。蒔寺さんはフィールドの角から角を全力疾走していた。
ってか、マラソンに出れば免除だろうに、あの子は出ていたのか? これは私も出るべきだったか?
けれど蒔寺さんはハチマキを2本ほどしか取れていなかった。そりゃ、あんな避け方だと攻撃もできないよ。一方、氷室さんは華麗なステップで相手を躱しつつ、ハチマキもしっかり取っていた。これが普通だろうね。
そしてそれは凛も同じだった。やっぱり凛は運動神経が良い。反射神経も。ルヴィアは数本取ったところで横合いから取られていた。惜しい。
三枝さんは1年生から早々に取られていた。桜ちゃんは何本か取っていて、今だに走っている。エルならハチマキをパンツに縫い付けて失格だろうか。
フィールドには姉さんもエルも居ない。競技内容は違うだろうけど、あちらの体育祭を観に行きたいなぁ。
そしてフィールドの真ん中よりやや本部席に近いあたりで、運命が扉をノックした。間桐と遠坂が対峙して固有結界を展開していたのだ。
これはFateか Destinyか、或いは Fortuneか。固まった二人がじりじりと動き出す。じりじりじりじり……。
あ!?
突如、凛が後ろに振り向いて走って逃げた。こら、運命から逃げるな! けれど、尻尾が下に落ちない? あなたは忍者か?!
そしてあろう事か、彼女はフィールドから脱走してしまった。尻尾を取られた人は外野でしゃがんで待機しているのだが、その垣根をナチから逃れるマックイーンのように飛び越えて逃げたのだ。凛……。
唖然とする桜ちゃん。私は魔術を使って、ある人物に声を届けた。聞いた本人には遠くから聞こえたようにしか感じない。
「間桐さん! 走りなさい! 横合いから狙われる!」
私の声で我に返った桜ちゃんが、さながら地獄へ引き摺り込むかのような魔の手から逃がれた。結局、桜ちゃんは制限時間一杯まで尻尾を死守した。
得点はハチマキの数で決まるので、集計が終わるまで得点は不明だった。ただ、何となく青が勝った気がする。戻って来た凛は、顔が真っ赤で涙目だった。何も言わないでおこう。本当に想定外の事に弱いなぁ。
やがて、再び戦いの時が来た。クライマックス。梯団対抗リレーである。走者は各クラス男女1名を選び、1梯団に付き12人で勝敗を競う。一人200mはクラス対抗と同じである。
なお午前中のクラス対抗と午後の大縄跳び、そしてこの梯団対抗リレーはクラス表彰の対象となっている。後日発表されるのだが、優勝すれば卒業式でも栄誉を讃えられるそうだ。動かなくなってきた3年生を動かすには良い案かも知れない。
ネクタイ風に首に巻いていたメインのハチマキを再び額に回す。私は第8走者だったが、陸上部員や応援団長の要望で急遽アンカーに指名された。舞台は整った。よし、やってやろう!
さすがにここは厳しい相手が揃っていた。各梯団が抜きつ抜かれつ拮抗していた。
声援が遠くなる。第10走者辺りで音声が消えた。心臓の音が響く。体中の血管を流れる血液を感じ取れる。係の誘導で真ん中のレーンに入った。
赤いハチマキの人の姿が徐々に大きくなる。前を向き、右手を後ろ回して加速する。手のひらにバトンの感触。握り直してセカンドにギアを切り替えた。それをサード、フォース、トップとシフトアップする。
今の私は何だろう? あのEG6だろうか? それともあのMR-Sだろうか? いや、ここはトラックだ。なら、HONDAエンジンを積んだインディ・カーだろう。プォ──ンという甲高いエキゾーストノートが頭の中でこだまする。
ほんの数ヶ月で色んな事があった。突然見知らぬ世界に流され、姉そっくりな小学生と出会い、カードを回収して、倫敦に行き、散々探して半ば諦めていた異なる世界の自分に逢えた。
そして再び世界を越えて戦い、妹達の友人の兄を救けた。彼らもそうだが、私は養親となってくれた両親と、妹達家族を護って行きたい。そう、私はここで生きていくのだ。
身体のVTECが切り替わる。クンッと加速する私。英霊のチカラとか要らない。ココロはもうゴールしていた。遅れてカラダがゴールした。振り返れば後続を30メートル近く離していた。
『3-A、アインツベルン選手! 文句なしの1着! 速い、速い! 彼女こそ穂室原一のランナーだ!!』
『Aチームの陸上部メンバーから推薦されてのアンカーだそうです。このタイムが我が校で破られる日は来るのか?』
『念のために話ますが、区間タイムは21秒53。手動計測ですので、当然誤差が考えられますが、このタイムは高校生を飛び越えて、女子の日本一です。また、世界記録はソウル・オリンピックでジョイナー選手が打ち立てた21秒34です。なんとその差は0秒19。そして世界記録の2位はジョーンズ選手の21秒62です。アインツベルン選手の今回の走りはこれを上回っています!』
『オリンピック級!?』
「先輩……」
「やり過ぎでしょう? あれで抑えているつもりでしょうが」
「エル……。帰ったらあなたも記録に挑戦よ?」
「姉さん、無茶を言わないで下さい。隠蔽の暗示を掛けるのも私ですよ?」
「ハハハ……。オリンピック選手並だって、アイリ……どうすれば……」
「もう~。どんと構えなさいよ。それに、あなた。エルヴァちゃんはエルヴァちゃんよ?」
「幾ら何でも凄過ぎだよ……。僕みたいな日陰者が保護者をしていて良いんだろうか……?」
「さすがはお姉ちゃんね」
「うん……。けど、遠くなっちゃったな……」
「バカねぇ。遠かろうが近かろうが、お姉ちゃんはお姉ちゃんでしょう? それもあなた達の?」
「あ」
「ね?」
「そうだね。クロも悩んだの?」
「ん……悩んだと言うか。あっちは私が目指している場所の頂点に、7歳で立っちゃった人だから」
「そっか」
「うん。私は私、あなたはあなた。どこまでできるか。やるだけよ」
閉会式と表彰が終わり、椅子の足を拭いて教室に戻った。
廊下で男子から椅子を預かる。B組の女子は男子に椅子を預けていた。ここではA・C・E組は女子、B・D・F組では男子が更衣する決まりだった。
だから余韻も何もあったものでは無い。早く着替えないとクラスの半数が入れないのだ。
あちらでは教室と教室の間に更衣室とロッカールームがあって、かなり便利だったのだけど。同じ穂群原でもかなり違う。
ま、あちらは学園を買い取って、資金がかなり注ぎ込まれていた。私達が高校に上がる頃は、全校舎が建て替えられていたのだ。なので校舎の位置が異なっている。
例えばこちらでは正門前の道路と校舎がかなり離れているが、あちらでは道路に面していたし、正門前の公園は学園の敷地で、第二グラウンドとして活用されていた。ここまで違うのは元の世界だけだった。
ショートホームルームが終わり下足室に向かうと吉川クンが居た。
「待っていた?」
「ああ、おめでとう。勝ったな、お前は凄い奴だ。それが言いたかった」
「ありがとうございます」
そして私達は駐輪場まで歩いた。特にこれという内容のない話を交わしつつ歩いていたら、駐輪場で士郎クンが待っていた。彼の方が早く終わったらしい。吉川クンは士郎クンの健闘を讃えた。照れる士郎クン。
いや、誇って良いだろう。キミは十分戦ったよ。そして今夜は家族とお祝いがあるからと、坂を降りきった交差点で吉川クンとわかれたのだった。こうして私の最後の体育祭は終わった。
今夜の食事は向かいで摂る。お祝いと話したのは本当の事だった。
凛とルヴィアに悪い気がしたが、家族の団欒なのだから楽しんで来いと見送られてしまった。彼女達の活躍は先生が聞いてくれるだろう。そして英霊の姉さんのお相手は、お兄ちゃんとセイバーが買って出てくれた。
シャワーを浴びたいところだが、もう用意ができていて皆んなが待っているとエルから念話が届いた。仕方なく私は体操服だけを洗濯かごに入れ、制服のままお向かいに行った。
リビングの配置が少し変わっていた。元々あったローテーブルと同じ高さのテーブルがくっついていて、クッションがたくさん出ている。ダイニングのテーブルやキッチンのカウンターには、調理済みの料理が大皿で並んでいた。
トングや取り箸が大皿ごとにある。なるほどヴァイキング形式で、リビングで座って食べる訳だ。お父さんが居て、お母様が居て、姉さんにエルにセラにリズ、士郎クンに妹達が四人の総勢12人。
料理はお兄ちゃんとセラが、あちらでコックさんと一緒に作ったそうだ。なのであちらでは同じ料理が出ているとか。
「士郎、君の席はここだよ。エルヴァ君の隣。今日、活躍した二人が正面に来ないでどうするんだい?」
そうして士郎クンと並んで座った訳だけど、明日は小学部の運動会だ。同じような事をまたするの?
そこを問えば、明日は向かいでパーティーなのだそうだ。ああ、美遊ちゃんのために。お父さんは色々考えていた。けれどあちらの士郎クンはどうするのだろう?
〈認識阻害を掛けても良いけれど、こちらの士郎クンにエルがとっくに暗示を掛けてあるの。でないと、新都でパッタリとか。今後は絶対にそういうのがあるんだから〉
姉さんが念話で伝えてきた。確かにその通りだ。それならエーデルフェルトと堂々と名乗り、美遊ちゃんの兄だと紹介してしまう方が良いだろう。
シャンパンで乾杯してパーティが始まった。士郎クンや私の話を皆んなが聞いてくれた。パーティも終わろうかという頃に、エルは私に白旗宣言をした。はい?
「もう素の体力ではあなたに勝てません。潔く負けを認めます」
「そんな……」
「3000mはともかく200mが可怪しいでしょう? あれは私には無理ですよ」
それは私も思っていた。
「なら、あの記録がどうして出たかわかりますか?」
「元々ドレイン巧者な人が英霊を支えるために霊脈と繋がり、なおかつ魔術回路が変容して行く段階で急激な魔力飢餓状態に陥った。拠って平素から無意識で、地面や大気からドレインを行っているのですよ。ですが身体が溜め込める魔力にも限界はあります。なので余剰魔力を、これまた無意識にプシュプシュと放出しているのですね。それが走った時には後方にブシュッと。言ってみれば勢いのあるおならで加速を上乗せしているのです」
士郎クンにはおならで加速したという部分しか聞こえていない。下品な冗談だと思っているだろう。本当にお尻から出ている訳では無いが、背中や太腿の裏にふくらはぎ、それに足の裏などから出ていたのだと思う。
それは身体も軽いだろう。いわゆる常時追い風状態なのだから。これは気付かなかった。
つまり200mの最後で感じたVTECは、その魔力放出量が増えた状態なのだった。しまった。受肉する前ならセイバー並みに魔力放出できていたのかも知れない。試しておけば良かった。後の祭りとはこの事だった。
そして念話で伝えられた内容はもっと不思議な、けれど納得できる話だった。剣製の英霊を核にして受肉した事で、私の魔術属性が火に寄っているらしい。つまり家系属性の地はそのままだが、風が少し弱くなっているのだそうだ。
なぜ火なのか。それは剣が火の下位属性だからだ。その剣が上乗せされた事で火が強くなった。だけど強くなった分、風の属性がコントロールしにくくなっているのだと彼女はいう。
だから放出していても自分でわからなかったのだろうと。これをして放屁に例えるのか……。
お開きになり、お礼を述べてから向かいに戻った。こちらでも皆んなにお礼を言ってから部屋に向かった。いい加減着替えたかったのだ。
自分の部屋に入ると英霊の姉さんが待っていた。礼装でなく今朝の制服でもなく、カジュアルなスタイルだった。ただいまと言おうとしたら、無言で抱きしめられ額にキスされた。
「頑張ったね。格好良かったよ」
「ありがとうございます」
そして連れ立ってお風呂に行った。いつもより口数が少ない。きっと言葉にするのが難しいのだろう。『頑張ったね。格好良かったよ』あれが精一杯だったのだ。だってそういう経験が無かったろうから。
なので先に背中を洗ってあげて、終わったら交代して洗って下さいとお願いした。昔、セラに洗って貰ったと懐かしそうに話していた。そして私の背中を流しながらおっぱいを触ってきた。
「おイタはいけませんよ?」
「あれ、そういう反応なんだ?」
「そういうのがお好みなら、今夜、女の子同士で楽しみますか? リードしますよ?」
「ちょっ!? 参ったなぁ。あなたには勝てないわ」
夜は二人で眠った。襲われる事は無かった。あれもこの人なりのスキンシップなのだ。
翌日の日曜日。今日は小学部の運動会だ。
食堂に降りて朝の挨拶を交わすと、皆んな起きていた。厨房では姉さんが、士郎クンとお弁当に入れる惣菜を作っていた。その後に走るらしいから、久々にご一緒したいとお願いしたら断られた。
「あなたは彼女担当よ。幾ら能力があっても、巫女の姉さんより子供っぽいところがある人だから。寂しい思いをさせちゃダメよ?」
やはり良く見ている。それを霊体化して聞いていた方は舌を出していたが、感謝の気持ちがパスから伝わっていた。
「フラレました。一緒に走って頂けますか?」
「うん!」
帰りがけ、途中にある公園で師妹五人が体操をしていた。あれは遠坂式呼吸法を取り入れた体操で、魔力の循環が良くなるのだ。勿論、考え出したのは先生だ。
先生は魔術だけの人ではない。元々肉弾派な性格に加え、シロウさんとともに延べ1600年も自らの拳法を鍛え上げて来た人でもあるのだ。
なので、実は素でメチャクチャ強い。おそらく開祖の全盛期よりも強いだろう。圏境とか普通に使って来るので、一度も組手で勝てた試しがない。
第四次の並行世界では、英霊のチカラを切っていても全盛期の言峰神父を瞬殺する強さだ。何が言いたいかというと、弟子のお嬢様な凜もかなり強いという事だ。
きっと凜の弟子となった凛やルヴィアも感化されて、近い内に拳法を始めるのではなかろうか。
向こうから士郎クンが走ってきた。姉さんは目聡く霊体化していた。
「おはようございます」
「おはよう」
「士郎クン。お弁当は?」
「もう、仕込んであって詰めるだけなんだ。セラとリーゼリットがルヴィアさんちに運んでいるよ」
「小学生なら重箱かな?」
「うん、多分そうだと思う。その方が雰囲気出るだろうし。クロエ、来て欲しそうだったぞ?」
「場所が狭いでしょう? 高校生組は邪魔になるだけです。その分、あちらのイリヤちゃんやクロちゃんが応援に行けば良いですよ」
「クロは行かないって言ってたけど、ケンカでもしたのかな?」
「ああ、なるほど。それは違いますよ。クロエちゃんが恥ずかしがるとわかっているからですよ」
「やっぱり。あの子はお姉ちゃんだよな?」
「でしょう? イリヤちゃん同士なら、簡単ですね。恥ずかしがっても、来てくれれば来てくれたで喜びますから」
「だよな。イリヤはそういうヤツだ」
その後、部屋でシャワーを浴びて着替えた。
「シロウもよく走るね?」
「足腰を作っておかないと弓が定まりませんから」
「うん、わかる。いつも足場が良いとは限らないからね」
「いや、あの子は戦うために弓を手に取る訳では無いので……」
「あ、そっか。基礎体力を上げて、狙いを安定させるためね?」
「そうです、正解です。それで姉さん、姉さんにその能力を残してくれたのは誰です?」
「あなたの記憶を見た限り、あのアーチャーって、2番目の最後の分霊なんでしょう?」
「そうです」
「なら、別の彼だと思う。1番目とか3番目とかじゃなく。彼の別の側面っていうか」
やはり。兄ではない2番目の分霊だ。だから波長が合うのだ。
「やっぱり。そんな気がしていました。それで引き摺り込まれるような感覚とかはありませんか?」
「それは無いわ。だって、私も一応英霊よ? それにクロちゃんとクロエちゃんは、小聖杯がガードしてくれているんでしょう? 私もそこがあると思うわ。問題があるとすれば、あなたでしょうに。何も問題ないの?」
「今のところは。ただ、目に見えない固有結界を常時持ち歩いている奇妙な感覚はあります」
「え?」
「的に狙いを付けると、矢だけでなく、他の剣も勝手に飛んで行きそうな」
「そうなんだ……。不思議だし、心配ね? 原因はカードの残滓だろうけど、理由が不明だよね……」
「ええ……。なんとなくですが、有りもしない固有結界を展開しようとしている気もします」
「なるほどね。それだけの質を持った魔術回路があるからかな?」
「かも知れません」
「双子でしょう? どうしてそこまで回路が違うの?」
「胎児の頃からの調整の違い。物心が付いてからの修練の違い。色々あると思います」
「なるほど。でさ、お弁当を作っている方のシロウは大丈夫なの?」
「ええ、彼が今持っているカードはエルが作り直したもので、リミッターが入っています。使い続ければ数年以内に私みたいに全身褐色になるでしょうけど、英霊の思念に振り回される事はもうないと思います」
「そう。なら、良いんだけど。それに返す返すも、あの子やリン達に勧めた仕事は良い案だわ」
「ですよね? 私も良い案だと思います。後はどこまで伸びるかですね」
「大丈夫よ。あの子は。どのシロウとも違うわ。ちゃんと帰るべき場所と、待ってくれている人の事をわかっているから。それに世界に祈らないと、きちんと約束してくれたわ」
「そうでしたか。結構話されていたのですね?」
「うん。ただアインツベルンのない世界だったんでしょう? 縁がないからピンと来ない部分もあるらしくて。それであんまり良くない事かも知れないけれど、私の知る聖杯戦争の事を教えてあげたの」
「そちらの桜ちゃんの事も?」
「ええ。あなた達が先生と呼ぶ方のリンが話せって」
「大丈夫でしたか?」
「かなり怒ってた。でも、サクラをシロウが救ったと知って喜んでいたわ」
「本当に?」
「悔しかったと思うよ。けど、そんな事を言わない子なのね。シロウはシロウでも、あの子はミユちゃんのお兄ちゃんなのよ。イリヤちゃんやクロエちゃんのお兄ちゃんと同じで、また違うシロウなんだと思う。キバセンだっけ? あの子達はああいうので良いのよ」
「そうですね」
朝食を終えると、五段積みの重箱を3セットもエルと姉さんが運んでいた。クルマはお父さんのレンジローバーとオーギュストさんのロールスロイスだ。帰りもオーギュストさんが迎えに行くらしい。美遊お嬢様、凄いな。
それで士郎クンは走っていって、どこかで隠れて見学するそうだ。そして皆んなを見送った後に、半袖のメイド服に着替えた私は洗濯と掃除に取り掛かった。
「あなたとあっちのエルはどうして家事をする時にメイド服に着替えるの?」
「そうですね。さぁ、家事をするぞっていう気分転換の意味もありますが、このエーデルフェルトのメイド服って、実はかなり機能的なのですよ」
「そうなの?」
そして私はクローゼットに掛かった長袖を取り出した。
「ええ。長袖で説明しますと、まずこの紺色のワンピースですが、中にブラウスを重ね着する事で首周りが汚れないし、動きやすいようにゆったり目のブラウスを着ていても目立ちません。しかも脇やウエストにダーツや切り返しがあって窮屈に感じないのです。そしてこの今着ている夏用の半袖も、ほら、脇にゆとりがあるでしょう?」
「本当だね?」
「襟は付け襟ですが、これが冬用にも使えます。その場合は春秋用ですね。そしてこの白いエプロン。紐で通してスカートの下側と離れない構造になっているのですね。この真ん中と一番下のところですけど。こうすると床磨きで立ち上がる時に踏んづけたりしませんし、汚れた時の交換も簡単です。頭だけはエプロンと同じフリルの付いた三角巾を自分で作りました。本来は炊事や掃除の時がメイドキャップで、給仕やお茶をお出しする場合はヘッドドレスと決まっているそうです。ですがここは別宅なので、オーギュストさんもあまり煩く言わないらしいですね」
「この頭のだね? どうして自分で作ったの?」
「メイドキャップは浅い型だと絵にはなっても実用に向かないですし、深い型だとかっこ悪いですからね。ヘッドドレスはナースキャップと同じで、本当にコスプレ以外の意味がありません。あれは雇用主の目を楽しませるものだと思います。実用ならこういう三角巾ですよ」
「なるほど。この胸のところにブローチを付けている人がいるよね? あの人は?」
「こちらのメイド長です。執事のオーギュストさんの次に偉い人で、コック長のニコさんと同格だったかな?」
「ふ~ん。でも、こういうデザインは良いよね? アインツベルンのは変だったからなぁ」
「あれは髪の毛を落とさないためというのもありますが、工房で劇薬などが飛んでも身を護れるようにとの意味もあります。またあの生地に魔力の籠もった薬品が触れると、サッと色が変わるようになっているのですよ」
「そうなの?」
「そうです。なので私もエルの一部だった頃は、工房であれを着ていましたよ。肌を護る事も大切ですからね」
「あ~、そうだったんだ。知らなかったなぁ」
「あれ、知りませんでした? あのメイド服はアハトの家だけではありませんよ? 一族全員が使っている由緒あるメイド服なのです。私は乳母から家事の方法を学ぶために、3歳頃から着ていましたから」
「へぇ~。あれって汚れた時はどうするの?」
「アハトの城の地下にリネン室と並んでランドリールームがあって、そこで特製洗剤で洗っていたと思います。あれだけ真っ白なのに、意外と汚れ落ちが良くて、黄ばみ難くて。軽い術式が編んであるのがミソです」
「やっぱり、そういうのがあるんだ?」
「どこの家もそんなものですよ」
エーデルフェルトのランドリールームには、業務用の大型ドラムと家庭用の洗濯機が何台か並んでいる。これは本国でも同じで、手洗いに拘る魔術師はまず居ない。
拘るのは洗剤や添加剤の方で、名の通った家なら独自の洗剤を調合していたりするものだ。ここのエーデルフェルトもオリジナルの洗剤を使っていた。
これを使えば汗を吸った体操服もブラウスも白さを取り戻す。私はこの洗剤のファンだった。
ブラやパンツをネットに入れ、色柄モノと白いモノを分けて、2台のスイッチを入れた。洗濯機を回した後は、自分の部屋と部屋の前の廊下を掃除した。
それが片付く頃にちょうど洗濯が終わる。脱水された衣類を取り出し、乾燥機に放り込んだ。
ここで少し休憩しつつ、アイロン台や枕を取り出した。乾燥が終わればアイロン掛けだ。アイロンというか焼きごては業務用のスイッチが二連になったタイプで、天井から伸びたコンセントに挿して使う。
制服のブラウスは枕が無いと厳しい。特に襟と半袖のパフは難しい。スカートもピシッとアイロンプレスを掛けた。これは比較的楽だ。
お祖父様の家や以前の家にエーデルフェルト、どこもこういうランドリールームやユーティリティールームがある。ここはこのランドリールームと続きの間がユーティリティールームで、ミシンが並んでいる。
姉さんはミシン掛けしている人にインタビューしていた。
アイロン掛けを終える頃は、ここで働くメイド達で一杯になった。リネン担当の人がたくさんのシーツを一番大きな業務用洗濯機に入れている。シーツと枕カバーは毎日交換するが、洗濯は2日に1回だった。
あれは洗った後に糊付けして、専用アイロンで全部綺麗に畳まなきゃいけないのだ。大変だなぁ。ご挨拶すると笑顔で返事を返して下さる。
皆んな働き者で愚痴を零したり陰口を叩く人も居ない。高給なのもあるが、これがエーデルフェルトの格なのだった。
「今日は日曜ですよ? デートとかしないのですか?」
「彼氏は本国で待たせているの。2年お嬢様にお仕えすれば、結婚資金がラクラク貯まるんだもの」
「年季奉公はあとどのくらい?」
「私は残り半年。でも居心地良いので延長申請しているの」
「私は1年ね。それで帰るわ」
異国まで来て、住み込みで働く。大変な事だけれど、大抵の人は魔術師の家系に産まれた女性だ。中には本家で仕えて作法を学べと出さている分家の跡取り娘も居る。
実家がしっかりしている人は年季が明けると家に戻るが、そうでない人は何年もエーデルフェルトに仕える。本国の本宅勤務の人達はそういうベテラン揃いだ。
姉さんと談笑しているミシンを掛けていた人は、エーデルフェルトでも上から数えて3番目の分家の跡取りだったと思う。かなり大きな家だったはずだ。
そんな人でも本家のメイドを務めている。これは名門の家によくある事だった。本家が分家の子弟を預かり、花嫁修業や婿修行を率先して行うのだ。
こうすると分家としても有り難いし、本家としても本家をもり立てる分家が育てられるのだ。
ノインのお祖父様の家でもそうだったと言いたいが、こちらはメイドと言えばホムンクルスだ。中には人を雇う親族もあったが、あそこはどうなのだろう? 何れにせよエーデルフェルトは名門中の名門だ。
「今日はミユお嬢様の学校でスポーツのお祭りなんだって」
「昨日がお嬢様とトオサカ様でしょう?」
「ウンドウカイだっけ? 日本って変わった催しがあるのね?」
嫁さん担いで走ったり、携帯電話を投げて飛距離を競う国の人が何を言うやら。
エアギター選手権や、氷の浮かんだプールで泳ぐウィンタースイミングや、泥んこサッカーに蚊叩き選手権、それからコケモモ摘み選手権とか、変な競技が目白押しなのがフィンランドだろうに。
とは言えこれは長い冬で鬱積するから、イベントで盛り上げようという国民性もあるのだと思う。日照時間が少ないので鬱病になる人も多く、それでビタミンDのサプリが大量にドラッグストアに並ぶのもフィンランドなのだった。
鮭をバクバク食べるのもビタミンDが豊富だからだ。自然の恵みは気候風土とマッチしている。
動物性の方が良いらしいけれど、ルヴィアに私が中華料理をご馳走する時にきくらげを多く使ったり、姉さんが和食をご馳走する時にタタミイワシやイワシの丸干し、しらす干しなどを多く使うのはこれまたビタミンDが豊富だからだ。
友人とはそういうものだと思う。どうだろうか?
俺は衛宮士郎。今、小学部校外の木の上から妹の活躍を見守っている。木の上に立って見るのは親じゃないかって? そうかも知れない。けど、俺はあいつの兄であって親でもあるんだ。だから、間違いなんかじゃない。
それはともかく、当初は個別のお弁当を作ろうかと思っていたが、結局イリヤさん達と意見を擦り合わせ重箱に詰めるカタチにした。喜んでくれると良いのだが。
切嗣さんからは赤丸入りのプログラムを頂いた。ありがたい。5年生は徒競走に団演、障害物にリレー。それと応援合戦にも赤丸があった。
なんと美遊はイリヤちゃんと応援団なのだとか。クロエちゃんはリレーで伝説を作ると話しているらしい。なんでもエルヴァさんが昨日凄かったらしく、火が着いたようだ。怪我しないようにな。
さて、このまま見ていても良いけれど、そろそろ帰ろうか。そう思って目線をずらせば、目を潰したくなった。この世界の俺が桜と手を繋いで歩いていたのだ。
羨ましいという気持ちもある。けれど、それより眩しい気持ちの方が強かった。
二度と手に入らない、登下校の日々。スターンッと響く矢の音と後輩の拍手の音。何もかもが懐かしい。朴念仁な俺でもルヴィアさんの気持ちには気付いている。
だけどもう少し待って欲しい。この幻が思い出になる日は近いと思うから。あ、あいつら木陰に入って……うっわ!
「何を出歯亀をしとるのだお前は」
「ひゃい!? アーチャーさんか、驚かすなよ」
「ふん。羨ましいか?」
「前ほどには。今は眩しさの方が強いな」
「そうか。カードの具合はどうだ?」
「大丈夫だ。前みたいに引き摺り込まれる感覚もないよ」
「そうか……。お前、私達が去った後はランスロット卿に稽古を付けて貰え」
「ランスロットさんに? セイバーさんじゃなく?」
「セイバーの剣はお前には合わん。ランスロットの方が絶対に合う。私はそう思うがな」
「そうなのか。わかった、今度会った時に頼んでみるよ」
「ああ。そうだコイツを忘れていた。水筒だ」
「え?」
「だんだん暑くなって来た。定期的に水分を摂らんと」
「ありがと。けど、もうじき帰ろうかと思ってたんだ」
「なんだ、薄情だな?」
「元気に帰ってきたあいつの話を聞いてやる方が兄貴らしいかなって」
「そうだな……。見たくもないキスシーンを見ずに済むしな?」
「フフ……ハハハ」
「では、先に帰るぞ」
「俺も帰ります。パーティの仕込みをしている方が性に合うよ」
「お前もじっとしておれん人間だな?」
「あなたやシロウさんよりマシだと思うけどな」
「クク……言うようになったな」
それで俺は家に帰った。勿論、水筒の中身は家で飲んだぞ。
着替えに部屋へ戻ろうとしたら、美遊の部屋からエルヴァさんが出て来た。いつものメイド服姿だ。掃除をしてくれたらしい。
「エルヴァさん、悪い」
「いえ、ついででしたから」
「もしかして俺の部屋も?」
「そちらはまだです。と言うか本職のメイドさんの方が気楽でしょう? ですから勝手に入りませんよ」
「ちょっと、エルヴァ。わかんない」
「はいはい」
ああ、とっくに掃除は終わっていて、英霊のイリヤさんと洗濯物を畳んでくれていたのか。
「イリヤさんはお嬢様育ちだろ? 何でそんな慣れない事を?」
「エルヴァやシロウの姉になりたいからよ。あっちのイリヤに負けてられないでしょう?」
そう返されるとは思わなかったな。
「それはイリヤちゃんやクロエちゃんに、美遊の事も含まれてるのか?」
「当然でしょう? 確かにあなたやミユちゃんとは接点が無かったけれど、せっかく知り合ったんだから仲良くしても良いじゃない。ダメ?」
「ダ、ダメって事は無いぞ。でも不思議な気持ちになるな」
「それはわかるよ? でもお料理やお掃除の仕方を教えて欲しいな?」
「わかった。それは教えるよ」
「やった! じゃ、エルヴァ、後はお願い。私はシロウにお料理を教わるから」
「こらこら」
「まぁ、良いですよ。残りはやっておきます。美遊ちゃんの小さかった頃より酷いと思いますが、よろしくお願いします」
「失礼ね~。昔、シロウに目玉焼きを作ってあげた事もあるのよ?」
「12日目の朝は、石炭みたいな黒焦げトーストと、半熟目玉焼きにザクザクで汁がだらだらなトマトでしたね?」
「何で知ってるの?! ってか12日目なの? 憶えてないよ!」
「聞いていたからですよ。巫女の姉も同じ事をしたらしいです。それでも美味しいって食べてくれたとか」
「うん。私のシロウもそうだったな」
「ガッツあるなぁ」
「どういう事よ?」
そうして俺はイリヤさんと厨房に向かった。実はエルヴァさんもイリヤさんも校庭の樹に意識の一部を移して、美遊達の運動会を視ていた。俺と会話しながらだから、ホントに凄い魔術師だ。
厨房にはアーチャーさんとコックのニコさんしか居らず、シロウさんは足りない食材の買い出しだった。俺はアーチャーさんの指示の下、下拵えや仕込みを手伝った。イリヤさんも包丁は扱えるらしく、同じくアーチャーさんの指示で野菜を切っていた。
実はこの仕込みというか調理が大変で、好きなものを作って終わりでは無い。厨房をお借りするお礼を兼ねて、このエーデルフェルトで働く全員分の食事を賄わなければならないのだ。
普段ならニコさんと補助のメイドが三人入るらしい。それを今はニコさんと俺がメインで入っている。シロウさんはお手本を示せば後は全部俺にやらせる。これはそうしないと宝具が発動するからだ。どんな領域の料理だ。
そしてアーチャーさんもシロウさんに負けず劣らずな料理上手だが、あの人はエルさんの指示で警備に絡んだ仕事もあるので、厨房に入る日と入らない日があった。
「これ、レシピを書いたのお姉さんのイリヤさん?」
「うむ。そこへエルと私の希望も足している。子供達には喜んで貰いたいからな」
「だよな」
レシピは子供が好きそうなメニューがこれでもかと並んでいた。それを全部ミニサイズで作ろうというのだ。
例えばミートボールは3cm大でなく、1.5cm大。ピザも7cmくらいのミニミニサイズだ。カレーもあれば、ポークチャップに鶏モモの照り焼きもある。
「このゴボウをナツメグと生姜を少々入れてコンソメで煮るって何だろう?」
「ゴボウを骨に見立てるのだ。みじん切りにしたタマネギを炒めてそのゴボウの周りに巻いて、更に挽き肉を巻いて骨付きハンバーグにするのさ。今回は一口サイズだが、15cmくらいの大きさで作れば立派なメインにもなる。マンモスの肉みたいでウケるぞ」
「へぇ~。このたこ焼き用の鉄板は? レシピにたこ焼きなんて無いけど?」
「それはオムライス用だ。溶き卵の中にケチャップライスを落としていくのさ」
「これ、イリヤさんが考えたのか?」
「イリヤはイリヤだが、あちらに残してきた巫女をやっているイリヤのレシピさ。そこにお前の知るイリヤとエルが手を加えているのだ。私のレシピもその中に幾つかあるが、それも巫女のイリヤに触発されて産まれたレシピさ」
「その人、変わった事が好きなの?」
「ああ、君が気になるのはわかる。シロウの薫陶を得て、イリヤもエルも料理が得意だ。だから彼女は王道でなく変化球を研究していてな。B級グルメ研究家だよ。イリヤもエルも子供時代は彼女のアレンジたこ焼きをおやつにしていた」
「へぇ~。夢のある人だなぁ」
「うん、良いわね。そういう私も居るんだ?」
「君もこういうのを研究するか?」
「そうね。でもきっと、その人は普通のお料理も上手なのよ。だから面白い事もできるのだと思う」
「正解だ。そこがわかっていれば君ならではの料理が見付かる日も近いだろう」
「ありがとう。でさ、どうしてエルヴァもイリヤもその人もお料理が上手なの?」
「簡単な事さ。錬金術師であり魔術師だからだ。工房で薬品を扱うのも、台所で調味料を扱うのも基本は同じだ。規定量を正しい手順で使っているかどうかだからな。君は今まで小聖杯に頼り過ぎていた訳だ」
「ああ、それだわ」
「イリヤさん、やっぱり基本となる手順は大事って事だよ」
「そういう事よね」
それからも雑談を交えながら、厨房では楽しい料理教室が続いた。
運動会は盛り上がっていた。低学年の団体演技は保護者や職員の目を和ませ、中学年の徒競走は少しお兄さん・お姉さんに成長した児童の逞しさがあった。低学年では直線だったが、3年生からはトラックになる。縦割りで面倒をみてあげている子が1着だった。クロエが誘導している。
「やっぱりこっちの方がクロエにはあっている」
「うん。クロお姉ちゃんは代われて良かったよ」
小学部は各学年3学級なので縦割りで1組が赤組、2組が青組、3組が黄組だった。これは高等部や中等部を倣ってのものだった。当然イリヤ達は赤組だ。そして今、赤組の応援席にクロエの姿はない。クロエは体育委員だった。
途中編入なので空いている委員会は掲示や美化程度だった。だけどクロエはどうしても体育委員になりたかった。理由はこの運動会があるから。エルヴァにアピールしたかったのだ。
それでクラス会で取り上げてもらい、全員の前で頭を下げた。どうしても体育委員がやりたいと。結果は見事勝ち取った。というか、どの子も委員会なんて嫌々ながらにやっているので、代わるのは思った以上に簡単だった。
肝心のお姉ちゃんが来ていないのは残念だけど、あのお姉ちゃんなら一部始終を魔術で観てくれているだろう。だから朝から張り切っていた。
「さぁ、次は私達が走る番だよ?」
5年生による徒競走だった。公立小学校ならせいぜい100mから150mが限度のトラックが、穂群原小学部では200mあった。勿論、1周は厳しいので、コーナーの途中からスタートして直線の終わりでゴールとなる。
距離は文科省の学習指導要領に沿って80mだ。赤2、青2、黄2の6レーンで、どこに入るかは事前のくじ引きで決まっていた。
今までクラスで1番早いのは美遊だった。その前がイリヤだった。だけど今はクロエが1番早い。絶対1着を取ると誓うクロエだった。
今回は運良く三人とも違う組で出走できた。イリヤが1着を取った。そして続く美遊も1着だ。次はクロエの番だ。帽子をしっかりかぶってレーンに入った。横の男子が早そうだが関係ない。自分らしく走れば結果なんて付いてくる。
「位置について。よーい」
パンッという音とともに地面を蹴った。お姉ちゃんは言っていた。『カムが変わるのがわかった』と。意味はわからなかったけれど、カラダの何かが切り替わるのは毎朝パパと走っていて感じるときがあった。きっとそれだと思う。
きたきた。足が軽くなった。クッとカラダが前に出た。後は直線だけ。横には誰もいない。テープを切ったのは私だ。勢いが止まらず、保護者のカメラとぶつかっちゃったけれど。
パパが良くやったと声を掛けてくれた。ママやルヴィアにあっちのイリヤの応援も聞こえた。お姉ちゃん、観てくれたかな?
『ヨッシャ! 1着3タテ来たコレ!』
エーデルフェルト邸で乙女の嬌声があちこちで起こったのだった。
「何、今の?」
「妹達が1着でも取ったんでしょう? 神秘を大安売りしているわね」
「まぁ、遠見ですしね。誰も気付きませんよ」
その嬌声は、工房に籠もっている、師匠に弟子や孫弟子にまで届いた。
「さ、集中して。その宝石を変形させてそっちのと融合するの」
凛は師匠の凜が更にその師匠のリンから、宝石剣を改良する技術を学んでいる姿を見学していた。直系の孫弟子だからと特別に見せて頂いているのだ。
そして師匠の力量に舌を巻いていた。繊細で精緻で的確。なのに込められる魔力は大胆なまでに力強く、精度が高い。オドの練り方と出力の仕方が上手いのだ。
目標は本当に高いところに居る。けれどそうでなければと思えた。この感動を自分のチカラに変えるのだ。
エルはメイド達に混ざって掃除をしていた。クロは先程までエルを手伝っていたが、今度は各部屋の掃除や片付けをしているエルヴァに付いていた。各部屋に備え付けられた洗濯カゴをキャリーに乗せてエレベータールームへ運ぶ。カゴは色分けしてあり部屋の番号が描かれてあった。それをランドリールームのメイドに預けるのだ。
クロエが1位になった。自然、表情が綻ぶ。それをメイドに尋ねられた。
「どうしたの?」
「従姉妹がかけっこで1位になった」
「へぇ。ミユお嬢様は?」
「美遊も1着だよ」
「さすがね」
運動会はエルとの五感共有で最初から観ていた。遠見の魔術はいくつか教えられているが、この方が早いのだった。
食堂に来いとエルから念話があった。後はメイドに任せて食堂に向かう。ジュースとプリンが用意してあった。本日のお手伝いはこれで終了だ。
プリンを頬張りながら、この後何をしようかと考えた。遊びに行くにしても一人だとつまらない。エルお姉ちゃんからの魔術の勉強も日曜は免除だ。予定がポカッと空いてしまった。どうしよう?
「食べ終わったのならいらっしゃい」
「何かあるの?」
エルお姉ちゃんだった。
「この屋敷は塀に沿って防音の結界が張ってあります。YZ85の練習をしませんか?」
「バイクか。飛ばせないけど、ウィリーとか練習できるね?」
どのみち掃除のためにジャージ姿だったので、エルお姉ちゃんの提案に乗ってお昼までバイクの練習をすることにした。
グローブやヘルメットにパッドはお姉ちゃんが用意している。こうやって出先で練習できるように、いつも持ち歩いているのだ。
このYZ85はお姉ちゃんが私のために用意したモトクロッサーで、森の中にも同じのが置いてある。子供向けでも競技車両なので保安部品がない。なので道路は絶対に走れない。けれどこういう私有地の庭や森なら大丈夫だ。
指導してくれるお姉ちゃんは、YZ85LWとYZ125を持ってきていた。今日はYZ85LWに跨っている。キックしてエンジンに火を入れ、軽いクラッチ操作でウィリー走行のお手本を見せてくれる。
勉強や魔術を教えてくれるのはわかるけれど、どうしてバイクと最初は疑問だった。だけどお姉ちゃんの体験談を聞いて、段々と必要な事だと思えてきた。だから今はこうして教わっている。
コケて痛い思いもするけれど、やっぱりできた時は嬉しいし、できる事が徐々に増えるのが楽しい。
今どこに荷重が掛かっているかを意識する。それをブレーキ操作やアクセル操作で前後に変化させる。自転車でもバイクでもクルマでも全部同じだとお姉ちゃんはいう。
それはどこに魔力を込めるのかという魔術とも似ていると言われた。だからその都度与えられるアドヴァイスにはしっかりと耳を傾け、何度も何度も練習した。
お姉ちゃん達に救けられて10ヶ月が経った。この10ヶ月でたくさんの事を学んだ。だけど霊地の管理の仕方や霊脈調整の仕方なんかはまだだ。その前に今より魔力と使える魔術を増やさなくちゃならない。
一番偉い人とは、一番狙われる人でもあるのだ。そして一族の人々を守らなきゃならない。魔術師がこんなにハードなものだなんて夢にも思わなかった。でもそれがお姉ちゃんの率いるアインツベルンなのだ。
運動会が終わった。結局赤組は2位だった。得点差は1位の黄組と僅か10点。両組とも3位の青組とは50点以上差がついていた。
1年生から6年生までの縦割りなので、5年1組が幾ら頑張っても限度があった。やれるだけやったクロエ達三人は晴れやかな顔をしていた。おめでとう、頑張ったね。
三人が学園の駐車場に行けば、パパにママ、そしてオーギュストがクルマで待っていた。両親とイリヤお姉ちゃんはクロエとイリヤを抱きしめ撫でていた。ルヴィアやオーギュストも美遊を労っていた。
さぁ、帰っておいで。今日は楽しいパーティだよ。
第一部 完
これで第一部完結です。
バトルにも日常にもリアリティを求めたらこんな感じになりました。